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Life, Work, and Teachings of Jesus part 3

安息日学校教課

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2013 年第 4 期


For the Second Half Year 2013

Life, Work, and Teachings of Jesus Part 3

Receiving Jesus Message

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イエスの生涯、働き、教え

Author: Antonino Di Franca Review and editing of content by the General Conference Ministerial Department Translation, editing, and design by the General Conference Publishing Department 安息日学校教課

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まえがき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・08 14 課 10/05

二回目のきよめ ・・・・・・・・・・・・・・・・10

15 課 10/12

質問と答え ・・・・・・・・・・・・・・・・・・17

16 課 10/19

管理人から強奪者へ ・・・・・・・・・・・・・・23

17 課 10/26

カイザルのものはカイザルに ・・・・・・・・・・29

ミャンマーからの伝道報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・35 18 課 11/02

復活の時に何が起こるのか ・・・・・・・・・・・37

19 課 11/09

偉大な律法 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・44

20 課 11/16

ダビデの子、ダビデの主 ・・・・・・・・・・・・50

21 課 11/23

パリサイ人の罪 パート1・・・・・・・・・・・・56

22 課 11/30

パリサイ人の罪 パート2・・・・・・・・・・・・62

23 課 12/07

不服従とその結果 ・・・・・・・・・・・・・・・69

24 課 12/14

ギリシャ人との会話 ・・・・・・・・・・・・・・76

25 課 12/21

深い教え ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・82

26 課 12/28

時のしるし ・・・・・・・・・・・・・・・・・・89

イギリスからの伝道報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・96 安息日学校教課

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まえがき 皆さんは「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は決して滅びること がない」 (ルカ 21:33)と語っている人を見たことがあるでしょうか?全ての 人は人間にはこのような宣言をすることはできないという事を良く知ってい ます。たとえ誰かがこのようなことを語ったとしても、それは決して成就され ることはないでしょう。わたしたちは多くのことを語りつつ生きていますが、 それらはまるでもみ殻のようなもので、時間がたつと消えて行きます。 しかしイエスの御言葉はそうではありません。彼は原則を与えられました。 そしてその原則は生き続けて、全ての試練に勝利させるでしょう。イエスは約 束を与えられました。イエスは数世紀を経てもその約束を忘れられず、最も適 切な時に成就されるでしょう。イエスの御言葉は力を失わずに完全に成就され るのです。 「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない」 (マタイ 24:35)。 主のメッセージは人間のスピーチのようなものではありません。彼の御言葉 はたとえすぐには成就されなくても、力があり効果的であります。民が癒しと 自由と助けを求めた時、彼らはひと月や数週間もしくは何時間も待つ必要はあ りませんでした。 「イエスは彼にむかって言われた、 『わたしに何をしてほしい のか』。その盲人は言った、『先生、見えるようになることです』。そこでイエ スは言われた、 『行け、あなたの信仰があなたを救った』。すると彼は、たちま ち見えるようになり」 (マルコ 10:51-52) 。 「『あなたに命じる。起きよ、床を取りあげて家に帰れ』と言われた。する と彼は起きあがり、すぐに床を取りあげて、みんなの前を出て行ったので」 (マ ルコ 2:11-12)。イエスの御言葉は神の霊によるものであり、その御言葉が民の うちで生ける命となったので、このような驚くべき奇跡が起きたのであります。 「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなた がたに話した言葉は霊であり、また命である」 (ヨハネ 6:63) 。イエスの御言葉 は肉体的健康と命だけでなく、霊的な癒しと喜びをも与えてくださるのです。 今回の下半期はイエスの生涯と働きと教えに関して勉強していきます。福音 を通してわたしたちは救い主の力ある御言葉と直接接触することができます。 イエスの生命力のある御言葉を聞いた後には何をしなければならないでしょ うか?「わたしのもとにきて、わたしの言葉を聞いて行う者が、何に似ている か、あなたがたに教えよう。それは、地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家 を建てる人に似ている。洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても、それを 揺り動かすことはできない。よく建ててあるからである」 (ルカ 6::47-48) 。 霊感による使命者は福音の驚くべき能力に関して次のように証しています。 「聖書は無限の価値の宝が入っている宝箱である。・・・それは、貴重な鉱石 でいっぱいの鉱山のようです。憐みと真理と愛はわたしたちが見積もる以上に 価値のある物である。この宝はいくら多く供給されても過度にはならない。こ の宝は神の御言の中にあるが、わたしたちはどのようにこれら天の宝の所有者

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になれるかを発見するようになるのに、なぜクリスチャンと公言する多くの 人々は神の御言に興味を感じないのだろうか?神の御言に霊と命がないから であろうか?そうであるなら、イエスがわたしたちに『聖書を調べなさい』と 命じられたのは意味のないことなのであろうか?イエスは『わたしがあなたが たに話した言葉は霊であり、また命である』と言われた。」―クリスチャン教 育の基礎 p.182,183. 「わたしたちの心が神の御言と調和するとき、新しい命がわたしたちの中に 湧き出るであろう。新しい光が御言の一句一句を照らし、魂の中に鳴り響く神 の御声となるであろう。このようにするとき、わたしたちは天の視野を得るよ うになり、進むべき道を知り、今日与えられた特権を最大に、よく活用するこ とができるようになる。 」―クリスチャン教育の基礎 p.80. 質問に答えるためだけに教課に目をとおすだけで満足するならば、わたした ちの霊的生活に大きな益を得ることはないでしょう。命を維持し、活動するエ ネルギーを得るために食物が必要であるように、霊的生活においても同様であ ります。聖書の教訓は毎日研究し、瞑想し、学んだ御言を生活に適用させなけ ればなりません。そのようにする時、わたしたちの霊的生活に変化が起き、驚 くべき祝福を得るようになるでしょう。 「両親は子供といっしょに、聖書を調べなければなりません。両親自身が教 課をよく知るようになれば、子供たちの研究をたすけることができます。毎日 一日のある時を教課の研究のためにあて、その意味を心から理解することもで きないままに、ただ機械的にそのみことばを繰り返すのでなくその土台までさ ぐり、その教えの中に何があつかわれているか、よく理解するようにしなけれ ばなりません。子供たちの無関心は、多くの場合、親に責任があります。両親 が無関心なので、子供たちにも同じ精神がうつるのです。両親が安息日学校に 重要な意味をもたせ、尊敬と尊重の意を払うなら、子供たちはその模範になら うのが常です。 」―安息日学校への勧告 p.56,57 「イエスは力のみなもと、いのちの泉である。イエスはわれわれをみことば に導き、いのちの木から、罪に悩む魂をいやす葉をわれわれに提供される。ま た、われわれを神のみ座に導き、われわれの口に祈りを入れられる。それによ ってわれわれは、神ご自身と親しく接触するのである。」―患難から栄光へ下 巻 p.171. わたしたちがみな命と知恵の清い源であられるイエスの御言葉を通して、霊 的に豊かな益を得るようになることをお祈りいたします。

―世界総会の兄弟姉妹より

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Lesson 14

二回目のきよめ

2013.10.05

「神は御自分の民に協力せよと要求される。短い時間内に終えるべ き偉大な働きがあるのでわたしたちには躊躇する時間がない。神に 『わたしは全てをあけわたします。わたしは自我をあなたに捧げます』 と告げなさい。そして喜びなさい。御言があなたの魂の内に内在し、 あなたの品性を清め純潔にするであろう。神は御自分の子たちが心配 と悲しみで満たされた顔をしているのを望まれない。彼はわたしたち がみな神性を与えられた者として世の堕落を充分避ける力を持って、 そのお方の顔から輝く愛を示すことを望まれる。」―説教と談話 2 巻 p.297,298.

清い宮 1. 使命が終わりに近づいた頃、イエスが宮の外庭に入られた時、どんな不快 な場面がイエスの目に入りましたか?そのような不敬な商売人たちに対して イエスはためらうことなく何をなさいましたか? ルカ 19:45「それから宮にはいり、商売人たちを追い出しはじめて、 」 マルコ 11:15「それから、彼らはエルサレムにきた。イエスは宮に入 り、宮の庭で売り買いしていた人々を追い出しはじめ、両替人の台や、 はとを売る者の腰掛をくつがえし、 」 「キリストは、公生涯の始めに、けがれた商売によって宮をけがし ていた者たちを宮から追い出された。そのきびしい、威厳のある態度 はずるい商人たちの心に恐怖を与えた。公生涯のおわりに、主はもう 一度宮にこられて、そこが前と同じようにけがされているのをごらん になった。事態は前よりもひどかった。宮の外庭は広い家畜置場のよ うであった。動物の鳴き声と貨幣のかん高い音に商人たちの怒った口 論の声がまじり、その中に聖職者たちの声がきかれた。宮の当局者た ちが自ら売り買いと金銭の両替をやっていた。彼らはまったく利欲に 動かされていたので、神の御目にはどろぼうとかわらなかった。」― 各時代の希望下巻 p.28. 10

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2. 神は宮を通してどのような驚くべき目的を成就なさろうとされましたか?神 の御臨在に伴い、民に祝福をもたらすべき祈りの家が何に転落してしまいま したか? マタイ 21:13「そして彼らに言われた、 『わたしの家は、祈の家ととな えられるべきである』と書いてある。それだのに、あなたがたはそれ を強盗の巣にしている」 。 」 ルカ 19:46「彼らに言われた、『わが家は祈の家であるべきだ』と書 いてあるのに、あなたがたはそれを盗賊の巣にしてしまった。」 マルコ 11:17「そして、彼らに教えて言われた、『わたしの家は、す べての国民の祈の家ととなえられるべきである』と書いてあるではな いか。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしてしまった。 」 「ふたたびイエスの鋭い視線がけがされた宮の庭にそそがれた。す べての目がイエスの方へ向けられた。祭司も役人も、パリサイ人も異 邦人も、天の王の威厳をもって目の前に立っておられるイエスを驚き とおそれの念をもって見た。神性が人性を通してひらめき、キリスト は、これまでかつてあらわされたことのなかった威厳と栄光を帯びら れた。主の一番近くに立っていた人たちは、できるだけ群衆の方へ遠 ざかった。少数の弟子たちのほかには、イエスは一人で立っておられ た。あらゆる音がしずまった。深い沈黙は耐えがたいように思われた。 キリストは、すさまじい嵐のように民をゆすぶる力をもって語られた、 「 『わたしの家は、すべての国民の祈の家ととなえられるべきである』 と書いてあるではないか。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣 にしてしまった」(マルコ 11:17)。イエスの声はラッパのように宮じ ゅうに響きわたった。主のみ顔の不興は焼きつくす火のようにみえた。 権威をもって、主は、『これらのものを持って、ここから出て行け』 と命じられた (ヨハネ 2:16)。 ・・・ イエスは宮の保護者としての立場をとられた。主はこれまでこのよ うに堂々たる権威のある態度をとられたことがなかった。主のことば とわざにこれほど大きな力があったことはこれまでになかった。主は エルサレムのいたるところでふしぎなわざを行われたが、これほど厳 粛で印象的な態度をとられたことはなかった。」―各時代の希望下 巻.30,31,34. 安息日学校教課

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宮を清められる 3. イエスはどのような明確な態度をとられましたか?わたしたちは神の家です るべきこととしてはいけないことが何なのかよく理解していますか? マルコ 11:16「また器ものを持って宮の庭を通り抜けるのをお許しに ならなかった。 」 マラキ 3:1-3「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前 に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に 来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言わ れる。その来る日には、だれが耐え得よう。そのあらわれる時には、 だれが立ち得よう。彼は金をふきわける者の火のようであり、布さら しの灰汁のようである。彼は銀をふきわけて清める者のように座して、 レビの子孫を清め、金銀のように彼らを清める。そして彼らは義をも って、ささげ物を主にささげる。」 「神の住居として建てられたこの宮は、イスラエルと世界のために 実物教訓となるように計画されていた。輝く聖なるセラフから人間に いたるまで、すべての被造物が創造主の内住される宮となることが、 永遠の昔から神の目的であった。罪のために人類は神の宮とならなく なった。人の心は、悪のために暗くなり、けがれたものとなったので、 もはや聖なる神の栄光をあらわさなくなった。しかし神のみ子の受肉 によって天の神の目的は達成された。神は人類の中にお住みになり、 救いの恵みを通して、人の心はふたたび神の宮となる。神はエルサレ ムの宮が、すべての魂にとって可能な高い運命についてのたえまない あかしとなるように計画された。しかしユダヤ人は彼らが非常な誇り をもって見ていた建物の意義を理解していなかった。彼らは自分自身 をみたまの聖なる宮としてささげなかった。けがれた商売のそうぞう しさにつつまれていたエルサレムの宮の庭は、肉欲やきよくない思い が入りこんでけがれている心の宮をそのままあらわしていた。宮を世 俗の売る人、買う人からきよめることによって、イエスは、罪のけが れ、すなわち魂を堕落させる世俗的な望み、利己的な欲望、悪習慣な どから心をきよめられるご自分の使命を宣言された。・・・ ・・・キリストだけが魂の宮をきよめることがおできになる。しか し彼ははいることを強制なさらない。主は昔の宮にお入りになったよ 12

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うには心にお入りにならないで、『見よ、わたしは戸の外に立って、 たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたし はその中にはい(る)』と言われる(黙示録 3:20)。 」―各時代の希望上 巻 p.186,187. 考えるべき問題:わたしたちは、わたしたちの心と精神、そして神の 祈りの家からすべての汚れた不完全なものを取り除くために何をす るべきですか? 完全に異なる光景 4. 商人たちとその他の人々が宮から追い出されたのちにだれが宮の庭に入 ってきて大いなる祝福を受けましたか? マタイ 21:14「そのとき宮の庭で、 盲人や足なえがみもとにきたので、 彼らをおいやしになった。」 「宮から逃げる途中、彼らは、大医師イエスをたずねながら病人を 連れてきた一群の人たちに出会った。逃げて行く人たちから話を聞い て、中には引き返す者たちもいた。彼らは、祭司たちと役人たちをひ とにらみで目の前から追い払われたほどの力のあるお方に会うのが こわかった。しかし大勢の者たちが彼らの唯一の望みであるイエスの もとに行こうと熱望して、あわただしく逃げて行く群衆の中を押し進 んだ。群衆が宮から逃げ出したあとには、まだ多くの者が残っていた。 この人たちと新しくやってきた人たちとがいっしょになり、宮の庭は もう一度病人や死にかけている人たちでいっぱいになった。そこでも う一度イエスはこれらの人々に奉仕された。」―各時代の希望下巻 p.32. 5. イエスが宮を清められた後、どのような純潔な声が聖なる宮の庭に響き渡 りましたか? マタイ 21:15「しかし、祭司長、律法学者たちは、イエスがなされた 不思議なわざを見、また宮の庭で『ダビデの子に、ホサナ』と叫んで いる子供たちを見て立腹し、」

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「しばらくして、祭司たちと役人たちは思いきって宮へもどってき た。あわてふためいた気持ちがすこし落ちついてくると、彼らはイエ スが次にどんな行動をとられるかを知りたいという思いにとりつか れた。彼らはきっとイエスがダビデの位につかれるのだと思った。そ っと宮へもどってくると、彼らは、男や女や子供たちが神を賛美して いる声を聞いた。中へはいってみて、彼らは驚くべき光景の前にぼう ぜんと立ちすくんだ。彼らは、病人がいやされ、盲人が視力を回復し、 耳の聞こえない人が聞こえるようになり、足の悪い人が喜びにおどり あがっているのを見た。子供たちがまっさきによろこんでいた。イエ スが彼らの病気をいやされたのである。主は、彼らを両腕にいだき、 彼らの感謝と愛情の接吻をお受けになった。子供たちの中には、人々 に教えておられるイエスの胸によりかかって眠っている者もあった。 いま喜びの声をあげて、子供たちは主を賛美した。彼らは前の日のホ サナをくりかえし、救い主の前に意気揚々としゅろの枝をふった。 『主 のみ名によってはいる者はさいわいである。』 『見よ、あなたの王はあ なたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得』、『ダビデの子に、 ホサナ』と叫ぶ彼らの歓呼に、宮は反響をくりかえした(詩篇 118:26, ゼカリヤ 9:9,マタイ 21:9)。」―各時代の希望下巻 p.32,33. 6.イエスは不敬虔な商売でけがされた宮でどのような祝福された働きを続け られましたか?どのような宗教が魂を神に導きますか? ルカ 19:47「イエスは毎日、宮で教えておられた。祭司長、律法学者 また民衆の重立った者たちはイエスを殺そうと思っていたが、」 ルカ 20:1「ある日、イエスが宮で人々に教え、福音を宣べておられ ると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと共に近寄ってきて、」 ルカ 21:37 「イエスは昼のあいだは宮で教え、夜には出て行ってオ リブという山で夜をすごしておられた。」 マルコ 14:49「わたしは毎日あなたがたと一緒に宮にいて教えていた のに、わたしをつかまえはしなかった。しかし聖書の言葉は成就され ねばならない。」 「イエスが魂の宮の内に入られて住まわれるようにしなさい。その 14

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ようにすれば全ての事が神の秩序通りになされるであろう。」―神の 娘たち p.168. 「神から出ている宗教だけが神へいたる宗教である。神に正しく仕 えるためには、神のみたまによって生れなければならない。みたまは 心をきよめ、思いを新たにし、神を知り愛する新しい能力をわれわれ に与える。それは神のすべてのご要求によろこんで従う心をわれわれ に与える。これが真の礼拝である。それは聖霊の働きの実である。み たまによって、すべての真実な祈りはことばとなり、このような祈り は神に受け入れられる。魂が神を追い求めるところにはどこでもみた まの働きがあらわれ、神はその魂にご自身をあらわされる。神はこの ような礼拝者を求めておられる。神は彼らを受け入れて、ご自分の息 子娘にしようと待っておられる。」―各時代の希望上巻 p.224,225. 私達の中でなされる 神の御働きを喜んで受け入れる 7. 祭司や役人たちが物売りの声や両替商の音は不快に思わなかったのに、 どのような音にはとても怒りましたか?彼らは魂を清められるイエスの教えを 喜んで聞こうとしましたか? マタイ 21:16「イエスに言った、 『あの子たちが何を言っているのか、 お聞きですか。 』イエスは彼らに言われた、 『そうだ、聞いている。あ なたがたは「幼な子、乳のみ子たちの口にさんびを備えられた」とあ るのを読んだことがないのか。』」 マタイ 23:37「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、 おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんど りが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾た び集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じよう としなかった。 」 「祭司たちは歌をやめさせようと努力した。彼らはこの子供たちが 宮を汚すと宣告し、何の理由でこのようなことをしたのかと問い詰め た。彼らはイエスのところに来て『あの子たちが何を言っているのか、 お聞きですか』と聞いた。するとイエスは『あなたがたは「幼な子、 安息日学校教課

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乳のみ子たちの口にさんびを備えられた」とあるのを読んだことがな いのか』と反対に彼らに質問された。 」―レビュー・アンド・ヘラル ド 1889 年 4 月 9 日 「ユダヤ人たちはイエスが宮を汚す商人たちを追い出される姿を 見て、それが人間の力でなされたのでないことを知った。彼らは神と しての権威がイエスを啓発し人性を超えてなされたということを感 じ、悟ることができ、これは彼らをイエスの足下で拝ませるに足る十 分な証拠となった。しかし彼らはイエスを信じないことを堅く決心し た。」―預言の霊 2 巻 p.120. 考えるべき質問:この事件が記録された目的は何ですか? 瞑想のために 「まだなされていない働きがある。宮の庭はまだ清められていない。 彼らがキリストのなされた働きの前にいなければならず、その働きは 宮の清めの後にできるのである。であるからすべての病人たちがイエ スの下に来て、イエスは彼らに手を置き、彼らをすべて癒されたので ある。」–Spalding and Magan Collection, p. 139; see also General Conference Daily Bulletin, February 24, 1899.

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Lesson 15

質問と答え

2013.10.12

「多くの人々は危機において中立であろうとする。しかし、彼らの 目的はくじかれる。だれ一人として中立の立場を守ることはできない。 こうしようと努力する人は、キリストの言葉を成就しているのである。 すなわち、『だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一 方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじる からである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない』 (マタイ 6:24)。自分たちのクリスチャン生涯を、半々にすることに よって始める人々は、その意図が何であれ、ついには敵の側に連なる ようになる。」―この日を神と共に p.240.

