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Life, Work, and Teachings of Jesus 安息日学校教課 Part 3

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2013 年第 3 期


For the Second Half Year 2013

Life, Work, and Teachings of Jesus Part 3

Receiving Jesus Message

安息日学校教課

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イエスの生涯、働き、教え

Author: Antonino Di Franca Review and editing of content by the General Conference Ministerial Department Translation, editing, and design by the General Conference Publishing Department 安息日学校教課

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イエスの生涯、働き、教え

まえがき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・08 01 課 07/06

もてなしの祝福 ・・・・・・・・・・・・・・・・10

02 課 07/13

よいサマリヤ人 ・・・・・・・・・・・・・・・・17

03 課 07/20

イエスの祝福された人々 ・・・・・・・・・・・・24

04 課 07/27

富んでいるが貧しい ・・・・・・・・・・・・・・31

05 課 08/03

何故そこに病気があるのか ・・・・・・・・・・・38

06 課 08/10

死から生命へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・45

07 課 08/17

頑なな心の結果 ・・・・・・・・・・・・・・・・51

08 課 08/24

自己推薦によらず ・・・・・・・・・・・・・・・57

09 課 08/31

イエスを見たかった男 ・・・・・・・・・・・・・63

10 課 09/07

イエスになされた良い働き ・・・・・・・・・・・69

11 課 09/14

もし彼が知っていたなら ・・・・・・・・・・・・76

12 課 09/21

王が来られる ・・・・・・・・・・・・・・・・・82

13 課 09/28

実のない木 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・89

伝道報告 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・95 安息日学校教課

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まえがき 皆さんは「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は決して滅びること がない」 (ルカ 21:33)と語っている人を見たことがあるでしょうか?全ての 人は人間にはこのような宣言をすることはできないという事を良く知ってい ます。たとえ誰かがこのようなことを語ったとしても、それは決して成就され ることはないでしょう。わたしたちは多くのことを語りつつ生きていますが、 それらはまるでもみ殻のようなもので、時間がたつと消えて行きます。 しかしイエスの御言葉はそうではありません。彼は原則を与えられました。 そしてその原則は生き続けて、全ての試練に勝利させるでしょう。イエスは約 束を与えられました。イエスは数世紀を経てもその約束を忘れられず、最も適 切な時に成就されるでしょう。イエスの御言葉は力を失わずに完全に成就され るのです。 「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない」 (マタイ 24:35)。 主のメッセージは人間のスピーチのようなものではありません。彼の御言葉 はたとえすぐには成就されなくても、力があり効果的であります。民が癒しと 自由と助けを求めた時、彼らはひと月や数週間もしくは何時間も待つ必要はあ りませんでした。 「イエスは彼にむかって言われた、 『わたしに何をしてほしい のか』。その盲人は言った、『先生、見えるようになることです』。そこでイエ スは言われた、 『行け、あなたの信仰があなたを救った』。すると彼は、たちま ち見えるようになり」 (マルコ 10:51-52) 。 「『あなたに命じる。起きよ、床を取りあげて家に帰れ』と言われた。する と彼は起きあがり、すぐに床を取りあげて、みんなの前を出て行ったので」 (マ ルコ 2:11-12)。イエスの御言葉は神の霊によるものであり、その御言葉が民の うちで生ける命となったので、このような驚くべき奇跡が起きたのであります。 「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなた がたに話した言葉は霊であり、また命である」 (ヨハネ 6:63) 。イエスの御言葉 は肉体的健康と命だけでなく、霊的な癒しと喜びをも与えてくださるのです。 今回の下半期はイエスの生涯と働きと教えに関して勉強していきます。福音 を通してわたしたちは救い主の力ある御言葉と直接接触することができます。 イエスの生命力のある御言葉を聞いた後には何をしなければならないでしょ うか?「わたしのもとにきて、わたしの言葉を聞いて行う者が、何に似ている か、あなたがたに教えよう。それは、地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家 を建てる人に似ている。洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても、それを 揺り動かすことはできない。よく建ててあるからである」 (ルカ 6::47-48) 。 霊感による使命者は福音の驚くべき能力に関して次のように証しています。 「聖書は無限の価値の宝が入っている宝箱である。・・・それは、貴重な鉱石 でいっぱいの鉱山のようです。憐みと真理と愛はわたしたちが見積もる以上に 価値のある物である。この宝はいくら多く供給されても過度にはならない。こ の宝は神の御言の中にあるが、わたしたちはどのようにこれら天の宝の所有者

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になれるかを発見するようになるのに、なぜクリスチャンと公言する多くの 人々は神の御言に興味を感じないのだろうか?神の御言に霊と命がないから であろうか?そうであるなら、イエスがわたしたちに『聖書を調べなさい』と 命じられたのは意味のないことなのであろうか?イエスは『わたしがあなたが たに話した言葉は霊であり、また命である』と言われた。」―クリスチャン教 育の基礎 p.182,183. 「わたしたちの心が神の御言と調和するとき、新しい命がわたしたちの中に 湧き出るであろう。新しい光が御言の一句一句を照らし、魂の中に鳴り響く神 の御声となるであろう。このようにするとき、わたしたちは天の視野を得るよ うになり、進むべき道を知り、今日与えられた特権を最大に、よく活用するこ とができるようになる。 」―クリスチャン教育の基礎 p.80. 質問に答えるためだけに教課に目をとおすだけで満足するならば、わたした ちの霊的生活に大きな益を得ることはないでしょう。命を維持し、活動するエ ネルギーを得るために食物が必要であるように、霊的生活においても同様であ ります。聖書の教訓は毎日研究し、瞑想し、学んだ御言を生活に適用させなけ ればなりません。そのようにする時、わたしたちの霊的生活に変化が起き、驚 くべき祝福を得るようになるでしょう。 「両親は子供といっしょに、聖書を調べなければなりません。両親自身が教 課をよく知るようになれば、子供たちの研究をたすけることができます。毎日 一日のある時を教課の研究のためにあて、その意味を心から理解することもで きないままに、ただ機械的にそのみことばを繰り返すのでなくその土台までさ ぐり、その教えの中に何があつかわれているか、よく理解するようにしなけれ ばなりません。子供たちの無関心は、多くの場合、親に責任があります。両親 が無関心なので、子供たちにも同じ精神がうつるのです。両親が安息日学校に 重要な意味をもたせ、尊敬と尊重の意を払うなら、子供たちはその模範になら うのが常です。 」―安息日学校への勧告 p.56,57 「イエスは力のみなもと、いのちの泉である。イエスはわれわれをみことば に導き、いのちの木から、罪に悩む魂をいやす葉をわれわれに提供される。ま た、われわれを神のみ座に導き、われわれの口に祈りを入れられる。それによ ってわれわれは、神ご自身と親しく接触するのである。」―患難から栄光へ下 巻 p.171. わたしたちがみな命と知恵の清い源であられるイエスの御言葉を通して、霊 的に豊かな益を得るようになることをお祈りいたします。

―世界総会の兄弟姉妹より

安息日学校教課

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Lesson 1

もてなしの祝福

2013.07.06

※特別安息日学校献金は西アフリカ宣教学校のためにささげられます。天

から受けられた祝福を共に分かち合ってください。

「聖書は親切なもてなしをすることに、非常な重点をおいている。 それはもてなしを義務として命令しているだけでなく、この好意を実 行した多くの美しい場面と、それがもたらした祝福の数々を示してい る。これらの例の中で一番めだっているのは、アブラハムの経験であ る。・・・・ これらの礼儀正しい行為を、神はみことばの中に記録するだけの十 分な重要性があるとお考えになった。そして千年以上も後になって、 霊感をうけた使徒がこのことについて、『旅人をもてなすことを忘れ てはならない。このようにして、ある人々は気づかないで御使たちを もてなした』と言った(へブル 13:2)。」―アドベンチスト・ホーム p.445.

ゴールに向かって着実に進む 1. イエスは働きの最後の日が近づいているのを知られて、何に集中されまし たか? ルカ 9:51「さて、イエスが天に上げられる日が近づいたので、エル サレムへ行こうと決意して、その方へ顔をむけられ、」 「イエスの心にとっては、愛する弟子たちの心配や失望や不信にさ からって、道を進まれることは苦しいことであった。エルサレムで弟 子たちを待ち受けている苦悩と絶望に向かって彼らを連れて行くこ とはつらいことであった。そこでサタンは、近くにいて、人の子イエ スに誘惑をもって迫った。なぜイエスは死ぬにきまっているエルサレ ムにいま行かれるのか。イエスの周囲には生命のパンに飢えている魂 がいる。どちらを向いても悩める者たちがイエスのいやしのことばを 待っている。キリストの恵みの福音をもってなされる働きは始まった ばかりであった。しかもイエスは壮年の盛りで力に満ちておられた。 なぜその恵みのことばといやしの力のみ手をもって世界の広い野へ 10

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出て行かれないのか。・・・ しかし神の大いなるご計画のうちには、イエスが人類の罪のために ご自身をささげられる時が定められていて、その時刻がまさに到来し ようとしていた。イエスは、弱ったり、動揺したりしようとなさらな い。」―各時代の希望中巻 p.284,285. 2. エルサレムへ行くために、イエスと弟子たちはどの地域を通っていかねばな りませんでしたか?サマリヤ人の村で宿を予約するためにだれを先に送ら れましたか? ルカ 9:52「自分に先立って使者たちをおつかわしになった。そして彼 らがサマリヤ人の村へはいって行き、イエスのために準備をしようと したところ、 」 「あるとき、キリストはご自分に先立ってサマリヤ人の村に使いを 送り、ご自分と弟子たちのために軽食を用意するように要求されまし た。」―清められた生活 p.57,58. 親切な待遇と祝福 3. 弟子たちが町へ入ってもてなしを求めた時、どんな待遇を受けましたか? 断られた理由は何でしたか? ルカ 9:53「村人は、エルサレムへむかって進んで行かれるというの で、イエスを歓迎しようとはしなかった。 」 「イエスがエルサレムへ行かれる途中だというので、イエスを迎え ることをこばんだ。彼らは、イエスがエルサレムに行かれるのは、彼 らが激しく憎んでいるユダヤ人をひいきにされている証拠であると 解釈した。もしイエスがゲリジム山の神殿を回復して、そこで礼拝す るためにこられたのだったら、彼らはよろこんでイエスを迎えたので ある。しかしイエスはエルサレムへ行かれるところだったので、彼ら は、イエスを親切にもてなそうとしなかった。彼らは、天の最上の賜 物を彼らの戸口から追い払っていることに少しも気がついていなか った。イエスは、彼らに近づいて最も豊かな祝福を授けるために、彼 らがイエスを受け入れるように招き、彼らの手による好意を求められ 安息日学校教課

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た。イエスは、ご自分に対して示される好意の一つ一つに、もっとと うとい恵みをもって報いられた。しかしサマリヤ人は、偏見と偏狭さ のためにすべてを失った。」―各時代の希望中巻 p.286. 4. このサマリヤ人とは異なり、族長時代に旅人が彼らの土地を通る時、どんな 偉大な思いやりともてなしが特徴づけられていましたか?訪問者が誰なの かを知らなくても、族長たちはどんな特別な恵みを施しましたか? 創世記 18:1~5「主はマムレのテレビンの木のかたわらでアブラハム に現れられた。それは昼の暑いころで、彼は天幕の入口にすわってい たが、目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼は これを見て、天幕の入口から走って行って彼らを迎え、地に身をかが めて、 言った、 『わが主よ、もしわたしがあなたの前に恵みを得てい るなら、どうぞしもべを通り過ごさないでください。水をすこし取っ てこさせますから、あなたがたは足を洗って、この木の下でお休みく ださい。わたしは一口のパンを取ってきます。元気をつけて、それか らお出かけください。せっかくしもべの所においでになったのですか ら』。彼らは言った、 『お言葉どおりにしてください』。」 創世記 19:1~3「そのふたりのみ使は夕暮にソドムに着いた。そのと きロトはソドムの門にすわっていた。ロトは彼らを見て、立って迎え、 地に伏して、言った、 『わが主よ、どうぞしもべの家に立寄って足を 洗い、お泊まりください。そして朝早く起きてお立ちください』。彼 らは言った、 『いや、われわれは広場で夜を過ごします』 。しかしロト がしいて勧めたので、彼らはついに彼の所に寄り、家にはいった。ロ トは彼らのためにふるまいを設け、種入れぬパンを焼いて食べさせ た。」 ヘブル 13:2 「旅人をもてなすことを忘れてはならない。このように して、ある人々は、気づかないで御使たちをもてなした。」 「アブラハムとロトに与えられた特権は、私たちにもこばまれては いない。私たちもまた神の子たちを厚くもてなすことによって、天使 を私たちの住居に迎え得るのである。今日においても、天使は人間の 形をとって人々の家庭にはいり、歓待される。そして神のみ顔の輝き の中に住むクリスチャンは、いつも目に見えない天使につき添われて 12

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おり、これらの天使たちは、私たちの家庭に祝福をのこしてゆくので ある。」―アドベンチスト・ホーム p.509. 人の反応と無作法 5. どんな否定的な応答がイエスの弟子たちにありましたか? もし、偏見のた めに村や町の入り口で断られたら、わたしたちはどのように感じるでしょう か? ルカ 9:54 「弟子のヤコブとヨハネとはそれを見て言った、『主よ、 いかがでしょう。彼らを焼き払ってしまうように、天から火をよび求 めましょうか』。 」 「弟子たちは、キリストがお立ち寄りになってサマリヤ人を祝福な さろうとしていたことを知っていた。そして、村人が主に示した冷淡 さと、嫉妬と、不遜さに弟子たちは驚き、憤慨した。ヤコブとヨハネ は特に気を荒立てた。彼らが深く尊敬している方がこのようなあしら いを受けたことは、直ちに罰せず見過ごしにすることが到底できない ほど不当であるように彼らには思えた。」―患難から栄光へ p.243. 「キリストの使者に立ったヤコブとヨハネは、主に対して侮辱が表 明されるのをみてひどく当惑した。主ご自身がおいでになることは、 サマリヤ人にとって名誉であるのに、主に対してこんな無礼な態度を とったといって、彼らは憤慨した。彼らは、変貌の山でイエスと一緒 にいて、イエスが神から栄光を受けられ、モーセとエリヤからあがめ られたのを最近見たばかりだった。サマリヤ人が示したこの明らかな 侮辱は、明白な罰を受けることなしにはみすごされないであろうと彼 らは思った。 ヤコブとヨハネは、キリストのところへきて、サマリヤ人が言って いることを報告し、主のために一晩の宿を提供することさえことわら れたことをお話した。彼らは、サマリヤ人が主に対して悲しむべき罪 を犯したと思い、かつてエリヤが偽預言者たちを殺したカルメル山を 遠方に見て、『主よ、いかがでしよう。彼らを焼き払ってしまうよう に、天から火をよび求めましょうか』と言った(ルカ 9:54、注・英訳 聖書には「エリヤがしたように」とのことばがはいっている)」―各 時代の希望中巻 p.286,287. 安息日学校教課

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最良の客のために場所を用意する 6.別のサマリヤ人の村で、イエスはどんな待遇を受けられましたか?イエスは ご自分の民によってどのように受け入れられましたか?今日イエスは、どん なドアをノックしておられますか? ルカ 9:56「そして一同はほかの村へ行った。」 ヨハネ 1:11「彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けい れなかった。 」 黙示録 3:20 「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれ でもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって 彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。 」 「イスラエルの人々は国をあげて、メシヤの来臨を待望しながらも、 その心と生活においては、神から遠くかけ離れていたので、約束の贖 い主がどのような方で、どんな任務をもっておられるかを真に理解す ることができなかった。・・・彼らはその心の誇りと、メシヤの性質 とその任務についての誤った考え方によって、主がメシヤであられる ことの証拠を正しく評価することができなかったのである。 ユダヤ民族は千年以上にわたって、約束された救い主の来臨を待望 していたのであった。彼らの最も輝かしい希望は、この出来事にかか っていた。千年の長きにわたって、歌に預言に、神殿の儀式に家庭の 祈りに、救い主のみ名は大切に覚えられてきた。それにもかかわらず、 彼が来られた時に、人々は、彼が長く待望していたメシヤであること を認めることができなかった。『彼は自分のところにきたのに、自分 の民は彼を受けいれなかった』(ヨハネ 1:11)。愛する神のみ子は、世 俗を愛する彼らの心にとっては、『かわいた土から出る根のよう』で あった。彼らの目にとって、『彼は、見るべき姿がなく、威厳もな』 かった(イザヤ 53:2 )。彼らは彼に慕うべき美しさを認めなかった。」 ―国と指導者下巻 p.310,311. 7. 自分自身の間違いを知って認めることは難しいことですか?贖い主の答え からわたしたちは何を学びますか?

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ルカ 9:55,56「イエスは振りかえって、彼らをおしかりになった。[あ なたがたは自分の心がどんなものであるかを知らないのである。人の 子は、人のいのちを滅ぼすためではなく、これを救うためにきたので ある。(英訳)]そして一同はほかの村へ行った。 」

「彼らは、イエスがこのことばに悲しい顔をされたのを見て驚いた が、イエスの譴責のことばが耳にひびいてきた時にはもっと驚いてし まった。・・・ キリストを受け入れるように人々に強制することは、キリストの使 命の一部ではない。良心を強制するのは、サタンと、サタンの精神に 動かされている人々である。悪天使たちと同盟している人たちは、正 しいことのために熱心であるようにみせかけながら、実は人々を宗教 についての自分たちの考え方に変えてしまうために、同胞に苦しみを 与える。しかしキリストは、いつもあわれみを示し、ご自分の愛をあ らわすことによっていつも人々の心をとらえようとしておられる。イ エスは、一つの魂のうちに競争者がいるのをみとめることや、中途半 端な奉仕を受けることがおできにならない。主はただ自発的な奉仕、 愛に迫られた自発的な心の屈服をお望みになる。われわれの働きを理 解しない人たちや、われわれの考えと反対な行動をするような人たち を傷つけたり滅ぼしたりしようとする気持くらい、われわれがサタン の精神を持っていることの決定的な証拠はない。 一人一人の人間は、肉体においても、魂においても、精神において も、神の財産である。キリストはすべての人をあがなうために死なれ たのである。宗教的な偏狭さから、人間が救い主の血潮であがなわれ た人々を苦しめることぐらい神に忌みきらわれることはない。」―各 時代の希望中巻 p.487,488. 瞑想のために 「あるとき、キリストはご自分に先立ってサマリヤ人の村に使いを 送り、ご自分と弟子たちのために軽食を用意するように要求されまし た。ところが、町に近づくと、救い主はそこを通り過ぎて、エルサレ ムに向かって進んでいかれるようでした。このことがサマリヤ人の敵 意を刺激します。彼らは使いを送ってキリストを招待し、村に滞在す るように勧める代わりに、一般の旅行者に提供することになっていた 安息日学校教課

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接待を断りました。イエスは誰に対しても、ご自身を歓迎するように 強要されません。こうして、サマリヤ人は、もしイエスを来客として 歓迎していたなら受けていたであろう祝福を失いました。 私たちは天の大君のこのような無礼なふるまいをいぶかるかもし れません。しかし、キリストの弟子を自認する私たちも、なんとよく 同じ怠慢の罪を犯していることでしょう。私たちはイエスに心と家庭 に住んでくださるように求めているでしょうか。イエスは愛と恵みと 祝福に満ちたお方で、いつでも私たちにこれらの賜物を与えようと待 っておられます。しかし、サマリヤ人と同様、私たちはこれらの賜物 なしで満足しています。 」―清められた生活 p.58.

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Lesson 2

よいサマリヤ人

2013.07.13

「よいサマリヤ人の物語を通して、キリストは真の宗教の本質を例 示しておられる。真の宗教は、制度や、信条や、儀式にあるのではな くて、それは愛の行為を実行すること、他人に最高の幸福をもたらす こと、真の親切さにあることを、キリストは示しておられる。」―各 時代の希望中巻 p.497.

永遠の命についての質問 1. 救い主は律法学者からどんな質問をされましたか?イエスはしかけられた 罠を避けてどんな質問でその男に答えられましたか? ルカ 10:25,26「するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試み ようとして言った、『先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょ うか』。彼に言われた、 『律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう 読むか』。 」 「大勢の会衆はかたずをのんでその答を待った。祭司たちとラビた ちは、律法学者にこの質問をさせることによって、キリストをわなに かけようと思ったのであった。しかし救い主は、論争をはじめられな かった。主はこの質問をした当人から答を求められた。主は、『律法 にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか』と言われた(ルカ 10:26)。ユダヤ人は、シナイ山で与えられた律法をイエスが軽視して おられるとまだ非難していた。ところがイエスは、救いについての質 問を神の律法を守る問題に向けられたのである。」―各時代の希望下 巻 p.299. 知ることと行うこと 2. この学者には知識不足や律法の不服従がありましたか?彼の答えを聞か れた後、イエスは何と答えられましたか?

