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くてもいいけれどもね、だんだん遺族も知って いる人は死んでいく。だからだんだんに霊が山 を登っていくと柳田はいう。最後には紫雲たな びく高い峰ぐらいの遠いところへ行って、魂は 浄まわる、浄められる。そうして最後にどうな るかというと、山の上に行って、祖先の霊と一 体となって、一人一人の個人、○○さんの、× ×さんといってた、そういう一人一人の個人の 魂ではなく、祖先の魂と一体化して山に登って いく。そういう考え。だけど山に行くというの は、そういう形で山に行くのか、それとも普陀 落渡りみたいに、あるいはニライカナイみたい に海に行って、海の彼方にあの世をみるのか。 あなたはどっちですかってうかがいたい。

東洋的アニミズムでは、地上そのものが神の居場 所です。銀河や星にしても、宮沢賢治の銀河鉄道の 銀河のように手の届くほど近くにある生活圏の一部 です。 ユダヤ・キリスト教で、天国はなぜか天空に想定 されました。これは、ユダヤ教の発祥地の「風水土」 によると推定されます。 地 は乾燥と灼熱で、「魂」 が住みにくいですが、 天 の銀河や星は砂漠の闇で は手の届きそうなとても近くの目前にあり、夜は冷 涼でもあります。このような地では、天空に理想郷 が設定されるのは、自然の摂理です。そして、天空 から 神 に見張られて、砂漠では隠れ場がない。 」 」 「 「

闇の中のものら華やぐ萩の風

石牟礼道子『石牟礼道子全句集 泣きなが原』 (藤 原書店)のあとがきに、「九重高原、特に「泣きな が原」という薄 (すすき)原の幽邃 (ゆうすい)な美し さに魅入られたのが、 俳句を作るきっかけになった」 とあります。薄原の幽邃な美しさとは、縄文人の心 象です。縄文人の「風水土」の景観は、薄原で、草 原で、花は萩と彼岸花(照葉樹林文化の象徴)です。

」 「

この対談でも、アニミズムは、東洋では「自然の 一体感そのもの」で、西洋では「無数の粒子状の自 然」で、アニミズム自体が本質的に異なることを示 唆しています。 この対談を敷衍すると、神や魂の居場所が東洋的 アニミズムと一神教で決定的に違うことに気づきま す。

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サステナ第47号  

気候変動、持続可能な消費と生産、自然資本と生態系サービス

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