大祭司がイエスに質問する 1. イエスが商人たちを宮の庭から追い出された事に不満を抱いた大祭司と 長老たちはイエスのところに来て脅しのようにどのような質問をしましたか? 彼らはイエスの答えを受け入れようとしましたか? マタイ 21:23「イエスが宮にはいられたとき、祭司長たちや民の長老 たちが、その教えておられる所にきて言った、『何の権威によって、 これらの事をするのですか。だれが、そうする権威を授けたのです か。』 」 「イエスが教えておられる宮へ入って行って、彼らはイエスに、 『何 の権威によって、これらの事をするのですか。だれが、そうする権威 を授けたのですか』と質問しはじめた(マタイ 21:23 )。彼らは、イエ スが自分の権威は神からさずけられたのだと主張されるものと期待 した。このような主張をされたら、彼らはそれを否定するつもりであ った。」―各時代の希望下巻 p.34,35. 良心に直接問われる 2. イエスは以前に何度もそうなさったようにこの質問にも直接的な答えを与え られましたか?イエスは大祭司の意図を知りどのような重要で意味深い質 安息日学校教課

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問をされましたか? マルコ 11:29,30「そこで、イエスは彼らに言われた、 『一つだけ尋ね よう。それに答えてほしい。そうしたら、何の権威によって、わたし がこれらの事をするのか、あなたがたに言おう。ヨハネのバプテスマ は天からであったか、人からであったか、答えなさい。』」 「しかしイエスは、ほかの問題に関連しているようにみえる質問で 彼らに応じられた。そしてイエスは、この質問に彼らが答えたらわた しも答えようと言われた。『ヨハネのバプテスマはどこからきたので あったか。天からであったか、人からであったか』とイエスは言われ た(マタイ 21:25)。」―各時代の希望下巻 p.35. 一貫しない推論 3. イエスの質問は宗教指導者たちにとってすぐに答えられるような簡単な質 問でしたか?もし彼らが肯定的に答えたならばどんな結果となりましたか? マルコ 11:31「すると、彼らは互に論じて言った、『もし天からだと 言えば、では、なぜ彼を信じなかったのか、とイエスは言うだろう。』 」 「祭司たちは、自分たちがどんな理屈を並べても、のがれることの できないジレンマに陥ったことを知った。もしヨハネのバプテスマは 天からだと言えば、彼らの矛盾が明らかになる。ではなぜあなたがた はヨハネを信じなかったのかとキリストは言われるだろう。ヨハネは キリストについて、『見よ、世の罪を取り除く神の小羊』とあかしし た(ヨハネ 1:29)。もし祭司たちが、ヨハネのあかしを信じるなら、ど うしてキリストがメシヤであることを否定することができよう。」― 各時代の希望下巻 p.35. 「『自分の命を愛する者はそれを失』う (ヨハネ 12:25)。人が良心 の盾を失う時、彼は天の御使いたちの協力を失っているのである。神 は彼のうちに働いていない。他の霊が彼に自分の考えを吹き込んでい るのである。そして神の働きに対する背教者、裏切り者となることは、 死よりもはるかに深刻なことである。それは永遠の命の損失を意味し ている。キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者はみな 18

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迫害を受ける」―この日を神と共に p.240. 4. 大祭司たちはイエスの質問に否定的に答えることが可能でしたか?ヨハネ のバプテスマと使命が天から来たことを否定するならどんな結果となるはず でしたか? マルコ 11:32「 『しかし、人からだと言えば……』 。彼らは群衆を恐れ ていた。人々が皆、ヨハネを預言者だとほんとうに思っていたからで ある。」 「もし彼らが本当の信念、すなわちヨハネの使命は人からだと宣言 すれば、彼らは怒りの嵐を招くであろう。なぜなら人々はヨハネを預 言者と信じていたからである。」―各時代の希望下巻 p.35. 5. ジレンマに陥った彼らは議論の末どんな答えをしましたか?彼らの答えは、 誠実なものでしたか? ルカ 20:7「それで彼らは『どこからか、知りません』と答えた。 」 ヨハネ 9:29「モーセに神が語られたということは知っている。だが、 あの人がどこからきた者か、わたしたちは知らぬ。」 ヤコブ 1:8「そんな人間は、二心の者であって、そのすべての行動に 安定がない。 」 「熱心な興味をもって、群衆は決定を待った。彼らは、祭司たちが ヨハネの使命を受け入れると告白したのを知っていたので、ヨハネが 神からつかわされたということを問題なくみとめるだろうと期待し た。ところがひそひそと相談し合ってから、祭司たちは何にも言わな いことにきめた。偽善的に無知をよそおいながら、彼らは、『わたし たちにはわかりません』と言った(マタイ 21:27)。するとキリストは、 『わたしも何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言 うまい』と言われた(マタイ 21:27)。」―各時代の希望下巻 p.35. 考えるべき質問:主はこのような正直でない者を祝福なさることがお できですか? 安息日学校教課

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「自分自身に仕えながら、キリストにも仕える人々が多くいる。し かし、これは不可能である。主はご自分の軍隊に憶病者はお受け入れ にならない。ごまかすことはできない。キリストに従う人々はいつで もどのような方法でも要求されればこのお方に仕える用意ができて いなければならない。神は心が誠実で、分別があり、用途の広い人だ けをお受け入れになる。『わたしの味方でない者は、わたしに反対す るものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである』と宣 言なさる (マタイ 12:30) 。 」―この日を神と共に p.240. 妥協の結果 6. イスラエルの人々はどんな深刻な状況ではっきりした立場をとりませんでし たか?主が明確に真理を示されたとき、なまぬるく中立的な態度をとるとい うことは何を示しますか? 列王記上 18:21「そのときエリヤはすべての民に近づいて言った、 『あ なたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか。主が神な らばそれに従いなさい。しかしバアルが神ならば、それに従いなさい。 』 民はひと言も彼に答えなかった。」 黙示録 3:15,16「わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷た くもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。 このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを 口から吐き出そう。」 「暗い雲のように何と恐ろしい欺瞞と盲目がイスラエルを覆った のだろうか!この盲目と背教は突然彼らに迫ったのではなかった。そ れは主が彼らの高慢と罪に対して送られた譴責と警告のみ言葉を気 にかけずにいるにうちに徐々に臨んだ。この恐ろしい危機の時に偶像 崇拝的な祭司たちと、背教した王の前で彼らは中立的な立場に留まっ た。もし神がご自分の民の罪で他のどんな罪よりも嫌悪される罪があ るならば、それは緊急事態において何もしないことである。信仰の危 機における無関心と中立は神に対する最悪の敵意と等しい。」―教会 への証 3 巻 p.280,281.

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7. 祭司たちの不誠実で真理を受け入れる心が全くないのを見られてイエス は何と答えられましたか? ルカ 20:8「イエスはこれに対して言われた、 『わたしも何の権威によ ってこれらの事をするのか、あなたがたに言うまい。』 」 「学者たち、祭司たち、役人たちはみなだまった。彼らは、どうし てよいかわからず、失望し、それ以上キリストに質問を浴びせる元気 もなく、まゆをよせて立ったままであった。臆病と優柔不断のために、 彼らは人々の尊敬を大部分失った。人々はいまそばに立って、これら の高慢な、自らを義とする人たちが敗北するのを見ておもしろがった。 キリストのこうしたすべての言行は重要であって、その影響は、キ リストが十字架につけられ、昇天されてから一層強くみられるのであ った。イエスに対する質問の結果を熱心に待った人々のうちの多くは、 はじめはこの出来事の多かった一日におけるイエスのみことばによ ってイエスにひかれ、最後にはその弟子になることになった。宮の庭 の光景は彼らの心から決して消えなかった。イエスが大祭司と語られ た時、二人の対照はきわだっていた。・・・宮の中でイエスのことば と行いを見聞きした者たちの多くは、その時から、イエスが神の預言 者であることを、心の中に秘めていた。しかし人々の心がイエスに傾 くにつれて、イエスに対する祭司たちの憎しみがました。イエスがご 自分の足にしかけられたわなをのがれられた知恵は、イエスの神性に ついての新しい証拠となったので、彼らの怒りに油がそそがれた。」 ―各時代の希望下巻 p.35,36. 瞑想のために 「二心の男女は、サタンの最高の同盟者である。彼らが自分自身に 対してどんなに好意的な意見を持っていたとしても、彼らは偽善者で ある。神と真理に忠実である人はすべて、それが正しいがゆえに、正 しいことのために堅く立たなければならない。献身していない人々と 共にくびきを負いながら、なお真理に忠実であろうとすることは、絶 対に不可能である。わたしたちは自分自身に仕えている人々や世の計 画に従って働いている人々と結合しながら、天の相談者との関係を失 わずにいることはできない。わたしたちは敵のわなから助け出される かもしれないが、打たれ、傷つけられて、わたしたちの経験は成長が 安息日学校教課

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妨げられ、『不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対である ことを、知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神 の敵とするのである。』 (ヤコブ 4:4)」―この日を神と共に p.240.

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Lesson 16

管理人から強奪者へ

2013.10.19

「キリストはそのぶどう園から、聖潔と無我という実を得たいと渇 望しておられる。キリストは、愛と善意の原則を求めておられる。い かなる美術品であっても、キリストの代表者である人々のうちに、現 されるべき性質と品性の美には匹敵できない。信ずる者を生命から生 命に至る香りとし、そのわざに神の祝福をもたらすものは、彼の魂を つつむ恵みの雰囲気である。」―キリストの実物教訓 p.276.

ぶどう園を任される 1. イエスは農夫の特権と責任を説明するためにどんなたとえを用いられまし たか? マタイ 21:33「もう一つの譬を聞きなさい。ある所に、ひとりの家の 主人がいたが、ぶどう園を造り、かきをめぐらし、その中に酒ぶねの 穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。」 「この譬の中で、家の主人は神を、ぶどう園はユダヤ国民を、かき は彼らの保護となっている神の律法をあらわしていた。やぐらは宮の 象徴であった。ぶどう園の主人は、その繁栄のために必要ないっさい のことをした。『わたしが、ぶどう畑になした事のほかに、何かなす べきことがあるか』と彼は言っている(イザヤ5:4)。このように、 イスラエルに対する神のたゆまない守りがあらわされた。」―各時代 の希望下巻 p.38. 実のなることを期待される 2. ある期間と世話の後、通常ぶどう園に何が期待されましたか?農夫はぶど うの収穫の時期に何をしましたか? マタイ 21:34,35「収穫の季節がきたので、その分け前を受け取ろう として、僕たちを農夫のところへ送った。すると、農夫たちは、その 僕たちをつかまえて、ひとりを袋だたきにし、ひとりを殺し、もうひ 安息日学校教課

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とりを石で打ち殺した。 」 考えるべき質問:主の使命者たちは、誰に栄光を帰し、誰を代表する べきですか? 「そして、農夫たちがぶどう園の収穫のきまった一部を主人に返す べきであったように、神の民はその聖なる特権にふさわしい生活を送 ることによって神をあがめるべきであった。」―各時代の希望下巻 p.39,40. 「神はこの民に大きな特権を与え、ご自分に満ち満ちている富によ って彼らを豊かに祝福された。神は彼らが実を結ぶことを期待された。 彼らはみ国の精神をあらわすべきであった。堕落した邪悪な世界のた だ中にあって、彼らは神のご品性をあらわすべきであった。 彼らは主のぶどう園として、異教民族とはまったく違った実を結ば なければならなかった。・・・神がモーセに教えられたような神のご 品性をあらわすことは、ユダヤ民族の特権であった。・・・これこそ 神がその民に望まれた実であった。彼らは純潔な品性と、清い生活と、 恵みといつくしみとあわれみとで、『主のおきては完全であって、魂 を生きかえらせる』ことを示さなければならなかった(詩篇 19:7)。 」 ―キリストの実物教訓 p.263,264. 3. 主人のわけ前を受け取るためにもっと多くの僕たちが送られた時、彼らはそ れを受け取りましたか? マタイ 21:36 「また別に、前よりも多くの僕たちを送ったが、彼ら をも同じようにあしらった。」 「しかし、わけ前を受け取るために主人からつかわされたしもべた ちを農夫たちが殺してしまったように、ユダヤ人は、神が彼らに悔い 改めを呼びかけるためにつかわされた預言者たちを殺してしまった。 使者たちは次々に殺された。ここまでは譬の適用に疑問はなかったが、 つづく話の中でもその適用はこれにおとらないほど明らかであった。」 ―各時代希望下巻 p.40. 「主のぶどう園を託された農夫は、その信任に不忠実であった。祭 24

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司や教師は民を忠実に教えなかった。彼らは神のいつくしみと憐れみ を人々の前にかかげず、神に対して彼らの愛と奉仕をささげなければ ならないことを示さなかった。これらの農夫は自分の名誉を求めた。 彼らは、ぶどう園からとれる実を専有したいと望んだ。彼らは、人々 の注目と尊敬を自分に集めようとばかり気をつかった。」―キリスト の実物教訓 p.270. 息子に対する強奪者の態度 4. ぶどう園の主人であられる神がご自分の大切な息子を代表者として送られ た時どのようなことが起こりましたか? マタイ 21:37~39「しかし、最後に、わたしの子は敬ってくれるだろ うと思って、主人はその子を彼らの所につかわした。すると農夫たち は、その子を見て互に言った、『あれはあと取りだ。さあ、これを殺 して、その財産を手に入れよう。 』そして彼をつかまえて、ぶどう園 の外に引き出して殺した。」 「神は最後の手段として、『わたしの子は敬ってくれるだろう』と 思って、ご自分のみ子をつかわされた。しかし反抗のために執念深く なった彼らは、『あれはあと取りだ。さあ、これを殺して、その財産 を手に入れよう』 、そうすればぶどう園はわたしたちの手に入り、そ の実は自分勝手にすることができるのだと語りあった。ユダヤのつか さたちは、神を愛していなかった。だから、彼らは神から離れ、正し い解決をお求めになった神の申しいれを、拒絶したのであった。神の 愛する子キリストがぶどう園の領主の権利を擁護するためにこられ たが、農夫たちは、わたしたちはこの人に治められるのを好まないと 言って、彼を侮辱した態度をとった。・・・彼らは、キリストがいつ も示される義の高い水準を憎んだ。・・・そして最後の試み、すなわ ち永遠の生命に至る従順か、永遠の死に至る不従順かを決定する試み が来た時、彼らはイスラエルの聖者を拒絶してしまった。」―キリス トの実物教訓 p.271,272. 「ぶどう園の主人が不従順なしもべたちに最後につかわし、しかも しもべたちにとらえられて殺された愛する子のうちに、祭司たちと役 人たちはイエスとそのさし迫った運命についてはっきりした描写を 安息日学校教課

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見たのであった。すでに彼らは天父が最後の訴えとして彼らに送られ たお方を殺す計画をたてていた。忘恩的な農夫たちの上に加えられた 報復のうちに、キリストを死刑にする者たちの運命がえがかれてい た。」―各時代の希望下巻 p.40. 5. 農夫たちは度が過ぎる悪行を犯すことによって、どんな罰を受けました か? マタイ 21:40,41「 『このぶどう園の主人が帰ってきたら、この農夫た ちをどうするだろうか。』 彼らはイエスに言った、『悪人どもを、皆 殺しにして、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに、そのぶどう 園を貸し与えるでしょう』。 」 「主のみことばにはほかの目的もあった。『このぶどう園の主人が 帰ってきたら、この農夫たちをどうするだろうか』と質問することに よって、キリストはパリサイ人たちがあのような答え方をするように はかられた(マタイ 21:40)。主は彼らが自分自身の上に罪の宣告をく だすようにはかられたのであった。主の警告が彼らのうちに悔い改め を起こさない時に、それは彼らの運命を決定的なものとするのであっ た。そこで主は、彼ら自身が自分たちの上に破滅を招いたことをみと めるように望まれた。主は、彼らの国家的な特権が取り去られること に含まれている神の公義を彼らに示すように計画された。この特権の 喪失はすでに始まっていて、その結果は彼らの宮と都との破滅ばかり でなく、国民の離散となるのであった。 」―各時代の希望下巻 p.41. 信心深い農夫たち 6. イエスは悔い改めない聴衆とイスラエルの民族に何と言われましたか?不 忠実な僕について何と書かれていますか? マタイ 21:43「それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたが たから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与 えられるであろう。」 マタイ 24:48-51「もしそれが悪い僕であって、自分の主人は帰りが おそいと心の中で思い、その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間 26

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と一緒に食べたり飲んだりしているなら、その僕の主人は思いがけな い日、気がつかない時に帰ってきて、彼を厳罰に処し、偽善者たちと 同じ目にあわせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをした りするであろう。 」 「もしユダヤ人がキリストを受け入れたとすれば、キリストはユダ ヤの国を滅びから救おうと望んでおられたのである。だが、ねたみと しっとのために彼らの心は執念深くなっていた。彼らは、ナザレのイ エスをメシヤとして受け入れないことに心を定めてしまった。彼らは 世の光をしりぞけ、それ以来、彼らの生活は暗夜のような暗黒に閉ざ された。・・・ ユダヤ人は民族として、神のみ旨をはたすことができなかった。そ してぶどう園は彼らから取り去られた。彼らが乱用した特権、彼らが 軽んじた務めは他の者たちにゆだねられた。 ぶどう園のたとえは、ユダヤ民族にだけあてはまるのではなく、そ れはわたしたちが学ぶべき教訓でもある。現代の教会は、大きな特権 と祝福を神から受けており、神はそれにふさわしい感謝の行為を期待 しておられる。 」―キリストの実物教訓 p.275. 7. すべての善人や忠実な僕たちはどんな聖なる土台の上に建てています か?このような者たちは主の王国に入る時にどのような驚くべき歓迎の御言 葉を聞くようになりますか? マタイ 21:42「イエスは彼らに言われた、『あなたがたは、聖書でま だ読んだことがないのか、「家造りらの捨てた石が隅のかしら石にな った。これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見え る。」 』」 第一ペテロ 2:6 「聖書にこう書いてある、 『見よ、わたしはシオンに、 選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く。それにより頼む者は、決して、 失望に終ることがない。 』 」 マタイ 24:45,46「主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて 食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。 主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、 さいわいである。 」 安息日学校教課

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「捨てられた石についての預言を引用された時、キリストは、イス ラエルの歴史に実際に起こったことを語られた。この出来事は最初の 宮の建築と関係があった。それは特にキリストの初臨の時代にあては まり、ユダヤ人に特別な力をもって訴えるはずであったが、同時にま た、われわれのためにも教訓となっている。・・・ 神は、限りない知恵をもって、隅のおや石をえらび、それをご自分 で据えられた。神はそれを『堅くすえた隅の石』と呼ばれた。全世界 の人々が彼らの重荷と不幸をその上にのせても、この石はそれらの全 部にもちこたえるのである。彼らがその上に築いても絶対に安全であ る。キリストは『試みを経た石』である。主は、ご自分に信頼する者 を決して失望させられない。主はどのテストにも耐えられた。主は、 アダムの不義と、その子孫の不義の圧力に耐え、悪の勢力に打ち勝っ て余りある者となられた。主はすべての悔い改める罪人がのせる重荷 に耐えられた。不義の心は、キリストのうちに救いをみいだした。主 は『堅くすえた隅の石』である。主によりたのむ者はみな絶対に安全 である。」―各時代の希望下巻 p.41,42,43. 瞑想のために 「教会は、神の目に非常に尊いものである。その外面の装いではな く、世とは全くかけ離れた誠実な敬神さのゆえに、神は教会を重んじ られるのである。神は、その教会員がキリストを知る知識にどの程度 成長しているか、また、霊的な経験にどの程度進んでいるかによって 教会を評価なさる。」―キリストの実物教訓 p.277.

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Lesson 17 カイザルのものはカイザルに

2013.10.26

※ミャンマ―からの伝道報告をお読みください。

「キリストの答は言いのがれではなく、質問に対する率直な答であ った。カイザルの名前と肖像がきざまれているローマの貨幣を手に持 ちながら、イエスは、彼らがローマの権力下に生活しているのだから、 神に対する義務と矛盾しない限り、ローマの求める支持を与えるべき であると宣言された。しかしその国の法律に柔順に従う一方では、い つでも神への忠誠を第一としなければならなかった。」―各時代の希 望下巻 p.50.

