Page 1

の史跡・山城 を 詳細 なマップ で紹介

54  


妙高高原

52p. 英岩寺

黒姫高原

野尻湖

信濃町IC

4

6

豊田飯山IC

戸隠山

信 越 本 線

18

霊仙寺山

浅 川 ル ー プ ラ イ ン

イ ン

戸 隠 バ 大峰城 ド ラ

裾花川

406

虫倉山

38p. 葛山城 40p. 旭山城

陣馬平山

47p. 吉窪城

信州新町

丹波島渡

犀川

篠 ノ 井 線

笹平

19

杭瀬下

東和田

臥竜山 (須田城)

須坂長野東IC

熊の湯温泉

高山村

聖高原

麻績村

須坂市

麻績IC 筑北PA

上田市

千曲川さかきPA

田代湖

114

にしうえだ

大法寺

うえだ

上田電

鉄別所

生島足島神社

塩田平

べっしょおんせん 北向観音 中禅寺

塩野神社

前山寺

塩田城 64p.

湯の丸山

湯ノ丸高原

114

東御市

高峰高原

国分1

赤坂

143 松本街

田沢温泉

真田城

62p. 戸石城 上田菅平IC

34p. 板垣信方の墓

鹿沢

角間温泉 長谷寺

千古温泉

18 上塩尻東

別所温泉

田代

鳥居峠

菅平口

さかき 千 四ッ屋 曲 川

狐落城

室賀峠

青木村

嬬恋村

菅平高原

長野街道

34p. 上田原古戦場

143

群馬県 四阿山

長野県

新地蔵峠

葛尾城 58p.

筑北村 四阿屋山

大 笹 街 道

406

(高坂弾正の墓)

上 信 越 自 動 とぐら 車 道

笄の渡 58p.

青柳城 56p.

保科温泉 まつしろ

海津城 20p. 妻女山 22p. 拡大図

姨捨山

ひじりこうげん

仙仁温泉

清水寺

し な の 鉄 道 戸倉

戸倉上山田温泉

本町

広徳寺

明徳寺 24p.

60p. 荒砥城

406

57p. 麻績城

七味温泉

千曲市

おばすて

聖山

山田温泉

謙信道

須坂温泉

井上城 48p.

やしろ

武水別神社

姨捨SA

292

角間温泉

志賀高原

403

すざか

長野IC 松代SA

地獄谷温泉

木戸池温泉

曲 川

勘助の墓 18p.

渋温泉

谷 街 道

信 小布施PA 越 本 千 線

柳原北

湯田中温泉

岩松院

おぶせ

栗田城 45p.

25p. 勘助宮

更埴IC

いなりやま

牧之島城 55p.

虚空蔵山

小布施町

とよの

18

横山城 44p. 19

12p. 八幡原古戦場

長 野 しののい 新 幹 18 線

奈津女橋

篠 ノ 井 線

善光寺

長 野 電 鉄

かわなかじま

白馬長 野道路

長 野 自 動 車 道

42p. 謙信物見岩

ながの

長野市 中条村

42p.

信州中野IC

浅野

北 国 街 三登山 道

坂中峠

高梨氏館跡 しんしゅうなかの ゆだなか

403

36p. 髻山城

飯綱高原

山ノ内町

むれ

飯縄山

宝光社

高社山

中野市

292

上 信 越 自 動 車 道

飯綱町

戸隠神社奥社

中社

403 谷 街 道

黒姫野尻湖PA

8km

戸隠高原

綱切橋 52p.

割ヶ嶽城 51p.

くろひめ

信濃町

高妻山

木島平村

飯山城 52p.

いいやま

飯山市

斑尾山

馬曲温泉

有尾

(鬼小島弥太郎墓) 斑尾高原

黒姫山

鬼無里街

292

妙高高原IC

N

2

みょうこうこうげん

山 線

小菅神社 52p.

