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える時代でした。 子供のころ、父母や親戚の人の戦争体験を 聞き、その恐ろしさを幾度となく、自身の夢 で実体験しました。父は、学徒動員でにわか 消防隊員として空襲時の消火活動に動員され、 本職の消防隊員に逃げろと言われて、辛くも 焼死を免れた経験を話し、母は学校帰りの田 圃路で、戦闘機に襲われ、用水路の中で伏せ て助かった経験を話しました。私自身、そう した命の危険を今まで経験したことは全くあ りませんが、一世代前の多くの人々が、自分 の実父母でさえ、理不尽な命の危機を日常的 に経験しています。 当然、少年となり、自身と社会のかかわり を自覚するようになると、こうした課題に対 してさまざまな言論チャンネルでなされてい る議論に興味を持ち、不十分ながら自身でも さまざまに考えた記憶があります。 戦後の民主教育の影響もあったかもしれま せんが、そうした10代後半から20代前半 に考え、感じたなかで、今でも一番記憶に残 っているのが、 「全体主義」 、 「全体主義は、思 想の自由を奪い、表現の自由を奪い、合理的

判断思考を遮断する」というドグマです。戦 争という非常時ですから、国のあらゆる資源 は、戦争遂行のため優先的に使用され、民生 で使用できる資源は限られます。戦争に突入 し、 勝つか負けるかしか選択肢がなかったら、 勝つためには、国として、社会として、個人 にある程度、強い制約を掛けざるを得ないと 思われます。国の存亡(社会の存亡、あるい は社会を構成する個人の生死)がかかるなか で、表現の自由を謳い、敗戦必至として戦争 遂行に個人の財産や生命までも賭している兵 士や国民の士気を削ぐことを、社会として容 易く許すことができるとは、なかなかに思え ません。そうした表現の自由や、思想の自由 は、戦争突入前に、与えられるべきで、戦争 回避の方策や、やむを得ず戦争になってしま った場合の戦争終結のための方策など、あら ゆる可能性に関して、合理的な判断が可能と なるよう、自由で制約のない議論が必要であ ろうと思われます。「全体主義」 、「全体主義は、 思想の自由を奪い、表現の自由を奪い、合理 的判断思考を遮断する」 、の欠陥は、特にこの 戦争突入前に、顕著に現れます。

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サステナ第47号  

気候変動、持続可能な消費と生産、自然資本と生態系サービス

サステナ第47号  

気候変動、持続可能な消費と生産、自然資本と生態系サービス

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