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じます。 持続可能な社会は、節度ある資源の利用を 社会全体として保証する社会です。ただ、社 会と個人の関係は、社会を人口で割り算する と個人になるというような単純なものではあ りません。あるべき社会の平均的な個人は定 義できるかもしれませんが、実際の個人は、 個性や能力に応じて、さまざまに変化する存 在であり、同じようにものを考え、行動する わけではありません。あるべき社会への期待 が、個人に還元されるときに、さまざまに変 化する個人が忘れられ、画一的な個人が想定 されてしまう怖れを持ちます。資源利用とい う点で、制約のある社会や集団への社会的な 期待が行き過ぎると、全体だけでなく個人の 思想や行動の自由も制限する硬い社会になっ てしまわないかという恐れを持ちます。 社会全体では、節度ある資源利用の範囲で 持続可能な社会への移行を、少しずつ実現す るものであることは当然ですが、社会を構成 する一人一人に対しても〝一律に〟、言葉を

サステナブル社会という全体主義へ の怯え 持続可能社会、 すなわちサステブル社会は、 今を生きている人ばかりではなく、将来生ま れてくる人々も、 今生きている人々と同じく、 豊かに幸せに暮らすことのできる生産や生活 のシステムを備えた社会であり、人類という 種が消滅するような破滅的な未来の可能性を できる限り、最小化する社会と了解されてい ます。今現在は、そのような持続可能な社会 ではありませんが、そうした理想的な社会へ の移行を目標とし、日々努力を重ねる社会と 考えられています。 人類が人類自身の責により、何世代、ある いは何十世代先に、 絶滅へ道を辿る可能性を、 今を生きる我々自身が招いているということ は、あまりに悲しく、そのような危機を回避 する努力を重ねることに、異論を唱える人は 少ないと思われます。しかし、持続可能な社 会への移行を目指す、現在の社会の風潮に関 して、私自身はサステナブル社会の旗振り役 を務めるオピニオンリーダーの人々に、 時々、 無邪気な行き過ぎを感じ、ある種の恐れを感

加藤信介

かとう しんすけ

東京大学名誉教授(生産技術研究所)

(専門は都市・建築環境調整工学)

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サステナ第47号  

気候変動、持続可能な消費と生産、自然資本と生態系サービス

サステナ第47号  

気候変動、持続可能な消費と生産、自然資本と生態系サービス

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