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ぶっこうさんこうとくいん

ごうしょうじ

第七十八番札所 仏光山広徳院 郷照寺 香川県綾歌郡宇多津町 1435 0877-49-0710 阿弥陀如来 瀬戸大橋を眺望するゴールドタワーのある町、宇多津。そんな海辺町で厄除け「うたづ大 師」として親しまれているのが、郷照寺だ。毎月20日の縁日には多くの参詣客で賑わう。 市街地の西、青ノ山北麓に位置し、参詣の石段を上がっていくと、いきなり視界が開け、境 内からは正面に瀬戸大橋が見え、かなたには瀬戸内海が広がる。 創建は神亀2年(725)行基菩薩さまが阿弥陀如来像を刻んで安置し、道場寺と名づけた。 その後、大同 2 年(807)弘法大師さまがこの地で厄除けの請願をし、郷照寺と寺号を改め て札所に定めた。この寺は時宗の開祖一遍上人のゆかりの寺でもある。念仏札を配って全国 を行脚して教えを説いていた一遍上人が正応 2 年(1289)、讃岐にやってきて善通寺などを 訪ねた。その折にここ郷照寺にも滞在し、堂宇を修復して中興。以後踊り念仏の道場として 発展するが、戦国時代に長宗我部元親により兵火で焼失してしまう。 江戸時代に入って寛文 4 年(1664)に高松藩主・松平頼重によって再興。このときに一遍 上人にちなんで真言宗から時宗へと宗派を改めた。四国八十八ヵ所で唯一の時宗の寺である。 本堂は二層の屋根が印象的な建物で江戸時代初期に再建されたもの。堂内には鎌倉時代後期 の作とされる本尊の阿弥陀如来さまが安置されている。本堂の脇には青面金剛と三猿(見ざ る 言わざる 聞かざる)を祀る庚申堂があり、その左には「さぬきの三大ポックリさま」の ひとつといわれる、柔和な表情をした石仏もある。このほか女性の守り神である粟島明神堂、 無数の小さな観音像が並ぶ万躰観音洞、郷照寺を守ってきたタヌキを祭神にした常盤明神、 池を中心にした回遊式庭園などがある。県道 33 号や坂出駅付近の繁華街を 1 時間余り行く。

よそ見して つまづいて つまづいた いしのせいにして 人間って悲しいよね 遍路の言葉 き ん か ざ ん こうしょういん

山門

参道

本堂

てんのうじ

第七十九番札所 金華山 高 照 院 天皇寺 香川県坂出市西庄町八十場 1713-2 0877-46-3508 十一面観世音菩薩(秘仏・ 7 月の大般若法要に開帳) 山門ならぬ朱色の鳥居。それも左右に脇鳥居を持つ三輪鳥居という形式で、瓦葺きにして 格式を高めた鳥居だ。鳥居には「崇徳天皇」の額。この鳥居から先が天皇寺の境内なのだ。納 経帳に押されるのも天皇印と記されている。これにはいわれがあって、正式には「金華山高 照院天皇寺」なのだそうだ。弘仁年間(810~824)。弘法大師さまがこの近くに湧く泉で霊感 を得て、霊木で十一面観世音菩薩さまを刻み、一堂を建立。妙成就寺と名付けた。弘法大師 さまが霊感を受けたと伝わる霊泉は「八十場の水」といわれ、寺から西へ 10 分ほど歩いた辺 りで今でも滾々と水が湧き続けている。 この泉が、崇徳天皇(崇徳院)の秘話を伝える。崇徳院は皇位継承をめぐって弟の後白河 天皇と対立。これが武士達を巻き込んだ保元の乱(保元元年=1156)だ。戦いに敗れた崇徳 院は隠岐の国に流され、失意の中、46 歳で崩御した。崇徳院の亡骸が荼毘に付されるまで、 3 週間近く安置されていたのが、生前の院がしばしば足を運んだこの寺だった。亡骸は霊泉 の水で清められ、その顔はまるで生きているようだったという。生前の崇徳院は、讃岐での 日々をひたすら写経で過ごし、3 年がかりで完成させた膨大な写経を都に送った。しかし都 はこれを受け取らなかった。このため院は人々を呪いながら亡くなったという。その後、都 95


で異変が続いた。「崇徳院のたたり」と恐れた朝廷は、崇徳院の霊を慰めるため、ここに白 峰宮を造営、寺号も天皇寺と改めたのだ。 本堂の奥には白峰宮が鎮座し、「天皇さん」と呼ばれ親しまれている。なお、崇徳上皇が祀 られているのは、上皇の御陵に隣接する第八十一番白峯寺である。 人をうらむことは もうおやめください 少なくとも 歩いたのは あなた自身の足 なのですから

三輪鳥居

遍路の音場

境内

本堂

納経所入口

天皇寺からの眺望を崇徳天皇はどんな思いで眺めたのだろう。皇位継承をめぐって弟の後 白河天皇に敗れて隠岐の国の流人となり、失意のうちに 46 歳で崩御した。望郷、屈辱、悔 恨、懺悔、希望、絶望そして呪。それらの情念や怨念を、明日登る白峰山はすべて受け入れ たのだろうか。 つらい人生 であっても 人を恨まず それを糧として 心を養う 遍路の言葉

天皇寺からの眺望

遍路道

遍路道をゆき JR 予讃線加茂川駅を左折して綾川を渡り、国道 11 号線ぞいの旧道に入ると、 風雨に晒された国分寺を指す道標があり、「蝮注意!」の立て札が立つ。 新緑の中、趣のある等身大の石灯篭と三葉つつじが出迎えてくれ、参道であったことを偲 ばせる。数知れぬ人々の一途な願いをこの参道は受け止め続けてきたのだろう。 暫く行くと、ここからは駕籠も馬からも下りて歩くことを示す下乗石がある。讃岐の国分 寺が如何に壮大であったかを思わせる。いつまでも、いつまでも歩いていたい古の道だ。

遍路道

道標

蝮注意

石灯籠と三葉つつじ

下乗石

麓の茶店で名物のトコロテンをいただく。尾張は甘酢、関西は黒蜜、関東は二杯酢に辛子、 外に黒蜜ときなことたれは出身地に合わせて掛けてくれる。 弥谷寺の茶店も同じだったが遍路に味付けを教えてもらったのだろうか。 昔、何ヶ月も掛けて歩いてきた遍路は、この心遣いに望郷の念に駆られ、涙したことであ ろう。汗ばんだ身体に尾張の味の甘酢が心地よく溶け込んでゆく。ご馳走さまでした(^^♪ 96


はくぎゅうさんせんじゅいん

こくぶんじ

第八十番札所 白 牛 山 千手院 国分寺 香川県綾歌郡国分寺町国分 2065 087-874-0033 千手観世音菩薩(秘仏) 奈良時代、仏教を保護し、天平文化の立役者としての役割を果たした聖武天皇は国家鎮護 を祈願し全国各地に国分寺と国分尼寺を建立する勅命を出したのが、天平 13 年(741)。この 「国分寺建立の詔」によって讃岐国に建てられたのが、ここ国分寺だ。開基となった僧・行基 菩薩さまは、国家仏教に対する民間仏教の伝道者として民衆から支持され、各地に橋を架け、 温泉を発見し寺院を建立するなど数多くの業績が伝えられる高僧である。一度は宗教活動を 禁止されるなど弾圧されながらも意志を貫き、後年には僧侶としては最上位の大僧正にまで 任命された。 仁王門から本堂へ延びる参道沿いは松並木になっており、松の根元には四国八十八ヵ所の 本尊を石仏として並べたミニ八十八ヵ所がもうけられている。参道の右側には天平時代の讃 岐国分寺の七重の塔跡の遺構が残されている。心礎を中心に 15 個の礎石が残されており、 中央には五重の塔が建てられているが、これは鎌倉時代のものだ。発掘調査によると、讃岐 国分寺の寺域は東西 220m、南北 240m。現在本堂が建つのはかつての講堂跡。本堂の手前 には 33 個もの大きな礎石が点在しているが、これは天平時代の金堂の跡だ。また本堂の西 側には堀立建物の跡もある。七重の塔跡から少しいくと鐘楼がある。 ここにある銅製の梵鐘は国分寺創建の聖武天皇の時代に鋳造されたといわれるもので、香 川県内では最古の梵鐘であり、国の重要文化財に指定されている。この梵鐘は古くから音色 のよさで名をはせていた。江戸時代の初め、讃岐藩主の生駒一正はこの鐘の音の素晴らしさ に聞きほれ城下に時を告げる鐘として用いたいと申し出て、寺に水田を寄進し、鐘を高松城 下に持ち帰った。ところが、城下ではいくら鐘をついてもいい音がしない。それどころか藩 主一正は病に倒れてしまった。そして一正の夢枕に毎晩のように鐘の幻が出現し「元の国分 へ帰る」と涙を流したという。さすがの殿さまもこの怪異になす術がなく、鐘のたたりを恐 れ梵鐘を国分寺に返したという。その後時代を経て律令制度の消滅と共に寺は衰退していく が、鎌倉時代に再興。しかし天正年間(1573~1592)に兵火によって本堂と鐘楼を残し、伽藍 のほとんどを焼失する。本堂は鎌倉中期の建造物で柱間五間と左右への広がりを見せる正面 に、シンプルな和様の組物。屋根はどっしりした印象の入母屋造り。繁垂木の軒下など、歴 史を重ねてきた建物ならではの美しさがある。 本尊の千手観世音菩薩さまは行基菩薩さまの作といわれ弘仁年間(810~824)に弘法大師 さまが仏像の損傷箇所を補修して第八十番札所に定めたと伝わる。本尊は高さ 5.2mもの立 像。長い時を経て本堂に安置されている。本堂の東側の本坊に向かうと小さな門の奥に納経 所がある。納経所に隣接する多宝塔のような建物が大師堂だ。この大師堂には納経所の建物 のなかから参拝する。納経所の中は雑然としていて周囲は遍路用品やみやげ物が並んでいる。 この国分寺のある一帯は讃岐国分寺跡として国の特別史跡に指定されている。境内の裏手に は往時の十分の一の規模で讃岐国分寺の模型が設置されている。近くの資料館では国分寺跡 からの出土品や、考証に基づいて復元した築地塀、僧坊内部などが展示されている。門前の えびすや旅館はいっぱいといわれたので仕方なく 800mほど先のあずさに宿泊した。

