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第 ⼀章

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⾃分史について

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⾃叙伝に寄せて

私が自分史を書こうとしたのは、悔しい気持ちを吐き出したいからではありません。

私は、ひとりきりでは胸に押さえ切れないものを見聞きしてきました。世間では、名誉

ある人として見られている人が、どんな仕打ちをしてきたか。親であると思っていた人は

違う人であったり、外見と内側ではどれほどの差があるものだったか…など、自分の知る 真実を、ありのままに書いています。

マイミクさんに私の中学の時からの親友2人もいます。もちろん私の家族全員がいます。

私が歩んだ道をさらけ出して書いています。もし、私がただ愚痴を書き綴っていると思え たなら、どうぞ、見ないで下さい。

『 過去を思い出して、書くほうも、またつらい思いをしてしまうのでは 』と、心配し

てくださったマイミクさんもいました。ありがたいことです。でも、大丈夫、こうして書

けることは、過去になったということなんだし、昔のことでクヨクヨする私でもないです。

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§1.自分史について

もし、恨みに持つ性格だったら、倒産した時、パパにひどい仕打ちをした両親を匿ったり、 ましてやお店の後片付けなんか、できなかったでしょうね。 (

)

私は、母方の祖母 大野の婆ちゃん から、大変な秘密を打ち明けられました。自分史を

公表するときは、私のお爺ちゃんにあたるかも知れない人の名前は伏せなきゃ、名誉棄損 で訴えられるかもしれません。

父は、多くを喋らない人でしたので、近しい親戚の人たちにすら、誤解も受けたままに

なっていました。また、数少ない親戚の人との交流は、昔から、私だけでした。

【世間体だけを気にして見栄を張り続けた、愛のない家】で育った私が、何故自分史を 書こうとしたか、少しでもわかって下さると嬉しいです。

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今になって、思う。

何年か前から書き続けている自分史… 小学生の頃の話を書いていて、ふと、感じた。

おかあは、誰からも愛されず、つまはじきにされていると、思っていたけど、 ―― それは、違っていた! と。

父さんは、愛情表現は違っていたけど、確かにおかあを見ていてくれていたんだ。姉妹 の中で、一番叱られ、怒られ、叩かれたのは私だった。

だけど、それは、おかあのワルサが、人並み以上だったからのことだろう。

父さんは、おかあだけ、釣りに連れていってくれたこともあった。家具の仕入先だった 広島や大川に、そして、ライオンズクラブの集まりにも…。 おかあほど、たびたび連れていってもらってた子は、いなかった。

父さんの大事にしてるもの、いっぱい壊した。ウォルサムの懐中時計も壊した。

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§1.自分史について

『 手のかかる子ほど、可愛い 』 とも言うけど、そうだったのかな? と、今になって、

初めて気が付いた。姉妹はみんな、父さんを怖がっていたけど、叩かれ怒られなれていた おかあにとっては、父さんはそんなには怖くなかった。

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T

⾃叙伝のこと T

『いつかは、自分史を書きあげたい』と、何年か前から書き始めました。それは、日記

の一部だったり、友達への手紙の一部だったり…。日々の生活の中で、思い出しながら書

きとめたもので、まだ、ほんの少しでしたが、私の祖母に対する想いと、884さん自身

が抱えておられた思いの共通点があったのでしょうか。自分史をぜひ、書きあげるように

と云って下さり、私がある程度書き貯め、884さんへ送ると、校正して一太郎で保管し て下さっていました。

挿絵に祖母の写真を入れると良いからとアドバイスをもらってアルバムから探してみた

り…。なかなか進まない時期にも、時間はこれからたっぷりあるのだから、ゆっくりぼち

ぼちと書き進めていこうね、と、いつも励ましてくれていた884さんが、平成十九年十

二月に亡くなられました。私は自分の息子に、884さんの一太郎に保管して頂いていた、 自分史…自叙伝の、印刷を頼みました 。

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§1.自分史について

884さん、スゴイです! 本みたいに、読みやすくなって…。

いつのまにか、47ページにもなっていたんですね。手間のかかることを、引き受けて

下さってたのが、今になってわかりました。本当に、ありがとうございました。

884さんは、今は風になり…雨に、雪になり雲になり…私の心に。

この自叙伝は、まだ途中ですが、 必ず…何年かかっても、書き上げますね。

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第⼆章 略歴

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⾃⼰紹介のようなもの

お年頃のあたりからのできごとをふりかえってみた。まずは、策略結婚みたいな見合い。

(あれ、策略?政略?)初めて、見合いさせられたのは、高校3年の12月のことだった。

相手は、身内になれば、今後、家業の店舗経営にとっても有利になると思われる、お店の

税理士さんの弟。次は議員、そして、資産家…。おかあの幸せを、本当に第一に考えての こととは、思えない!