罠 1. パリサイ人はイエスの教えを責めるためにどのような罠をかけようと計画しま したか?彼らのスパイたちは何をしましたか? マタイ 22:15「そのときパリサイ人たちがきて、どうかしてイエスを 言葉のわなにかけようと、相談をした。」 ルカ 20:20「そこで、彼らは機会をうかがい、義人を装うまわし者ど もを送って、イエスを総督の支配と権威とに引き渡すため、その言葉 じりを捕えさせようとした。」 「祭司たちと役人たちはキリストの鋭い譴責をだまって聞いた。彼 らはキリストの非難に反ばくすることができなかった。そこで彼らは、 キリストをわなにかける決心を一層固めたにすぎなかった。この目的 をもって、彼らはキリストのところへスパイを送った。すなわち『義 人を装うまわし者どもを送って、イエスを総督の支配と権威とに引き 渡すため、その言葉じりを捕えさせようとした』(ルカ 20:20)。 」―各 時代の希望下巻 p.47. 2. 彼らはスパイとしてだれを送りましたか?彼らはどんなお世辞をいって主に 近づきましたか? 安息日学校教課

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マルコ 12:13「さて、人々はパリサイ人やヘロデ党の者を数人、イエ スのもとにつかわして、その言葉じりを捕えようとした。」 マタイ 22:16「そして、彼らの弟子を、ヘロデ党の者たちと共に、イ エスのもとにつかわして言わせた、『先生、わたしたちはあなたが真 実なかたであって、真理に基づいて神の道を教え、また、人に分け隔 てをしないで、だれをもはばかられないことを知っています。』 」 ルカ 20:21「彼らは尋ねて言った、 『先生、わたしたちは、あなたの 語り教えられることが正しく、また、あなたは分け隔てをなさらず、 真理に基づいて神の道を教えておられることを、承知しています。』」 「彼らはこれまでイエスがしばしば会われたような年とったパリ サイ人でなく、熱烈で、熱狂的で、キリストが知っておられないと彼 らの考えた若者たちを送った。この人たちにヘロデ党の人々が何人か ついて行った。それは、裁判の時に、キリストに不利な証言をたてら れるように、キリストのことばを聞いておくためであった。パリサイ 人たちとヘロデ党の人たちとはこれまで激しく敵対していたが、いま はキリストに対する敵意で一つになっていた。・・・ もし彼らが誠実だったら、『わたしたちはあなたが真実なかたで、 だれをも、はばかられないことを知っています』ということばは、す ばらしい告白であっただろう。しかしこのことばは、あざむくために 語られたのであった。それにもかかわらず彼らのあかしは事実であっ た。パリサイ人たちはキリストが言われたこと、教えられたことが正 しいということを知っていた。だから彼らは、彼ら自身のあかしによ ってさばかれるのである。」―各時代の希望下巻 p.47,49. 異教徒の当局に支払われた税 3. 彼らはどんな狡猾な質問をイエスにしましたか?パリサイ人たちはローマに 税を払うことを正しいと認めましたか? マタイ 22:17「それで、あなたはどう思われますか、答えてください。 カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか。」 ルカ 20:22「ところで、カイザルに貢を納めてよいでしょうか、いけ 30

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ないでしょうか。 」 「イエスに質問した人たちは、彼らの目的を十分かくしたつもりで あったが、イエスは、開かれた本を読むように、彼らの心を読み、彼 らの偽善をばくろされた。・・・ パリサイ人は、ローマ人から税金を取りたてられることにいつもい らだっていた。税金を払うことは神の律法に反すると、彼らは主張し た。いま彼らはイエスをわなにかける機会を発見した。スパイたちが イエスのもとにやってきて、あたかも自分たちの義務を知りたいと望 んでいるかのように、誠実さをよそおいながら、『先生、わたしたち はあなたが真実なかたで、だれをも、はばかられないことを知ってい ます。あなたは人に分け隔てをなさらないで、真理に基づいて神の道 を教えてくださいます。ところで、カイザルに税金を納めてよいでし ょうか、いけないでしょうか』と言った(マルコ 12:14)。 」―各時代の 希望下巻 p.49,47,48. 4. イエスは彼らが意図的に罠をしかけていることを知られて、なんと彼らに質 問されましたか? ルカ 20:23「イエスは彼らの悪巧みを見破って言われた、」 マルコ 12:15「イエスは彼らの偽善を見抜いて言われた、『なぜわた しをためそうとするのか。デナリを持ってきて見せなさい。 』 」 マタイ 22:18,19「イエスは彼らの悪意を知って言われた、 『偽善者た ちよ、なぜわたしをためそうとするのか。税に納める貨幣を見せなさ い。』彼らはデナリ一つを持ってきた。 」

「スパイたちは、イエスが彼らの質問に対して、よいとか、いけな いとか端的に答えられるものと思っていた。もしイエスが、カイザル に税を納めるのは不当だと言われたら、ローマ当局に通報され、反逆 を煽動したというので捕えられるであろう。もしイエスが税を納める のが正当だと宣言されたら、彼らは、神の律法に反していると言って イエスを民の前に告発するつもりであった。しかしいま彼らは、どう してよいかわからないほど敗北したことを感じた。彼らの計画は狂っ 安息日学校教課

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た。彼らの質問がその場で簡単に片づけられてしまったので、もはや それ以上言うべきことがなかった。 」―各時代の希望下巻 p.49,50. 霊感による原則 5. イエスはデナリを受け取られたのちどのような質問をされましたか?彼らは 何を認めざるをえませんでしたか? マタイ 22:20「そこでイエスは言われた、『これは、だれの肖像、だ れの記号か。 』 」 マルコ 12:16「彼らはそれを持ってきた。そこでイエスは言われた、 『これは、だれの肖像、だれの記号か。』彼らは『カイザルのです』 と答えた。 」 ルカ 20:24「デナリを見せなさい。それにあるのは、だれの肖像、だ れの記号なのか。 」 『カイザルのです』と、彼らが答えた。」 考えるべき質問:もしわたしたちが主から答えを得たいと望むのなら、 わたしたちの態度はどうあるべきでしょうか? 「主が答えてくださると考える前に、何か特別な感情が起るのを 待ってはなりません。神にお願いしたものをいただくことができると 信ずる前に、神が自分のために働いてくださる一定の方法をきめては なりません。ただ神のみことばに信頼して万事を神のみ手にゆだね、 神は必ず自分の祈りをみ心に留め、自分のために最もよいとお思いに なる時期と方法を通してお答えになることを心の底から信じ、またそ の祈りを実行なさい。けんそんに歩み、たえず前進をつづけなさい。」 ―神の驚くべき恵み p.289. 6. イエスはどのような公正な霊感の説明を加えられましたか?神の子供たち は税を支払わなくてもいいですか? ルカ 20:25「するとイエスは彼らに言われた、『それなら、カイザル のものはカイザルに、神のものは神に返しなさい。』」

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考えるべき質問:どのような原則が今日にも適用されるべきですか? 「イエスは、貨幣の記号を指さしながら、『カイザルのものはカイ ザルに、神のものは神に返しなさい』と言われた(マルコ 12:17)。 ・・・ 『神のものは神に返しなさい』という救い主のことばは、陰謀をめ ぐらしているユダヤ人にとってきびしい譴責であった。もし彼らが神 に対する義務を忠実に果たしていたら、彼らは敗北した国民となって 外国の権力に服従するようなことにはならなかったのである。ローマ の旗がエルサレムにひるがえることも、ローマの衛兵が城門に立つこ とも、ローマ総督が城内にいて統治することもなかったのである。ユ ダヤ国民は、当時、神から離反した罰金を払っていたのであった。」 ―各時代の希望下巻 p.49,50. 7. スパイたちはこのような明確な答えを聞いた後、何をしましたか?わたした ちは主に属していることと、カイザルに決して与えるべきでない事柄をどのよ うに明確に理解しますか? マタイ 22:22「彼らはこれを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去っ た。」 考えるべき質問:他のどんな実例が聖なることがらと世の事柄の違い を示していますか? 「パリサイ人たちはキリストの答を聞いた時、『驚嘆し、イエスを 残して立ち去った』(マタイ 22:22)。イエスは彼らの偽善と独断を責 められたが、そうすることによって、彼は、一つの大原則、すなわち 一国の政府に対する人の義務の限界と神に対する人の義務とをはっ きり定めている一つの原則を述べられたのであった。多くの人々の心 の中で悩みの種であった問題が解決した。それからのちずっと、彼ら はその正しい原則に従った。多くの者が満足しないまま立ち去ったけ れども、彼らはその問題の根底となっている原則がはっきり示された ことを知って、キリストの深い洞察力に感嘆した。」―各時代の希望 下巻 p.50,51.

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瞑想のために 「偽りを好む傾向のある人々が、悪意ある推測を疑いのない事実と してどん欲なまでに信じても、驚いてはいけません。キリストの反対 者たちは、度々キリストの言葉によって当惑し、沈黙させられました が、それでもなおあらゆる噂話に熱心に耳を傾け、口実を見つけては 彼を妨害するような質問を繰り返したのでした。彼らは決して自分た ちの考えを捨てようとはしませんでした。キリストがそのお働きを続 けられれば、多くの人が彼を信じ、学者やパリサイ人は人々に対する 力を失うことを、彼らはよく知っていました。ですから、彼に対して 悪意ある意図を達成するためには、どんな卑劣な、軽蔑すべき手段で も取りました。彼らはヘロデ党の人々を憎んでいましたが、キリスト を地上から消し去る計画を立てるためには、この宿敵とも手を握った のです。」―セレクテッド・メッセージ 1 巻 p.71.

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ミャンマーからの伝道報告 2013 年 10 月 26 日にお読みください。 特別安息日学校献金は 2013 年 11 月 2 日にあつめられます。 世界中の親愛なる兄弟姉妹へ。 間もなく再臨される王、主イエスキリストの御名によって次の御言を持 って挨拶いたします。 「わたしはあなたがたを思うたびごとに、わたしの神 に感謝し、あなたがた一同のために祈るとき、いつも喜びをもって祈り、 あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを 感謝している。そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、 キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信 している。」 (ピリピ 1:3-6) ミャンマーにおけるわたしたちの教会の働きに関して皆様にお伝えでき ますことは大きな特権であります。まずミャンマーの歴史に対して少し説 明いたします。ミャンマーはアジアにある国家で、東にはタイ、北にはラ オスと中国、西にはインド、西南にはバングラディッシュ、南はベンガル 湾に接しています。ミャンマーは 1948 年までイギリスの植民地で、独立後 にも長い間軍事制裁を受けて来ました。しかし 2010 年からは民主主義が以 前にもまして大きく進展してきています。近年ミャンマーの人口は 7 千万 人程度と推算されています。 ミャンマーの宗教は大きく仏教、プロテスタントキリスト教、イスラム、 ヒンドゥー教に分けられます。最も多いのは仏教であり、人口の約8%程 度がキリスト教を信じています。キリスト教の中でセブンスデー・アドベ ンンチスト教会が最も早くミャンマーに根付きました。セブンスデー・ア ドベンチスト教会の牧師の話によれば現在ミャンマーには彼らの教会員が 3万人以上でいるそうです。 2011 年終りにフィリッピンのレオナルド・ジャスティバ牧師がミャンマ ーを訪問する前まではミャンマーに改革運動教会は存在しませんでした。 12 月 12 日ジャスティバ牧師を通して長老教会の牧師を含めた 7 人の信徒 がバプテスマを受けました。その時から主は未開拓地に他ならなかったミ ャンマーに主の働きを進展させてくださいました。2012 年 3 月 4 日ヤンゴ ンでコルテス牧師を通して 8 人の信徒がバプテスマを受け、2012 年 5 月 1 日にはサン・カン・タン長老を通して 9 人の信徒がマトゥピでバプテスマ を受け、9 月 28 日にはゲンテにいる 11 人の信徒がサン・カン・タン長老 からバプテスマを受けました。2012 年 10 月 13 日にはヤンゴンで数人の信 安息日学校教課

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徒がバプテスマを受けました。そのようにして現在ミャンマーには三つの 地域教会と 45 人の教会員がいます。毎週安息日には真理に関心のある求道 者たちが安息日学校と礼拝に出席しています。二人のフルタイムの働き人 と二人のパートタイムの宣教師が教会の発展のために熱心に働いています。 現在ミャンマーのセブンスデー・アドベンチスト教会とプロテスタント 教会によってわたしたちの教会がユダヤ思想と律法主義に戻っているとい う非難がなされていますが、その非難の中、わたしたちは固く立ち、前進 しています。このような問題の解決を助けるためにIMS教会の歴史をビ ルマ語とテディム語へ翻訳しています。そしてミャンマーの教会は、ミャ ンマーならびに他の国々で現在の真実を説く断固たる決意をしています。 もう一つの問題は教会の本部と集会場をほかの地域に移さなければなら ないという事です。たびたび一つの地域に求道者たちを集めて集会をして きましたが、本部を他の地域に借りていましたので、しばらくして彼らの もとを去らなければなりませんでした。そのために求道者たちを管理する ことのできる安定的な本部事務所を得なければならないという大きな必要 を感じました。 ミャンマーにいるすべてのIMSの信徒たちは全世界の兄弟姉妹がたが 毎日 30 秒だけでもわたしたちの教会のために祈って下さる事を切にお願 いいたします。また全世界の牧師、伝道者、信徒たちがここを訪問してく ださり皆様のタラントをミャンマーの兄弟姉妹と共に分かち合ってくださ ることをお願いいたします。 次の安息日にミャンマーのためにささげられるすべての献金は、わたし たちが考える以上の偉大な働きを成し遂げるということを信じます。皆様 の惜しみない献金がミャンマーでの神の御働きを大きく前進してくださる ことでしょう。 「わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少し しか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。各自は惜 しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりに すべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。神はあなたが たにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足 らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである。」(コリント 第二 9:6-8) 。 ―ミャンマーフィールド スアン・カン・タン

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Lesson 18

復活の時に何が起こるのか

2013.11.02 ※特別安息日学校献金はミャンマーのために捧げられます。 あなたの愛と感謝の賜物を偉大なる創造主に捧げましょう。

「限りある頭脳で神の奥義をさとることができないために、幾千の 人たちが無神論者になる。彼らは神の摂理のうちにあらわされている ふしぎな神の力を説明することができない。そこで彼らは、このよう な力の証拠をこばみ、それをもっと理解することのできない自然の力 のせいにする。われわれをとりまいている神秘を解く唯一の鍵は、そ れらのすべての中に神の存在と力とをみとめることである。人は神を 宇宙の創造者、すべてのことを命令し実行されるお方としてみとめな ければならない。彼らは、神のご品性と神の力の神秘についてもっと 広い見解を持つ必要がある。」―各時代の希望下巻 p.54,55.

族長たちの希望 1. 聖書にはイエスの誕生前に復活のことが書かれていますか?旧約聖書に 書かれている復活についての聖句を説明してください。 ヨブ 19:25~27「わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられ る、後の日に彼は必ず地の上に立たれる。わたしの皮がこのように滅 ぼされたのち、わたしは肉を離れて神を見るであろう。しかもわたし の味方として見るであろう。わたしの見る者はこれ以外のものではな い。(英訳:わたしは肉にあって神を見るであろう。わたしはこのか たを、自分自身で見るであろう。そして、わたしの目がこれを見る。 他の者の目ではない)わたしの心はこれを望んでこがれる。 」 ダニエル 12:2「また地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者 は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また 恥と、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう。 」 「われわれの祖先が、悲しみながらエデンを去った日以来、信仰の 子供たちは、約束のみ子が現われて、破壊者の力をこぼち、失われた 楽園に彼らをふたたび連れもどすのを待っていた。昔の聖者たちは、 メシヤが栄光のうちに来られて、彼らの希望が成就されるのを待ち望 安息日学校教課

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んだ。エデンに住んだ者からわずか七代目に当たるエノクは、この地 上において、三百年の間神と共に歩み、救い主の来臨をはるか遠くか ら見ることを許された。『見よ、主は無数の聖徒たちを率いてこられ た。それは、すべての者にさばきを行うため』であると彼は言った(ユ ダ 14,15)。また家長ヨブは苦難の夜、ゆるがぬ信仰をもって言った。 『わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる、後の日に彼 は必ず地の上に立たれる。・・・・わたしは肉にあって神を見るであろう。 わたしはこのかたを、自分自身で見るであろう。そして、わたしの目 がこれを見る。他の者の目ではない』(ヨブ 19:25-27・英語訳)。 」― 各時代の大争闘下巻 p.336. サドカイ人の推測 2. 聖書に明らかな記録があるにもかかわらず、サドカイ人たちはイエスの日の 復活について何を信じていましたか? ルカ 20:27「復活ということはないと言い張っていたサドカイ人のあ る者たちが、イエスに近寄ってきて質問した、」 「サドカイ人はパリサイ人の言い伝えを否定していた。彼らは、口 では聖書の大部分を信じ、それを行為の原則とみなすと言っていたが、 実際には懐疑主義者であり、物質主義者であった。 サドカイ人は天使の存在や死人の復活や、報いと刑罰を伴う来世に ついての教えを否定した。そうしたすべての点において、彼らはパリ サイ人と異なっていた。特に両者の間の論争のまとは復活についてで あった。パリサイ人は復活をかたく信じていたが、こうした議論にな ると、来世の状態について彼らの見解は混乱するのであった。死は不 可解な神秘となるのであった。サドカイ人の議論に応ずることができ ないので、彼らはいつもいらだちを感じた。両者の議論はたいてい怒 りの口論に終わり、彼らはこれまでよりも一層遠く離れるのであっ た。」―各時代の希望下巻 p.51. 3. 彼らは復活に反対してどんな論争を持ち出しましたか?彼らの信念には聖 書の裏付けがありましたか? ルカ 20:28~33「先生、モーセは、わたしたちのためにこう書いてい 38

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ます、『もしある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだなら、弟は この女をめとって、兄のために子をもうけねばならない。 』ところで、 ここに七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子がなく て死に、そして次男、三男と、次々に、その女をめとり、七人とも同 様に、子をもうけずに死にました。のちに、その女も死にました。さ て、復活の時には、この女は七人のうち、だれの妻になるのですか。 七人とも彼女を妻にしたのですが。 」 」 申命記 25:5「兄弟が一緒に住んでいて、そのうちのひとりが死んで 子のない時は、その死んだ者の妻は出て、他人にとついではならない。 その夫の兄弟が彼女の所にはいり、めとって妻とし、夫の兄弟として の道を彼女につくさなければならない。 」 「この教えを、サドカイ人は信用しないことに心をきめていた。イ エスと論争することによって、彼らは、イエスを罪に定めることはで きないまでも、不評判に陥れることができると確信していた。彼らが イエスに質問するために選んだ主題は復活の問題であった。もしイエ スが自分たちに同意されたら、パリサイ人をますます怒らせることに なる。もし自分たちと意見がちがったら、その教えを嘲笑するつもり であった。 サドカイ人の議論によれば、もし肉体が来世においても現世の時と 同じ物質の分子で構成されるとすれば、死からよみがえった時、それ は肉と血(肉体)をそなえていなくてはならない。そしてこの地上で中 断された生活を永遠の国において続けるべきであるというのである。 その場合、地上の関係が続き、夫と妻は再会し、結婚が行われ、すべ てのことが死ぬ前と同じように続けられ、この世の弱さと欲望が来世 においてもそのまま続くと彼らは結論した。」―各時代の希望下巻 p.53,54. イエス反対に答えられる 4. 彼らの論争を聞いた後、イエスは彼らの反対にどのように答えられました か? マタイ 22:29,30「イエスは答えて言われた、 『あなたがたは聖書も神 の力も知らないから、思い違いをしている。復活の時には、彼らはめ 安息日学校教課

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とったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のような ものである。 』 」 ルカ 20:34,35「イエスは彼らに言われた、 『この世の子らは、めとっ たり、とついだりするが、かの世にはいって死人からの復活にあずか るにふさわしい者たちは、めとったり、とついだりすることはない。』 」 「サドカイ人の信念がまちがっていることをお示しになった。彼ら の前提がまちがっているのであった。『あなたがたがそんな思い違い をしているのは、聖書も神の力も知らないからではないか』と、主は つけ加えられた(マルコ 12:24)。主は、パリサイ人を非難された時の ようにサドカイ人を偽善者呼ばわりしないで、彼らの信念のまちがい を示された。 サドカイ人は、すべての人たちの中で自分たちが一番聖書に忠実で あるとうぬぼれていた。しかしイエスは、彼らが聖書の真の意味を知 っていないということを示された。聖書の知識は聖霊の光によって心 にきざまれねばならない。聖書と神の力について知らないことが、彼 らの信仰の混乱と心の暗さの原因であると、イエスは言明された。彼 らは神の奥義を彼らの限られた考え方で理解しようと努力していた。 キリストは、理解力を広くそして強くするような聖なる真理に、彼ら の心を開くように呼びかけられた。 」―各時代の希望下巻 p.54,55. 5. 復活の後にも結婚生活は続きますか?贖われた人々は、どんな性質を持 つようになりますか? ルカ 20:36「彼らは天使に等しいものであり、また復活にあずかるゆ えに、神の子でもあるので、もう死ぬことはあり得ないからである。 」 「審判において、『あずかるにふさわしい』とされた者は、義人の 復活にあずかる。『かの世にはいって死人からの復活にあずかるにふ さわしい者たちは、・・・・天使に等しいものであり、また復活にあずか るゆえに、神の子でもあるので、もう死ぬことはあり得ない』とイエ スは言われた(ルカ 20:35,36) 。彼は、また、 『善をおこなった人々は、 生命を受けるためによみがえ』って出てくると宣言しておられる(ヨ ハネ 5:29)。つまり、死んだ義人は、審判がすみ『生命を受けるため によみがえ』るにふさわしい者とされるまでは、復活することはない。 40