山門

本堂

本堂の中 97

本当に 必要なこと いちばん 大切なこと いつも自然が 教えてくれる 遍路の言葉

あずさ


平成 20 年 5 月 6 日(祭) 晴 25℃ 11 時間 20 分:36km 6 時 40 分にあずさを出る。標高 400mまで登ると少し下り、なだらかな木漏れ日の道が続 く。静かで穏やかな空気が流れる。崇徳上皇はきっと成仏されたのだろう。新緑にさつきの 紅が鮮やかだ。白峰寺に着くと和歌山の瀧田さんが待っていてくれた。 りょうしょうさんどうりんいん

しら み ね じ

第八十一番札所 綾 松 山 洞林院 白峯寺 香川県坂出市青柳町 2635 0877-47-0305 千手観世音菩薩 五色台は瀬戸内海に臨む景勝地で、赤峰、黄ノ峰、青峰、黒峰、白峰の五つの峰からなる。 標高約 350mの白峰に白峯寺が建つ。創建は弘仁 6 年(815)。弘法大師さまが山頂に宝珠を埋 め、一堂を建てたのが始まり。貞観 2 年(800)には智証大師円珍がこの地を訪れ、白峯権現 さまに導かれて千手観世音菩薩像を刻んで本尊としたという。 この寺の山門は五つの瓦屋根が段差をつけて連なる独特の形式。七棟門といい、享保 3 年 (1718)の建造物だ。門をくぐると右手に客殿、正面に護摩堂、納経所などが並ぶ。護摩堂の 前で左に曲がると、正面に勅額門、その先に 崇徳上皇(崇徳院)の御廟所である頓証寺殿が ある。崇徳院は皇位継承を巡って弟の後白河天皇と対立し保元の乱(1156)を起こすが、破れ て讃岐国へ流され、46 歳で非業の死を遂げた。その亡骸を埋葬したのが頓証寺殿の奥にあ る白峯御陵だ。崇徳院は死に際し「日本国中を呪う」と宣言したともいわれる。 上田秋成の「雨月物語」には、崇徳院崩御の 3 年後にこの地に詣でた西行法師が崇徳上皇を 祀る頓証寺殿で崇徳院の怨霊と論戦する凄まじい場面が描かれている。崇徳院は「鳴けば聞 く 聞けば都の恋しさに この里過ぎよ 山ほととぎす」という歌を残している。ホトトギ スの鳴き声を耳にすると都を思い出して心が乱れるという歌だ。だからかどうか、この山の ホトトギスは、木の葉をくちばしに巻いて、声を抑えて鳴くという。この木の葉にちなむの が、勅額門の手前にあるケヤキの木。玉章の木と呼ばれる。勅額門のところから石段を上が ると薬師堂や行者堂、本堂、大師堂、阿弥陀堂などが建つ。本堂は慶長 4 年(1599)、大師堂 は文化 8 年(1811)の建築。阿弥陀堂の建築年代は未詳だが、室町時代の様式がうかがえる。

遍路道

「許す」 という カギがあれば 「忘れる」 という扉が 開きます 山門

遍路の言葉

境内のさつき

遍路道

七棟門を出たら左へ、しばらくは雑木林の中の山道を歩き、足尾大明神のところから舗装 路に出て五色台みかん園から山道を行く。最高に気持ちのいい5kmの遍路道であった。 あおみねさんせんじゅいん

ね ころじ

第八十二番札所 青峰山千手院 根香寺 香川県高松市中山町 1506 087-881-3329 千手観世音菩薩(秘仏) 根香寺は五色台の青峰に建つ札所。仁王門をくぐって境内に進むといったん石段を下り、 その先で登るという変わったアプローチになっている。 創建は弘仁年間(810~824)弘法大師さまが唐に渡る前に海路の安全を祈願し、五大明王 を祀って花蔵院を建立したと伝えられる。その後天長 9 年(832)智証大師円珍(母親が弘法 大師の姪)がこの地を訪ねた時、千手院を建立し、霊木に千手観音さまを刻んで安置。その 98


霊木の根株が香りを放っていたことから根香寺が寺名になった。 さらに石段を上がると五大堂。弘法大師さまにゆかりのある五大尊(五大明王)の木像を 安置している。南北朝時代の作とされる不動明王さまを始め鎌倉時代の作とされる後三世明 王、軍茶利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の木造五大尊像だ。 本堂へはさらに石段を上がる。手前には万体観音堂があり、回廊式の建物の中に 3 万体の 観音像が並ぶ。 また根香寺は牛鬼伝説の寺として知られている。その昔青峰に住み着いた鬼を、弓矢の名 人・山田高清が射止めた。その死骸は角が生え、腕と胴体の間にコウモリのような皮膜があ る異形の生物だった。たたりを恐れた高清は、角を切り取り、根香寺に奉納したという。寺 にはこの角と牛鬼の図が寺宝として残っている。 こちらから 挨拶をする こちらから 声をかける こちらから 頭をさげる 心さわやかな へんろ道 遍路の言葉

山門

参道

本堂

瀬戸内海の眺めがいい山道を下る、舗装道���に出たらほどなく予讃線鬼無駅。さらに田園 風景の中を標識に従って進む。木陰がなくなり炎天下を歩く。 鬼無を過ぎたころ「飯田遍路接待所」と看板が有るきれいな建物があった。近くのタクシ ー会社の社長さんが建てられたという休憩所で、お茶をいただきながら、写真を撮ってもら い一言記帳する。先輩遍路の言葉を「生きる喜び 巡礼の旅」シリーズという小冊子にまと めてあり、3 冊いただいた。アルバムをめくっていたら野宿遍路の鈴井さんの言葉を見つけ た。もう今日あたり大窪寺に着いておられるだろう。勧められて飯田遍路休憩所の向かいの お寺にある孔雀藤を見にいった。良い香りがする藤棚の下で花見の宴をしておられた。一宮 寺までの 4 時間は長かった。

遍路道

飯田遍路接待所 しんこうさんたいほういん

お疲れさまでした 本当によく ここまで歩いてきたね さあ ゆっくりと 心を癒してください 飯田お遍路休憩所で 遍路の言葉

孔雀藤

いちの み や じ

第八十三番札所 神毫山大宝院 一 宮寺 香川県高松市一宮町 607 087-885-2301 聖観世音菩薩(秘仏) 高松市郊外にある田村神社は、8世紀初めに創建された古社。平安時代には讃岐一宮に定 められている。この田村神社の西側に隣接するのが八十三番札所一宮寺だ。その名が物語る ように讃岐一宮である田村神社の歴史とも密接に関わっている。創建は大宝年間(701~704) とされ、法相宗の高僧義淵僧正によって開かれたという。当初、寺名は大宝院であったが、 田村神社が創建され、その管理を行う別当寺となったことから一宮寺と改められた。義淵の 弟子に当たる行基菩薩さまが別当を務め、堂宇を修築。その後大同年間 8806~810)、弘法大 99


師さまがここを訪れて聖観世音菩薩像を刻んで本尊とし、寺を真言宗に改宗したと伝えられ る。田村神社の鳥居と向かい合うようにあるのが、一宮寺の仁王門。境内に入ると正面に、 元禄 14 年(1701)に再建された本堂、その手前には宇治 3 年(1247)の銘がある 3 基の宝 塔が並び、一宮御陵と呼ばれる。田村神社と分かれたときに移され、田村神社の祭神の い さ せ り ひ こ の みこと

き び つ ひ こ のみこと

や ま と そ そ ひ も も そ ひ め の みこと

五十狭芹彦 命 (吉備津彦 命 )とその姉の倭迹迹日百襲姫 命 、二人の父である孝霊天皇を供 養するものと伝えられている。境内のほぼ中央にクスノキの巨木がある。その根元に小さな 石造りの洞があり、薬師如来さまが祀ってある。この薬師如来石堂に頭を入れると、ゴーッ という音が聞こえてくる。それはあたかも地獄の釜が立てる音のようだという。心がけの悪 い人がここに頭を入れると、抜けなくなるという言い伝えがある。 きらら温泉に瀧田さんは泊まり、ゆっくりするという。私は円成庵をこれから訪ねるので ここでお別れした。 汗をたっぷり かきながら 八十八ヶ所を歩くと 生かされている ということが 楽しくなったわたし 山門

本堂

仁王門

遍路の言葉

私が名古屋市の保健所に勤務していた頃、お世話になった素敵な先輩が体調を崩されたの で遍路出立前にお見舞いに伺ったら、先輩から書写された仏画の色紙を戴いた。裏に『六字 天さま』とだけ書いてある。調べてみると「明王でありながら菩薩形で表さる特異な仏さま で、六字天、黒仏、黒六字とも呼ばれている。六観音(正観音、千手観音、馬頭観音、十一 面観音、准胝観音、如意輪観音の総合成就身)の修法、六字経法の本尊であるが関係経典な どには全く像の姿は説かれず古来より典拠不明。そのお姿は一面六臂の菩薩形で頭部に猿猴 おんみょうへんばいいん

冠をいただき腹前で左右第一手で 陰陽 反閇印を結ぶ。四手で日・月・戟・剣を持って右足 を引き上げて左足で蓮華座に片足立ちする。」 また「日本には香川県円成庵に一体あるのみ」とのこと 。“これは行かずばなるまい”と 思った。高松市観光課に問い合わせ、送られてきた地図に従い行きかう人に尋ねるが分から ずタバコ屋さんに入って聞くと、娘さんが円成庵の近くにいて信心していたことがあるので …と住宅地図を広げて教えてくれた。無住の庵だという。何かのご縁なので…と川辺敏子さ んは 1000 円の接待を出されたので納札を渡しお布施として預かった。 多肥小学校をまわり、円成庵の門に入って驚いた。無住と聞いていたのにお堂が開き 15 人ほどの人が庭の椅子に座っている。さきほど法要が終わったところだという。なんと今日 は年に 2 回しかないご縁日だというのだ。 私の計画ではここには昨日来る予定だったが石鎚山登山で一日遅れたため、ご法縁をいた だけたのだ!お堂に上げていただき、川辺敏子さんと私のお賽銭を重ね、心経と観音経をお 上げした。おろうそくの炎が高く上がり揺らめいた。 えんじょうあん

