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養老町

現況 〔成立〕昭和29年(1954)11月3日〔面積〕72.29k㎡ 〔人口〕2万9,483人〔地形図〕大垣・津島〔町の花〕 キク〔町の木〕ツゲ〔町役場〕〒503−13岐阜県養老 郡養老町高田798番地〔町名の由来〕養老霊泉・養老 孝子の伝説による。

立地 養老山地と濃尾平野 県の西南部,濃尾平野の西端 に位置する。西部は養老山地で,急峻な断層崖を下る 小谷には名勝養老の滝をはじめ滝が多く,同山地を境 に南は三重県員弁■郡北勢■町に接している。東部は 濃尾平野が広がり,大垣市に続く。低地部の北部は揖 斐■川の支流牧田■川・津星川・相川・杭瀬■川など によって形成された低湿地,南部は新田地帯で海抜O m地域を持つ輪中地帯である。肥沃な耕地に恵まれた 農村地帯で,米作を主とした兼業農家が大部分を占 め,近隣都市の工場等他産業へ就労する者が多い。町 内を近鉄養老線・国道258号・同バイパスが通る。

沿革 40基の古墳 扇状地帯から縄文土 〔原始・古代〕 器・弥生土器・須恵器が少数出土し ているが,石器は発見されていない。 町域には,南宮山から養老山脈にかけての東山麓に 橋爪(象鼻山)古墳群・別庄古墳群・室原古墳群・桜 井古墳群・勢至古墳群・白石古墳群・竜泉寺古墳・京 ヵ脇古墳・小倉古墳・若宮古墳など約40基の古墳があ 1197


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り,中には前方後円墳もあるが,多くは円墳である。 多芸郡八郷 当町域が該当する多芸■郡は和銅2年 (709)10月25日の「弘福寺田畑流記帳」にはじめて見 える。多伎・当伎・多紀・当耆・当嗜などと書かれ た。「和名抄」によれば,多芸郡に,富山・物部■・ 垂穂■・立野・有田・田後■・佐伯■・建部の8郷が あった。建部は,「日本書紀」に日本武尊(倭建命) の名前を忘れないために定められた名代部ともいわれ るが,軍事的な職業部で大和朝廷に上番し,軍事的職 務に就いたもので,その地が郷名となったのであろ う。天平4年(732),垂穂郷三宅■里の秦公豊足は法 華経など多くの経典を読経暗誦し,浄行8年に及ぶと して,得度を受けて僧になりたいと願い出ている(優 婆塞貢進解/正倉院文書)。宝亀8年(777),物部郷 を本貫とすると思われる物部坂麻呂ら9人は,物部多 芸連の氏姓を与えられ,左京へ移ったと思われる,左 京の正八位下多芸遠国足ら2人が,物部多芸宿禰に改 賜姓されている。 なお,「多芸」の地名については,「古事記」景行天 皇の条に,日本式尊が伊吹山から帰還の途次,当地に 至り,「今吾が足之歩まず当芸斯■の形となれり」と 言ったことから,「たぎ」野というようになったとの 伝えがあり,尊をまつる白鳥神社がある。 条里制の地名 天平14年(742)正倉院文書に美濃 国当嗜郡垂穂郷三宅里とあり,現在,沢田に丁田・横 屋,直江に一丁田,下笠に五町田・飯ノ木■,船附に 五反田,鷲巣■に一町田・四反田,中に三反田・大 坪,祖父江■に一之坪,飯田に八ノ坪・西九ノ坪・東 九ノ坪などの地名が残る。 養老の醴泉「続日本紀」によれば,霊亀3年(71 7)9月元正天皇が当耆郡多度山(養老山)に行幸し, みずから美泉をすくって洗うと皮膚がなめらかにな り,また,この霊泉を飲浴した者は白髪は黒くなり, 目の悪い者は見えるようになるなど,どんな病気でも みな快癒したので,美泉大瑞にかなうとして年号を 「養老」と改め,郡領以下40余人に位をすすめ,80歳 以上の老人に授階や恩賜を行い,天下の孝子節婦を表 彰したとある。養老元年12月美濃国に命じて,立春の 日の暁に醴泉を汲んで平城京へ貢上させ,醴酒をつく らせることとし,翌年も再び行幸している。 聖武天皇も天平12年(740),藤原広嗣の反乱が京畿 内に波及することを恐れたものか,東国への行幸を企

養老の滝

て,平城京を発して伊賀・伊勢へ行幸,反乱平定後も なお進んで当伎郡に入り,不破頓宮に滞在して国城を 巡観し,山背国恭仁■京へ帰京した。この行幸に大伴 東人・家持らが随従し,養老美泉の歌を詠んだ(万葉 集)。 なお養老醴泉にまつわる養老孝子の説話は,建長4 年(1252)につくられた「十訓抄」を初見とし,「古 今著聞集」そのほかにも載っていて,よく知られる が,謡曲「養老」では雄略天皇の御代のこととして語 られている。 式内社 多芸郡の式内社に,多伎神社・大神神社. 郷井神社・久久美雄彦神社があり,「美濃国神名帳」 に養老明神・白鳥明神・内浜明神(船着神社か)・大 酒明神(篠塚神社)・大懸明神(五社神社)や,座地 不明の物部明神・国津明神・弓借明神がある。 〔中世〕 多芸荘 多芸荘は貞観8年(866)未開地 60町歩,翌年熟田12町歩・未開地68町歩、 計140町歩が貞観寺に施入されてできた荘園であった。 その後のことは不明であるが,建久3年(1192)に至 って,頼朝が多芸荘半分を纐纈源五盛康に与えたとい う(平治物語)。同9年には院領となり,嘉元4年(1 306)の「昭慶門院領目録」の庁分としてあげられて おり,皇室領として伝領されてきていた。嘉元には, 典侍の知行するところで,地頭の請所となっていた。 暦応2年(1339)土岐太郎三郎光賢が伯父頼貞の譲 状によって,荘内の友江・吉田の地頭職を,頼貞の孫 土岐彦九郎頼重も多芸島・榛木■の地頭職を安堵さ れ,土岐氏がこの地域に勢力を伸ばしていた。また, 元応2年(1320)の譲状には,沙弥承念(中嶋正弁) が尾張国大介職とともに,荘内の貞松名の地頭職とな っていることが見えており,荘内の地頭は土岐氏のみ ではなかった。観応年中(1350∼52)には,土岐明智 民部少輔頼重が多芸荘内春木郷などを安堵され,文和 4年(1355)には,弟の頼高に譲った。多芸荘内多芸 嶋郷などが,応永6年(1399)に土岐明智十郎頼篤の 所領となり,同24年には,頼助が多芸島荘司となっ た。このころ多芸島荘(郷)は法金剛院領で,応永20 年皇室郷料所となり,嘉吉3年(1443)平真秀が地頭 方預所職に任命されており,その後,長享・明応のこ ろ,守護代斎藤氏が代官を勤めていた。長享2年(14 88)斎藤利藤が貢納不良で,明応5年(1496)に罷免 され,利国(妙純)が任命されたが,永禄2年(155 9)斎藤義竜が代官に任ぜられた。 長享3年(1489)朝廷は,鷲巣のもとに使者を遣わ し,浪州綿の貢納を催促した。当時鷲巣土岐氏が出仕 し,鷲巣のもとで,浜豊前守(豊後守)康慶がなかな か意のように動いていない。土岐成頼は,多芸村上分 を北野社へ寄進したが,延徳元年(1489)斎藤妙純が 押領した。 多芸七坊 多芸郡の伊勢街道筋に,養老寺・竜泉 寺・光堂寺・柏尾寺・光明寺・別所寺・藤内寺の七坊 (西山七坊ともいう)が建立されていた。いずれも廃 寺で,創建は奈良期と伝えるが定かでない。柏尾寺跡 には,多宝塔跡の礎石があり,応永9年の銘のある石 造阿弥陀仏像をはじめ,室町後期の石仏・五輪塔があ る。光堂寺は勢至山といい,応永27年土岐満貞が勢至 寺の別当房らに寺域を確認し,延徳3年「山科家礼 1198