117

富倉峠 52p. 飯

豊橋

千 曲 川

川中島合戦 マップ 東北信広域

0

18

赤倉温泉

国分寺

大屋

東部湯の丸SA

東部湯の丸IC

小諸市

152 長

小諸IC 野

線 八重原温泉

しげの 布引観音

18 小諸城

こもろ

406


北軽井沢

鬼 押

横田城 (長野市篠ノ井会)││││││││││││││││

横山城 (長野市箱清水)││││││││││││ │ 栗田城 (長野市栗田)││││││││││││││││││

大峰城・謙信物見岩 (長野市箱清水) │ ││││││││

旭山城 (長野市平柴)││ ││││││││││││││││

葛山城 (長野市芋井鑪)│││││││││││││││││

髻山城 (長野市若槻西条)││││││││││││││││

 山城ガイド

川中島合戦ウォーキングガイド 目次

ェ ー

万 座

東北信広域マップ │ │││││││││││││ 川中島地方拡大マップ │ │││││││││││

 川中島合戦イントロダクション

川中島合戦の全貌 │ │││││││││││││

 史跡ガイド

吉窪城 (長野市塩生乙吉窪)│││││││││││││││

井上城 (須坂市井上町)│││││││││││││││││

霞城 (長野市松代町大室)│ │││││││││││││││

尼巌城 (長野市松代町東条)│││││││││││││││

割ヶ嶽城 (信濃町富濃)││ │││││││││││││││

飯山城 (飯山市飯山)││ ││││││││││││││││

イ ウェ

とりで

を困難にする。

どるい

枡形 �� 方形の広場で、出陣の際兵が集まる場所。侵

ますがた

たてぼり

の補佐役。

からめて

土塁 ��� 土を盛り上げて築いた砦。

郭 ��� 周囲を土や石などで巡らしてある囲い。また、

熊野神社 入した敵の動きを妨げる効果もある。 軽井沢町 ろうじよう

堀切 �� 敵の侵入を防ぐための溝。竪堀は横への移動

搦手 �� 城の裏門のこと。

ほりきり

大手 ��� 城の正門(表門)のこと。

くぼう

146

かんとうかんれい

戦国用語解説

八幡原古戦場 (長野市小島田町) ││ ││││││││ 胴合橋・典厩寺・赤川の歌碑 (長野市篠ノ井西寺尾)│ │ 山本勘助の墓 (長野市松代町柴) │││││││││ │ 海津城(松代城)跡 (長野市松代町松代)│ │││││ 妻女山周辺 (長野市松代町清野)││ ││││││││

古山城 (小川村東古山輪之内)││││││││││││││

牧之島城 (信州新町牧之島)││ │││││││││││││

青柳城 (筑北村坂北)││ ││││││││││││││││

麻績城 (麻績村城山)││ ││││││││││││││││

葛尾城 (坂城町坂城)││ ││││││││││││││││

なかかるいざわ

406

荒砥城 (千曲市上山田)│││││││││││││││││

146

戸石城 (上田市上野伊勢山)│││││││││││││││

街道 道 北国 の鉄

沢バ イパ ス

軽井

羽根尾

その内側の地域。

移封 ��� 大名を他の領地へ移すこと。国替え。 かるいざわ

中軽井沢

292

関 東管領 幕府が設置した役職名で、鎌倉府の鎌倉公 方

おおて

応桑

日 本 ロ マ ン チ ッ ク 街 道

おおまえ

ハイランド 白糸

浅間山

大津

かく

旧軽井沢 籠城 ��� 城などの中に立てこもって敵を防ぐこと。

いほう

ふくろぐら

笹平

ハ イ ウ ェ ー

405

明徳寺 (長野市松代町豊栄)│││││││││││││││

大沼池

292

ハ イ ウ

野反湖

勘助宮 (長野市篠ノ井小森) │││││││││││ │ 東昌寺・昌龍寺・狐丸塚 (長野市稲里町田牧・広徳)│ │

奥志賀

草津温泉

草津白根山

長徳寺・大塚館・安養寺 (長野市青木島町大塚) │ ││ 両角豊後守の墓 (長野市稲里町下氷鉋)│ ││││││ 幕張の杉・八幡宮 (長野市稲里町) ││ │││││││ 雨宮の渡し (千曲市雨宮)│ │││││││││││

