Issuu on Google+

a

r

c

h

i

t

e

c

t

u

r

e

p

o

r

t

f

o

l

i

o


C

O

N

T

E

N

T

S

This portfolio contains selected works from design projects while pursuing a Master of Architectre degree and under graduation BA4 at Tokyo University of Science of Architecture , Planning , and Design .

1


01 門前町に生きる diploma design

02 富浦寮 1st Master's degree

03 高架下の花 under graduation BA4

04 復興の橋 competition

2


01 門前町に生きる 千葉県成田市門前町。 1978 年、成田国際空港が開港し日本が世界へ踏み出した 300 年前より、 都市を支えてきた門前町が成田には存在する。成田山新勝寺に構える門 前町は江戸期より繁栄した約1kmに及ぶ参道であり、坂と七つの町の 界隈を経て、有形文化財に指定されたかつての旅館や土蔵、町屋がぎっ しりと立ち並んでいる。 鉄道の施設にはじまり、学生運動、国際空港、三里塚闘争、激動の時代 を生きてきた門前町。歴史から生まれた痕跡と今を生きる人しか知りえ ない記憶それらを積み上げ、ここで生き続けるための建築を作り出す。 これから先、成田が国際都市へと進撃することは避けられない。周囲に はコンベンションホテルや商業ビルが林立し、盆地に位置する門前町は しだいに寂れていくだろう。 こ の 町 は我々の誇りである。

Project

diploma design

Location narita,chiba Duration 3 months Program complex Award

Sendai design league 2015 - 20 election

TUS diploma design review - 1st prize

3


4


5


門前町成田 成田国際空港が目と鼻の先に存在し、相異なるものが共存している都市。 参道沿いには、廃業し空屋となった店に外国人オーナーが入居し、 至る所に英字表記の看板やメニューが見られるようになった。 しかし , 門前のほぼ全ての店は 16 時で閉店してしまう。 無秩序に広がる営業時間のギャップが参道のリズムを壊し続けている。 旅籠屋の二、三階は使わなくなり一階で漬物を売っている。 苦難の末、店は転業を繰り返し薬局は生活雑貨店になってしまった。 かつては店があったのだろう、至る所にある駐車場。 門前町に住む人たちは口々にこう言う。 「いつからか普通の観光地になってしまった、昔はもっと泥臭い活気があった」

6


7


8


9


10


11


12


Memories story 門前の人々が語る遠い昔の記憶、何気ない日常の思い出。子供の頃、嫌でも眺めていた風景は次第に寂れていった。今残さなければ永遠に葬り去られてしまう記憶

