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神 人間 自然 がきっちり区別されており、キリ スト教的自然観から抜けだしているかどうかは、ど うでもいいことです(むしろ強化されている)。 ヘンリー・ソローにとって「神聖なもの」とは、 いったいなんであったか、今福龍太はそれも見事に 教えてくれました。 『ウォールデン』の「より高次の法」の章の冒 頭にこんな挿話がある。湖で魚を釣っていたソ ローは、黄昏の森のなかを小屋にもどる途中で 一匹のウッドチャックが目の前を横切るのに 出くわす。そのときソローは不意にぞくっとす るほど「野生な」喜びにうたれ、その小動物を つかまえて生のままむさぼり食いたいという 強い衝動にかられる。ソローはこう書いている。 「私は別に空腹だったわけではないが、ウッド チャックが象徴する野性的なものに飢えてい たのだ」、と。 これはもう、「野生な喜び」は性欲と同じレベル としかいいようがありません。アレン・ギンズバー クの表現をかりると、 ウッドチャックにファック (同 化)したくなったような衝動です。

を引用して、ソローの野生をさらに明らかにしてく れます。 野性的なもののなかに世界は保存されている。 あらゆる樹木は野生を求めて細い根を伸ばす。 都市はどんな対価を払っても野生を取り込も うとする。人間は野生を求めて土地を耕し、航 海する。 「人間は野生を求めて土地を耕し、航海する。」 とは、西部開拓で「人間は野生を求めて森林を破壊 し、西に向かう」と書いたのとほとんど同じで、ソ ローの自然に対する 欲望 は、自分だけの自然とい う「異常愛倒錯」にしかすぎません。 この自然に対する「異常愛倒錯」こそが、西欧の [シュバルツバルトメカニズム]をとおして、米国 で純化したような気がします。破壊の悪魔的衝動で す。 ドンコロおじさんは、「ソローの野生」にこそ 神 のエキス」 (精神)で、べたついた悪臭を感じます。 「

続けて、今福龍太は、 『ウォーキング』( Walking )

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サステナ第47号  

気候変動、持続可能な消費と生産、自然資本と生態系サービス

サステナ第47号  

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