焼額山

塩田城 (上田市前山)││││││││││││││││││ 白根山

秋山郷

茶臼山・耕心庵 (長野市篠ノ井布施五明) ││ │││││ 上田原古戦場 (上田市上田原) │││││││││ │

34 33 32 31 30 28 26 25 24 22 20 18 16 12

4 3 横手山

6

栄村

北軽井沢 64 62 60 58 57 56 55 54 52 51 50 49 48 47 46 45 44 42 40 38 36


第二次川中島合戦

日、

  月 日、謙信は善光寺横山 城に着陣。旭山城を再興し、本 月

 信玄は、更級郡大塚の大堀館 に陣を張り、上杉軍と対陣する。 かみみのち

陣 を置いた。そして

が続くが、今川義元が仲介に入

戦ったが(上野原の戦い) 、勝敗

らに 水 内 郡 上 野 原 で 武 田 軍 と

第四次川中島合戦

は決しなかった。 

200日近く両軍のにらみ合い

あさひやま

ぼく

永禄4(1561)年

じょうらく

上 洛のす

き を 突い

て、 突 如

わりが

たけ

奥 信 濃の

  割 ヶ嶽 城

を落とす。

(信濃町)

武 田の 勢

力 が 越 後 に 及 ぶの を 恐 れ た 謙

信は、ついに雌雄を決するべく、

月 日、 万 千の兵を率い

かすがやま

そび

て越後の春日山を出発、 日後

さいじょざん

の 日に松代の千曲川右岸に聳

しら

える妻女山に布陣する。

共に甲府を発ち、 日には雨 宮

 一方、謙信出兵の報せを受け た信玄は、 日、 万余の兵と

中島合戦最大の戦いが、こ  川 えいろく の永禄 年の合戦である。川中 島平に現在も残されている、史

永禄

年) 、武田・ 上杉両軍は、それ

その 後、

に 陣 を 敷 き、

に千 曲 川 広 瀬

の 渡 し を 渡っ

かいづ

て、山 本 勘 助

築 城の海 津 城

へと入城した。

すいえん

城 か ら 上る 武 田 軍の 炊 煙 が 普 年

 両軍は、そのまま動かず、 日 ほ どし た 月 日 夜、海 津 禄

月、武 田 軍 が 謙 信の

東 管 領 に 任 ぜ ら れ る な ど、 戦

かんれい

ぞれ信濃守護、関

あめのみや

跡や伝承の多くは、この時の戦 いによるものであ 月 日に

まつしろ あまかざり

 和睦をしたものの、弘治 年 には、武田方の真田幸隆が上杉

る。 攻め落とし、翌 年

かつらやま

は、武田軍は葛山城を攻略、善 光寺を手中に収めた。 き   ぐ

  第三次の戦いの あと(永禄元年〜

軍の立てこもる松代の尼 巌城を

弘治3(1557)年

第三次川中島合戦

  和睦 する。

に返上するという講和の条件で

中島から撤退し、所領を旧領主

り、旭山城は破却、両軍とも川

  第二次合戦は弘治元年 月、 謙信は村上義清・高梨政頼らの

で終わる(犀川の戦い) 。その後、 坂木の岩鼻で武田軍を破る。さ

さい

13

謙信は上水内郡香坂、小県郡境

5

求めにより、善光寺横山城に入

弘治元(1555)年

  月 日、両 軍 は 犀 川 付 近 で衝突するが、小競り合い程度

4

のない年月を送る。しかし、永

10

 武田軍の信濃再侵攻を危惧し た謙信は、 月 日、再度信濃 へ出兵。武田方の高井郡山田城、

1

19

福島城を攻略しながら、善光寺

14

7

へと進軍する。

1

29

−9−

激戦のきっかけとなった割ヶ嶽城

3

24 2

9

2 15

18

闇夜に紛れて渡った雨宮渡

9

2

8

21

4

4

3 18

3

4

4

16

7

り、武田軍の信州先方衆栗田氏 が守る旭山城を攻める。

川を挟んで対陣する武田・上杉両軍


とうばつ

杉謙信は、信玄討伐に立ち上が 年間、 度にわた

る。ここに

る川中島合戦の火ぶたが切って

かげとら

後の雄・長 尾 景 虎( 上杉 謙 信 )