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ルカ 10:27,28「彼は答えて言った、 『心をつくし、精神をつくし、力 をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、 『自 分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります。彼に言わ れた、『あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、 いのちが得られる』。」 「この律法学者は、パリサイ人の見解と行為に満足していなかった。 彼は、聖書の真の意味を知りたいという願いをもって聖書を学んでき た。彼はこの問題に重大な関心を持ち、『わたしは何をしたらよいの でしょうか』と真心からたずねたのだった。律法の要求についての答 の中で、彼はおびただしい儀式や礼典の規則を全部無視した。彼はそ うしたものに何の価値もおかず、律法の全体と預言者とがかかってい る二つの大原則を示した。この答はキリストにほめられ、救い主はこ の答によって、ラビたちに対して有利な立場にたたれた。彼らは、律 法の解説者から言い出されたことをキリストが承認されたのだから、 それを非難することができなかった。 神への最高の愛と、人へのわけへだてのない愛は、生活に実行され なければならない原則である。この律法学者は、自分が律法を破って いる者であることに気がついた。彼は、キリストのするどいみことば によって、罪をさとった。彼は、自分が理解していると主張している 律法の義を実行していなかった。彼は同胞に対する愛をあらわしてい なかった。 」―各時代の希望中巻 p.300,301. 熱心に討論された質問 3. その男は自分の他人への愛情不足を正当化しようとして、他のどんな質問 をしましたか?イエスは隣人に対する彼の意見と行動を正すためにどんな 実例を使われましたか? ルカ 10:29,30 「すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエ スに言った、 『では、わたしの隣り人とはだれのことですか』 。イエス が答えて言われた、『ある人がエルサレムからエリコに下って行く途 中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺し にしたまま、逃げ去った。 』 」 「ユダヤ人の間では、この質問は、はてしない議論を引き起した。 18

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彼らは、異邦人とサマリヤ人については問題にしなかった。この人た ちは他国人であり、敵であった。すると自分自身の国の人たち、また 社会のいろいろな階層の間ではどこに区別をつけたらよいのだろう。 祭司たちやラビたちや長老たちは、だれを隣人とみなしたらよいのだ ろう。彼らは自分自身をきよめるために儀式のくりかえしに一生を送 った。無知で軽率な大衆と接触すればけがれを生じ、そのけがれを取 り除くためにはうんざりするような努力が必要であると、彼らは教え た。彼らは『きよくない』者たちを隣人とみなすべきだろうか。 ふたたびイエスは論争にひき入れられるのを拒否された。イエスは ご自分を罪に定めようと見張っている人たちの偏狭な心を非難され なかった。むしろイエスは、単純な物語によって、すべての人の心を 感動させるような天来の愛の流れを聴衆の前にえがき、律法学者から 事実について一つの告白を引き出された。 暗やみを追い払う方法は光を入れることである。誤謬をとり扱う最 上の方法は真理を示すことである。自己中心の心のみにくさと罪とを 明らかに示すのは、神の愛のあらわれである。」―各時代の希望中巻 p.301. ただ見るだけでなく、助ける準備をする 4. このような場合について律法にはどんな教えが与えられていましたか?祭 司とレビ人の態度は、彼らが奉仕の目的と性質を理解していることを示して いましたか? 出エジプト記 23:4,5「もし、あなたが敵の牛または、ろばの迷って いるのに会う時は、必ずこれを彼の所に連れて行って、帰さなければ ならない。もしあなたを憎む者のろばが、その荷物の下に倒れ伏して いるのを見る時は、これを見捨てて置かないように気をつけ、必ずそ の人に手を貸して、これを起さなければならない。」 ルカ 10:31,32「するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってき たが、この人を見ると、向こう側を通って行った。同様に、レビ人も この場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行っ た。」 「これは想像の光景ではなく、実際の出来事であって、ここに言わ 安息日学校教課

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れている通りのことが知られていた。向こう側を通った祭司とレビ人 が、キリストのみことばをきいている人たちの中にいた。・・・ 祭司もレビ人もともに聖職にあって、聖書の解説者であると自称し ていた。彼らは民に対して神を代表する者として特にえらばれた階級 であった。 ・・・ 神は、その摂理によって、祭司とレビ人に、負傷した被害者が横た わっているところを通らせ、彼が同情と助けを必要としているのを見 させようとされた。この人たちの心が人間の苦悩に対する同情に動か されるかどうかをみようと、全天は見守っていた。救い主は、荒野で ヘブル人をお教えになったお方であった。主は、雲と火の柱の中から、 いま民が祭司たちと教師たちから受けているのとはちがった教訓を お教えになった。律法の情深い条項には、自分の願いや苦しみをこと ばで言い表すことのできない下等動物のことさえ規定されていた。 」 ―各時代の希望下巻 p.302,303. 5. このさげすまれたサマリヤ人に、どんな特別な注意が払われましたか?この 親切な人は、ただ優しい言葉を与えましたか、あるいは喜んで彼の時間を 割いて世話をし、方策を尽くしましたか? ルカ 10:33~35「ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のとこ ろを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷にオリ ブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、 宿屋に連れて行って介抱した。翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の 主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかか ったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。」 「彼はこの見知らない人がユダヤ人であるか、それとも異邦人であ るかを問題にしなかった。もしそれがユダヤ人だったら、そして、立 場がぎゃくだったら、その男は顔につばをはきかけ、軽蔑して行って しまうことを、サマリヤ人はよく知っていた。しかしそうだからとい って、彼はちゅうちょしなかった。彼はまたこの場所にぐずぐずして いたら、自分自身暴力を受ける危険があることをかえりみなかった。 自分の目の前に困って苦しんでいる一人の人間がいるということが 重大であった。彼はその男に着せるために自分の上衣をぬいだ。その 傷ついた男をいやし、元気づけるために、彼は、自分の旅行用の油と 酒を用いた。彼は、その男を自分の家畜にのせ、揺れて余計痛むよう 20

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なことがないように、一様な歩調でゆっくり歩いて行った。彼は、そ の男を宿屋に連れて行って、一晩中看護し、やさしく見守った。朝に なって、病人がよくなったので、サマリヤ人は出かけることにした。 しかしそうする前に、彼はその男の世話を宿屋の主人にたのみ、その 費用を支払い、またその男のためにお金まで預け、それでもまだ満足 しないで、もっと入用があった場合の用意までして、主人に、『この 人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、 わたしが支払います』と言った(ルカ 10:35 )。 」―各時代の希望中巻 p.304,306. よい例えに倣う 6. よいサマリヤ人の話を聞いた後、自分の隣人に同様にすることはどれほど 難しいですか?わたしたちは、社会の偏見を見渡す中で、人の寛大な態度 から何を学びますか? ルカ 10:36 「この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人に なったと思うか。 」 「こうして、 『わたしの隣り人とはだれのことですか』という質問 は永久に答えられた。キリストは、われわれの隣人とは、われわれが 属している教会や信仰の隣人だけではないことをお示しになった。そ れは人種、皮膚の色、あるいは階級差と何の関係もない。われわれの 隣人は、われわれの助けを要している一人一人である。われわれの隣 人は、敵から傷つけられている魂の一人一人である。われわれの隣人 は、神の財産である人間の一人一人である。よいサマリヤ人の物語の 中で、イエスは、ご自分とご自分の使命について描写された。人はサ タンから欺かれ、傷つけられ、奪われ、台無しにされて、滅びるがま まにうち捨てられている。だが救い主は、われわれの無力な状態をあ われんでくださった。主は、われわれの救助にくるために、ご自身の 栄光を捨てられた。主は、われわれが死ぬばかりになっているのをご らんになって、われわれの身代りとなられた。主は、われわれの傷を いやされた。主はご自身の義の衣でわれわれをおおわれた。 主は、われわれのために安全な避難場所を備え、ご自分で費用を払 って、われわれのために完全な用意をされた。主は、われわれをあが なうために死なれた。ご自身の模範をさし示して、主は、従う者たち 安息日学校教課

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にこう言われる、 『これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛 し合うためである』。 「わたしがあなたがたを愛したように、あなたが たも互に愛し合いなさい」(ヨハネ 15:17,13:34)。 7. それで、イエスが律法学者に繰り返されたことは何でしたか?わたしたちは よいサマリヤ人の話からどんな特別な教訓を学ぶよう求められていますか? ルカ 10:28「彼に言われた、『あなたの答は正しい。そのとおり行い なさい。そうすれば、いのちが得られる。 』」 ルカ 10:37「彼が言った、 『その人に慈悲深い行いをした人です』 。そ こでイエスは言われた、 『あなたも行って同じようにしなさい。 』 」 「サマリヤ人は、親切な愛の心の命令に従い、そのことによって、 律法を行う者であることを示した。キリストは律法学者に、『あなた も行って同じようにしなさい』とお命じになった(ルカ 10:37)。ただ 口で言うばかりでなく、行うようにということが、神の子らに期待さ れている。『「彼におる」と言う者は、彼が歩かれたように、その人 自身も歩くべきである』(Ⅰヨハネ 2:6)。 この教訓は、それがイエスの口から出た時におとらないほど今日も、 この世にとって必要である。利己主義と冷たい形式主義が愛の火をほ とんど消してしまい、品性を香り高いものとする美徳を追い払ってし まった。キリストのみ名を称する多くの者は、クリスチャンはキリス トを表わさねばならないという事実を忘れている。家庭の中において、 隣近所において、教会の中において、われわれがどこにいようと、ま たわれわれの職業が何であろうと、ほかの人の幸福のために実際に自 己犠牲を払うのでなければ、われわれは口では何と言おうとも、クリ スチャンではない。」―各時代の希望下巻 p.307. 瞑想のために 「もしわれわれがクリスチャンなら、われわれの助けを最も必要と している人からできるだけ遠く離れて向こう側を通り過ぎるような ことをしないであろう。苦悩のためにあるいは罪のために困りはてて いる人を見たら、これはわたしに関係のないことだとは決して言わな いであろう。 ・・・ 22

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信仰と祈りによって、敵の力をおし返しなさい。傷ついている人に いやしの香油となるような信仰と勇気のことばを語りなさい。たった 一言の親切な励ましのことばで勝利するように力づけられたであろ うものを、人生の大きな戦いに弱り果て、落胆してしまった人々がど んなに多いことだろう。われわれは、苦しんでいる魂のそばを通りす ぎる時にはかならず、自分自身が神から慰めてもらった慰めをその魂 に与えるようにつとめなければならない。こうしたことはすべて律法 の原則、―よいサマリヤ人の物語に例示され、イエスの一生にあらわ されている原則の成就にすぎない。イエスのご品性は律法の真の意味 をあらわし、隣人を自分自身と同じように愛するということがどうい うことであるかを示している。こうして神の民が、どんな人に対して も同情と親切と愛とをあらわす時、彼らはまた天の規則の性格につい てあかしをたてているのである。」―各時代の希望中巻 p.308,309.

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Lesson 3

イエスの祝福された人々

2013.07.20

「イエスはいつでも子供を愛されるお方であった。イエスは彼らの 子供らしい共感と、うちとけた気取らない愛を受け入れられた。彼ら の純潔な口から出る感謝の賛美はイエスの耳には音楽にきこえ、狡猾 で偽善的な人たちと接触して心が重くなられた時、その精神を生きか えらせた。救い主はどこへ行かれても、そのおだやかな顔つきと、や さしく親切な態度によって、子供たちの愛情と信頼とをかち得られ た。」―各時代の希望中巻 p.317.

子供たちに配慮される 1. 祭司や律法学者たちは、神殿でホサナを歌ったり、叫んだりしている子供 たちをどのようにみなしましたか?聖書は救い主を賛美することに同意して いますか? マタイ 21:15,16 しかし、祭司長、律法学者たちは、イエスがなされ た不思議なわざを見、また宮の庭で『ダビデの子に、ホサナ』と叫ん でいる子供たちを見て立腹し、イエスに言った、『あの子たちが何を 言っているのか、お聞きですか』 。イエスは彼らに言われた、 『そうだ、 聞いている。あなたがたは「幼な子、乳のみ子たちの口にさんびを備 えられた」とあるのを読んだことがないのか。 』 」 詩篇 8:2「みどりごと、ちのみごとの口によって、ほめたたえられて います。あなたは敵と恨みを晴らす者とを静めるため、あだに備えて、 とりでを設けられました。」 「イエスが喜びに満ちた群衆を従えて、エルサレムに近づかれた時、 彼らは勝利の叫びをあげ、しゅろの枝を打ち振って、イエスをダビデ の子と宣言した。それを聞いたしっと深いパリサイ人たちは、彼らを 黙らせるようにイエスに求めた。しかしイエスは、こうしたことはみ な預言の成就であって、もし彼らが黙っているならば、石が叫ぶであ ろうと言われた。人々は、祭司や司たちにおどされて、エルサレムの 門に入ると喜びの叫びをやめた。しかし、神殿の庭の子供たちは、そ 24

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の後でまた歌い出し、しゅろの枝を振って、 『ダビデの子に、ホサナ』 と叫んだ(マタイ 21:8-16 参照) 。パリサイ人が、ひどくきげんを損 じて、『あの子たちが何を言っているのか、お聞きですか』とイエス に言った時、イエスは答えて、『そうだ、聞いている。あなたがたは 「幼な子、乳のみ子たちの口にさんびを備えられた」とあるのを読ん だことがないのか』と言われた。神は、キリストの初臨の時に子供た ちによって働かれたように、再臨使命の宣布も彼らによってなされた のである。救い主の再臨は、すべての民族、国語、国民に宣べ伝えら れるという神の言葉は、成就されなければならない。」―各時代の大 争闘下巻 p.64,65. イエスの子供たちに対する評価 2. 弟子たちが彼らの中でだれが一番偉いかと論争している時、イエスはどん な比較を与えられましたか? マルコ 9:33-37「それから彼らはカペナウムにきた。そして家におら れるとき、イエスは弟子たちに尋ねられた、『あなたがたは途中で何 を論じていたのか』。彼らは黙っていた。それは途中で、だれが一ば ん偉いかと、互に論じ合っていたからである。そこで、イエスはすわ って十二弟子を呼び、そして言われた、『だれでも一ばん先になろう と思うならば、一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばなら ない』。そして、ひとりの幼な子をとりあげて、彼らのまん中に立た せ、それを抱いて言われた。『だれでも、このような幼な子のひとり を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのであ る。そして、わたしを受けいれる者は、わたしを受けいれるのではな く、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。』 」 「キリストの霊を持つ人々は兄弟たちよりも高い地位を占めよう などという野望を抱きません。神の目に偉大な者とみなされるのは、 自分自身をつまらぬ者とみなす人たちです。『そして、一人の子供の 手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。「わたしの 名のためにこのような子供の1人を受け入れる者は、わたしを受け入 れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたし をお遣わしになった方を受け入れるのである」』 (マルコ 9:36,7)。 」― 清められた生活 p.55,56. 安息日学校教課

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「子供たちは今でも福音の教えを最も素直に受け入れる。彼らの心 は天来の感化力に対して開かれ、受けた教訓を固くもちつづける。小 さい子供たちは、それぞれの年令にふさわしい経験をもったクリスチ ャンとなることができる。彼らを霊的な事がらに教育する必要がある。 両親は、子供たちがキリストのご品性に型どって品性を形成するよう に、あらゆる便宜を彼らに与えねばならない。」―各時代の希望中巻 p.321. 3. 子供たちの意欲と誠実さに関して、イエスはみ父に何を祈られましたか? 預言の霊によると、イエスのもとに連れてこられた子供たちの中に、イエスは 何を見られましたか? マタイ 11:25 「そのときイエスは声をあげて言われた、 『天地の主な る父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い 者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。』 」 「知恵のある者や賢い者には隠されている真理の数々が、幼な子に あらわされるのである。この世の知者にはわからない真理の美と尊さ が、神のみ心を知り行おうと、幼な子のように信頼して望むものに、 たえず示されていく。わたしたちは、自分が神の性質にあずかる者と なることによって、真理を見分けるのである。」―祝福の山 p.33. 「イエスはご自分のもとにつれてこられた子供たちのうちに、主の 恵みの相続人またキリストのみ国の民となる男女をごらんになった が、その中のある者たちは、キリストのために殉教者となるのであっ た。イエスは、これらの子供たちがみことばに耳を傾け、世才がたけ て強情な大人たちよりもはるかにたやすくイエスを救い主として受 け入れることをご存知であった。イエスはお教えになる時、子供たち の水準にまでくだられた。天の君であられるイエスは、子供たちの質 問に答えることや、大切な教訓を彼らの幼稚な理解力に向くようにわ かりやすくすることをおろそかにされなかった。イエスは彼らの頭に 真理の種をうえつけられたが、それは後年になって芽を出し、永遠の 生命にいたる実を結ぶのであった。 」―各時代の希望中巻 p.320,321.

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母親たちの子供たちに対する願い 4. 主との交わりを感謝したある母親たちは、どんな気高い望みを子供たちに 持ちましたか?今日、わたしたちは子供たちを導き祝福するために、主の 祭壇での祈りの中に絶えず子供たちを提示していますか? ルカ 18:15「イエスにさわっていただくために、人々が幼な子らをみ もとに連れてきた。ところが、弟子たちはそれを見て、彼らをたしな めた。」 マタイ 19:13「そのとき、 イエスに手をおいて祈っていただくために、 人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちは彼らを たしなめた。 」 「ユダヤ人の間では、子供たちをラビのところにつれて行き、手を のせて祝福してもらう習慣があった。」―各時代の希望中巻 p.317. 「キリストがこの地上におられたころ、母親たちはキリストに手を おいて祝福していただくために、子供たちを彼のところに連れて行っ た。母親たちはこの行為を通して、イエスに対する信仰と、彼らに養 育するようにまかされた幼い者たちの現在及び将来の幸福に対する 真剣な心づかいを表した。 」―アドベンチストホーム p.304. 「母親たちは、自分たちの悩みをたずさえてイエスのみもとに行き なさい。彼らは、子供たちを治めるのに助けとなる十分な恵みをみい だすであろう。救い主の足もとに重荷を置きたいと願うすべての母親 のために、門は開かれている。『幼な子らをわたしの所に来るままに しておきなさい』と言われたイエスは、母親たちが子供たちをイエス に祝福してもらうためにつれてくるようにといまでも招いておられ る(マルコ 10:14)。母親の腕のなかにある赤ん坊でさえも、祈る母親 の信仰によって全能者のかげにやどるのである。バプテスマのヨハネ は、生まれた時から聖霊に満たされていた。もしわれわれが神とまじ わる生活をしているならば、われわれもまた、神のみたまがわれわれ の子供たちを、生れ落ちたときから、形づくってくださることを期待 できるのである。 」―各時代の希望中巻 p.320.