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8の六斎市が開かれていた。 新田開発と輪中 低湿地帯では,寛永末年(1640年 ごろ)から寛文末年(1670年ごろ)にかけて、尾張の 森半入,大牧村の鬼頭家,瑞穂■村の後藤家,名古屋 の河内屋甚九郎,駒野新田の国枝家などによって新田 開発が盛んに行われ,下池周辺に有尾新田・横屋新 田・大場新田・根台地■新田・大牧新田・高柳古新 田・高柳新田・釜段古堤新田・小倉新田・大跡新田・ 小坪新田などが開かれた。 新田開発の必然的な工事として曲輪■が作られる一 方,牧田川・揖斐川・津屋川・相川・杭瀬川などの大 境防が補強されて,牧田川南部の下笠輪中・根古地輪 中・有尾■輪中,それらをも含む多芸輪中,北部の喜 多■輪中という複合輪中が形成された。 多芸輪中内の上郷の自然堤防上の耕地では,用水が 不足し,近世後期になると掘抜井戸が掘られた。下郷 の低湿地では,悪水排除が困難であり,上郷の用水が 下郷の悪水の増量をもたらすことから,上郷と下郷が 紛争を引き起こし,掘抜井戸の数の制限など協定を細 部にわたって結んだ。この株井戸制度が明治初年まで 続けられた。 輪中では,屋敷内に水屋を建てたり,村々に水防用 具を納めた郷倉を設けて自衛に努め,水神様も多くま つられた。 薩摩藩御手伝普請の本小屋 薩摩藩の工事総奉行平 田靭負は宝暦4年(1754)大牧村の鬼頭兵内宅を本小 屋■として,御手伝普請の指揮をとった。その御手伝 普請箇所は広範囲に及び,当町域では,多芸輪中の小 坪新田・高柳新田の揖斐川・津屋川沿いの堤の補強工 事が行われたが,平田靭負は多くの藩士を失い,巨額 の藩費を費した責任をとって,工事が完成した翌年5 月本小屋で自刃した。 根古地の浄土三昧に犠牲者24人が埋葬され,天照寺 には3人の墓と27人の位牌がある。 長州藩初手伝普請 明和2年(1765)4・5・7月 と大水害があり,その復旧工事のため,幕府は翌3年 長州藩と支藩岩国藩に「濃州・勢州川口御普請御手 伝」を命じた。総奉行として家老益田善次郎が総勢80 0人を指揮し,延280km,1,000余か所の工事を完成し たが,当町では島田村をはじめ17か村で普請が行われ た。 濃州三湊 近江国米原■から中山道,今須―牧田― 五日市―島田を経て濃州三湊へ通ずる街道を九里半街 道という。この横道は琵琶湖と伊勢湾を結ぶ物資運搬 の要路に当たっていた。荷物は最短,最速,最低賃金 を求めて京都から大津へ,大津から水路米原へ,米原 から陸路九里半街道を経て三湊へ着き,ここから再び 舟運で伊勢湾を経て名古屋へ,さらに関東へ運ばれ た。 三湊とは,揖斐川の支流牧田川岸に発達した鳥江・ 栗笠・船附の3つの河港のことで,近世の初めごろか ら尾張藩の庇護のもとに,木曽の木材,伊勢の塩,当 地方の米・菜種油・雑貨そのほかの荷物,赤坂の石 灰,および関西・北陸の物資の中継地として栄えた。 しかし,牧田川が土砂の堆積によって次第に川底が高 くなり,航行が妨げられるようになったのに加えて, 大垣の船町湊が中継所として大きく発展したため次第

記」に勢至寺墳相論の記事がある。寛正6年(1465) 相国寺領の椿井■郷を勢至寺が違乱したことなど(季 瓊日録)が知られる。竜泉寺跡にも礎石が残り,大永 4年(1524)の石仏がある。これら多芸七坊は,「信 長記」に,永禄5年織田信長が多芸山麓から北を焼き 払って洲俣■(墨俣)へ入ったとあり,信長に焼き払 われたとの伝えがあって,戦国末期に廃寺となったの であろう。 多芸一揆 天文6年(1537)多芸一揆が起こった (天文日記)。浅井亮政が美濃に兵を入れ,土岐頼芸と 戦った折,多芸郡福勝寺を中心とする十日講の門徒 が,在地の高木氏と組んで浅井氏に呼応した。土岐氏 は高木氏を討ち,在家700軒ばかりを放火して焼き払 った。本願寺は和睦を命じたが,土岐氏はさらに新道 場300余か所を破却しようとし,一揆も蜂起の勢いを 示していたが,斎藤右衛門尉の妥協策で収まった。以 後,土岐・斎藤氏は本願寺と和睦した。土岐一族のな かに見える鷲巣六郎は,鷲巣を根拠地としていたので あろう。 信長が伊勢長島一揆を攻撃し,再度にわたって多芸 山麓で手痛い反撃を受け,多くの部将を失ったのも, 多芸十日講を中心とした,このあたりの一揆勢であっ たものと思われる。 刀鍛冶・鋳物師・鉄座 正宗・志津三郎の流れを汲 む刀工が13世紀ごろから直江村に鍛錬所を開き,直江 志津といわれる銘刀を打った。また金屋村は鋳物の中 心地であった。文明7年(1479)の華厳寺の鰐口,明 応3年(1494)大矢田の大矢田神社の梵鐘は多芸の西 金屋の平吉久・藤原兼次が鋳造したもので,西金屋に 名の知れた鋳物師のいたことが知られる。 また伊勢街道沿いの地で,津屋川による河川輸送の 便に恵まれていた勢至には鉄座があり,大野修理大 夫・織田信長などの保護を受け,玉井小兵衛が特権を 握っていた。「勢至千軒,寺三か寺」とうたわれ,繁 栄したが,近世に入り津屋川の土砂の堆積のため舟運 が次第に不便となり,衰微した。現在も鍛冶屋町町屋 の字名が残っている。 領主の変遷 関ケ原の戦後代官頭大久保石 〔近世〕 見守長安の管轄下,高須藩主徳永寿昌が, 町域の幕府領8か村3,500石余を支配し,元和元年(1 615)石原清左衛門一重が下笠に陣屋を置いてその跡 を継ぎ,正重・正永と続き,元禄12年(1699)正利が 伊勢四日市に移った。元和5年舟附,栗笠,鳥江,下 笠,蛇持,西岩道,飯田村の一部,大野,江月,口ケ 嶋村の一部が尾張藩領に編入された。寛永10年(163 3)宇田,安久,高畑,大塚,石畑,鷲巣,船見,若 宮,柏尾,清子,竜泉寺,上方,桜井,橋爪,中,吉 田の16か村は大垣藩領となった。ほかに織田信孝の野 村藩領,堀直苛の所領,日根野領,佐々領,法泉寺 領,伊勢神宮領があった。 嶋田の市 多芸都島田町(高田町)は,関ケ原の戦 直後の10月,美濃国の仕置を担当した代官衆の1人間 宮彦次郎から市場の制札を受けており(養老郡志), その制札に諸役免許・楽市の条令が見える。宛所は 「嶋田町中」とあって,町並みを形成し,市場が開か れていたことが知られる。牧田川の中流三湊の上流に あって交通の要地に位置し,市はその後も続いて3・ 1199


