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STEM

00

TAKE FREE

[ ステム ]創刊号

STEM vol. 0

presented by 異分野交流会 STEMα

Beauty in Science 特集 科学と「美」


STEM

00

contents 01 特集

科学と「美」

10

interview

隣の研究室の彼女 お茶の水女子大学大学院 人間文化創成科学研究科

大塚美穂

12

interview

イケメン研究者ができるまで お茶の水女子大学 アカデミック・プロダクション特任助教

郡宏

14 What is STEM? 16 10°CAFE

STEM[ステム]vol. 0 創刊号 2011 年 7 月発行 © 異分野交流会 STEMα, 2011 本誌の全部または一部を無断で複写複製することは禁じられています。


02

mathematics

対称性とトポロジーが出会うとき ̶理論の交叉点̶ 首都大学東京大学院 理工学研究科

阿部拓 04

physics

普遍性という調和 首都大学東京大学院 理工学研究科

清水祟文 06

chemistry

自ら組み上がる美しい分子たち 東京大学大学院 工学系研究科

岩佐淳司 08

biology

ダーウィンの見た美 東京大学大学院 教育学研究科

高橋翠

01


特集 科学と「美」

美を追求する数学

後には「トポロジー」と 呼ばれる数学がある。

対称性とトポロジーが出会うとき ̶理論の交叉点̶

 トポロジーは、やわらかい幾何学 などと言われることもあり、空間を みなさん

連続的に変形させても変わらない性

は正多面体とい

質を調べる数学だ。例えば、トポロ

うものをご存知だ

ジーでは、コーヒーカップとドーナ

ろうか。百聞は一見に

ツは同じものとみなされる。コーヒ

如かずということで、ま

ーカップの底を連続的に縮めていく

ずは左の絵を見ていただき

とドーナツになるからだ。一方でド

たい。

ーナツとサッカーボールは異なる。

 これらは正 4 面体、正 6 面体、

ドーナツの中央には穴があいている

正 8 面 体、 正 12 面 体、 正 20 面

が、サッカーボールには穴は開いて

体であるが、実はこの 5 つ以外の

おらず、このような図形たちは連続

正多面体は存在しない。プラトンは、

的な変形で移りあえないということ

自著『ティマイオス』の中で、これ

が数学的に証明できる。空間にあい

らの正多面体を自然界の四元素(土、

た「穴」のような、連続的な変形で

水、火、空気)と結びつけていた。私

変わらない量を計算することは、ト

もこの事実を知ったときは何か神秘的

ポロジーでの主要な研究テーマの一

なものを感じたことを覚えている。で

つである(ちなみに、トポロジカル

は、何故この 5 つしかないのだろうか?

には正多面体は全て中身をくり抜い

初等的な証明もあるが、オイラーの多

た球面と同じで、下の公式の右辺に

面体定理を使って示すこともできる :

現れている 2 はオイラー数と呼ば

(頂点の数)―(線の数)+(面の数)= 2  この公式はシンプルだが強力だ。

れる不変量である)。

というのも、実は正多面体だけでな

 ところで、左の正多面体を眺めた

く、どんな(凹みのない)多面体

ときに美しさを感じる人は少なくな

を持ってきてもこの公式は満た

いと思う。それはきっと正多面体の

されているのだ。興味のある

持つ対称性から来るのだろう。しか

方は、多面体を絵に描いて

し、普段私たちが「対称性」という

みて、または実際に作っ

言葉を使うとき、何をもって対称性

てみて、その頂点と線

と言っているのだろうか。ここで再

と面の数を数えてみ

び絵を眺めながら考えてみたい。

る と 面 白 い。 こ

 背景のふたつの黄色い円を見てほ

の公式の背

しい。どちらもなんとなく対称性が あるように思える。左の円は左右対 称であり、左右を反転させても変わ らない。一方、右の円は回転させて も変わらない。つまり、反

02


転や回転のような操作で 「変わらない」性質をもつとき、 その図形は対称性があると理解され るのだ。身の回りのものをあらため て眺めてみると、反転や回転で変わ

例えば、球

らない性質を持つものがとても多い

面の中心に高

ことに気づくだろう。思えば人が美

さの軸を付けて考

しさを感じる図形はなんらかの対称

え る と、 球 面 は こ の

性を持っていることが多い。

軸周りの回転という対称

 私は学部生のときは物理学を専攻

性を持っているが、この回

していたが、そこでは対称性という

転に沿ってボールの上を移動

ものが物理の理論を理解するための

してみるとその高さが変わら

鍵であり、幾何学的な言葉で語られ

ないことに気づく。このように、

ていく理論物理にとても興味を持っ

空間の対称性からある種の保存す

た記憶がある。当時、数学の本を読

る量を取り出せることがある。実は

んでいてトポロジーという数学に出

この量が保存するからくりは、物理

会った私は(色々な回り道の末!)