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クリスチャンの思いやりの必要 5. イエスは弟子たちの子供の扱いを喜ばれましたか?今日のわたしたちはど うですか?わたしたちは言葉や行動を通して、子供たちや若者をイエスに 導いていますか、あるいは彼らを追い出していますか? マタイ 19:13(後半)「ところが、弟子たちは彼らをたしなめた。 」 ルカ 18:15「イエスにさわっていただくために、人々が幼な子らをみ もとに連れてきた。ところが、弟子たちはそれを見て、彼らをたしな めた。」 マルコ 10:14「・・・それを見てイエスは憤り、」 「ところが救い主の弟子たちは、主が大事な働きをしておられるの で、そんなことに邪魔されてはならないと思っていた。母親たちが、 小さな子供たちをつれてイエスのところへやってくると、弟子たちは 面白くない顔で彼らをながめた。彼らは、この子供たちがあまり幼い ので、イエスのみもとにきても益を受けることはないと考え、主は子 供たちがそばにくることをお喜びにならないと結論した。しかし主が お喜びにならなかったのは弟子たちのことであった。救い主は、子供 たちを神のみことばに従って訓練しようとつとめている母親たちの 心配と重荷を理解された。主は彼らの祈りを聞いておられた。主ご自 身が彼らをみもとに引きよせられたのであった。」―各時代の希望中 巻 p.317. 子供たちや若者たちに特別に注意をはらう 6. 天への有力候補として彼らを考える時、どのようにイエスは喜んで子供たち に注意を払われましたか?どんな態度で神の王国を受けるべきですか? マタイ 19:14「するとイエスは言われた、『幼な子らをそのままにし ておきなさい。わたしのところに来るのをとめてはならない。天国は このような者の国である。』」 マルコ 10:15「よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の 28

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国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない。」 「一人の母親が子供をつれてイエスに会いに行くため家を出た。途 中彼女は隣の人に自分の用向きを話した。するとその隣人も自分の子 供たちをイエスに祝福していただきたいと願った。こうして数人の母 親たちが子供たちをつれて一緒にやってきた。中には幼児の年令をす ぎて、少年少女の年ごろの子供たちもいた。母親たちがその願いを打 ち明けると、イエスは、その内気な涙ぐましいたのみを、同情をもっ てお聞きになった。しかし主は、弟子たちが彼らをどう扱うかをごら んになるために待たれた。主は、弟子たちがイエスのために尽したつ もりで母親たちを追い払うのをごらんになると、『幼な子らをわたし の所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこの ような者の国である』と言って、彼らのまちがいを示された(マルコ 10:14)。 ・・・ イエスが弟子たちに、子供たちがわたしのもとにくるのをとどめる なと言われた時、主は各時代のキリストに従う者たちー教会の役員に、 牧師に、助手たちに、すべてのクリスチャンに語りかけておられた。 イエスは子供たちをひきよせ、彼らをわたしのところにこさせなさい とお命じになる。それはあたかも、もしあなたがたがじゃまをしなか ったら、子供たちはわたしのもとに来るのだと言っておられるかのよ うである。 」―各時代の希望中巻 p.320,323,324. 7. イエスはどんな優しさをもって、また何を喜んでしてくださいましたか?わた したちは救い主の模範にしたがい、どれほど多くの時間と注意、また愛を、 特別にわたしたちの困難な時代にいる家庭や教会にいる若者や子供たち に費やすべきですか? マタイ 19:15「そして手を彼らの上においてから、そこを去って行か れた。」 マルコ 10:16「そして彼らを抱き、 手をその上において祝福された。 」 イザヤ 8:18「見よ、わたしと、主のわたしに賜わった子たちとは、 シオンの山にいます万軍の主から与えられたイスラエルのしるしで あり、前ぶれである。 」

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「主は、子供たちをご自分の腕に受けとり、彼らの上に手をおき、 彼らが受けにやってきたその祝福をお与えになった。 母親たちは慰められた。彼らはキリストのみことばに力づけられ、 祝福されて家へ帰った。彼らは、新しい元気をもって重荷をとりあげ、 子供たちのために希望に満ちて働く力が与えられた。今日の母親たち も、同じ信仰をもって主のみことばを受け入れるのである。キリスト は、人として人々の中に生活された時とまったく同じに、今日も個人 的な救い主である。主は、ユダヤで小さい子らを両腕にいだかれた時 とまったく同じに、今日も母親たちを助けてくださるお方である。わ れわれの家庭の子供たちは、昔の子供たちと同じように、キリストの 血潮で買われた者である。」―各時代の希望中巻 p.319. 瞑想のために 「父と母は、その子供たちを主の家族の子供として、すなわち天の ために教育するように委託された者とみなすべきである。われわれは 子供たちに、われわれ自身がキリストから学ぶ教訓を、その若い頭脳 が受け入れることができるにしたがって、すこしずつ天の原則の美し さをわからせながら与えねばならない。こうしてクリスチャンの家庭 は一つの学校となり、そこではキリストご自身が主任教師となられ、 両親が助手として奉仕するのである。」―各時代の希望中巻 p.321.

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Lesson 4

富んでいるが貧しい

2013.07.27

「この若者に対するキリストの態度は、一つの実物教訓として示さ れている。神は、神のしもべの一人一人が従わねばならない行為の法 則をわれわれにお与えになった。それは、神の律法への服従であるが、 ただ義務的に従うことではなくて、生命へいたる服従であって、品性 にあらわされる。神は、神の国の民になりたいと望むすべての人のた めに、品性についての神ご自身の標準をおたてになった。キリストの 共労者となる者、『主よ、わたしの持っているもののすべて、わたし の全人格はあなたのものです』と言う者だけが、神の息子娘としてみ とめられる。天国を望みながら、しかも定められた条件をみて離れ去 ることがどういうことになるかを、人はみな考えてみなければならな い。キリストに、 『いやです』 と言うことが、何を意味するかを考え なさい。」―各時代の希望中巻 p.332.

興味と謙遜を示す 1. 若い役人は世の救い主にどんな質問をしましたか?彼の言動はどれほど 敬意に満ちていましたか? マタイ 19:16「すると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った、 『先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいで しょうか』 。 」 ルカ 18:18「また、ある役人がイエスに尋ねた、『よき師よ、何をし たら永遠の生命が受けられましょうか』。 」 マルコ 10:17「イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄り、 みまえにひざまずいて尋ねた、『よき師よ、永遠の生命を受けるため に、何をしたらよいでしょうか』 。 」 「彼はユダヤ人の名誉ある議会の議員だった・・・ この質問をした若者は役人であった。彼は非常な財産家で、責任の 安息日学校教課

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ある地位を占めていた。彼は、キリストが、ご自分のもとに連れてこ られた子供たちに対してあらわされた愛を知った。キリストがやさし く子供たちを迎えて、その腕にだきあげられるのを見て、彼の心は救 い主に対する愛に燃えた。彼はキリストの弟子になりたいという願い を感じた。深く心を動かされた彼は、キリストが道を歩いておられる 時、あとを追いかけて行って、その足下にひざまずき、彼の魂にとっ てまた人類の一人一人にとって重要な質問、『よき師よ、永遠の生命 を受けるために、何をしたらよいでしょうか』ということを、真心か ら熱心にたずねた(マルコ 10:17)。」―各時代の希望中巻 p.331,326. 2. イエスはその役人の心を誰に導かれましたか?イエスはこの男の質問に何 と答えられましたか? マルコ 10:18「イエスは言われた、 『なぜわたしをよき者と言うのか。 神ひとりのほかによい者はいない。 』」 マタイ 19:17「イエスは言われた、『なぜよい事についてわたしに尋 ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思 うなら、いましめを守りなさい。』 」 「イエスは全ての罪と過ちから自由であられ、彼の生涯と品性には 不完全の跡はなかった。彼は染みのない純潔を最も苦しい環境の下で 維持された。真に、彼は『神ひとりのほかによい者はいない』と宣言 された。しかし彼はまた『わたしと父とは一つである』と言われた。 イエスは自らを天父と同じ方としてだけでなく、ご自分の完全な義を 主張された。」―(原稿 141,1901 年) SDAバイブルコメンタリー7 巻 p.929. 「するとキリストは、『なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとり のほかによい者はいない』と言われた (マルコ 10:18)。イエスは、こ の役人の真心をためし、彼がどういう風にキリストをよき師とみなし ているかをさぐり出してみようと望まれたのであった。彼は自分が話 しかけているお方を神のみ子として認めたのだろうか。彼の心の本当 の思いはどうなのだろうか。」―各時代の希望中巻 p.326.

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戒めの土台と目標 3. イエスが言われた五つの戒め共通点は何ですか?イエスの答えの終わり に自分を愛するように隣人を愛せよとの戒めを言われたのはなぜですか? マタイ 19:18,19「彼は言った、 『どのいましめですか』。イエスは言 われた、『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。父と母と を敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ。 』」 ローマ 13:8,9「互に愛し合うことの外は、何人にも借りがあっては ならない。人を愛する者は、律法を全うするのである。 『姦淫するな、 殺すな、盗むな、むさぼるな』など、そのほかに、どんな戒めがあっ ても、結局『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』というこ の言葉に帰する。 」 「『もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」 。キリス トの弟子であると公言する多くの人々の中には心の中でに全品性を 堕落させ、信仰経験を腐敗させる悪の温床を持ちながら、みたところ は、世で正直で、敬虔な人としてみなされ、何の問題もなく生きてい る。 『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』。この命令は私 たちの利益のために他人に損害を及ぼすことを禁じている。私たちは いかなることにおいても隣人に害を及ぼすことを禁じられている。私 たちは世的見地で物事を見てはならない。私たちが他人の望むとおり に隣人を扱うことは私たちが実際的に生きていくうえでの原則とな らなければならない。神の律法は文字通りに守らなければならない。 隣人との交わりと取引において、信者未信者にかかわらず、『自分を 愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』という(原則)を適用しな ければならない。 」―教会への証 2 巻 p.43. あなたに足りないことが一つある 4. 彼の答えから、この若者は自分の生活に満足していたと言えますか?彼は イエスの重要なメッセージを本当に理解しましたか? マルコ 10:20「すると、彼は言った、『先生、それらの事はみな、小 さい時から守っております。 』 安息日学校教課

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マタイ 19:20「この青年はイエスに言った、『それはみな守ってきま した。ほかに何が足りないのでしょう。 』 」 「この役人は、自分自身の義を高く評価していた。彼は自分に何か 欠けたところがあるとは本当に思っていなかったが、そうかといって 全く満足しているわけでもなかった。彼は自分の持っていないもの、 何か足りないものを感じていた。イエスが小さな子供たちを祝福され たように、自分を祝福してくださって、自分の魂の欲求を満たしてく ださることがおできになるのではないだろうか。 神の律法を守ってきたという彼の主張は欺瞞であった。彼は、富が 彼の偶像であることをあらわした。世俗が彼の愛情の中で首位を占め ている間は、彼は神のいましめを守ることができなかった。彼は物を お与えになった神よりも、神がお与えになった物を愛した。キリスト はこの若者にご自身との交わりを申し出られた。」―各時代の希望中 巻 p. 327,331. 世の汚された水 5. 十戒への服従は、主の恵みと助けを通して永遠の命を与えるのに十分で はありませんでしたか?イエスはなぜ追加の要求を与えられましたか? マタイ 19:21「イエスは彼に言われた、 『もしあなたが完全になりた いと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施し なさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに 従ってきなさい。 』 」 マルコ 10:21「イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、『あ なたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り 払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つように なろう。そして、わたしに従ってきなさい。』 」 「キリストはこの若者にひきつけられた。イエスは、この若者が『そ れらの事はみな、小さい時から守っております』と主張したことばが 真心から出たものであることをご存知であった(マルコ 10:20)。あが ない主は、心をささげることと、クリスチャンの慈善が必要であるこ ととを認めさせる識別力を彼のうちに起したいと熱望された。イエス 34

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は、この若者のうちにへりくだって悔い改めた心が起り、彼が神にさ さぐべき最高の愛を意識し、その愛の足りないところをキリストの完 全によっておおっていただくのを見たいと熱望された。・・・ 『あなたに足りないことが一つある』 。 『もしあなたが完全になりた いと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施し なさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに 従ってきなさい』とイエスは言われた(マルコ 10:21、マタイ 19:21)。 キリストはこの役人の心を読まれた。彼にはただ一つ足りないことが あったが、しかしそれは重大な原則であった。彼はその魂のうちに神 の愛が必要だった。この足りないところを補わなければ、それは彼に とって致命的となるのである。彼の性質全体がだめになってしまうの である。甘やかしておくと、利己心がますます強くなるだろう。彼が 神の愛を受け入れるためには、自我に対する最高の愛を克服しなけれ ばならない。 」―各時代の希望中巻 p.327,328. その役人の決意の重大さ 6. 救い主の答えを聞いたとき、若者によってなされた決意は何を表していまし たか?わたしたちが自分の考えに執着するなら、同じようにしないでしょう か? マタイ 19:22「この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。 たくさんの資産を持っていたからである。 」 ルカ 18:23「彼はこの言葉を聞いて非常に悲しんだ。大金持であった からである。 」 「キリストはこの男を試みられた。イエスはこの男に、天の宝と世 俗的な偉大さのどちらかを選ぶように要求された。もし彼がキリスト に従うならば、天の宝が保証された。しかし自我を放棄しなければな らない。彼の意思はキリストに支配されねばならない。神の聖潔その ものがこの若い役人に提供された。彼は神の子となり、キリストと共 に天の宝を受け継ぐ者となる特権が与えられた。しかし彼は十字架を とりあげて、克己の道をキリストに従わねばならない。 キリストのことばは、この役人にとって、実に、『あなたがたの仕 える者を、きょう、選びなさい』との招きであった(ヨシュア 24:15)。 安息日学校教課

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選択は彼にまかされた。イエスは彼の改心を熱望しておられた。イエ スは、彼の品性の欠点をお示しになり、そしてこの若者がこの問題を おしはかって考えた時、何という深い関心をもってその結果を見守ら れたことだろう。もし彼がキリストに従うことを決心するなら、彼は どんなことにおいてもキリストのみことばに従わねばならない。彼は 自分の野心的な計画を捨てなければならない。何という熱心な思いと 魂のかわきをもって、キリストは、この若者が神のみたまの招きに応 ずることを望みながら、彼をごらんになったことだろう。」―各時代 の希望中巻 p.330. 7. 裕福な人々の深刻な問題は何ですか?イエスは、この問題や天への道の 他の障害物を乗り越えるようにどんな勧告を与えられましたか? マタイ 19:23「それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きな さい。富んでいる者が天国に入るのは、難しいものである。 』」 ルカ 18:24,25「イエスは彼の様子を見て言われた、 『財産のある者が 神の国にはいるのはなんとむずかしいことであろう。富んでいる者が 神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさし い。』 」 マタイ 6:20,21「・・・天に、宝をたくわえなさい。あなたの宝のあ る所には、心もあるからである。」 「キリストは、この役人がクリスチャン品性を完成できるただ一つ の条件を示された。キリストのみことばは、きびしく強要的に思えた が、しかしそれは知恵のことばであった。この役人が救われる唯一の 望みは、そのみことばを受け入れ、これに従うことにあった。彼の高 い地位と財産が、彼の品性に微妙な悪い影響を及ぼしていた。そうし たものに執着していると、彼の愛情の中から神が押しのけられるであ ろう。多くても少なくても、神にさし出さないでおくことは、彼の道 徳的な力と能力とを低下させるようなものをとどめておくことであ った。なぜならこの世の物を大事にしていると、それがどんなにあて にならない無価値なものであっても、それはすっかり心を奪うような ものとなるからである。 ・・・ キリストに従う者たちが主ご自身のものを主にお返しする時、彼ら 36

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は宝をたくわえているのであって、それは、彼らが、『良い忠実な僕 よ、よくやった。・・・・・・主人と一緒に喜んでくれ』とのみことばをき く時に、彼らに与えられるのである(マタイ 25:23)。『彼は、自分の 前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、 神の御座の右に座するに至ったのである』(ヘブル 12:2)。 」―各時代 の希望中巻 p.330,331,333. 瞑想のために 「キリストはこの若者にご自身との交わりを申し出られた。イエス は、『わたしに従ってきなさい』と言われた。しかしこの役人にとっ て、救い主は、人々の間における彼自身の名前や、彼の財産ほど大事 ではなかった。目に見えない天の宝のために、目に見えるこの世の宝 を捨てることはあまりに大きな冒険であった。彼は、永遠の生命の申 し出をことわって立ち去り、その後は世俗が彼の礼拝を受けることに なった。幾千の人々がキリストと世俗をはかりにかけて、この苦しみ を味わっている。そして多くの者が世俗をえらぶ。この若い役人と同 じように、彼らは、『わたしはこの人をわたしの指導者とすまい』と 心のうちに言いながら、救い主から離れて行くのである。」―各時代 の希望中巻 p.331,332.

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Lesson 5

何故そこに病気があるのか

2013.08.03

「苦難を通して私たちの徳がテストされ、信仰が試みられる。私た ちが患難を受けるその時こそ、イエスの尊さを切に感じる時である。 あなたは『見よ、彼はわたしを殺すであろう。わたしは絶望だ。しか しなおわたしはわたしの道を彼の前に守り抜こう』 (ヨブ 13:15) (英 文; 「彼がわたしを殺しても私は彼を信じる」 )と言うことのできる機 会を得るであろう。私たちが危機に直面したときや、悲しみや病や苦 痛や死の中であっても、信仰を告白する機会を得ることができるとい う考えは何と尊いことであろう。 ・・・」―セレクテッド・メッセー ジ 1 巻 p.117,118.

愛された家族の試練 1. ある日ベタニヤのマリヤとマルタがイエスに送ったメッセージは何でした か?そのようにした理由は何ですか? ヨハネ 11:1~3「さて、ひとりの病人がいた。ラザロといい、マリ ヤとその姉妹マルタの村ベタニヤの人であった。このマリヤは主に香 油をぬり、自分の髪の毛で、主の足をふいた女であって、病気であっ たのは、彼女の兄弟ラザロであった。姉妹たちは人をイエスのもとに つかわして、『主よ、ただ今、あなたが愛しておられる者が病気をし ています』と言わせた。 」 「これまでイエスが休息されていた平和な家庭に不幸が起った。ラ ザロが急に病気になったので、彼の姉妹たちは救い主に使いをやって、 『主よ、ただ今、あなたが愛しておられる者が病気をしています』と 言わせた (ヨハネ 11:3)。彼女たちは、兄弟を襲った病気の激しさを 見たが、キリストがどんな病気でも直すことがおできになることを知 っていた。彼女たちはキリストが困りきっている自分たちに同情して くださると信じた。そこで、キリストにすぐおいでくださるようにと いうさし迫った要求をしないで、『あなたが愛しておられる者が病気 をしています』という信頼に満ちたことばを申し送っただけであった (ヨハネ 11:3)。姉妹たちは、キリストがすぐに伝言に応じて、ベタニ 38

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ヤにお着きになったらすぐ自分たちのところにきてくださるものと 思っていた。 」―各時代の希望中巻 p.336. 遅れた訪問 2. 病気はいつも人の不適切な行動の結果を考えさせますか?人間的観点か ら言って、メッセージを受けたあと、主人の到着の遅れについて何を考えま すか? ヨハネ 9:2「弟子たちはイエスに尋ねて言った、『先生、この人が生 れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それ ともその両親ですか。』 ヨハネ 11:4~6「イエスはそれを聞いて言われた、『この病気は死ぬ ほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれに よって栄光を受けるためのものである。』イエスは、マルタとその姉 妹とラザロとを愛しておられた。ラザロが病気であることを聞いてか ら、なおふつか、そのおられた所に滞在された。 」 「病気は、原因なしには起こらない。健康法則を無視することによ って、病気にかかる道が開かれ、自ら病気を招くのである。また、親 の罪の結果に苦しんでいる者が多い。彼らは親の行為については責任 がないが、健康法則を犯すことがどんなことか、健康法則を守ること がどんなことであるかを知るのは、彼らの義務である。そして、親の した悪い習慣を避け、正しい生活を送り、よりよい状態に自らをおか なければならない。 しかし、自己の誤った行為のために苦しむ者の方がさらに多い。」 ―ミニストリー・オブ・ヒーリング p.212. 「姉妹たちは、イエスからのことばを熱心に待った。兄弟に生気が あるかぎり、彼女たちは祈りながらイエスのおいでを待った。しかし 使いの者は、イエスをお連れしないで帰ってきた。それでも彼が、 『こ の病気は死ぬほどのものではない』とのイエスのみことばを伝えたの で、姉妹たちは、ラザロが生きるという望みをすてなかった(ヨハネ 11:4)。彼女たちは、ほとんど意識不明の病人にやさしく望みと励ま しのことばを語ろうと努めた。ラザロが死んだ時、姉妹たちはひどく 安息日学校教課

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失望した。しかし彼女たちは、キリストの支えの恵みを感じ、救い主 を非難する気持になれなかった。」―各時代の希望中巻 p.338. 死が犠牲者を取り去る 3. イエスはユダヤが彼を受け入れなくても、数日後に何を決心されました か?弟子たちは何を思い起こしましたか? ヨハネ 11:7~10「それから弟子たちに、 『もう一度ユダヤに行こう』 と言われた。弟子たちは言った、 『先生、ユダヤ人らが、さきほども あなたを石で殺そうとしていましたのに、またそこに行かれるのです か』。イエスは答えられた、 『一日には十二時間あるではないか。昼間 あるけば、人はつまずくことはない。この世の光を見ているからであ る。しかし、夜あるけば、つまずく。その人のうちに、光がないから である。』 」 「この遅延は弟子たちにとってふしぎであった。イエスがおられた ら、あの不幸な家族がどんなに慰められるだろうと彼らは思った。弟 子たちは、ベタニヤの家族に対するイエスの深い愛情をよく知ってい たので、イエスが『あなたが愛しておられる者が病気をしています』 という悲しい伝言に応じられなかったことに驚いた。 二日の間、キリストは、その伝言を心の中から忘れておられるよう にみえた。キリストがラザロのことを口にされなかったからである。 弟子たちは、イエスの先駆者であるバプテスマのヨハネのことを思っ た。ふしぎな奇跡を行う力をもっておられるイエスが、どうしてヨハ ネを獄の中で衰弱して非道な死に方をするがままにしておかれたの だろうと、彼らはふしぎに思ったのだった。・・・救い主は、弟子た ちに、試練と損失と迫害について警告しておられた。主は試練のうち に彼らを棄てられるのだろうか。自分たちはキリストの使命をまちが えたのではないだろうかと疑う者たちもいた。そしてみんなが深く思 い悩んだ。 ・・・ 自分自身でえらんだ道、神が召されたのではない道を歩む者は、つ まずくであろう。彼にとって、昼は夜にかわり、どこにいようとも、 彼は安全ではない。」―各時代の希望中巻 p.338,339.