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に衰微し,幕末にはほとんど昔の面影がなくなった。 慶長末年,京都の豪商角倉与一が,美濃・尾張の荷 物,ことに木曽材を三湊から朝妻港へ運送するため, 醒ヶ井■から朝妻への天の川水路開削を計画したこと があった。簗慣行に阻止されて実現しなかったが,幕 末に至って,彦根藩が国防上の見地から琵琶湖と伊勢 湾を結ぶ運河開削を計画したが,井伊大老の横死によ って実現しなかった。この計画に,町域の村々が旧来 からの水防上・排水上の秩序を破壊するとして反対し ていた。 文化  田中道麿は飯之木村に生まれ,大菅中養 父・賀茂真淵・本居宣長に師事し,名古屋に出て一家 を成し,門人300余に達した。天明4年(1784)10月 4日61歳で没した。墓は名古屋市平和公園常瑞寺墓地 にあり,飯之木に顕彰碑が建てられた。著書に「選集 万葉徴」「万葉集問答」等がある。文政(1818∼30) のころ,高田の柏淵蛙亭・日比野草川・服部(千秋) 笙蜂は大垣の梁川星巌を中心とした白鴎社の同人とし て詩文の講究に励んだ。また,このころ彫刻家の早瀬 忠兵衛・佐竹民弥,南蘋派の画家日比野鶴翁,俳諧再 和派第14世の道続を継いだ戸倉耕月庵などが活躍し た。力士の鬼面山谷五郎は明治2年横綱を免許され た。 行政区画の変遷 現町域に該当する江戸 〔近現代〕 期の村々は,明治4年今尾県・笠松県・ 犬山県・大垣県・名古屋県,同年11月岐阜県に所属。 同年鷲巣材に2村,石畑村に1村,柏尾村に1村,祖 父江村に1村,同5年志津新田に1村がそれぞれ合 併。同7年志津新田と釜段村に分村。同8年田村・大 暑村成立。同12年多芸郡・石津郡に所属。同13年上石 津郡・下石津郡成立。同15年多岐墳■村・北大墳■ 村成立。同17年岩道村ほか6か村連合,小倉村ほか5 か村連合,大巻村ほか5か村連合,船附村ほか4か村 連合,牧田村ほか3か村連合,石畑村ほか8か村連 合,島田・押越■両村連合,直江村ほか5か村連合に 所属。同20年大場新田に1村合併。同22年多芸都の一 部を上石津郡へ編入。高田町・三郷■村・多岐村・船 着村・上多度村・養老村・小畑村・日吉村成立。同30 年養老郡成立。笠郷村・広幡■村・池辺村・多芸村成 立。上多度村に1村,高田町に1村,養老村に2村が 合併。この際,旧養老村の一部を高田町に編入。昭和 29年養老町成立。同時に一部を海津郡城山町へ編入。 同30年海津郡南濃町の一部を編入し,現町域を確定。 →〈資料編〉市町村沿革表 災害  水害は明治以後も依然として繰り返され, 明治14年・同29年・昭和28年・同34年で,中小の水災 を加えると10数回に及んだ。住民は多芸輪中水害予防 組合・喜多輪中水害予防組合を組織して堤塘護岸・樋 管閘門の修築保全および竣渫等水防についての努力を し,国は牧田川の改修工事を進めるなど,治水は宿命 的な行政であった。特に最近では昭和34年8月の集中 豪雨で,根古地地内牧田川右岸の決壊による大水害は 2,600haの美田を水没させ,2,200世帯・1万2,000人 の羅災者を出した。さらに同年9月の伊勢湾台風は, ようやく締め切った根古地の決壊口の仮堤を一瞬にし て押し破り,再び多芸輪中全域は大被害を被り,湛水 20日余に及んだ場所さえあった。

明治24年の濃尾大震災は未曽有の大被害をもたらし たが,昭和19年の東海地震,同21年の南海地震にも低 湿地帯は地盤が弱いので大被害を受けた。 灌漑と排水 砂礫地帯の養老地区・日吉地区は昔か ら旱害の続いた地区であった。昭和7年牧田川の改修 工事が行われた際,永久的井堰の建設を計画し,ダム を設けて分水樋門によって両地区へ給水した。同9年 には牧田川普通水利組合が設立された。 一方,低湿地帯では,大正11年に蒸気タービン式排 水機が設けられたのをはじめとして,現在約20か所に 排水機が設置され,二毛作が可能となった。 下地の干拓 低湿地帯の最も低い部分に下地があ る。周辺の比較的高い部分は近世に苦心の末,新田開 発が行われたが,最低部は当時の技術によっては開発 不可能であった。明治43年平松不殺らが,県下最初の 干拓を計画し,揖斐川の土砂で埋立てを試みた。大正 14年排水機による干拓を行い,昭和8年までに約200 haが美田と化した。 農業構造改善・圃場整備工事 昭和34年の集中豪 雨・伊勢湾台風の大災害を機に,農業構造の改善が進 められ,これまで主幹産業であった単作水稲農業を一 新し,養鶏・果樹・園芸など多角的農業へと改められ た。また,全町を20地区に分け圃場整備工事が推進さ れ,完成をみたので,用水を争い悪水落ちに苦しんだ のは昔語りとなった。 現在,耕地面積は田2,593ha・畑152ha・樹園地123. 4haであるが,農家総数約3,400戸のうち専業農家は14 0戸にすぎない。家畜は乳牛237頭・役肉用牛915頭・ 豚1,351頭・鶏30万5,000羽・ブロイラー2万8,000羽 である。 観光  県営養老公園は,初代岡本喜十郎が宝暦年 間(1751∼64)に養老の霊水を温めて薬湯場を開いた のが始まりで,明治13年地元の人々の尽力で養老公園 が開設され,昭和37年県営公園となった。昭和50年度 の観光客は日帰客93万人・宿泊客1万6,000人で,県 内客が約半数,中部地域42万人,関西方面約10万人で ある。 なお,東海自然歩道が養老山麓を縫って走り,昭和 45年には揖斐関ケ原養老国定公園が指定された。

史跡・文化財・文化施設 国指定重要文化財としては,養老寺の木造十一面千 手観音・銘不明の剣・銘国光の太刀がある。県指定と して重要文化財には,養老神社の経筒・和鏡・刀子の 破片・火打鎌・外甕無釉瓶子,多岐神社の懸仏27躯 高田西町の山車の立川和四郎・専四郎の彫刻,荘福寺 の漆骨蔵器,福源寺の木造聖観音立像,了福寺の古瀬 戸灰釉瓶子,妙見堂の木造一木三躰釈迦如来像,村上 弁二蔵の美濃後藤派刀装具蒐集品・金銅経筒が,史跡 には柏尾の柏尾廃寺跡,根古地の薩摩工事義没者墓・ 天照寺薩摩工事義没者墓,大巻の薩摩工事役館跡,養 老公園の元正天皇行幸遺跡が,天然記念物には竜泉等 六社神社の椋の木が,無形文化財には粟笠の獅子舞が ある。

