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Straight/002 2011 Take Free

S 2


Straight


BAUHAUS さてさて、Bauhaus の登場である。

「今さら」と思った方もいるであろうこのお題であるが、 むしろ「今日」だからこそ改めて照準を当てたいお題で

その欠落している思想・姿勢とは、 「人類史的な文脈に

おいて自らを新たに位置付けようとする超俯瞰的視座へ の立脚」である。

ある。その理由は、Bauhaus が名乗りを上げた時代と、 今 私 達 が 生きる今日という時 代 が 類 似して いる中 で、

当時、Bauhaus が産声を上げた時代背景は、第一次世

「 Bauhaus 時 代には存 在し、今日においては欠 落して

界大戦と第二次世界大戦の狭間という実に混乱と不安

いる要 素」があるからである。確かに、Bauhaus にお

定さで覆われ、暗闇の真っ只中にいるような状況である。

ける機能主義、建築、インダストリアルデザインが現代

文字通り、生きる事に注力しなければならず、集団的な

に与えた影響力は計り知れない威力を持ち合わせてい

視野狭窄を招いている中においては、社会は無方向性

る。これらにもちろん注意を払いながらも、本質的には

に包まれていた。

それらを生む根源的な思想や姿勢にこそ源流があり、今 日欠落しがちな要素が含まれている。

この時代の無方向性というのは今日にも観察される現象


walter gropius hannes meyer ludwig mies van der rohe johannes itten lyonel feininger adolf meyer gerhard marcks paul klee georg muche lothar schreyer gerdrud grunow oskar schlemmer wassily kandinsky marcel breuer lászló moholy-nagy herbert bayer josef albers joost schmidt hinnerk scheper friedl dicker-brandeis gunta stölzl walter peterhans marianne brandt alfred arndf mart stam lilly reich ludwig hilberseimer ではないだろうか。現代は情報錯綜とスピード感が相まっ

- 初代校長

て実体が伴っているか否かが確 認できないまま時が進

ヴァルター・グロピウス

み、多様性という多方向性がありながらも、把握しきれな い無数の方向性は、結果的に実感としてある種の無方向 性が存在感を放つ。しかし、Bauhaus が社会の無方向 性を打ち破るための方向性を提示したように、それを乗 り越えるべく、今日という時代においても、正解か不正解 かという問いを捨てながら、社会の構成員である人々は ある方向へ自らを導く必要がある。Straight は決して歴 史を無批判に美化する歴史迎合者ではないがこの方向 性を導く姿勢として、当時の Bauhaus の姿勢から学べ るのではないか。そんな想いからこれを綴っている。

1919.04-1928.03 walter gropius

-2 代目校長

1928.04-1930.08 ハンネス・マイヤー hannes meyer

-3 代目校長

1930.08-1933.08

ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ ludwig mies van der rohe


Theory of さて、具体的にこの「人類史的な文脈において自らを新 たに位置付けようとする超俯瞰的視座への立脚」はどの ような形をもってして Bauhaus 内で体現されていたの か。この姿勢が色濃く反映されていたのが Bauhaus の 「教育論」である。教育はそれ自体が目的ではない。必 ず教育を通して伝えたい、覚醒させたい目的があるはず である。教 育 機 関であった Bauhaus も例外ではない。 そこで、ここから少しその目的とそれを達成するための 手法(教育方法)について触れてみたい。 まず、Bauhaus の 初 代 学 長 による教 育 機 関 の目標を 語った創立宣言の一部をご覧頂きたい。 「築 家、彫 刻 家、画 家、我 々 全員が、手 工 芸に戻らねば 「職業としての芸術」は存在しない ならない! なぜなら、 からである。芸術家と工芸家との間に本質的な差異はな い。芸術家とは、高められた工芸家である。彼の意志の

