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2014 年 3 月発行 発行・編集:北海道学生震災支援ネットワーク HOSUP

OUEN TIMES 震災から3年。

VOL.7 TAKE FREE

今こそ、東北を応援しよう。 被災地の『今』を特集。 北海道にいる私たちが今できること。


ー INDEX 01 目次、本誌について 02 はじめに 03-12 現地ボランティア、被災者の方の声  03-08 岩手   -03-05 大槌   -06-08 陸前高田  09-14 宮城   -09-11 気仙沼   -12-14 南三陸 15 現地のニーズとは 16 東北を訪れて(セリーナ・フォレスト) 17,18 震災を経験した大学生の声    (熊谷 香菜さん) 19-22 応援の仕方特集  19,20 東北現地で応援する!  21,22 北海道内で応援する!

本誌について 本誌を手に取っていただき、ありがとうございます。本誌は北大生や酪 農大生、小樽商科大生、室蘭工大生が所属する北海道学生震災支援ネッ トワーク HOSUP(ホサップ)が発行するフリーペーパーです。東北の 現状をお伝えすることで東北を応援する人の輪を広げたい、という思い のもと、北大に資金を頂いて私たちはこのフリーペーパーを発行してい ます。

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ーはじめに  先日 2014 年 3 月 11 日、東日本大震災の発災から 3 年が経過しました。  発災からの時間の経過に伴い、メディアで取り上げられる東北の情報は徐々に少 なくなってきていて、今や北海道内からでは東北の現状を窺い知ることはほぼでき ません。「もう東北は復興を遂げた」とお考えの方もいらっしゃるかもしれません。  「今の東北を知りたい」、そんな思いを持って先日、私たち HOSUP の 3 名で 2/26 ∼ 3/3 の行程で釜石、大槌、遠野、陸前高田、気仙沼、気仙沼大島、南三陸、石巻といっ た岩手、宮城の沿岸部へ行って参りました。現地ではボランティアを運営している 方や震災当時避難所を提供された方、被災された方など沢山の方々にお会いさせて いただき、お話を伺ったり、現地を案内していただいたりして、沢山の事を学ばせ ていただきました。  その経験をもとに、『震災から 3 年。東北の今』をテーマに本号を作りました。被 災地の今が一体どういう状況なのか、そして今どんな応援ができるのか、本誌を読 んで、お考えいただけましたら幸いです。  東北は優しさや人間味の溢れる、本当に温かい所です。日本の自慢の場所だと思 います。東北に住む皆さんが、一刻も早く安心して生活を送れるように応援したい。 私たちにできることは本当に小さなことですが、それでも、0ではない。一人ひと りの応援が積もりに積もって、必ずや大きな力になる、私たちはそう信じています。  なお、本号ではページ数の問題で行った地域のうちのいくつかを抜粋して掲載し ています。今回掲載できなかった地域については次回以降の記事で執筆する予定で す。本誌は一介の大学生が作った物で見にくい部分や稚拙な文章なども多々あるか と思いますが、ぜひ本誌をめくり、現地にいらっしゃる方々のお声を聴いてみてく ださい。 HOSUP 代表 有坂 紀子

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大 ひょっこりひょうたん島のモチーフになった蓬莱島で 有名な海岸沿いの町。2011 年の東日本大震災では 24m ( 遡上高 ) の津波が押し寄せ、さらに火災によっても甚 大な被害を被った。 2013 年 8 月 13 日現在では、震災死亡者は 1,280 人にも 上る(関連死含む)。 *インタビュー*  『一般社団法人大槌生活サポートステーション』で活動されている鳩岡さん、磯田さん *大槌生活サポートステーション* 2012 年の春からボランティア団体の活動の一環として被災者の方に毎日声掛けをな さっていたのが始まりです。2012 年の年末にその活動が切り上げられることになった のですが、活動の必要性を感じ、お二人は団体から独立し、2013 年 1 月に大槌生活サポー トステーションを設立されました。生活サポートステーションは大槌町の吉里吉里地区 というところにあり、現在は鳩岡さんと磯田さんたったお二人で活動されています。

2014 年 2 月 11 日の大

町(鳩岡さん撮影)

生活サポートステーションの鳩岡さん

(左)と磯田さん(右)

震災から3年が経過しようとしていますが、大

の現在の状況はいかがですか?