13


・成田山

・ 成田山新勝寺を中心とした宗教都市 ・ 門前町と国際空港、歴史、新と旧、異文化 ・ 参拝客と観光客、訪日外国人旅行者が混在する

・山車

・ 七ヶ町ごとに異なる構造、装飾、お囃子、掛け声 ・ 坂に対応しセンターピボット式、強ブレーキ構造 ・ 山車の位置関係における各町の連携、先鋒の創出

・祭り

・ 二階から祝儀を受け取る上乗り、神と人 ・ 創られた伝統、ルールよりしきたり

・象徴

・しきたり

・ 祇園会→ OB →役員、人間形成の祭り、伝承 ・ 独自の進化を遂げた所作、講社 ・ 重層化する講集団の積み重なり、年功序列

・対抗意識

・ 坂下と坂上、不安定なドラマを形成、町対町の抗争 ・ 宿坊と料亭、二つの中心をもつ坂と台 ・ 区割りに対して劇的に変化する町、しきたり

・界隈

・七ヶ町

・ 高度利用化、夜間営業 ・ 相次ぐ業種変換、廃業、空き家、外国人オーナー ・ 伝統区域への需要減、早まる閉店時間

・道

・ 成田イオンへの抜け道、車と参道の混在 ・ 2 mセットバック事業、電柱地中化

・表参道

・坂

・ うねる坂、徐々に見え始める奥 ・ 13 ~ 15° 勾配の坂、すり鉢状地形 ・ ズレ込む庇と眼下で連続する切妻屋根

・連続

・門

・ 石塀で囲まれた間口の狭い木戸、住民の動線 ・ 住居が近接する町と在の境界、結界 ・ 公に面していない生活、搬入動線

・塀障

・インフラ

・ 竹細工の加工を施した柵、節のデザイン ・ 隙間が重要、境界を完全には閉じない ・ 社寺空間の結界としての石柵、神聖な領域を示す

・参道裏

・ 職住一体、生産と販売の近接 ・ 私生活は裏へ、洗濯物が私空間であることを示す

・境界

・奥

・ 奥の文化(奥之院と見世物) ・ パーミアビリティの高い空間構成、裏と表の連続 ・ 販売の裏に開け放たれた扉↔垣間見える生活

・裏参道

・間

・ 生活がにじみ出る隣地境界 ・ 室外機や張り巡らされたダクト、機能が視覚化する ・ 人間不在の生活感

門前町成田

・搬入口

・路地

・ 表から仕入れるということ、裏動線はない ・ 作業が視覚化する→コミュニケーションへつながる ・ 鉄パイプとトタン板、調節可能な柱、床穴

・セルフビルド

・ スクラップアンドビルドの山車小屋 ・ 庇の継ぎ足し、塀の拡大、領域の伸縮

・増築

・ 内部と外部の表情の乖離、色、素材 ・ 増築に次ぐ増築が視覚化している、外装の違い ・ 多方向に展開する入り組んだ切妻屋根

・痕跡

・劣化

・ 下見板を抑えるささらごの表情 ・ 雨風により剥げたトタンの外壁、屋根 ・ 見える粘土瓦と見えないスレート板の使い分け

・屋根葺

・表層

・ ポリカ波板を用いたトップライト ・ 斗共の美しさ(囲護台の山車にも用いられる) ・ 低い間口によって映える軒と垂木

・軒と庇

・ 深い庇によって生み出される影と参道の光、対比 ・ 随所で用いられる唐破風、千鳥破風

・外部 ・窓の扱い

・ 壁にたった一つ開けられた格子窓、面積との対比 ・ 縦格子ファサードの上階→化粧、壁面の連続 ・ 二、三階窓越しの欄干、旅館の名残

・建築

・扉

・ 木製の格子戸、扉は引違い ・ 歪みやゆらぎ、不透明なレトロガラス ・ 外気に対して常に開け放たれている扉

・内部

・天井梁

・ 梁が露出する、天然木の小屋組み ・ 竹細工の化粧天井 ・ 吊り天井、低い天井高と奥の広がり

・土間と段差

・サイン

・ 地続きではない、段差数センチの境界 ・ 坂からアプローチするということ、道と建物のズレ

・和看板

・広告

・ 土間で商売が完結する、滞留は上階へ ・ 木板の和看板、金色の金物文字 ・ 業種が判断できない外形、入ってみたい期待感

・装飾

・ 提灯、ぼんぼり、街灯のオレンジの光 ・ 等間隔で置かれた石柱、十二支石像 ・ 参道におかれた生活品、緩く隔てる垂れ幕

・シンボル

・ 大野屋旅館の高望楼 ・ 三橋薬局、観音開きの土蔵造 ・ 成田山総門、升組の多用(囲護台)