「築 家、彫 刻 家、画 家、我 々 全員が、手 工 芸に戻らねば

彼方にある天の恩寵が、稀なる光の輝く瞬間に、彼の手

ならない!」という言葉に代表されるように、当時大量生

仕事から無意識に芸術を花盛りにするのである。しかし、

産、機械生産が台頭する時代の中、時代の再構築を行う

工芸に適した基礎というものは、すべての芸術家に不可

ために一度人間の根源地である手でモノを作るという事

欠のものである。そこに創造的造形の源泉がある。そこ

への回帰を目指した。産業主導の社会ではなく、あくま

で、工芸家と芸術家との間に高慢な壁を築いて階級を区

でも人間主導型の社会を構築するために必要なプロセ

別しようとする越権行為を排し、工芸家の新しいギルド

スとしてこの目標に挑んだのである。これは人間のあり

を結成しようではないか! 建築と彫刻と絵画のすべてが

方そのものを再考する人類史的な試みである。そして、

一つの形態となるであろう未来の新建築、新たに来たる

この再考プロセスにおいて、重要視されたのが如何に既

信 念の結晶化した象 徴として、工芸家の数百万の手か

存を捨てるか、という事。

ら、いつの日か天空へと上っていくであろう建築を、いっ

この代表的な例として、Bauhaus の教育課程として設

しょに希求し、考案し、創造しようではないか。」

定され て いる半 年 間 の 予 備 教 育を担 当したヨハネス・


1926-1934 Berlin

Itten Schule

Johannes Itten

1919-1923 Weimar

Education イッテンによる「身体性と精神性の融 合」というテーマ が挙げられる。 (イッテンは画家・理論家であり、現在においてもその 独特に色彩論や感性というものに対する徹底的に行われ た分析、研究の数々が有名である) イッテンは授業を始める際、生徒に全身の屈伸運動、発

他にも、 「裸体画」においては、動くリズム的表現を高め

声、呼吸の整えといった、体の自然なリズムを呼び起こ

るために音楽を使用する事もあった。これまで上げてきた

し、調和を促した。ここから、 「リズム的形態練習」 「自由

手法や要素は、イッテンの身体の調和等に見られる「自然

リズム練習」に発展し、身体と精神を結合させる事で「個

回 帰」の 思 想 が 色 濃く反 映され たもの で ある。それ は

人のリズム」を発見するプロセスへと導いた。イッテン

Bauhaus の教育理念にもあるように、新たな社会的シス

にとって、芸術表現とは自身の体の隅々に依存する存在

テムを構築するためには、旧体制を駆逐し、人間そのもの

であった。当然、制作活動そのものも身体を運用する内

が、一度原点に回帰する事が望ましいとされたのである。

容であり、例えば造形の理解を深めるために腕で孤を描

また、身体性と精神性の融合は、当時融合が見出されて

いたり、画架にぶつかるように向かったりと決して手先

いない時代においては「知の見直し」そのものであり、

の作業では終わらなかった。

これを体系化して提示しようとしたイッテンによる、人類

植 物、人 間、動 物を研 究 対 象とした「自然 研 究」では、

史への新たな文脈の挑戦であった。

感覚的な認識能力や具体的な思考能力を育む事も含ま

既に不安定化にいながらも、なお人間が持つ既存技術や

れていた。もちろん、基礎的な「形態練習」も行われ、イッ

発想を捨て去る事を試みた Bauhaus は、捨てるものが

テンにとって、四角形は水平と垂直、三角形は斜めの方

多すぎる現代という時代において、何も捨て去る事がで

向性、円は循環をあらわし、これら独自の働き・性格の

きていない現状と対比させると、大いなる学びが見出せ

研究も身体運用と共に進められた。

るのではないか。


この他にも Bauhaus が硬直した既成の造形教育を捨て

ここでいう幼児性とは、実験性の維持を意味する。造形

去る例はある。例えば、幼児の造形方法、つまりプリミティ

そのものは、幼児にとっては常に実験であり、可能性を

ブ性への回帰である。

意味する。何を表現すべきか、どのような素材を用いる

Bauhaus のプリミティブ性を語る上で外せないのが、パ

べきか、というもの全てに「既定」は存在せず、素材が

ウル・クレーである。彼は、プリミティブ性へと進んだだ

持つ表現力を見出す洞察力次第で広がりは無限の拡張

けでなく、それを芸術という領域に昇華させた人物であ る。あらゆる複雑な構成を排除したパウルは、人物画を描 く際も、体のパーツが交錯するのではなく、ただただ直線

性を発揮する。 (ちなみに、クレーは授業計画を常に進化させる事に注 力しており、その都度体系化を進めようと努めていたが、

を用いる大胆な表現方法を採用していた。しかしこれは、

いつしか彼の研究は「無限の博物学」という深淵な域に

あくまでも精神としてのプリミティブ性である。少ないツー

まで飛躍してしまい、体系化する事ができなくなってし

ルで対象物を表現する事に徹しながらも、 「技巧」という

まった、という)

成熟性をプリミティブの幼児性・純粋性と結合させた。

今日、変化が激しい時代において、変化しない事への見


極 め、より 変 化 が 必 要 な 事 へ の 見 極 め、 普 遍 の 創 出 等、私 達 が 時 代を超えて 未 来 へ 橋 渡しす べき事 は 何か、という超越的で俯瞰的な視点をより発揮できる社 会を構築していく必要があるのではないか。Bauhaus は一例ではあるが、かつてそのような挑戦を試みた人達 の功績によって今日の私達が生きている事に対して、よ り意識的でありたいと願う Straight である。