ひ かんのんどう

円 成 庵(多肥観音堂) 高松市多肥上町 観光協会文化振興課087-839-2416 「多肥の観音さん」として昔から、地元で親しまれてきたが、その容姿から「片足観音さ ん」とか「六手観音」とも言って、土地の人々もいささか、その異様な姿に畏敬の念をもっ て崇拝してきたものである。 観音の化身として観音の容姿を備えながら、仏像でいえば天部像で護法神としての異様な 形相をとり、足を上げ刀を抜き放っているのは、他に類例を見ない珍しいものである。昔は 100


「六字明王」と呼ばれ、観音堂を「六字明王堂」とも呼んできた。 翁嫗夜話には「六字明王は観音の化身也、故に俗称多肥観音という、北條郡高屋に神谷兵 庫忠資なる者あり、細川氏に属して功あり、賞として乃生、木沢の二邑を食せしめらる、是 に於いて乃生村に移り、遂に氏となす。後多肥郷を加封さる即ち乃生、木沢、多肥の三邑を 食む、世々六字明王を尊信して、其の像を安置し、東光坊をして奉守せしむ、曾孫乃生村孫 兵衛元忠に至りて、多肥に還り、一城を営構して、これに居れり、然して亦、明王を奉じて 之に従う東光坊をして守らしむること故の如し…」観音堂の創建は「文禄三午年小僧都宥仁 六字法十万座修 建立」と記録に見えている。 その後再建を重ねて同族の崇拝者によって祭祀が受け継がれているという。総代で 89 歳 の喜田よし子さんからお下がりのロールケーキを頂き 、“何回もバス遍路をしたけど、もう 行けないので接待させて…”と 2000 円いただいた。 “次のご開帳は 8 月 10 日のご開帳に来てください”と名残りを惜しんで道まで皆さんで 見送ってくださった。レインボーロードをまっすぐ歩き、町中の一膳飯屋でゆっくり家庭の 味を楽しんだ。夜道を急ぐ。8 時に BH かすがに着いた。今日は 35kmも歩いたのに、心身 ともに爽快だ。今日いただいたご縁を有り難くしみじみ想い返した。 見えぬ糸に 引かれて また新しい ご縁を いただく 門

本堂

ご宝前

遍路の言葉

総代の喜多さんと

平成 20 年 5 月 7 日(水) 晴 26℃ 8 時間 30 分:23.1km 6 時にかすがを出た。眩いばかりの朝日に向かって歩く。高松琴平電鉄志度線の潟元駅か ら山道を登る。屋島寺まで木陰のある心地よい坂道だ。朝から屋島寺の参道は賑やかで行き 交うと手馴れた様子で飴やチョコの接待をされ“頑張って!”と声を掛けてくださる。心が 温かくなる。 その昔、屋島は四国とごく細い海峡で隔てられた島であった。源平合戦の古戦場はここ屋 島の東側の海岸。那須与一が扇の矢の的を射た海岸や、源義経が弓を落とし危険を冒してそ れを拾った場所など古戦場らしい伝承の多い地である。 ほら 少し休んで ふり返ってごらんほん とうに よくここまで 歩いてきたね 遍路の言葉

新川

新川橋欄干の源平合戦の扇

遍路道

汗ばむ頃、お加持水に着いたが水が涸れていた。屋島は溶岩台地の山で、頂上は標高 292 mの南嶺と標高 282mの北嶺の 2 つに分かれ、瀬戸内海や高松市街の眺めが楽しめる風光明 媚な景勝地として名高い。山門で笑顔の素敵な本橋広子さんに会った 。“お一人で歩いてお られますか?私はここの麓に住んでいて一週間に一度朝参りに来ます。困ったことがあった ら連絡ください”といって住所と電話番号と名前を書いてくださった。また元気を戴いた。 101


人の相知ること 必ずしも 対面して 久しく 語るのみにしも 在らず お加持水

不喰梨 なんめんさんせんこういん

空海漢文詩集『性霊集』

本橋さんと

や し ま じ

第八十四番札所 南面山千光院 屋島寺 香川県高松市屋島東町 1808 087-841-9418 十一面千手観世音菩薩 天平勝宝 6 年(754)奈良時代に唐から来日した鑑真は奈良に唐招提寺を開いたことで知 られる名僧だが、日本にきて奈良へ向かう途中、屋島に立ち寄り、北嶺にお堂を設けたとい う。これが八十四番札所屋島寺の始まりである。その後、弟子の彗雲が諸堂を建立して寺と しての体裁を整え、初代住職となったという。 初め北嶺にあった寺が現在の南嶺に移ったのは弘仁 6 年(815)のこと。嵯峨天皇の勅願 を受けた弘法大師さまによる中興で、大師自ら十一面千手観世音菩薩像を刻んで本尊として 安置したとされる。以後、衰退した時期もあるが、江戸時代に入って高松藩主松平氏らの庇 護を受け、再び栄えていったのである。 歩き遍路の登山道は 1 丁目毎に石地蔵があり、これを目安に山頂を目指す。山門をくぐる と前方に仁王門があり鐘楼、右手に大師堂や本堂が見える。正面に単層入母屋造りの本堂が 建つ。この本堂は鎌倉時代末期の建物だが、江戸時代初期に修理されているためか室町時代 のような印象を受ける。 宝物館には本尊の十一面千手観世音菩薩さまや屋島合戦屏風、雪舟の画など多数の文化財 を収蔵展示している。 宝物館からは白い凝灰岩が雪のように見える「雪の庭」も拝観できる。

山門

仁王門

本堂

本堂前で

霧の立ち込める屋島で道に迷ってしまった弘法大師さま。そこへ蓑笠をかぶったタヌキが 現れ、道案内をしたという。そのタヌキは本堂に向かって右側「蓑山大明神」に祀られてい る。屋島の太三郎は四国のタヌキの大将であり、佐渡の団三郎タヌキ、淡路の芝右衛門タヌ キが「日本三名狸」なのだという。 境内に赤い鳥居をたてた祠の両脇には狛犬のように、なんともユーモラスな夫婦のタヌキ の石像が立っていて、縁結びや家庭円満の神さまとして信仰を集めている。本堂とこの祠が 並んでいてなんの違和感もないのが嬉しい。日本は本当に八百万の神々のおわす国なのだと つくづく思う。島国でありながら《なんでもあり》の受け入れる心の広さを私は学びたい。 境内を駐車場の方に向かうと池がある。源平合戦で兵士たちが血のついた刀や槍を洗った とされる「血の池」である。きれいな池も由来を読んでから眺めるとおどろおどろしく、怨念 がこもっているようで悲鳴が聞こえてくるようだ。この池の本来の名は瑠璃宝池といい、薬 師如来さまの慈悲の世界へと通じる池だという。 102


日々 「怒らず 恐れず 悲しまず」 在る モダンな社務所

蓑山大明神屋島太三郎狸

大師堂

遍路の言葉

瑠璃宝の池(血の池)

屋島からの眺望はどこまでもどこまでも広がり、穏やかで美しい。 その昔、源平が争い、この地をどす黒い血で染めたという…。

屋島からの展望 遍路道を一気に駆け下りる。急坂続きで自然に足が前に出る。壇ノ浦に続く春日川を渡り、 スーパーマルナカでトマト、牛乳、清見オレンジを食べて一息つく。 今8時 50 分だ。さぁ、続いて八栗へ。 八栗山は木陰がないうえ、登り続きで今日もしっかり暑い。遊歩道を急いで歩いていくと、 道端に明治時代にこの地を讃えた英文の詩碑があった。詩を読んでいると散歩中の老夫婦が、 “遍路道はむこうですよ。標識が分かりにくいのでよく間違われるのですよ”と教えてくれ た。慌てて戻り、脇の細くて急な坂道を下る。それにしても暑い。照りつける太陽を全身に 受けてしっかり汗をかき、屋島寺から八栗寺へ 2 時間 45 分かけて、やっと着いた。 丘さんから電話が入った。長尾寺にいる。これから大窪寺を打って今日帰るという。爽や かな好青年だった。丘さんの上満を祝って、またお世話になった感謝の気持ちを込めて心経 を上げた。きっと新しい人生に会えるだろう。 へんろ道で 空を見上げたら 人間のあまりの小 ささに 気づきました 遍路の言葉

詩碑 ご けんさん か ん じ ざ い い ん

遍路道

壇ノ浦

八栗登山口

や くりじ

第八十五番札所 五剣山観自在院 八栗寺 香川県木田郡牟礼町牟礼 3416 087-845-9603 聖観世音菩薩 屹立する岩峰が印象的な五剣山は標高 366mであり、その中腹に建つ札所が八栗寺だ。境 内に入ると多宝塔と大師堂の前を通り、本堂へ向かう。 創建は天長 6 年(829)。寺伝によると、弘法大師さまがこの地に修行に訪れた時、天から 5 本の剣が降ってきて、山の鎮守である金剛蔵王権現さまから「この山は仏教相応の霊地であ 103


る。伽藍を建て三宝を広めるなら常に擁護しよう」とお告げがあった。 そこで大師さまは 5 本の剣を山に埋め、蔵王権現像を刻んで鎮護とした。五剣山の山号は これに由来する。弘法大師さまは唐へ渡る前に宿願成就を願ってこの山に登ったが、そのと き境内に埋めたのが、八つの栗。帰国後にここを訪れると、八株の栗の木が成長していたこ とから八栗寺と名付けられた。堂宇は戦国時代に焼失後、文禄3年(1594)に本堂が再建され、 江戸時代に入って高松藩主・松平氏が諸堂の再建に力を尽くした。 本堂左手には、延宝 4 年(1676)に建立された聖天堂がある。ここは夫婦二天の歓喜天(聖 天)さまが祀られており、「八栗聖天さん」と呼ばれ、商売繁盛、夫婦円満の神さまとして信 仰を集め���いる。 仏道をならう ということは 自己をならう ということなり 遍路の言葉

