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小学 2 年生の時に家族 3 人で福岡から熊本に引っ越してきた。女手一つで息子 2 人を育てていた母も、そろそろ実家のある熊本でゆっく りと暮らしたいという思いがあったのかもしれない。僕も弟も幼少時代のころに熊本に住んでいたらしいのだが、ほとんど記憶にない。 はじめましての気分ではあったが、実質 2 回目の熊本での生活が始まったことになる。「コーポ岩田」、熊本で一番最初に住み始めた家の 名前。3 階建てのアパートで、僕らが住むのは 2 階。少し薄暗い雰囲気の廊下や階段があり、アパート裏にはさらに薄暗い空気の漂う倉 庫が建っていた。このアパートは何しろ見た目があまり良くなかった。 「コーポ岩田」のせいで、僕にとっての熊本の印象はぐっと下がる。 いや、「コーポ岩田」だけではなく、町のせいもあるかもしれない。周辺には袋小路が 5 つぐらいあったのだが、あまり人が通らない路 地というものは、子どもの私にはものすごく暗くて怖い場所に感じれた。そんなところに住み始めるのだから、すこぶる福岡に帰りたく なったのは間違いない。しかし、どうあがいたところで

家が変わることもなければ、福

岡に帰れるわけもなく、大人の勝手な事情により僕の熊

本での生活はスタートしてしま

うのだ。転校先の尾ノ上小学校は、家から徒歩 20 分ぐ

らいの距離にあった。小学 2

年生の僕にはものすごく遠い距離。しかしまあ、慣れて

しまえばそんなこともなくて、

いつの間にか長かった通学路があっという間の距離に縮

んでしまう。知らない町をじろ

じろ舐めるように観察しながら歩いていたら、学校なん

てあっという間に着いてしまう

のだ。友達なんているはずもないので、もちろん一人で

の登下校なのだが・・・楽しかっ

た。ある日の下校時、いつもの帰路に飽き、たまには違

う道を歩いて帰ってみるかと思

い、少しだけルートを変更する。するとさっそく不思議

な光景に出会った。別ルートを

歩き、確か木工スーパーの裏側にさしかかったときであ

る。若いおにいちゃんが一人で

物陰に隠れて、マジックで真っ黒に塗りつぶされたビ

ニール袋を口に当て、スーハー

スーハーしているのである。気持ち良さそうだ。何をし

ているのかはわからなかった

が、小学 2 年生の僕だって、あまり見てはいけないもの

を見てしまったことにはさすが

に気づく。というか、その空気を感じざるをえない。あ

まり見ないようにして、すぐに

いつもの帰路にルートを戻して、足早に家へと帰った。

すぐに母に話をしてみると、そ

の行為の意味を教えてくれた。ただ僕は、ショックな光

景を見たにもかかわらず、なぜ

か新鮮な気分だった。そのように町のいろんな風景を観

察し、楽しみながら、だんだん

と熊本を知るようになった。引っ越して来てすぐに感じ

ていた、アパートの暗い雰囲気

というものもだんだんとなくなった。むしろ気に入って

いたのかもしれない。特にア

パート裏に置かれた倉庫は私の遊び場になっていた。倉庫の部屋は「コーポ岩田」の住戸分用意されていて、横並びにズラーっと並んで いる。分棟ではなく、建物としては一つになっていた。僕はこの倉庫内を確認するのが楽しくて、暇になるとたまにそんなことをして遊 んでいた。自分の家の倉庫だけじゃなくて、全部の倉庫を見る。別に何かを盗るわけでもなくただただ扉を開け、中を確認しては扉を閉 めるの繰り返し。とはいってもほとんど鍵がかかっていて開かないわけだが、いつも閉まっているはずの倉庫の鍵が開いていることがあ る。そんなときは、見た事がない倉庫内を見れてすごく嬉しくなる。倉庫にも、開けて楽しい倉庫とそうでない倉庫がある。私の家はい ろんな雑貨や家具が多かったので、倉庫の中はいつも荷物であふれかえっていた。これは私にとってはおもしろくない倉庫だった。自分 の家の倉庫だからだよと言われれば終わりだが、やっぱり何かを考えさせる倉庫内が見ていて一番楽しかった。例えば、主の趣味で集め た物があふれた倉庫や、掃除機一つだけが置かれた倉庫などだ。そんなこんなで、暗い雰囲気があった倉庫は、私にとっての楽しい遊び 場に変化していった。ガチャ、シーン、ガチャ、ガチャ、ギョロギョロ、ガチャ、ガチャ、シーン、ガチャ、ガチャガチャ。一方で袋小 路はどうかというと、まだ

暗い雰囲気が漂う空間でしかなかっ

た。路地を使ってキャッチ

ボールやサッカーをして遊ぶこともな

いし、行ってみようとも思

わない。そういえば、一度だけあの行

き止まりの路地が夢に出て

来たことがあった。当時仲の良かった

友達と二人で路地で遊んで

る夢で、それはそれは楽しそうに遊ん

でいた。しかし、しばらく

すると他の男子グループもその路地に

遊びにきたのだ。よくドラ

マなどでスポーツ少年たちがやってい

る、いわゆる場所取りなる

ものが始まる。私の友達は元気のいい

やつだったから、すぐ相手

に殴りかかってしまい、話し合いもせ

ずにいきなり喧嘩での場所

取りが始まってしまったのだ。相手の

ほうが人数は多かったのだ

が、なんとか勝つ事ができた。僕は優

越感に浸っていた。そんな、

夢。あの夢は一体僕に何をうったえて

いたのだろうか。「ここは、楽しい場所なんだから遊びにきてよ!」もしくは「ここは、危ない場所なんだから来ちゃダメだぞ。喧嘩に なるぞ!」どっちだったのだろうか。結局のところその路地で遊ぶことはなかった。僕にとっては見なくてよくて、知らなくてもよくて、 把握しないでいい空間だったのかもしれない。そうやって 2 年程「コーポ岩田」に住んだら、また次の引っ越しがやってくるのである。


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