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4. 一方、イエスに愛されたラザロに何が起きましたか?弟子たちは何が起き たかを理解しましたか? ヨハネ 11:11~14「そう言われたが、それからまた、彼らに言われた、 『わたしたちの友ラザロが眠っている。わたしは彼を起しに行く』 。 すると弟子たちは言った、『主よ、眠っているのでしたら、助かるで しょう。』イエスはラザロが死んだことを言われたのであるが、弟子 たちは、眠って休んでいることをさして言われたのだと思った。する とイエスは、あからさまに彼らに言われた、 『ラザロは死んだのだ。 』 」 「弟子たちは心を責められた。彼らは、キリストがもっとすばやく 伝言に応じられなかったので、失望していた。彼らは、キリストがラ ザロとその姉妹たちにやさしい愛情を持っておられると思っていた のに、実際はそうでなかったのだ、そうでなければ主は使いの者とい っしょに急いで行かれたはずだと、考えたくなっていた。しかし、 『わ たしたちの友ラザロが眠っている』ということばは、彼らの心のうち に正しい感情を呼びさました。キリストは悲しんでいる友人たちを忘 れてはおられなかったのだと、彼らは確信した。 ・・・ キリストは、信じる子らにとって死は眠りであると言っておられる。 彼らの生命はキリストとともに神のうちにかくれているのであって、 最後のラッパが鳴りわたる時まで、死ぬ者はキリストのうちに眠るの である。」―各時代の希望中巻 p.340,341. 悲しみの中でもイエスを信頼する 5. いやしの力はほんのわずかな言葉にあったのに、なぜイエスはすぐにラザロ を助けに行かれませんでしたか?ラザロの死は弟子たちにとってどんな機 会となりましたか? ヨハネ 11:15,16「『そして、 わたしがそこにいあわせなかったことを、 あなたがたのために喜ぶ。それは、あなたがたが信じるようになるた めである。では、彼のところに行こう』。するとデドモと呼ばれてい るトマスが、仲間の弟子たちに言った、『わたしたちも行って、先生 と一緒に死のうではないか。』」 「彼らのために、主は、ラザロが死ぬことをおゆるしになった。も 安息日学校教課

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し主がラザロを病気から健康へ回復されたら、イエスの神としての性 格についての最も絶対的な証拠であるこの奇跡は行われなかったの である。・・・ そこでキリストは離れておられた。・・・キリストは、ラザロが死 の支配下にはいることをお許しになった。悲しむ姉妹たちは、兄弟が 墓に横たえられるのを見た。彼女たちが兄弟の死に顔を見る時、あが ない主に対する彼女たちの信仰が激しく試みられることを主はご存 知であった。しかし主は、姉妹たちの信仰が、いま経験している戦い を通して、ずっと大きな力となって輝き出ることをご存知だっ た。・・・ 神のみちびきのみ手を求めて手をさしのべているすべての者にと って、最も落胆している時が、神の助けが一番近い時である。・・ ラザロのところに行くのを遅らせることには、まだ主を受け入れて いない人々に対するキリストの憐れみの目的があった。ラザロを死人 の中からよみがえらせることによって、頑固で不信な民に、ご自分が ほんとうに『よみがえりであり、命である』という別な証拠をお与え になるために、キリストは出かけるのを延ばされたのであった(ヨハ ネ 11:25 )。主は、イスラエルの家の迷えるあわれな羊である民につ いて、望みをまったく放棄することを好まれなかった。」―各時代の 希望中巻 p.342,343. 6. イエスと弟子たちがベタニヤに到着した時、多くのユダヤ人は何をしようと しましたか?マルタは救い主にどんなことを説明しましたか? ヨハネ 11:17~21「さて、イエスが行ってごらんになると、ラザロは すでに四日間も墓の中に置かれていた。ベタニヤはエルサレムに近く、 二十五丁ばかり離れたところにあった。大ぜいのユダヤ人が、その兄 弟のことで、マルタとマリヤとを慰めようとしてきていた。マルタは イエスがこられたと聞いて、出迎えに行ったが、マリヤは家ですわっ ていた。マルタはイエスに言った、『主よ、もしあなたがここにいて 下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。』」 「友人や肉親の者たちが死んだ時にユダヤ人がやるような大げさ な外面的な表現はイエスの精神に調和しなかった。主は、やとわれた 泣き人たちの泣き叫ぶ声をきかれたので、騒がしい光景の中で姉妹た ちに会いたいと思われなかった。会葬者たちの中には、この家族の親 42

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戚の人たちがいて、そのある者はエルサレムで高い責任の地位を占め ている人たちだった。その中にはキリストの最も激しい反対者たちが 何人かいた。キリストは彼らの意図を知っておられたので、すぐには 姿をお見せにならなかった。・・・ マルタは、イエスを出迎えるために急いだが、彼女の心は矛盾する 感情に波立っていた。・・・イエスがもっと早くきて下さらなかった ために彼女の心にわき起っている悲しみと、今でも主は自分たちを慰 めるために何かをして下さるだろうという望みとで、彼女は、 『主よ、 もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかった でしょう』と言った(ヨハネ 11:21)。この姉妹たちは、泣き人たちの さわぎの中にあって、このことばを何度も何度もくりかえしたのだっ た。 ・・・しかしイエスの愛のお顔をじっと見ながら、彼女は、 『しか し、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さるこ とを、わたしは今でも存じています』とつけ加えた。 」―各時代の希 望中巻 p.344,345. 7. イエスの訪問が遅すぎて、神の力の偉大な啓示を体験することはできませ んでしたか?イエスはどんな力強い発言をされましたか? ヨハネ 11:22,23「『しかし、 あなたがどんなことをお願いになっても、 神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています。』イエス はマルタに言われた、 『あなたの兄弟はよみがえるであろう。』」 「イエスはマルタの信仰を励まして、『あなたの兄弟はよみがえる であろう』と言われた(ヨハネ 11:23)。イエスの答は、その場の変化 について望みを起させるために言われたのではなかった。主は、マル タの思いを、彼女の兄弟の現在の回復をこえて、義人のよみがえりに 向けられた。主がそうされたのは、彼女が、ラザロのよみがえりを通 して、死んだすべての義人のよみがえりについての保証と、義人のよ みがえりが救い主の力によってなしとげられるという確信とをみる ためであった。 」―各時代の希望中巻 p.345. 瞑想のために 「・・・わたしたちは主にあって安息を得るべきであり、この方を 忍耐強く待たなければならない。わたしたちの祈りに対する答えは、 安息日学校教課

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わたしたちが願うほどすばやく来るとは限らず、またわたしたちが願 ったその通りになるとも限らない。しかしご自分の子らにとって何が 最善であるかを知っておられるお方は、わたしたちが信仰を失ったり、 失望してしまわなければ、わたしたちが求めるよりもはるかに良いも のを与えて下さる。・・・ 神のみちびきのみ手を求めて手をさしのべているすべての者にと って、最も落胆している時が、神の助けが一番近い時である。・・・ 誘惑のたびに、試みのたびに、主はそこから彼らをもっと固い信仰、 もっと豊かな経験をもって、導きだされる。」―神の息子娘たち p.92. 「単に求めただけで、神は病気から守って下さると多くの人は期待 していたが、そういう人々の信仰は行為によって完全なものとされな かったので、神はその祈りを顧みて下さらなかった。神は、自分の体 に注意せず、常に健康の法則を犯し、病気を予防する何の努力も払わ ない者に奇跡を行って病気から守ることはなさらない。」―食事と食 物への勧告 p.21.

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Lesson 6

死から生命へ

2013.08.10

「一度だけ求めよ、そうすれば、与えられるであろうと、神は、言 っておられない。神は求めよと命じておられる。根気よく祈り続けな さい。求め続けることは、祈るその人をもっと熱心にし、求めている ものに対する願いを更に増大する。キリストは、ラザロの墓で、マル タに次のように言われた。 『もし信じるなら神の栄光を見るであろう』 と(ヨハネ 11:40)。」―キリストの実物教訓 p.124.

悲しむ姉妹たちの希望 1. イエスは、悲しみに打ちひしがれた姉妹たちの心と思いにどんな希望を与 えられましたか? ヨハネ 11:24~27「マルタは言った、『終りの日のよみがえりの時よ みがえることは、存じています。 』イエスは彼女に言われた、 『わたし はよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んで も生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死な ない。あなたはこれを信じるか』 。マルタはイエスに言った、『主よ、 信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると 信じております。 』 」 「キリストのうちには、借りたものでもなければ、ほかから由来し たものでもない、本来の生命がある。『御子を持つ者はいのちを持』 つ(Ⅰヨハネ 5:12)。キリストの神性は、永遠の生命についての信者の 確信である。『わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、 生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこ れを信じるか』とイエスは言われた(ヨハネ 11:25,26)。キリストはこ こでご自分の再臨の時を予期しておられる。その時、死せる義人は朽 ちない者としてよみがえり、生ける義人は死を見ないで天へ移される のである。キリストがラザロを死人の中からよみがえらせることによ って行おうとしておられた奇跡は、死せるすべての義人のよみがえり を代表するのであった。 ・・・まもなくご自分が十字架上に死のうと しておられたキリストは、よみの征服者として死の鍵をもって立ち、 安息日学校教課

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永遠の生命を与える権利と権力とを主張された。 ・・・ 彼女は、キリストが語られたみことばの意味を全部理解したわけで はなかったが、キリストの神性についての信仰と、キリストがみここ ろのままにどんなことでも行うことがおできになるという確信とを 告白した。 」―各時代の希望中巻 p.345,346. 2. マリヤは彼女の悲しみに反して、どんな信頼を表しましたか?イエスはなぜ 激しく感動し心を騒がせられましたか? ヨハネ 11:28~30「マルタはこう言ってから、帰って姉妹のマリヤを 呼び、『先生がおいでになって、あなたを呼んでおられます』と小声 で言った。これを聞いたマリヤはすぐ立ち上がって、イエスのもとに 行った。 イエスはまだ村に、はいってこられず、マルタがお迎えし たその場所におられた。 」 「泣き人たちの泣き声は彼女にとって苦痛だった。彼女は、イエス とだけ静かに二言三言語りたかったからである。しかし彼女は、そこ に居合わせた人たちの心にキリストに対するねたみやしっとが宿っ ていることを知っていたので、自分の悲しみをすっかり表に出すこと をひかえた。 主は集まっているみんなの心を読まれた。悲しみの表現として通っ ていることが、多くの者にとっては見せかけにすぎないことを、主は ごらんになった。いま偽善的な悲しみを表している人々の中に、偉大 な奇跡を行うお方ばかりでなく、死人の中からよみがえらせられるラ ザロの死もまもなくたくらむ人たちがいることをご存知だった。キリ ストは、彼らのみせかけの悲しみという衣を引きはがすこともおでき になった。しかし主は、その正しい怒りを抑えられた。主は、事実の ままに語ることのおできになることばを、口から出されなかった。な ぜなら、そこには、悲しみのうちに主の足下にひざまずきながら本当 に主を信じている愛する者がいたからである。」―各時代の希望中巻 p.347. 墓で 3. 救い主はラザロが墓におさめられたのをみられた時、どのように感じられまし たか?同時にそこにいたある人々は何と言いましたか? 46

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ヨハネ 11:34~37 「 『彼をどこに置いたのか』。彼らはイエスに言っ た、 『主よ、きて、ごらん下さい。 』イエスは涙を流された。するとユ ダヤ人たちは言った、 『ああ、なんと彼を愛しておられたことか。』し かし、彼らのある人たちは言った、『あの盲人の目をあけたこの人で も、ラザロを死なせないようには、できなかったのか。』」 「しかし、イエスが泣かれたのはマリヤとマルタに対する人間的な 同情のせいばかりではなかった。イエスの涙には、天が地よりも高い ように、人間的な悲しみよりも深い悲しみがあった。キリストは、ラ ザロを墓から呼び出そうとしておられたのだから、ラザロのために泣 かれたのではなかった。主は、いまラザロのために悲しんでいる多く の者が、生命でありよみがえりである主の死をまもなくくわだてるの で、泣かれたのであった。しかし不信のユダヤ人に、イエスの涙を正 しく解釈することがどうしてできよう。ある者たちは、イエスの悲し みの原因として、イエスの目の前の外面的な事情しか見ることができ ないで、そっと『ああ、なんと彼を愛しておられたことか』と言った (ヨハネ 11:36)。またある者たちは、そこに居合わせた人々の胸に不 信の種をまこうとして、嘲笑的に、『あの盲人の目をあけたこの人で も、ラザロを死なせないようには、できなかったのか』と言った(ヨ ハネ 11:37)。ラザロを救う力がキリストにあるのなら、なぜラザロを 死なせたのかというのである。・・・各時代の悲しみの重さがキリス トの上にかかっていた。神の律法を犯した恐るべき結果を、主はごら んになった。主は、この世の歴史には、アベルの死をはじめとして、 善悪の戦いにたえまがなかったことをごらんになった。幾年も後の世 まで見わたされて、主は、人類の運命となる苦難と悲しみ、涙と死を ごらんになった。イエスの心は、各時代すべての国の人類家族の苦痛 によって刺しつらぬかれた。罪深い人類のわざわいはキリストの魂に 重かった。主が人類のすべての苦しみを救いたいと熱望された時、そ の涙の泉が破れた。」―各時代の希望中巻 p.348. 4. マルタはイエスの目的について考えがありましたか?神の栄光は人が生き ている時にのみ表されましたか? 「キリストはマルタを責められたが、そのことばはこの上なくやさ しく語られた。『もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなた に言ったではないか』(ヨハネ 11:40)。なぜあなたはわたしの力につ 安息日学校教課

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いて疑うのか。何の理由でわたしの要求に反対するのか。あなたはわ たしのことばを持っている。もしあなたが信じるなら、あなたに神の 栄光を見させてあげる。自然の不可能は、大能の神の働きを妨げるこ とができない。懐疑と不信は謙遜ではない。キリストのみことばを絶 対に信ずることこそ、真の謙遜であり、真に自己を放棄することであ る。」―各時代の希望中巻 p.350,351. 神の栄光が表される 5. 墓の入り口が開かれた時、イエスは何をなさいましたか?この時においてさ え、イエスはだれに祈られましたか? ヨハネ 11:41,42「人々は石を取りのけた。すると、イエスは目を天 にむけて言われた、『父よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感 謝します。あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、 よく知っています。しかし、こう申しますのは、そばに立っている人々 に、あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるためでありま す。』」 「静かにキリストは墓の前に立たれる。・・・このすこし前、キリ ストの反対者たちは、キリストが神のみ子であることを主張されたた めに、彼に冒涜の罪があるといって石を取りあげ、キリストに投げつ けたことがあった。彼らはキリストがサタンの力によって奇跡を行っ ておられるといって非難した。しかしここでキリストは、神をご自分 の父と呼び、完全な確信をもって、ご自分が神のみ子であることを宣 言しておられる。 キリストはご自分がなさったすべてのことにおいて、天父と協力し ておられた。キリストはいつもご自分が独力で働かれるのではないと いうことを注意深く明らかにされた。キリストが奇跡を行われたのは 信仰と祈りによってであった。キリストは、すべての人がキリストと 天父との関係を知るように望まれた。・・・ここで、弟子たちと人々 は、キリストと神との間に存在する関係について、最も確信させられ る証拠を与えられるのであった。キリストの主張が欺瞞ではないこと が彼らに示されるのであった。」―各時代の希望中巻 p.351,352.

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6. 命の与え主は悲しく泣かれる代わりに何と命令されましたか? イエスがこ の命令を与えられた時、どのような驚くべきことが起きましたか? ヨハネ 11:43,44「こう言いながら、大声で『ラザロよ、出てきなさ い』と呼ばわれた。すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおい で包まれたまま、出てきた。イエスは人々に言われた、『彼をほどい てやって、帰らせなさい。』」 「はっきりした、鋭いキリストのみ声が死者の耳をつらぬく。キリ ストが語られると、神性が人性の中にひらめく。神の栄光に照された キリストのみ顔に、人々はキリストの力についての保証を見る。どの 目もほら穴の入口に釘づけにされる。どの耳も、ほんのかすかな音で も聞きのがすまいとする。苦痛なまでの非常な関心をもって、どの人 もみなキリストの神性がためされるのを待ち受ける。それは神のみ子 であるというキリストの主張を実証するか、それとも望みを永遠に消 滅させるか、そのどちらかの証拠となるのであった。 静かな墓の中に動く気配がして、死んでいた者が墓の戸口に立つ。 彼の動作は、寝かされる時に体にまかれた布のために妨げられる。す るとキリストは、驚いて見ている人たちに、『彼をほどいてやって、 帰らせなさい』と言われる(ヨハネ 11:44)。 ・・・ラザロは自由になり、 病気でやつれ果てて手足のよろめく弱々しい人間としてではなく、人 生の盛りにある、力に満ちたりっぱな人間として人々の前に立つ。彼 の目は知性と救い主への愛に輝いている。彼は、賛美のうちに、イエ スの足下にひれ伏す。」―各時代の希望中巻 p.352,353. 7. 驚嘆のうちによみがえった弟を姉妹たちが受けとる一方で、多くの人々は誰 を受け入れましたか?偉大な神の力と栄光の表れは、そこにいた人を確信 させましたか? ヨハネ 11:45,46 「マリヤのところにきて、イエスのなさったことを 見た多くのユダヤ人たちは、イエスを信じた。しかし、そのうちの数 人がパリサイ人たちのところに行って、イエスのされたことを告げ た。」 「これを見ていた人たちは、はじめは驚きのあまりことばが出ない。 それから言い表しようのない喜びと感謝の場面がつづく。姉妹たちは 安息日学校教課

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命によみがえった兄弟を神の賜物として受けとり、喜びの涙にくれな がらとぎれとぎれに救い主への感謝を言いあらわす。しかし、兄弟姉 妹たち友人たちがこの再会を喜びあっている間に、イエスはその場か ら立ち去られる。彼らが命をお与えになったお方をさがすと、その姿 はもうどこにも見当らなかった。」―各時代の希望中巻 p.354. 瞑想のために 「イエスは御自分が奉仕された期間に、死人をよみがえらされた。 主はナインのやもめの子とヤイロの娘、そしてラザロを復活させられ たが、彼らはみな不死の衣を着たのではなかった。よみがえった後に も彼らは引き続き死に服するしかなかった。しかしキリストの復活の 時に墓から出た人々は永遠の命で起こされた。彼らは死と墓に対する キリストの勝利の記念として主と共に昇天した。」―セレクテッド・ メッセージ 1 巻 p.304,305.

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Lesson 7

頑なな心の結果

2013.08.17

「『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中か らよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはし ないであろう。 』この言葉は、ユダヤ民族の歴史の中において、真実 であることが証明された。キリストの最後の、かつ最大の奇跡は、 死んで四日もたったベタニヤのラザロをよみがえらされたことであ った。ユダヤ人は、救い主の神性についての、この驚くべき証拠を 与えられたが、彼らはそれを拒否した。ラザ口はよみがえり、彼ら の前で証ししたが、彼らはすべての証拠に対して心をかたくなにし、 彼の命を取ろうとさえしたのであった(ヨハネ 12:9-11)。」―キリス トの実物教訓 p.240.