BAUHAUS 1903-1933


MODE FASHION 最近気になる「モードファッション」。

近年様々なファッションスタイル、文化が混在しているファション業界にあって、 長年に渡りファッションのコアとなりつづけているモードファッション。 ガブリエル“ ココ ”シャネルの映画・演劇、イブ・サン=ローランの映画が行われる中、にわかに世間の視線を集めているのも事実。 中学、高校生辺りでファッションに興味を持ち始めて最初に憧れるシャネル、プラダ、グッチ、ディオール…… スーパーモデルに見蕩れ、スラッとしたスタイルになろうと奮闘することも。 「プラダを着た悪魔」のようにモードファッション業界に従事する人をピックアップすることもあり、

20 年前とは比べ物にならない程、世間はモードファッションというものに触れる機会が増えている昨今。 「モードとは何か」と、この謎に迫ってみたい。解き明かせるか、オレ。


100 年ほど前に流行していた、 S 字型コルセットに無意味に大きな帽子。 アーツアンドクラフツ運動に賛同し、 大きな襟ぐりにハイウエストで細身のライン。 ポール・ポワレによって廃止されていくいく コルセットスタイルの次ぎは、 オリエンタリズムを取り入れたものや、 パンツスタイル、スポーツウェア、 ホブルスカート、 デコルテの大きく開いたものや、 厚底靴にボンテージファッション、、、、、 次から次々へとシルエットが変貌していく。 しかし、コルセット時代以降のファッションと 近年のファッションを比較してみても、 大まかなシルエットは 変わっていない気がする。 それは常に

Flappers New Look Middy Silhouette Cardigan Suit Gypsy Peasant Look Space Look Pop Taste Ivy Look Hot Pants Disco Punk Minimalism Armadillo Shoes Coat Hanger Silhouette 横長のものは存在するが、

縦長でスラッとしたシルエットである。

本来の形が

人間の根幹部にある美意識が

横長でボテッとしたフォルムのものはない。

そうさせるのか、それ以上に美しいものを

しかし、

開発できていないだけなのか。

漢字やひらがなカタカナには存在する。

もし人間の根幹部にある美意識として

日本においては、ファッションの流行の

そうなのであれば、

発信地であったフランスやイタリア、

他のものにも影響があるはずである。

ニューヨークへの興味は

たしかに身近にある文字 アルファベットは、

捨て切れないのも事実かもしれない。

様々な書体の開発により意図的に

左右対称のものは少なくない。 このように 100 ほど前に流行した

近代建築であったり、音楽などは

モードファッションの美意識は、

特に自国以外の影響を受けている。

世代、国家間を超え人間の根幹にある

それが欧米や中東であることはたしか。

美意識に今もなお影響を

中東は、欧米とは

与え続けているのかもしれない。

まったく異なる文化を形成している。

1910 年代には

近年ではコレクションで発表されたものが、

当時の流行発信地フランスでは

必ずしも流行を形成するということでも

オリエンタリズムを取り入れた

なくなってきている。

ファッションも流行した。

それはデザイナーやブランドが増え、

中東では特に宗教からの影響が強く、

ファッションが多様化し、

曼荼羅が分かりやすい例である。

様々なメディアが存在し、

緻密に描かれた左右対称の曼荼羅の影響で

情報が錯綜することが要因だとも感じる。

バンダナやスカーフの図柄は

しかし、そんな中でさえ

左右対称のものが多い。

世間のファッションの中心は

エルメスのカレでさえ、

モードなのである。 文化、情勢、色、形、流通、 メディア、歴史、民族、宗教、、、、 世界に起こりうる全てを飲みこみ、 ファッションを形成し続ける モードファッション からは今後も目が離せない。 ファッション業界に なにも関係のないオレは何ものなんだ?


circle square triangle

0 4 3


本作品においてもっとも注目した いのが、基 礎的表現に立ち帰る 事でタイポグラフィの未来を捉え 直そうとしている姿勢そのもので すね。自己表現の追求先としての タイポ グラフィと、コミュニ ケ ー ションとしてのタイポグラフィとの フィの歴史上、視認性を無 視し、 狭間を右往左往した一つの結果 誇張された自己表現を提示し続 というのが見てとれますね。今回 けてきた作者の存在が、タイポグ の作品ではそれが「コミュニケー ラフィへの注目を呼び寄せた事も ションとしてのタイポグラフィ」に また事実です。それによってタイ 傾倒したという。