―復興にはまだまだ程遠いですね。最近復興住宅が建設されたということで、「大槌は復 興した!」というふうに取り上げられることがあるのですが、それは違っていて。震災 前の大槌町の全世帯数は 5,000 ぐらいでした。そのうち被災し、仮設住宅に住まなければ ならなくなったのが 2,000 世帯。今年度末(2014 年 3 月末)までに完成する復興住宅に 住む人はたった 150 世帯にすぎないんです。その事実をもって復興とは決して言えません。 -03-


生活サポートステーションはどんなことをなさってるんでしょうか? ―傾聴活動、病院への送迎、それから町の便利屋さんの様な事をしています。傾聴活動、 病院への送迎は無償ですが、便利屋さんだけ30分500円のお金を頂いています。 傾聴活動ってなんですか? ―傾聴活動というのは、仮設住宅で暮らす被災者の方々を訪問し、声掛けをする活動で す。大槌町の仮設住宅は 48 の団地に分かれていて、ほとんどの仮設住宅団地には集会 所があります。みんなそこに集まってお茶っこをやったり、イベントをしたりして交流 をして、震災後の生活が孤独にならないようにはしています。でも、男性の一人暮らし や、お茶っこに参加しない人、独居老人など、交流の場に参加しない人は孤立してしま います。そうなってしまっては、仮設に住む方々の心だけでなく、健康状態の悪化にも 誰も気づくことができず、放置されてしまう可能性がありますので、それを防ぐために 傾聴活動を行っています。 もうすぐ三年ですが、被災者の方々のお気持ちは、今どのようですか? ―やっぱり、3年経つ今でも、心に悲しみを抱えて生活してらっしゃる方も多いです。 仮設を廻って声をかけに行くと、初めは普通の世間話をします。でもちょっとしたきっ かけで、ポロッと震災の時の話が出てきます。あるおばあちゃんの家に行ったとき、壁 にずらっとお孫さんの写真が飾ってあって、おばあちゃんはずーっとお孫さんの自慢話 をするんです。どこの学校に行ったとか、どういう仕事をしてるとか。長いなぁ∼と思っ てたら、おばあちゃん急に泣き出して。で、聞いてみたら、『実は初孫は津波で流され たんだ…』って。 普通に生活してても、悲しみを忘れたわけではない。そういう震災のつらい話を聴いて あげることで、少しでも被災者の方々のつらい気持ちを和らげられたらと思っています。 現在、傾聴活動や、病院の送迎は無償で行ってらっしゃるということでしたが、ガソリ ン代とかはどうしてるんですか? ―今は自腹です。昔は助成金をもらっていた時もあったんですが、今はそれも取れなく なって。収入は今のところ町の便利屋さんだけですね。まだまだ仮設での生活は長引く でしょうし、復興住宅に移ったら何もかも解決というわけでもないです。とにかく継続 が大事なので、活動のための資金を調達することも今後の課題の一つになっていくと思 います。 -04-


これからどういう支援が必要になってくるお考えですか? ―被災地ではもうがれきは片付いています。力の支援は終わりです。でも、心の支援 はこれからもずっと必要だと思います。答えはひとつではないです。被災者の方々ひ とりひとり必要な支援は違います。でも、とにかく、被災地に来てほしい。被災地を 見てほしいです。 北海道にいる私たちができることってあるんでしょうか? ―あります。傾聴活動は、基本的には二人でしていますが、ボランティアの方にも加 わってもらっています。なのでもし興味があれば、傾聴活動を一緒にしていただくこ ともできますよ。ただ傾聴活動は初めて来てすぐにできるというものではありません。 聴く側にも心構えが必要です。震災の話はとてもつらいですし、話を聞いたときの ショックを持ち帰らないということが大事です。なので私たちのところで傾聴活動に 参加するときは、必ず経験者(お二人と、何度も来ている方など)と二人一組になっ てまわるようにしています。なので、一度に多くの方に参加してはいただけません。 仮設に住む方は程度はさまざまですがみんな被災していますから、「つらい」と言い にくいのではないのでしょうか。周りの人もみんなつらいので。 だからむしろ皆さんのように外から来た方への方が話しやすいというところはあると 思いますよ。  外からいらっしゃった学生さんとお話して、その後その学生さんからお手紙をいた だいたというおばあちゃんもいましたね。手紙が来たーって嬉しそうに話す方もい らっしゃるんです。そうやって、『遠くから自分を気遣ってくれる人がいる』という ことは、生きる力になるんです。   ◎大槌生活サポートステーションでの傾聴活動に参加したい!という方は連絡してみてください。    連絡先 info@otsuchi-sss.com   ◎お二人の活動を応援したい!という方はコチラに寄付することもできます。    一般社団法人大槌生活サポートステーションでは随時ご寄付の受付をしております。   いただいたご寄付は被災地での継続した活動を行なっていくための資金とさせて頂きます。    銀行支店:北日本銀行 大槌支店    銀行コード 0509、店番 030    口座番号:普通 7019905    口座名義:シヤ)オオツチセイカツサポートステーシヨン -05-