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したがって、彼らの記録が調査され、運命が決定される時に、彼ら自 身はその法廷にはいないのである。 」―各時代の大争闘下巻 p.214. 聖書的熟考 6. 主は復活の教えを裏付けるために、何と明言されましたか?死の後に復活 がないなら「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」という称号に何の意 味がありますか? マタイ 22:31,32「また、死人の復活については、神があなたがたに 言われた言葉を読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、 イサクの神、ヤコブの神である』と書いてある。神は死んだ者の神で はなく、生きている者の神である。 」 ルカ 20:37,38「死人がよみがえることは、モーセも柴の篇で、主を 『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼んで、これを示し た。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。人はみな 神に生きるものだからである。 」 「もし死人の復活がなければ、彼らが信じると告白している聖書は 何の役にもたたないであろうと、キリストは聴衆に言明された。『ま た、死人の復活については、神があなたがたに言われた言葉を読んだ ことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの 神である』と書いてある。神は死んだ者の神ではなく、生きている者 の神である」と主は言われた(マタイ 22:31,32)。神は無いものを有る かのようにごらんになる。神は始めから終わりをごらんになり、ご自 分の働きの結果をあたかもいま完成されているかのようにごらんに なる。アダムを始めとして、死んだ最後の聖徒にいたるまで、とうと い死人たちは神のみ子の声を聞き、墓から現れて永遠の生命をうける のである。神は彼らの神となり、彼らは神の民となる。神とよみがえ った聖徒たちとの間には密接で親しい関係がある。神の御目的の中に 予期されているこの状態を、神はそれが現在の状態であるかのように ごらんになる。死んだ者は神に生きるのである。」―各時代の希望下 巻 p.55. 7. この答えを聞いた後、ある律法学者たちと大勢の人々は何を認めました 安息日学校教課

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か? マタイ 22:33「群衆はこれを聞いて、イエスの教に驚いた。 」 ルカ 20:39,40「律法学者のうちのある人々が答えて言った、『先生、 仰せのとおりです。』彼らはそれ以上何もあえて問いかけようとしな かった。」 「キリストのことばでサドカイ人は沈黙させられた。彼らはキリス トに答えることができなかった。キリストを罪に定めるためにすこし でも乗ずることのできるようなことばはひとことも語られなかった。 キリストの敵どもは民衆の軽べつ以外に何も得るところがなかった。」 ―各時代の希望下巻 p.55,56. 瞑想のために 考えるべき質問:復活後の救われた人々の肉体的性質に関して推測す ることはわたしたちの益になりますか? 「神の言葉の権威に裏づけられない間違った理屈があちこちから 出てきて、弱い人にはこれらの理屈が人を賢くする真理のように見え るのです。しかし、それらは空しいものです。ところが多くのクリス チャンは、安っぽい食物で満足しきっており、いわば消化不良の宗教 を持っています。なぜ人々は、自分の経験を重んじないでつまらない 話を寄せ集め、それを注目すべきこととして示すのでしょうか。神の 民は、神の要求とは何の関係もない、あいまいで軽薄な考えを取り上 げている時間はないのです。 神は、人々が真面目に率直に考えることをお望みになります。彼ら は、高く、より高く向上し、さらに広い視野を持つべきです。イエス を見つめ、彼の姿に変えられねばなりません。深い、永遠の天の真理 を探求することに時間を用いなければなりません。そうすれば、彼ら の宗教経験に軽薄なことはなくなるでしょう。神の言葉の壮大な真理 を学ぶ時、目に見えない神を見ることができるのです。人の心を最も 高め、高尚にする真理は、すべての真理の源である神と深くつながっ ていることがわかります。そして神のことを学ぶにつれて、彼らの動 機も、思いやりも、確固として動かないものになります。なぜなら、 42

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全知の神によって与えられる印象は、内容があって永続するものだか らです。キリストが与えてくださる生きた水は、浅い泉がしばらくの 間サラサラ流れ、すぐ枯れてしまうようなものではありません。命の 水は湧き出て、永遠の命を与えるのです。」―セレクテッド・メッセ ージ 1 巻 p.171,172.

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Lesson 19

偉大な律法

2013.11.09

「パリサイ人は、創造主に対する人の義務が示されている最初の四 つの戒めを、人間同胞に対する人の義務を規定している他の六つの戒 めよりもはるかに重要なものとしてとうとんでいた。その結果、彼ら は実際的な信心に非常に欠けていた。イエスは人々に彼らの大きな欠 点を示し、木はその実によって知られるのだと言明して、よいわざが 必要であることを教えられた。そのためイエスは、はじめの四つの戒 めよりもあとの六つの戒めをとうとんでおられるという非難を受け ておられた。 」―各時代の希望下巻 p.56.

別のテスト 1. パリサイ人たちはイエスのメッセージが天からのものであることを確信しまし たか?ある一人の律法の専門家が再びイエスを試みようとしてどんな質問 をしましたか? マルコ 12:28「ひとりの律法学者がきて、彼らが互に論じ合っている のを聞き、またイエスが巧みに答えられたのを認めて、イエスに質問 した、『すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか。 』」 マタイ 22:34,35「さて、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人た ちを言いこめられたと聞いて、一緒に集まった。そして彼らの中のひ とりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、」 戒めの基礎 2. 主はこの質問にどのように答えられましたか?イエスがどの聖句を根拠に答 えられたのかを説明しなさい。 マルコ 12:29「イエスは答えられた、 『第一のいましめはこれである、 「イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主で ある。」』 」 44

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申命記 6:4「イスラエルよ、聞け。われわれの神、主は唯一の主であ る。」 出エジプト記 20:2,3「わたしはあなたの神、主であって、あなたを エジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。あなたはわたしの ほかに、なにものをも神としてはならない。」 「神の戒めはその内容が包括的でその意味が深い。わずかな言葉で 人間の全体的な義務を開いて見せている。 」―セレクテッド・メッセ ージ 1 巻 考えるべき問題:十戒の第一条とこの聖句を比べる時何が明らかと なりますか? 「シナイから律法を宣言されたかた、そして、モーセに礼典律の戒 めをお与えになったかたは、山の上で説教をされたお方と同じである。 律法と預言者の基礎として、彼が宣言された神への愛という大原則は、 彼がモーセを通じてヘブル人に語られたものの反復に過ぎなかった。 『イスラエルよ、聞け。われわれの神、主は唯一の主である。あなた は心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さ なければならない。』 『あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなけれ ばならない』(申命記6:4,5,レビ 19:18)。両時代を通じて、教師は同 じである。神の要求されるところは同じである。神の統治の原則は同 じである。なぜなら、『変化とか回転の影とかいうものはない』お方 から、すべてのものがでているからである(ヤコブ 1:17)。 」―人類の あけぼの上巻 p. 433. 3. 聖書によると主を唯一の真の神として受け入れる結果は何ですか?これが 第一の戒めですが、主をわたしたちの生涯においてどこに位置づけるべき ですか? 申命記 6:4~5「イスラエルよ、聞け。われわれの神、主は唯一の主 である。あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなた の神、主を愛さなければならない。 」 「しかし、罪に勝利するために、自分では断固とした努力をしない 安息日学校教課

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で、自分の品性に不思議な変化が見えるのを期待している者は、落胆 するであろう。わたしたちがイエスを見つめている間、恐れる理由は ないし、イエスはご自分のところへ来る者をすべて、最後の一人まで も救うことがおできになるということを疑う理由もないのである。し かし、わたしたちは自分たちの古い性質が再び支配権を持たないよう に、絶えず気をつける必要がある。わたしたちが再びサタンの奴隷に なるようにと、敵が何らかの罠をしかけるからである。わたしたちは 恐れおののいて、自分の救いの達成に努めるべきである。なぜならあ なたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせ るのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。わ たしたちは神がご自身の領域の内で聖であられるようにわたしたち 自身の領域の内でわたしたちの限られた力で聖とならなければなら ない。わたしたちの力が及ぼす範囲内でわたしたちは真理と愛と聖な る品性の卓越性を示さなければならない。蝋(ろう)で印を押すよう に魂は神の霊の印を受けるようになりキリストの御姿を留めるよう になる。わたしたちは、日々霊的美しさに成長すべきである。」―セ レクテッド・メッセージ 1 巻 p.336,337. 4. わたしたちはこれらのみ言葉と調和して、どのように神を愛しますか?わたし たちは日々の生活で真に神を偉大なお方として、また第一としています か? マルコ 12:30「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつ くして、主なるあなたの神を愛せよ。 」 マタイ 22:37「イエスは言われた、『心をつくし、精神をつくし、思 いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。』」 「十戒の最初の四つの戒めは創造主に対するわたしたちの義務を 知らせている。神に対して偽る者は隣人に対して真実を尽くすことは できない。神を最も愛する者は隣人を自分のように愛するであろう。 誇り自体はうぬぼれにまで到り、自らを神とするようにまで導く。キ リストの福音は魂を清め自己愛を追い出す。」―教会への証 9 巻 9,p.211,212. 「そのように、キリスト者は、自分たちの体を、『神に喜ばれる、 46

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生きた、聖なる供え物として』ささげるように命じられている。そう するためには、彼らのすべての能力を、なしうる最上の状態に保たな ければならない。肉体的、または知的能力を弱める習慣はすべて、人 間を創造主に奉仕するのにふさわしくない者にする。神は、われわれ が、自分たちのささげうる最上のものより劣るものをささげるとき、 喜ばれるであろうか。キリストは、『心をつくし・・・・て、主なるあな たの神を愛せよ』と言われた。心をつくして神を愛する者は、その生 涯をもって最上の奉仕をすることを望み、神のみこころを行う能力を 増進させる法則に、心身のすべての能力を調和させようと常に努力す る。彼らは、食欲や情欲をほしいままにして、彼らの天の父にささげ る供え物を弱めたり汚したりしないのである。」―各時代の大争闘下 巻 202,203. 神を第一とすることの結果 5. もし心をつくして神を愛すなら、誰をもまた真に愛すようになりますか? マタイ 22:39「第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあな たの隣り人を愛せよ。 』 」 マルコ 12:31「第二はこれである、 『自分を愛するようにあなたの隣 り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない。 」 考えるべき問題:これよりも大事な戒めはほかにないとはどのような 意味ですか? 「十戒のはじめの四つは、『心をつくして主なるあなたの神を愛せ よ』という一つの大きな戒めに要約される。あとの六つは、『自分を 愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』というもう一つの戒めに含ま れる。これらの戒めは二つとも、愛の原則の表現である。第二の戒め を破りながら第一の戒めを守ることはできないし、また第一の戒めを 破りながら第二の戒めを守ることもできない。神が心の王座に正当な 座を占められる時に、正当な場所がわれわれの隣人に与えられる。わ れわれは自分自身と同じように神を愛するようになる。こうして神を 最高に愛する時にのみ、隣人を公平に愛することができるのである。」 ―各時代の希望下巻 p.57. 安息日学校教課

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6. この二つの戒めにどれほどのものがかかっていますか?それはどんな意味 ですか? マタイ 22:40「これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、 かかっている。」 考えるべき問題:これらの二つの大事な戒めを与えるにあたり、ある 人々が考えているように、主は他のすべての戒めが廃棄されたと教え られましたか? 「すべての戒めは神と人とに対する愛に要約されるので、一つの戒 めを破ればこの原則を犯すことになる。こうしてキリストは、聴衆に、 神の律法は、あるものは非常に重要であるが、あるものはそれほど重 要ではないから無視してもさしつかえないといったような、多くの 別々な戒めではないということをお教えになった。主ははじめの四つ とあとの六つの戒めを聖なる全体として示し、神への愛は神のすべて の戒めに従うことによって示されることをお教えになっている。」― 各時代の希望下巻 p.57. 7. イエスの答えを聞いた律法学者は最も大いなる二つの戒めと犠牲制度を 比較して何を認めましたか?従って、生活のあらゆる行動において何が動 機となるべきですか? マルコ 12:32-34「そこで、この律法学者はイエスに言った、『先生、 仰せのとおりです、「神はひとりであって、そのほかに神はない」と 言われたのは、ほんとうです。 また『心をつくし、知恵をつくし、 力をつくして神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する』と いうことは、すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです。 」 イエスは、彼が適切な答をしたのを見て言われた、『あなたは神の国 から遠くない。 』それから後は、イエスにあえて問う者はなかった。」 「イエスに質問した律法学者は、律法について博学だったので、イ エスのことばに驚いた。彼は、イエスが聖書についてこんなに深く完 全な知識を表明されるとは予期していなかった。彼は聖なる戒めの根 底となっている原則についてもっと広い見方をするようになった。彼 は祭司たちと役人たちが集まっている前で、キリストが律法の正しい 48

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解釈をくだされたことを正直にみとめ・ ・ ・」―各時代の希望下巻 p.57. 瞑想のために 「この律法学者は、正しい行為は燔祭や犠牲よりも神に受け入れら れるということをみとめた点において、神の国に近かった。しかし彼 は、キリストの神性をみとめ、イエスを信じる信仰によって義のわざ を行う力を受ける必要があった。儀式は、生きた信仰によってキリス トとつながっていないかぎり、何の価値もなかった。道徳律でさえ、 それが救い主との関連において理解されないかぎり、その目的を達し ない。天父の律法には単に権威のある命令よりももっと深い何ものか が含まれているということを、キリストはくりかえし示された。律法 には、福音にあらわされているのと同じ原則が具体的にあらわされて いる。律法は人の義務を指摘し、その不義を示す。人は罪のゆるしと、 律法に命じられていることを行う力をキリストに求めなければなら ない。」―各時代の希望下巻 p.58,59.

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Lesson 20

ダビデの子、ダビデの主

2013.11.16

「公生涯の初めにイエスがバプテスマを受けられた時に、神のみ 声がきこえ、それは山上の変貌の時にふたたびきこえた。いま公生 涯の終わりに、それはもっと大勢の人々によって、特殊な事情のも とに三度聞かれた。イエスはユダヤ人の状態について最も厳粛な事 実を語られたばかりであった。主は最後の訴えをなし、ユダヤ人の 滅亡を宣告されたのだった。いま神はふたたびみ子の使命に印をお された。神はイスラエルがこばんだお方をみとめられた。 『この声が あったのは、わたしのためではなく、あなたがたのためである』と イエスは言われた(ヨハネ 12:30)。それはイエスがメシヤであられる ことについての最高の証拠、すなわちイエスが事実を語られ、神の み子であられるという天父のしるしであった。」―各時代の希望下巻 p.87,88. 挑戦的質問 1. 他の場合と対照的に今回は誰が質問をしましたか?イエスはこのためにど んな機会を選ばれましたか? マタイ 22:41「パリサイ人たちが集まっていたとき、イエスは彼らに お尋ねになった、 」 「幾世紀にわたってラビたちによって伝承されてきた言い伝えを詳 細に調べるかわりに、イエスは聖なる教師の指導の下、純粋で堕落し ていない神のみ言葉を研究され、自然界の書物からも偉大な教訓を研 究された。『主はこう言われる』との御言葉が彼の唇にあり、『と書 いてある』は身近な習慣とは異なって、彼のすべての行動の理由であ った。彼は家庭生活にさらに純粋な雰囲気をもたらされた。彼はラビ の学校の生徒になって彼らの教育を受けることはされなかったが、 度々彼らと会い、学習者であるかのように質問されて知者たちを当惑 させられた。なぜならば、彼らの行いは聖書と調和をせず、神からの 知恵を彼らはもっていなかったからである。」―クリスチャン教育の 基礎 p.439,440. 50

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2. イエスはパリサイ人にどのような適切な質問をなさいましたか?どの預言が ダビデ王の子孫からメシヤが出るということを示していましたか? マタイ 22:42「『あなたがたはキリストをどう思うか。だれの子なの か。』彼らは『ダビデの子です』と答えた。」 サムエル記下 7:12,13,15,16「あなたが日が満ちて、先祖たちと共に 眠る時、わたしはあなたの身から出る子を、あなたのあとに立てて、 その王国を堅くするであろう。彼はわたしの名のために家を建てる。 わたしは長くその国の位を堅くしよう。しかしわたしはわたしのいつ くしみを、わたしがあなたの前から除いたサウルから取り去ったよう に、彼からは取り去らない。あなたの家と王国はわたしの前に長く保 つであろう。あなたの位は長く堅うせられる。』 」 「彼らは口をそろえて、 『ダビデの子です』 と答えた(マタイ 22:4 2 )。 これは預言の中でメシヤについていわれた肩書きであった。イエスが その偉大な奇跡によって神性をあらわされた時、また病人をいやし、 死人をよみがえらせられた時、人々はお互いに、『この方はダビデの 子ではないか』とたずねた。スロ・フェニキヤの女や、盲人のバルテ マイや、その他の多くの者も、イエスに助けを求めて、『主よ、ダビ デの子よ、わたしをあわれんでください』と叫んだ(マタイ 15:22)。 イエスがエルサレムへ乗りこまれる時にも、人々は喜びの叫びをあげ て、『ダビデの子に、ホサナ。主の御名によってきたる者に、祝福あ れ』と歓呼した(マタイ 21:9)。宮の中にいた子供たちも、その日、よ ろこばしい賛美をひびかせた。しかしイエスをダビデの子と呼んだ多 くの者は、イエスの神性をみとめなかった。彼らはダビデのみ子が神 のみ子でもあることをさとらなかった。」―各時代の希望下巻 p.59. 深く探る質問 3. イエスの二番目の質問は何でしたか?パリサイ人たちに最も基礎的 なこの二つの質問をされた理由はなんですか? マタイ 22:43「イエスは言われた、『それではどうして、ダビデが御 霊に感じてキリストを主と呼んでいるのか。』 」

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「キリストが律法学者の質問に答えられた時、パリサイ人たちがイ エスのすぐそばに集まっていた。そこでイエスは、彼らに向かって、 『あなたがたはキリストをどう思うか。だれの子なのか』とおたずね になった (マタイ 22:42)。この質問は、メシヤについて彼らの信念を ためすため、すなわち彼らがイエスを単に人間として見ているのか、 それとも神の子として見ているのかをはっきりさせるためであった。」 ―各時代の希望下巻 p.59. 4. 詩篇でダビデは御霊に感じて人の子を単に「主」と呼びましたか、もしくは、 付加的な点を加えましたか? 詩篇 110:1「主はわが主に言われる、『わたしがあなたのもろもろの 敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に座せよ』と。」 マルコ 12:36 「ダビデ自身が聖霊に感じて言った、 『主はわが主に仰 せになった、あなたの敵をあなたの足もとに置くときまでは、わたし の右に座していなさい。 』 」 「キリストは過去のすべての世代を通して語られた。キリストは御 自分の民を導かれ世の光となってこられた。神がご自身の真理の代表 者としてアブラハムを選らばれたとき、彼を彼の故郷と親族から導き 出し分離させられた。主は御自身の形に従って彼を形作ろうとされた。 従って主は御自身の計画に一致する教訓を彼に与えることを望まれ た。アブラハムは世俗的な教師たちの品性に似てはならなかった。主 の道を守るためにどのように彼の子供たちと親族に正義と裁きを命 じるべきかが彼に教えられなければならなかった。神がわたしたちに 行おうとされる事もこのようなものである。主はわたしたちがわたし たち自身の家族を治める方法、子供たちを指導する方法、および親族 にエホバの法を守るように命じる方法を理解することを望んでおら れる。」―セレクテッド・メッセージ 1 巻 p.409,410. 三番目の質問 5. イエスは人の子は神の子であるということを人々が理解するのを助けるため に何と主張されましたか?