評価されなかった神の証拠 1. ラザロの偉大な復活の奇跡は、救い主の神性をすべての人々に確信させ るのに十分でしたか?驚くべきしるしに対する神への感謝を示すかわりに、 あるユダヤ人の指導者たちの関心は何でしたか? ヨハネ 11:46,47「しかし、そのうちの数人がパリサイ人たちのとこ ろに行って、イエスのされたことを告げた。そこで、祭司長たちとパ リサイ人たちとは、議会を召集して言った、『この人が多くのしるし を行っているのに、お互は何をしているのだ。』 」 「ベタニヤはエルサレムに近かったので、ラザロのよみがえりにつ いての知らせはすぐに都へ伝わった。ユダヤの役人たちは、その奇跡 を目撃したスパイたちを通して、たちまちその事実をつかんだ。どん な手をうつべきかを決めるために、すぐにサンヒドリンの会議が召集 された。キリストは、ご自分が死とよみを支配しておられることをい ま完全に明らかにされた。その偉大な奇跡は、神が人々を救うために み子を世に送られたことについて、神から人々に与えられた最高の証 拠であった。それは、理性と光に照らされた良心の支配下にあるすべ ての人の心を納得させるのに十分な神の力の表示であった。ラザロの よみがえりを目撃した多くの者たちは、イエスを信ずるようになった。 安息日学校教課

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しかしイエスに対する祭司たちの憎しみはますます強くなった。彼ら は、イエスの神性についてのこれより小さな証拠を全部否定していた ので、この新しい奇跡は彼らを怒らせたにすぎなかった。・・・どん な策略によっても、このような証拠を言いのがれることはできなかっ た。こうした理由のために、祭司たちの敵意はますます執念深いもの となった。彼らはキリストの働きをやめさせようと、これまで以上に 固く決心した。 」―各時代の希望中巻 p.355. 2. 祭司長たちとパリサイ人たちは人々に与えるイエスの影響を恐れました か?イエスの行動にはローマによる流血の介入を引き起こすような危険が ありましたか? ヨハネ 11:48「もしこのままにしておけば、みんなが彼を信じるよう になるだろう。そのうえ、ローマ人がやってきて、わたしたちの土地 も人民も奪ってしまうであろう。 」 「パリサイ人たちは、キリストを安息日の違反者として罪に定めよ うとした。彼らは、ヘロデ党をキリスト反対に立ち上がらせようとし た。彼らは、キリストが対抗的な王国を建設しようとしていると言い ふらして、ヘロデ党の者たちにキリストを殺す方法を相談した。彼ら はまた、ローマ人を扇動してキリストに反対させるために、キリスト がローマ人の権力をくつがえそうとしていると言いふらした。彼らは、 民衆に対するキリストの影響をたち切るために、あらゆる口実を試み た。しかしこれまでのところ、彼らの試みは裏をかかれてしまった。 キリストの憐れみのみわざを目に見、その純粋で聖なる教えを耳に聞 いた群衆は、そうしたことが、安息日を破ったり、神をけがしたりす る人の行為やことばではないことを知っていた。」―各時代の希望中 巻 p.357. 歴史上最も恐ろしい解決法 3. サンヒドリンの最も影響ある人の最終的な考えは何でしたか?イエ スに関して彼が望んだ意見の一致に到達するため、会議に圧力をかけ たのはどんな論議の提示でしたか? ヨハネ 11:49,50「彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であった 52

2013 年第 3 期


カヤパが、彼らに言った、『あなたがたは、何もわかっていないし、 ひとりの人が人民に代って死んで、全国民が滅びないようになるのが わたしたちにとって得だということを、考えてもいない。」 「会議が困惑の絶頂に達すると、大祭司カヤパが立ち上がった。カ ヤパは高慢で、残酷で、威張っていて、偏狭な男だった。・・・カヤ パは、預言を研究していたので、その真の意味を知ってはいなかった が、非常な権威と確信をもって、 ・・・たとえイエスに罪がなくても、 彼を除かねばならないと、大祭司は主張した。彼は、民を自分にひき よせ、役人たちの権威を低下させているのでやっかいな男だ。彼はた った一人だ、役人たちの権力を弱めるよりも彼を死なせた方がよい。 もし役人に対する民衆の信頼が失われるとしたら国力は滅びるであ ろう。この奇跡のあと、イエスに従う者たちが暴動を起すであろうと、 カヤパは主張した。そうしたら、ローマ人がやってきて、われわれの 宮を閉鎖し、われわれの律法を廃止し、一国家としてのわれわれを滅 ぼすであろうと、彼は言った。国家の生命に比較すれば、このガリラ ヤ人の生命に何の価値があろう。・・・全国民が滅ぼされるより、一 人の人間が滅ぼされる方がよいのだ。」―各時代の希望中巻 p.359. 4. カヤパの討論の後半の部分はどのように理解されましたか?イエスに死の 宣告をするためのこの申し出に、福音宣教者はどんな重要な意味を見いだ しましたか? ヨハネ 11:51,52「このことは彼が自分から言ったのではない。彼は この年の大祭司であったので、預言をして、イエスが国民のために、 ただ国民のためだけではなく、また散在している神の子らを一つに集 めるために、死ぬことになっていると、言ったのである。」 「一人の人間が国民のために死なねばならないということを宣言 することによって、カヤパは、ごく限られてはいたが、預言について いくらか知識を持っていることを示した。しかしヨハネは、この場面 の記述にあたって、この預言をとりあげ、その広くて深い意味を示し ている。・・・ この最もとうとい真理は、カヤパの口で虚偽に変えられた。彼の主 張した方針は、異教から借りた一つの原則にもとづいていた。異教徒 たちは、一人の人間が人類のために死ぬべきだというばく然とした意 安息日学校教課

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識から、人間をいけにえとしてささげるようになっていた。そこでカ ヤパは、不義の国民が罪のうちに存続できるように、イエスの犠牲に よって、彼らを罪とがからではなく、罪とがの中で救おうと提案した。 そしてこの理屈によって、彼は、イエスには死に値するようなものは まだ何もないと言い張るかもしれない人々の抗議を沈黙させること ができると考えた。」―各時代の希望中巻 p.359,360. 5. このような考えを基礎として、会議はどんな結論に達しましたか? ヨハネ 11:53 「彼らはこの日からイエスを殺そうと相談した。」 「この時のサンヒドリンは、合法的な会議ではなかった。その存在 がただ黙認されていたにすぎなかった。議員のある者たちは、キリス トを殺すことが賢明であるかどうかを疑った。彼らは、そのことによ って民衆の暴動がひき起され、そのためローマ人が祭司制度に好意を 示さなくなり、まだ自分たちの手にある権力まで取りあげられること になりはしないかと恐れた。・・・ 彼らの権威を維持するためには、イエスを死刑にしなければならな いと、サタンは彼らに告げた。この勧告に彼らは従った。自分たちが いま行使している権力を失うかも知れないという事実だけでも、何ら かの決定をしなければならない十分な理由であると、彼らは考えた。 あえて本心を語ろうとしなかった数名を除いて、サンヒドリンはカヤ パのことばを神のことばとして受け入れた。会議は救われ、不一致が やんだ。彼らは都合のよい機会があり次第キリストを死刑にすること にきめた。イエスの神性についての証拠をしりぞけたことによって、 これらの祭司たちと役人たちは暗黒の中にとじこめられた。彼らはま ったくサタンの支配するがままになり、永遠の滅亡のふちを越えて追 いたてられた。それにもかかわらず、彼らはすっかりだまされて、自 分自身に満足していた。彼らは、自分自身のことを、国民の救いを求 めている愛国者とみなした。」―各時代の希望下巻 p.358,361. 危機の時になすべきこと 6. 危機を加速させることは、イエスのお考えでしたか?イエスが弟子たちに与 えられた教えに従ってこのような状況のもとで、イエスは何をなさいました か? 54

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マタイ 10:23 「一つの町で迫害されたなら、他の町へ逃げなさい。 よく言っておく。あなたがたがイスラエルの町々を回り終らないうち に、人の子は来るであろう。 」 ヨハネ 11:54 「そのためイエスは、もはや公然とユダヤ人の間を歩 かないで、そこを出て、荒野に近い地方のエフライムという町に行か れ、そこに弟子たちと一緒に滞在しておられた。 」 「しかしながら、民衆が怒って、イエスに向けられるはずの暴力が 彼ら自身の上に向けられるといけないので、サンヒドリンは、イエス に対して過激な手段をとることを恐れた。そのために、会議は、すで に発表した判決の執行を遅らせた。救い主は、祭司たちの陰謀をさと られた。主は、彼らがイエスを除こうとしていることと彼らの目的が まもなく達成されることを知っておられた。しかし危機を早めること はキリストの分ではなかったので、主は弟子たちをつれて、その地方 から退かれた。こうしてイエスは、弟子たちにお与えになった教訓す なわち「一つの町で迫害されたなら、他の町へ逃げなさい」という教 えを、自ら手本を示して、ふたたび実行された (マタイ 10:23)。魂の 救いのために働く広い分野があった。主のしもべたちは、主に忠誠を つくすためにやむを得ないかぎり、自らの生命を危険にさらしてはな らなかった。 」―各時代の希望中巻 p.361,362. 7. どんな命令がだされたので、救い主は彼らの手に落ちましたか?彼らがイ エスを捕えようと企てている間、イエスは伝道の日々にどんな偉大な証しを なさいましたか? ヨハネ 11:55~57「さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、多く の人々は身をきよめるために、祭の前に、地方からエルサレムへ上っ た。 人々はイエスを捜し求め、宮の庭に立って互に言った、 『あなた がたはどう思うか。イエスはこの祭にこないのだろうか。』祭司長た ちとパリサイ人たちとは、イエスを捕えようとして、そのいどころを 知っている者があれば申し出よ、という指令を出していた。 」 使徒行伝 10:38,39「神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれまし た。このイエスは、神が共におられるので、よい働きをしながら、ま た悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回さ 安息日学校教課

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れました。わたしたちは、イエスがこうしてユダヤ人の地やエルサレ ムでなさったすべてのことの証人であります。人々はこのイエスを木 にかけて殺したのです。 」 「イエスは、いま世のために三年間の公生涯を送ってこられた。主 の克己と無我の慈善心についての模範は彼らの前にあった。主の純潔 と苦難と信仰の生活はだれにでも知られていた。しかしこの三年の短 い年月は、世の人々があがない主の存在に耐えることのできる限界で あった。」―各時代の希望中巻 p.362. 瞑想のために 「主の一生は迫害と侮辱の一生だった。ねたみ深い王によってベツ レヘムから追われ、ナザレではご自身の民からこばまれ、エルサレム では理由もなく死にあたる罪に定められ、イエスは、少数の忠実な弟 子たちと、見知らぬ町に一時の避難所を求められた。いつも人間の不 幸に心を動かされ、病人をいやし、目が見えない人の視力を回復し、 耳の聞こえない人の耳がきこえるようにし、口のきけない人がものを 言えるようにし、飢えた者に食物を与え、悲しむ者を慰められたお方 が、救うために働かれたその民から追われたのである。うねる波の上 を歩き、その荒れ狂う波の音を一言で沈黙させられたお方、離れるま ぎわにイエスを神のみ子として認めた悪霊を追い出されたお方、死人 の眠りを破られたお方、幾千の者を知恵のみことばによって夢中にさ せたお方が、偏見と憎しみに心がくらんで、頑固に光をしりぞける 人々の心を動かすことがおできにならなかった。」―各時代の希望中 巻 p.362.

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Lesson 8

自己推薦によらず

2013.08.24

「キリストの一番近くに立つ者は、この地上においてキリストの自 己犠牲的な愛、すなわち、『高ぶらない、誇らない、・・・・・・自分の利 益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない』ところの愛、また 主の心を動かしたように、人類を救うために死にいたるまで、すべて を献げ、生き、働き、犠牲を払うように弟子の心を動かすところの愛、 ―そうした愛の精神を最も深く飲んだ者である(Ⅰコリント 13:4,5)。 」 ―各時代の希望中巻 p.368.

弟子たちの間の人間的野心 1.弟子たちの間でどんな討論が幾度もなされましたか?この問題は解決され ましたか、それともこの地上を越えて天の王国での地位に対する論争にまで 広がりましたか? ルカ 9:46「弟子たちの間に、彼らのうちでだれがいちばん偉いだろ うかということで、議論がはじまった。」 マタイ 18:1 「そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、 『い ったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか。 』 」 「このことばの中には、弟子たちがとうてい理解することのできな い厳粛さと強い印象があった。彼らはキリストが見通しておられたも のを見ることができなかった。彼らはキリストの王国の性格がわかっ ていなかったので、この無知が彼らの論争の表面的な原因であった。 だが真の原因はもっと深いところにあった。キリストは、王国の性格 を説明することによって、一時は彼らの争いを静めることがおできに なったであろう。しかしそれでは、根本にある原因にふれていないの であった。彼らが十分に知った後でもなお、何か優先的な問題が起る と、争いは新たにされるかもしれなかった。そうしたら、キリストが いなくなられたあとに、わざわいが教会に起ったであろう。最高の地 位を争うことは、天の世界に大争闘をひき起してキリストを死ぬため に天からくだらせたその同じ精神の働きであった。」―各時代の希望 安息日学校教課

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中巻 p.211. 2. イエスはご自分の弟子たちに、前途に控える苦難の時のためにどのように 準備させましたか?彼らは自分たちが通過する試練を理解しましたか? マルコ 10:32-34「さて、一同はエルサレムへ上る途上にあったが、 イエスが先頭に立って行かれたので、彼らは驚き怪しみ、従う者たち は恐れた。するとイエスはまた十二弟子を呼び寄せて、自分の身に起 ろうとすることについて語りはじめられた、『見よ、わたしたちはエ ルサレムへ上って行くが、人の子は祭司長、律法学者たちの手に引き わたされる。そして彼らは死刑を宣告した上、彼を異邦人に引きわた すであろう。また彼をあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺 してしまう。そして彼は三日の後によみがえるであろう。』 」 ルカ 18:34 「弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。 この言葉が彼らに隠されていたので、イエスの言われた事が理解でき なかった。 」 「自分たちはちょっと前までいたるところで、『天国は近づいた』 と宣伝したではないか。多くの者がアブラハム、イサク、ヤコブとと もに神の国にすわると、イエスご自身が約束されたではないか。キリ ストのために何かを捨てた者は誰でもこの世で百倍を受け、またみ国 の一部を受けると、主は約束されたではないか。主はみ国の高い栄誉 の地位―イスラエルの十二の支族をさばく座につくことについて、特 別な約束を十二人にお与えになったではないか。いまでも主は、ご自 分に関して預言者の書に書かれていることはすべて成就すると言わ れた。」―各時代の希望中巻 p.364. 地位を求める 3. 主は、来たることがらに直面することができるように、弟子たちを導かれてい る一方で、ある弟子たちは、どんな考えを抱いていましたか?二人の弟子 の母親は、どんな特別な願いを申し出ましたか? マタイ 20:20,21「そのとき、ゼベダイの子らの母が、その子らと一 緒にイエスのもとにきてひざまずき、何事かをお願いした。そこでイ 58

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エスは彼女に言われた、 『何をしてほしいのか』。彼女は言った、『わ たしのこのふたりのむすこが、あなたの御国で、ひとりはあなたの右 に、ひとりは左にすわれるように、お言葉をください。』」 マルコ 10:35-37「さて、ゼベダイの子のヤコブとヨハネとがイエス のもとにきて言った、『先生、わたしたちがお頼みすることは、なん でもかなえてくださるようにお願いします。』イエスは彼らに『何を してほしいと、願うのか』と言われた。すると彼らは言った、『栄光 をお受けになるとき、ひとりをあなたの右に、ひとりを左にすわるよ うにしてください。』」 「ゼベダイの子ヨハネは、イエスに従った最初の二人の弟子の中の 一人であった。彼とその兄弟ヤコブは、キリストの奉仕にすべてを捨 てた最初の人たちのグループに入っていた。彼らはキリストと一緒に いるために家も友だちも喜んで捨てた。彼らはイエスとともに歩み、 ともに語った。彼らは家にひっこんでいる時も、公の集りの中にいる 時も、イエスといっしょだった。イエスは、彼らの恐れを静め、彼ら を危険から救い、彼らの苦しみをやわらげ、彼らの悲しみを慰め、忍 耐とやさしさをもって彼らをお教えになったので、ついに彼らの心は イエスの心に結ばれ、イエスを愛するあまり、み国においてイエスに 一番近いところにいたいとあこがれるようになった。機会のあるたび に、ヨハネは救い主の隣に席を占め、ヤコブはできるだけイエスに一 番近いところにいたいとあこがれた。・・・ 母親と息子たちは、一緒にイエスのところへやってきて、彼らの心 にかかっている願いをかなえてくださるようにたのんだ。」―各時代 の希望中巻 p.364. 4. イエスはこの質問に答える時、何を明らかにして教えられましたか?弟子た ちは栄光の座にすわるための特権を受ける前に何に直面しなければなりま せんでしたか? マタイ 20:22「イエスは答えて言われた、『あなたがたは、自分が何 を求めているのか、わかっていない。わたしの飲もうとしている杯を 飲むことができるか。 』彼らは『できます』と答えた。」 「イエスは、兄弟たちよりも有利な立場を占めたいという彼らの利 安息日学校教課

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己心を責めないで、彼らのことをやさしく忍耐される。イエスは彼ら の心を読まれ、彼らが深く主を慕っていることをお知りになる。彼ら の愛はただの人間的な愛ではない。それは、人間の世俗的な水路によ ってよごれてはいるが、主ご自身のあがないの愛という泉から湧きあ ふれたものである。主は責めないで、それを深くし、純潔にされる。 イエスは、『あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける バプテスマを受けることができるか』と言われた。彼らは、さばきと 苦難をさし示しているキリストのふしぎなことばを思い浮べたが、そ れでも確信をもって、『できます』と答える (マルコ 10:38,39)。彼 らは、主に起ろうとしているすべてのことをわかち合うことによって、 自分たちの忠誠心を証明することができれば、最高の名誉であると考 える。 『あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテス マを受けるであろう』とイエスは言われた(マルコ 10:39)。キリスト の前には、王座ではなく、十字架があった。その右と左には、二人の 犯罪者が道連れとなるのであった。ヨハネとヤコブは、主の苦難を分 かち合うのであった。ヤコブは兄弟たちのうちで最初に剣に倒れ、ヨ ハネは兄弟たちのうちで最後まで生き残って苦労と非難と迫害に耐 えるのであった。 」―各時代の希望中巻 p.366,367. 5. イエスの答えの後半部分からわたしたちは、何を学びますか?天国での地 位や座は、誰かの勧めやえこひいきの結果として与えられますか? マタイ 20:23「イエスは彼らに言われた、『確かに、あなたがたはわ たしの杯を飲むことになろう。しかし、わたしの右、左にすわらせる ことは、わたしのすることではなく、わたしの父によって備えられて いる人々だけに許されることである。』 」 「イエスは続けて言われた、『しかし、わたしの右、左にすわらせ ることは、わたしのすることではなく、ただ備えられている人々だけ に許されることである』(マルコ 10:40)。神の国では、地位はえこひ いきによって得られるのではない。それは功績によって得られるもの でも、独断的にさずけられるものでもない。それは品性の結果である。 王冠と王座はある状態に到達したことのしるしである。それは主イエ ス・キリストを通して自我を克服したことのしるしである。」―各時 代の希望中巻 p.367. 60

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天の王国の原則 6. キリストが立てられた王国の神の原則は何ですか?従って、わたしたちはど んな例を見習いますか? マタイ 20:25-28「そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、 『あ なたがたの知っているとおり、異邦人の支配者たちはその民を治め、 また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。あなたがたの 間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くな りたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになり たいと思う者は、僕とならねばならない。それは、人の子がきたのも、 仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがな いとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである。 」 「この世の国では、地位は自分を高めることを意味した。民衆は支 配階級の利益のために存在していると思われていた。勢力、富、教育 は、指導者たちが大衆を自分のために使用するために彼らを支配する 手段であった。上層階級が考え、決定し、楽しみ、支配し、下層階級 は従い、仕えるのであった。ほかのすべてのことと同様に、宗教も権 力の問題であった。民衆は目上の人から命じられる通りに信じ、実行 するものと期待されていた。自分で考え、実行する人間としての人権 はまったく認められなかった。 キリストは、これと異なった原則の上にみ国を築いておられた。主 は人々を権力の立場にではなく、奉仕の立場に召し、強い者を弱い者 の欠点を負うために召された。権力、地位、才能、教育のある人は、 それだけほかの人々に仕える一層大きな義務を負わされた。 ・・・ ・・・キリストが実行された原則は、ご自分の体である教会の信者 を行動させる動機となるのである。救いの計画と土台は愛である。キ リストのみ国では、キリストがお与えになった模範に従い、キリスト の羊の群れの牧者として活動する者が最も大いなる者である。」―各 時代の希望中巻 p.369. 7. キリストの座に座る特権を持つ人々について、後にヨハネに何が明らかにさ れましたか? 黙示録 3:21「勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせ 安息日学校教課

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よう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御 座についたのと同様である。 」 「ずっとのちになって、弟子ヨハネがキリストの苦難にあずかるこ とによって主と一致するようになった時、主は、神の国において主の 近くにすわることができる条件をヨハネにお示しになった。キリスト はこう言われた、『勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につ かせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にそ の御座についたのと同様である。』 『勝利を得る者を、わたしの神の聖 所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そし て彼の上に、わたしの神の御名と、・・・・・・わたしの新しい名とを、書 きつけよう』(黙示録 3:21,12)。同じように使徒パウロもこう書いて いる、『わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが 世を去るべき時はきた。わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき 行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待 っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それ を授けて下さるであろう』(Ⅱテモテ 4:6-8)。」―各時代の希望中巻 p.367,368. 瞑想のために 「救い主の教えの原則は、ことばそのものまで、聖なる美しさをも って、愛された弟子ヨハネの記憶にいつまでも残った。晩年にいたる まで、教会に対するヨハネのあかしの趣旨はこうであった、『わたし たちは互に愛し合うべきである。これが、あなたがたの初めから聞い ていたおとずれである。 』 『主は、わたしたちのためにいのちを捨てて 下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それ ゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである』 (Ⅰヨハネ 3:11,16)。」―各時代の希望中巻 p.370,371.