を抱きながら、故郷を後に、越 を頼って敗走する。葛尾城落城

 真田幸隆は、さかのぼること 天文 (1541)年、海 野一 族とともに武田信虎・村上義清・

落とされたのである。時に信玄 歳、謙信 歳であった。

笄を渡して、千曲川を渡る悲話

の際、逃げる義清夫人が舟頭に ちくま

諏訪頼重の連合軍と海野平で戦 を生んだ。

こうがい

い、これに敗れて東信濃を追わ れていた。その後、晴信(信玄) しゅっし

が甲斐領主になると、幸隆は武 ちくま

攻略   戸 石 城 攻 略 から 葛 尾あ城 づみ までの 年間、信玄は安曇郡の

田に出仕。信玄に臣従後は信濃 谷原城、塔原城を次々に落とし、

平瀬城、小岩嶽城、筑摩郡の刈

天文 (1553)年

第一次川中島合戦

得意とした知将である。

そして長時は、越後の長尾景虎

曇から追い出すことに成功する。

小 笠 原 長 時 を 完 全に 筑 摩・安

兵を動かし葛尾城を奪還、更級

越 後に走ると、謙 信は同

  月 日、義 清の葛 尾 城 が 落城、義清は謙信に援軍を求め、

せんぺい

略の尖兵役を担った。謀略戦を

先方衆の筆頭格として、信濃攻

 武田軍を二度も破った村上義 清だったが、幸 隆の戸石城乗っ

を頼って逃げ延びることとなる。

日、

取りに「武田に戦いで勝ちなが

て逃げるか、どち

に長尾景虎を頼っ

臣 従するか、越後

しんじゅう

ら、謀略に負けた」と口惜しがっ

33

 このように、信濃の有力豪族 は、 武 田 信 玄 に

たという。

謙信、立ち上がる

天文 (1553)年

日、   信 濃 の 豪 族 た ち(村上、小笠原、

らかを選択したの  戸石城陥落を境に、村上義清 は次第に形勢不利の状態となり、 である。 かつらお

4

9

さらしな

郡八幡で武田軍を破る。信濃豪 族の諸氏は旧領 を回復する(八 幡の戦い) 。  しかし、 月

日村上義清

後へ敗走する。このため謙信は

村上義清は再び謙信を頼って越

さらしな

再度、信濃に出陣し、武田軍と

月 日には更級郡八幡で武田

更 級郡布施で交戦(布施の戦い) 、

軍を撃破する。この時、武田方

あらと

玄はすかさず甲

り、されたりの攻防が

の荒砥城が自落する。奪取した

月まで 久郡内山城に入

斐より出陣。佐

城に入ると、信

が小県郡塩田

25

続いた後、甲越両軍とも信濃か り、 月 日に は塩田城を攻略、 ら兵を引き上げる。 

10

ついに居城葛 尾城までも落城さ

高梨、須田、井上、

しろ

島 津、栗田ら)の

  支族屋代 氏、塩崎氏の裏切りに

れてしまう。この時も、村上の

求 めに 応 じ、つい

妻女山より川中島平を一望する

−8−

12 24

22

2

よる武田軍の謀略で城を失うこ

22

7 5

9

に長尾景虎こと上

1

5

8

4

ととなった。義清は無念の思い

9

10

22


上信

看板

403 池田満寿夫 美術館

ウォーキングガイド

 長野電鉄松代駅を出発点に海津 城跡までは徒歩で 分ほど。途中

術館があり、立ち寄りたいスポッ

には世界的版画家、池田満寿夫美

松代藩文武学校なども徒歩圏内で

トだ。真田宝物館や旧真田邸、旧

大本営や長国寺など 日では足り

ある。さらに足をのばせば、松代

ないくらいの見どころが楽しめる。

茶褐色の名湯松代温泉に浸かるな

 長野電鉄屋代線「松代駅」より 徒歩約 分

 長野駅善光寺口 番のりばより、 川中島バス松代行きで「松代駅」

026ー278ー1722)