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マタイ 22:45「このように、ダビデ自身がキリストを主と呼んでいる なら、キリストはどうしてダビデの子であろうか。 」 「ダビデの子であると彼らがのべたことばに答えて、『イエスは言 われた、「それではどうして、ダビデが御霊に感じてキリストを主と 呼んでいるのか。すなわち『主はわが主に仰せになった、あなたの敵 をあなたの足もとに置くときまでは、わたしの右に座していなさい。』 このように、ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるなら、キリスト はどうしてダビデの子であろうか。」イエスにひと言でも答えうる者 は、なかったし、その日からもはや、進んでイエスに質問する者も、 いなくなった』 (マタイ 22:43-46)。」―各時代の希望下巻 p.59,60. ダビデの子と神の子 6. 彼ら(パリサイ人)は三番目の質問に答えることができましたか?答えが詩 篇に明らかに書かれているにも関わらず、彼らのどんな無知が明らかになり ましたか? マタイ 22:46「イエスにひと言でも答えうる者は、なかったし、その 日からもはや、進んでイエスに質問する者も、いなくなった。」 考えるべき問題:イエスの模範通りにこれらの質問に関するどんな勧 告があかしにあらわれていますか? 「重要な説教がなされるときはいつでも、聖書研究によって補足さ れなければならない。そこで説教において提示された問題を適用し、 疑問点を尋ね、正しい思想を悟らせることができる。人々を忍耐強く 教育することにさらに多くの時間を捧げ、彼ら自身の考えを発表する ことのできる機会を与えなければならない。規則に規則、教訓に教訓 を加える教育が人々に要求される。 」―福音宣伝者 p.153. 7. 他のどんな預言が神の子の神性を証明していますか?イエスの生涯の間 にイエスが神の御子であることを確証させるどのような声が天から聞こえまし たか? イザヤ 7:14「それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに 安息日学校教課

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与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はイン マヌエルととなえられる。」 イザヤ 9:6「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの 男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名 は、『霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君』ととなえ られる。」 ミカ 5:2「しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のう ちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちからわたし のために出る。その出るのは昔から、いにしえの日からである。」 マタイ 3:17「また天から声があって言った、 『これはわたしの愛する 子、わたしの心にかなう者である。 』」 「アダムはあなたがたに告げるであろう、彼は蛇の頭をくだく女の すえであると。アブラハムにたずねるならば、彼はあなたがたに告げ るであろう、それは『サレムの王メルキゼデク』平和の王であると(創 世記 14:18)。ヤコブは告げるであろう、 彼はユダの族のシロであると。 イザヤは告げるであろう、 『インマヌエル』 『霊妙なる議士、大能の神、 とこしえの父、平和の君』であると(イザヤ 7:14,9:6)。エレミヤは告 げるであろう、彼はダビデのわかれ、 『主はわれわれの正義』と(エレ ミヤ 23:6)。ダニエルは告げるであろう、彼はメシヤであると。ホセ アは告げるであろう、 『主は万軍の神、その名は主である』と(ホセア 12:5)。バプテスマのヨハネは告げるであろう、彼は『世の罪を取り 除く神の小羊』であると(ヨハネ 1:29)。大いなる神エホバはそのみ座 から宣告された、 『これはわたしの愛する子』であると(マタイ 3:17 )。 キリストの弟子であるわれわれは宣言する、これはイエス、メシヤ、 いのちの君、世の救い主であると。しかも暗黒の勢力の君でさえ、イ エスをみとめて言う、『あなたがどなたであるか、わかっています。 神の聖者です』と(マルコ 1:24)。 」―各時代の希望下巻 p.15,16. 瞑想のために 「『インマヌエル、神われらと共にいます。 』という言葉はわたした ちにとってあらゆることを意味する。わたしたちの信仰のために、こ 54

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の言葉はなんという広い基礎を築いていることであろうか。不死と共 になんと大きな希望を、信じる魂の前に置いていることであろうか。 天国への旅の一歩一歩をわたしたちに同行するために、神はキリス ト・イエスの内にあってわたしたちと共におられる。聖霊は慰め主、 わたしたちの困惑の中での導き手、わたしたちの悲しみを和らげ、誘 惑の中でわたしたちを守るために、わたしたちと共におられる。『あ あ深いかな、神の知恵と知識との富は。』」― 今日のわたしの生涯 p.290.

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Lesson 21

パリサイ人の罪

パート1

2013.11.23

「自分自身の方法に従う責任ある地位にある者たちは、彼らの模範 に従うことによって道を迷うようになった人々の失敗に対して責任 がある。 」―(レビュー・アンド・ヘラルド 1905 年 9 月 14 日)クリス チャンリーダーシップ p.10. 「誰もクリスチャンであると公言する者らの間違いをそのまま真 似るようにと強制することはできない。もし彼がほかの人々の失敗と 欠点を見ても、もっと良い模範を示さないならば、彼は神と同胞たち の前で責任を負うようになるであろう。しかしある人々はほかの人々 の欠点を彼ら自身の品性の欠陥に対する口実とし、彼らが非難する非 常に好ましくない特性さえ見習うことさえする。このような人々は非 クリスチャン的な道を追求しながら不平をいう人々を力づけるので ある。彼らは目を開いたままサタンの罠の中に歩いていく。」―教会 への証 4 巻 p.650.

言葉と行い 1.主はイスラエルの宗教指導者たちに対する警告のメッセージをどのように 始められましたか?彼らの教えの中で何は守るべきものでしたか? マタイ 23:2,3「律法学者とパリサイ人とは、モーセの座にすわって いる。だから、彼らがあなたがたに言うことは、みな守って実行しな さい。しかし、彼らのすることには、ならうな。彼らは言うだけで、 実行しないから。 」 「『律法学者とパリサイ人とは、モーセの座にすわっている。だから、 彼らがあなたがたに言うことは、みな守って実行しなさい。しかし、 彼らのすることには、ならうな。彼らは言うだけで、実行しないから』 と、イエスは言われた(マタイ 23:2,3)。律法学者とパリサイ人は、自 分たちにはモーセと同等の権威がさずけられていると主張した。彼ら は自分勝手にモーセに代って、律法の解釈者また民をさばく者となっ た。このような者として、彼らは民から最高の尊敬と服従を受けるこ 56

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とを要求した。イエスは聴衆に、ラビたちが律法に従って教えたこと を行うように、しかし彼らの手本にならわないようにと命じられた。 彼らは自分たちが教えたことを自ら実行しなかった。」―各時代の希 望下巻 p.62,63. 二重の基準 2. パリサイ人の行動にはどんな重大な矛盾が見られましたか?わたしたちも 個人の利益や名誉が損害を受ける時に、二重の基準を適用しようとする誘 惑を受けませんか? マタイ 23:4「また、重い荷物をくくって人々の肩にのせるが、それ を動かすために、自分では指一本も貸そうとはしない。」 「彼らはまた聖書に反した多くのことを教えていた。彼らは『重い 荷物をくくって人々の肩にのせるが、それを動かすために、自分では 指一本も貸そうとはしない』と、イエスは言われた(マタイ 23:4)。 パリサイ人は、言い伝えをもとにしてたくさんの規則を強要し、個人 の自由を不当に制限した。彼らはまた律法のある部分を、民に遵守を おしつけるような説明をしながら、自分たちはひそかにその遵守を怠 り、都合次第で、自分たちはその遵守を免除されているのだと実際に 主張した。」―各時代の希望下巻 p.63. 道に迷う 3. 民が神の御心を忘れないために与えられた古い教えはどのように変えられ ましたか?これと同様の危険が今日、どのようにわたしたちを脅かしていま すか? 申命記 6:6,8「きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあな たの心に留め、またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、 あなたの目の間に置いて覚えとし、 」 マタイ 23:5「そのすることは、すべて人に見せるためである。すな わち、彼らは経札を幅広くつくり、その衣のふさを大きくし、」

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「彼らはいつも自分たちの信心を見せびらかすように心がけてい た。この目的のためにはどんな神聖なものも利用された。・・・この ことば(申命記 6:8)には深い意味がある。神のみことばを瞑想し、 実行するとき、人は身心ともに高められる。正しく、憐れみのある行 為をとおして、手は、印として、神の律法の原則をあらわす。その手 はわいろをとらず、堕落的なこと欺瞞的なことを何一つしない。その 手は愛と憐れみのわざに活動的である。目は、とうとい目的に向けら れ、澄んでいて、真実である。顔の表情、もの言う目は、神のみこと ばを愛しとうとぶ者の欠点のない品性をあかししている。しかしキリ スト時代のユダヤ人は、そうしたことをすこしも認識しなかった。モ ーセに与えられた命令について、人々は、聖書のいましめをからだに つけるようにという命令に解釈した。そこで彼らは、その戒めを羊皮 紙の一片に書きつけ、それを目立つように頭と腕首にしばりつけた。 しかしそうしたからといって、神の律法が心と思いに一層固くきざみ こまれたわけではなかった。そうした羊皮紙は人々の注意をひくため に、記章としてからだにつけているにすぎなかった。これをつけてい ると、信心深く見え、人々から尊敬されると思われていた。イエスは このむなしい見せかけに一撃を加えられた。」―各時代の希望下巻 p.63,64. 地位に対する野心 4. 謙遜さと慎みを培う代わりに、ユダヤの指導者たちの態度はどうでしたか? 今日にも自分の義を掲げる者たちにはどのような危険が伴いますか? マタイ 23:6「また、宴会の上座、会堂の上席を好み、」 「心は貪欲とねたみに満たされているのに、いつわりの謙遜をみせ びらかしながら、たえず地位と権力を求めている利己的な野心を、救 い主はこのようにはっきりしたことばでばくろされた。人々が宴会に 招かれると、お客はそれぞれの階級にしたがって席をとったが、最も 名誉のある席を与えられた人たちが一番先にもてなされ、特別な好意 を受けた。パリサイ人は、こうした名誉を受けるようにたえずたくら んでいた。この習慣をイエスは責められたのである。 主はまた、ラビとか師とかいう名称をほしがることに示されている 虚栄心を責められた。このような名称は人に属するものではなく、キ 58

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リストに属するものであると、主は言明された。律法の解説者であり 施行者である祭司たち、律法学者たち、役人たちはみな兄弟であり、 同じ天父の子らであった。自分たちの良心や信仰に対する支配をあら わしているとうとい名称をだれにも与えてはならないということを、 イエスは人々に印象づけられた。」―各時代の希望下巻 p.64,65. 5. 地位や肩書きに対する野心は、イエスの時代の指導者たちだけの問題で したか?わたしたちはその当時使っていた称号は使いませんが、何を追及 することによって罪を犯す危険性がわたしたちにも存在しますか? マタイ 23:7-10「広場であいさつされることや、人々から先生と呼ば れることを好んでいる。しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはなら ない。あなたがたの先生は、ただひとりであって、あなたがたはみな 兄弟なのだから。また、地上のだれをも、父と呼んではならない。あ なたがたの父はただひとり、すなわち、天にいます父である。また、 あなたがたは教師と呼ばれてはならない。あなたがたの教師はただひ とり、すなわち、キリストである。 」 「もしキリストが今日地上におられて、『師』とか『尊師』とかい うような名称をもった人たちにかこまれておられたら、『あなたがた は教師と呼ばれてはならない。あなたがたの教師はただひとり、すな わちキリストである』とのことばをくりかえされはしないだろうか (マタイ 23:10)。聖書には神について『そのみ名は聖にして、おそれ おおい』と宣言されている(詩篇 111:9)。どんな人間にこのような名 称がふさわしいだろうか。この名称に示されている知恵と義をあらわ している人がどんなに少ないことだろう。この名称を帯びている者の 中には、神のみ名と品性について誤った印象を与えている者がどんな に多いことだろう。ああ、高位の聖職者の縫い取りされた衣の下には、 世俗的な野心と専制と最も卑劣な罪がかくされていることがどんな にしばしばあることだろう。」―各時代の希望下巻 p.65. 正しい解毒剤(対策)の適応 6. 誇りの終わりは何ですか?謙遜の結果は何ですか? 箴言 18:12(前句)「人の心の高ぶりは滅びにさきだち、」 安息日学校教課

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箴言 15:33「主を恐れることは知恵の教訓である、謙遜は、栄誉に先 だつ。」 マタイ 23:11,12「そこで、あなたがたのうちでいちばん偉い者は、 仕える人でなければならない。だれでも自分を高くする者は低くされ、 自分を低くする者は高くされるであろう。 」 マタイ 20:26,27「あなたがたの間ではそうであってはならない。か えって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、 あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならな い。」 「真の偉大さは道徳的な価値によってはかられるということを、キ リストは、これまで繰り返し繰り返し教えられた。天の評価によれば、 品性の偉大さは人類同胞の幸福のために生きること、すなわち愛と憐 れみのわざをなすことにある。栄光の王キリストは堕落した人類のし もべであられた。 」―各時代の希望下巻 p.65,66. 考えるべき質問:わたしたちが思考、感情、行動において柔和とな り、神の祝福を受けるのはどのように可能ですか? 「人が神のご品性を知れば知るほど、謙遜になり、自分自身につい ての評価が低くなる。これが本当に神を見つめているという証拠であ り、イエス・キリストと一致している証拠である。わたしたちが柔和 でへりくだるまでは、神のご品性についていくらかでも概念を持って いると、真に主張することはできない。人は自分がすぐれた資質を持 っていると考えるかもしれない。立派な才能、大いなる学識、雄弁、 活動、熱心さなどは目をくらませ、空想を楽しませ、表面下のことを 読み取ることのできない人々の賞賛を喚起することができる。しかし、 へりくだりと謙遜がこれら他の賜物に結びついていない限り、優越感 と自己賞賛が見られる。一つ一つの資質が主に捧げられていないかぎ り、主が賜物を委ねられたその人々が、自分の資質を唯一神に受け入 れられるものとする恵みを求めなければ、主にとって無駄な僕と・・・ みなされる。 」―神の息子娘たち p.68.

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7. わたしたちがどのようにするとき他の兄弟の霊的生涯の助けになるよりもつ まずきとなる可能性がありますか?このような危険をどのように避けることが できますか? マタイ 23:13「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、 わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。 自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない。」 ルカ 11:52「あなたがた律法学者は、わざわいである。知識のかぎを 取りあげて、自分がはいらないばかりか、はいろうとする人たちを妨 げてきた。 」 「聖書を曲解することによって、祭司たちと律法学者たちは、人々 の心をめくらにした。そうでなかったら、人々は、キリストのみ国に ついての知識と真の聖潔になくてはならない内面的なきよい生活を 受け入れていたのである。」―各時代の希望下巻 p.66.(生き残る人々 p.361 参照) 瞑想のために 「パリサイ人へのキリストの非難は、心の中から初めの愛を失った 人たちに当てはめられる。冷たい、律法主義的宗教が、魂をキリスト に向けることは決してできない。愛がないからである。つまり、キリ スト不在の宗教である。断食と祈祷が自己を正当化する精神で行われ るとき、それは神に対する冒涜となる。礼拝の厳粛な集会、一連の宗 教儀式、見せかけの謙遜、強いられた犠牲のすべては、これらを行う 者が自らを宗教的だと考えていることを世に宣言し、証している。こ れらのものは、宗教的義務を遵守する人に注意を向け、『この人は天 国に入る資格がある』と言っている。しかし、それはすべて欺瞞であ る。行いが天国への入場券を買ってくれるわけではない。捧げられた 一つの大いなるいけにえは、信じるすべての者にとって十分である。」 ―(原稿 154,1897 年) SDA・バイブル・コメンタリー5 巻 p.1098.

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Lesson 22

パリサイ人の罪

パート2

2013.11.30

「主はご自分の僕が、生活と品性において他の人々に優ることを求 められる。このお方は、ご自分に仕える者たちの掌中にあらゆる供給 を置かれた。全宇宙は、クリスチャンを賞、すなわち、不死の冠を得 るために、勝利するために努力し、自分の前に置かれた競争を走る者 として見守っている。しかし、キリストに従う者と公言する者が、勝 利することと負けることがすべてであるこの大いなる競走において、 自分の動機がこの世の者の動機に優るということを示さないならば、 彼は勝利者には決してなることがない。彼は聖霊の力を通して、豊か に備えられている恵みによって、世と肉と悪魔に勝利するために、委 ねられているすべての力を用いなければならない。・・・」―神の驚 くべき恵み p.271.

個人的利益のための行動 1. パリサイ人たちはやもめたちをどれほど利用しましたか?預言は最後の時 代の形式の誇示と外面的敬虔について何と言っていますか? マタイ 23:14「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、 わざわいである。あなたがたは、やもめたちの家を食い倒し、見えの ために長い祈をする。だから、もっときびしいさばきを受けるに違い ない。」 第二テモテ 3:1「しかし、このことは知っておかねばならない。終り の時には、苦難の時代が来る。」 第二テモテ 3:5 「信心深い様子をしながらその実を捨てる者となる であろう。こうした人々を避けなさい。」 「パリサイ人は民の間に大きな勢力を持っていたので、彼らはその ことを利用して、自分たちの利益に役立たせた。彼らは、信心深いや もめたちの信頼を受けると、彼女たちがその財産を宗教上の目的にさ さげることを義務として教えた。やもめたちの金を自由にすることが 62

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できるようになると、このずるい策略者たちはそれを自分たちの利益 のために用いた。彼らは、自分たちの不正直をかくすために、人前で 長い祈りをささげ、非常に信心ぶった様子をした。この偽善のゆえに、 彼らはもっときびしいさばきを受けるとキリストは断言された。今日 も、口先だけで信心ぶったことを言う多くの者に、同じ譴責がくだる のである。彼らの生活は利己心と貪欲にけがれているが、彼らはそれ らのすべてを見せかけの信心という衣でおおって、しばらくは人々の 目をごまかす。しかし神をだますことはできない。神は心の意図をど れも見抜かれ、各人をその行為にしたがってさばかれる。」―各時代 の希望下巻 p.66. 木の性質に従って実をむすぶ 2. 真に回心していないパリサイ人の伝道活動は、主に人々を導くというよい結 果を出しましたか?今日、もし自分自身が回心していないなら、他の人を回 心させるために力強いメッセージを伝えることができますか? ルカ 23:15「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わ ざわいである。あなたがたはひとりの改宗者をつくるために、海と陸 とを巡り歩く。そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄 の子にする。 」 「神はわたしたちの言葉と祈りの中からわたしたちが霊的命を所有 した者であるという間違いない証拠を見ようとされる。わたしたちは 信仰を求めないために主がわたしたちのために供えられた満ち溢れ る祝福を喜べない。もし生ける神のみ言葉を信じる信仰を活用するな らば最も豊かな祝福を受けるようになるであろう。わたしたちは信仰 が足りないために神を辱め、高尚で生きた証を抱くことによって他の 者たちに生命を分け与えることができない。わたしたちが所有してい な い 物 を 与 え る こ と は で き な い か ら で あ る 。」 ― PH130–“Camp Meetings, Their Object,and How to Conduct Them,”p.34. 「神がぶどう園の領主であり、民の所有物は、みな神のために用い るように委託されたものであることを、主は人々にお教えになった。 しかし祭司や教師はその神聖な職務を、神の財産を扱う態度で遂行し なかった。彼らは、みわざの前進のためにゆだねられた資力や便益を、 安息日学校教課

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常習的に盗んでいた。彼らは、どん欲のために異邦人からさえ軽べつ されるほどであった。こうして、異教の世界は、神の品性とみ国の律 法を誤解するようになってしまった。」―キリストの実物教訓 p.271. 便利さに慣れる 3. パリサイ人たちはどの誓いは必ず守らなければならないと考えましたか?今 日もそのような特定の誓いだけ守ればよいと信じるなら、どのような結果にな りますか? マタイ 23:16-19「盲目な案内者たちよ。あなたがたは、わざわいで ある。あなたがたは言う、『神殿をさして誓うなら、そのままでよい が、神殿の黄金をさして誓うなら、果す責任がある』と。愚かな盲目 な人たちよ。黄金と、黄金を神聖にする神殿と、どちらが大事なのか。 また、あなたがたは言う、『祭壇をさして誓うなら、そのままでよい が、その上の供え物をさして誓うなら、果す責任がある』と。盲目な 人たちよ。供え物と供え物を神聖にする祭壇とどちらが大事なのか。」 「祭司たちは神のご要求を自分たちのまちがった狭い標準にした がって解釈した。彼らは、僣越にもいろいろな罪の軽重についてこま かい区別をつけ、あるものは軽く見過ごし、それほど重大でもない罪 を、ゆるすことのできない罪として扱ったりした。彼らは、お金の心 付けをもらえば、人々をその誓いから免除してやった。多額の金をも らうと、重大な犯罪を見のがすことさえあった。同時に、これらの祭 司たちと役人たちは、他の場合には、ちょっとした違反にもきびしい 刑罰を宣告するのであった。」―各時代の希望下巻 p.71. 狂信者と取るに足りない事 4. イエスはパリサイ人たちが些細なことに対して什一を計算し、捧げることに 徹底しながら、それに含まれている意味は重要視しないことを見られて何と 言われましたか? マタイ 23:23「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、 わざわいである。はっか、いのんど、クミンなどの薬味の十分の一を 宮に納めておりながら、律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと 64