に出てくる運動量保存の法則に他な

大学院で数学を専攻することにし

らない。数学ではここからもう一歩進

た。対称性とトポロジーというキー

んで、この保存量からある多面体を作

ワードのもとで文献を紐解いていく

る。すると、不思議なことに、同変コ

と、 こ の 2 つ の 数 学 を 絡 ま せ て 考

ホモロジーはこの多面体を用いて記述

えるとさらに面白くなることを知っ

することができるのだ。対称性込みの

た。このような経緯もあって、私は

トポロジーは、理論物理の視点からも

対称性をもつ空間の幾何学やトポロ

理解できるということだ。この現象を

ジーに興味をもって数学の研究を行

知ったとき、物理の言葉も分かる私

っている。

はとても嬉しくなり、以来すっかり

 この、対称性も込みでトポロジー

その魅力に取りつかれてしまった。

を考えるという行為は、単に両方考

対称性とトポロジーが混ざり合

えるというよりは、この 2 つの数学

ったとき、そこでは様々な数学

をミックスするという感じに近い。

が手を取り合い、そして理論

ある程度性質の良い空間を考えてい

物理も顔をのぞかせる。私

るときは、代数幾何や組み合わせ論

はこの「理論の交叉」に

などといった数学も関係していて、

美しさを感じてやまな

一つの現象を色々な視点から解釈す

い。

ることができる。しかも、数学だけ でなく、理論物理の視点も大活躍す るのだ。実際、対称性込みのトポロ ジーの研究対象の一つである同変コ ホモロジーには、理論物理のアイ デアが深く関わっている。