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養老町

いっしき 一色 〒503−12〔成立〕昭和30年4月1 日〔直前〕南濃町津星の一部〔世帯〕94〔人口〕409 △町の南端。今熊■谷をはさんで海津郡南濃■町津屋 に隣接する。今熊谷扇状地に位置する農山村で畑が多 く,柿を産し,肉用牛も飼育する。集落の中央を主要 地方道南濃関ケ原線が南北に通じ,西方を近鉄養老線 が走る。鎮守神明神社は南濃町津屋地内にある。 いろめ 色目 〒503−13〔成立〕昭和29年11月3日 〔直前〕日吉村中・橋爪・豊・宇田の各一部〔世帯〕 59〔人口〕274△町の北部。県道牧田室原線をはさん で大字室原に接続する水田地帯。昭和52年土地改良工 事が行われた。 いわみち 若道 〒503−13〔成立〕昭和29年11月3 日〔直前〕広幡村岩道〔世帯〕46〔人口〕205△町の 東部。水田地帯で,昭和52年土地改良工事が完了し た。ビニールハウスによるイチゴ栽培が行われてい る。集落は北端に位置し,集落北方を流れる金草川右 岸堤は江戸期の九里半■街道である。養老警察署広幡 駐在所がある。鎮守は早扉神社。 うた 宇田 〒503−13〔成立〕昭和29年11月3白 〔直前〕日吉村宇田〔世帯〕167〔人口〕755△町の北 西部。牧田川北方の砂礫層上に位置する水田地帯で, 昭和52年土地改良工事が行われた。仁位■・市場・宇 田の中心集落と北東部の田園地帯の北野・角田■・杉 本の集落からなる。県道養老赤坂線が南北に通る。臨 済宗妙心寺派大通寺には土岐悪五郎康貞の墓があり, 付近一帯の田園から須恵器が出土する。鎮守五社神社 は大県明神のほか4社を合祀する。仁位の八幡神社境 内のタブの大木は町指定天然記念物。 うわがた 上方 〒503−12〔成立〕昭和29年11月3 日〔直前〕養老村上方〔世帯〕47〔人口〕202△町の 西部。養老山脈のふもとに集落が立地。西部は山林, 東部の砂礫層に田地が広がる農山村地域。近年土地改 良工事が完成し,多年苦しんだ水利問題が解決した。 古代以来の伊勢街道は東海自然歩道となり,その沿道 に鎮座する白鳥神社は日本式尊をまつり,神宿制が伝 承されている。 えつき 江月 〒503−13〔成立〕昭和29年11月3日 〔直前〕小畑村江月〔世帯〕74〔人口〕384△町の北 東瑞。東は杭瀬川・相川を隔てて大垣市に隣接する。 杭瀬川・相川・小畑川に囲まれた低湿地帯で江月輪中 といわれる地域である。集落は杭瀬川・小畑川の堤上 に連なり,上江月・中江月・下江月・縦江月に分かれ る。田地は堀田・池沼が多かったが,近年土地改良工 事によりなくなった。排水機によって杭瀬川へ排水し ている。名神高速道路が北部を東西に貫く。鎮守は隼 人神社。 おおあと 大跡 〒503−13〔成立〕昭和29年11月3 日〔直前〕広幡村大跡〔世帯〕109〔人口〕499△町 の中央部。水田地帯で,近年土地改良工事が完成し た。集落は北端の旧飯ノ木輪中堤に沿って位置する。 集落南部を県道養老平田線が通じ,大字船附地内で国 道258号に接続する。集落の西方大字飯ノ木との境に 住宅団地緑町ができた。 おおつぼ 大坪 〒503−13〔成立〕昭和29年11月3 日〔直前〕小畑村大坪〔世帯〕92〔人口〕360△町の 北東端。南境は色目川が流れ,北境を県道牧田室原線

現行行政地名 ありお 有尾 〒503−12〔成立〕昭和29年11月3日 〔直前〕上多度村三郷の一部〔世帯〕26〔人口〕143 △町の南部。津屋■川が西を限り,昔の有尾輪中の中 にある水田地帯。集落は地内の北端に位置し,有尾輪 中境に沿って連なる。集落の中を県道小倉烏江大垣線 が通じる。低湿地であったが,近年土地改良工事が完 成し美田となり、堀田といわれた特殊な水郷風景は姿 を消した。養鶏が盛んである。南東方に飛地があり, 下地■干拓記念碑がある。鎮守八幡神社の円空作薬師 如来像は町指定重要文化財。 いいだ 飯田 〒503−13〔成立〕昭和29年11月3日 〔直前〕小畑村飯田〔世帯〕167〔人口〕666△町の北 部。小畑川の北岸に位置する農村地帯で,近年土地改 良工事が行われた。集落は南端に位置し,集落の中央 部を県道大垣養老公園線が南北に通じ,これに沿って 工場などが建ち並ぶ。県道飯田島里線は集落北部を東 へ通ずる。養北小学校・養老町役場小畑出張所・養老 町農協小畑支所・養老警察署小畑駐在所がある。近年 東部に島下住宅団地が造成された。鎮守は八幡神社。 いいづみ 飯積 〒503−13〔成立〕昭和29年11月3 日〔直前〕多芸村飯積〔世帯〕33〔人口〕161△町の 北部。小畑川の上流南岸に沿う農村地帯で,昔から水 害に苦しんだが,近年土地改良工事が完了した。集落 は北西端に位置し,集落西端を県道大垣養老公園線が 通る。鎮守八幡神社をまつり,江戸初期から神宿制・ 武佐■の神事が伝承されている。 いしばた 石畑 〒503−12〔成立〕昭和29年11月3 日〔直前〕養老村石畑〔世帯〕117〔人口〕492△町 の西部。養老山脈の谷口扇状地に集落があり,西方は 山地。東方の砂礫層に田地が広がる農山村。近年土地 改良工事が完成するまでは水利が悪く常に旱天に苦し んだ。杉・ヒノキの植林をし,柿・桑・茶を産する。 田園の中を主要地方道南濃関ケ原線が通じ,東端を県 道大垣養老公園線が通じる。大字押越に接する地域に 養老小学校・養老電報電話局・養老町中央公民館・養 老町農協があり,最近官庁の進出が著しい。氏神は大 桑神社。 いずみまち 泉町 〒503−13〔成立〕昭和29年11月 3日〔直前〕多芸村大墳〔世帯〕105〔人口〕383△ 町の北西部。牧田■川右岸の砂礫層上に発達した集落 で,三神町と隣接し,商業・工業・手工業が多い。集 落の東部を県道養老赤坂線が通じ,牧田川の多芸橋を 渡る。そのたもとに大墳城・荘福寺の跡がある。泉町 集会所がある。牧田川右岸堤上に鎮守神明神社があ る。 いつかいち 五日市 〒503−12〔成立〕昭和29年11 月3日〔直前〕養老村五日市。昭和49年一部が滝見町 となる〔世帯〕63〔人口〕233△町の西部。牧田川右 岸の砂礫層上の農村地帯。昔から水利が悪く常に旱害 に苦しんだが,近年土地改良工事が完成し美田となっ た。集落の西を主要地方道南濃関ケ原線が通ずる。中 世以後牧田川の氾濫から押越・島田など下郷の村々を 守った堤防の一部が茶園原に残る。氏神八幡神社が鎮 座。 1201


