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三天使の使命を 経験せよ

第3編 第1章 第三天使の使命と経験


第1章 第三天使の使命と経験

「ほかの第三の御使が彼らに続いてきて、大声で言った、『お およそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、神の 怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒 を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめら れる。その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼり、そして、獣と その像とを拝む者、また、だれでもその名の刻印を受けている者 は、昼も夜も休みが得られない。ここに、神の戒めを守り、イエ スを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある。』」―黙示録1 4:9-12 第三天使の使命は神がこの地に送られた使命の中、最も厳粛で 重要な使命を伝えている。「ほかの第三の御使が彼らに続いてき て、大声で言った、『おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に 刻印を受ける者は、神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神 の激しい怒りのぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、 火と硫黄とで苦しめられる。その苦しみの煙は世々限りなく立ち のぼり、そして、獣とその像とを拝む者、また、だれでもその名 の刻印を受けている者は、昼も夜も休みが得られない』」(黙示録 14:9-11)。 私はこれほど恐ろしい使命を聖書の中で読んだことがない。獣 を拝みその刻印を受けるものは神の怒りの杯を飲み、火と硫黄で 苦しめられ昼も夜も休みが得られないという恐ろしい警告を第 三天使は中空を飛びながら叫んでいる。

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神の怒り 再臨信徒たちよ、神の怒りに対して考えてみたことがあるだろ うか?怒りの杯に混ぜもののないぶどう酒、すなわち憐みが混じ っていない神の怒りを味わうようになるという警告は真に恐ろ しいことではないだろうか?預言者たちは神の怒りの時を非常 に恐ろしいものとして描写している。 「見よ、主はこの地をむなしくし、これを荒れすたれさせ、こ れをくつがえして、その民を散らされる。そして、その民も祭司 もひとしく、しもべも主人もひとしく、はしためも主婦もひとし く、買う者も売る者もひとしく、貸す者も借りる者もひとしく、 債権者も債務者もひとしく、この事にあう。」―イザヤ24:1,2 「『主はそのおられる所を出て、地に住む者の不義を罰せられ る。地はその上に流された血をあらわして、殺された者を、もは やおおうことがない』(イザヤ26:21)。 『エルサレムを攻撃したも ろもろの民を、主は災をもって撃たれる。すなわち彼らはなお足 で立っているうちに、その肉は腐れ、目はその穴の中で腐れ、舌 はその口の中で腐れる。 その日には、主は彼らを大いにあわて させられるので、彼らはおのおのその隣り人を捕え、手をあげて その隣り人を攻める』(ゼカリヤ14:12,13)。自分たち自身の激し い怒りによる争いと、神の、あわれみを混じえない怒りの恐るべ き降下によって、地の悪しき住民たちは、聖職者も為政者も民衆 も、金持ちも貧乏人も、地位の高い者も低い者も、倒れてしまう。 『その日、主に殺される人々は、地のこの果から、かの果に及ぶ。 彼らは悲しまれず、集められず、また葬られずに、地のおもてに 糞土となる」(エレミヤ25:33)。」―各時代の大争闘下巻p.440 「『そこで、彼らは宮の前にいた老人から始めた』と預言者は 言っている(エゼキエル9:1-6)。滅びの働きは、人々の霊的保護