  阿部拓 あべ・ひらく 首都大学東京大学院 理工学研究科 数理情報科学専攻 博士後期課程 2 年

03


特集 科学と「美」

美を内包する物理 普遍性という調和 我々を照らし続けている太

があると知ると、感慨深い思い

球形を保ちながら時間と共に膨

陽、夜空に輝く星々、時空に開

がするのは私だけであろうか。

張していく。形状の非一様性が

このように恒星の進化の過

顕著な mixed-morphology と呼

いた穴であるブラックホール、

04

宇宙最大級の構造物である銀河

程で次々に重い元素が生み出さ

ばれるタイプのものもあるが、

団など、宇宙には魅力的な天体

れていくが、鉄の原子核が作ら

この超新星残骸の形状の起原は

が満ち溢れている。私の専門の

れるようになると状況が一変す

未だわかっていない。

宇宙物理学では、この他にも数

る。鉄の原子核は核融合しても

超新星残骸の衝撃波後面で

多くの研究対象があるが、言葉

エネルギーを生み出せない。こ

は、高速運動する電子とイオン

で語るよりもまずは右の美しい

うなると太陽は冷えていくだけ

が衝突することで、イオンの電

天体を見て頂きたい。

になり、最終的には光を出さな

離が進行する。多くの超新星残

これは超新星残骸と呼ばれ

くなって我々には見る事が出来

骸中のプラズマでは、電離状態

る天体で私の現在の研究テーマ

なくなる。その一方で、太陽の

の温度が電子の温度よりも低く

である。我々の銀河系内では超

8 倍以上の質量を持つ恒星は、

なる事が知られていた。しかし

新星残骸が 300 個弱見つかっ

燃料を使い切ってしまう進化の

ながら、近年、電離状態の温度

ている。では、この天体は一体

最期で爆発を起こす。「II 型超

が電子の温度よりも高い「過電

何者なのか。 答えを先に言うと、

新星爆発」と呼ばれるこの爆発

離状態」の存在が日本の X 線

これは恒星の最期の姿である。

の中には、肉眼で確認できるほ

衛星「すざく」の観測から分

例えば、私たちの身近にあ

どに明るいものもあり、1054

かった。この状態を説明する

る太陽はどのような最期を迎え

年の藤原定家による日記『明月

プロセスはいくつか提案されて

るのであろうか。太陽の内部で

記』にも示されている。

いるものの、未だ確定には至っ

は、水素原子核同士の核融合に

超新星爆発の際に放出

て い な い。 さ ら に、 こ れ ま で

よりヘリウム原子核とその副産

される物質の初速度は秒速

過電離状態が検出された超新星

物であるエネルギーが、ヘリウ

10000km 以 上 に も 及 ぶ。「4

残骸は、なぜか全てが mixed-

ム原子核同士によりさらに重

秒程度で地球を一周する速さで

morphology タ イ プ な の で あ

い原子核とエネルギーが生み出

ある」と言えば、いかにこの爆

る。

されている。これらの連鎖過程

発が劇的なものであるか分かっ

私はこの mixed-morphology

から得られたエネルギーによっ

て頂けるであろう。これらの物

タイプの超新星残骸の起原を探

て、太陽は高温を維持しながら

質と周辺物質との衝突で衝撃波

るべく、日々研究に励んでいる。

光り続けることができるのだ。

が生じ、この衝撃波によって高

可能性としては、そもそも超新

つまり、我々の体を構成してい

温に加熱された物質から X 線

星爆発そのものにあるのか、そ

る炭素や酸素などの重元素は、

が放射される。これが超新星残

れとも爆発が起こった周辺環境

大昔にどこかの星内部で作られ

骸と呼ばれている天体である。

にあるのかの二つが考えられる

たものなのである。自分の体を

内部にエネルギーを放出する天

が、私は後者に着目して研究を

構成する元素にこのような歴史

体を持たない場合には、殻状で

行っている。宇宙空間は広いス


ケールで見るとほぼ一様に物質 が存在している。しかし、太陽 が太陽風を吹くように、恒星も 自身の一部を周囲に放出してい る。このため、爆発直前の星周 辺には非一様な高密度の物質が 分布している可能性がある。こ のような環境下で超新星残骸が どのように発展していくかを調 べるため、流体力学の数値計算 を行っている。流体力学とは気 体と液体(両者をまとめて流体 という)の運動や変形を扱う学 問であるが、超新星残骸はある 程度大きいスケールでは流体と 見なせるため、流体力学の計算 からその発展を追うことができ るのだ。 超新星残骸には単純に視覚 的な美しさがある。しかしそれ だけではない。我々の知ってい る自然法則がこの広大な宇宙の どこでも成り立っていると仮定 して計算を行うと、天体現象を よく説明できるのだ。地球上で 確立した自然法則が、我々が到 達できないような場所でも変わ らない̶その調和にこそ美を感 じるのである。 清水祟文 しみず・たかふみ 首都大学東京大学院 理工学研究科 物理学専攻 博士後期課程 1 年

超新星残骸カシオペア A の画像。緑と青はチャンドラ X 線観測衛星で 撮影した X 線、赤はスピッツァー宇宙望遠鏡で撮影した赤外線、黄色は ハッブル宇宙望遠鏡で撮影した可視光を表す。この天体の直径は太陽と 地球間の距離のおよそ百万倍程度である。Credit, X-ray: NASA/CXC/SAO; Optical: NASA/STScI; Infrared: NASA/JPL-Caltech/Steward/O.Krause et al.