仁王門

極彩色の仁王さま

本堂

境内

木立の中に朱塗りの宝物殿があり、その前を通って八栗寺の裏参道を下り、琴電八栗新道 駅で、かわいいピンクの電車を見つけ、思わずデジカメに納めた。よく見ると軽自動車の広 告で「いいね。軽自動車」だった。息子夫婦の乗った「アンパンマン号」はどんなにか楽し い車両だろう…と微笑んでしまう。琴電に沿って2kmほど歩くと。讃岐の志度浦(さぬき 市)にある平賀源内の生家と墓があった。江戸時代の天才・奇人といわれ、その多才振りの 一部を列挙すると *本草学者。鉱物学者。 *小説家としての「源内ぶり」は日本の小説の描写に影響を与えた。 *浄瑠璃の脚本家であり上方のものだった浄瑠璃を初めて江戸言葉で書いた。 *発明家として、量程器(万歩計)・方位磁石・エレキテル・寒暖計などを考案。 *油彩西洋画を始めて描いた。 *アイデア商品の自惚れ鏡(それまでの鏡は銅を磨いた暗いものだったが、ガラスの裏を 黒くする現在と同じ方式の鏡)や源内焼(世界地図やアルファベットなどをデザインし た焼物)などの制作・販売をした。 *コピーライターとしての仕事やうなぎ屋に頼まれて「土用の丑」を提案した。 *日本で最初の博覧会を開催した。 しかしどれも中途半端で成果はいまひとつ。最後は人を傷つけ獄中で病死したという。まさ に天才・奇人である。屋敷前に源内が植えたホルトの木があった。「 松平頼恭公と江戸から 下る折、紀州湯浅の寺でオリーブの木を見つけ、栗林公園に植えた 」と薩摩産物志に載って いるが、ホルトの木と間違えていたという。源内らしいと微笑んでしまう…。 �遍路� 誰��持�� 不倖�

森白象

104


宝物殿

琴電(いいね軽自動車)) ほ だ ら く さ ん せいじょうこういん

平賀源内旧邸

ホルトの木

第八十六番札所 補陀洛山 清 浄 光 院 志度寺 香川県さぬき市志度 1102 087-894-0028 十一面観世音菩薩(秘仏・ 7 月 16 日に開帳) 山号からも知られるように補陀落渡海を目指す霊地だった。創建は古く、推古天皇の時代 (592~628)と伝えられ八十八ヵ所中、最古である。弘仁年間(810~824)に弘法大師さまが訪 れ、霊場としての歴史が始まった。 平安時代末期には観音霊場として名をはせ、「平家物語」などにも登場。室町時代には四国 管領細川氏の庇護を受けて発展するが、戦国時代に兵火により焼失。現存する本堂、仁王 門は寛文 10 年(1670)に高松藩主・松平頼重によって造営された。仁王門には鎌倉時代の 仏師運慶作といわれる金剛力士像が力強く立っている 。 境内には室町時代に造られたという枯山水庭園や弘法大師さまが植えたと伝わる大クス えんまどう

だつ え ば ど う

ノキ、また江戸時代の建築物である閻魔堂、奪衣婆堂など。五重の塔は昭和 50 年に再建さ れたものだが、讃岐の古刹らしい威厳を見せている。本堂には本尊の十一面観世音菩薩さま、 脇侍に不動明王さまと毘沙門天さまがおられる。 境内の片隅には海女の墓がある。謡曲「海女」の原型になった、志度寺に伝わる伝説の海女 だ。奈良時代の公家・藤原不比等は亡き父鎌足を供養しようと、奈良に興福寺建立を発願す るが、唐から送られた宝珠を志度の沖で竜神に奪われてしまう。宝珠を取り戻そうと志度を 訪れた不比等はこの地で海女と恋に落ち、房前という男子が誕生する。海女は宝珠を取り戻 すが命を落としてしまう。愛する海女の死を悲しんだ不比等は海女の墓と小さな堂を建立し て、「志度道場」と名付けた。後年成長した房前は行基菩薩さまとともに母の追善供養のため 寺を拡張し、「志度寺」と改名した。ちなみに海女が命をかけて取り戻した宝珠は奈良興福寺 の本尊釈迦如来さまの眉間に納められているという。 花には 散ったあとの 悲しみはない ただ一途に 咲いた喜びだけが残 っている 門

仁王門

本堂

境内

遍路の言葉

国道 3 号と県道に並行する旧道を南下する。前後して歩いていた和歌山の瀧田さん、札幌 市の角本さん、三重県の門田さんと一緒に歩く。今日の宿は皆「ながお路」であり、明日は 上満出来るだろうという共通の達成感からか、仲間意識が高まるようだ。 滝田さんは「今度こそ歩き通して壮行会の仲間に報告できる。また飲めるぞ」と笑う。思 わず一緒に飲みたくなるほど楽しい人だ。 70 代の角本さんは朴訥とした話し方でお人柄が温かくて笑顔が絶えず、癒し系の楽しい人 だ。懐かしい北海道弁のなまりを聞いて、転勤で過ごした札幌を思い出した。 門田さんは渋くてシャイな人だ。昨年の秋に遍路してその魅力にはまり、春の遍路に来た が今年の秋にまた歩きたいそうだ。紛れもなく『お四国病』に罹っている。それも重症だ。 しかし、そこまでの思い入れがあったとしても実行は難しい。身体頑健はもちろん、お金も 暇も家族の理解も…。羨ましいと思いながら首を振る私の胸のうちを察したのか“僕、シン グルなんですよ”と笑う。なるほど、それならできるかも。 国道 3 号線沿いの町並みの中に『八十七番長尾寺 奥の院』の石柱を見つけ、急ぎ境内に 入り、ひとりでお参りする。藤棚の花房が大きくきれいで境内は芳しかった。先を行く3人 105


を小走りで追いかけた。 ほ だ ら く さ ん かんのんいん

な が お じ

第八十七番札所 補陀落山観音院 聖観世音菩薩(秘仏)

長尾寺

香川県さぬき市長尾西 653

0879-52-2041 「きょうどう

元禄7年(1694)に建てられた仁王門は鐘楼をかねた鐘楼門だ。仁王門の前には「 経 幢 」 と呼ばれる石柱があり、それぞれに経文が刻まれ、「弘安 6 年」、「弘安 9 年」の銘がある。13 世紀後半、蒙古の日本襲来を迎え撃った元寇の役で犠牲となった讃岐の軍人を慰霊するため に建てられたという。 長尾寺の創建は古く、天平 11 年(739)行基菩薩さまが聖観音菩薩像を刻んで小堂に安置し たのが始まりで大同年間(806~810)の弘法大師さまが唐に渡る前に、この地を訪れて唐で の無事と修行の成就を祈願したと伝えられている。 じっしゃ

日車 とど

駐め難く じんかん

人 間変じ易し 空海漢文詩集 『性霊集』

奥の院

奥の院本堂

山門

門柱

源義経の愛妾・静御前の伝説がある。鎌倉で頼朝によって愛児を海に流されてしまった静 御前は諸国をさまよって讃岐のこの寺に着いた。そして奥州平泉で義経が死んでしまったこ とを知って悲しみにくれ、得度を決意。静御前が剃髪した髪を埋めたといわれるのが本堂の 左手前にある静御前剃髪塚。その後、静御前は長尾寺の近くに庵を構え、義経との思い出を 胸に余生を過ごしたといわれる。 弘法大師さまがこの寺で護摩修法を納め、人々に護符(守札)を投げ与えたと伝えられてい る。これにちなんで毎年 1 月 7 日に「大会陽福奪い」が催される。3 本の福棒という宝木を若 者たちが奪いあう祭りで寺の名物行事となっている。 納経所で中年女性が“1 枚でいいから錦札をください。”と頼んでいたが“ご縁のものです よ”と諭されていた。錦札信仰なのだろう。錦札欲しさに納札箱をあさるのはタブーとされ ている。 “夕刻なので…”とご住職が売物のおはぎを皆に接待してくれた。これもご縁かな。 “ありがとう”をたくさ ん 言える人ほど 人生しあわせに なれているように思い ます 本堂

静御前剃髪塚

遍路の言葉

ながお路夕食

門田、角本、瀧田さんと

平成 20 年 5 月 8 日(木) 曇後晴 26℃ 4 時間 25 分:15.1km ながお路を 6 時 50 分に発つ。角本さん、門田さん、瀧田さんと 4 人で大窪寺までご一緒 することにした。コミュニティバスが大窪寺までリュックを運んでくれるというので、バス センターまでお願いに行き、空身で最後の遍路ころがしに挑戦することとなった。 国道 3 号を塚原から鴨部川に沿った遍路道に入り、暫く歩くと前山ダムに着いた。満々と 106


碧い水を蓄えたダムは、あたかも初めからそこに在ったかのように、周りの山並みの緑に溶 け合っていた。ダムに沿った道を廻り込んで 8 時 15 分に前山おへんろ交流サロンへ着いた。 ここで『歩き遍路の認定証』をいただき、山で採れたさくらんぼの接待を受けた。甘くて、 可愛くて、美味しい!鳥に食べられないようにネットをかけて保護したというけれど、さく らんぼにしたらどちらに食べられたほうが良かったかなと思う。せめて蒔いてあげようと少 し種をポケットに入れた。 一休みして前山おへんろ交流サロンを後に、胎蔵峰を通る女体山遍路道を行く。標高 500 mの太郎兵衛の館まで喘ぎながら、一気に山道を登る。しかし、楽しみにしていたのに館は なく案内板のみで気抜けしてしまった。ここから更に谷川を渡り、山を登っては降り、一人 がやっと通れる山道を、ロープや鎖やてすりを伝い、岩場を登って標高 774mまで上がり続 ける。胎蔵峰を過ぎてからは、急な坂を標高 445mまで駆け下る。そこに在る大窪寺は標高 787mの矢筈山の山腹に建つ結願の寺なのだ。 突然、高校生の集団が山道を駆け下りてきて、道端に避けている私たちを追い越してゆく。 50 人ほどであろうか。チェックポイントに先生がおられて、励ましの言葉をかけている。 若者の青臭さと汗の匂い。笑顔で“こんにちはぁー” “もうすぐ大窪寺ですようぅ” “遍路さ ぁん、がんばってぇ” “遠足ですぅ”などといいながら爽やかな風となって吹き抜けていく。 ・・・あんな時代もあったっけ。