鉄道が震災の影響で不通となっているため代行バスで 入った。見渡す限り 360°何もない景色が広がっていた。 陸前高田市は海からだだっ広い平地が広がっているため、 津波は広範囲をのみこんだ。震災による死亡者は 2,199 人 ( 関連死含む ) にのぼり、市役所をはじめとする町の中枢 も津波によって全壊した。 *インタビュー*

陸前高田

陸前高田市は宮城県と岩手県の県境に位置する町。三陸

にじのライブラリーの設立に携わられた、月山神社宮司夫人の荒木タキ子さん *にじのライブラリ−、荒木さんプロフィール* 『復興対談話そう基金』という Web ページに掲載されていた荒木さんのインタビューを 読んで、ぜひお話を聴いてみたいと思い、連絡を差し上げました。 社が流されてしまった今泉神社の境内に、にじのライブラリーはありました。木造のロ グハウス調のかわいらしい建物で、中に入ると一面鮮やかなひな祭りの飾りが。これら は全て虹のライブラリーに集うお母さん方が手作りしたものだそうです。外の色のない 一面茶色の景色とは真逆の、温かみのある空間でした。 荒木さんは月山神社の宮司さんの奥さんで、震災後はその神社と修行道場を避難場所と して開放・運営されていました。 ―まず、お話をする前に、これだけは心に留めておいてほしいのね。『それぞれの震災 がある』ってこと。私の家は、高台にあったから津波に流されなかったし、幸運なこ とに家族も全員無事でした。だけどここには、家が流された人もいるし、家だけでな ご家族を失った人もいる。だから今から語 ることはあくまでも私の体験であって、被 災地を代表する声ではないんです。 虹のライブラリーについて教えていただけ ますか? ―陸前高田はまちにあった図書館が流され て、すべてのスタッフの方が犠牲になった んです。学校の校庭には仮設住宅が立ち並 にじのライブラリーにて荒木さん ( 右から 2 び、残った子供たちは図書館も遊び場も 番目 ) とご友人の方と HOSUP3 名で。

失ってしまいました。そこで日本記者クラ -06-


ブとの協力で、2012 年の 11 月に完成したのが虹のライブラリーです。子供たちだけ ではなく、大人のお茶っこや手芸などのサークル活動の場としても使っています。普 通の図書館って走り回ったりしちゃダメでしょ。でもこの図書館は走ってもいいの。 荒木さんが Web の記事で、『震災後の時間 は人生で一番充実していた』と振り返って らっしゃったのがとても印象的でした。 ―本当に充実していたんです。毎日生きる ことだけに必死で、無私無欲で。震災直後 は、驚かれるかもしれないけど、泣く人も 騒ぐ人もいなかった。夜が明けたらご飯を 炊いて、おにぎりを作って、日が暮れたら 寝て…すべてのことが淡々と進んでいまし た。誰も指示していないのに、自然と役割

家があったとは想像し得ない、何もない茶色 の景色がどこまでも広がっていた。

ができていくんです。水を汲みに行く人、毛布を集める人…。特に子どもたちは、大 人よりも現実を受け入れる力が強かったですよ。山に山菜をとりに行ったり、中学生 が幼稚園児、小学生を体育館のマットに寝かせて、教室のカーテンをちぎってかけて 寝かせたり。 「震災はもちろん多くのものを奪っていきましたが、また多くのことを教えてくれた」 とも記事の中でおっしゃっていました。あれだけのことがあったのに… ―確かに悲しいことではありますが、学ぶことがあったのも事実です。人間の心の在 り方や、自然の大切さ、それにこれからの自然と調和した生活の大事さを学びました。 震災直後、まだ外からの救援物資が入ってこなかった頃は、家が残った人が食べ物や お米を持ち寄ってみんなの分のおにぎりを作っていました。全然食べ物がないのに、 それでもおにぎりが余るの。数が少ないときは、分け合って、次の日食べるものがな いかもしれないから残してたんです。でも、外からたくさんの物資が入ってくるよう になって変わりました。一人ひとつって言われてるものを二つ、三つ持っていく人が 出てきて。そうしたら「あの人は二つ持って行った、三つ持って行った」ってなるわ けです。ものが多くなると人は奪い合い、心を隠すようになるのね。『分け合えば余る、 奪い合えば足りぬ』ってことですね。 -07-