05


特集 科学と「美」

美を体現する化学 自ら組み上がる美しい分子たち

 化学の面白さの一つは、巨大で複雑な構造

際に配位子 A とパラジウムイオンを混合す

の分子でさえも、自らの手で自在に作れると

ると、36 成分(12 個のパラジウムイオンと

ころだと思う。もし、分子が目に見えるよう

24 個の配位子 A)で構成された球状分子の

な大きなサイズであったら、はさみで切り、

みが得られる。また、「く」の字の折れ曲が

糊で貼付ければ、望みの分子を簡単に作るこ

り角度の大きな配位子 B を用いると、より

とができるだろう。しかし、実際には分子は

大きな 72 成分(24 個のパラジウムイオン

極めて小さいために、そのような単純な手法

と 48 個の配位子 B)からなる球状分子がで

をとることはできない。そのため、2010 年

きあがる。72 成分という構成成分数は、人

にノーベル賞で話題となったクロスカップリ

工の単一分子としては世界最大だ。

ング反応などの化学反応を利用して、望みの

 どうして球状分子のみが得られるのだろう

分子を合成する。A + B → AB のように、2

か ? 配位結合が弱い結合であることを思い出

種類の分子 A と B との間に結合ができ、新

してほしい。この結合は溶液中で簡単に解離・

しい分子「AB」が作られる。これを繰り返

再結合を繰り返す。そのため、たとえ球状で

してつなげていけば大きな分子を作れそうで

ない構造ができたとしても、再びバラバラに

あるが、何度も反応を行わなければならず、

解離して、新しく構造を組み上げていくこと

効率が悪く手間がかかる。そこで、私たちの

ができる。こうした試行錯誤の結果、最もエ

グループでは、 「自己組織化」という手法を

ネルギー的に安定な構造へと変化していくの

用いて、これまでにない巨大で美しい分子を

である。構成成分を混ぜるだけで、美しい球

作ろうと日々研究している。

状分子のみが自然と組み上がっていくのだ。

自己組織化による球状分子の合成  パラジウムイオンとピリジンの窒素原子 は「配位結合」と呼ばれる弱い結合を作る。 パラジウムイオンは 4 つの結合部位を持っ ており、4 分子のピリジンと結合する(右上 図) 。そこで私たちは、2 分子のピリジンを 「く」の字型に連結した配位子 A を合成した。 配位子 A とパラジウムイオンを混合すると どうなるだろうか ? 一見、4 つの結合部位を もつパラジウムイオンと 2 つの結合部位を もつ配位子 A からは、様々な生成物̶例え ば直線状に延びた分子や、シート状に広がっ た分子など̶ができそうである。しかし、実

06

配位子 A


ピリジンとパラジウム イオンの配位結合

配位子 B

だ。さらに、混合比を変化させてみたところ、 配位子 A : 配位子 B = 7 : 3 までは 72 成分の 球状分子が、8 : 2 からは 36 成分の球状分子 が得られた。この一連の実験で、36 成分と 72 成分の中間の大きさの分子は決して得ら れなかった。これは、多成分の巨大分子では 対称性が高い(エントロピーとして有利な) 構造が好まれることに由来している。36 成 分と 72 成分の球状分子はいずれも半正多面 体とよばれる対称性が高い構造である。球状 分子は 18 成分、36 成分、72 成分、90 成分、 180 成分しか存在しない。そのため、36 成 分の球状分子に配位子 B を混ぜるなどの何 らかの要素を与えたとき、37、38、39 成分 と段階的に変化するのではなく、一挙に 72 成分に変化するのだ。  自己組織化では幾何学的に美しい構造のみ が構築され、美しくない構造は構築されない

こうした可逆的な結合を利用することで、多 数の構成成分を集める手法のことを自己組織 化と呼ぶ。

配位子を混ぜたらどうなるのか?