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者と称してきた人々から始められる。偽りの夜回りがまず第一に 倒れる。あわれんだり助けたりする者はない。老若男女がみな滅 ぼされる。」―各時代の大争闘下巻p.439 神の怒りの日にはこの地はくつがえされ、むなしくされ、荒れ すたれて、地上の全ての住民が神の怒りを受けるようになるであ ろう。神の怒りは草木や生き物までもが苦しみからのがれること ができない。特に偽の見張り人たちがこの怒りを最初に受けるよ うになると書いてある。 この世が存在して以来、全ての災いには神の憐みが混じってい たが、第三天使の警告に表された神の怒りは憐みが混じらない恐 ろしいものとなるであろう。幼い子供たちまでもが憐れみのない 災いを受けるであろう。憐れみ深い我々の神がなぜこのように怒 られるのであろうか? いつくしみ深い神の怒り 人類が罪を犯して以来、神は六千年の間絶えず哀れみを与えら れ、罪によって無価値になった人間を救うために御自分のすべて の愛をこの世に注がれた。神がこの世に一人子を送られたという ことは全天を犠牲にしたのと同じことであった。しかし人々はこ のような神の愛にどのように反応したのであろうか? 神が御自分の一人子をこの地に送られる為に天の政府では三 回の会議が行われた。全能なる神であり全てのことを知っておら れる天父が御子をこの世に送られることを決定するにはただ一 回の会議で決められるような簡単なことではなかった。神に困難 なことなどあるのだろうかと人々は考えるかも知れないが、御父 にとって、御子をこの世に送られることだけは苦しく大変なこと であった。

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「天使は言った、『あなたは、天父が何の苦しみもなく愛し子 を手離されたと思いますか。決してそうではありません。罪の人 類を滅ぼすか、それとも人類のために愛し子を死なせるかという ことは、天の神にとっても戦いでした』と。」―初代文集p.264 「堕落した人間の子らのための『平和の一致』であった(ゼカ リヤ6:13)。救いの計画は、地球が創造される前にたてられてい た。キリストは『世のはじめからほふられた小羊』(黙示録13:8・ 詳訳聖書)であった。しかし、宇宙の王であられる神にとっても、 み子を、罪を犯した人類のために死にわたすことは苦闘であった。 ところが『神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して 下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の 命を得るためである』(ヨハネ3:16)。ああ、贖罪はなんと神秘な ものであろうか。神を愛さなかった世界を、神はどんなに愛され たことであろう。『人知をはるかに越えた』その愛の深さをだれ が知ることができるだろうか。永遠の命を与えられた人々は、こ のはかり知れない愛の奥義を、永遠にわたってさぐり求めて、驚 き賛美するのである。」―人類のあけぼの上巻p.54 「わたしにつきそっていた天使は、イエスが天父と親しく語っ ておいでになると言った。イエスが天父とお話しになっている間、 天使たちは心配で緊張しているようにみえた。イエスのお姿は、 天父のまわりの輝く光の中に、三度見えなくなった。三度目に、 天父のところから出てこられるイエスのお姿がみられた。イエス の顔つきは落ちついて、困惑や疑いの影は少しもみられず、言い あらわしようのない慈愛に満ちていた。その時イエスは、失われ た人類のためにのがれの道が備えられたことを天使の万軍にお 知らせになった。」―初代文集p.260 このような大いなる神の愛を無視し、救われることを拒否した 罪人に神は怒りをあらわされることであろう。これは罪人のため

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に愛する御子をも惜しまずに与えられた愛を信じず、不信仰によ って罪を捨てない者に対する神の怒りである。キリストは父なる 神からのろわれ、苦しみ、生命を捧げられた。彼は律法ののろい を受けなければならない罪人のためにご自身を捧げられた。しか し自ら服従することを拒否する者に対しては、神の怒りがあらわ されるのである。 のろいとなって 「キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたした ちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、『木に かけられる者は、すべてのろわれる』と書いてある。それは、ア ブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及 ぶためであり、約束された御霊を、わたしたちが信仰によって受 けるためである。」―ガラテヤ3:13,14 再臨信徒たちよ!あなたは誰かにのろわれたことがあるだろ うか?誰かに悪口を言われたことはあるかもしれないが、のろわ れた経験はあまりないのではないだろうか。たとえ小さい子供や かよわい女性からだとしても、のろわれるということを想像する だけでもぞっとすることである。そうであるのに神にのろわれた としたら、それはどれほどのことであろうか? 救いの計画の中には神が御自分の御子に律法ののろいを宣言 するという恐ろしい計画が含まれていた。律法ののろいとはどの ようなことであるかを知っておられる神にとって、御子をこの世 に送られることを決めることは実に苦しいことであった。 天父が御子をこの世に送られたのは私たちが信仰によってア ブラハムの祝福を受けるためであると聖書に記録されている。罪 を犯した人類の罪をあがなうためには罪人が受けるべき律法の