震災からは自然の大切さどころか、自然の恐ろしさを感じましたが。 ―津波でこれほどの被害が出たのは、自然のことをちゃんと理解していなかったから です。利便性だけを追求して街をつくったから。それに同じことが東京で起きたらど うなると思いますか?私たちは山があったから助かったんです。山へ行けば水や食べ るものはあったし、トイレの代わりになる穴も掘れました。でも東京だったら?地面 は全部コンクリートでしょう?陸前高田は、地震でやられた家は一つもなかったんで す。それは、山の中で南向きに立っている木は家の南側に、といふうに自然の状態を 生かして家を作っていたから。自然と共生する人は強いんです。これからは自然に逆 らうのではなくて、自然に寄り添って生きていくべきです。 今、陸前高田ではたくさんのダンプカーが集まって嵩上げをしていますが、これにつ いてはどう思われますか? ―大きな堤防も作っているようだけど、堤防も嵩上げも要らないと思います。そう言っ てる住民の方も多いです。今『奇跡の一本松』って一本だけ松が立ってるけど、あそ こにはもともと 7 万本もの松が松林を形成していたんですよ。それが一本を残して全 部なぎ倒されてしまった。大震災には、敵わないんです。堤防も、盛土も。それより も一番大切なのは避難道です。今もし大きな地震が起きたら、きっと工事をしている 車は高台に逃げようとしても渋滞をおこしてみんな犠牲になってしまうでしょう。あ の大きな道路から、二本、三本の避難道を作らなければならない。それが本当は最優 先なんです。 これから私たち北海道の人ができる支援ってなんでしょうか? ―支援というより、見守ってくれる方がありがたいですね。もうモノやお金をどんど ん送って頂くという時期ではありませんし。与えられすぎると動けなくなってしまう んです。何もしなくてもいろんなものが手に入るなら、人間って何にもしなくなって しまうの。怠け者が生まれてしまうんです。私の避難所に、「いつもしてもらってば かりで悪い」と言うおばあさんがいたんです。それで私は、「じゃあおばあちゃん、 ご飯が終わったら食器を下げてくれる?」ってお願いしたの。そうしたらおばあさん その日から生き生きしはじめて、とっても元気になられたのね。ただ『して貰う』っ てだけじゃなくて、働くことで、 『自分も必要にされている』って感じることができる。 そうすると張り合いが出て、元気が出るんです。それから、地域の良さを教えてほし いですね。皆さんの目から見て、陸前高田のいいところを教えていただきたい。そう してお互いに高め合って、いいまちづくりができればいいですね。 -08-


気仙沼

気仙沼市は岩手県と宮城県の県境に位置する町。陸前高 田から JR 大船渡線 BRT に乗って気仙沼入り。気仙沼は、 駅周辺はほぼ回復していたが、海岸や港の方は何もない 景色が広がっており、被害の差が歴然としていた。第 18 共徳丸が市街地に打ち上げられた(昨年 9 月解体)こと や気仙沼港にあった石油コンビナートでの火災で多くの 人の記憶に残る町。1041 名もの方が亡くなられた。

*インタビュー*  気仙沼復興商店街 南町紫市場で「揚げたてコロッケ屋」を営む坂本京子さん *気仙沼復興商店街 南町紫市場、坂本さんプロフィール* 気仙沼復興商店街は津波で壊滅的な被害を受けた気仙沼南町地区で、現在 54 店舗が営 業している仮設商店街。震災のあった年の 2011 年 12 月 24 日にオープンしました。坂 本さんは、震災以前は気仙沼湾に程近い仲町でコロッケを中心とした揚物やお惣菜を販 売するお店を営んでいましたが、そのお店は津波の被害を受け跡形もなく流されてしま いました。ですが高台に置いていて無事だった移動販売車を使って、震災から 1 ヶ月 後の 4 月中旬から販売を再開。更にここ気仙沼復興商店街で仮設店舗を借りて営業を 再開され、お母様と一緒に元気にコロッケを販売されています。 仮設店舗での営業を再開されたときのお気持ちはいかがでし たか? ―本当に嬉しかったです。もともと震災から 1 ヶ月後に移動 販売車を使ってコロッケなどを販売していたんですけど、当 時は出来たてや温かいものがあまりなかったこともあって、 多くの方々に喜んで食べていただけて。おいしそうに食べて くださるお客様のお顔を見て、私もすごく元気を頂きました し、皆さんにも元気になってもらいたいと思い、これからも 販売し続けていきたいという思いが強くなっていました。だ から尚更嬉しかったですしほっとしましたよ。