前山ダム

遍路道

太郎兵衛の館

ロープ道

女体山遍路道

・悟りとは 菩提心を因となし 大悲を根となし 方便を究竟となす ・菩提とは 謂はく実のごとくに自心を知るなり すなわち…如実知自心 『大日経』住心品第一

い おうざんへんじょうこういん

おおくぼじ

第八十八番札所 医王山 遍 照 光 院 大窪寺 香川県さぬき市多和兼割 96 0879-56-2278 薬師如来(秘仏) 西側の仁王門から境内に入る。寺の歴史は古く、養老元年(717)に行基菩薩さまによっ て創建されたのが始まり。9 世紀の初め、唐から帰国した弘法大師さまがこのあたりの岩窟 で秘法を行った際、に大きな窪のそばに堂宇を建て、薬師如来像を刻んで本尊にしたと伝え られている。中世には 100 以上の堂塔が建ち隆盛を見せたが、天正年間(1573~1592)に 兵火に遭ってほとんど焼失。再建されたのは江戸時代、高松藩主・松平氏が寺領を寄進し堂 宇を再建した。しかし、明治 33 年(1900)にまたも火災に見舞われ、山門以外の伽藍を焼失。 現在の建物はその後、再建されたものである。 山深い緑に抱かれて落ち着いたたたずまいを見せる境内は、結願の寺にふさわしい晴れや 107


かな雰囲気に満ちている。本尊の薬師如来さまは度重なる火災から免れ、秘仏として本堂に 祀られている。本堂には弘法大師さまが納めたと伝わる錫杖もあるが拝観できない。 大師堂は昭和 5 年にたてられたものだが、地下にはミニ四国八十八ヵ所があり、お砂踏み も体験できる。大師堂の右側にあるガラス張りのお堂は宝杖堂。長かった巡礼の旅を終え、 結願したお遍路さんたちが、金剛杖を奉納するところだ。奉納された金剛杖は祈願成就の祈 りをこめて紫灯大護摩で焚きあげられる。 大切なことは 何年生きてきたか ではなく 何をして 生きてきたか ということです 仁王門

本堂

仁王門にて

八十八番結願石柱

遍路結願所

大師堂

遍路の言葉

大師像

境内はさわやかな風が新緑を渡り、鶯が鳴いている。遍路を始めた日から今日まで、後を 追うように鳴いてくれた鶯の声に何度も励まされて歩いたっけ。見守ってくれてありがとう。 バス遍路の団体なのだろうか。遍路道では、高校生のほかは、誰とも会わなかったのに、 どこから沸いてきたかと思うほど参詣の人が大勢いる。それなのに・・・妙に静かだ。ほっと した顔・嬉しそうな顔・疲れきった顔・ぼんやりした顔・・・みな夫々の遍路の日々を思い浮か べ、黙しているからだろうか。 “お参りに行こう”と誰かが言ったので、本堂・大師堂で感謝の心経をお上げする。それ から遍路結願所へ行き、最後のご朱印をいただいた。 …やっと、終わった。四十四日間・1200km… …いいや、もう、終わってしまった…。 すこし胸がキュンとしたが想像していたほど心は動かず、涙も出ない。 澱みのような疲れが眠気とともに重く体中に拡がっていく……終わった…ん。

我等が修行せし様は 忍辱袈裟をば肩に掛け 又笈を負ひ 衣は何時となく潮垂れて 四国の辺道をぞ常に踏む 空海『粱塵秘抄』

108


瀧田さんがお祝いモードで“さあ、乾杯しよう”と晴れやかに言い出し、4 人で茶店に入 りビールで結願を祝った。まずは乾杯!上満おめでとう! ビールがのどに沁みる・・・。味噌煮込みうどんが美味しい・・・。 コミュニティバスの出発までの 2 時間余り、歩いてきた路を、そして日々を想った。

境内

茶店

コミュニティバス

高速バス

荒川さんに電話すると“よく頑張ったなぁ。涙が出てくる。”と労ってくれた。 上原さんは“さすが根性あるなぁ、私たちも 2 回目の区切り打ちを 5 月 8 日から 2 週間で 廻るつもりよ”という。 家で待っている予定だった主人は、なんと“高野山まで迎えに行くから、一緒に奥の院ま で歩こう! それから、温泉へ行って遍路上満のお祝いをしてあげる ”という。“それなら 慈尊院から奥の院まで町石道を、6 時間歩きましょう”と提案したが、文明の利器をなによ りも愛する主人から、あっさりと「却下」されてしまった。 志度高速駅からJR高速バスに乗り大阪へ向かった。私のお四国がぐんぐん遠ざかる・・・ ありがとう!! ありが���う!! すべてにありがとう!! また会う日まで・・・

歩き遍路を始めて 本当によかった なにもかも 今からが わたしの人生の 始まりです 遍路の言葉

109


四国遍路を終え、高野山へ せうらん

『空海、少年の日、好むで山水を渉覧せしに、吉野より南に行くこと一日にして、更に西に向 かって去ること両日程、平原の幽地あり。名づけて高野といふ。計るに、紀伊国伊都郡の南に当る。 じんしょう

四面高嶺にして 人 蹤絶えたり。今思はく、上は国家のおんためにして、下はもろもろの修行者のた くわう そう

めに 荒 藪をかり(刈り)たひらげて、わづかに修禅の一院を建立せむ。』 弘法大師・空海が弘仁七年 (816)に高野山の土地を賜りたいと天皇に上表文を出しているが、その文中で高野山につい て書かれたものだ。宇宙観を自然環境に当てはめて、立体的に造り、密教の心髄ともいえる 曼陀羅世界を、高野山の山上に具現化しようとしていたのだ。 平成 20 年 5 月9日(金) 曇時々晴 25℃ 8 時間 40 分:28.2km 昨日、大窪寺を 1 時 30 分発のコミュニティバスに乗り、JR 高速バスで志度駅から難波へ 着いたが連絡が悪く、そこから南海電車と JR で九度山まで来るのに 6 時間もかかった。岡 田屋のお父さんが紹介してくれた龍王亭についたのは夜の 7 時半だった。ご主人に駅に迎え に来てもらい、おかみさんは遅い夕食を用意してくれていた。この日は私一人の泊まりだと いう。なぜかたぬきの剥製があちこちにおいてあり、そこでひとりで寝るのはたぬきに気が 引けるような、おかしな気持ちがした。 6 時に朝食をいただき、九度山入口から山に入り慈尊院に着いたのは 7 時だった。 前夜、龍王亭のおかみさんがお願いしてくれたので早朝にもかかわらず、納経させていた だけた。あとは奥の院の納経を残すのみとなった。 こうや

べっかくほんざん

じ そんいん

高野 別格本山 慈尊院 和歌山県伊都郡九度山町慈尊院 832 0736-54-2214 弥勒菩薩 弘仁7年(816)、弘法大師さまが高野山開創の時に高野参詣の要所に当るこの地に、表玄 関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司り、年貢の徴収や外部との交渉の場とした寺 務所であり、参詣者の宿泊および冬期の避寒修行の場とされ、高野政所ともいわれた。九度 山の地名は大師さまが月に九度は必ず高野山より山を下って母公を尋ねられたことに由来 する。「わが子の開いている山を一目見たい」との一念を抱きご高齢にもかかわらず、香川県 善通寺より御母公が、大師さまを尋ねようとされましたが七里(28km)四方が女人禁制だっ たので、山麓の当院へ迎えられた。 しかし翌年承和 2 年 2 月 5 日、母公は 83 歳でこの世を去られた。大師さまは本尊の弥勒 菩薩像を篤く崇拝していた母公のために弥勒堂を建て弥勒菩薩像と御母公像を安置された。 慈尊とは弥勒菩薩さまの別名で、これより表向きに、「慈尊院」と呼ばれるようになったとい う。信仰の功徳により、本尊弥勒菩薩さまに化身されたという御母公さまが眠る寺であり、 女性の高野山詣りは慈尊院までとの戒律から、女人禁制の「高野山」に対し、「女人高野」とも よばれるようになった。 ありがたや たかののやまの いはかげに だいしはいまだ おはしますなる 竜王亭夕食

慈鎮(慈円の諡号)

九度山入口 110

町石道案内板

慈尊院


母なくして子なし 子なくして母なし 大師も 御母公あっての 大師なり 慈尊院

境内

本堂

高野より母を訪ねて

大師像

ここから見上げる峰の先に弘法大師さまが居られる金剛峰寺・奥の院がある。いざ! こうやさん

高野山 和歌山県伊都郡高野町 高野山は高野町にある標高約 1,000m前後の山々の総称。平安時代の弘仁 10 年(819 年) 頃より弘法大師空海が修行の場として開いた高野山真言宗、ひいては比叡山と並び日本仏教 における聖地であり総本山金剛峯寺がある。山内の寺院の数は 117 ヶ寺で、多くが宿坊を兼 ねている。 平成 16 年(2004 年)7 月 7 日、熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』と してユネスコの世界文化遺産に登録された。高野山は金剛峯寺の山号でもある。太平洋戦争 当時、海軍航空隊があったところでもある。 地名としての「高野山」とは、八葉の峰(今来峰・宝珠峰・鉢伏山・弁天岳・姑射山・転 軸山・楊柳山・摩尼山)と呼ばれる峰々に囲まれた盆地状の平地の地域を指す(行政上の字 名としての「高野山」もおおよそこれと同じ地域である )。八つの峰々に囲まれているその 地形は『蓮の花が開いたような』と形容されており、仏教の聖地としては大変良い場所であ るとされている。なお高野山という名称の山はない。 弘法大師さまが高野山参詣者のために、慈尊院から高野山上の根本大塔へ至る参詣道の 1 町(約 109m)毎に木製の卒塔婆を建てたという。高野山本街道の道標とされたが、後の鎌 倉時代に御影石の五輪型卒塔婆に立て替えられた。高さは約 3m近くあり、町数を示す文字 のほか、曼陀羅の諸尊を表す梵字と寄進者の願文が刻まれている。 町石は文永二年(1265)から 20 年ほどかけて、安達泰盛らにより建てられた。この町石道 は山上の壇上伽藍までに 180 基、伽藍から奥の院大師廟まで 36 基、都合 216 基となるから、 約 24kmの道のりということになる。 百八十町石と刻んである最初の町石は、慈尊院鎮守社である丹生官省符神社の石段脇に建 っていた。風雪に晒されてでこぼこになった石に触り、無事上がらせていただけるようお願 いしてから山道を進む。時々木漏れ日のさす町石道は人影もなく静かだが、やさしいぬくも りを感ずるのは、母を思って大師さまがここを通われた思いが残っているからだろう。 すべて荷物は おいてゆく 自分自身も 捨てる のですから 相田みつを