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のろいすなわち神ののろいを御子が受けなければならなかった のである。 律法ののろいがどのようなものであるかを知っておられる御 父が御子をのろわなければならなかったのである。神ご自身実に 恐るべき苦しみを経験されたのであった。その苦しみがどれほど の苦しみであるかはゲッセマネでの主の苦しみとうめきを聞く ならば、私たちにもわずかながら知ることができることであろう。 「キリストが、人の魂のために払われる価について思いをめぐ らしておられる姿を見なさい。苦悩のあまり、主は、神から遠く へ引き離されまいとするかのように、冷たい大地にすがりつかれ る。冷たい夜露がそのひれふしたお体におりるが、主は気にされ ない。その青ざめたくちびるから、『わが父よ、もしできること でしたら、どうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください』 とのいたいたしい叫びがもれる。それでもなお主は、『しかし、 わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さ い』とつけ加えられる(マタイ26:39)。」―各時代の希望下巻p.17 8 「サタンの精神を吹き込まれている人たちとの戦いに、イエス は、『わたしをつかわされたかたは、わたしと一緒におられる。 わたしは、いつも神のみこころにかなうことをしているから、わ たしをひとり置きざりになさることはない』と言うことがおでき になった(ヨハネ8:29)。しかし今イエスは、神のささえの臨在 という光からしめ出されているようにみえた。いまイエスは『と がある者と共に数えられた』(イザヤ53:12)。堕落した人類の罪 をイエスがお負いにならねばならない。罪を知らなかったお方の 上にわれわれの全ての罪とががおかれねばならない。罪が非常に 恐るべきものに見え、イエスの負われねばならない不義の重荷が あまりに大きいので、イエスは、そのため天父の愛から永遠にし

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め出されるのではないかという恐れにさそわれる。罪とがに対す る神の怒りがどんなに恐るべきものであるかを感じて、イエスは、 『わたしは悲しみのあまり死ぬほどである』と叫ばれる(マタイ2 6:38)。」―各時代の希望下巻p.173 「この苦悩からのがれるために、キリストは、神としての力を 働かせてはならないのである。人間として、キリストは、人の罪 の結果をお受けにならねばならない。人間として、キリストは、 罪とがに対する神の怒りに耐えたまわねばならない。」―各時代 の希望下巻p.176 「キリストが堕落した人間の本性を取られたとき・・・彼も人 間の弱さに囲まれていた。・・・キリストは我々の弱い感情に触 れ、すべてのことにおいて人間と同じようにテストされた。 ・・・ サタンがキリストを誘惑して最も小さい罪でさえ犯させること ができたならば、彼はキリストの頭を砕いたことであろう。しか しサタンは彼のかかとを砕いただけであった。もしキリストの頭 が砕かれたならば人類の希望は消えたであろう。神の怒りがアダ ムに下ったのと同様にキリストの上にも下ったであろう。キリス トと彼の教会は何の望みもなくなったことであろう。」―サイン ズ・オブ・ザ・タイムズ1898年6月9日 「しかし神はみ子と共に苦しまれた。天使たちは救い主の苦悩 を見守っていた。彼らは、主がサタンの大軍にとりかこまれ、そ の人性が身ぶるいするような、ふしぎな恐れに圧倒されるのを見 た。天は沈黙していた。立琴は音をたてなかった。天父が愛する み子からご自分の光と愛と栄光の輝きをとり去られるのを天使 たちが無言の悲しみのうちに驚いて見守っている有様をもし人 間が見ることができたら、彼らは罪が神の御目にどんなに恐るべ きものであるかをもっとよくさとるであろう。」―各時代の希望 下巻p.183