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忠実とを見のがしている。それもしなければならないが、これも見の がしてはならない。」 「こうしたことばで、キリストはふたたび聖なる義務の悪用を非難 しておられる。キリストは、義務そのものを廃しておられるのではな い。十分の一制度は神によって定められたもので、最古の時代から守 られてきた。信仰の父アブラハムは、所有しているすべてのものの十 分の一を納めた。ユダヤの役人たちは、十分の一の義務をみとめたが、 そのことは正しかった。しかし彼らは、民がそれぞれの確信にもとづ いてこの義務を果たすのにまかせなかった。一つ一つの場合について、 独断的な規則が定められた。要求があまりにも複雑になったため、そ れを果たすことは不可能だった。だれもいつ自分が義務を果たしたか わからなかった。神がお与えになった時、この制度は正しく道理にか なっていた。しかし祭司たちとラビたちがそれをうんざりするような 重荷にしてしまっていた。 神が命じられることはすべて重要である。キリストは、十分の一を 納めることを義務としてみとめられた。しかし主は、そのことがほか の義務を怠ることの言い訳にならないことを示された。パリサイ人は 非常にきちょうめんに、はっか、いのんど、うん香など畑の薬草の十 分の一を納めた。これは彼らにとって大した犠牲ではなく、しかもそ のために彼らはきちょうめんで高潔であるという評判をとった。同時 に彼らの無用な制限は民の重荷となり、神ご自身がお定めになった聖 なる制度に対する尊敬を失わせた。彼らは人々の頭をとるにたりない ような区別でいっぱいにし、人々の注意を重要な真理からそらした。」 ―各時代の希望下巻 p.71,72. 5. 聖なる律法に対する真の意味を忘れ、自分の価値観と考えを介入させる ならばどのようになりますか?パリサイ人はそのような事柄にどれほど腐心し ましたか? マタイ 23:24「盲目な案内者たちよ。あなたがたは、ぶよはこしてい るが、らくだはのみこんでいる。」 ヨハネ 7:21-24「イエスは彼らに答えて言われた、『わたしが一つの わざをしたところ、あなたがたは皆それを見て驚いている。モーセは あなたがたに割礼を命じたので、 (これは、実は、モーセから始まっ 安息日学校教課

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たのではなく、先祖たちから始まったものである)あなたがたは安息 日にも人に割礼を施している。もし、モーセの律法が破られないよう に、安息日であっても割礼を受けるのなら、安息日に人の全身を丈夫 にしてやったからといって、どうして、そんなにおこるのか。うわべ で人をさばかないで、正しいさばきをするがよい。』」 ヨハネ 18:28「それから人々は、イエスをカヤパのところから官邸に つれて行った。時は夜明けであった。彼らは、けがれを受けないで過 越の食事ができるように、官邸にはいらなかった。」 「ほかの律法も同じように、ラビたちによってゆがめられていた。 モーセを通して与えられた戒めの中に、けがれたものを食べることが 禁じられていた。豚肉、その他ある種の動物の肉を用いることは、血 液を不純にし、寿命をちぢめるというので、禁じられていた。しかし パリサイ人は、こうした制度を神が命じられたままにしておかなかっ た。彼らは是認されていない極端に走った。中でも民は、水を全部こ して使うように要求されたが、それはけがれた動物と同類の微小な虫 が水の中に入っているといけないからというのであった。イエスはそ うしたつまらない要求を彼らの実際の罪の大きさと比較して、パリサ イ人に『盲目な案内者たちよ。あなたがたは、ぶよはこしているが、 らくだはのみこんでいる』と言われた(マタイ 23:24)。 」―各時代の希 望下巻 p.72,73. 公言 対 真の善 6. 単に公言するだけの信仰は神の御目に価値がありますか?外面的には敬 虔を装いながら心の中は清くない欲望で満ちているなら、わたしたちはどの ような状態ですか? マタイ 23:25,26「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがた は、わざわいである。杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放 縦とで満ちている。盲目なパリサイ人よ。まず、杯の内側をきよめる がよい。そうすれば、外側も清くなるであろう。 」 「単なる敬虔の公言は無価値である。キリストの内に宿る者がクリ スチャンである。・・・神の御心が人間の心とならない限り、自分を 66

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清めようとするすべての努力は無駄なものとなってしまうであろう。 ただ神に対する知識のみが人間を高尚にすることができるからであ る。」―(手紙 13,1893 年) SDA・バイブル・コメンタリー7 巻 p.951. 「勝利者になりたい者は、救いの代価を熟考し計算すべきである。 人間の強い情欲は抑制されなければならない。独立した意志は、キリ ストにとりこにされなければならない。クリスチャンは、自分が一人 ではないということを悟るべきである。彼は誘惑に抵抗し、自分の傾 向に対して戦わなければならない。主は中途半端な働きを受け入れら れないからである。このお方は、偽善を憎まれる。キリストに従う者 は、目に見えないお方を見ているように、信仰によって歩かなければ ならない。キリストは彼の最も大切な宝、彼のすべてのすべてとなる。 」 ―神の驚くべき恵み p.271. 7. 善人ではないのに、敬虔を装う人々はどうなりますか?わたしたちは見せか けを正すかわりに、日々どんな義のために戦うべきですか? マタイ 23:27,28「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがた は、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は 美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱい である。このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側 は偽善と不法とでいっぱいである。 」 マタイ 7:21,22「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな 天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だ けが、はいるのである。その日には、多くの者が、わたしにむかって 『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありま せんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によ って多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。」 マタイ 5:6「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼ら は飽き足りるようになるであろう。 」 「白く塗られ、美しく飾られた墓が、その内側に腐敗する死体をか くしているように、祭司たちや役人たちの外面的な聖潔は不義をかく していた。 」―各時代の希望下巻 p.73. 安息日学校教課

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「人は外面的にうわべを美しく飾り、内面は不潔なものや死人の骨 でいっぱいになっている。 『白く塗られた墓』とイエスから言われた パリサイ人のようになることができるかもしれない。しかし、魂のあ らゆる不完全さは正しく裁かれるお方には明らかである。そして、真 理が心に植え付けられなければ、それは生活を支配することができな い。杯の外側を清めることは、決して器の内側を清めることにはなら ない。真理を受け入れたことを告白するのは、悪いことではない。信 仰の弁明ができるのは、立派なことである。しかし、もし真理がこれ よりもっと深く人の中に入り込まなければ、魂は決して救われないで あろう。心は道徳的汚れから清められなければならない。」 ―(手紙 13, 1893 年) SDA・バイブル・コメンタリー7 巻 p.951. 瞑想のために 「この経験は、キリストの名を公言している者たちには不可欠であ る。なぜならその感化が振る舞いに浸透し、クリスチャン生涯の感化 が他の人々を聖化するからである。仕事上でのつながり、クリスチャ ンの交わりにおいて、世の人々はキリストの恵みによって聖化される。 そして彼らがいる所ではどこでも、道徳的雰囲気が作られ、それは善 のための力となる。なぜならそれは主の霊を吹き込むからである。 キリストの思いを持っている者は、自分の唯一の安全な道は、イエ スのそば近くにいることであり、命の光に従うことであるということ を知っている。彼は、クリスチャンの品性の完全に到達することを妨 げる働き、また仕事に携わることをしない。……『兵役に服している 者は、日常生活の事に煩わされてはいない。ただ、兵を募った司令官 を喜ばせようと努める』(テモテ第二 2:4)。」―神の驚くべき恵み p.271.

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Lesson 23

不服従とその結果

2013.12.07

「不信のユダヤ人たちの状態は、キリスト者と称しながら恵み深い 大祭司の働きを故意に知らずにいる、軽率で不信の人々の状態を例示 するものである。型としての奉仕において、大祭司が至聖所に入った 時、全イスラエルは聖所のまわりに集まり、罪のゆるしを受けて、会 衆の中から絶たれることがないようにと、この上なく厳粛な態度で、 神の前に心を低くしなければならなかった。贖罪の日の実体である今 日、われわれが、われわれの大祭司の働きを理解し、どのような義務 がわれわれに要求されているかを知ることは、どんなにか重要なこと であろう。」―各時代の大争闘下巻 p.148.

預言者たちを尊重する 1. 預言者たちの記念碑や墓を建てることが、彼らの使命を受け入れそれに従 ったという証しとなりますか?預言者たちの使命を受け入れたという真の証 拠はなんですか? マタイ 23:29「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、 わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立 てて、こう言っている、 」 「死んだ預言者たちに対する尊敬を示すために、ユダヤ人は彼らの 墓を飾るのに熱心だった。しかし彼らは、預言者たちの教えから益を 受けず、その譴責に注意を払わなかった。 ・・・ キリストの時代には、死人の休み場所に対して迷信的な尊敬心がい だかれ、その場所を飾ることに莫大な額のお金が気前よく使われた。 このことは神の御目には偶像礼拝であった。死人に対する過度の尊敬 によって、人々は、神を最高に愛しているのではないということ、ま た自分と同じように隣人を愛しているのではないということを示し た。今日も同じ偶像礼拝が広く行なわれている。多くの者は、死人の ために高価な記念碑をつくるために、やもめ、みなし子、病人、貧し い者をかえりみないという罪を犯している。この目的のために、時間 と金銭と労力が惜しげなく使われているのに、生きている者に対する 安息日学校教課

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義務―キリストがはっきりお命じになった義務は実行されないでい る。」―各時代の希望下巻 p.73,74. 間違った比較 2. パリサイ人たちは自らが彼らの先祖たちよりも義であると主張しつつ、最も偉 大な預言者であられるイエスとその使命をどのように扱いましたか?わたした ちは罪深い他の人間と比較することによって霊的な益を得ることができます か? マタイ 23:30「『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預 言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。」 「パリサイ人は預言者たちの墓をたて、その墓所を飾って、もしわ れわれが父祖たちの時代に生存していたら、神のしもべたちの血を流 すことに加わるようなことはしなかったであろうと、互いに言った。 同時に彼らは、神のみ子の生命をとろうと計画しているのであった。 このことはわれわれにとって教訓とならねばならない。このことによ って、われわれの目は、真理の光にそむく者を欺くサタンの力に対し て開かれねばならない。多くの者がパリサイ人と同じことをしている。 彼らは信仰のために死んだ人たちを尊敬する。彼らはキリストをこば んだユダヤ人の盲目をふしぎに思う。もしキリストの時代に生存して いたら、われわれはよろこんでその教えを受け入れたであろう。われ われは救い主をこばんだ人々の罪にあずかるような者とは決してな らなかったであろうと、彼らは断言する。しかし神に従うために、克 己と屈辱が要求されると、当の本人たちがその確信を押えつけて、従 うことをこばむ。こうして彼らは、キリストが非難されたパリサイ人 と同じ精神をあらわすのである。」―各時代の希望下巻 p.74. 同じ足跡に従う 3. 宗教指導者たちは彼らの大きな責任を意識していましたか?ユダヤ人の 会堂で礼拝していたクリスチャンたちにまもなく何が起ころうとしていました か? マタイ 23:31-34「このようにして、あなたがたは預言者を殺した者 70

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の子孫であることを、自分で証明している。あなたがたもまた先祖た ちがした悪の枡目を満たすがよい。へびよ、まむしの子らよ、どうし て地獄の刑罰をのがれることができようか。それだから、わたしは、 預言者、知者、律法学者たちをあなたがたにつかわすが、そのうちの ある者を殺し、また十字架につけ、そのある者を会堂でむち打ち、ま た町から町へと迫害して行くであろう。」 考えるべき問題:わたしたちは過去の人々の間違いをどのように避け ることができますか? 「ユダヤ人は、キリストをこばむことがどんなに恐るべき責任を意 味しているかにほとんど気づいていなかった。罪のない血がはじめて 流された時、すなわち義人アベルがカインの手に倒れた時から、同じ 歴史がくりかえされ、不義が増大してきた。どの時代においても、預 言者たちは、神が彼らにお与えになったことばを語り、生命の危険を おかして神のみこころに従いながら、王たちや役人たちや民衆の罪を 警告した。世代をかさねるにしたがって、光と真理をこばむ者たちに 対する恐るべき刑罰がつみあげられてきた。キリストの反対者たちは、 いま自分自身の頭上にそれを招こうとしていた。祭司たちと役人たち の罪は、前のどの世代の罪よりも大きかった。救い主をこばむことに よって、彼らはアベルからキリストにいたるまで、殺されたすべての 義人たちの血に対して責任のある者になろうとしていた。彼らは不義 のさかずきをあふれるところまでいっぱいにしようとしていた。しか もそれはまもなく正義の報復として彼らの頭上にそそがれるのであ った。」―各時代の希望下巻 p.75. 預言者たちに対する態度 4. ユダヤの指導者たちは先祖たちの行いを考慮して、彼ら自身の態度を変 えましたか?このような恐ろしい悪行はどこから始まりましたか? マタイ 23:35「こうして義人アベルの血から、聖所と祭壇との間であ なたがたが殺したバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上に流さ れた義人の血の報いが、ことごとくあなたがたに及ぶであろう。」 列王記下 24:18-21「彼らはその先祖の神、主の宮を捨てて、アシラ 安息日学校教課

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像および偶像に仕えたので、そのとがのために、怒りがユダとエルサ レムに臨んだ。主は彼らをご自分に引き返そうとして、預言者たちを つかわし、彼らにむかってあかしをさせられたが、耳を傾けなかった。 そこで神の霊が祭司エホヤダの子ゼカリヤに臨んだので、彼は民の前 に立ち上がって言った、 『神はこう仰せられる、 「あなたがたが主の戒 めを犯して、災を招くのはどういうわけであるか。あなたがたが主を 捨てたために、主もあなたがたを捨てられたのである。」 』しかし人々 は彼を害しようと計り、王の命によって、石をもって彼を主の宮の庭 で撃ち殺した。 」 「イエスのことばを聞いていた学者たちとパリサイ人たちは、その ことばが真実であることを知っていた。彼らはザカリヤが殺された事 情を知っていた。ザカリヤが神からの警告のことばを告げていた時に、 背信の王は悪魔のように激怒し、その命令によってこの預言者は殺さ れたのであった。彼の血は宮の庭石を染め、それを消し去ることはで きなかった。それはいつまでも背信のイスラエルに対してあかしをた てていた。宮が立っているかぎり、あの義人の血のしみは、神に報い を求めて叫びつづけるであろう。イエスがこのような恐るべき罪のこ とを言われると、群衆の中に恐怖の身ぶるいが伝わった。 これから先のことをお考えになって、イエスは、ユダヤ人の頑迷さ と、神のしもべたちに対する彼らの偏狭さは、将来も昔と同じであろ うと断言された。 ・・・信仰と聖霊に満たされた預言者たちと知者たち―ステパノ、 ヤコブ、その他の人々が有罪の宣告を受けて殺されるのであった。手 を天に挙げ、お体のまわりを天来の光にかこまれて、キリストは、目 の前にいる人々に裁判官のように語られた。イエスのお声は、これま でたびたびやさしく嘆願するような調子にきこえていたが、いまは譴 責と罪の宣告にきこえた。聴衆は身ぶるいした。キリストのことばと 顔つきから受けた印象は決して消え去ることがなかった。」―各時代 の希望下巻 p.75,76. 裁きの時に 5. イエスは悔い改めよとの多くの訴えにも耳を傾けない指導者たちを見られ てその世代にどのようなことが起こるのを見られましたか?主がこれらの警 告を出された時の声の調子はどのようなものでしたか? 72

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マタイ 23:36「よく言っておく。これらのことの報いは、みな今の時 代に及ぶであろう。」 考えるべき問題:クリスチャンはどんな精神をもって困難な状況に立 ち向かうべきですか? 「キリストの憤激は、偽善という卑劣な罪に向けられた。人々はそ のために自分自身の魂を滅ぼし、人々をあざむき、神をけがしていた。 祭司たちと役人たちのもっともらしい欺瞞的な議論の中に、イエスは、 サタンの勢力の働きをみわけられた。罪に対するキリストの攻撃はす るどかった。しかし主は報復的なことばを語られなかった。主は、暗 黒の君に対して聖なる怒りをおぼえられた。しかしかんしゃくを破裂 させるようなことをなさらなかった。同様に、神との調和のうちに生 きているクリスチャンも、愛といつくしみという美しい特性を備えて いるが、罪に対しては憤激をおぼえるのである。しかし彼は、自分を そしる者に対して怒りのあまりののしり返すようなことをしない。暗 黒の勢力に動かされて虚偽を主張する者に対しても、彼はキリストの うちにあって、冷静と沈着を保つのである。」―各時代の希望下巻 p.76,77. 忍耐強い愛の限界 6. ユダヤ人の頑固な不服従を見て、主はその時どんな大きな悲しみを表現 されましたか?どのようにしたら反抗的な道から戻ることができますか? マタイ 23:37「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、 おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんど りが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾た び集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じよう としなかった。 」 「神のみ子が神殿に、それから聴衆にためらいがちな一べつを投げ かけられた時、その顔には天来の憐れみがみられた。心の深い苦悩に とぎれる声とにがい涙のうちに、主は叫ばれた、 『ああ、エルサレム、 エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で 打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるよう 安息日学校教課

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に、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。そ れだのに、おまえたちは応じようとしなかった』(マタイ 23:37 )。こ れは別れの苦しみである。キリストの嘆きのうちに、神の心がそそぎ 出されている。それは神の長く耐え忍ぶ愛の神秘的な別れである。 パリサイ人もサドカイ人も何も言えなくなってしまった。イエスは 弟子たちを呼んで、宮を去るしたくをされた。それは敗北して敵の前 から逃げ出さねばならない者としてではなく、働きをなしとげた者と してであった。主は勝利者として、論争から退かれた。」―各時代の 希望下巻 p.77. 完全な変化が起こるまで 7. 指導者たちと人々がみ子を受け入れたくないために、宮に何が起ころうとし ていましたか?彼らはどれほど長い間捨てられるようになりましたか? マタイ 23:38,39「見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。わ たしは言っておく、『主の御名によってきたる者に、祝福あれ』とお まえたちが言う時までは、今後ふたたび、わたしに会うことはないで あろう。」 第二テサロニケ 2:10(後半),11「・・・彼らが滅びるのは、自分らの 救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。そこで 神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、」 考えるべき問題:主の重大な警告からわたしたちは何を学ぶ必要があ りますか? 「しかしイスラエルは、国家として、神から離れた。オリブの木の 自然の枝は折りとられた。宮の内部を見おさめにして、イエスは悲し い調子で言われた、『見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。 わたしは言っておく、「主の御名によってきたる者に、祝福あれ」と おまえたちが言う時までは、今後ふたたび、わたしに会うことはない であろう』(マタイ23:38,39)。これまで主は宮を父の家と呼ばれた。 しかしいま神のみ子が宮から離れられるとともに、神のご臨在は、み 栄えのために建てられたこの宮から永久に離れるのであった。これか らは宮の儀式は無意味となり、その奉仕は物笑いとなるのであった。」 74

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―各時代の希望下巻p.78. 瞑想のために 「人間は、神が憐れみのうちにお与えになった警告を拒否して無事 ではあり得ない。ノアの時代に天からの使命が世に送られた。そして、 彼らの救いは、彼らがその使命をどう受けるかにかかっていた。彼ら が警告を拒否したために、神の霊は罪深い人類から退き、彼らは洪水 によって滅びた。アブラハムの時代に、恵みは、ソドムの邪悪な住民 に訴えることをやめた。そして、ロトと彼の妻と二人の娘のほかは、 みな、天から降った火で焼き尽くされた。キリストの時代でもそうで あった。神のみ子は、その時代の不信なユダヤ人に、『おまえたちの 家は見捨てられてしまう』と言われた(マタイ23:38)。同じ無限の力 のお方は、最後の時代をながめて、『自分らの救となるべき真理に対 する愛を受けいれなかった』者について、『そこで神は、彼らが偽り を信じるように、迷わす力を送り、こうして、真理を信じないで不義 を喜んでいたすべての人を、さばくのである』と宣言しておられる(第 二テサロニケ2:10-12) 。彼らが神の言葉の教えを拒否する時に、神は み霊を取り去って、彼らを、彼らが好む惑わしの中に捨てておかれる。 」 ―各時代の大争闘下巻p.149.

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Lesson 24

ギリシャ人との会話

2013.12.14

「キリストは、このようにあわれな魂を、サタンが彼らに決定的に 勝利することのできないところへどうやってみちびかれるだろう。た だ口先だけで弟子であると言うことが弟子となることではなく、また 天国に入ることを保証するものでもないことを、キリストはどうやっ てお示しになることができるだろう。真の偉大さは愛の奉仕、真の謙 遜にあるということを、キリストはどうやってお示しになることがで きるだろう。 」―各時代希望下巻 p.118,119.