というわけである。

おわりに  抽象的な言い方になるが、自己組織化とは 構成成分である小さな分子が最も居心地の良

 配位子 A と配位子 B を混合し、自己組織

い構造を作り上げていく作業である。私たち

化させたらどうなるだ ろうか? 36 成分の球

はただ構成成分を混ぜただけであり、分子の

状分子か、72 成分の球状分子か、それとも

なすがままにさせているに過ぎない。その結

両者の中間の大きさになるのか。

果として、美しい球状分子のみが得られてく

 そこで実際に 2 種類の配位子を 1 : 1 で混

ることは、小さな分子ひとつひとつが 美し

合して、パラジウムイオンを加えてみた。す

さ を求めているからなのかもしれない。

ると、36 成分の球状分子は全く生成せず、 72 成分の球状分子のみが得られた。詳細な 構造を調べると、2 種類の配位子が混ざり

岩佐淳司 いわさ・じゅんじ

合って 72 成分の球状分子を構築していたの

東京大学大学院 工学系研究科 応用化学専攻 博士課程 3 年

07


特集 科学と「美」

美を認識する生物 ダーウィンの見た美 はじめに 美には途方もない価値があるようだ。美術品

見抜き、それらを効果的に利用していくために

は高額で取引され、 最も価値ある作品 には

獲得された認知・感情システムのことだと捉え

鑑賞料さえ生じる。美しい景色は食事代や賃料

ている。彼らの主張を理解するためには、人間

を引き上げる。街中はファッションやエステな

もまた生物であることを認めた上で、生物進化

ど美容関連の広告で埋め尽くされているが、そ

の過程でいかにして美が出現することとなった

れらは美しくなるために人々が惜しみなく捧げ

のかということに思いを馳せる必要があろう。

る労働対価が支えている。これも容姿の美が、

生物は生存を確保し、繁殖に成功することで

行き交う人の視線から魅力的な異性の心とい

子孫を残していく。しかしその際、もし他の個

う、それこそ計り知れない価値をもつものまで

体よりも生き残りと繁殖に有利な形質を備えた

一瞬で虜にするためである。

個体がいれば、次第に集団の成員のほとんどに

美をめぐる謎

その個体が保持していた形質や傾向性が共有さ れるようになる。さて、ここで生体の移動範囲、

我々が美に囚われるようになったのは何も最

摂取できる食物の量、配偶相手として利用可能

近のことではない。ヒト進化の過程で既に芸術

な異性の数には必ず限界があるという事実に目

の萌芽が認められ、歴史的建造物には先人の美

を向けてみよう。こうした制約の下では、周囲

へのこだわりが容易に見て取れる。化粧をはじ

の環境の中からより確実に水が得られそうな場

めとする種々の身体装飾も、文化や時代を越え

所、より多くの栄養分を摂取できそうな食物、

て遍く行われてきた。それゆえ美の魔力に気付

より健康な子どもを残せそうな異性といった、

いた知識人たちは古くから、 「いかなるものが

個体自身の生存と繁殖に対して価値のある事物

美として認識されるのか」 「美は何のためにあ

を選り好みするような性質は、結果的に各生物

るのか」そして、 「そもそも美とは何か」とい

種に広まっていっただろう。これは当然人間

った問題に挑んできた。その中で最近、表面的

にもあてはまり、我々の祖先もまた、過酷な環

には全く無関係のように見えるダーウィン進化

境を生き延び、多くの子どもを残すことに役立

論をヒントに、これら哲学的問題を生物学的問

った事物、およびその存在を伝える情報に対し

題に置き変えることで、これまで美を覆い隠し

て、弁別的かつ積極的に接近しようとするよう

てきた神秘のヴェールを一挙に取り去ろうとす

な傾向性を獲得してきたのだろう。そしてそれ

る、ある意味ラディカルな試みが一部の生物・

を支えているのが、価値ある対象に接した際に

心理学者の間で活発化している。

生起する快感情といった、近接行動を動機づけ

美の正体とは

08

が周囲の環境の中で生物学的に価値ある事物を

る心理的メカニズムであると考えられる。ただ し人間は進化の過程で、ある物に心奪われてい

進化生物学的視点から美にアプローチする研

る自分自身の状態をはっきりと自覚できるとい

究者たちは、美の本質とは詰まるところ、人間

う、他の動物にはない能力を獲得することとな


った。そのため、人間だけが「何ものかが自分

される可能性を指摘している。

の心を捕えてどうにも離さない。だが、それが

②美醜判断の個人差は予測できる:上では魅力

なぜだかわからない」ことに戸惑いを覚えるよ

判断の共通性について述べたが、我々の実感と

うになってしまったのだろう。ともすると、先

しては、「顔の魅力判断は人それぞれ」という

人たちは、 「美」という概念を生み出すことに

ものだろう。最近、魅力判断の個人差は、顔の

よって、こうした一見不可思議な自らの心の働

特徴が示す情報と受け手の利害関心とのマッチ

きを説明しようとしてきたのかもしれない。つ

ング、すなわち、評価対象となる顔の伝える情

まり人間は、ある事物に強く心惹かれ、時には

報が、見る側の人物の生物学的な利益に結びつ

自らの心の求めるまま形振り構わず近づこうと

くものであるかどうかという観点から説明でき

する、自己や他者のある意味では奇妙な在り様

る可能性が示唆されている。これについて最も

を、あたかも美という価値あるものが実在し、

盛んに研究が行われているのが、女性の「男ら

我々にそれが認識されているかのように形容す

しい」男性の顔に対する好みの個人差である。

ることを通じて、どうにか理解しようとしてい

ある男性の顔が「男らしい」印象を与えるよう

るのかもしれない(とはいえ実際には、単に生

な特徴を有していることは、男性が優れた免疫

物学的に有益な情報を視覚的にキャッチしたと

機能を司る よい遺伝子 を保持している証拠

き、それを利用していくための一連の心理・行

である一方、浮気しやすさの手がかりでもある

動的反応が生起しているだけなのだが) 。

という。既に複数の研究が、女性は「男らしい」

美男・美女の顔には何があるか 現在、上記の見方を支持する研究者たちは、 顔を中心的研究対象としながら仮説を証明する ようなデータを次々報告している。では、我々 はいかなる顔になぜ美を認識するのだろうか。 これから、最新知見の一部をご紹介したい。 ①健康の証=美の基準:目前の人物が感染症に

顔の男性をパートナーに選択する際のメリット がより大きい時期(例えば、妊娠可能な時期や 短期的な関係を想定している場合)には、より 「男らしい」印象を与える男性の顔に対して魅 力的と評価すること明らかにしている。