ポグラフィに携わる人々の底上げ

ペ ージ 全 体 にお ける余 白 箇 所、 にも繋がっているわけです。しか そして文字の横棒に施されている し、一方でタイポグラフィが社会 ミリ単位の修正によって、一見心 性を確立していくためには、問題 地悪そうで実は心地良い余白対 解決として、コミュニケーション 文字の比率を生んでいます。

のよりよい伝達手段として「機能」

この作者の心のどこかで、 「高質 するタイポグラフィもまた追求され なタイポグラフィというのは、その る必要性があります。この機能性 高質さが気づかれないタイポグラ を達成しながら、でもタイポグラ フィなのだ」という意識があるの フィの新たな可能性を追求してい かもしれません。これは多角的に く実験性の融合地点とは何か。実 考えると非常に難しい思想です。 験的タイポグラフィ、機能的実験

TY PO G R

れてしまう現象があります。例え

ば、色や形に関して、パソコン上 で表現できるものは、自然界に実 存するそれとは比べ物にならない 程少ないです。自然界の土色をパ

ソコンで表現する際、実際どれ程 の濃淡、深み、不規則性を表現で

きるでしょうか。つまり、日々目に している事の何千分の一すら表現 できていないのです。この事に如 何に自覚的であるか、そして自覚

的でありながら、どのように表現

方法を拡張させていくのか、これ

タイポグラフィに限らず、あらゆる タイポグラフィ、実験的機能タイポ あるという事です。従順すらある

分野においても言える事ではない グラフィをどのように整理していく これらの表現は、表現媒体として でしょうか。私自身、ここに大きな のか、あるいはしないのか。そん のタイポグラフィの観点から言え ジレンマを感じます。例え真意が な、大きな問いに、本作品の作者 ば、物足りません。理論や知識に そこにあったとしても、タイポグラ も頭を悩ませているのでしょう。

A P HY

もまた課題の一つだと思います。

裏打ちされた表現手法を、その理

タイポグラフィの実験性に関して 論をベースにした飛躍に用いる事 は、更に注意すべき事があります。 なく、理論に溺れ、理論に制約さ それは、タイポグラファーは、 「お れてしまう。理論とは本来、発想 さまりがいい」作品を生みがちで の母であります。理論を把握した 上で、それらを置き去りにする事 も必要であり、その態度が新たな 扉を開けるのです。 特に、今日の時代のように技術的 に高度なツールが普及している中 では、それら「システム」の「範囲」 によって、タイポグラフィを生みだ す人達の想像の「範囲」が規定さ

Typ ography 品評会 こ こ で は 提 示 さ れ た タ イ ポ グ ラ フィ 作 品 を 独 断 と 偏 見 で 即 時 に 品 評 し て い く。 表 現 の 裏 に は 思 想 が 潜 む。


私 に とっ て 身 体 と は コン プ レックス で あ る 身 体 とは 記 録 で あり 宇 宙 で あり 食 物 で ある 素 材 で あり 複 雑 で あり 常 に 変 化し 物 体 とし て 存 在 す る 環 境 に 適 応し 生 ま れ 消 えて いく 無 数 で 限りなく 身 体 とは 機 能 で ある 身 体 を 知 ろうと す る 事 は こ の 世 を 知 ろうと す る 事 身 体 を コ ント ロ ー ル し 表 現 す る コミュ ニ ケ ー ション の 手 段 に 身 体 を 使 い こ の 世 の さまざ ま な 物 体 と 接 す る 様 々 な 栄 養 素 で 構 成され 脆 く   逞 し くも あ る


身 体 とは 身 体 が 変 化し 他 の 物 体 へ 変 化 す るまで の   表 現   過 程   現 象 一 つ の 調 和   結 果   原 因   何 か 感じる 事 は 感じ 記 憶 や 知 識 は 呼 吸 と 共 に 進 み 悩 み 少し 解り 迷 い 戻り 繰り返し 経 過して いく 何 を 悟り どこ へ 向 かうか 意 思 を 乗 せ 無 意 識 へ 現 在 の 私 に とっ て 身 体 と は コン プ レックス で あり 、 そん な 感じを 感

じさ せ る の も の で あり 、

一 つ の 話 題 で ある


publisher / designer

K e nt a S u g i y a m a / S t r a i g ht d e s i g n e r. D a n c e t e a m オレンジーズ . h t t p : // k e n t a s i o u s . m o d s . j p/ k e n t a s i o u s _w e b/ publisher / edit or

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m r d 5 / D a n c e t e a m オレンジーズ . S e l f- s t u d y y o g a . illustration(mode fashion)

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Rodney King Beezi



Straight/002