養老町

が通じ,東は相川を隔てて大垣市に隣接する。水田地 帯で,近年土地改良工事が完了した。色目川沿いに大 坪住宅団地がある。東北端を県道大垣養老公園線が通 じ,養老橋を渡って大垣市に入る。鎮守若宮八幡神社 がある。 おおの 大野 〒503−11〔成立〕昭和29年11月3日 〔直前〕笠郷村大野〔世帯〕89〔人口〕428△町の東 端。牧田川を隔てて安八■郡輪之内町と隣接する。水 田地帯で,伊勢湾台風後土地改良工事が行われた。集 落は上大野・下大野からなり,牧田川堤内部に線状に 連なる。五三■川排水機により排水している。牧田川 改修工事のため集落の大部分が旧堤防上から現在地へ 移った。鎮守八幡神社は旧堤上に鎮座。 おおば 大場 〒503−12〔成立〕昭和29年11月3日 〔直前〕池辺村大場〔世帯〕83〔人口〕384△町の南 東部。地内北東端の大場と,その西方の大場新田の2 集落からなる。水田地帯で,近年土地改良工事が行わ れた。トマト栽培・養蚕・養鶏が盛ん。高屋敷・水 屋・屋敷森など水場地帯の景観を見ることができる。 大場新田の南方に養老住宅団地がある。鎮守は八幡神 社。 おおまき 大巻 〒503−12〔成立〕昭和29年11月3 日〔直前〕池辺村大巻〔世帯〕267〔人口〕1,376△ 町の南東瑞。東は揖斐■川を隔てて海津郡平田町と隣 接する。揖斐川右岸堤に沿って上屋敷・寺町・仁保 ■・美波■・高柳■・小坪■などの集落が続き,多芸 輪中の中に広い田園が広がる。上屋敷には県指定史跡 大巻薩摩工事役館跡がある。岐阜食糧事務所南濃支 所・養老町役場池辺出張所・養老警察署池辺駐在所が ある。西部を国道258号が南北に通じ,根古地■から 揖斐川右岸堤に出る県道養老平田線は今尾橋を渡って 平田町今尾に至る。高屋敷・水屋・屋敷森など輪中地 帯の景観が所々に残る。昭和34年の伊勢湾台風後土地 改良が完成し一面の美田となった。排水路が整備され 多くの排水機により,揖斐川へ排水している。神明神 社3社,八幡神社が鎮座する。昔から有名なハスの産 地であり,近年はハウス栽培によるトマト・キュウリ を産し,花卉園芸も行う。養鶏も盛んである。 おぐら 小倉 〒503−12〔成立〕昭和29年11月3日 〔直前〕上多度村小倉の一部〔世帯〕174〔人口〕880 △町の南部。津屋川を境に西部は山地,東部は水田地 帯。農山村で,近年土地改良工事が完了した。柿・桑 を産し養蚕が盛んである。集落は西部山麓に立地し, 小倉谷によって南小倉と北小倉に分かれる。集落西部 を近鉄養老線が走り,中央部を主要地方道南濃関ケ原 線が縦貫し,南小倉で県道小倉烏江大垣線と連なる。 小倉谷を登ると中流に国民年金保健センター(グリー ンハイツ養老),町営野球場がある。東海自然歩道は この付近で小倉谷を渡る。大字京ケ脇の境近くに多芸 七坊の1つ,小倉山光明寺の跡がある。小倉谷の上流 に古墳が1基ある。津屋川岸には土場■(舟着場)や 灯明が残り,舟運の盛んであった昔をしのばせる。上 多度小学校・養老町役場上多度出張所・養老町農協上 多度支所・養老警察署上多度駐在所がある。所々に河 間■(扇状地の末端で地下水が自然に湧出する泉)が あり,共同の洗濯場・野菜洗い場として使われてお り,ハリヨが生息する。小倉谷の上流に赤岩神社があ

り,開運の神として参拝者が多い。鎮守は八幡神社。 おしこし 押越 〒503−13〔成立〕昭和29年11月3 日〔直前〕高田町押越〔世帯〕219〔人口〕920△町 の中央部。町の中心街をなす。高田の南に接続し,境 界が複雑で1集落のように見える。集落の東方に広い 田地が広がり,昭和52年に土地改良工事が完成した。 集落の中央を県道養老赤坂線,東端を県道大垣養老公 園線が通じる。県立養老女子商業高等学校・養老中央 病院がある。臨済宗南禅寺派荘福寺は鎌倉初期小笠原 長清の創建で,室町期の禅僧・歌人正徹(徹書記)配 流の寺であり,姥石■の伝説がある。長清の後裔丸毛 ■氏および栗笠の豪族佐藤氏の菩提寺である。長清の 骨を納めた漆骨蔵器は県指定重要文化財。地域の東端 にある「あほ除■」は明暦2年の築造,金草川南部の 村々の用排水ならびに防水上きわめて重要な堤防であ る。鎮守八幡神社所蔵の直江志津兼光・備前祐定・寿 命作の脇差は町指定重要文化財。境内の高札場跡は町 指定史跡,ナギの木は町指定天然記念物である。 かしわお 柏尾 〒503−12〔成立〕昭和29年11月3 日〔直前〕養老村柏尾〔世帯〕89〔人口〕332△町の 西部。養老山脈の麓の山村地帯。北部の柏尾・南部の 柏尾新田の2集落からなる。東海自然歩道が柏尾の西 端を通り,鎮守神明神社に至る。ここは天平宝字年間 に創建され,織田信長に焼き払われたという多芸七坊 の1つ,柏尾■山柏尾寺の遺跡で,県史跡に指定さ れ,金堂・多宝塔などの礎石が遺存する。また付近か ら集めた石仏1,200躯を安置した千体地蔵があり,中 には応永9年のものもある。真宗大谷派存徳寺には町 重要文化財の南北朝期の宝篋印塔がある。養蚕が盛ん で,果樹も栽培される。 かなや 金屋 〒503−13〔成立〕昭和29年11月3日 〔直前〕多芸村金屋〔世帯〕55〔人口〕241△町の北 部。牧田川の左岸に沿う東西に細長い地域。中央部を 東西に名神高速道路が横断,東部を県道大垣養老公園 線が通じ立体交差する。地域の西部は名神高速道路の 南側に人家が連なり,東部は砂礫地層で水田地帯であ る。養老町農協多芸支所がある。式内社と伝える御井 ■神社が鎮座する。 かまだん 釜段 〒503−12〔成立〕昭和29年11月3 日〔直前〕池辺村釜段(字徳島を除く)〔世帯〕51 〔人口〕265△町の南端。南は海津郡南濃町に隣接。 低湿地帯であるが,昭和38年土地改良が完成し美田と なった純農村である。野菜栽培や水田裏作のハウス栽 培が盛んでイチゴ・フキを産し,養鶏も盛んである。 旧十三ケ村排水路・五三川排水路に囲まれ,水上の 村々の悪水を排水機によって津屋川へ排水している。 延宝元年ごろ尾州浪人森半入が新田開発の成就を祈願 し,法華経を埋め,サイカチ・柳・桜を植えた皀莢■ 経塚がある。国道258号が縦断。尾張橋の近くに鎮守 の神社がある。 かみのごう 上之郷 〒503−11〔成立〕昭和29年11 月3日〔直前〕豊郷村上之郷〔世帯〕65〔人口〕314 △町の中央部。昔の下笠輪中の微高地にある。集落は 東部の上之郷と西部の油田■からなる水田地帯。昭 和34年の伊勢湾台風の大災害後土地改良工事が行われ た。集落の中央を県道小倉烏江大垣線が通じる。高屋 敷・水屋・屋敷森が多い。鎮守隼人神社は油田に鎮座 1202