丹生官省符神社

(百八十町)

町石道

百六十三町石のところで清見オレンジが 4 個で 100 円と棚に張り紙をした無人売店があっ 111


た。早速買って一服しながら 2 個食べる。霧が立ち込めてきたので先を急ぐ。 9 時に杉木立が美しい六本杉峠に着いた。ここが百三十六町石だから 44 町石を 1 時間 35 分で歩いたことになる。 龍王亭に荷物を預けてきたので少し道が捗っているようだ。峠からの開けた展望に思わず 深呼吸をする。丹生都比売神社と町石道との合流点で、ここで金剛峰寺を遥拝するために鳥 居が並んで建っている。弘法大師さまが建てられたという二つ鳥居だ。ふたつとも高さ6m の花崗岩製で 1 脚の重さは 4.5 トン。現在鳥居に額はないが記録によると丹生大神を祀る丹 生都比売神社の鳥居とされている。

六本杉峠(百三十六町) 町)

光る光る すべては光る 光らないものは ひとつとしてない みずから光らないものは 他から光を受けて光る 坂村真民

二つ鳥居(百二十一

弘法大師にまつわる三石のひとつが袈裟掛石で、弘法大師さまが御袈裟をかけられたと言 われており、この石から先は高野山の清浄結界となる。この石の下をくぐれば長生きできる と書いてあったので、試してみたが途中で抜けなくなりそうなので、より長生きするのは諦 めた。見守り地蔵さんに見送られて次は押上石にきた。弘法大師さまの母公が結界を乗り越 え入山しようとした時、激しい雷雨が火の雨となって襲いかかり、親孝行の弘法大師さまは この大磐石を押し上げ、母公を隠まったといわれている。石に両手の跡が残っている。 二十七町石付近には表面が鏡のように平らで、この石に向かって真言を唱えると心願成就 するといわれている鏡石があった。 町石道は様々に表情を変えて、ひとり歩きの私を楽しませてくれる。 我ありと 感ずる我は 仮の我 まことの我は 命そのもの ヨーガ哲学

町石

袈裟かけ石(六十九町) 見守り地蔵(六十三町)

押上石(五十三

町)

門田さんから電話がはいった。今奥の院にいるが、時間があるので角本さんと金剛峰寺で 待っているという。 そこから町石道を駆けた。朝から 5 時間余り歩いているのに、足は軽やかだ。1 時間半、 歩いたり小走りしたり道を急いだら、主人との待ち合わせ時間より 20 分も早く大門へ着い た。今、どのあたりを走っているだろうかと思いながら、主人の携帯へ発信ボタンを押し、 ふと下の車道に目をやると見慣れたツートンカラーのクラウンが“ぼくだよ~”といって通 り、ウインカーを出して止まった。私は携帯に向かって“今、青いトラックが横を通ったで しょう!すぐ後ろに居ますよ~”と叫んでいた。 …確かに車がしゃべった…と私は思った。お四国だけでなく、必然の出会いがここでもある 112


ことを知った。衝撃的であった… 主人は予定より早く着いたので連絡しようと携帯を手にしたところ、私から電話が掛かっ たという。耳に当てた途端、興奮した私の大声に驚ろき 、『阿吽の呼吸の出会い』だと思っ たそうだ。45 日振りに笑顔を交わす。 大門は、高野一山の総門で、高さ 25.8m法橋運慶作の金剛力士像を左右に安置した重層の 楼門である。現在のものは安永 2 年(1705)に再建され昭和 56 年から解体修理が行われ昭 和 61 年 10 月落慶法要が営まれた国の重要文化財である。 杉・檜の木立の中に、朱色の楼門が威風堂々と聳え立つ姿は、壮観である。

もう安心 あなたの 顔が みえたから 相田みつを

大門(六町石)

金剛峰寺

主人と

門田、角本さんと

金剛峰寺の駐車場に車を止め、門田さん、角本さんと再会し一期一会を感謝してお別れし た。参道の店でカレーライスの昼食を摂った。ここから 3.3km先の奥の院へ主人と向かう。 こんごう ぶ

金剛峯寺 高野山真言宗の総本山で座主の住寺。金剛峯寺は元は高野山全体の称だが、現在金剛峯寺 と呼ばれるのは明治 2 年(1869 年)に 2 つの寺院が合併したもの。もと青巖寺(剃髪寺)と 呼ばれた寺院は文禄 2 年(1593 年)、豊臣秀吉が建立し、文久 3 年(1863 年)に再建された。 歴代天皇の位牌や高野山真言宗管長の位牌を祀っている。大主殿、別殿、新別殿と分かれ ており、別殿では観光客に湯茶の施しがある。 襖に柳鷺図のある柳の間は豊臣秀次の自刃の間。 屋根の上に置かれた防火用の水桶は、かつては高野山全域で見られたが今も置かれている のはここのみ。また、金剛峯寺境内にある「蟠龍庭」(2,340 ㎡)は日本最大の石庭である。 おく

いん

奥の院 弘法大師さまの御廟と灯籠堂がある。 参道には、皇室、公家、大名などの墓が多数並び、その総数は正確には把握できないもの の、20 万基以上はあると言われている。戦国大名の 6 割以上の墓所がある。 奥の院の入り口は一の橋と中の橋の 2 箇所があるが、正式には一の橋から参拝する。一の 橋から御廟までは約 2km の道のりとなっている。その途上には「みろく石」などの七不思議 と呼ばれる場所がある。 奥の院での参詣を終え、納経帳とお軸に最後の朱印をいただいた。 延々と続く墓所の中を通っての帰路、南山堂さんでお軸の生地を選び表装をお願いした。

113


婦たたびは 来たらぬものを 今日の日は ただほがらかに 活きてぞ たのし

奥の院参道の宿坊

中村天風

奥の院入口にて

だんじょう が ら ん

壇 上 伽藍(壇場伽藍) 高野山の中心地。 曼荼羅の思想に基づいて根本大塔、金堂等が配置されている。金堂は高野山全体の総本堂 で高野山での主な宗教行事が執り行なわれる。 また弘法大師伝説のひとつである飛行三鈷杵がかかっていたとされる「三鈷の松」や、高 野四郎(俗称)と呼ばれる大鐘楼も伽藍に存する。 こうやさん れいほうかん

高野山 霊 宝 館 大正 10 年(1921 年) 、開設。

高野山上にある国宝、重要文化財等の保存・展示が行われており、定期的にテーマを絞っ た展示会が開催される。 なお、現在の日本の国宝の 2%は高野山上にあるといわれている。(1073 件中、23 件)。

その夜、伊賀上野で芭蕉の湯にゆったりと入り、旅の疲れをほぐした。 翌日、信楽で焼きものを楽しんだが、その日は大雨で気温も一挙に12℃ 下がり、持参の衣類を全部身に付けたが震え上がった。 一日ずれていたら、町石道は歩き通せなかっただろう…・・・。 諸天諸菩薩さま、弘法大師さま、お加護いただき無事お遍路を 終えさせていただきました。 有縁の皆さまのお陰で、『花曼陀羅』のお四国を歩き通せました。 伏して御礼申しあげます。ありがとうございました。 合掌。

完 114


あとがき

岡田屋のお父さんへ ごめんくださいませ。 七夕を過ぎて気がつくと、5 月 9 日にお四国から戻ってもう 2 ヶ月過ぎてしま いました。 5 月中にはお礼状を送らせていただくつもりでしたのに、心身が遍路モード から解除されるのに長い時間が掛かってしまいました。私にはハードスケジュ ールだったのでしょう。 帰ってから、元の気まで消費してしまったので体が養生に努めたのでしょ うか。1 ヶ月間は赤子のようによく寝て、2 ヶ月目からはよく寝てよく食べて、 元の私に戻ったのは 6 月半ばでした。 ところで私のことを覚えておいででしょうか? そうです!5 月 1 日にお世話になりました竹内郁子さんです。 その節は食事、宿泊、道案内などに心からおもてなし頂き、本当にありがと うございました。いまでも団欒の様子が目に浮かびます。 お陰さまで無事、大窪寺まで上満することができました。 それと若者たちとよいご縁をいただいて、《岩屋寺の副割り禅定》や《石鎚 山の鎖場》もクリアーし、 《捨身ヶ嶽の行場》も行かせていただきました。 すごいと思いませんか!65 歳で低血圧の初遍路なんですよ。自分でも信じ られませんが、行けそうにもないけれど行きたいと願っていたところを、全て 叶えていただけたのはまさに『念ずれば花ひらく…の���四国』だからだと思い ます。 また、帰路に高野山の九度山から町石道を 180 町歩かせていただき、大門で 迎えてくれた主人と阿・吽の呼吸で出会え、奥の院まで参拝することができま した。 6 月には京都の東寺へお礼参りに出掛けさせていただきました。 ああ、それなのに、それなのに、なぜか私の心は晴れないのです。<`~´> 大窪寺または高野山で、『感涙に咽ぶ』『達成感を味わう』『至福に浸れる』 『万歳したくなる』などと先輩達から聞いていたのですが、生来、鈍くさいの か、私はなーんにも感じないのです。 なぜなのだろうと、昼寝をしながら毎日、考え続けました。 ……そして辿 り着いたのは、まだ『私のお四国は終わっていない』という思いでした。 岡田屋のお父さんは「お四国病を移したから、離縁して来年もおいで」と送 り出してくれましたが、もしかしたら、もしかしたら私も不治の病に罹ったの かもしれません。 という訳で、いつの日かご法縁をいただけたら、又、ドラゴンズの手拭を首 に掛けて遍路道に立たせていただくつもりです。その折はお会いできたら嬉し く思います。 大変遅くなりましたがお世話になりましたことを重ねてお礼申しあげます。 ではごきげんよう (^^)/~~~ 115