おわりに 今後、美の謎は完全に暴かれるのだろうか。

冒されていないかどうかといった、相互作用相

また、得られた知識が我々の美の認識を変容し

手の健康状態の見極めは、状況や場面、老若男

てしまう可能性はあるのだろうか。問いが尽き

女に関わらず、その人物との距離を調節するた

ないという意味でも、我々は当分、 美の虜

めの重要な情報であっただろう。ゆえに、健康

のままであろう。

状態を伝える顔の特徴は美醜判断の決め手にな ると考えられる。既に複数の実証的研究が、左

高橋翠 たかはし・みどり

右対称性や血色のよさといった健康度の指標と

東京大学大学院 教育学研究科

される特徴をもつ顔は、誰からも魅力的と評価

教育心理学コース 博士課程 1 年 写真協力:掛川花鳥園

09


The Beautiful Girl

隣の研究室 の彼女

 当時から研究者としての才能を匂わせていた 美穂さん。実は学部 4 年生の時に一度、一般 企業への就職の道を選んでいる。 「勉強が好きじゃなかったのもあるし、何より 金銭的な面での不安がありました」  しかしながら、学部での就職を見据えなんと なく選んだはずの現在の研究室が、美穂さんの 研究者魂を呼び起こしてしまった。大手企業に 内定しながらも、大学院受験。そして合格。再

研究だったら、 何かデカイことが できるんじゃ ないかなって

び研究者の道を志すこととなった。  安定した将来が約束されていながらも、研究 者という不安定な道へ進むことに対して不安は なかったのだろうか。 「もちろん、いろいろ悩みました。でも逆に、 どうして進学しないのかって考えたんです。そ うしたら、問題なのはお金の面だけなんじゃな いかって。とにかく研究を続けたいという気持 ちが強かったんです。その気持ちさえあれば、 お金くらいなんとかなるんじゃないか。やって いけないことはない、死にはしないだろうって

 こぢんまりとした大学の少し古びた建物

思ったんです」

の隅にある研究室に彼女はいた。こう見え て、化学の研究者を志す修士課程の 1 年生だ。

 美穂さんをそうまでさせた研究の魅力とは、

美穂さんの専門は計算化学。ルテニウム錯体

一体なんなんだろう。

の触媒反応機構の解明に向けて研究を行って いる。  「もともと化学が好きだったというわけで はないんですけど ...」と、おもしろいエピ ソードを教えてくれた。中学生の頃、2mm 程度に残ったシャープペンシルの芯を集めて いたらしい。ちょっと変わった趣味に思える が、そこにはきちんと理由があった。 「芯って炭素からできているじゃないですか。 ダイヤモンドも炭素ですよね。じゃあ、これ

10

大塚美穂 おおつか・みほ

をたくさん集めておけば、シャープペンシル

お茶の水女子大学大学院

の芯をダイヤモンドに変える発明をしたとき

人間文化創成科学研究科

に、たくさんの人に買ってもらえると思った

理学専攻 化学・生物化学コース

んです」

博士前期課程 1 年


「計算化学は、他の化学と違って「なぜ ?」 を突き詰めることができる分野だと思いま す。どうしてこの反応が起こっているかとか、 どうしてこんな形をしているのかとか。原因 と現象をつなぐことができるのが、この分野 の魅力です。将来は、とにかくデカイことし てやるぞっていう気持ちがあります。社会に インパクトを与えられるような。研究だった ら、それができるんじゃないかなって」  この底抜けにポジティブな内面が、美穂さ んをより一層美しく輝かせているに違いな い。

(文・周藤瞳美)


郡宏 こおり・ひろし お茶の水女子大学アカデミック・プロダクショ ン特任助教。東北大学理学部物理学科を卒業 後、京都大学大学院理学研究科へ進学。2003 年博士号(理学)取得。2002 年日本学術振興 会特別研究員(DC2)及び 2003 年日本学術 振興会特別研究員(PD)。マックス・プランク 研究所研究員、フンボルト奨励研究員、北大 COE 研究員を経て、2008 年より現職。JST さ きがけ研究者兼任。第 3 回(2009 年)日本 物理学会若手奨励賞受賞。

 理論物理学の研究者としてご活躍されている郡宏さん。その爽やかな風貌で女 子学生からの人気を博しています。そんな郡さんが現在に至るまでには、どんな 紆余曲折があったのか。イケメン研究者ができるまでを追ってみました。

―郡さんの研究内容を教えてください。  一言でいうと「振動」だね。僕たちの世界ではリ ズムって言っているんだけど、メトロノームや生き

12

シンクロニゼーションによって生じる。僕はこれら の現象をモデル化して数式で記述しているんだ。 ―昔から研究者になろうと決めていたんですか ?