養老町

り,養老山麓の旧伊勢街道を南進して海津郡南濃町へ 向かう。集落は本郷と町■に分かれ,山腹に式内社と 伝える久々美雄彦■神社が鎮座する。沢田柿の名産 地。 しもがさ 下笠 〒503−11〔成立〕昭和29年11月3 日〔直前〕笠郷村下笠〔世帯〕326〔人口〕1,555△ 町の中央部。旧下笠輪中(栗笠・上之郷・船附・大 野・下笠からなる)の西南部の堤防に沿って和田・中 村・西江下■・構■・懐■・三ツ屋の集落が連なる。 その内部に野崎■・東江下が,東方牧田川沿い大字大 野に接して除内■が,和田に接して輪中堤外に中島■ がある。これらの集落を総称して下笠という。広い田 地が東方に展開する水田地帯で低湿地が多かったが, 伊勢湾台風の大災害後土地改良工事が行われた。イチ ゴや園芸植物のハウス栽培,また肉用牛の飼育や採卵 鶏・ブロイラーの養鶏が盛んである。西八間川・東八 間川は下笠輪中の重要な排水路で,鼻ケ橋■樋門を 通じて五三川へ落ち,小坪■にある排水機によって揖 斐川へ排水する。所々に高屋敷・水屋・屋敷森があ り,水揚地帯の景観を残している。中央部を県道養老 平田線が東西に走り,中村で南北に走る県道小倉烏江 大垣線と交差する。養老町農協笠郷支所がある。下笠 代官屋敷跡が東江下に残る。鎮守の八剣■神社・八幡 神社・早戸神社が鎮座し,早戸神社の祭礼の打囃しは 町指定無形文化財である。 じゃもち 蛇持 〒503−13〔成立〕昭和29年11月3 日〔直前〕小畑村蛇持〔世帯〕110〔人口〕451△町 の北部。中央を色目川が東流し,色目川の南側に北蛇 持・南蛇持の集落があり,北側に鎌倉団地,堤防沿い に色目団地が造成された。県道大垣養老公園線の沿道 は工場などが建ち並び活気がある。低湿地の農村であ るが近年土地改良工事が完成し,色目川排水機によっ て排水している。養豚・養鶏が行われている。町指定 史跡柿経発見地がある。鎮守八幡神社をまつる。南蛇 特の中を東西に貫く道路は,旧大垣街道の名残で明治 末期まで大垣∼養老間を結ぶ重要な道路であった。 せいし 勢至 〒503−12〔成立〕昭和29年11月3日 〔直前〕養老村勢至〔世帯〕24〔人口〕97△町の西 部。養老山中に位置する山村で,集落は山麓に立地。 桑を多く産し,養蚕が行われている。集落の西を東海 自然歩道が通じる。中世から近世初期にかけて鉄座が あり,「勢至千軒,寺三か寺」とその繁栄をうたわれ たが,今はその面影もなく,鍛冶屋■町・町屋■など の小字名が残るのみ。日吉神社の境内は天平宝字年間 に創建され,織田信長に焼き払われたという多芸七坊 の1つ。勢至山光堂寺の遺跡といわれ,付近一帯に勢 至山古墳群がある。小字行平■に不破内親王の姫宮を 葬ったと言い伝える岩窟がある。 そぶえ 祖父江 〒503−13〔成立〕昭和29年11月3 日〔直前〕小畑村祖父江〔世帯〕57〔人口〕271△町 の東北端。相川を隔てて大垣市と隣接する。小畑川・ 相川・牧田川に囲まれた輪中内の低湿地の水田地帯で あるが,近年土地改良工事が完了した。シイタケ栽培 が行われている。中央部を名神高速道路が東西に走 り,北部を県道飯田島里線が東西に通じる。地域の南 端牧田川北岸に県立大垣農業高等学校がある。鎮守八 幡神社をまつる。蛇持境近くの断海■には江戸期の大

する。 からすえ 烏江 〒503−13〔成立〕昭和29年11月3 日〔直前〕高田町烏江〔世帯〕112〔人口〕486△町 の北東部。東は牧田川を隔てて大垣市に接する。水田 地帯で,烏江輪中を形成する低湿地であるが,昭和52 年土地改良工事が完成し,金草川へ排水機で排水して いる。集落は地内の東端牧田川の右岸堤に沿って位置 する。近鉄養老線が東西に通じ,烏江駅がある。集落 の中を県道堀津■養老線・県道小倉烏江大垣線が通じ る。中世から近世にかけて粟笠・船附■とともに濃州 三湊として栄えた河港の町であったが,今はその面影 もない。氏神は八幡神社。 きょうがわき 京ケ脇 〒503−12〔成立〕昭和29年 11月3日〔直前〕養老村白石の一部〔世帯〕44〔人 口〕187△町の西部。養老公園の南に位置する山村地 帯。柿を産する。昔からの集落京ケ脇のほか,近年高 林から移住した新高林集落がある。 くちがしま 口ケ島 〒503−13〔成立〕昭和29年11 月3日〔直前〕広幡村口ケ島〔世帯〕56〔人口〕283 △町の中央部。金草川中流右岸の農村地帯で,近年土 地改良工事が完了した。水田裏作としてイチゴ栽培が 盛んで,養豚も行われている。広幡小学校・養老町役 場広幡出張所・養老町農協広幡支所がある。金草川の 右岸堤は江戸期の九里半街道である。鎮守は八幡神 社。 くりがさ 栗笠 〒503−11〔成立〕昭和29年11月3 日〔直前〕笠郷村栗笠〔世帯〕193〔人口〕858△町 の中央部。牧田川と金草川との合流点付近に位置し, 東は牧田川・杭瀬川を隔てて大垣市に隣接する。集落 は地内北端牧田川・金草川の堤防に沿い,南方に田地 が開ける。昭和34年の伊勢湾台風の大災害後土地改良 工事が行われた。水田地帯であるが,高田に次ぐ商店 街でもある。イチゴを産し,養鶏も行われている。中 世から近世にかけて烏江・船附とともに濃州三湊とし て栄えたが,牧田川改修工事のため港の面影は残って いない。金草川右岸堤は近江国朝妻湊(米原)と濃州 三湊を結んだ九里半街道である。集落の東端に鎮座す る市神神社は近世中期に開かれた六斎市の守神であ る。鎮守福地神社の例祭に奉納される栗笠獅子舞は県 指定無形文化財,祭踊りは町指定無形文化財である。 また高さ2.5m・直径2mの大提灯4個と長さ3mの大き りこ灯籠は有名。昭和45年字仲田に住宅団地ができ た。集落の西端を県道小倉烏江大垣線が通じる。建設 省牧田川出張所がある。 さくらい 桜井 〒503−12〔成立〕昭和29年11月3 日〔直前〕養老村桜井〔世帯〕49〔人口〕231△町の 西部。養老山麓に位置する。農山村で,集落の西端を 東海自然歩道が通じる。沿道に日本武尊をまつる白鳥 ■神社があり,尊が賞味したという井戸がある。山中 に桜井朝臣なるものの墓と伝える古墳がある。白鳥神 社境内のケヤキの大木は町指定天然記念物。 さわだ 沢田 〒503−12〔成立〕昭和29年11月3日 〔直前〕養老村沢田〔世帯〕97〔人口〕436△町の西 端。西は上石津町に隣接する農山村。砂礫層上に田地 があり,旱魃に苦しんだが近年土地改良工事が完成 し,美田となった。肉用牛の飼育が行われている。上 石津町から広瀬橋を渡った東海自然歩道は,地内に入 1203


養老町

垣街道の相川の断海の渡しの跡がある。 た 田 〒503−12〔成立〕昭和29年11月3日〔直 前〕上多度村三郷の一部〔世帯〕49〔人口〕256△町 の西南部。旧有尾輪中内にある水田地帯で,集落は輪 中の北端にある輪中堤に沿って位置する。堤外は旧十 三ケ村排水路が通じる。集落の南を県道小倉烏江大垣 線が通ずる。堀田や池沼の多い低湿地帯であったが, 土地改良工事により美田となった。乳牛の飼育も行わ れている。鎮守は神明神社。 たかだ 高田 〒503−13〔成立〕昭和29年11月3日 〔直前〕高田町高田〔世帯〕1,345〔人口〕5,342△町 の中央部。政治・経済・金融・商業・交通の中心地 で,養老町役場・高田中学校・養老警察署・養老郵便 局・法務局養老出張所・養老町農協高田支所・南濃衛 生センターなどのほか各種金融機関,大小の工場が多 い。高田・島田・下高田の3集落からなり,高田は商 店街で各種商店が軒を並べる。島田は半農半商,下高 田は水田地帯で,近年土地改良工事を完了した。島田 の東端を近鉄養老線が走り,美濃高田駅がある。養老 線に沿って県道大垣養老公園線が通じる。県道養老赤 坂線は地内の中心部をかぎの手に貫き,両側には各種 商店が並ぶ。愛宕神社の例祭は近郷の人でにぎわい, 4両の山車が出る。西町の山車は信州の立川和四郎・ 専四郎の彫刻が有名で,県指定重要文化財。田代神社 の例祭には豊年踊りが奉納される。奉納算額は町重要 文化財。高田中学校の西南近くに食違堤の跡がある。 食違堤は幅8間(14.5m)の堤と堤の間に堰■を築き, 牧田川が出水した場合ここから金草川へ放出して牧田 川堤の決壊を防いだもの。中世高田城があったといわ れ,小字城前■,城の濠などが残る。島田の八幡神 社境内のシイの木は町指定天然記念物。 たかばやし 高林 〒503−12〔成立〕昭和29年11月 3日〔直前〕養老村白石の一部〔世帯・人口〕0 △ 町の西部。養老公園の南に位置する。当地域は49haの 台地で,果樹を栽培し,柿・栗・桃・ブドウ等を産す る畑作地帯。 たきみちょう 滝見町 〒503−13〔成立〕昭和49年 5月14日〔直前〕三神町・五日市の各一部〔世帯〕10 1〔人口〕322△町の西北部。三神町の南部,五日市 の東部に造成された住宅団地である。 とよ 豊 〒503−13〔成立〕昭和29年11月3日〔直 前〕日吉村豊の大部分〔世帯〕26〔人口〕133△町の 北部。牧田川の北部砂礫層上の水田地帯で,昭和52年 土地改良が行われた。鎮守吉田神社がある。 なおえ 直江 〒503−13〔成立〕昭和29年11月3日 〔直前〕多芸村直江〔世帯〕96〔人口〕437△町の中 央部。牧田川南岸を南直江,北岸を北直江という。南 直江は牧田川旧堤防上に住宅のある低湿地。北直江は 砂礫層上に集落があり,東部に広がる田地は低湿地で 排水機によって悪水を排水する。また東端を県道大垣 養老公園線が通じ,高田橋を渡って高田へ向かう。北 直江の集落の中の道路は江戸期の大垣養老街道で,牧 田川直江の渡しの跡が残る。南直江に鎌倉期に栄えた 刀工直江志津鍛錬場跡があり,町史跡。養老町役場多 芸出張所がある。 なか 中 〒503−13〔成立〕昭和29年11月3日〔直 前〕日吉村中の大部分〔世帯〕28〔人口〕131△町の