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人間の罪をあがなう救いの計画において、神性の能力と資格を 持っておられる御方の犠牲が要求され、また罪を犯した人性を持 った人間として、罪のない生涯を生き、模範を示すことが要求さ れた。それだからわたしたちの主は神性の資格で罪を犯した人類 の罪をあがない、また罪によって弱くなった人間の模範となるた めに罪を犯した人性をとらなければならなかった。その結果はど のようなものであったのだろう? 主は我々のようにサタンに誘惑されて、罪を犯すことも可能で あった。そしてもし罪を犯したのなら、神の怒りがアダムに下っ たのと同様にキリストの上にも下った。これは実に驚くべき事実 である。 力強い第三天使 「イエスは、聖所における奉仕を終わり、至聖所に入って、神 の律法を納めた箱の前に立たれた時に、世界に対する第三の使命 をたずさえたもう一人の力強い天使を、お送りになった。」―初 代文集p.414 第三天使は力強い天使であると証の書に書いてある。なぜ第三 天使は力強い天使なのだろうか?それは第一天使の使命で永遠 の福音を経験し、第二天使の使命によって罪と罪人から分離され る経験をしたからである。 我々は今まで救いの計画に現された神の愛と我らの主の言い 表せない苦しみと犠牲を簡単にではあるが学んできた。であるか ら私たちもヨハネのように告白できなければならない。「わたし たちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜 わったことか、よく考えてみなさい」(第一ヨハネ3:1)と言う愛 の告白が我々のくちびるから出なければならないのではないだ

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ろうか?力強い天使は続いて次のように叫んでいる。 「天使の手には、羊皮紙が渡された。そして、彼は、力と威光 とをもって地に下り、これまで人類に伝えられたことのない、恐 怖すべき威嚇をもった恐るべき警告を発した。このメッセージは、 神の民の前にある試みと苦悩の時を彼らに示して、彼らに用心さ せるためのものであった。『彼らは、獣とその像と激しく戦わな ければならない。彼らが永遠の生命を得る唯一の希望は、堅く立 つことである。彼らは、その生命が危機にひんしても、真理に固 く立たなければならない』と天使は言った。第三の天使は、『こ こに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒 の忍耐がある』と言って、メッセージを終わっている。」―初代 文集p.414 愛する再臨信徒たちよ、真に我々は力強い天使となっているだ ろうか?真に我々はこの地が存在して以来最も厳粛で恐ろしい 警告を宣布する準備ができているであろうか?第三天使は獣と その像と戦うようになるであろう。それだから我々は永遠の命に 対する堅い望みと、神の愛に対する揺るがぬ信仰を持っていなけ ればならない。なぜなら我々は獣とその像と戦わなければならな ず、この世で最も恐ろしく厳粛な神の警告の使命を伝えなければ ならないからである。このことは簡単なことではなく、殉教者た ちの信仰を超える信仰と忍耐が要求される大変な事である。神の 戒めを守りイエスの信仰を持ち続けるためには非常な忍耐が要 求されるのである。 第三天使には能力と力がなければならない。能力と力のない名 目的な第三天使は獣とその像との戦いで勝つことができない。も し勝利できないのなら、かえって私たちが伝えるその使命によっ て神の怒りを受けるようになるであろう。 「おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、

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神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶど う酒を飲み、」―黙示録14:9,10 それだから私たちはもう一度、第一天使と第二天使の使命によ って能力と力を得、力強い天使として生まれ変わる経験が必要で ある。なぜなら第一と第二天使の経験がない者たちは神の怒りの 杯を受けるようになるからである。 怒りのぶどう酒を飲む者 恐ろしいことは、人類を救うために御子をのろうことまでされ た神の憐れみの招待を拒む者には、神は御自分の怒りの杯を飲ま せるということである。 「主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。たといあな たがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅 のように赤くても、羊の毛のようになるのだ」(イザヤ1:18)と言 う悔い改めの招待を拒否した者に神の怒りは下されるであろう。 「そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから 火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないた め身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるように なるため、目にぬる目薬を買いなさい。すべてわたしの愛してい る者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心 になって悔い改めなさい。」―黙示録3:18,19 「彼らは自らの無価値さを漠然と認め、罪悪感はあるが、民の 上に神の不興をもたらしたところの罪を告白することを拒む。こ のように多くの人々は、自分本位と欺瞞の罪、神と隣人への不正 直、家族に対する罪、そして公の場での告白に値する他の多くの 罪を隠すのである。」―ST1881年5月5日 「わたしたちは、自分は他の人たちのような悪いことは何もし