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Lesson 9

イエスを見たかった男

2013.08.31

「魂に救いがのぞむのは、キリストが個人的な救い主として受け入 れられる時である。ザアカイはイエスを自分の家庭の一時のお客とし てばかりでなく、魂の宮に住むお方として受け入れた。学者たちとパ リサイ人たちはザアカイを罪人として非難し、またキリストがザアカ イの客となられたことについてつぶやいたが、主は彼をアブラハムの 子として認められた。なぜなら、『信仰による者こそアブラハムの子 である』からである(ガラテヤ 3:7)。」―各時代の希望中巻 p.378,379.

罪人であっても無関心 1. 誰がエリコに住んでいましたか?彼はその地方の人々にどのように思われ ていましたか? ルカ 19:1,2「さて、イエスはエリコにはいって、その町をお通りに なった。ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取 税人のかしらで、金持であった。 」 「エルサレムヘの途中、『イエスはエリコにはいって、その町をお 通りになった』(ルカ 19:1)。ヨルダン川から数マイル離れ、谷の西端 が平原へひろがっているあたりに、この町は、熱帯的な緑と繁茂した 美しい木立ちにかこまれていた。尽きることのない泉にうるおされる しゅろの木とぜいたくな庭園のあるこの町は、エルサレムとこの平原 の町との間にはさまっている石灰石の丘と荒涼とした山峡とを背景 にして、エメラルドのように輝いていた。 『取税人のかしら』ザアカイはユダヤ人で、同国人からきらわれて いた。彼の地位と富は人々のいやがる職業の報酬で、この職業は不正 と搾取の別名のように考えられていた。しかしこの富める税関役人の ザアカイは、それほど冷酷な人間ではなかった。」―各時代の希望中 巻 p.372.

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2. 主がエリコに来られることを聞いて彼は何をしましたか?いちじくの木に登る 動機は単なる興味本位からでしたか、彼はイエスを見ることができました か? ルカ 19:3,4「彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背 が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。それ でイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑の木に登 った。そこを通られるところだったからである。 」 「その世俗的で高慢な外観の下には、天来の感化力に動かされやす い心があった。ザアカイは、イエスのことを聞いていた。排斥されて いる階級の人々に対して親切と礼儀のある態度をとられたお方のう わさが遠く広くひろがっていた。この取税人のかしらの内には、もっ とよい人生をあこがれる思いがあった。エリコからわずか数マイル離 れたヨルダン川で、バプテスマのヨハネが福音を説いた時、ザアカイ は悔い改めへの呼びかけを聞いた。『きまっているもの以上に取り立 ててはいけない』という取税人たちに対する教えは、外面的には無視 されたが、 それはザアカイの心に深い感銘を与えていた(ルカ 3:13)。 彼は聖書を知っていて、自分の行為がまちがっていることを自覚して いた。いま彼は大教師イエスから出たものといわれているこのことば を聞いて、自分が神の前に罪人であることを感じた。しかし彼がイエ スについて聞いていたことが、彼の心に望みの火をともした。悔い改 め、すなわち生活の改革は、自分のような者にさえ可能なのだ。この 新しい教師が最も信頼しておられる弟子たちの1人も取税人ではな いか。ザアカイは自分の心をとらえたこの自覚にただちに従い、自分 が不正を働いた相手の人々の損害をさっそく償いはじめた。」―各時 代の希望中巻 p.373. 3. イエスを見ることができないだろうという恐れがあった一方で、彼はどんな 素晴らしい驚きを経験しましたか? ルカ 19:5「イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言わ れた、『ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に 泊まることにしているから。 』 」 「町の通りは人々でいっぱいだった。ザアカイはせいが低かったの 64

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で、人々の頭にさえぎられて何も見ることができなかった。だれも彼 に道をあけようとしなかった。そこで、この富裕な取税人は、群衆よ りすこし先に走って行き、枝のひろがったいちじく桑の木が道におお いかぶさっているところへくると、その木にのぼって枝の間に座を占 めた。そこなら、行列が下を通りすぎるのを見渡すことができた。群 衆が近づき、通りすぎて行く。ザアカイは目をこらして、お会いした いと熱望しているお方をみつけようとする。・・・ 祭司たちとラビたちのさわがしい声や群衆の歓迎の叫び声をこえ て、この取税人のかしらの無言の願いがイエスの心に語りかけた。突 然、ちょうどこのいちじく桑の木の下で、一群が立ちどまり、その前 後の群衆も動かなくなると、一人のお方が心の底まで読み通すような 目つきをして上をごらんになる。『ザアカイよ、急いで下りてきなさ い。きょう、あなたの家に泊まることにしているから』とのことばを 聞くと、木の上の男はほとんど自分の耳を疑う(ルカ 19:5)。 」―各時 代の希望中巻.p.374. 喜びに満ちたすばやい応答 4. ザアカイはイエスが彼の家を訪問するという申し出にどのようにすばやく応 答しましたか?イエスの訪問に彼はどのような歓迎をしましたか? ルカ 19:6「そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエス を迎え入れた。 」 「群衆が道をあけると、ザアカイは、夢心地で歩きながら、わが家 の方へ道案内をする。・・・ザアカイは、自分のような無価値な者に 目をとめられたキリストの愛とへりくだりに圧倒され、驚いて口もき けなかった。 」―各時代の希望中巻 p.374,375. 5. パリサイ人たちは、どのように考えましたか?イエスがザアカイの家に入られ るのを彼らが見た時、パリサイ人たちにどんな機会がありましたか? マタイ 9:11「パリサイ人たちはこれを見て、弟子たちに言った、 『な ぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人などと食事を共にするのか。』 」 ルカ 19:7「人々はみな、これを見てつぶやき、 『彼は罪人の家にはい 安息日学校教課

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って客となった』と言った。」 「パレスチナのローマ官吏の中で、取税人ほど憎まれた者はなかっ た。外国の権力によって税を課せられるということが、自国の独立権 が失われたことをユダヤ人に思い出させ、たえず彼らを怒らせた。取 税人はローマの圧制の手先であったばかりではなかった。彼らはまた 自分自身のために強奪者となり、民を犠牲にして私腹を肥やした。ロ ーマ人の手からこの任命を受けた者は、国民の名誉を裏切る者とみな された。彼は変節者として軽蔑され、社会の最も下等な階層に入れら れた。・・・ 取税人たちは徒党を組んでいたので、彼らは民衆を圧迫し、お互い に自分たちの詐欺行為を支持し合うことができた。彼らは、搾取する にあたって、ほとんど全国的な慣例となっていたことを実行している にすぎなかった。 」―各時代の希望上巻 p.344,中巻 377. 完全に生活を変える 6. 聖霊の影響の下に、この男の悔い改めは何を明らかにしましたか?彼が盗 んだものを返すことにより、どんな聖書の原則が適用されましたか? ルカ 19:8「ザアカイは立って主に言った、 『主よ、わたしは誓って自 分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立 てをしていましたら、それを四倍にして返します。』」 出エジプト記 22:1「もし人が牛または羊を盗んで、これを殺し、あ るいはこれを売るならば、彼は一頭の牛のために五頭の牛をもって、 一頭の羊のために四頭の羊をもって償わなければならない。 」 「いまこの新しくみいだした主に対する愛と忠誠心が彼の口を開 かせる。彼は自分の告白と悔い改めを公表しようとする。 群衆のいる前で、 『ザアカイは立って主に言った、 「主よ、わたしは 誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不 正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します。 」 ザアカイは、キリストのお顔を見る前に、彼が真に悔い改めた者で ある証拠となる働きを始めていた。人から非難される前に、彼は自分 の罪を告白していた。彼は聖霊による罪の自覚に従い、古代イスラエ ルのために、またわれわれのために書かれたみことばの教えを実行し 66

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はじめていた。主は、ずっと昔こう言われた、『あなたの兄弟が落ち ぶれ、暮して行けない時は、彼を助け、寄留者または旅びとのように して、あなたと共に生きながらえさせなければならない。彼から利子 も利息も取ってはならない。あなたの神を恐れ、あなたの兄弟をあな たと共に生きながらえさせなければならない。あなたは利子を取って 彼に金を貸してはならない。また利益をえるために食物を貸してはな らない。』 『あなたがたは互に欺いてはならない。あなたの神を恐れな ければならない』(レビ 25:35-37,17)。こうしたことばは、キリスト が雲の柱におおわれておられた時に、自ら語られたのであったが、キ リストの愛に対するザアカイの最初の応答は、貧しく困っている人た ちに対して同情を表わすことであった。」―各時代の希望中巻 p.374,375. 7. ザアカイの素晴らしい体験のように、イエスがその家に入られると、すべての 誠実な家庭と悔い改めた罪人に何が来ますか? ルカ 19:9「イエスは彼に言われた、 『きょう、救がこの家にきた。こ の人もアブラハムの子なのだから。 』」 ルカ 19:10「人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うため である。」 「・・・しかしザアカイは、聖霊の感化力に身をまかせるとすぐに、 正直に反する行為を一切捨てた。 改革を伴わない悔い改めは、真正なものではない。キリストの義 は、・・・行為を規制する生活原則である。聖潔とは・・・それは内 住する天の原則に対して心と生活をまったく屈服させることであ る。・・・ クリスチャンは、その実業生活において、主ならこのように事業を 経営されるであろうという方法を世にあらわすのである。すべての取 引において、彼は神が自分の教師であることを明らかにする。『主に 聖なる者』ということが、日記帳にも元帳にも証書にも領収書にも為 替手形にも書かれている(出エジプト 28:36)。キリストに従う者であ ることを告白しながら、不正なやり方で取引をする者は、聖にして正 しく、憐れみある神のご品性に反するまちがったあかしをたてている のである。悔い改めた魂はみな、ザアカイのように、自分の生活に目 安息日学校教課

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立っている不正な習慣を放棄することによって、キリストが心の中に 入られたことを表明する。この取税人のかしらのように、彼は損害を 償 う こ と に よ っ て 誠 実 心 を 証 明 す る 。」 ― 各 時 代 の 希 望 中 巻 p.377,378. 瞑想のために 「もしわれわれが商売上の不正な取引で他人に損害を与えたり、商 売上のごまかしをやったり、だれかをだましたりしたなら、たとえそ れが法律を犯すことではなくても、われわれは、そのまちがいを告白 して、力の及ぶかぎり償いをすべきである。われわれは、取ったもの を返すばかりでなく、われわれがそれを所有していた間に正しく賢明 に用いられたら蓄積されたはずの分まですべて返すのが当然である。」 ―各時代の希望中巻 p.378.

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Lesson 10 イエスになされた良い働き

2013.09.07

「キリストは心のこもった親切な行為をとうとばれる。だれかがイ エスのために何かをしてさしあげると、主はその行為をした人を天来 のていねいさをもって祝福された。主は、子供の手によってつまれ、 愛をもってささげられたどんな粗末な花もこばまれなかった。主は子 供たちの贈り物を受け取り、それをささげた者を祝福し、その名を生 命の書にしるされた。マリヤはイエスに油をそそいだために、他のマ リヤたちと区別して聖書にしるされている。イエスに対する愛と尊敬 の行為は、イエスを神のみ子として信じる信仰の証拠である。聖書の 中には、「聖徒の足を洗い、困っている人を助け、種々の善行に努め る」ことを、キリストに対する女性の忠誠心の証拠として述べてある (Ⅰテモテ 5:10)。」―各時代の希望中巻 p.389.

主は癒された人に招かれる 1. ベタニヤのシモンとは誰ですか?彼はらハンセン病を癒されたイエスに感 謝を表すために彼の家で何を準備しましたか? マタイ 26:6「さて、イエスがベタニヤで、ハンセン病人シモンの家 におられたとき、 」 マルコ 14:3(前半)「イエスがベタニヤで、ハンセン病人シモンの家 にいて、食卓についておられたとき、・・・」 ルカ 7:36「あるパリサイ人がイエスに、食事を共にしたいと申し出 たので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。」 「ベタニヤのシモンは、イエスの弟子とみなされていた。彼は、公 然とキリストに従う者の仲間に加わった少数のパリサイ人の一人で あった。シモンはイエスを教師として認め、イエスがメシヤであるよ うにと望んでいたが、救い主として受け入れてはいなかった。彼の品 性は変えられていなかったし、彼の主義は変化していなかった。 ・・・ シモンはハンセン病をいやしてもらっていたので、彼がイエスにひ 安息日学校教課

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かれたのはそのためであった。彼は、感謝の気持を表わしたいと望み、 キリストの最後のベタニヤ訪問の時に、救い主と弟子たちにごちそう をした。このごちそうの席で多くのユダヤ人が一緒になった。そのこ ろ、エルサレムでは人々が非常に騒いでいた。キリストとその使命は、 かつてなかったほどに人々の注意をひいていた。ごちそうにやってき た人たちは、イエスの行動にこまかく注目し、中には悪意のある目で 見ている人たちがいた。 」―各時代の希望中巻 p.380. 来客の親切な行動 2. イエスが座っておられる部屋へ誰が入ってきましたか?イエスのためにこの 女はどんな特別なことをしましたか? マタイ 26:7「ひとりの女が、高価な香油が入れてある石膏のつぼを 持ってきて、イエスに近寄り、食事の席についておられたイエスの頭 に香油を注ぎかけた。 」 マルコ 14:3「イエスがベタニヤで、 ハンセン病人シモンの家にいて、 食卓についておられたとき、ひとりの女が、非常に高価で純粋なナル ドの香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、それをこわし、香油 をイエスの頭に注ぎかけた。」 「この陰謀がエルサレムで進行している間、イエスと弟子たちはシ モンのごちそうに招かれておられた。イエスは、いまわしい病気をな おしておやりになったシモンを一方に、死人の中からよみがえらせて おやりになったラザロを一方にして、食卓におつきになった。マルタ が食卓の給仕をしたが、マリヤはイエスの口から出るひとことばひと ことばを熱心にきいていた。イエスが、その憐れみによって、マリヤ の罪をゆるし、また愛する兄弟を墓からよみがえらせてくださったの で、マリヤの心は感謝に満たされていた。彼女は、イエスがご自分の 死が近づいていることを語られるのを聞いていたので、深い愛とかな しみのうちに、イエスに尊敬を示したいと熱望していた。彼女は、イ エスのお体に油をそそぐために、自分で大きな犠牲を払って、『非常 に高価で純粋なナルドの香油が入れてある石膏のつぼ』を買っていた (マルコ 14:3)。しかしいま、多くの者は、イエスが王位につかれるの だと宣言していた。マリヤの悲しみは喜びに変わり、彼女は自分が真 70

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先に主に尊敬を示したいと熱望した。香油のつぼを割ると、彼女は、 中の油をイエスの頭と足にそそいだ。それから彼女は、泣きながらひ ざまずいて、その涙でイエスの足をぬらし、長くたれた髪の毛でぬぐ った。」―各時代の希望中巻 p.382,383. 他の人々の動機と行動を裁く 3. 主が油を注がれるのをすべての人が受け入れましたか?ある人々はどん な否定的な考えを示しましたか? マルコ 14:4,5「すると、ある人々が憤って互に言った、 『なんのため に香油をこんなにむだにするのか。この香油を三百デナリ以上にでも 売って、貧しい人たちに施すことができたのに。』そして女をきびし くとがめた。」 マタイ 26:8,9「すると、弟子たちはこれを見て憤って言った、 『なん のためにこんなむだ使をするのか。それを高く売って、貧しい人たち に施すことができたのに。 』 」 「マリヤは、人々の目を避けたいと思っていた。彼女の動作は、人々 の目にふれないですんだかも知れないが、香油のかおりが部屋に満ち たので居合わせたすべての人たちにその行為が知れた。ユダはこの行 為を非常に不愉快に思った。このことについてキリストが言われるこ とばを聞くのを待たないで、彼は、そばの人たちに不満をささやき始 め、キリストがこのような浪費をゆるされることを非難した。彼は、 不満をひき起すようなずるい言い方をした。・・・ いまマリヤの行為は、ユダを赤面させるほど、彼の利己心といちじ るしい対照をなしていた。ユダは、いつもの通り、彼女の献げ物に反 対する正しい動機を示そうとした。・・・ユダは、貧しい人たちに対 して思いやりはなかった。もしマリヤの香油を売って、その収入をユ ダの手に渡したとしても、貧乏人は何の益も受けなかったのである。 ユダは自分自身の実行的な能力を高く評価していた。・・・彼は、 弟子たちの信用を得、彼らに対して大きな勢力を持っていた。貧しい 人々に対するユダの同情的なことばにだまされ、彼のたくみな暗示に よって、彼らは、マリヤの信心を不信の目をもって見た。『なんのた めにこんなむだ使をするのか。 ・・・』(マタイ 26:8,9)。」―各時代の 安息日学校教課

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希望中巻 p.384,385. 4. わたしたちはその時その場合にのみ、否定と批判が問題であったと言えま すか?神の聖なるみ言葉は、悪を考えたり話したりすることに関して何を教 えていますか? 第一コリント 13:4,5「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむ ことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の 利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。」 ピリピ 4:8「最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべ きこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、 すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものが あれば、それらのものを心にとめなさい。 」 「浮動するうわさ話によってしばしば兄弟間の一致が妨げられる。 飛び回る醜聞をつかまえようと心と耳を開いている者たちがいる。彼 らはそれ自体では取るに足りないような小さなことを集めて繰り返 し、ついにはひとりの人を一つの言葉で犯罪者としてしまうまで誇張 し・・・このように噂を広める者たちは自分の道が神にどれほど不快 に思われているかをほとんど知らずに、驚くほど忠実にサタンの働き をしている。 ・・・ 『彼らが言うには・・・』あるいは『私が聞いた事 だが・・・』のような言葉に対して心の戸を閉じていなければならな い。わたしたちは嫉妬と悪い憶測が心の中に入ることを許す代わりに、 わたしたちの兄弟の所に行って、正直にまた親切に彼の品性や影響力 に害を及ぼす物を彼の前に提示し、彼と共にそのために祈るべきでは ないだろうか?・・・ 私たちはキリストの福音の純粋な原則、すなわち自尊心ではなく、 愛と柔和と心の謙遜を持った敬虔を熱心に啓発しよう。そうすればわ たしたちの兄弟を愛し、彼らを自分自身よりも優った者とみなすよう になるであろう。わたしたちの心は醜聞とうわさ話に捕えられないよ うになるであろう。」―牧師への証と福音宣教者 p.504,505.p.164. 5. この批判はマリヤにどんな影響を与えましたか?イエスは彼女の行動に全 く違った特徴を与えられ、何と言われましたか?