物はみんな安定なリズムを持っている。リズムとリ

 ううん。もともと研究者になる気は全くなかった。

ズムが合わさると、 シンクロニゼーションといって、

学部時代に、周りのいわゆるデキる人たちをみてい

より大きなリズムが生まれることがある。 たとえば、

て「俺は違うな」って思ったのもあったし、研究じゃ

蛍が一斉に発光するような現象や生物の体内時計は

なくてもっと一般的な世界で働きたいという気持ち


のほうが強かった。人と触れ合うことが好きだった

て思っていたよ。どこに旅立つのかはわからないけ

から国際協力関係の仕事なんかがいいんじゃない

れど(笑)。博士時代は苦労したね。やりたいこと

かって。だから、修士の 2 年間で思い残すことな

とやれることの乖離に悩んだし、大学院では明確な

く研究して卒業していこうって決めていたんだ。学

評価がされないところが辛かった。働いている同年

部の頃は素粒子をやっていたんだけど、素粒子だと

代を見てうらやましく思うときもあった。それでも

修士の 2 年間で研究を完成させるのは難しい。そ

やっぱり数式をいじったり何かを考えたりすること

れにもっと身近なものを扱いたいという気持ちも

が好きっていう気持ちは変わらなかった。

あって、大学院進学時に他の研究室を探した。そこ

 「研究者になろう」ってちゃんと思ったのは、ド

で目に留まったのが、非線形現象を扱っていた僕の

イツで研究員をしていたときかな。僕がいたマック

恩師である蔵本由紀先生の研究室だったわけ。当時

ス・プランク研究所があるベルリンは、音楽とか文

から博士課程まで行くと決めていて、尚且つ勉強が

学とか演劇とか、芸術であふれている街だった。僕

好きだったら、今ごろ素粒子をやっていたかもしれ

は研究以外にも文学や音楽が大好きなんだけど、平

ないね。

日は研究、週末はベルリンフィルに行って大好き

―その気持ちが変わったのはいつですか ?

なラヴェルの音楽が聴けるなんて、本当に幸せだよ ね。気持ち的には、研究と趣味が五分五分ってい

 修士や博士の頃に就職活動をしたんだけど、いま

う日々。もちろん時間的にいえば、ほとんどが研究

いち身が入らなかったんだよね。学振をとっちゃっ

だよ(笑)? でもそのときに、科学者ってなんて幸

たこともあって、なんだかんだ研究を続けていた。

せな仕事なんだと思ったんだ。自分の好きなこと

でも常に「いつかやめてやる。僕は旅立つんだ !」っ

をやっていればいいんだもの。そういう意味では 芸術家も同じ。だけど芸術家は厳しい暮らしをして いる人たちがほとんどでしょ ? 科学者は、なんだ かんだいってもそれなりの生活ができてるじゃな い。あとは、ドイツの学生たちがとても前向きで 明るかったことも影響していると思う。日本の研 究室はどことなく暗いなぁって感じていたから、彼 らにはかなり励まされるところがあった。日本が ダメなら、僕が元気にしていけばいいんだ ! って。 ―理系大学院生たちにメッセージをお願いします。  自分の好きなことを大切に。辛いことがあったと きも、ここに立ち返ってみると自然と見えてくるこ とがある。そのために、好きなことを好きだと感じ ることのできる感受性を磨き続けていてほしいなと 思いますね。

(文・周藤瞳美)

好きなことを好きだと 感じることのできる感受性を 磨き続けていてほしい 13


What is STEM? STEM のこと、紹介します。

 私たち大学院生の本業は言うまでもなく 「研究」です。そのため、研究室に閉じこ もりがちな毎日になってしまっている方が 多いのではないでしょうか。一歩自分の研 究室の外に出てみると、同じ建物の中にあ る研究室でさえも、そこでいったいどんな 研究が行われているのか正直よくわからな いというのが現状です。しかしながら、そ こには同年代の大学院生たちを魅了するサ イエンスがあります。分野は違えども、私 たちの知的好奇心をくすぐる何かがあるの です。  そこで STEM は「異分野交流会」の企 画を行っています。学会のようなマニアッ クで細かい内容ではなく、研究室を選んだ きっかけのような「研究の一歩手前」の内 容を、個々が感じている魅力とともに理系 大学院生間で共有したい。そんな考えから この企画を始めました。

「STEM」 の 由 来 は Science, Engineering, Technology, Mathematics の頭文字をとっ たものです。将来、日本の科学が、そして私 たちが、社会で花を咲かせるための「茎」を、 若手研究者の知識を集結させることでよりた くましいものにしていこうという思いを込め て名付けました。

STEM は 2つのチーム で活動しています。

α

STEMαは、大学院生同士の交流 を深める企画を行っているチー ムです。「サイエンス」を共通項

に、研究や将来のことなどについてフランクに 語り合えるような交流会を作っていきたいと考 えています。将来的には、海外での開催も目論

β んでいます。

STEM βは、大学生と大学院生 と

 当初の目的は、様々な学問にふれること で知的好奇心を満たすと同時に、異分野の ネットワークを広げていくことでした。し かし、 本当にそれだけで良いのでしょうか。 理系大学院生がただ楽しむ場所にするだけ ではなく、これからの科学史を創り上げて いく若手研究者として、社会から求められ ていることを話し合い、ひとりひとりが大 学院生としての在り方を考えることができ るような企画も作っていきたいと考えてい ます。