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ていないとうぬぼれることがあるかもしれません。しかし、たと え品性の美点があってもそこに一つの弱点があれば、…心は二つ に分れて自我と神との両方に兼ね仕えているのです。神の子たる 者は、自分の心の中で甘やかしふけっている罪をさぐり出し、そ の罪を神に心から切り取ってもらわねばなりません。その一つの 罪に勝利しなければなりません。それは神の御目には、決して取 るに足りない問題ではないのです。 」―青年への使命p.81,82 「神は二心の者の中には住まわれないし、二心の座を支配され ることもない。愛情をとらえ、それらを愛の神からそらす心の中 の絶対者は心の座から退位させなければならない。」―彼を知る ために2月26日 「神は侮られるようなかたではない。…彼のあわれみと祝福を おろそかにする人々は貫くことのできない暗黒を自分に招き寄 せるようになり、神の怒りの候補者となるであろう。」―教会へ の証4巻p.191 「彼の愛がどれほど無視され彼の同情がどれくらい誤用され たのか…」―最後の出来事p.275 不従順で完全に屈伏しないものたちに神は怒りを下されるで あろう。 「神の怒りは不従順の子らに下るのである。」―エペソ5:6 「不従順のものには約束もなく祝福もなく、ただ神の怒りのみ があるであろう。」―説教と預言2巻p.105 「神の力がクリスチャンであると公言する人々の生涯に少し か影響を及ぼすことができないような状況になっている。…イエ スの愛が魂を支配する原則が行われていないので、生涯を導く能 力を活用することができない。真理に少ししか屈服しないという ことによって、サタンが自由に働くことのできる機会を与える。 魂の聖所が神に完全に支配される時まではその心は敵の城とな

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る。」―レビュー・アンド・ヘラルド1899年11月28日 神の律法を無視し軽んじる者たちは神の怒りのぶどう酒を飲 むようになるであろう。 「神の律法を軽視し、キリストの血を足の下に踏みにじった者 たち…はみな『ほら穴や山の岩かげに』身を隠し、山と岩とに向 かって言う、『われわれをおおって、御座にいますかたの御顔と 小羊の怒りとから、かくまってくれ。御怒りの大いなる日が、す でにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか』(黙示 録6:15~17)。」―人類のあけぼの上巻p.402 「すべての人に試練がやってくる時は、あまり遠くはない。わ れわれは偽の安息日を守るように強制される。それは、神の戒め と人間の戒めとの間の争いである。一歩一歩世俗の要求に屈伏し て、世俗の習慣に妥協した人々は、その時、嘲笑、侮辱、投獄と 死の脅威にさらされるよりは、地上の権力に従ってしまうのであ る。その時、金が不純物から分離される。真の敬神深さが、ただ うわべだけの見せかけからはっきりと区別される。われわれが輝 かしさを賛美した多くの星が、その時暗黒の中に消えていく。聖 所の飾りのようなふうをしてはいたが、キリストの義をまとって いなかった人々は、その時裸の恥をさらす。」―国と指導者上巻p. 156 平和だ無事だと叫ぶものたちは神の怒りからのがれることが できないであろう。 「我々はここで聖所すなわち教会が神の怒りを真っ先に受け るということを知ることができる。年老いた者たち、神から大い なる光を受けた民の霊的利益を守る者として立てられた者たち が彼らの義務に背いた。…それだから、声をラッパの声のように あげて神の民に彼らの罪とヤコブの家に罪を知らせなかった者 は『平和だ無事だ』と叫ぶ。このように吠えない犬たちは神の怒