三度目は、家のため、お店を継ぐため、自分から『 誰でもいいよ、お見合いするよ 』

と言い、結納まで進んだ縁談でしたが、結果的には一方的に破棄することになりました。

家出し、連れ戻され、婚約者との決別。このときは、養子さんを迎えるためだったので、 さらに結納金も倍払うことになったのでした。

パパとのなれそめや、かけおちして京都で同棲してた頃の話は、またのちほど。その後、

店を継いでくれれば結婚を許すと言われ実家に戻りましたが、それまで、店は継がないと

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§2.略歴

言っていた長女、姉と養子に入った義兄の夫婦があわてて戻ってきました。

父は義理の息子を大変気に入っていました。しかしその一方で、パパのことは毛嫌いし、 実に結婚後半年もの間、口さえきいてくれませんでした。

パパの受けた待遇は実際、お給料も何もかも従業員以下でしたが、三十六人いた従業員

の人達の目からみれば、パパは経営者の身内です。だから、(また身内が入ってきた)と ばかりに、パパはいつもつまはじきにされていました。

そんなおりに、三人の子を年子で産みました。当時住んでいた市営住宅は狭く、子育て

で大変だったけど、楽しかった。今思えば、おかあだけ楽しかったのかもしれません。

昭和58年、両親・姉夫婦が経営する店が倒産。家と店を継いだはずの姉夫婦は両親を

捨て、逃げてしまいました。おかあたち夫婦は乳飲み子を抱えたまま、両親を連れ出し、

自殺しないよう匿い、倒産の後片付け。裏金融さんとの対峙、保証人さんに両親を会わせ る、いくつもの修羅場が続きました。

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そんなに親戚がいるはずもないのに、景気の良い時は、親戚と名乗る人達がいっぱい集

まってきていました。だけど、倒産したとたん、あんなにいた親戚は、どこへいったんだ

ろう?とか、いままできれいな言葉で語っていた人たちが、片づけを頼んだとたんに我先

に金目のものを運び出して行くのを目にしたりと、他人のひょう変ぶりを見てがっかりす る事も少なくありませんでした。

倒産の後片付け後、パパは、何とか生活費を渡さねばと、おかあに内緒で幾つもの金融 からお金を借りてました。変な優しさだね!

気が付いた時は、もうどうにもお金が回らない時でした。二人で話し合い、多重債務の

灰かぶり

)

肩代わりをしてくれる銀行で相談しました。その結果融資してもらうことができ、月々の 返済が一本化になったため少なくなり、気分的に楽になりました。 夫婦で隠し事が無くなると、自然に仲良くなれます。これ、実感!

おかあは、昔、【 かぐや(家具屋)姫 】、そして今は、【 シンデレラ

(

ってところかな。仕事に行って、ゴミを焼いて、灰かぶり。

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§2.略歴

以前ね、あまりの生活苦をみかねた民生委員さんから『 離婚しなさい! 』『 その方が

暮ら しが楽になるのにねぇ。 』 と 云 わ れ て た の に 、 い つ の ま に や ら 、 ど う に か な っ た よ 。 一生懸命、働いたからかな?なりふり構わず!

おかあは、今現在も、山ほどの問題を抱えこんでます。でも、どうにかなるさっ♪ そうそう、いつも、どうにかなったんだもの!

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おかあとパパ

おかあの主人( パパ )は、人が考えられないほど心が広い、優しい人です!

あんなに冷たい仕打ちをし続けた私の両親なのに『香苗を産んでくれた人なんだから…』 と云ってくれます。 …ノロけちゃったりしてぇ~♪

主人は、おかあと駆け落ちして京都で暮らすより前、十九歳の時に、「ランドリー麻痺」

という、大人がかかる小児麻痺のような病気にかかりました。全身が麻痺し、脳の手前で

治まりましたが、自分の力で呼吸できず、【鉄の肺】に50日入っていました。 心臓は止

(

まり、葬式の準備も考えていたらしいです

)

ですから、主人は赤ちゃんを二度繰り返しました。手を動かす事、指を動かす練習から

リハビリを始めて、一生涯車椅子の生活になるところを努力で克服し、歩行が出来るよう になりました。

でも回復は、足首のところで止まってしまったので、ジャンプとか走るとかは出来ず、

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§2.略歴

同じ場所に立ったままの姿勢は、出来ません。常にユラユラしながら…つまりバランスを

とらないと立っていられないのです。松葉杖は使っていませんが、おかあの肩がその役目 をする時が、あります。

主人は1年と10ヶ月におよぶ闘病生活をしたので、一緒に暮らしはじめたとき、赤ち

ゃんは出来ないだろう…と云われていましたが、昭和47、48、49年と、としごを授

かり、さらに、54、62年、と、あわせて五人の子供たちを産むことができました。

まさに、貧乏人の子沢山!なんちゃってね♪ だーいすきなパパ(主人)との話は、また少しずつ…。

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家系図︵眞砂家︶

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§2.略歴

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