・惹き

・店構え

・ 和、洋、現代文化の構えの相違 ・ 店先で引き込むか、店奥に引き込むか

・屋外席

・ 深い庇と見物席、土間とつながり曖昧さを生みだす ・ 一段あがって食事をする、客で客を引き込む ・ 店先でその店の商品すべてを並べる

・陳列

・ とにかく広範囲に敷き詰める、店先に対して斜めに ・ 客引きの威勢のいい声が飛び交う ・ 製造工程のショーウィンドー化、店先がキッチン

・呼び込み

・ 排煙塔を店先に設置する、嗅覚で引く ・ 機械音、水槽モーターの音、鰻を焼く音、包丁の音

Design survey 記憶・生業・痕跡から町の誇りとなる建築を立ち上げる。造形ではない、群になった小さな思い出は暴力的なまでに膨れ上がり未来を否定する。

14


15


成田山開祖の地、

望楼

神明山を祭る望楼 御神体として神の 御霊の宿る人形を祭る

仲之町山車

胴山から四本柱が伸び

下層からせり上がる

二層にせり上がる

上層の方形躯体

旅籠屋

囃子台や回り舞台では 下座連が祭囃子を響かせる

商工会

伝統劇場では芸者や歌舞伎

成田山総門

役者が演劇を響かせる。

伝統劇場 神明山 伝統劇場

成田山新勝寺

表参道 山車蔵

既存の神明通り

16


17


18


19


12

12

7

3 8

20

23

12

13F

18

21

22

7F

10

18

24 16

17

22

7 19

3F

10 7

山車蔵 -2F

10

21

6

12F

9

1

4

7 21 5

5

7 7

6F

5

2

5

5

11F 4

2F

9 11

11

1

22

11

7 7

3

5

5

3 5

山車蔵 -1F

5

5

21

10F

18

22

7

8

18

3 24

25

5F

5

5

5

7

10

20

5

5

9F 19

7

3

13

16 20

13

15

8 15

1F

21

4F

1 festival car storehouse

14 cafeteria

2 festival open space

15 tatami room

3 strage room

16 shop

4 bar

17 gallery

5 gest room

18 kitchen

6 rehearsal room

19 reception

7 office

20 entrance hall

8 restaurant

21 terrace

9 public bath

22 external corridor

10 banquet hall

23 viewing

11 studio

24 machine room

12 meeting room

25 traditional hall

13 multipurpose room 21

8F

20


21

山車蔵

伝統劇場

稽古場

十台の山車を収容する蔵。メンテナンスや作業ピットとして使

歌舞伎や演劇、踊りなど伝統行事や

踊り花見や伊能歌舞伎などを伝承する場。

われるブリッジからは山車を観覧できる。

観光のハブとなる場所

町民にとって芸事はもはや習慣化している。


茶寮

商工会

集会所

土産物や茶寮以外にも女人講、

市役所の主張所及び商工会を含み、

祭りにおいては山車の先鋒協議、

女オビシャの女中・女将たちの祭礼に使われる。

町に数多く存在する小規模事業者を支援する。

七年に一度回る当番町の話合いが行われる。

22


23

旅籠屋

宴会場

望楼

かつて門前に並んでいた三階建旅籠屋の記憶を呼び戻す。明る

町人は酒を交わすことで人間商売や町の団結が生まれていると

3.11 で崩れた成田山の開祖神明山を祀る。

く夜を照らし賑わいと滞留を生み出す。

いう。宴会の光は町中に届き人が集まる。

また、町を練り歩く山車位置を伝える伝令役となる。


viewing

banquet hall

gest room

meeting room

office

cafeteria studio

traditional hall

festival car storehouse

24


寂れた町にかつての活気を呼び起こす。忘れゆく存在を訴 え、未来を否定するかの如く聳え立つ巨大な建築の部分ひ とつひとつは,職人たちの手の痕跡が群になったものに過 ぎない。失われた小ささが全体性を帯びたとき果たして我々 には何が見えるのか。その答えはこの建築を見る人それぞ れ違うはずである。歴史か観光かあるいは人か、

25


26


27


28


02 富浦寮 内房に面した温暖な気候(平均気温 15 ~ 16℃)で知られる千葉県南房 総市富浦町。富浦町は西に大房岬よって小さな湾を形づくり、東、北、 南の三方を山で囲われている。この場所に、東京都内の小学校行事とし て年に数回使用する臨海宿泊施設を設計する。 この富浦寮は 4 年生と 5.6 年生が臨海学校の拠点として利用する場所で あり、言わば非日常の舞台である。ここ富浦寮での経験が生徒たちにとっ て特別な思い出となるような空間が必要である。 ここでの寮生活は、過剰な言い方が許されるとするならば、言わば軍隊 のようであった。生徒は先生に絶対服従し分刻みのスケジュールによっ て自由時間さえままならない。しかしそれは、遠泳というプログラムか ら引き起こされる、全体行動の質を向上させる手段に他ならない。 加えて、生徒たちはほとんどこの寮を使用しないのだ。 限られた時間。自由時間さえ無い特殊なプログラムを持つ寮に対し、 子供たちにかけがえのない記憶を残す経験値としての建築を提案する。

Project

subject of 1st Master's degree

Location tomiura,minamiboso,chiba Duration 3 months Program accommodation Award

29

1st prize


30


31


子供たちは海までの道のりを水着を着て一列で歩き続ける。 赤いふんどしを身に着けた小学生は地元住民にとって歓迎されていた、 伝統行事となった遠泳は町にとっても一大イベントである。 恥ずかしい? そんなものは関係ない。 これから子供たちは、巨大な大海原を泳ぎきる使命を背負っているのだ。 そんな赤ふんが窓辺に干される光景は町のシンボルになるだろう。 段々に積み重なるテラスは浴室から洗濯室を周り、 児童宿泊室まで駆け抜けることができる。 例えば洗濯、例えば避難訓練、 この場所で当たり前のように行われる行為や団体行動、 それら移動の中に様々なシーンを散りばめた。