参考にした本・資料・サイト 『四国八十八ヵ所札所巡りルートガイド』 小林祐一著 メイツ出版 『遍路の風景』 村上護著 愛媛新聞社 『四国遍路ひとり歩き同行二人』 へんろみち保存協会編 『生きる喜び 巡礼の旅・歩き遍路・生き方』 飯田お遍路休憩所 『一生感動 一生青春』 相田みつを著 『中村天風 一日一語』 財団法人天風会編 フリー百科事典 『ウィキぺディア(Wikipedia)』 各寺院寺史、パンフレットなど

四国遍路 花曼荼羅を歩かせていただいて 2009 年 6 月 28 日

発行

著者・発行者・印刷製本 竹内郁子 発行所 〒480-0107 愛知県丹羽郡扶桑町高木白山前 540 TEL/FAX:0587-93-7265


お四国遍路旅(平成20年3月26日~5月10日) 月日他 金額 3/25(火) 490

札所 駅・番外他 時刻 行先  扶桑 21:44 準急 名古屋 名鉄バス 高速バ 6,600 23:00 徳島駅 センター ス徳島 行き 3/26(水) 260 徳島 5:48 JR高徳線 坂東  板野行き

時刻 所要時間・距離 22:11 10分

晴:15℃ 1番 霊山寺 輪袈裟 1500 2番 極楽寺 菅笠 1500 3番 金泉寺 お杖 1300 金泉寺奥の院 お軸 16250 4番 大日寺 納経帖 1890 5番 地蔵寺 道中衣 2310 6番 安楽寺 納札他  500 7番 十楽寺

15分;1.4K 20分;2.6k 45分;2.5K 45分;2.5K 30分;2K 昼食 1H15分;5.3K 15分:1.2K 20分;1.2K 安楽寺宿坊 3/26 4H40分 17:30 20.1K        088-694-2046 1H50分;5.4K 9:30 40分;2.4k

1,400 2,600 2,500 2,500 2,000 5,300 1,200 1,200

11:50 40分:3.8 K

3,800

12:30

13:10 2H55分:9.3K

9,300

14:00 16:05

16:30 5分:0.1K

40人

6,500

3/27(木) 晴:14℃

うどん・焼 芋

8番 熊谷寺

7:00 8:50

9番 法輪寺

10:10

安楽寺宿坊

800 10番 切幡寺 潜水橋(川島)

3/28(金) 晴:14℃

6,500

ふじや

300

ふじや 長戸庵 柳水庵 一本杉 12番 焼山寺 焼山寺奥の院

12人(3) 6,975

なべいわ荘

3/29(土)

なべいわ荘

晴:15℃      6,800 20人

みょうざい 13番 大日寺 14番 常楽寺 15番 国分寺 16番 観音寺

3/30(日) 小雨:11 ℃  日愛うど ん

420

みょうざい 17番 井戸寺

577 18番 恩山寺

6:30 8:05 9:30 10:30 12:40 13:10 15:00

6:06 15分;1.4K

小豆洗 大師

歩行距離

052-582-0489 ・30分前に受 付

7:05 8:00 9:15 10:30 11:20 13:00 14:00 16:15 17:10

安楽寺宿坊

11番 藤井寺 7人(1)

6:20 7:20 8:20 導引大師 10:00 愛染院 11:00 11:50 五百羅漢 15:15 16:30

5:40 5分

その他

1,400

5,400 2,400

昼食 100 ふじや本家旅 16:35 館3/27      6H10分:21K   6H10分;12.7 K 0883-24-2907 12,700 長戸庵 柳水庵 浄蓮庵

昼食

30分2.8K 蔵王権現 13:45 14:25 35分:1.8K 杖杉庵 衛門三郎 15:15 35分:2K 住友産業保養 所なべいわ荘 3/28      7H50分:19.3K

15:50 7:00 13:00 13:10 14:40 15:20 16:10

14:00 15:00 15:50 16:30

6:55

088-677-0181 6H:18.8K 18,800 荷物預け    民宿みょうざ 観音寺迄迎 い旅館3/29     2,300 え        7H30分:26.1K  088-644-0025 10分:2.3K 40分;2.4k 2,400 20分;800M 800 20分;1.8K 1,800

35分;2.8K

7:30 弘法大 師お杖 14:40 釈迦庵

8:00 6H40分:18K 15:05 1H05分:3K 1

2,800 1,800 2,000

観音寺迄タク シー

2,800 18,000 3,000


16:10 お京塚 19番 立江寺 6人(3) 6,300 鮒の里 3/31(月) 鮒の里 小雨後 20番 鶴林寺 曇:9℃  宅配 4人(1) 4/1(火)

850 21番 太龍寺 6,500

曇:14℃ 

龍山荘 龍山荘 22番 平等寺 弥谷観音

16人(1)

5,800 23番 薬王寺 薬師会館 薬師会館

4/2(水) 晴:17℃

740 3人(1) 4/3(木) 晴

7,000

はるる亭 はるる亭

450 6人(1) 4/4(金) 晴 海洋丸 供養 札 サングラス

6,700

徳増 780 3,000 24番最御崎寺 1,000 25番 津照寺 1,000 26番金剛頂寺 5800

4/5(土) 晴

780

UVクリーム

きんしょう

4/6(日) 晴

820

きんしょう

4人(1)

6300

4/7(月) 晴 牛丼 居酒屋

17:05 6:45

450

龍山荘3/31 9H05分:24.3K 16:40 0884-25-0658 2H30分:7.7K 6H・13.3K

9:10 月夜御 水庵 11:40

9:35 7H05分:21K

16:40

29番 国分寺 3,800 30番 善楽寺

0884-25-0658

3,800 7,700 21,000

薬王寺参籠所 薬師会館4/1 9H35分:28.7K

17:30 17:30

7:00

10H10分:32.8K

鯖瀬大福食堂

13:30 19.7K 17:10

7:00 10:00 古目大師 10:30 東洋大師 11:40 ゴロゴロ海岸 14:15 佛海庵

28,000

9.2K 12:00 15:25 21.4K 3H:14.2K 10分:1.2K 25分:0.8K 1H40分:6.5K 55分;3.8K 10分:0.5K

民宿徳増4/3 10H30分:28.0K 0887-27-2475

14,200 1,200 800 6,500 3,800 500 金剛頂寺4/4        17:50 6H:18.7K 6H20分・27K   0887-23-0026 7H20分:24.5K 24,500 14:10 1H40分:4K 荷物置く 4,000 16:30 1H25分:4K 4,000 民宿きんしょう 17:55 4/5        10H25分・ 9H20分:24.5K 0887-38-7890 32.5K 24,500

11:00 5H:16.2K 11:15 14:00 16:15 17:40

6:30

7:00 9:30 12:00 13:40 16:25

32,800

はるる亭4/2 10H10分 0884-76-2282

9H30分 :28.0K

16:30 7:00 10:00 御蔵洞 11:10 観音窟 11:40 15:40 17:10 御霊跡

0884-77-1105

10:05 11.9・17.0K

爪堀薬師堂

住吉荘

松本遍路小屋

6,500

15:10 1H30分 ;3.8 K

6:40

600 14,000

12:40 11:45 3H;6.5K

14:45

八流山 住吉荘 28番 大日寺

1,100 鮒の里3/30 8H5分:25.5K 08853-7-1127

4H35分:14K

11:20 大井休 憩所

金剛頂寺 6:50 きんしょう 980 27番 神峯寺 15:50 6,500

3人(1)

16:55 10分:0.6K

徳増 御蔵洞

26人

16:40

小松・草 11:00 鞋 11:25 牟岐警 察接待 12:40 所 鯖大師

550

16:20 20分:1.1K

2H;6K 2

15:50 3H30分:12.8K 住吉荘4/6 9H20分:24.5K 2H30分:10.6k 0887-55-2945 10:15 3H25分:10K 12:45 14:10 2H15分:6.9K 16;55 55分:3.5K 高木さん車

10,600 10,000 6,900


6人(1)

5,400

17:50 2H;7.5K

たかす 善楽寺

3H10分:4K 2H55分:7K 30分 12:05 2H25分:5.7K

7:40 8:25 牧野植物園 10:30 喫茶 31番 竹林寺 11:20 735 食堂 32番禅師峰寺 14:30 種崎渡船場 17:15 500

4/8(火) 晴

うどん 蜜柑 10人(3)

たかす

7,000

文旦

高知屋 33番 雪渓寺 230 34番 種間寺 12,490 35番 清瀧寺

20人

7,350

奥の院不動堂

36番 青龍寺 7,000 4/11(金) 6,500 晴 1,970

岬旅館 岬旅館

5,800 37番 岩本寺 4/12(土)

岩本寺宿坊

晴         6000 6人(2)

民宿日の出

4/13(日)

民宿日の出

700

17:50 7:10 7:15 8:35 12:20 7:00 7:30

4/15(火) 6,000

久百々

9H10分:29.2k

7:00 11:20 七子峠

鶴の屋 39番 延光寺 40番観自在寺

高知屋  4/8     8H03分:19K 088-841-3074 6,300 9,800 12,900 三陽荘  4/9       8H30分:29K 088-856-0323 1,700 700 岬旅館4/10 29,300 10H10分: :31.7K 0889-42-4591 29,200

16:40

7:15

9H30分 31.1K

7:00

17:10

30,900

31,100

民宿久百々 4/13  10H10 9H30分 30.2K 分:31.1K 0880-84-1664   荷物置いて打戻 民宿久百々

7:20 19.6K 14:40 19.6K 17:00

7:00 10:50

11K バス 8,600 バス 民宿久百々 4/14 9H40分:8.6K 0880-84-1664  

11H:33.1K   9K車に乗る 24,100 民宿鶴の屋 11:00 4/15    4H:24.1K      5分:0.3K 0880-66-0077 300 7:35 8H25分:25.8K 25,800 16:50 10分:0.2K 200