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マタイ 26:10「イエスはそれを聞いて彼らに言われた、『なぜ、女を 困らせるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。』 」 マルコ 14:6「するとイエスは言われた、 『するままにさせておきなさ い。なぜ女を困らせるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。』 」 「マリヤはこの非難の声をきいた。彼女の心はふるえた。彼女は、 姉のマルタが自分の浪費を責めるだろうと恐れた。主もまた自分のこ とを思慮の足りない女だと思われるだろう。あやまりも、言い訳もし ないで、彼女は引きさがろうとした。するとその時、「するままにさ せておきなさい。なぜ女を困らせるのか」という主の声がきこえた(マ ルコ 14:6)。主は、マリヤがまごつき、困っているのをごらんになっ た。主は、マリヤがこの奉仕の行為を通して、自分の罪のゆるしに対 する感謝の気持を表わしたことをお知りになって、彼女を安心させら れた。非難のつぶやきをおさえる声をあげて、主はこう言われた、 『わ たしによい事をしてくれたのだ。貧しい人たちはいつもあなたがたと 一緒にいるから、したいときにはいつでも、よい事をしてやれる。し かし、わたしはあなたがたといつも一緒にいるわけではない。この女 はできる限りの事をしたのだ。すなわち、わたしのからだに油を注い で、あらかじめ葬りの用意をしてくれたのである』 (マルコ 14:6-8)。 」 ―各時代の希望中巻 p.385,386. 良い行いを理解し良い知らせを宣べ伝える 6. イエスはマリヤの行動の動機を評価し、誰でも理解できるように何と言われ ましたか?非常に多くの人々がイエスのためにこのような良いことをしました か? マタイ 26:11,12「貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるが、 わたしはいつも一緒にいるわけではない。この女がわたしのからだに この香油を注いだのは、わたしの葬りの用意をするためである。」 マルコ 14:7,8「貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるから、 したいときにはいつでも、よい事をしてやれる。しかし、わたしはあ なたがたといつも一緒にいるわけではない。この女はできる限りの事 をしたのだ。すなわち、わたしのからだに油を注いで、あらかじめ葬 安息日学校教課

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りの用意をしてくれたのである。」 「キリストは、弟子たちの心に批判と悪い考え方の種をまいた者に、 どんなにでも鋭い教訓をお与えになることができた。・・・裏切り者 のことばがむなしいみせかけにすぎないことをばくろすることもお できになった。なぜなら、ユダは、貧しい人たちに同情するどころか、 その救済にあてられる金を盗んでいたからである。・・・ マリヤは、救い主の死体に惜しまずふりかけようと思っていたかお り高い献げ物を、主の生きたお体にそそいだのである。葬りの時だっ たら、そのかおりは墓の中にたちこめるだけであるが、いまそれは、 彼女の信仰と愛についての確証とともに主の心を喜ばせた。アリマタ ヤのヨセフとニコデモは、愛の献げ物を、イエスが生きておられる時 にささげなかった。にがい涙とともに、彼らは、主の冷たい、意識の なくなったお体のために高価な香料を持参した。香料を墓に持って行 った婦人たちは、主がよみがえられたので、自分たちの用事がむだで あったことを知った。しかしマリヤは、救い主が彼女の信心をみとめ てくださることができる間に、主に愛をそそぐことによって、葬りの ために主に油をそそいだのであった。こうして主は、その大いなる試 練という暗黒の中を進んで行かれた時に、この行為の思い出、すなわ ちあがなわれた者が永遠に主に対してささげる愛の保証をたずさえ て行かれたのであった。 」―各時代の希望中巻 p.388,386. 7. イエスの言葉によると、この女の感謝を示す誠実な行動の実は何でした か?この話を心に留める時、わたしたちは他の人々の行動や噂をどのように 注意深く裁かないようにしますか? マタイ 26:13「よく聞きなさい。全世界のどこででも、この福音が宣 べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろ う。」 マルコ 14:9「よく聞きなさい。全世界のどこででも、福音が宣べ伝 えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう。 」 「『よく聞きなさい。全世界のどこででも、この福音が宣べ伝えら れる所では、この女のした事も記念として語られるであろう』(マタ イ26:13)。将来をごらんになって、救い主は、福音について確信をも 74

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って語られた。福音は全世界にのべ伝えられるのであった。そして、 福音がひろがるかぎりどこまでも、マリヤの献げ物はそのかおりを放 ち、人々の心は彼女の自然に発した行為によって恵まれるのであった。 国々は起り、そして倒れるであろう。君主たちと征服者たちの名前は 忘れられるであろう。しかしこの婦人の行為は、聖史のページに永久 に残るであろう。世にあるかぎり、あの割られた香油のつぼは、堕落 した人類に対する神の豊かな愛の物語を告げるのである。」―各時代 の希望中巻p.387. 瞑想のために 「キリストは、マリヤが主のみこころをなそうと熱心に望んだこと をよろこばれた。主は、弟子たちが理解しなかった、また理解しよう としなかった純粋な愛という富を受け入れられた。主のためにこの奉 仕をしたいというマリヤの願いは、キリストにとってこの世のすべて の貴重な香油よりもとうとかった。なぜならこの願いに、世のあがな い主に対する感謝があらわされていたからである。彼女にそうするよ うに迫ったのはキリストの愛であった。キリストの品性の比類のない 美しさが彼女の魂を満たしたのであった。あの香油は、ささげた者の 心の象徴であった。それは天の流れを溢れるまで受け入れた愛が外に 向かって表現されたのであった。」―各時代の希望中巻p.390.

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Lesson 11

もし彼が知っていたなら

2013.09.14

「自分の無力を感じ、救い主の徳に全く信頼する者ほど、無力に見 えても、実際は打ち勝ち難い者は他にない。祈りと神のみ言葉の研究 と神の絶えざる臨在を信ずる信仰により、最も弱い人間も、生けるキ リストと共に生きることができ、キリストはその手の中に彼らを支え、 決して離されない。」―ミニストリー・オブ・ヒーリング p.157.

他の人を裁く 1. マリヤの悔い改めと感謝を思い描く時、シモンの家での彼女の香油のつぼ の捧げものについてルカはどのように言っていますか? ルカ 7:36-38「あるパリサイ人がイエスに、食事を共にしたいと申し 出たので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。するとそ のとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓に着 いておられることを聞いて、香油が入れてある石膏のつぼを持ってき て、 泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイ エスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻し て、香油を塗った。」 「マリヤは主を愛した。イエスがマリヤの多くの罪をゆるし、彼女 の最愛の弟を死から甦がえらせられたので、マリヤはイエスに何をさ し上げても高価すぎるとは思わなかった。香油が貴重であればあるだ け、それを救い主にささげることによって感謝の気持ちを一層よく表 すことができるのであった。」―初代文集 p.284. 2. マリヤがイエスに捧げものをしたのを見た時、シモンは彼女の深い悔い改 めについて考えましたか? ルカ 7:39「イエスを招いたパリサイ人がそれを見て、心の中で言 った、『もしこの人が預言者であるなら、自分にさわっている女がだ れだか、どんな女かわかるはずだ。それは罪の女なのだから。』 」 76

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「主人役のシモンは、マリヤの贈り物に対するユダの非難に心を動 かされ、イエスの行為に驚いた。彼のパリサイ的な誇りは傷つけられ た。彼は、お客たちの多くが不信と不快の思いでキリストを見ている ことを知った。 ・・・ キリストは、シモンのハンセン病をなおすことによって、彼を生け るしかばねから救われたのだった。しかしいまシモンは、救い主が預 言者であるかどうかを疑った。この女が近づくのをキリストがゆるさ れたので、ゆるすことができないほど大きな罪を持っている者として この女を憤然とキリストがはねつけられなかったので、またこの女が 堕落していることをキリストが認めるような様子をされなかったの で、シモンは、イエスが預言者でないと考えたかった。イエスはこん なに無遠慮にふるまっている女について何もご存じないのだ、そうで なければこの女がイエスにさわるのをおゆるしになるはずがないと、 シモンは思った。 しかしシモンがそのように考えたのは、彼が神についてまたキリス トについて知らなかったからであった。彼は、神のみ子が神の方法に 従って、憐れみ深く、やさしく、いつくしみをもってふるまわれなけ ればならないということに気がつかなかった。」―各時代の希望中巻 p.392,393. 密かな考えに対処する 3. シモンはユダのように彼の意見を声に出して言いませんでしたが、誰がそ のことを知っていましたか?イエスは気分を害された者のように彼に近づか れましたか? ルカ 7:40「そこでイエスは彼にむかって言われた、 『シモン、あなた に言うことがある』 。彼は『先生、おっしゃってください』と言った。 」 マタイ 18:15「もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼とふた りだけの所で忠告しなさい。もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得 たことになる。」 「『寛容』は、攻撃に対する忍耐である。すなわち、長く耐え忍ぶ ことである。もし、あなたが寛容であれば、あなたは、自分の兄弟に あるとおもわれている間違いや過ちを他人にもらしたりはしない。あ 安息日学校教課

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なたは、彼をたすけようと努力する。なぜなら、彼は、キリストの血 によって買い取られたものだからである。 ・・・・寛容になるという ことは、陰気になったり、悲しんだり、不機嫌になったり、心をかた くなにしたりすることではなく、そのちょうど反対になることである。 すべての人と平和に生きるように努めなさい。そして、あなたの魂 を囲む雰囲気が心地よく、芳しいものとなるようにしなさい。主は語 られるすべての愚かな言葉をお聞きになる。もし、あなたが人間の利 己的な性質に対して戦うならば、遺伝や悪へ向かう傾向に勝利する働 きにおいて着実に前進するのである。忍耐と寛容、そして辛抱によっ て、あなたは多くの事を成し遂げる。だれか他人の愚かな話によって あなたが辱められることはないということを覚えなさい。そうではな く、あなたが愚かに答えるとき、あなたは自分が獲得することができ たはずの勝利を失うのである。自分の言葉に十分気をつけなさい。」 ―今日のわたしの生涯 p.52. 神の守り 4. 本を読むようにシモンの考えを読まれた時、イエスは二重の間違いをした シモンを悟らせるためにどんなたとえを用いられましたか? ルカ 7:41,42「イエスが言われた、 『ある金貸しに金をかりた人がふた りいたが、ひとりは五百デナリ、もうひとりは五十デナリを借りてい た。ところが、返すことができなかったので、彼はふたり共ゆるして やった。このふたりのうちで、どちらが彼を多く愛するだろうか。 』 」 「ナタンがダビデに対してそうしたように、キリストは譬のヴェー ルの下に急所を突くことばをかくされた。キリストは、自分自身に宣 告をくだす責任を主人のシモンに負わせられた。シモンは、自分がい ま軽蔑している女を罪に陥れたのであった。マリヤはシモンからひど く悪いことをされたのであった。シモンとマリヤは、譬の中の金を借 りた二人に代表されていた。イエスは、この二人が異なった程度の義 務を感じなければならないことを教えようとは考えておられなかった。 なぜなら二人ともそれぞれ決して返すことのできないほどの感謝とい う負債を負っていたからである。しかしシモンは、自分の方がマリヤ よりも正しいと思っていたので、イエスは、彼の不義が実際にどれほ ど大きいものであるかを彼にみとめさせようと望まれた。五百デナリ 78

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の借金が五十デナリの借金よりも大きいように、シモンの罪はマリヤ の罪よりも大きいということを、イエスは、シモンにお示しになりた かったのである。 」―各時代の希望中巻 p.393,394. 両方を助ける 5. 主はシモンの間違いに彼の心の目をどのように開かれましたか?マリヤの 行動と比較して、シモンの何が明らかになりましたか? ルカ 7:44,45 「それから女の方に振り向いて、シモンに言われた、 『こ の女を見ないか。わたしがあなたの家にはいってきた時に、あなたは 足を洗う水をくれなかった。ところが、この女は涙でわたしの足をぬ らし、髪の毛でふいてくれた。あなたはわたしに接吻をしてくれなか ったが、彼女はわたしが家にはいった時から、わたしの足に接吻をし てやまなかった。 』」 「救い主に対するシモンの冷淡さと怠慢は、彼が自分の受けた恵み を感謝していないことをあらわした。彼は、イエスを自分の家へ招待 することによってイエスを尊敬していると思っていた。しかしいま彼 は、自分の本当の姿を見た。シモンがお客のイエスを見抜いていると 思っていた間に、お客はシモンの心を読んでおられた。シモンは、自 分について言われたキリストの批評が真実であることを知った。彼の 宗教はパリサイ主義という衣であった。彼はイエスの憐れみを軽んじ ていた。彼はイエスを神の代表者としてみとめていなかった。マリヤ がゆるされた罪人であったのに、彼はゆるされていない罪人であった。 シモンがマリヤに強制しようと望んだ正義の厳格な法則が、彼を罪に 定めた。」―各時代の希望中巻 p.395. 6. さらにイエスはシモンの心に届くように、マリヤの悔い改めと感謝をどのよう に表現されましたか?マリヤが赦されたということを彼に伝えることはなぜ必 要でしたか? ルカ 7:46-47「あなたはわたしの頭に油を塗ってくれなかったが、彼 女はわたしの足に香油を塗ってくれた。それであなたに言うが、この 女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少し だけゆるされた者は、少しだけしか愛さない。」 安息日学校教課

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「シモンはいま自分自身を新しい光の中で見はじめた。彼は、マリ ヤが預言者以上のお方からどのように見られているかを知った。彼は、 キリストが鋭い預言者の目をもって彼女の愛と信心を見抜かれたこ とを知った。彼は恥ずかしさにおそわれ、自分よりもすぐれたお方の 前にいることに気がついた。」―各時代の希望中巻 p.394. 7.彼女がしたことと彼女が誰であるかということの両方を人々が批判する一方、 イエスは悔い改めた罪人にどんな癒しのメッセージを与えられましたか?も し誰かの罪が多くても、誠実な信仰によって何が可能ですか? ルカ 7:48-50「そして女に、 『あなたの罪はゆるされた』と言われた。 すると同席の者たちが心の中で言いはじめた、『罪をゆるすことさえ するこの人は、いったい、何者だろう』。しかし、イエスは女にむか って言われた、『あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行 きなさい。 』 」 「過ちを犯しやすく、容易に誘惑に屈服する魂は、キリストが特別 に弁護される対象である・・・という事を記憶しなさい。健康な者に 医者が必要なのではなく、病人に医者が必要なのである。同情深い仲 保者が彼らのために弁護しておられるのに、罪深く有限な男女が一人 の魂を罪に定めてよいだろうか? どんな男女もキリストが天の法廷で仲保しておられる魂に無関心 であってはならない。あなたの行動がパリサイ人のように無慈悲で、 サタンが表した批判と罪に定める精神を示してよいだろうか?ああ、 各々の魂が神の御前に自らを低くし、過酷で冷たい心を屈服し砕くべ きではないだろうか?」―クリスチャン教育の基礎 p.275. 瞑想のために 「シモンは、イエスが自分を客たちの前で公然と非難されなかった 親切さに、心を打たれた。シモンは、マリヤに望んだような扱い方を されなかった。彼は、イエスが彼の不義をほかの人たちにばくろする ことを望まれないで、この問題の事実を述べることによって彼の心を 自覚させ、憐れみ深い親切さによって彼の心をやわらげようとされた ことを知った。公然ときびしく非難されたら、シモンは、心をとざし て悔い改めなかったであろうが、忍耐深い教えによって、彼は自分の 80

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誤りをさとった。彼は自分が主に対して大きな負債を負っていること を知った。彼の高慢心はへりくだり、彼は悔い改めた。そしてこの高 慢なパリサイ人は、けんそんで、自己犠牲的な弟子となった。」―各 時代の希望中巻 p.395.

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Lesson 12

王が来られる

2013.09.21

「キリストが勝利の内にエルサレムに入城されたとき、多くの民が ホサナを歌いながら彼を賛美した。しかし救い主の心には喜びがなか った。・・・束縛と破滅を招き、エホバの怒りの暗雲を自ら呼び集め たイスラエルを考えた時、主の御心にはどれほどの深い悲しみがあっ たことだろうか?『わたしの哀願をあなたは頑なに拒絶した。わたし はたびたびあなたに臨む義の審判を保留した。わたしは愛の中であな たの悔い改めを待った。人が自分の子供を忍ぶように、わたしはあな たを忍んだ。しかしあなたは命を得るためにわたしのもとに来ようと もしないのである』とイエスは嘆かれた。」―レビュー・アンド・ヘ ラルド 1901 年 3 月

質素な方法で入城される 1. 主はエルサレムへ近づいた時、弟子たちに何を願われましたか?この 指示は何を明示していますか? マタイ 21:1-3「さて、彼らがエルサレムに近づき、オリブ山沿いの ベテパゲに着いたとき、イエスはふたりの弟子をつかわして言われた、 『向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつながれていて、子 ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いてわたしのところに 引いてきなさい。もしだれかが、あなたがたに何か言ったなら、主が お入り用なのです、と言いなさい。そう言えば、すぐ渡してくれるで あろう。』 」 「イエスは、エルサレムに乗り入れるために、ろばと子ろばを引い てくるように、二人の弟子をおつかわしになった。 ・・・ 『丘の上の千々 の家畜』はイエスのものであるのに(詩篇 50:10)、いま彼は、王とし てエルサレムに入城するためにお乗りになる家畜を手に入れるのに 見知らぬ人の親切にたよられる。しかしこの用事のために弟子たちに お与えになったこまかい指示の中にさえ、ふたたびイエスの神性があ らわされる。 イエスが予告されたように、『主がお入り用なのです』というたの 82

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みはすぐに聞かれた(マタイ 21:3)。イエスは、人が乗ったことのない 小馬を、ご自分の用にえらばれた。弟子たちは、喜びいさんで、この 家畜の上に自分たちの上着をひろげ、それに主をお乗せした。これま でイエスはいつも徒歩で旅行されたので、弟子たちは、主がいまご自 分からろばに乗られることをはじめはふしぎに思った。」―各時代の 希望下巻 p.2. 2. イエスは勝利の入城によって、弟子たちや、人々、宗教指導者たちに どんな印象を与えられましたか?預言によるとイエスは人々に何を 与えられましたか? ゼカリヤ 9:9「シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ば われ。見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって 勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子 馬に乗る。 」 マタイ 21:4,5「こうしたのは、預言者によって言われたことが、成 就するためである。すなわち、『シオンの娘に告げよ、見よ、あなた の王がおいでになる、柔和なおかたで、ろばに乗って、くびきを負う ろばの子に乗って。』」 ヨハネ 12:16「弟子たちは初めにはこのことを悟らなかったが、イエ スが栄光を受けられた時に、このことがイエスについて書かれてあり、 またそのとおりに、人々がイエスに対してしたのだということを、思 い起した。 」 「キリストは、王の入城について、ユダヤ人の慣例に従っておられ た。キリストが乗られた動物はイスラエルの王たちが乗った動物であ って、預言には、このようにしてメシヤが王国にこられるということ が予告されていた。キリストが小馬にお乗りになるやいなや、勝利の 叫びが大気をふるわせた。群衆は、キリストをメシヤ、彼らの王とし て歓呼した。イエスはいま、以前には決しておゆるしにならなかった 敬意をお受けになったので、弟子たちはこのことを、イエスが王位に つかれるのを見ることによって自分たちのうれしい望みが実現され る証拠として受けとった。」―各時代の希望下巻 p.2,3.