32


33


34


35


36


37


38


39


40


meeting room

gest room

teacher's room void children's room

toilet

children's room

multipurpose room

children's bathroom

41

pantry

dinning hall


Structure

Slub + Stairs

Infill: wooden

42


児童浴室は富浦寮にとって重要なプログラムの一つである。 足洗場 → シャワー室 → 児童浴室 → 洗濯室という決められた順路か

石積みの壁に架かる屋根によって特異な形態を与えた。

ら、児童宿泊室前のテラスまで外部階段が繋いでいる。遠泳から帰っ 帯状の石積壁が児童と使用する共用空間と

てきた子供たちはそのまま「赤ふん」を干しに行くことができる。

教員スタッフが行う搬入動線を二分する。 上階のボックスが大きく張り出すテラス。 子供のスケールから巨大な建築のスケールへと 空間に多様な変化を与える。

児童玄関

教員玄関

保険室

多目的室

食堂から正反対のテラスへ抜けるスロープ

食堂に開けられたトップライトから上階のテラスを

児童が使用する寝具収納棚には建具を設置せず、

視覚的に繋ぎ、子供たちの姿や赤ふんが見える。

可視化することで空間を大きく見せると共に、子供 たちが各部屋に縛られず交流できる空間を目指した。

児童+教員+ OB スタッフ=計 150 人を収容できる食堂。 全開閉可能なサッシュによって外部と一体的に使うことも出来る。

43

食堂・浴室 1F

多目的室・保険室 2F

男子児童宿泊室 3F


最短ルートの直通階段を児童宿泊室に対して中央に置くことで

宿泊部屋からダイレクトに接続し、教員及びスタッフの宴会場となるテラス。

直通階段に光を落とすトップライト

子供たちの行動を監視し、見る見られるの関係を作りだす。

遠泳を見守り重要な協議をいくつも行う 水泳本部へ上る階段を象徴的に表現する。

上階へ進むにつれて鉄骨が徐々に露出し始める。 教員という権力とは逆に、空間は抽象的になっていく。

最上階の水泳本部からは遠泳を行う海が見渡せ 赤ふんを干すテラス

る。日本一の道ノ駅に選ばれた枇杷倶楽部と対 をなす存在として位置づける事を考えた。

女子児童宿泊室 4F

教員宿泊室 5F

���部スタッフ室・校長室 6F

水泳本部 7F

44


45


46


03 高架下の花 敷地は飯田橋~水道橋間の首都高速 5 号池袋線直下の外濠水空間が消え かかっている場所に存在する。高速は頭上 12m を横断し、上下左右では 鉄道や車両がもの凄いスピードで駆け抜ける。さらに南北はオフィスビ ルが林立し光すら入らない。そんな外濠から続く歩行空間の延長に、全 長 450 mを歩いて渡る complex を計画する。 飯田橋歩道橋を新たに設計するのに加え、現在建替えが行われているオ フィスビルの下層階をパブリックとして解放し、上層へオフィスビルを 持ち上げる。高架と外濠それぞれから生み出されるここにしかない水空 間と、街と街をつなぐ建築を提案する。 歩いていてその空間に参加する必要はなく、自分の行きたいところへ立 ち寄っては、好きなところへいくことができる。南側はワーカーや家族 連れ、学生たちのために飲食等による滞留空間となり、高架下は場所の ポテンシャルによって , プログラムが変化しながら空間が次々に現れる。 川に近づこうとも途中で外にでることもその人の自由である。

Project

under graduation BA4

Location iidabashi,chiyoda,tokyo Duration 3 months Program complex Award

47

1st prize - yasuhara unit


48


49 0m

50

m

00

10


高架を支えるΦ 2500 の巨大な円柱は一つとして同じ間隔で並んでいない。高速から外れるようにして存在する柱もあれば、もぐりこんでいる 柱もある。人がふらふらと歩き回るように知らぬ間に時間が流れていく、そんな全体像をイメージする。高架下に張り付くように伸びる空間が、 環状 2 号線や外濠、高速道路をオーバーラップして高架上を通る車にまで影響を与えるよう飛び出している。高架下に収まるのではなく都市や 水空間に何かしら影響を与えるたたずまいを考えた。歩道橋から伸びる長い道のりは特に用がなくともイベントやショップ、展示空間などを外 部動線を辿り、通り抜けていくことができる。「ここを通ればなにか面白いことがある」そんなことを喚起させるような場を作り出す。

