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建築

芦原湖子

修士  Architecture

ミラノのモンテ・ナポレ オーネ通りの街路景観 におけるパラッツォ建築 の研究 商業の流入とファサードの継承

Master

ASHIHARA Koko Research on landscape of palazzo on the Via Monte Napoleone Commerce and facade

本論文はイタリア、ミラノの世界有数の商業通りであるモンテ・ナポレオー ネ通りの街路景観を構成するパラッツォ建築に着目し、そのファサードが商業 が流入することによりどのように変化しながら継承してきたかを明らかにしよ うとするものである。モンテ・ナポレオーネ通りは 19 世紀に貴族の邸宅として 建てられた当時の典型的なパラッツォ建築の集積である。19 世紀後半からミラ ノが繁栄するにつれ都市が拡大し、ミラノ大聖堂周辺に位置していた商業地域 がこの通りを中心とする地域に移り、商業が流入しモンテ・ナポレオーネ通り 周辺の住民の生活を支える商店街となった。その後 1950 〜 60 年代のイタリア の高度経済成長に伴い世界有数のブティックが軒を並べる商業通りへと変貌し ていったのである。事実、モンテ・ナポレオーネ通りを構成するパラッツォ建 築は建築史上さほど重要な建築物とはいえない。そのためこの通りに関する研 究はイタリアをはじめ、日本においてもされていない。そこで具体的な対象を 19 世紀から現在までのモンテ・ナポレオーネ通りに面する全パラッツォ建築と し、一次資料として古文書館の図面と現状調査からパラッツォ建築のファサー ドを視点とした。 モンテ・ナポレオーネ通りでは、商業の流入という機能転化を受け入れなが らも人々の生活の中で、19 世紀の連続するパラッツォ建築からなる街路景観を 継承してきたことが都市の価値を創出することにつながった。背後には既存の 都市とその時代時代の社会状況とをいかに折合いをつけていくかという人々の 知恵と意志があり、次なる世代へと都市を継承する力となっていたと結論づけ た。

會田涼子 19世紀のフィレンツェに おける建築家ジュゼッ ペ・ポッジの都市計画

ジュゼッペ・ポッジ(1811-1901)は、イタリア統一後のフィレンツェにおい て近代化都市計画を委任された建築家である。本研究では、彼の計画の全貌が 如何なるものかを明らかにし、歴史都市から近代都市への変容を理解すること を目的とする。 フィレンツェは一時的に首都になり、ポッジは市壁を解体して都市を拡大し

KAITA Ryoko The city planning of architect Giuseppe Poggi in Florence in 19century

た。市門をモニュメンタル化し、周辺を広場として新しい地区と旧市街の境界 点とした。そこで彼はルネサンス時代の建築物と近代の建築物を周辺の街区整 備によって、新旧の対峙をつくりだした。さらに丘陵地帯に大通りを建設し別 荘地と都市を繋いぎ、また丘の上に大広場を建設してフィレンツェの都市の眺 望を得られる装置をつくった。 本論では、ポッジの計画以前の近代化の始まりを第 1 章とし、ポッジの計画 を第 3 章、ポッジ以後を第 4 章とした。19 世紀のフィレンツェの都市生活につ いての章を第 2 章として設けた。 ポッジの計画から導き出されるのは、都市としての機能を中心地に存続させな がら、フィレンツェという歴史都市のアイデンティティを視覚化させることで、 歴史の放棄という選択から逃れると同時に近代化するという前進を果たしたこ とである。それは建築に近づいて見ると市門がモニュメントとなったことに表 象される。都市から少し離れて見ると、市門を基点として市壁外の住宅地から 接続されたブールヴァールに導かれてミケランジェロ広場にたどり着き、そこ から俯瞰するフィレンツェの都市の全体像を視覚的に捉えることに表象される。 それを実現させた背景にはイタリア統一、産業の発展、中産階級の台頭等の社 会的背景、散歩や広場に集うイタリア的習慣が基盤にあり、フィレンツェは新 しい観点から把握された都市のアイデンティティを再び獲得したのである。

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