6152) 、池田満寿夫美術館(☎

藩文武学校(☎026ー278ー

真田 宝 物 館、旧 真田 邸、旧 松 代

10

− 21 −

ら、 国民宿舎「松代荘」がおすすめ。

5

下車(約 分) 、徒歩約 分。

3

松代駅

10

IC

周辺の見どころ

35

松代町松代 旧松代藩 文武学校

病院前 旧真田邸

1

 上信越道長野 より約 分

アクセスガイド

紺屋町

10

新堀

セ ブ ン イ レ ブ ン 松代小

マツヤ

太鼓門 内堀

中町 枡形

ろ つし ま 海津 (松代) 城 展望台

荒神町

仲町

北不明門 井戸

松代総合病院 真田宝物館

交番

神 田 川 至 や し ろ

松代町東寺尾

中学前

至 更 埴 J C T

松代中

案内所 至 更 埴

長 野 電 鉄 屋 代 線 小 鮒 川 ローソン

動車 越自

松代ロイヤルホテル

上高相 300m 150 0

至すざか 至須坂 至長野IC


川中島決戦に備え、山本勘助が築いた城

海津城(松代城) 跡 まつしろ

ぐれた平城

(長野市松代町松代)

かいづ

◆海津城

 築城は甲 州流築城法

である。

の 祖 といわ

 長野市松 代町は善光 寺 平( 長 野 盆

千 曲川の大 洪 水で被

る 焼 失 や た び 重 なる

害 を 受 け たため、河

川の瀬 直 しがおこな

われた。これが今日の千曲川と

なっている。この瀬 直しで城は

れる山本勘助が縄張りをし、

地)の南 東 部 に位置する。

日の短期工事で築いた。

い自然要害の名城としての価値 の立地そのも

であった。

配下におく重要拠点とするため

を失った。

水害の難を免れたが、類の少な 戦に備え、かつ、北信を領国支

 信玄が海津築城を急いだ背景 は、上杉謙信との川中島での決

 三方を山で 囲まれ、北側 を流れる千曲

のを取り込ん

 甲州流築城の模範ともいわれ

県により 廃城

 その後、明治 時 代の廃 藩 置

(1981)年

となるが、昭和

05 坪 あ り、

本丸太鼓門・橋詰門・北不明門・

に復元工事を行ない、本丸石垣、

に国の史跡に指定されたのを機

積は 万12 城下町の 分

展望台より尼巌山方面を望む

の の面積を

56

る城域の総面

展望台よりアルプスを望む

3

3

占めた。

現代によみがえった。

枡形門・二の丸土塁、堀などが

1

  火 災によ

勾配の緩い石垣が特徴

− 20 −

復元された枡形門

川など、自然

80 だ、防衛上す

枡形など甲州流の建築法が随所に見られる海津城


き か さ

坂城宿 ふるさと歴史館

大英寺 近道だが険しい

至上田

荒砥城より見た姫城と葛尾城

心光寺 登山口標柱

18

坂城小

笄の渡し

500m 250

ウォーキングガイド

義清公墓所や、村上氏居館跡の満

 坂城駅をスタートし、登山口の 坂城神社を目指す。街中には村上

泉寺があるので、下山後にゆっく

りと見学しよう。

  神社の裏手より登山道となり、 しばらく行くと東尾根の分岐に出

側のコースがおすすめ。

る。のんびりと歩きたいなら、南

満泉寺(村上氏居館跡) 、坂城宿

ふるさと歴 史 館( ☎0268ー

笄の渡し

82ー4193) 、村上義清公墓所、

− 59 −

 頂上にはあずまやがあり、見晴

面へわずかに進めば堀切や石垣と

らしも抜群!  休 憩には最適だ。 ここで引き返さずに、五里ヶ峰方

いった遺構を見ることができる。

アクセスガイド

 上信越道坂城 より約 分

10

 しなの鉄道「坂城駅」より徒歩 での往復約 時間

IC

周辺の見どころ

2

坂城町役場 和

葛尾 トン ネル

刈屋原

満泉寺

稲荷大明神

(村上氏居館跡)