50


この建築はまちとまちを引 張 り あうように存在している。 暗くじめじめとした高架下に花 が咲くように

51


52


53


54


55


56


57


58


59


60


61


見上裏で反射するテールランプや緑、揺れる水面、ひとの色。この場を歩く人々は、今まで忘れていた街の表情を感じることができる。

62


宙へ浮かぶ駅前広場、駅と外濠を結ぶ新たな歩道橋

63


アクティビティや水面が反射する高架裏

64


駅と外濠を繋ぐ新たなアイコン

65


忙しないビルを巻き込み人が動き出す

66


67


68


04 復興の橋 志津川湾に面した宮城県南三陸町志津川地区。 三陸沿岸らしいリアス式海岸の風景が広がるこの地区は、2011 年 3 月 11 日の東北地方太平洋沖地震に伴う津波で壊滅的な被害を受けた。 2015 年現在、隈研吾建築都市設計事務所によるグランドデザインをベー スとして、この津波被害からの復興途上にある。この両岸を結ぶ橋のうち、 河口付近にかかる人道橋に橋を架ける実施コンペである。 数十年後、南三陸町が復興しても尚、人々と津波を結びつけることが重 要であると私は考える。 近い将来、復興計画が整い荒廃した大地が美しく生まれ変わったとして も、この町を訪れる人々が震災と津波を意識することは、多くの被災者 やその親族に哀悼の意を表することに他ならない。復興という眩い町の 未来には、豊かさだけでなく遺構としての記憶が必要であると考えた。 復興の橋において震災直後の大地にあっけらかんとして立つ朱色の鉄骨 躯体と町を飲み込んだ最大津波高さ 15900mm をエレメントとして抽出 し橋へと昇華させる。

Project

competition

Location sitsugawa,minamisanriku,miyagi Duration 1 month Program bridge Award

69

1st prize


70


震災直後むきだしの構造体が巨大な津波に逆らい決して負けず建ち続けている姿。 この場所で生きていくという力強さを復興の橋に変換する。

71


72


最大津波到達高さ 15900mm

構造体に異なる

復興の橋 最大津波到達高さ 15900mm を震災遺構として保存する。 巨大なフィーレンディールを太鼓橋が貫ぬいており、中橋とは異なる部材の径やスパンを与えた。 貫く朱色の柱は防災庁舎を連想させるものとして、柱を超えるごとに空間を作り出す。

73


る差を与える

新中橋 隈研吾建築都市設計事務所が設計した新しい中橋。 復興記念公園に対する参道に見立てられており、 細いパイプトラスによって二重床を実現し親水空間を生み出している。

74


75


構造解析を行った結果、中央部に最大の変形が生じていた。 引張変形をする二本の下弦材をPCにすることで引張をキャンセルしつつ、施工時にキャンバーをつけて橋を持ち上げる。 また、端部に剛性を持たせ引き抜きの力に対応し変形を抑制する。

76


77


78


79


水平ラインは構造体としての大梁と橋の屋根として機能しており、 ライズした橋を渡り徐々に近づく到達ラインによって津波の高さを体感させる

80


一般的な橋梁において、構造的合理性と交通利便性はそれぞれが障害とならないように設計されるべきである しかし、復興の橋は被災した方々が海へ帰ることを刻む橋である 柱を超えるごとに現れる空間が短手方向にある海を意識付け、そこで人々は巨大な津波の高さに思いを耽る 私たちとはかけ離れたスケールの津波 ( 土木構造物 ) が身体性を帯びるように太鼓橋を柱が貫いている

81


82


83


84


5000

7395

7295

7295

7295

7295

7295

7295 87735

85

7295

7295

7295

7295

7395


wood form: Concrete casting

Flooring: Japanese Ceder

1400

1900

1/100

894

200

1/100

550

50

5200 1900

:P.C steel bar

700 1400 5000

High power Concrete

wood form: Concrete casting

200 1400

Flooring: Japanese Ceder

92

550

50

0

宅地の高台移転の際に伐採される杉材を

:P.C steel bar

RC 型枠と太鼓橋床材に使用し地域資源を活用する。

700 1400 5000

High power Concrete

200 1400

86 92


津波を体験した被災者が抱く恐怖はその方々にしかわからない、 被災者がどんな想いでそれを経験したのか、この橋は数十年後も 時代を超えて体験的にその空間を伝えることができる。 新しいデザインや回遊性を生み出す装置としてではなく、 どれだけこの橋が人間的であるか、土木というある種合理的なもの をどれだけウェットに捉えられるかが大切であると考えた。 南三陸でしか建ち得ない橋が未来へ受け継がれるよう願っている。

87


88


89


90


K a z u k i

H o r i k o s h i

- B i o g r ap h y 1993

B orn i n Nari ta,Ch i ba

2011

Tokyo U ni versi ty of Sci ence underg radu a te s chool of Ar chite ctu r e

2015

Master's course at Tokyo U ni versi ty of S cie n ce

- Aw ar ds 2 0 elect i on at SE NDA I DE SIG N LE AG U E 2 0 1 5 1 st pri z e at T U S Di ploma desi gn revi ew 2 0 1 5 1 st pri z e at Reconstruct i on of bri dge compet i t i on

91


thank

you

for

reading!

92



architecture portfolio