探し求める魂につながる 1. 祭りのために礼拝に来たあるギリシャ人たちの望みは何でしたか?今日も、 イエスに会い御言葉を聞きたいと願う多くの人々がいますか? ヨハネ 12:20-22「祭で礼拝するために上ってきた人々のうちに、数 人のギリシャ人がいた。彼らはガリラヤのベツサイダ出であるピリポ のところにきて、『君よ、イエスにお目にかかりたいのですが』と言 って頼んだ。ピリポはアンデレのところに行ってそのことを話し、ア ンデレとピリポは、イエスのもとに行って伝えた。」 「・・・しかしキリストはご自分の働きを完成しようとしておられ た。ユダヤ国民ばかりでなく、全世界にとって関係のある大事件がま さに起ころうとしていた。キリストは、世の人々の飢えた叫びを反響 している『イエスにお目にかかりたいのですが』という熱心な願いを 聞かれると、お顔が明るく輝き、『人の子が栄光を受ける時がきた』 と言われた。ギリシャ人たちの願いの中に、主はご自分の大いなる犠 牲の結果についての保証をごらんになった。 ・・・ギリシャ人たちは、世の諸国諸族諸民を代表してイエスに会 いにやってきた。同じように全地の各時代の人々は、救い主の十字架 に引きよせられるのである。同じように『多くの人が東から西からき て、天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につく』の である (マタイ 8:11)。 」―各時代の希望下巻 p.79.80. 76

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神のご計画を紹介する 2. イエスが人々に最も重要な主題に関して紹介されるとき何と言われました か?イエスはイエスに会うために来た人々の関心の中に何を見られました か? ヨハネ 12:23「すると、イエスは答えて言われた、『人の子が栄光 を受ける時がきた。』」 「キリストが栄光を受けられる時がきていた。主は十字架の影に立 っておられたが、ギリシャ人たちの問い合わせは、主がまさに払おう としておられる犠牲によって多くの息子娘たちが神へみちびかれる ことをイエスに示した。主は、ギリシャ人たちがその時には夢にも思 わなかった立場におられる主をまもなく見ることを知っておられ た。・・・人々の罪のためにこのあがないの供え物をすることによっ て、キリストはご自分のみ国が完成され、それが世界中にひろがるこ とをご存じであった。主は回復者として働かれ、そのみたまは勝利す るのであった。・・・この見知らぬ人たちの中に、主は、ユダヤ人と 異邦人との間の隔ての壁がとりこわされ、諸国諸族諸民が救いのおと ずれを聞く時の大収穫の保証をごらんになった。このこと、すなわち 主の望みが完成されることについての予想は、『人の子が栄光を受け る時がきた』というみことばに表現されている(ヨハネ 12:23)。しか し栄光を受けるためにはどのような道を通らねばならないかという ことが、キリストの頭から決して離れなかった。異邦人がかり集めら れることは、近づきつつあったキリストの死に続くのであった。主の 死によってのみ、世は救われるのであった。一粒の麦のように、人の 子は地に投げられて死に、目に見えないところに葬られねばならなか った。しかし主はふたたび生きられるのであった。」―各時代の希望 中巻 p.392,393. 死の必要性 3. イエスの死の後には何が起こるのでしたか?イエスはどんな自然の事物を 通して御自分の死がもたらす豊かな実に関して描写されましたか? ヨハネ 12:24「よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落 安息日学校教課

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ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死ん だなら、豊かに実を結ぶようになる。」 「キリストは、弟子たちにわかるように、自然の事物を例にとって ご自分の将来をお示しになった。キリストの使命の真の結果はその死 によって到達されるのであった。 『よくよくあなたがたに言っておく。 一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。 しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる』と主は言われ た(ヨハネ 12:24)。麦の粒が地に落ちて死ぬ時に、それは芽生えて実 を結ぶ。そのように、キリストの死は、神の国のために実を結ぶので あった。植物界の法則にしたがって、キリストの死の結果は生命であ った。・・・ 自分自身の生命を保存する穀物は実を生ずることができない。それ は一粒のままである。キリストは、もしその気になられたら、ご自分 が死なれなくてもよかったのである。しかし、もし死なれなかったら、 キリストは一人のままでなければならない。息子娘たちを神につれて 行くことはおできにならない。ご自分の生命を放棄することによって のみ、キリストは人類に生命を与えることがおできになる。死ぬため に地に落ちることによってのみ、キリストはあの大収穫、すなわち諸 国諸族諸民の中から神のみもとにあがなわれた大群衆の種となるこ とがおできになるのである。」―各時代の希望下巻 p.82,83,84. 4. この説明によるとイエスは何が保存の原則だと説明されますか?自分のた めに生きることの結果は何ですか? ヨハネ 12:25「自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命 を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。」 考えるべき問題:死なねばならなかったのはイエスのみですか、それ ともわたしたちの罪深い傾向に同じことが起こるということですか? 「キリストはこの真理にすべての人が学ばねばならない自己犠牲の 教訓を結びつけておられる。 『自分の命を愛する者はそれを失い、この 世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう』(ヨ ハネ 12:25)。キリストとともに働く者として実を生じさせたい者は、 みなまず地に落ちて死なねばならない。生命はこの世の必要というう 78

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ねの中に投げ込まれねばならない。自己を愛する思い、自己中心の思 いは滅びなければならない。自己犠牲の法則は、自己保存の法則であ る。農夫は穀物を投げ捨てることによってそれを保存する。人間の生 命も同様である。与えることは生きることである。保存される生命は 神と人との奉仕に惜し気なく与えられる生命である。キリストのため にこの世の生命を犠牲にする者は永遠にいたる生命としてこれを保つ のである。 自分のために費やされる人生は食べてしまった穀物のようなもので ある。それは消えて無くなり、何の増加もない。人はできるだけ自分 のために集めるかもしれない。自分のために生き、考え、計画するか もしれない。しかし彼のいのちは過ぎ去って、何ものも残らない。自 分に仕える法則は自分を滅ぼす法則である。」―各時代の希望下巻 p.84,85. 奉仕と弟子としての証拠 5. 真に弟子であることには何が含まれていますか?イエスに部分的に従うこと だけで十分ですか?清められた弟子には当然何が伴いますか? ヨハネ 12:26「もしわたしに仕えようとする人があれば、その人はわ たしに従って来るがよい。そうすれば、わたしのおる所に、わたしに 仕える者もまた、おるであろう。もしわたしに仕えようとする人があ れば、その人を父は重んじて下さるであろう。」 「『もしわたしに仕えようとする人があれば、その人はわたしに従 って来るがよい。そうすれば、わたしのおる所に、わたしに仕える者 もまた、おるであろう。もしわたしに仕えようとする人があれば、そ の人を父は重んじて下さるであろう』(ヨハネ 12:26)。イエスととも に犠牲の十字架を負うた者はキリストとともにその栄光にあずかる 者となる。ご自分の弟子たちがキリストとともに栄光を受けるという ことが、屈辱と苦痛の中にあってキリストの喜びであった。彼らはキ リストの自己犠牲の実である。彼らのうちにキリストご自身の品性と 精神が完成されることがキリストにとって報いであり、永遠にわたる 喜びある。彼らは自分たちの骨折と犠牲の実がほかの人たちの心と生 活にみられる時、キリストのこのよろこびにあずかるのである。彼ら はキリストとともに働く者であって、天父はみ子をあがめられるのと 安息日学校教課

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同じに、彼らをあがめられる。」―各時代の希望下巻 p.85,86. 犠牲を予期される 6. この点で救い主はどんな圧倒されるような重荷を感じ始められましたか? 主は来るべき大きな試練の助けをどこにのみ見出されましたか? ヨハネ 12:27(前半)「今わたしは心が騒いでいる。わたしはなんと言 おうか。父よ、この時からわたしをお救い下さい。」 「ギリシャ人たちのことばは、異邦人が集められる前兆であったが、 イエスの心にその使命の全体を思わせた。あがないの働きが、天で計 画された時から、死が迫った今にいたるまで、イエスの前を通り過ぎ た。神秘の雲が神のみ子をおおっているようであった。その暗さがイ エスの近くにいる人々に感じられた。イエスは物思いにふけっておら れた。ついにその沈黙はイエスの悲しみに沈んだ声によって破られた。 『今わたしは心が騒いでいる。わたしはなんと言おうか。父よ、この 時からわたしをお救い下さい』(ヨハネ 12:27)。事前にキリストはす でににがいさかずきから飲んでおられた。キリストの人性は、ご自分 が捨てられる時を思って、たじろいでいた。その時には、どう見ても、 キリストは神からさえ捨てられ、キリストが神から打たれ、たたかれ、 苦しめられるのをすべての者が見るのであった。キリストは、人目に さらされ、極悪の罪人のように取り扱われ、恥ずかしい不名誉な死に 会うことをちゅうちょされた。暗黒の勢力との戦いについての予感、 人類の罪とがについての恐るべき重荷の思い、罪のゆえの天父の怒り が、イエスの精神をめいらせ、死の青白さをイエスの顔にひろがらせ た。」―各時代の希望下巻 p.86. 7.イエスは御自分の使命の成就を通して何が起こることをよく知っておられま したか?イエスに御父の助けが必要であられたように、わたしたちも試練に 直面するために、どれほど多くの援助を求めなければなりませんか? ヨハネ 12:27(後半)「・・・しかし、わたしはこのために、この時に 至ったのです。 」 「その時、天父のみこころに対する気高い服従がみられた。『わた 80

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しはこのために、この時に至ったのです。父よ、み名があがめられま すように』(ヨハネ 12:27)。キリストの死によってのみ、サタンの王 国は打ち倒されるのである。そうすることによってのみ、人があがな われ、神はあがめられるのである。イエスは苦悩に同意され、犠牲を 受け入れられた。天の大君イエスが罪を負う者として苦難を受けるこ とに同意された。 」―各時代の希望下巻 p.86. 瞑想のために 「神の戒めに従うことを拒否しながらも清いと公言し、全く主の者 であると宣言し、神の約束を要求する権利があると主張する人々がい る。この律法に反する者たちは神の子供たちに約束されたすべての事 柄を主張するが、これは単なる推測にすぎないのである。なぜならヨ ハネがこのように語っているからである。 『「彼を知っている」と言い ながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人の うちにない。しかし、彼の御言を守る者があれば、その人のうちに、 神の愛が真に全うされるのである。それによって、わたしたちが彼に あることを知るのである。「彼におる」と言う者は、彼が歩かれたよ うに、その人自身も歩くべきである』(第一ヨハネ 2:4-6) 。イエスは 『もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のう ちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったの で、その愛のうちにおるのと同じである。 』(ヨハネ 15:10)と言われる。 服従は弟子としての真のしるしである。『わたしにむかって「主よ、 主よ」と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいます わが父の御旨を行う者だけが、はいるのである』 (マタイ 7:21)。 」― 福音宣伝者(1892 年)p.226,227.

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Lesson 25

深い教え

2013.12.21

「わたしは神の民が深い疑惑の下に留まっているのを見た。彼らが 不信の内に住むことは神の御心ではない。イエスは光であられるので 彼の内には暗闇が全くない。彼の子供たちは光の子である。彼らはキ リストの御姿に新たにされ、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下 さったのである。彼は世の光であられ、彼に従う者もそうである。彼 らは暗闇の内を歩むのではなく命の光を得なければならない。神の民 がキリストにもっと似るために奮闘すればするほど、さらに粘り強い 敵の追跡を受けることであろう。しかし彼らはキリストと密接になっ ているので、彼らをキリストから離そうと努力する悪賢い敵に抵抗す る力が与えられる。 」―教会への証1巻 p.405,406.

天からの声 1. イエスは試練を受けられる直前に天の御父に何を求められました か?わたしたちはどのように御父の御名に栄光を帰すことができま すか? ヨハネ 12:28,29「『父よ、み名があがめられますように。』すると天 から声があった、『わたしはすでに栄光をあらわした。そして、更に それをあらわすであろう。』すると、そこに立っていた群衆がこれを 聞いて、 『雷がなったのだ』と言い、ほかの人たちは、 『御使が彼に話 しかけたのだ』と言った。」 考えるべき問題:わたしの人生と経験をとおしてどのように天のみ父 を賛美し、栄光を帰しますか? 「『父よ、み名があがめられますように』と、イエスは言われた(ヨ ハネ 12:28)。キリストがこれらのことばを語られると、頭上にただよ っていた雲の中から、『わたしはすでに栄光をあらわした。そして、 更にそれをあらわすであろう』という応答があった(ヨハネ 12:28)。 キリストの全生涯は、かいばおけの時からこのことばが語られた時ま で、神の栄光をあらわしていた。そしてきたるべき試練に、神および 82

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人としてのキリストの苦難によって、実に天父のみ名があがめられる のであった。 この声がきこえると、光が雲からさして、あたかも無限な力の神の 両腕が火の壁のようにキリストをかこむかのように、キリストをとり まいた。人々は恐れと驚きの念でこの光景を見た。だれもあえて口を 開こうとしなかった。だまって息をころしたまま、みんなはイエスを 見つめて立っていた。天父のあかしが与えられると、雲は晴れて天に 散った。天父とみ子との目に見えるまじわりはその時やんだ。」―各 時代の希望下巻 p.87. 2. 天から彼の求めが受け入れられたという保証の声が聞かれたとき、イ エスは何と言われましたか?この声はあなたがたのためであるとの イエスの御言葉の意味はなんですか? ヨハネ 12:30「イエスは答えて言われた、『この声があったのは、わ たしのためではなく、あなたがたのためである。 』 」 「『すると、そこに立っていた群衆がこれを聞いて、 「雷がなったの だ」と言い、ほかの人たちは、「御使が彼に話しかけたのだ」と言っ た』(ヨハネ 12:29)。しかしたずねてきたギリシャ人たちは、その雲 を見、その声をきき、その意味をさとって、実際にキリストをみとめ た。彼らには、キリストが神からつかわされたお方としてあらわされ た。 公生涯の初めにイエスがバプテスマを受けられた時に、神のみ声が きこえ、それは山上の変貌の時にふたたびきこえた。いま公生涯の終 わりに、それはもっと大勢の人々によって、特殊な事情のもとに三度 聞かれた。イエスはユダヤ人の状態について最も厳粛な事実を語られ たばかりであった。主は最後の訴えをなし、ユダヤ人の滅亡を宣告さ れたのだった。いま神はふたたびみ子の使命に印をおされた。神はイ スラエルがこばんだお方をみとめられた。『この声があったのは、わ たしのためではなく、あなたがたのためである』とイエスは言われた (ヨハネ 12:30)。それはイエスがメシヤであられることについての最 高の証拠、すなわちイエスが事実を語られ、神のみ子であられるとい う天父のしるしであった。」―各時代の希望下巻 p.87,88.

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イエスの犠牲を取り巻く事件 3. イエスは差し迫った苦しみの時を見られ、何を考えられましたか?彼 の試練、死と復活によって何が決定されるのでしたか? ルカ 22:53(後半)「・・・だが、今はあなたがたの時、また、やみ の支配の時である。」 ヨハネ 12:31「今はこの世がさばかれる時である。今こそこの世の君 は追い出されるであろう。」 「イエスは続けて言われた、『今はこの世がさばかれる時である。 今こそこの世の君は追い出されるであろう。そして、わたしがこの地 から上げられる時には、すべての人をわたしのところに引きよせるで あろう。』イエスはこう言って、自分がどんな死に方で死のうとして いたかを、お示しになったのである」(ヨハネ 12:31-33 )。いまは世 界の危機である。もしわたしが人類の罪のためにあがないの供え物と なれば、世は明るくなるであろう。人の魂をとらえているサタンの束 縛はたちきられるであろう。けがされた神のみかたちは人性のうちに 回復され、信じる聖徒たちの家族はついには天国を嗣ぐであろう。こ れがキリストの死の結果である。救い主は、目の前に浮かぶ勝利の光 景について瞑想にふけられる。主は十字架が、それも残酷で不名誉な 十字架が、あらゆる恐怖を伴っているにもかかわらず、栄光に輝いて いるのをごらんになる。 」―各時代の希望下巻 p.88. 4. イエスは御自分のもとへ来るすべての人のために何をしてください ますか?十字架は大きな試練でしたが、すべての信じる者たちにとっ てその結果は何でしたか? ヨハネ 6:44「わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、 だれもわたしに来ることはできない。わたしは、その人々を終りの日 によみがえらせるであろう。」 ヨハネ 12:32,33「『そして、わたしがこの地から上げられる時には、 すべての人をわたしのところに引きよせるであろう。』イエスはこう 言って、自分がどんな死に方で死のうとしていたかを、お示しになっ 84

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たのである。 」 「しかし人類のあがないの働きが十字架によってなしとげられる全 部ではない。神の愛が宇宙にあらわされる。この世の君が追い出され る。サタンが神に向けた非難が反ばくされる。サタンが天に投げかけ た非難は永遠に除かれる。人類はもちろん天使たちもあがない主に引 きよせられる。『わたしがこの地から上げられる時には、すべての人 をわたしのところに引きよせるであろう』と、イエスは言われた(ヨ ハネ 12:32)。 」―各時代の希望下巻 p.88. 聖なる光の必要性 5. 聴衆は神の小羊としてメシヤが犠牲になり、死よりよみがえり、天 にあげられることを悟りましたか?したがって、イエスは彼らにどん な招きをなさいましたか? ヨハネ 12:34-36「すると群衆はイエスにむかって言った、 『わたした ちは律法によって、キリストはいつまでも生きておいでになるのだ、 と聞いていました。それだのに、どうして人の子は上げられねばなら ないと、言われるのですか。その人の子とは、だれのことですか。』 そ こでイエスは彼らに言われた、『もうしばらくの間、光はあなたがた と一緒にここにある。光がある間に歩いて、やみに追いつかれないよ うにしなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかって いない。光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい。』イ エスはこれらのことを話してから、そこを立ち去って、彼らから身を お隠しになった。 」 「キリストが彼らの救いまた義である事を是非とも教えねばなり ません。キリストの血がすべての罪を潔めると言う事実は、その効力 を信じ、アベルが子羊を奉げたごとく、キリストの血に依頼して父に 祈るものは必ず受け入れられるがゆえ、人がキリストを唯一の希望と して信ずる事を妨げようとするのはサタンが深く企んだ計画であり ます。」―福音宣伝者 p.162. 「『光がある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい』 とイエスは言われた(ヨハネ 12:35)。 神から与えられた光に背をむけ、 安息日学校教課

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手近にある光を求めない者は、暗黒のなかに残される。しかし、『わ たしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつ であろう』と救い主は宣言された(ヨハネ 8:12)。ひたすら神のみここ ろを行おうと願い、すでに与えられた光を熱心に心に留める者はだれ でも、もっと大きな光を受ける。そのような魂には、天の光に輝く星 が送られて、すべての真理に彼を導くのである。」―各時代の大争闘 上巻 p.401. 6. 多くの役人たちがイエスを信じる一方、イエスの聖なる教えを聞き、奇跡や 神性の表れを見たにもかかわらず、指導者たちや人々は何をしましたか? ヨハネ 12:37-43「このように多くのしるしを彼らの前でなさったが、 彼らはイエスを信じなかった。それは、預言者イザヤの次の言葉が成 就するためである、『主よ、わたしたちの説くところを、だれが信じ たでしょうか。また、主のみ腕はだれに示されたでしょうか。』こう いうわけで、彼らは信じることができなかった。イザヤはまた、こう も言った、『神は彼らの目をくらまし、心をかたくなになさった。そ れは、彼らが目で見ず、心で悟らず、悔い改めていやされることがな いためである。」イザヤがこう言ったのは、イエスの栄光を見たから であって、イエスのことを語ったのである。しかし、役人たちの中に も、イエスを信じた者が多かったが、パリサイ人をはばかって、告白 はしなかった。会堂から追い出されるのを恐れていたのである。彼ら は神のほまれよりも、人のほまれを好んだからである。」 「無数のしるしが与えられたが、彼らは目をとじ、その心はかたく なであった。いま天父がご自身で語られ、彼らはそれ以上のしるしを 求めることができないのに、それでも彼らは信じようとしなかった。」 ―各時代の希望下巻 p.89. 「律法学者とパリサイ人そして統治者たちは真理の証拠を見ない ことを決心し、最も明確は結論を回避した。彼らの頑な不信仰の道を 正当化するため、キリストの教えに誤った解釈を適用し、歪曲させる ことができそうなものを捕える機会を逃さなかった。自分自身に対す る神の勧告を拒否したこれらの人々は、キリストの真理の御言葉を誤 用できそうもない時には、イエスが教えようとされた教訓から離れ、 人々の注意をひくように手近な問題への言及を避けて、巧みに真理を 86

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避ける質問を始めた。パリサイ人は、キリストの教え―彼らの心に深 い印象を与えた真理をやみくもに反対していたわけではなかった。し かし、彼らは真理に反抗し、彼らの確信とは反対の道に進んだ。彼ら は見ないように目を閉じ、心を頑なにした。それは、キリストが彼ら を悔い改めさせ、いやされることがないためである。」―(レビュー・ アンド・ヘラルド 1892 年 10 月 18 日)SDA・バイブル・コメンタリー・ 5巻 p.1120. 7.イエスのメッセージを信じるとき、わたしたちは誰を信頼しますか?イエスを 信頼する人々に何がおきますか? ヨハネ 12:44-46「イエスは大声で言われた、『わたしを信じる者は、 わたしを信じるのではなく、わたしをつかわされたかたを信じるので あり、また、わたしを見る者は、わたしをつかわされたかたを見るの である。わたしは光としてこの世にきた。それは、わたしを信じる者 が、やみのうちにとどまらないようになるためである。』」 「『しかし、役人たちの中にも、イエスを信じた者が多かったが、 パリサイ人をはばかって、告白はしなかった。会堂から追い出される のを恐れていたのである』(ヨハネ 12:42)。彼らは神の承認よりも人 の称賛を好んだ。非難と恥をまぬかれるために彼らはキリストをこば み、さし出された永遠の生命をこばんだ。それ以来幾世紀の間、これ と同じことをしている者がどんなに多いことだろう。『自分の命を愛 する者はそれを失い』という救い主の警告のことばは、このようなす べての者にあてはまるのである(ヨハネ 12:25)。イエスは言われた、 『わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさ ばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさ ばくであろう』(ヨハネ 12:48)。 」―各時代の希望下巻 p.89,90. 瞑想のために 「多くの人々によって主の送られた御言葉は拒否され、人間が語っ た言葉が光、また真理として受け入れられるであろう。人間の知恵は 自己否定と聖別から離れさせ、神のメッセージを無効にする傾向があ る多くのものを考案するであろう。わたしたちは神と密接につながっ ていない人々を安心して信頼する事はできない。神の民がこの時代の 安息日学校教課

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ために持つべき真理を証する証拠が彼らの目の前に積み上げられて いても、彼らは人の意見は受けいれるが、真の牧者の声を聞きわける ことができず、彼らの感化が多くの人を迷わすように導く。 」―(手紙 1f, 1890 年)SDA・バイブル・コメンタリー・4 巻 p.1147.