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喜びの入城 3. この時弟子や群衆によるどんな喜びが聞こえましたか? マタイ 21:6, 8「弟子たちは出て行って、イエスがお命じになったと おりにし、ろばと子ろばとを引いてきた。そしてその上に自分たちの 上着をかけると、イエスはそれにお乗りになった。群衆のうち多くの 者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切っ てきて道に敷いた。 」 ルカ 19:37「いよいよオリブ山の下り道あたりに近づかれると、大ぜ いの弟子たちはみな喜んで、彼らが見たすべての力あるみわざについ て、声高らかに神をさんびして言いはじめた、」

「彼らの質問は勝利の叫びで沈黙させられる。勝利の叫びは、熱心 な群衆によって何度も何度もくりかえされる。ずっと向こうにいる人 たちも勝利の叫びをあげ、それは周囲の山々や谷にこだまする。する とこんどはエルサレムからやってきた群衆が行列に加わる。過越節に 集まった群衆の中から、幾千の人たちがイエスを歓迎するために出か けてくる。彼らはしゅろの枝をうちふり、聖歌をばく発させてイエス にあいさつする。 ・・・ イエスは、ご自分の地上生涯において、それまでこのようなデモン ストレーションをおゆるしにならなかった。・・・しかしこのように 公然とご自身をあがない主として示されることはイエスのみこころ であった。イエスは堕落した世に対するご自分の使命の最後の仕上げ となる犠牲に人々の注意を引こうと望まれた。人々は過越節を守るた めにエルサレムに集まってきていたが、小羊の本体であられるイエス が、自発的な行為によって、ご自身を供え物として聖別された。 ・・・ だからいますべての人の目をイエスに向ける必要があった。イエスの 大いなる犠牲に先立ついろいろな出来事は、人々の注意を犠牲そのも のにひきつけるようなものでなければならない。」―各時代の希望下 巻 p.3,5. 4. イエスは、群衆にどのように受け入れられ、称えられましたか?他に 主の偉大なわざの証人であるどんな人々が賛美しましたか? 84

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マタイ 21:9-11「そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共 に叫びつづけた、『ダビデの子に、ホサナ。主の御名によってきたる 者に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ。』イエスがエルサレムには いって行かれたとき、町中がこぞって騒ぎ立ち、 『これは、いったい、 どなただろう』と言った。そこで群衆は、『この人はガリラヤのナザ レから出た預言者イエスである』と言った。」 ルカ 19:37「いよいよオリブ山の下り道あたりに近づかれると、大ぜ いの弟子たちはみな喜んで、彼らが見たすべての力あるみわざについ て、声高らかに神をさんびして言いはじめた、」 「もしこの喜びの場面が主の苦難と死の前奏曲にすぎないことを知 ったなら、弟子たちにとって生涯の最良の日のように思えたこの日は、 暗雲にとざされたであろう。主はご自分の避けられない犠牲について たびたび彼らにお語りになっていたのであるが、彼らは目の前のよろ こばしい勝利によって主の悲しいことばを忘れ、ダビデの位につかれ た主の輝かしい統治を待ち望んだ。 ・・・ 世界はこのような凱旋式をかつて見たことがなかった。それは世の 有名な征服者たちの凱旋式のようなものではなかった。・・・救い主 のまわりには、罪人に対する主の愛の働きによる輝かしい戦勝記念と なる人たちがいた。主がサタンの権力から救い出された捕虜たちが、 彼らの救いについて神を賛美していた。主が視力を回復しておやりに なった盲人たちが先頭に立っていた。主が舌を動くようにしておやり になったおしたちが一番大きな声でホサナと叫んだ。主がなおしてお やりになった足なえたちが喜びで足どりも軽く、一番元気よく、しゅ ろの枝を折って救い主の前でうち振っていた。」―各時代の希望下巻 p.6,7. すべての人々が満足したわけではない 5. イエスが王として称賛されているのを見て、パリサイ人のある者たち の態度はどのようでしたか? ルカ 19:38,39「主の御名によってきたる王に、祝福あれ。天には平 和、いと高きところには栄光あれ」。ところが、群衆の中にいたある パリサイ人たちがイエスに言った、『先生、あなたの弟子たちをおし 安息日学校教課

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かり下さい。 』 」 「多くのパリサイ人たちが、この光景を見て、ねたみと敵意に燃え、 民衆の人気の流れを変えようとした。彼らは、あらゆる権威をもって、 人々を沈黙させようと試みた。しかし彼らの訴えとおどかしは熱心さ を増したにすぎなかった。彼らはこの大群衆が、数の力で、イエスを 王にすることを恐れた。最後の手段として、彼らは群衆を押しわけて 救い主のおられるところへ近づき、非難と脅迫のことばで、『先生、 あなたの弟子たちをおしかり下さい』とイエスに呼びかけた(ルカ 19:39)。彼らは、こんな騒がしいデモンストレーションは不法であり、 当局から許可されないだろうと断言した。」―各時代の希望下巻 p.7,8. 主にある真の喜び 6. もし弟子たちや子供たちが主を賛美しなかったら何がそうしますか? ルカ 19:40「答えて言われた、『あなたがたに言うが、もしこの人た ちが黙れば、石が叫ぶであろう。』 」 「しかし彼らは、 『あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、 石が叫ぶであろう』というイエスの答えに沈黙させられた(ルカ 19:40)。この勝利の光景は、神ご自身がお定めになったものであった。 それは預言者によって予告されていて、人間には神の目的をそらす力 はなかった。 もし人間が神のご計画を実行しなかったら、神はいのちのない石に 声を与え、石が賛美の叫びをもってみ子を歓呼したであろう。沈黙さ せられたパリサイ人たちが引きさがると、幾百の人々の声がゼカリヤ のことばをとりあげた。『シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの 娘よ、呼ばわれ。見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる 者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの 子である子馬に乗る』(ゼカリヤ 9:9)。 」―各時代の希望下巻 p.8. 7.この暖かい歓迎にもかかわらず、なぜイエスはイスラエルの霊的な状態を 悲しまれましたか?イエスがわたしたちのところへ来られる時、わたしたちの 霊的状態はどうですか? 86

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ルカ 19:41-44「いよいよ都の近くにきて、それが見えたとき、その ために泣いて言われた、『もしおまえも、この日に、平和をもたらす 道を知ってさえいたら……しかし、それは今おまえの目に隠されてい る。 いつかは、敵が周囲に塁を築き、おまえを取りかこんで、四方 から押し迫り、おまえとその内にいる子らとを地に打ち倒し、城内の 一つの石も他の石の上に残して置かない日が来るであろう。それは、 おまえが神のおとずれの時を知らないでいたからである。』 」 ヨハネ 7:38「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その 腹から生ける水が川となって流れ出るであろう。 」 ヨハネ 6:47「よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠 の命がある。 」 「イエスとそのあとに従っている者たちが立っている山の頂から みると、宮は黄金の尖塔をもった巨大な雪の建物のようにみえ た。・・・すべての人の目が救い主に向けられ、自分たちの感じてい る感嘆が主の顔付きにも見られることを期待する。ところが彼らは、 感嘆ではなくて、悲しみの暗い影を見る。・・・しかしこの突然の悲 しみは、偉大な勝利の合唱のさなかにおける悲嘆の調べのようであっ た。・・・イスラエルの王が涙を流しておられる。それは喜びの無言 の涙ではなく、おさえきれない苦悩の涙とうめきであった。 ・・・ イエスの涙は、ご自分の苦難を予想されたためではなかった。 ・・・ イエスの心を刺し通したのは、エルサレムの光景であった。神のみ子 をこばみ、その愛をあざけり、その大いなる奇跡を見ても罪を自覚し ようとしないで、主の生命をとろうとしているエルサレムであった。 あがない主をこばむ罪のうちにあるエルサレムの現状と、エルサレム が、その傷をいやすことのできるただ1人のお方であるイエスを受け 入れていたらどうなっていたかということを、イエスはご存じであっ た。主は、エルサレムを救うためにおいでになったのである。どうし て こ の 都 を あ き ら め る こ と が で き よ う 。」 ― 各 時 代 の 希 望 下 巻 p.10,11.

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瞑想のために 「イスラエルは恵まれた民であった。神は彼らの宮をご自分の住居 とされた。それは『うるわしく、全地の喜び』であった(詩篇 48:2)。 父親が一人子に対するようなキリストの守りとやさしい愛について 一千年以上の記録がそこにあった。この宮の中で、預言者たちは厳粛 な警告を語った。そこでは、燃える香炉が揺れ、香煙が礼拝者の祈り にまじって、神のみもとへのぼって行った。そこでは、キリストの血 を象徴して、動物の血が流された。そこでは、エホバが贖罪所の上で ご自身の栄光をあらわされた。そこでは、祭司たちが職務をとり行な い、長年にわたってきらびやかな象徴と儀式が続けられた。しかしこ うしたことのすべては終わらねばならない。・・・ もしエルサレムが救い主を受け入れていたら、エルサレムのものと なったかもしれない輝かしい運命が、神のみ子の前に浮かんだ。エル サレムは、救い主を通して、その悲しむべき病気をいやされ、束縛か ら解放されて、地上の偉大な首都として固く立ったかもしれないとい うことを、イエスはごらんになった。エルサレムの城壁から平和のは とがすべての国々に飛んで行ったであろう。エルサレムは、世界の栄 光の王冠となったであろう。」―各時代の希望下巻 p.12,13.

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Lesson 13

実のない木

2013.9.28

「あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、 それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。」―ヨハ ネ 15:8

実を探す 1. イエスがベタニヤからエルサレムへ行かれる途中で何を感じられました か? マタイ 21:17,18 「それから、イエスは彼らをあとに残し、都を出て ベタニヤに行き、そこで夜を過ごされた。朝はやく都に帰るとき、イ エスは空腹をおぼえられた。 」 「しばらくの間イエスは宮にいて、悲しそうな目つきで宮をながめ ておられた。それから弟子たちといっしょに退いて、ベタニヤへ帰ら れた。人々がイエスを王座につけるためにさがし求めた時、イエスは みつからなかった。・・・ 一晩中イエスは祈りのうちに過ごされ、朝になってふたたび宮にこ られた。途中、イエスはいちじくの園を通りかかられた。主はおなか がすいておられたので」―各時代の希望下巻 p.20. 2. イエスは道のそばの何に気づかれましたか?それを見たイエスの自然な欲 求は何でしたか? マタイ 21:19「そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるの を見て、そこに行かれたが、・・・」 葉のほかは何もない 3. イエスが葉を見られたときの落胆はどれほど大きかったですか?その季節 でなかったなら、落胆は正しいことでしたか?

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マタイ 21:19「・・・ただ葉のほかは何も見当らなかった。 ・・・」 マルコ 11:13「そして、葉の茂ったいちじくの木を遠くからごらんに なって、その木に何かありはしないかと近寄られたが、葉のほかは何 も見当らなかった。いちじくの季節でなかったからである。 」 「その時は、ある場所を除けば、いちじくの熟する季節ではなかっ た。エルサレム周辺の高地では、当然「いちじくの季節でなかった。」 しかしイエスがおいでになった果樹園の中では、一本の木がほかのす べての木よりも早いようにみえた。その木はすでに葉におおわれてい た。葉が開く前に実がみのるのがいちじくの木の性質である。だから 葉の茂ったこの木にはよく熟した実がありそうにみえた。しかしそれ は見かけ倒しであった。木の枝を一番下からてっぺんの小枝までさが しても、 『葉のほかは何も見当らなかった』(マルコ 11:13)。見かけだ けたくさんの葉が茂っていたが、それ以外には何もなかった。」―各 時代の希望下巻 p.20. 4. みかけはよくても葉だけで実のならない木をイエスが見つけられた時、その 木にどんな厳しい宣告をされましたか? マタイ 21:19,20「そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があ るのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当らなかった。 そこでその木にむかって、『今から後いつまでも、おまえには実がな らないように』と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。 弟子たちはこれを見て、驚いて言った、『いちじくがどうして、こう すぐに枯れたのでしょう。』」 マルコ 11:14,20,21「そこで、イエスはその木にむかって、『今から 後いつまでも、おまえの実を食べる者がないように』と言われた。弟 子たちはこれを聞いていた。朝はやく道をとおっていると、彼らは先 のいちじくが根元から枯れているのを見た。そこで、ペテロは思い出 してイエスに言った、『先生、ごらんなさい。あなたがのろわれたい ちじくが、枯れています。』」 「キリストがいちじくの木をのろわれた行為は、弟子たちを驚かせ た。それはキリストの方法やみわざにふさわしくないものに思えた。 90

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これまでしばしば彼らは、わたしは世を罪に定めるためではなくわた しを通して世が救われるためにきたのだと、キリストが宣言されるの をきいた。彼らは、『人の子は人の生命を滅ぼすためではなく、これ を救うためにきたのである』と言われたキリストのことばを思い出し た(ルカ 9:56・英語訳聖書)。これまでキリストのふしぎなみわざは、 決して滅ぼすためではなく、回復するためになされた。弟子たちは回 復してくださるお方、いやしてくださるお方としてしかキリストを知 らなかった。しかしこの行為だけは目立っていた。その目的は何であ ろうと、彼らはたずねた。 『神はいつくしみを喜ばれ』 『主なる神は言 われる、わたしは生きている。わたしは悪人の死を喜ばない』(ミカ 7:18、エゼキエル:11)。神にとって滅ぼすわざと刑罰の宣言とは、 『異 なったものである』(イザヤ 28:21)。しかし神が未来の幕を開いて、 罪の行為の結果を人々に示されるのは、憐れみと愛によるのである。」 ―各時代の希望下巻 p.21. いちじくの木の実物教訓 5. 預言にあるぶどう園のように、誰が葉だけのいちじくの木を代表していました か? イザヤ 5:1,2,5-7「わたしはわが愛する者のために、そのぶどう畑に ついてのわが愛の歌をうたおう。わが愛する者は土肥えた小山の上に、 一つのぶどう畑をもっていた。彼はそれを掘りおこし、石を除き、そ れに良いぶどうを植え、その中に物見やぐらを建て、またその中に酒 ぶねを掘り、良いぶどうの結ぶのを待ち望んだ。ところが結んだもの は野ぶどうであった。それで、わたしが、ぶどう畑になそうとするこ とを、あなたがたに告げる。わたしはそのまがきを取り去って、食い 荒されるにまかせ、そのかきをとりこわして、踏み荒されるにまかせ る。わたしはこれを荒して、刈り込むことも、耕すこともせず、おど ろと、いばらとを生えさせ、また雲に命じて、その上に雨を降らさな い。万軍の主のぶどう畑はイスラエルの家であり、主が喜んでそこに 植えられた物は、ユダの人々である。主はこれに公平を望まれたのに、 見よ、流血。正義を望まれたのに、見よ、叫び。 」 「いちじくの木がのろわれたのは、実地に示された譬であった。キ リストの面前で、見せかけの葉をひらひらさせている実のならないこ 安息日学校教課

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の木は、ユダヤ国民の象徴であった。 救い主は、イスラエル滅亡の原因と必然性を弟子たちにはっきり示 したいと望まれた。この目的のために、主はこの木に道徳的性質をさ ずけ、これを天来の真理の解説者とされた。ユダヤ人はほかのすべて の国民とは異なっていて、神への忠誠を公言していた。彼らは神から 特別に恵まれ、ほかのどんな民にもまさる義を主張していた。しかし 彼らは世俗への愛着と利欲によって堕落していた。彼らは知識を誇っ たが、神のご要求については無知であり、偽善に満ちていた。実のな らないいちじくの木のように、彼らはみせかけの枝を高くひろげて外 観を誇り、目に美しかったが、 『葉のほかは何も』生じなかった(マル コ 11:13)。ユダヤ人の宗教は、壮麗な神殿、その聖なる祭壇、帽子を かぶった祭司たちと印象的な儀式があって、外観はまことに美しかっ たが、謙遜、愛、慈悲に欠けていた。」―各時代の希望下巻 p.21,22. わたしたちに求められているもの 6. 主はすべての木に何を求められていますか?実のならない木には何が起 きていますか? ルカ 13:6-9「それから、この譬を語られた、 『ある人が自分のぶどう 園にいちじくの木を植えて置いたので、実を捜しにきたが見つからな かった。そこで園丁に言った、『わたしは三年間も実を求めて、この いちじくの木のところにきたのだが、いまだに見あたらない。その木 を切り倒してしまえ。なんのために、土地をむだにふさがせて置くの か』。 すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのまま にして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。 それで来年実がなりましたら結構です。もしそれでもだめでしたら、 切り倒してください。 』 」 「キリストのエルサレム訪問の前に語られたいちじくの木の譬は、 実のならない木をのろうことによって教えられた教訓と直接に関係 があった。譬の中の実のならない木について園丁はこう懇願した、 『こ としも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料を やって見ますから。それで来年実がなりましたら結構です。もしそれ でもだめでしたら、切り倒してください』(ルカ 13:8,9)。実をむすば ない木にもっと手入れを施すことになった。これにあらゆる利点を与 92

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えることになった。しかしそれでも実がならなかったら、どんなこと もそれを破滅から救うことはできない。この譬の中には、園丁の働き の結果は予告されなかった。それはキリストがこのことばを語られた 人々の態度にかかっていた。彼らは実のならない木によって象徴され ていた。彼らの運命を決定するのは彼ら自身であった。天の神がお与 えになることのできるあらゆる利点が彼らに与えられたが、彼らは増 し加えられた祝福から益を受けなかった。その結果は、実のならない いちじくの木をのろわれたキリストの行為によって示された。彼らは 自 分 自 身 の 破 滅 を 決 定 し た の で あ っ た 。」 ― 各 時 代 の 希 望 下 巻 p.24,25. 7. わたしたちが実を結ぶようにどんな霊感による勧告が与えられています か? ヨハネ 15:5「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。も し人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながってお れば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あ なたがたは何一つできないからである。」 マタイ 7:21 「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天 国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけ が、はいるのである。」 「敬虔の模範は秩序立った生涯を伴わずに語るどのような偉大な 雄弁よりも多くの真理を表すであろう。魂のともし火を整え聖霊の油 で満たしなさい。キリストの恵み、すなわち確実な自覚力を持って成 功裡に働くことができるようにしてくださる彼の恵みを求めなさい。 イエスから学ぶという事は、彼が命を捨てられた魂たちのために働く という意味である。生涯の希望であり力であられるキリストが内在し ていなければ、最も才能ある働き人であっても何もすることはできな い。良い実を結ぶためにはまず木が良い物でなければならない。」― オーストリア・ユニオン・カンファレンス・レコード 1902 年 7 月 15 日

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瞑想のために 「この警告はどの時代にもあてはまる。キリストがご自分の力でつ くられた木をのろわれたこの行為は、すべての教会とすべてのクリス チャンにとって一つの警告である。人に奉仕しないならば、だれも神 の律法を生活に実行しているとはいえない。ところがキリストの憐れ み深い、無我の生活を実行していない人が多い。自分はりっぱなクリ スチャンであると考えている人々が、神に奉仕することがどんなこと であるかをわかっていない。・・・生活のすべての点において、これ が彼らの目的である。人のためではなく、自分自身のために、彼らは 奉仕するのである。神は、無我の奉仕を行わねばならない世界に住ま わせるために、彼らをつくられた。神は、彼らがあらゆる方法で同胞 を助けるように計画された。しかし自我があまりに大きいために、彼 らはほかのものは何も見ることができない。彼らは人間と接触してい ない。このように自我のために生きる者は、すべてがみせかけだけで 実のならないいちじくの木と同じである。彼らは礼拝の形式を守って いるが、悔い改めもなければ信仰もない。口先では神の律法を敬って いるが、服従が欠けている。彼らは口では言うが、行わない。 いちじくの木に対する宣告の中に、キリストは、このようなむなし いみせかけがキリストの御目にどんなに憎むべきものであるかを実 際に示しておられる。」―各時代の希望下巻 p.23,24.

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2013 年第 3 期


世界総会家族部からの伝道報告 2013 年 8 月 31 日安息日にお読みください。 特別安息日学校献金は2013年9月7日に捧げられます。

神の恵みによって 2012 年南アフリカで開かれた世界総会において家 族部を新設することになりました。まずヨシュア 24:15 の御言葉で神を 賛美いたします。 「ただし、わたしとわたしの家とは共に主に仕えます」 。 これは家族部の目標でもあります。 新設された世界総会家族部は社会の中心である家庭に勧告と支援を し、キリストが中心となる家庭をつくる助けをします。「キリストは全 ての純粋な愛情の流れを回復し、向上し、純潔にし、高尚にして、地上 の 家 庭 が 天 の 家 庭 の 象 徴 と な る た め に 来 ら れ た 。」 – (Manuscript 22,1898) Christ Triumphant,p.230. 家族部の主な目的は下記のとおりです。 1.全ての家庭を霊的にはもちろん、人間関係、親子関係、社会的、 物質的または文化的分野において回復させる。 2.神と家庭の密接な関係を通して、家族のすべての構成員と教会、 社会にまでその影響を及ぼすようにする。 3.愛情を純潔にし、清い愛が家庭の生ける原則となるようにする。 4.家族の構成員たちが互いに高尚な関係を維持し、聖書と証の書に 調和するようにする。 このような目標を達成するために多くのセミナーを開催する予定で す。計画を立てて様々なマニュアルや出版物などを準備し、ユニオンや フィールドなどと協力して働きます。各教会組織に家族部をつくってこ の部署を運営するための資金を集めます。家族部は神が制定された聖な る「家庭」という制度が光を失っていく今日の社会において、クリスチ ャン家庭が生ける模範を示すことのできるように支援を惜しみません。 全世界の兄弟姉妹方が豊かな献金を捧げてくださいまして、全ての教 会の家庭が発展と繁栄と回復を成し遂げ、社会に貢献することができる ように努力してくださることをお願いいたします。この目的のために集 められた献金は私たちみなを高尚にし、有益にするための影響力を発揮 することでしょう。家庭は私たちみなが属したところなので、この目的 のために神のご命令を実践に移すならば、愛する家族たちと共に幸福に 安息日学校教課

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住むようになることでしょう。「こういうわけで、わたしはひざをかが めて、天上にあり地上にあって『父』と呼ばれているあらゆるものの源 なる父に祈る」(エペソ 3:14-15) 。 「信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、 恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り」 (ヘブル 11:7) 。 家族の救いと主にお会いしたいとの熱望がすべての親たちの最優先の 関心とならなければなりません。私たちの献金が家族の救いと社会の善 のために使われて、救い主イエス・キリストの御言葉と救いの賜物がみ なさんに及ぶようになることをお祈りいたします。 世界総会家族部 ラケル・オールチェ

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全国各地の日没表 札

名 古 屋

鹿 児 島

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月/日

IMS・セブンスデー・アドベンチスト教会 〒905-0005 沖縄県国頭郡今帰仁村字湧川 1300-1 Tel: 0980-56-3278 携帯: 080-3906-2369(SoftBank) Email : sda1888@live.jp http://www.sda1888.com/ ※わたし達の印刷物は皆様の献金によって支えられています。 より多くの人々に福音を伝える為に皆様の惜しみない献金を宜しくお願いたします。 郵便振替:10310―37040581 アイエムエス・エスディ―エー教会 安息日学校教課

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2013年第3期安息日学校教課  

イエスの生涯、働き、教えpart3-1 Life, Work, and Teaching of Jessus Part 3-1

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