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の橋渡しをするための企画を考え ているチームです。大学院生って どんな生活を送っているの ? 研 究ってどんなことをするの ? 大学

院へ進学 ? それとも就職 ? 普段あまり関わる ことのない大学院生との交流の機会を設けるこ とで、学部生が抱くこれらの疑問や不安を解決

していくことを目指しています。

HP: http://ibunyakoryu.jimdo.com/ Email: ibunyakoryu@gmail.com Twitter: @ibunyakoryu


STEM のこれまでの活動

ゆるやかな雰囲気の中で研究発表をしたり、お酒を 飲みながら大学院生活についてグループディスカッ

ションを行ったりするなど、これまでに計 4 回の異分野交流会を開催してきました。第 4 回異分 野交流会では、 「最先端研究でつながる空間」をコンセプトに、ポスター形式の研究発表会を行い

ました。学会のような結果重視のものではなく、理系大学院生たちが自分の専門分野でおもしろい

と感じている部分を中心に、基礎知識のない非専門家の人が聞いても理解できるよう分かりやすく かつ魅力的に発表してもらいました。当日は発表者、聴講者合わせて 約 80 名が集まりました。

参加者の声

「わかりやすく & おもしろく」研究を伝える第3回異分野交流会に参 加しました。私の研究は研究人口も少ないため大学院生の友達が比較

的少ない状況です。しかしながら、普段接することのない宇宙物理学や地球科学の分野の方々 と「研究面」で、さらに2次会で「人間面」でも交流することで爆発的に人間関係を広げられ ました。ここで知り合った方々の一部とは今でも交流があります。研究室に篭りがちで友達が なかなかできないという人にとって大変意義深い会になるのではないでしょうか。 東京大学大学院 理学系研究科 生物科学専攻 岡西政典さん

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10° CAFE

CAFE & EVENT SPACE

人生がちょっとだけ変わる そんなキッカケの見つかるカフェ 店名の「10 」とは 「ちょっとした変化」のこと。 静かに読書ができるだけではなく 充実した環境で会議や イベントを行うこともできる。 そんな空間だからこそ、 いろいろなヒトたちが集まり、 人生が 10 変わるキッカケが生まれる。 日常に少し変化を求めている そこのあなた。

to Waseda

Kanda river

10 CAFE に足を運んでみませんか ?

10°bar

Family Mart

BookOff

Segami Drug

BIG BOX

Takadanobaba Stn. to Ikebukuro

to Shinjuku

10°CAFE / 10°space 〒 171-0033 東京都豊島区高田 3-12-8 JR 高田馬場駅早稲田口より徒歩 3 分 Tel: 03-6912-6109

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STEM vol. 0 Chief Editor

首都大学東京大学院

柴藤亮介 Ryosuke Shibato Editor & Writer

お茶の水女子大学大学院

周藤瞳美 Hitomi Suto Designer

東京大学大学院

古戎道典 Michinori Koebis

発行

異分野交流会 STEMα

協賛

首都大学東京・理工 GP(物理と化学) 株式会社 アカリク

印刷・製本

株式会社 プリントパック

編集後記  この雑誌を作ろうと思ったのは、2011 年 2 月に開催した 第 4 回異分野交流会の打ち上げのときでした。交流会のとき に制作するしおりを、よりこだわりを持たせた雑誌にしてみ よう、と。「形に残るからこそ、おもしろいものを作りたい」 という強い想いがあった中、思い立った直後に、仲間に協力 を求め、 ゼロからの雑誌制作を始めました。それから 5 ヶ月間、 紆余曲折はあったものの、私が実現させたいことに理解を示 してくれ、雑誌制作を的確な方向へ導いてくれた古戎道典く ん、周藤瞳美さんのおかげで、無事に創刊号を完成させるこ とができました。  今号の特集は、科学の「美」です。異なる専門を持つ理系 大学院生たちが感じている科学の美しさをつなぎ合わせると、 何が見えてくるのでしょうか。さまざまな切り口から見た科 学の美しさを感じることで、自らの研究分野の「美」につい て見直してもらうきっかけとなれば幸いです。(柴藤亮介)

表紙の画像 Credit, X-ray: NASA/CXC/SAO; Optical: NASA/STScI; Infrared: NASA/JPL-Caltech/Steward/O.Krause et al.



STEM vol.0