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坂本京子さん


移動販売車でコロッケを販売していた頃の

現在の仮設店舗。地元の常連さんや外部か

写真。お母様と京子さん。

らのお客さんでいつも賑わっている。

最近の南町紫市場の活気はいかがですか? ―この時期は寒いこともあって毎年お客様は少ないんですけど、地元の方も、外から 来てくださる方も減ってしまっていて、少し賑わいが薄れています。やはり震災から の時間の経過にしたがって、風化が進んでしまっているんですかね、来てくださる方 の人数は大きく減ってしまっています。寂しいですね。だからこそお客様に何度も来 ていただけるような、温かい商店街を作っていかないといけないと思っています。 営業を続けられる原動力は何ですか? ―うちを慕って、地元からも遠くからも何度も来てくださる方がいてくれることです。 そういう方々のおかげで本当に元気を頂いていますし、来てくださる方がいらっしゃる と思うとお会いしたくて休めなくて、営業を開始してから今まで一度もお店を休んだこ とがないんですよ。 リピーターが沢山いるのは、このお店や商店街の素敵さ故なのでしょうね。 ―そう言っていただけると嬉しいです。主人も私もそうですが、ここは私たちが生まれ 育った町で、愛着があるんです。今は仮設店舗から本設に向けて準備を進めていますが、 地権譲渡の問題などでなかなか見通しが立たなくて。それでも、外に移って本設の営業 をするつもりはありません。この町だからこそ商売を続けたいですし、この町だからこ そ皆さんと力を合わせて商店街を復活させたいんです。

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3 年が経ちますが、商店街の皆さんのご様子はいかがでしょうか? ―行政の問題などでなかなか思うように復興が進まなくて、見通しが立たない不安を 皆さん抱えています。これまではがむしゃらに頑張ってきましたけど、商店街の活気 もだんだんと薄れてしまっていることもあって、やはり皆さん疲れてきてしまってい ますね。閉じようと考えているお店さえあります。この仮設の店舗も借用期間を先日 延長したばかりですけど、あくまでも『仮設』ですし、いつかは出ないといけません。 本設に向けて頑張らなくっちゃ。でも必ず実現させますよ。 北海道にいる私たちはどうしたら復興のお手伝いができるでしょうか? ―ただ見るだけでもいいし、ボランティアするにしてもいいし、どんな形でもいいで すから、とにかく来ていただきたいです。来ていただいてこの町を感じていただきた いし、この町の魅力を知っていただきたい。一度来ていただければ良さが分かると思 います。そんな形でどんどん輪が広がっていけばいいなと思いますよ。私たちも、何 度も来ていただけるようなそんな商店街を作っていきたいですし、そのために頑張っ ていきます。 気仙沼復興商店街にはおいしいものやかわいいグッズがいっぱい! 気仙沼にお越しの際にはぜひお立ち寄りください! HP もあるのでぜひご覧ください! 宮城県気仙沼市南町 2 丁目 2-28 HP:http://kesennumafs.com

菓子舗サイトウさんではケーキやホ

あさひ鮨さんが作る、1 皿 10 貫の

ヤぼーやサブレーなどのおいしいお

復興スペシャルでは気仙沼で有名な

土産が買えます!

フカヒレのお寿司がいただけます! -11-


沼から JR 気仙沼線 BRT で南三陸入り。南三陸も広い範囲で 津波の大きな被害を受け、いまだに「ガレキ」が積み重なっ ている場所もあり、風景は 1 年前とあまり変わっていない 状況だった。津波の来る寸前まで町民に避難を呼びかけ多 くの職員の方が犠牲になった防災対策庁舎には、多くの人

南三陸

南三陸町は宮城県の北部、岩手県との県境にある町。気仙

が訪れている。防災対策庁舎は解体が決まっていたが、現 在一時解体凍結となっており、震災遺構として残すか否か 議論が揺れている。 *インタビュー*  南三陸町歌津寄木 ( よりき ) 地区で漁師をされている高橋七男さん、和子さん *高橋さんご一家 プロフィール* 高橋七男さんは 16 才の頃から漁師をやられていて、50 年以上海とともに生きてこられ た方です。震災前は海岸すぐ近くに住まわれていて 1 階を工場、2 階を住居としたお宅 で暮らされていました。ですが震災時、防潮堤を容易に超えてきた大津波が高橋さんの お家を飲み込みました。ご家族は皆さんご無事でしたが工場も住居も流されてしまい、 また持っていた船も失いました。そういった状況にも負けず高橋さんは工場の再建をし、 震災から 1 年 4 ヶ月後の 2012 年 7 月に新しい船を購入し漁を再開。現在はホタテやワ カメの養殖をしながらプレハブの一軒家でご家族の皆さんと一緒に暮らされています。

