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オハ( Rioja )とナバーラ( Navarra )が有名で、世 界的評価も高いです。バスク地方はハモン・デ・ベ ジョータとワインのペアリング(マリアージュ)を 徹底的に追求してきたのではないか、そんな、筋肉 質の食の堅牢な文化を味わうことができます。ここ には、風水土に沿った、真のテロワール(地味)が 存在する。 帰国後、港千尋『ヴォイドへの旅 空虚の創造力に ついて』(青土社)を読んでいると、サン・セバス チャン生まれのバスク人で、彫刻家エドゥアルド・ 、 チリーダ・ファンテギ ( Eduardo Chillida Juantegui 、1924~2 または Eduardo Txillida Juantegi 002年)の話が出てきました。チリーダはジャコ メッティやブランクーシらと並ぶ近代彫刻の巨匠と いわれています。港千尋は、あらゆる場所にヴォイ ド=空虚がぽっかりと存在するとし、「なにもない 空間」を求める旅の一つとして、チリーダをとりあ げ、サン・セバスチャン近郊の海岸の絶壁にあるオ ブジェにヴォイド=空虚をみます。また、サン・セ バスチャンの近郊のエルナニにチリーダ=レク美術 館があり、12ヘクタールの敷地に400点の彫刻

と300点以上のエッチングなどが展示されている といいます。 ここは見逃してしまって残念でしたが、 また、 ドンコロがころがっていく口実でもあります。 でも、バスクを体験したので、港千尋の「ヴォイド =空虚」論が、深く染み込んできたのです。 ちなみに、港千尋の「ヴォイド=空虚」論をドン コロ塾で復習してみましょう。「心」をめぐる慣用 的な表現は、「気持ち」に置き換えることができ、 「心」は身体の他の部分と同じように容器のような ものといいます。たとえば「うつろ」という語では、 器が精神的な働きを表現する際の前提になっており、 「目が虚ろ」は、目が意識の状態を表します。ある いは「心を入れ替える」「心が折れそうになる」「心 が凹む」などは、「心」がその中に何かを入れたり 出したりできる容器のようなものであることを示唆 するといいます。また、「心」(「気持ち」)を「胸」 や 腹」に置き換えて表現することも多く、 胸」は いっぱいになり、 腹」は 腹に据えかね 、 腹に収 つまり、 内蔵を含む表現には、 め 、腹を割り ます。 総じて心が容器として働くことが暗黙の了解となっ ていると指摘します。学術的にも、心をメタファー によって表現する「容器モデル」 (M・ジョンソン、 「

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サステナ第47号  

気候変動、持続可能な消費と生産、自然資本と生態系サービス

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