北部。牧田川北部の砂礫層上の水田地帯で,昭和52年 に土地改良が行われた。集落の中央を県道養老赤坂線 が通じる。日吉小学校・養老町役場日吉出張所があ る。鎮守は熊野神社。 にしいわみち 西若道 〒503−13〔成立〕昭和29年 11月3日〔直前〕広幡村西岩道〔世帯〕42〔人口〕20 1△町の中央部。金草川中流右岸の水田地帯。イチゴ 栽培が行われている。昭和52年土地改良工事が完了し た。金草川右岸堤は江戸期の九里半街道である。鎮守 は八幡神社。 にしおぐら 西小倉 〒503−12〔成立〕昭和29年11 月3日〔直前〕上多度村小倉の一部〔世帯〕52〔人 口〕232△町の西部。養老山麓大字小倉の西方に接続 し,畑地の混在する住宅地。第2次大戦後「満州国北 安省徳都県花園屯徳命開拓団」やその他の引揚者が苦 心の結果開墾して定住した所で,満州で殉難した人た ちの慰霊碑「徳命之拓心霊碑」がある。果樹・茶の栽 培,乳牛の飼育が行われている。 ねこじ 根古地 〒503−12〔成立〕昭和29年11月3 日〔直前〕池辺村根古地〔世帯〕88〔人口〕425△町 の東部。東は牧田川を隔てて安八郡輪之内町に隣接。 南端に根古地,北端に江ノ橋■の集落があり,両集落 の間に広い田地がある。養鶏や花卉園芸が行われてい る。国道258号が南北に通じ,県道養老平田線は根古 地から揖斐川堤防に出て今尾橋に至る。県指定史跡根 古地薩摩工事義没者墓・天照寺薩摩工事義没者墓があ る。昭和34年8月14日集中豪雨によって多芸輪中に大 災害を与えた牧田川決壊口碑がある。災害直後に行わ れた土地改良工事によって美田となった。鎮守八幡神 社は根古地城跡の字城屋敷にあり,例祭には打囃しが 奉納される。 はしづめ 橋爪 〒503−13〔成立〕昭和29年11月3 日〔直前〕日吉村橋爪の大部分〔世帯〕147〔人口〕6 92△町の北西端。西は上石津町,北は不破郡垂井■ 町に隣接。橋爪・別庄■・新宮■の3集落からなり, 3集落に囲まれた内部の砂礫層に田地が広がり,西部 は山地。農山村地帯で,昔から用水に苦しんだが,昭 和52年土地改良工事が行われた。橋爪の南部を牧田川 左岸に沿って名神高速道路が通じ,養老サービスエリ アがある。別庄は象鼻■山麓にあり,天平宝字年間に 創建され織田信長の兵火にかかったという多芸七坊の 1つ別庄寺の遺跡がある。また別庄字天待■に6基, 橋爪字岡山に14基の古墳がある。県道養老赤坂線は室 原から新宮で左折して高田方面へ進み,県道養老垂井 線は新宮で養老赤坂線に接続する。橋爪の鎮守篠墳■ 神社は,かつては盛大な武佐祭が行われた。別庄に白 山神社がある。 ほんのき 飯ノ木 〒503−13〔成立〕昭和29年11月 3日〔直前〕広幡村飯ノ木〔世帯〕115〔人口〕541 △町の中央部。農村地帯で,近年土地改良工事が完了 した。集落の南方を県道養老平田線が通じる。江戸期 の国学者田中道麿の顕彰碑および宅地跡があり,平治 の乱に敗れ知多半島内海へ落ち延びた源義朝の鎧掛の 榎・逆蘆■・源氏橋がある。鎮守八幡神社には町指 定重要文化財懸仏4躯・和錬4面がある。地域の東端 大字大跡との境に住宅団地緑町ができた。 ふなつき 船附 〒503−11〔成立〕昭和29年11月3 1204


養老町

日〔直前〕笠郷村船附〔世帯〕300〔人口〕1,336△ 町の東部。東は牧田川を隔てて大垣市・安八郡輪之内 町と隣接。集落は地域の北端牧田川沿いに発達し,南 方に広い田地が広がる。伊勢湾台風の大災害後土地改 良工事が行われた。養老郡東部の交通・商業・交易の 中心地であり,商家が多い。国道258号が中央部を南 北に貫通し養老大橋を渡って大垣市に入る。県道養老 平田線がこれに接続し,横曽根■橋から上流の牧田川 右岸堤は県道堀津養老線である。笠郷郵便局・養老警 察署船附駐在所があり,田園中に笠郷小・中学校,養 老町役場笠郷出張所がある。たび重なる牧田川改修工 事によって昔の湊町としての面影は失ったが,港とい う字名と金毘羅大権現の常夜灯にその名残をとどめ る。鎮守八幡神社の例祭には祭踊りが行われる。 ふなみ 船見 〒503−12〔成立〕昭和30年4月1日 〔直前〕南濃町船見〔世帯〕21〔人口〕88△町の南 部。養老山麓の小倉谷扇状地に位置する農山村。集落 は地内の東部にあり,集落の中央を主要地方道南濃関 ケ原線が南北に通じ,西方を近鉄養老線が走る。鎮守 神明神社をまつる。 みかみちょう 三神町 〒503−13〔成立〕昭和29年 11月3日〔直前〕多芸村多岐。昭和49年一部が滝見町 となる〔世帯〕431〔人口〕1,616△町の西北部。集 落は牧田川右岸の砂礫層上に発達し泉町に接続し,商 業・工業・手工業が多い。東部を県道養老赤坂線が南 北に通じる。養老町福祉センタ一・三神集会所・養老 警察署多芸駐在所がある。多芸神社は式内社と伝え, 県指定重要文化財懸仏27躯 町指定重要文化財根来■ 塗祭器・勅額・蟇股・大日如来座像・如法経塚があ り,境内に古墳1基がある。 みずほ 瑞穂 〒503−12〔成立〕昭和29年11月3日 〔直前〕池辺村瑞穂〔世帯〕143〔人口〕655△町の東 南部。枠池■・柳原・大代■・西条■などの集落が 周辺に連なり,その内部に田地が立地し小輪中を形成 する。低湿地帯で,昭和36年ごろ土地改良工事が完成 した水田地帯。裏作としてハウス栽培によるイチゴ, その他の野菜を産し,養鶏も盛んである。中央を国道 258号が南北に貫通する。池辺小学校・池辺農協があ る。鎮守は神明神社。 みょうとく 明徳 〒503−12〔成立〕昭和29年11月 3日〔直前〕養老村明徳〔世帯〕44〔人口〕186△町 の西部。養老山脈の麓に位置する農村地帯。桑畑が多 い。集落の東部を県道養老平田線が走る。西部を南北 に主要地方道南濃関ケ原線が通じ,近鉄養老線がこれ に沿って走る。扇状地の末端であるため河間■が所々 にあり,常に清水が湧出している。太古はこの付近は 伊勢湾岸であったといわれ,船着神社がある。 むろはら 室原 〒503−13〔成立〕昭和29年11月3 日〔直前〕不破郡合原村室原〔世帯〕175〔人口〕842 △町の北端。北は泥川を隔てて大垣市,西は不破郡垂 井町に隣接する水田地帯。養鶏が盛ん。地域の西部に 集落があり,東方に広がる田地は低湿地であるが,大 正初期に耕地整理が完了。地域の西端には近年工場が 誘致された。南端大字大坪・色目の境界を東西に県道 牧田室原線が通じ,県道養老赤坂線は集落内を南進 し,中央で西進して新宮を経て高田に向かう。養老町 役場室原出張所・養老町農協室原支所がある。臨済宗