最近の漁はいかがですか? ―ようやく震災前の 8 割くらいに戻った かな。それでもなあ、風評被害っていう のかな、その影響がすごいね。震災があ る前はうちやここらのお宅が作ったカキ なんて『南三陸産』として売り場の真ん 中にドーンって置いてあったけど、今と なっては隅っこの方に並べられているし、 なかなか買っていただけないもんなあ。 高橋七男さん ( 前左 )、和子さん ( 前右 )

なかなか厳しい状況だね。

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震災自体の風化は進んでいても、風評被害は変わら ないんですね… ―そうだね。宮城県知事が「復旧 3 年、復興 3 年、 発展 4 年」っておっしゃっていて、ちょうど今 3 年 が経って復旧が終わって、復興に差し掛かるところ だよね。で、これからが大事だから、また復興に向 けて頑張ろうってなってるところなんだけどさ、風 評被害だの行政の問題だのなんだので頑張りたくて も頑張れないのさ。行政もいろいろ揉めているよね。 この地域をよく知らない人が関わって話を進めてい るから、手を付けるべき順番が違ったり、まずい方 向に話が進んだりもしてね。この町だけで言うと、 ここの人たちは 80%以上の人が漁をやっていて海で 生きている訳だけど、私たちにとっては何よりも先 に漁港の整備をしてもらわないとどうしようもない し生きていけなくなるのさ。でも行政は防潮堤だの

解体か否かで議論が宙に浮いて いる防災対策庁舎 (2014/03/02 撮影 )

盛り土だの、海のことは二の次だったよね。決めてもらわないとできないことに関し ては私たちはそれを待つしかないし、頑張ってもどうしようもなくなる。不満も沢山 あるよ。地域に合った対応と手をつける順番が大事だよね。 3 年が経ちますが、高橋さんや周りの方々の今の心境というのはどのようでしょうか? ―仮設住宅に入って、今ここさきて、ぽろぽろと亡くなる方が増えてきてね。震災のと きの心労が積み重なってとかさ。やっぱし、みんな疲れてきちゃってるし、頑張る気力 がなくなってきてるんだろうね。 ―震災当初も言われたよね、被災地の支援で心のケアが大事だって。なんにもないとこ ろから始まってねえ…ゼロじゃなくマイナスからのスタートだったから。私だけでなく て周りのお母さん方もね、疲れが出始めてきているんでないかなって感じるときがある のさ。今まではとにかくがむしゃらに頑張ってきたけど、3 年が経ってもまだこんな状 況かって。私なんかもお父さんや息子たちにはお金の心配なんかさせずに漁に専念させ たいんだけどさ、あんまり思うように売れないこともあって、借金して大丈夫かなあと か、前みたいに果たして戻るのかなあっていつも考えてて…お父さんに相談したりもし てね。先行きが見えないからとにかく不安だし、疲れてきちゃってるよ。 -13-


北海道にいる人はどうすれば復興のお手伝いができるでしょうか? ―とにかくさ、若い人に来てもらって、色々見て知ってもらいたい。それで見て感じた こととかを周りの人に伝えて欲しいね。それから、自分の命を大切にして欲しい。 『若い人』とおっしゃるのはなぜですか? ―私らはもう 10 年ちょっとしか生きられないけどさ、若い人たちは 60 年以上生きら れるでしょ。それだったら私らはここでの経験を 10 年しか伝えられないけど、若い人 たちは 60 年以上も伝えられる。だから特に若い人たちに来てもらいたいし、伝えて欲 しいって思うのさ。 ←気仙沼から南三陸へ向かう間、ずっと  このような風景が続いていた。  (2014/03/02 撮影)

2012/12/24 に撮影した写真→ 写真で赤い丸で囲った所には猟具が引っ かかっている。七男さんは「引き波のと きかなんかに引っかかったのだろう」と おっしゃっていた。つまり少なくともこ の高さ以上の津波が押し寄せたというこ とだ。ここはおよそ 15m の津波があった そうだが、実際にこの目でこの猟具を見 て、15m という波高の凄まじさに慄き、 自然の猛威を感じた。

お話を伺って 1 年 3 ヶ月前の 2012 年 12 月に高橋さんご一家とお会いしましたが、皆さんとても気 丈で明るくて前向きなお話ばかりをお聞きしました。今回、不安そうなお顔で「疲れ てきちゃった」とおっしゃっていたのですごく驚きましたし、本当に心配になりました。 お話を伺って、これまでは復旧の段階で、今後が復興に向けての大事な時期なのだと 分かり、これからこそ東北を応援していく必要があるのだと強く感じました。 -14-