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りの復讐を受けるようになる。」―2TT,p.65,66 「『あなたがわたしに真理を信じさせまいとしたのだ。そうで なければ、こんな恐ろしい目に会わずにすんだものを』と言って、 大声で泣きわめくのが、四方から聞こえた。人々は、激しい憎し みをもって牧師たちに向かい、『あなたは、わたしたちに警告し てくれなかった。あなたは、全世界の人が悔い改めて救われる時 が来ると言ったではないか。あなたは、平和だ、平和だと叫んで、 恐怖心の起きるたびに、それを静めてしまって、こんなことにな るとは言わなかったではないか。わたしたちに警告する人がある と、あれは狂信者で、わたしたちを滅ぼす悪い人たちだと、あな たは言ったではないか』と言って、彼らを責めた。しかしわたし は、牧師たちも神の怒りをまぬかれないのを見た。」―初代文集p. 455 食欲と情欲を節制しない貪り食う者たちが神の怒りの杯を飲 むようになるであろう。 「食欲と情欲がキリストに従うと公言する多く人々を支配し ている。罪と親しみ彼らの感覚がとても鈍感になったため、彼ら は罪を魅力的で憎むべきものではないものとみなす。万物の終わ りが近づいた。神は人間の罪と低俗な悪をこれ以上長く忍耐され ないであろう。彼らの罪は…神の恐ろしい災いによって報いられ るであろう。彼らは憐れみの混じっていない神の怒りの杯を飲む ようになるであろう。」―1TT,p.398 「私に与えられた光によると、我々が動物性食品をすべて廃さ なければならなくなる時はあまり遠くない。牛乳でさえも廃さな ければならなくなる。病気は急増している。人間が世界を呪った ために、神の呪いがその上に及んでいるのである。」―食事と食 物に関する勧告p.333 「私は、その問題についてみじんも取り繕うことなく、ヘル

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ス・ホームにいる人々が死んだ動物の肉を食卓に持ってくるなら ば、神の怒りを受けると言った。」―食事と食物に関する勧告p.3 92 「食欲の支配的な力が多くの人々を滅ぼしていることが証さ れるであろう。もし、彼らがその点で勝利したならば、彼らはサ タンのほかの全ての誘惑で勝利しつつ道徳的能力を所有するよ うになったであろう。」―教会への証3巻p.491,492 神と共に富という偶像に兼ね仕えようとする者には神の怒り が臨むであろう。 「時間を浪費し、創造主の代わりに富を崇めた者の上に神の怒 りが与えられるのである。」―教会への証4巻p.54 力強い天使として生まれなければならない 再臨信徒たちよ、第三天使は力と能力をもった天使である。 1844年、最も聖なる場所である至聖所の幕が開かれ、同時 に契約の箱のふたをキリストが開かれた。ホワイト姉妹はそこで 生ける神の律法の栄光を見た。 至聖所から輝く生ける神の律法の栄光は人間の考えと動機ま でをも示している。私たちはこのような神秘的な鏡をのぞき見つ つ力強い天使として生まれ変わらなければならない。 まもなく獣の像がたてられる。そしてその時我々は大声で 「・・・『おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受け る者は、神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒 りのぶどう酒を飲』」むと叫ばなければならない(黙示録14:9,10)。 はたして私たちにはこの大いなる叫びをあげる力があるだろ うか。この力は群集心理のような感情や気分のようなものではな い。また理論や知識を持ち、預言を知っているからといって大い

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なる叫びに参加することができるのでもない。ただ心と考え、そ して行いにおいて汚れとしみのない美しい品性を所有した者た ちのみが大いなる叫びをあげる力を得るのである。心から神を愛 し自分の十字架を負って、小羊の行く所へはどこへでもついて行 く者たちが所有することのできる能力であり力なのである。 再臨信徒たちよ、私たちは皆共にこの栄光の場に参加しようで はないか?もし心からそれを望むのなら、その働きにふさわしい 準備が必要である。 見よ、今は恵みの時である。不足を補うことのできる今日一日 を与えられた方に感謝しよう。私たち皆が力強い第三天使として 生まれ変わる兄弟姉妹となることを心より祈り求めるものであ る。 ・・・第2章に続く。

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三天使の使命を経験せよ3編1章  

「第三天使の使命と経験」

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