妙心寺派福源寺には県指定重要文化財木造観世音菩薩 立像,町指定重要文化財大日如来座像・十一面千手観 音・雲版などがある。鎮守熊野神社の例祭には室原色 目・井畑■・東向■の各瀬古■から1両ずつの山車が 出て子ども歌舞伎が奉納され,山車は3両とも町指定 重要文化財。町指定無形文化財宝原文楽が伝承されて おり,文楽歌舞伎人形26体も町指定重要文化財であ る。住吉神社境内のナギの木は町指定天然記念物。 やすひさ 安久 〒503−13〔成立〕昭和29年11月3 日〔直前〕日吉村安久〔世帯〕20〔人口〕92△町の 西北部。牧田川の北岸の砂礫層上に位置し,昭和52年 に土地改良工事が行われた。集落の南部を名神高速道 路が東西に走り,県道養老赤坂線がこれと立体交差 し,多芸橋を渡って高田へ向かう。養老町農協日吉支 所・養老警察署日吉駐在所がある。鎮守須賀神社が多 芸橋のたもとにある。 ようろう 養老 〒503−12〔成立〕昭和29年11月3 日〔直前〕養老村白石の一部〔世帯〕120〔人口〕439 △町の西部。養老山脈の麓の農山村地帯で,集落は白 石と千人墳■に分かれる。白石は大垣∼養老間の旧 道に沿い,昔は養老観光客でにぎわったが,今はその 面影もない。白石の西端を東海自然歩道が通じ,養老 公園に至る。ミカンの栽培が盛ん。千人墳には古墳が あり,県道大垣養老公園線が通じ養老公園に至る。ツ バキの名所平安寺が沿道にある。真宗大谷派正慶寺境 内のチャボヒバは町指定天然記念物。 ようろうこうえん 養老公園 〒503−12〔成立〕昭 和29年11月3日〔直前〕養老村白石の一部〔世帯〕28 〔人口〕112△町の西部。養老の滝に象徴される養老 公園の地帯で,揖斐関ケ原養老国定公園に指定されて いる。養老の滝は標高280m,高さ32m,滝つぼが浅 く,婦女子の浴瀑にも適する。東海自然歩道は白石か ら滝谷■の左岸を滝まで上り,右岸を下って高林地内 を通って京ケ脇に通ずる。県道大垣養老公園線が通じ る。養老公園事務所・養老警察署養老公園派出所があ る。養老寺は多芸七坊の1つで,国指定重要文化財の 木造十一面千手観音立像・銘不明剣1口・銘国光太刀 1口,県指定重要文化財不動明王立像のほか,後水尾 天皇宸翰懐紙・谷木因選句集など多数の文化財を所 蔵。養老神社経塚出土品の経筒・和鏡・刀子破片・火 打鎌・外甕無釉瓶子,妙見堂の木造一木三体釈迦如来 立像,村上圭二氏所蔵の美濃後藤派刀装具収集品は県 指定重要文化財,元正天皇行幸遺跡は県指定史跡であ る。公園内には養老公園碑・養老公園開設者岡本喜十 郎翁顕彰碑・万葉歌碑・渋谷代衛翁紀功碑・芭蕉翁句 碑・秦■鼎翁菊水銘碑・梁川星巌翁養老改元詩碑・田 中大秀翁養老美泉弁■■碑・富長蝶如先生養老大瀑 詩碑・紀州藩主養老観瀑詩碑・細川十州翁養老泉碑な ど30余の碑があり,訪れる人が多い。公園の南部にバ ンガローがある。鎮守は養老神社。 よこや 横屋 〒503−12〔成立〕昭和29年11月3日 〔直前〕上多度村三郷の一部〔世帯〕36〔人口〕165 △町の南端。南は海津郡南濃町津屋に隣接。水田地帯 で,西を津屋川が流れる。旧有尾輪中の中にある低湿 地で,堀田や池沼が非常に多かったが,近年土地改良 工事が完了し一面の美田となった。鎮守は諏訪神社。 りゅうせんじ 竜泉寺 〒503−12〔成立〕昭和29年 1205


神岡町

11月3日〔直前〕養老村竜泉寺〔世帯〕51〔人口〕21 4△町の西部。養老山麓に集落があり,その下の砂礫 層に田地がある農山村地帯で,近年土地改良工事が完 成し,水利がよくなった。集落の背後に通ずる古代か らの伊勢街道はそのほとんどが東海自然歩道となって いる。山中に天平宝字年間に創建され,織田信長に焼 き払われたという多芸七坊の1つ,大威徳山竜泉寺の 遺跡がある。六杜■神社のムクの大木は県指定天然記 念物で,了福寺保管の鎌倉期古瀬戸灰釉瓶子は県指定 重要文化財。養老町役場養老出張所,養老町農協養老 支所がある。 わかみや 若宮 〒503−12〔成立〕昭和30年4月1 日〔直前〕南濃町若宮〔世帯〕25〔人口〕105△町の 南端。南は海津郡南濃町,西は三重県と隣接する農山 村地帯。茶・シイタケの栽培が行われ,養蚕も盛んで ある。集落内を東海自然歩道が通じる。鎮守八幡神社 がある。 わしのす 鷲巣 〒503−12〔成立〕昭和29年11月3 日〔直前〕上多度村鷲巣〔世帯〕272〔人ロ〕1,089 △町の西部。養老山麓を流れる津屋川によって,山 地・扇状地と水田地帯に分かれ,水田地帯は近年土地 改良工事が完成した。扇状地帯は柿の産地で,鷲巣と 駅前の2集落がある。集落内を主要地方道南濃関ケ原 線,近鉄養老線が通り,養老駅前は養老公園の玄関口 に当たり土産物店が並ぶ。養老公園口郵便局もある。 津屋川には土場■(舟着場)の跡や灯明が残り,舟運 の盛んであった昔がしのばれる。集落の南瑞に第13代 横綱鬼面山谷五郎の生誕地があり,鎮守白山神社には 鬼面山の寄進した灯明がある。 〔参考文献〕養老郡役所編・刊「養老郡志」(大14) 養老町編・刊「養老町史 通史編・資料編」(昭49・ 53)中沢弁次郎監修「輪中聚落地誌」(昭11)


角川日本地名大辞典

21 岐阜県

昭和55年9月20日 初版発行 平成9年11月30日 再版発行

編者

「角川日本地名大辞典」編纂委員会

竹内理三 発行者

角川歴彦

印刷・製本

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養老町  

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