ー東北を訪れて

「逆に自分がたくさんのことをいただいた」 Serena Forrest( セリーナ・フォレスト ) アメリカのマサチューセッツ大学で日本語と歴史を専攻する大学 2 年生。 現在交換留学生として北大で日本語を中心に学んでいる。HOSUP に所属。

 今年、私は HOSUP のメンバー 2 人と一緒に、4日間岩手県と宮城県に行きました。 大震災の3年後、何の支援が必要とされているかを地元の人に伺うために行きまし た。つまり、自分は何をしてあげるのかが知りたかったです。しかし、実際に行って、 色んな人と会って、話を聞かせていただいて、素敵な景色を見て、逆に自分がたく さんのことをいただいたことになりました。  何よりも印象強かったのは、皆の優しさでした。私は、東北の人ではなく、日本 人でもありません。そういう繋がりがない私が東北に行ったら、ただの邪魔になる のではないかなと少し気にしていました。でも、東北で会った人は、外から来たボ ランティアであっても、地元の人であっても、皆が店や事務所や家にでも入れてく ださって、ゆっくりと話してくださいました。話の内容が様々で、異なる経験を持っ ている人や異なる意見を持っている人もいましたが、共通している思いがありまし た。それは、「一回でも、ここに来て欲しい」ということでした。  津波で、たくさんの人の命がなくなってしまい、たくさんの町や家も流されてし まいました。しかし、残された空き地で少しずつ立てられていくビルやまた営業し 始めた商店街などを見ると、被災に遭っても生きていく人の強さが確かに感じられ ます。それに、一回こんなにも大きな被災と遭った人は、防災はもちろん、人生に ついても多く学んだと言いました。自分が学んだことを他の人に伝えたいという声 も聞きました。その話を聞くだけで、東北に行く価値があると思います。  でも、それだけではありません。東北に行って、とても当たり前で、なぜか考え てなかったことに気付きました。東北の歴史はこの被災で始まりませんでしたし、 終わってもいません。50年間以上働いている漁師たち、地震でも立ち続けたお寺 や鳥居、松尾芭蕉や宮沢賢治などに刺激を受けた景色が東北の長い歴史を語ってい ます。何百年、何千年前からある町 、そして、これからも新しく作られていく町の ある東北に素晴らしいものがあります。それを見に行けたことがとてもありがたい です。

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ー被災した、大学生の声

「震災の事を忘れないでもらいたい」

熊谷 香菜さん 岩手県陸前高田市出身。現在、北海道教育大学旭川校に通う大学 2 年生。 震災当時は高校 2 年生だった。 今回インタビューにお答えいただいたのは、陸前高田出身の熊谷香菜さんです。 熊谷さんは高校 2 年生のときに震災に遭い、その翌年、大学進学で北海道に来られました。去年 の 11 月に「微力ながら被災地出身の私にできることがあれば…」と直接 HOSUP のもとにご連絡 を下さり、今回のインタビューも快く引き受けてくださいました。同世代の大学生の言葉はより 一層、心に響きます。

出身地の陸前高田市はどのような町ですか? ー岩手県と宮城県との県境に位置し、わかめ・カキ養殖など漁業が盛んな町です。高田 松原をはじめ多くの海水浴場があり、夏は多くの人でにぎわっていました。震災時に報 道された通り、岩手県内で最も被害を受けたのが陸前高田市とされており、市街地は壊 滅的な被害を受けました。一方で津波から耐えた松は「奇跡の一本松」として震災、復 興のシンボル的存在になりました。(詳しくは陸前高田市のHPを見ていただければと 思います。) もうすぐ震災から3年が経とうとしていますが、どのようなお気持ちですか? ー率直にあっという間だった気がします。3.11 のことは今でもはっきり覚えていますし、 私自身も大学に進学してから 2 年が経ったので本当にあっという間でした。普段は北海 道で生活しているのでほとんど震災関連の報道にふれる機会がありませんが、帰省して 地元のニュースを見ると数はあまり多くありませんが震災関連の報道があるので被災地 以外では震災について昔の出来事になってしまっているのではないかと感じます。 現在の陸前高田市の様子はいかかでしょうか? ー正直、ずっと住んでいるわけではないので復興が進んでいるのかどうかは分からない です。でも帰省するたびに新しい店(コンビニや被災したお店が再開したり)ができた り、道路が整備されたり、建物の解体が進み、がれきがなくなっていたり・・・などは 感じることができます。ですが、仮設住宅での生活はいまだ続いているようです。(私 は幸いにも自宅が被害を受けなかったので実家に住んでいるので仮設住宅に関しては何 もいえません。)目に見える形で何かかがわったことは分かりますが、仮設住宅の状況 -17-