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Lesson 26

時のしるし

2013.12.28

※イギリスからの伝道報告をお読みください。

「わたしは時のしるしが成就されていくのをなおざりにしないよ うにと教会の信徒たちに訴える。そしてこのしるしは終わりが近いこ とを明確に示している。 ・・・ 永遠の幸福に関することに今、我々の注意が集中されなければなら ない。われわれは天の事物を第二の場においてはならない。・・・神 の審判が地の上に臨むであろう。『だから、あなたがたも用意をして いなさい。思いがけない時に人の子が来るからである』との厳粛な警 告の使命が鳴り響いている。」―マラナタ p. 39,106.

時のしるしを通して語られる 1. 旧約の預言の書には何がしばしば言及されていますか?エジプトから出る 時神がなさったことについて、ステパノは何を語りましたか?ステパノは出エ ジプトの時代に神が行われたどんな驚くべき事件に関して語りましたか? 出エジプト記 10:2「また、 わたしがエジプトびとをあしらったこと、 また彼らの中にわたしが行ったしるしを、あなたがたが、子や孫の耳 に語り伝えるためである。そしてあなたがたは、わたしが主であるこ とを知るであろう。 」 詩篇 135:9「エジプトよ、主はおまえの中に、しるしと不思議とを送 って、パロとそのすべてのしもべとに臨まれた。 」 ダニエル 6:27「彼は救を施し、助けをなし、天においても、地にお いても、しるしと奇跡とをおこない、ダニエルを救って、ししの力を のがれさせたかたである。 」 使徒行伝 7:36「この人が、人々を導き出して、エジプトの地におい ても、紅海においても、また四十年のあいだ荒野においても、奇跡と しるしとを行ったのである。 」

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考えるべき問題:特別の出来事にともなう主のご目的は何ですか? 「わたしは時のしるしが成就していることをなおざりにしないよ うにと教会の信徒たちに訴える。そしてこのしるしは終わりが近いこ とを明らかに示しているからである。おお、自分の魂の救いをなおざ りにした多くの人々が間もなく何と苦い悲痛を味わうようになるだ ろうか!『刈入れの時は過ぎ、夏もはや終った、しかしわれわれはま だ救われない!』 ・・・ 教会の内にもこの時代のための真理の真の意味を少ししか理解し ていないものが多くいる。わたしは彼らに時のしるしの成就をなおざ りにしないようにと訴える。このしるしは終わりが近いことを明らか に示している。ああ、自分の魂の救いを求めなかったなんと多くの 人々が、間もなく苦い悲嘆を味わうようになることであろう?『刈入 れの時は過ぎ、夏もはや終った、しかしわれわれはまだ救われない』 」 ―マラナタ p. 39,106. 主の勧告 2. イエスの宣言によるとそのような特別な出来事が起きた時、どのようにするこ とが重要だと言われましたか?ユダヤ人はこれらのしるしを理解し、識別し ましたか? マタイ 16:3「また明け方には『空が曇ってまっかだから、きょうは 荒れだ』と言う。あなたがたは空の模様を見分けることを知りながら、 時のしるしを見分けることができないのか。」 「わたしたちには鋭く、聖別された知覚力が必要である。この知覚 力は互いに非難し、責めるためではなく、時のしるしを識別するため に用いられるべきである。わたしたちは自分たちの心を信仰の破船に あわないように、ことごとく勤勉な状態に保つべきである。この危険 な時代に見張りつつ祈ることを怠る人々、主を求めることにおいて自 分の兄弟たちと一致することを怠り、かえって教会の中で神に任命さ れた代理人たちから遠ざかっている人々は、ますます自分たち自身の やり方で自分自身を強め、自分自身の思いの衝動に従い、そして主の 訓告に注意を払うことを拒むという深刻な危険のうちにいる。 ・・・」 ―天国で p.97. 90

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弟子たちの関心 3. 弟子たちはイエスの使命が終わる少し前にどんな質問をしましたか?イエ スは愛する神殿に何が起こると言われましたか? マタイ 24:1,2「イエスが宮から出て行こうとしておられると、弟子 たちは近寄ってきて、宮の建物にイエスの注意を促した。そこでイエ スは彼らにむかって言われた、『あなたがたは、これらすべてのもの を見ないか。よく言っておく。その石一つでもくずされずに、そこに 他の石の上に残ることもなくなるであろう。』 」 「キリストの注意が宮の壮麗さにひきつけられた時、こばまれたこ のお方の無言の思いはどんなであったろう。なるほど主の目の前の景 色は美しかったが、主は、悲しみをこめて、わたしには何もかもわか っていると言われた。なるほど建物はすばらしい。あなたがたはこの 壁をさして、破壊されそうにみえないと言うが、わたしのことばを聞 きなさい。『その石1つでもくずされずに、そこに他の石の上に残る こともなくなる』日がくるのである(マタイ 24:2 )。 」―各時代の希望 下巻 p.90,91. 4. 神殿に関するイエスのどんな声明が弟子たちに特別な興味をおこしました か?町の外のオリブ山にいた時、彼らはイエスに何と質問しましたか? マタイ 24:3「またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひ そかにみもとにきて言った、『どうぞお話しください。いつ、そんな ことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終り には、どんな前兆がありますか。』 」 考えるべき問題:預言は誰のために与えられましたか? 「キリストのことばは多くの人々が聞いているところで語られた。 しかしイエスが一人になられて、オリブ山にすわっておられると、ペ テロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレがみもとにやってきて、『どうぞお 話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまた おいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか』と言っ た(マタイ 24:3)。イエスは弟子たちに答えるにあたって、エルサレ 安息日学校教課

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ムの滅亡とご自分がおいでになる大いなる日とを別々にとりあげら れなかった。主はこの二つの出来事をいっしょにまぜて描写された。 イエスがご自分のごらんになった通りに未来の諸事件を弟子たちに 示されたら、彼らはその光景に耐えることができなかったであろう。 彼らに対する思いやりから、主は二つの大きな危機をまぜて描写し、 その意味を弟子たちが自分で学ぶようにされた。主がエルサレムの滅 亡のことを言われた時、その預言のことばはエルサレムの滅亡という 事件を超えて最後の大火の日にまで及んでいた。その日には、「主は そのおられる所を出て、地に住む者の不義を罰せられる。地はその上 に流された血をあらわして、殺された者を、もはやおおうことがない」 (イザヤ 26:21)。この話の全体は、ただ弟子たちのためだけでなく、 地上歴史の最後の場面に住む者たちのために語られたのであった。」 ―各時代の希望下巻 p.92. 宗教的しるし 5. 弟子たちの質問の答えとして、イエスが彼らに与えられた最初の警告は何 でしたか?誰が神の使命者のふりをしますか? マタイ 24:4,5「そこでイエスは答えて言われた、 『人に惑わされない ように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分 がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。』 」 「弟子たちの方を向いて、キリストは、『人に惑わされないように 気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリ ストだと言って、多くの人を惑わすであろう』と言われた(マタイ 24:4,5 )。多くのいつわりのメシヤたちが現われて、奇跡を行なうと 称し、ユダヤ国民の救済の時が来たと宣言する。これらの者は多くの 人々をまちがった道へ導くのである。キリストのこのことばは成就し た。キリストの死とエルサレム包囲との間に、多くのいつわりのメシ ヤたちが現われた。しかしこの警告は現代の世に住んでいる者たちの ためにも与えられたのである。エルサレムの滅亡に先立って行われた のと同じ欺瞞が、各時代を通じて行われてきたが、それはふたたび行 われるであろう。 」―各時代の希望下巻 p.93.

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社会的しるし 6. イエスは他にどんな恐ろしい事件が起こることを預言されましたか? マタイ 24:6-8「また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意 していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、ま だ終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。 またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。しかし、 すべてこれらは産みの苦しみの初めである。」 「エルサレム滅亡の前に、人々は主権を争った。皇帝たちは殺害さ れた。王の近臣と思われている人たちが殺された。戦争と戦争のうわ さがあった。 『それは起らねばならないが、まだ(一国家としてユダヤ 国家の)終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであ ろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。し かし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである」(マタイ 24:6-8)。 ラビたちがこれらのしるしを見る時、彼らはそれが神の選民を束縛し たために諸国にくだる神の刑罰であると宣言するであろうと、キリス トは言われた。こうしたしるしはメシヤ来臨のしるしであると、彼ら は宣告するであろう。あざむかれてはならない。それらは神の刑罰の はじまりである。人々は自分自身に満足してきた。彼らは悔い改めて いやされることがなかった。彼らが束縛からの解放のしるしと言って いるしるしは、彼らの滅亡のしるしである。」―各時代の希望下巻 p.93,94. 神の民が試みられる 7. エルサレムの崩壊の前に救い主は彼の愛される弟子たちに他に何が起こ るといわれましたか?わたしたちは教会が憎まれ、迫害されることについて 何を知っていますか? マタイ 24:9「そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また 殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に 憎まれるであろう。」 使徒行伝 8:1 「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。そ 安息日学校教課

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の日、エルサレムの教会に対して大迫害が起り、使徒以外の者はこと ごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った。」 「これらのすべてのことをクリスチャンは経験した。父親と母親は 子供たちを裏切った。子供たちは親を裏切った。友人は友人をサンヒ ドリンに引き渡した。迫害者たちはステパノ、ヤコブその他のクリス チャンたちを殺すことによってその目的を達成した。」―各時代の希 望下巻 p.94. 「オリブ山上から救い主は、使徒時代の教会にふりかかろうとして いた嵐を見られた。そして、さらに遠い未来を貫いて、来たるべき暗 黒と迫害の時代において、彼に従う者たちを襲う激烈で破壊的な嵐を ごらんになった。彼はここで、簡単ではあるがきわめて重大な発言に よって、この世の支配者が神の教会をどう扱うかを予告された(マタ イ 24:9,21,22 参照) 。キリストに従う者たちは、彼らの主が歩かれた のと同じ屈辱と非難と苦しみの道を歩かなければならない。世界の贖 い主に向けられた敵意は、彼の名を信じるすべての者に対してあらわ されるのであった。」―各時代の大争闘下巻 p.29. 8. それにもかかわらず、主はこのような激しい試練の時のためにどのような慰 めとなる保証の御言葉をくださいましたか? マタイ 5:10-12「義のために迫害されてきた人たちは、さいわいであ る、天国は彼らのものである。わたしのために人々があなたがたをの のしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時に は、あなたがたは、さいわいである。喜び、よろこべ、天においてあ なたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、 同じように迫害されたのである。」 マタイ 24:13「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。 」 「試練と迫害を通して、神の栄光―品性―が神の選ばれた民のうち に現される。世に憎まれ、迫害される神の教会は、キリストの学校に おいて教育され、訓練を受ける。彼らは地上の狭い道を歩き、苦難の 炉で精練される。彼らは激しい戦いの中にあってもキリストに従う。 彼らは自己を犠牲にし、にがい失望を経験する。しかし彼らの苦しい 94

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経験は、罪の結果とその苦悩を教えるのである。そして、彼らは嫌悪 の情をもってそれを見るのである。キリストの苦難にあずかる彼らは、 キリストの栄光にあずかる者とされるのである。聖なる幻の中に預言 者は神の民の勝利を見た。」―祝福の山 p.37,38. 瞑想のために 「わたしたちの周りで成就している時のしるしは全ての終りが差し 迫っていることを示している。強烈な熱意がわたしたちを捕えるべき である。わたしたちの眠っているエネルギーが、辛抱強い努力によっ て起こされなければなりません。 ・・・ 長いあいだ真理の光を持った者たちが地上の暗い所に真理のたい まつを運ばないでいるとはなんと奇妙な事なのであろう!全世界は 混乱に陥っている。主は御自分の民に眠りから覚めるように求めてお られる。わたしの兄弟姉妹たちよ、他の人々を批判することをやめて あなた自身の言葉と動機を厳しく批判しなさい。わたしたちには敵の 器として使われる時間はない。・・・嫉妬、敵意、憎悪、不信が魂の 庭で丈夫な植物となって育っている。これらを根元から抜き捨て、そ の場に愛と忍耐、寛容、親切、慈悲、同情心、柔和で満たしなさい。 ・・・」 ―上を見上げて p.79.

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イギリスからの伝道報告 2013 年 12 月 28 にお読みください。 特別安息日学校献金は 2014 年 1 月 4 日に集められます。 グレートブリテンまたイングランドとしても知られている英連合王 国はヨーロッパ大陸の西に位置した大きい島国です。経済的にはヨーロ ッパで最も富んでいる国でもあります。島の面積は 243,610 平方キロメ ートルであります。海岸地帯の長さは 12,429 キロメートルにもおよび 人口は約 62,700,000 名程度であります。 政治的にはイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルラ ンドが英連合王国を構成されています。公式語は英語ですがスコットラ ンド語、アイランド語、ウェールズ語も広く使われています。イギリス は多文化国家で約 88.7%が白人、約 2.7%がインド人、約 1.6%が黒人、 中国やその他の人種と混血が約 1.4%程です。 イギリスはキリスト教国家で信教の自由が保証された国であります。 プロテスタントは人口の約 60%を占めており、カトリックが約 14%、 イスラムが約 3%、仏教とヒンドゥーが約 2%、ユダヤ教、エホバの証 人、セブンスデー教会、そのほかの教派が約 21%程度であります。他 の西洋国家と同様に物質的な富と他のいくつかの要因のため宗教に対 する関心と興味はこの国でも急激に消えています。 イギリスはとても豊かで興味深い歴史遺産を所有していますが、プロ テスタント改革運動の歴史においてもそうであります。ローマカトリッ クが優勢を誇っていた中世の間、すべてのキリスト教世界における最初 の改革者の一人は、14 世紀にこの国で起こりました。 「改革の明星」と 呼ばれジョン・ウィクリフは多くの人々の目を開いて聖書を読むように しました。その当時聖書は学識のあるわずかの学者たちだけが読むこと のできる本でした。ウィクリフは書籍と印刷物を通してローマ教の誤謬 を暴露しました。ウィクリフの後にも多くの宗教改革者たちがイギリス と他のヨーロッパの国々で起こりました。 1840 年代にセブンスデー・アドベンチスト教会が入り 1860 年中旬ま でイギリス全域に三天使の現代真理を伝えました。改革運動の使命は 1925 年初旬に入り、初めて教会が組織されました。初期には改革の使 命が良く受け入れられ、ウェールズに多くの信徒ができました。チャー ルス兄弟の家族がこの使命を初めて受け入れました。続いて数名の信徒 が加わり、ウェールズにいる信徒の数は 25 人にまで増えました。スカ 96

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ボロー地域に 10 人、ストーク・オン・トレント地域には 4 人の家族が メッセージを受け入れました。しかし政治的経済的圧迫が激しくなるに したがって現代の真理を力強く伝えることは困難でした。信徒たちが年 老い、この世を去るとその子供たちは使命を信じなくなってしまいまし た。現在はほんの数名の信徒がイギリスに残っています。現在チェムス フォードに大部分が移民者で構成された約 20 余名の信徒たちが集まっ て礼拝をしており、そこでイギリスフィールドの全ての働きをしていま す。 現在イギリスの教会の指導者たちは特に首都のロンドンに使命を伝 えることに全力を注いでいます。ロンドンでは最近三名の魂がバプテス マを受けました。E.Gホワイト姉妹はロンドンでの伝道の働きに関す る特別な使命を与えられました。「イギリスでなされるべき働きが大き い。ロンドンから輝き出る光は地域を超えて鮮明な光線を輝かさなけれ ばならない。神はイギリスにおいて働かれた。しかしこの英語を使う世 界はとてもおろそかにされてきた。イギリスはさらに多くの働き人とさ らに多くの手段を必要とする。ロンドンはほとんど手が付けられて来な かった。その大きな都市の状況が私の目の前に開かれたとき、私の心は 大きく動かされた。ヨーロッパ全体を通してもっと大きな施設が提供さ れていないことを考える時私の心は痛む。スイス、ドイツ、ノルウェー、 スウェーデンの働きに対して考えると心が痛む。様々な異なる分野にお ける働きを前進させるために奮闘している一人か二人の働き人がいる ところに数百人が働かなければならない。ロンドン一か所だけでも百人 以上の働き人がいなければならない。主は彼の働きが疎かに扱われてい るのを知っておられる。やがて支払わなければならない重要な決算書が あることであろう」 (教会への証6巻 p. 25,26) 。私たちはこの証に従う ために最善を尽くします。 イギリスフィールドの最も大きな問題は教会がまもなく正式に政府 に登録されなければならないということです。そして教会を発展させて いくためには他のフィールドと同様に教会と家具などを備えた本部事 務所が必要であります。過去にイギリスの教会は他国の伝道の働きため に多くの資金を援助しました。しかし今は私たちが皆様の助けを必要と しております。全世界のユニオン及びフィールドの兄弟姉妹がたが助け てくださいまして、イギリスにおける伝道の働きが発展し、再び新しく 教会を再整備することができるように助けてくださることをお願いい たします。最近イギリスフィールドは世界総会と共にイギリスの働きを 管理する牧師を立てることを計画中であります。このような計画は過去 安息日学校教課

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には一度も進めることができなかった事なのでイギリスフィールドの 今の状態では多くの制限があります。このような理由により皆様の経済 的援助が必要であります。皆様の惜しみない献金は有益に使われること でしょう。神の恵みと祝福が私たちの訴えに耳を傾けてくださったすべ ての兄弟姉妹がたの上に豊かに注がれるようお祈りいたします。 ―キリストの共労者 パーメナス・N・シリマ

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IMS・セブンスデー・アドベンチスト教会 〒905-0005 沖縄県国頭郡今帰仁村字湧川 1300-1 Tel: 0980-56-3278 携帯: 080-3906-2369(SoftBank) Email : sda1888@live.jp http://www.sda1888.com/ ※わたし達の印刷物は皆様の献金によって支えられています。 より多くの人々に福音を伝える為に皆様の惜しみない献金を宜しくお願いたします。 郵便振替:10310―37040581 アイエムエス・エスディ―エー教会 安息日学校教課

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2013 年第 4 期

2013年第4期安息日学校教課  

イエスの生涯、働き、教えpart3-2 Life, Work, and Teaching of Jessus Part 3-2

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