姫城 646m 至 千 曲

根 東

あずまや

村上義清公墓所 坂城 昭

604m

石垣 堀切

0

805m 葛尾城 西尾根

岩崎城

しな の鉄 道 千 曲 川

至五里ヶ峰

坂城神社

案内板

田町


さかき

(坂城町坂城)

城主の村上義清が越後に逃れたことで、川中島の戦いにつながる

葛尾城 mの 三 の 郭 が あ 区切られている。

り、 浅 い 堀 切 で

かつらお

 葛尾城は、五里ヶ峰から南に 伸びた葛尾山(805m)にあ よしきよ

る村上義清の本城である。

の防 御 は 厳 重に

した。このとき

渡し」の由緒を書いた記念碑が

曲川の渡しの一つであった「笄の

を頼って越後に

退し、上杉謙信

妻女は夜に紛れて城を抜け出し、

  葛 尾 城 が、武 田の 内 通 者 に より放火され落城した。義清の

建っている。

の寝返りで落城 塩田城にいた義 清は、上杉謙信 の5000の援 城を奪還した

軍を得て、葛尾 (布施の戦い) 。

 上杉軍が越 後に帰陣すると、 尾城は武田軍が

月には再び葛

く、 大 手 は 急 坂

攻め落とし、義

帯郭などはな で簡 単 な 構 造 と

19

からめて

mの 土 塁 跡 が あ る。 本

清は塩田城を撤

 本郭は長さ m・幅 mの長 方形で、北東側には長さ ・ m・ 高さ なっている。搦手

郭の南には東西 m・南北 m の二の郭と、東西 m・南北

なっており、深い 五条の堀切と、一 部に石垣が残る。

刈屋原まで逃れた。

逃れた。この後、 やっとの思いで千 曲川のほとり 信玄は葛尾の出

坂木の渡しを渡って、  妻女はあ、 らと 山田の荒 砥城( 千 曲 市 上山田) 年

中島進撃の拠点にし、天文

のままで城を落ち延びてきた身、

へ逃れようとしたが、着のみ着

して舟頭に与えて千曲川を渡っ

髪に挿していた金の笄を舟賃と

持ち合わせがなかった。そこで、

◆ 笄 の渡し

の渡し」と呼ぶようになった。

た。これによって、 この渡しを 「笄  坂城町刈屋原の千曲川に笄橋 が架かる。その脇の公園に、千

こうがい

記念碑が建つ笄の渡し

城、岩崎城を川 あった。

22 年、 回におよぶ川 5

中島の戦いが始まるのである。

あしかけ

12 7

7

8

から永禄 (1564)年まで、

水の 手 も 搦 手 に

本郭の北側に残る石垣

 東へ800m下がったところに は出城の姫城がある。また本郭 から西に延びる尾根にも出城の 岩崎城があり、堀切もみられる。 武田信玄は葛  天文 年 月、 こ   らく 尾城を攻めた。狐落 城が攻め落 4

とされ、葛尾城も林三郎左衛門

22

17

12 千曲川の河畔より姫城、葛尾城を望む

− 58 −

29

2 12 5

1

川中島合戦ウォーキングガイド  

長野市川中島平周辺の史跡・山城54箇所を詳細なマップで紹介。<ダイジェスト版>

川中島合戦ウォーキングガイド  

長野市川中島平周辺の史跡・山城54箇所を詳細なマップで紹介。<ダイジェスト版>

Advertisement