を見ていると本当に復興が進んでいるのかは分からないですね・・・。 陸前高田市に今後必要な支援は何だとお考えになりますか? ー教育大学に通っているので教育面で。市内小中学校のほとんどの校庭に仮設住宅が建 てられているため、子供たちは仮設(?)(新しく作られた)グラウンドで運動している ようです。さらに震災前は市の体育館や野球場、小さいですが公園もありました。はや く子どもたちが震災前のように自由に運動できるようになればいいなと思います。 これは陸前高田市だけではなく被災地すべてに言えることだと思いますが、仮設住宅に 住む方々に仮設ではなくゆっくり安心して住める家(復興住宅など)の整備が進めばい いなと思います。 北海道に住んでいる人にできることは何があるでしょうか? ー北海道に限らず、震災を忘れないでほしいと思います。3.11 にはイベントも多く開か れていると思うので積極的に参加していただきたいです。そして被災地に1度、足を運 んでみてはどうでしょうか?「今さら行くのは・・・。」そんなことないです!地元の 飲食店も復活してきていますし、道路も整備されてきています。何か感じるものがある と思います。被災地に行けなくても、岩手県産のものを買ったり、お取り寄せしたり・・・ と自分ができることをしていただきたいと思います。 これからの1年、どのように震災と向きあっていきたいですか? ー特別何かを変える、改まって何かをすることは(たぶん)ないですかね。これまで通り、 北海道に住んでいても Twitter や Facebook などを通して地元の情報を得てどんな状況な のかを把握していきたいと思います。そしてもしこのような機会があれば、私の経験や 被災地のことについて伝えていければと思っています。 北海道に住むみなさんに伝えたいことはありますか? ー前述したとおり、震災の事を忘れないでもらいたいと思います。正直、私も震災前は 神戸の阪神淡路大震災は他人事だと思っていました。しかし震災後、神戸の方々から多 くの支援をうけました。それから、3.11 と同じように 1.17 も特別な日だと思っています。 日本が経験した震災はこの2つだけではなく他にも多くの震災があると思います。私が 経験したのは 3.11 なので特別な思いがありますが、北海道に住んでいるみなさんにも1 年に1度でいいので 3.11 を思い出していただきたいと思います。 最後に・・・ これはあくまでも私の個人的な考えです。陸前高田市をはじめ多くの被災地では私より 大変な思いをしている方が大勢いらっしゃいます。いつも通りの生活ができることが幸 せであることを忘れず、これからも生きて行こうと思っています。 -18-


宿泊先や交通手段を確保してくれ、学生に はボランティアとなっています。

東北で、森・田畑・まちの再生、子ども達の サポートなどの二週間のボランティアを行い ます。

HOSUP は今年5月に、北海道の学生 15 人で 被災した宮城の街の様子や人に会う旅を計画 しています。

2014 年 4 月 18 日(金)~ 20 日(日) 新宿発 宮城県名取市行 ボランティアツ アー

関東発 1 泊2日宮城県内ボランティアツアー

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新メンバー募集中!!

新メンバー募集中!!! 私たちと一緒に活動しませんか?

北大や酪農大、小

商科大、室蘭工大などの様々な大学、大学院の

学生が所属し、東北を応援する活動を行っています! 具体的な活動は HP をご覧ください♪ 以下の SNS で様々な情報を発信しておりますので、 お気軽にご覧ください! ご興味、疑問などありましたらメール (hosup.net@gmail.com)、 または Facebook、Twitter でご連絡をください! お便りお待ちしています!

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今後の HOSUP の予定 4 月 合同説明会、新入生歓迎会 5 月 東北派遣事業 ( 参加者 15 名募集中! ) 6 月 北大祭、フェアトレードフェスタにて出店、OUEN TIMES VOL.8    発刊予定 北海道学生震災支援ネットワーク

編集・発行  北海道学生震災支援ネットワーク HOSUP 協   力  北大元気プロジェクト 取材協力 

生活サポートステーション、荒木タキ子さん、  

        坂本京子さん、高橋七男さん・和子さん、熊谷香菜さん 発

  2014 年 3 月 25 日

お問い合わせ  hosup.net@gmail.com ※本誌掲載の写真・記事の無断掲載を禁じます。


Ouentimes_2014/03  
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