鶴の屋 4/16(水) 5,800

6,300

岩本寺宿坊 4/11      8H30分:29.2K 9H55分:30.9K 080-44-1483 民宿日の出 4/12 9H30 17:10 分: 30.9K 0880-44-1483

16:10

6:30 7:00 11:00

久百々

8:30 9H20分:29.3K 17:50

6人(2) 6,000 久百々 4/14(月) 久百々 バス 620 真念庵 バス 1,190 38番金剛福寺

6,000

30分:1.7K 20分:0.7K

7:50

14:00

5人(2)

7:25 1H10分;6.3K 9:00 3H20分 9.8K 13:10 4H;12.9K 17:50

真念庵

田子作

15:07 2H43分;6.3K 17:20 5分;1.4K

三陽荘 三陽荘

4/10(木) 曇

5,700

12:30

高知屋

4/9(水) 小雨:15℃

ホテル土佐路 ・たかす夕食 無4/7      8H10分:27.5K   088-882-7700 車で戻る 7,000

7:05 7:10 16:00

3


7,000

山代屋

4/17(木) 1,000 じゃこ天 3,600

山代屋 柳水太師

7,160

大畑旅館 大畑旅館

4/18(金)

龍光院 41番 龍光寺 42番 仏木寺 6,500 4/19(土)

食事

4/20(日) 1,000 パン 530

400 6,500 4/21(月) 生協

6:25 11:10 清水大 師 7:00

16:55

馬目木 大師

16:35 6:15 8:00 8:20 9:40 10:30 16:00 佛陀懸山 札掛大師 堂

だいいち だいいち 十ヶ夜橋 千人宿記 念大師堂

6:10 7:20

徳岡 鴇田峠 820 44番 大寶寺

でんご 和佐治

供養

9,000 45番 岩屋寺 6,200

4/23(水)

6,825 4/24(木)

門田屋 門田屋 岩屋寺 門田屋 網掛石 46番浄瑠璃寺

6:25 11:30 12:20

25,500 2,700 600

民宿とうべや 4/18       8H10分:28.8K 2H15分:5.2K 0895-58-2382

5,200 4,800 19,300

足湯 BHだいいち 17:00 10H:30.6K 4/19      10H25分: 1H10分:3.9k 0893-24-5156 7:40 9H20分:23.3K

3,900 23,300

徳岡旅館4/20 10H30分: 5H55分:20.3K 0892-52-2519 :27.2K

20,300

30分:2K

7:10 7:40 10:40 於久万大師

5:00 赤不動

門田屋

7:00 15:00

2,000 やすらぎの宿 15:30 でんご4/21          6H25分:22.3K    3H30分:10.4K 10,400 岡さん 門田屋旅館 4/22     16:50 10分:0.6K 600 3H40分:11K    0892-57-0801 17:00 10:00 30分:2K 2,000 6:00 8H55分::30.1K 30,100 15:40

長珍屋 長珍屋 47番 八坂寺 48番 西林寺 49番 浄土寺 50番 繁多寺 51番 石手寺

大畑旅館4/17 10H30分: 24.5K 7H25分 :25.5K 0895-32-2121

1H20分:4.8K 10:10 6H50:19.3k

17:00

楽水大師

でんご 4/22(火)

24,500

15:20

徳岡

500

山代屋旅館 4/16       8H30分:26.3K 7H30分 24.5K 0895-72-0001

11:25 11:40 14:25 15:10 35分:2.7K 送迎庵・見 導引大師・      15:45 送り大師 白王権現 16:25 10分:0.6K

とうべや

とうべや 歯長峠 導引大師 43番 明石寺 宇和駅 1,000 臥龍の湯 5,300

16:50

15:55 6:55 7:20 8:50 10:30 11:40 13:00

札始大師堂 杖ノ淵公園

4

7:40 9:40 11:05 12:20 13:40

25分:0.8K 10分0.7k 50分:3.5K 35分:1.6K 40分:2.8K 2H45分:11.1K

長珍屋4/23 9H25分::32.1K 089-963-0280

800 700 3,500 1,600 2,800 11,100


52番 太山寺 7,500

5,100 4/26(土) お供え

17:00 45分:2.6K

民宿上松 民宿上松 53番 円明寺 養護院 遍照院

4/25(金)

16:25

17:45 6:30 6:35 10:30 鎌大師 13:50 青木地蔵

5分 0.1K 11:20 17:30

ますや 1,300 54番 延命寺 1,000 55番 南光坊 56番 泰山寺 57番 栄福寺

6:00 8:30 10:55 14:30 15:20

9:55 13:00 14:45 15:45

5,800 58番 仙遊寺

16:30

17:00

4/27(日) 仙遊寺 8:10 ろうそく 500 59番 国分寺 9:30 臼井御来迎 13:30 日切大師 祈祷 1000 お供え 1,000 法安寺 15:20

10:00

香園寺 白滝奥の院

60番 横峰寺 星が森 河口

4/29(祭) バッジ

食事 カード

4/30(水) 食事

8,200

白石旅館

600 500

白石旅館 石槌神社

62番 宝寿寺 1,150 63番 吉祥寺 2,480 64番 前神寺 4,380

玉の家

400 700

玉の家

4,500 5/1(木) 曇

曇後晴:24℃

6,100 20,000

16:00

16:50 17:20 7:30 8:05 11:00 13:00 14:40 今宮道

5H:9.6K

成就社

6:00

4K 4K

石槌山山頂

11:40 13:40 14:20 15:10

香園寺4/27 8H10分::26.1K 0898-72-3861

12:00 1H:0.6K 14:40 1H40分:4.3K 17:10 2H50分:5.6K 17:30

9,600 600 4,300 5,600

石槌山白石旅 館4/28 9H30分:20.1K 0897-59-0032

4,000 4,000

車の接待

ロープウェイ

14:00 20分:1.4K 14:40 30分3.2K 15:40 1H20分: 4.3K 17:00

5:50

1,400 3,200 4,300

BH玉の家 4/29 10H10分:31.5K 0897-55-3149 7H50分:16.9K

31,500

YH新長谷寺   4/30        10H10分: 2H30分:10.1K 0896-25-0202  31.5K     10,100 9:00 3H:6K 4/30 9H:30K 6,000 12:50 1H55分:7,1K 7,100 民宿岡田   14:45 5/1       7H25分:23.2K 1H10分:5K 0883-74-1001 5,000 8:50 3H10分::9.4K 9,400

新長谷寺

16:00 6:00 8:30 常福寺 12:00

岡田

7:00 8:10 琴弾八幡宮 15:15 ネーブル 8,400 67番 大興寺 12:00 68番 神恵院 15:20 5/2(金)

3,900 3,400 3,000 3,100 2,400

トラックステーション

新長谷寺 400 65番 三角寺 椿堂 6,000

ますや旅館 4/25 11H:30.7K 2H30分: 3.9K 089-993-0021 1H::3.4 K 道を間違う 1H30分:3K 35分:3.1K 45分:2.4K 仙遊寺   4/26         1H20分::6.1 K 0898-55-2141 6H20分:15.8K 6H50分:20K

13:50

香園寺 4/28(月)

100 30,600

10H55分:30.6K

ますや

7,100 61番 香園寺

2,600 民宿上松4/24   6H10分:23.1K  089-921-5395

岡田 66番 雲辺寺

12:50 2H30分:8.7K

8,700 68・69境内同 じ

5


送料

640 69番 観音寺 5,700

5/3(祭) 晴:25℃

500

白梅 白梅 70番 本山寺 71番 弥谷寺 72番曼荼羅寺 74番 甲山寺

6,825 5/4(祭) 晴:25℃

門先屋 門先屋 捨身ヶ嶽禅定 73番出釈迦寺 門先屋旅館

75番 善通寺本堂 善通寺駅 金刀比羅宮

琴平駅 7,405 5/5(祭) 晴:25℃

魚勘旅館 魚勘旅館 76番 金倉寺 77番 道隆寺 78番 郷照寺 79番 高照院 80番 国分寺

5,000

あずさ

5/6(火) 晴:25℃

1,200

あずさ 81番 白峯寺 82番 根香寺 83番 一宮寺

あかね食堂

1,000

円成庵

4,000

かすが

5/7(水) うどん

かすが 84番 屋島寺 1,100 85番 八栗寺 12,200 86番 志度寺 87番 長尾寺 6,500

5/8(木)

300

ながお路 ながお路 おへんろ交流サロン

88番 大窪寺 大窪寺 志度高速 難波 橋本 7,000 龍王亭 龍王亭 慈尊院 六本杉峠 200 3,600 770

5/9(金) 曇:25℃

16:20 30分:1.7K

見守り地蔵

大門

16:50 6:00 8:00 枯木地蔵 11:00 足湯 12:00 15:00 16:00

2H:12.7K 8:40 4H:11.3K

1,700 白梅本館5/2     7H20分::24.8K 0875-25-9891 12,700 11,300

13:40 1H20分:3.1K 15:30 30分:2.2K 1H15分3.7K 16:40 40分:2.2K 門先屋旅館 17:20 5/3 4:30 40分:2K 8H30分::31.5K 0877-62-2337 5.10 6:30 30分:1.4K 7:00 7:20 10分:0.6K 7:30 ミニ88ヵ所 8:00 40分:2K 8:00 観智院 御影堂 11:30 30分:1.4K 12:00 JR予讃線 琴平駅 12:15 40分:2K 14:00 15:30 40分:2K 16:06 JR予讃線 善通寺 16:06 50分:1.4K 駅 魚勘旅館5/4  16:46 6H40分12.8K 6:40 50分:4 K 0877-62-0585 7:30 8:00 45分:3.9K 8:45 9:15 1H45分:7K 11:00 11:30 1H20分 :5.8K 12:50 13:20 2H:6.9 K 15:20 15:50 20分:0.8K あずさ5/5 16:10 7H::28.4k 6:40 2H:6.6K 087-874-0273 8:40 9:00 1H40分:5K 10:40 11:00 4H:11.9K 15:00 15:20 1H10分:5.1K 六字明 16:30 17;30 2H30分:7.4K 多肥上町887-2 王(黒字 天) BHかすが5/6 20:00 11H20分:36K 6:00 1H40分:4.1K 087-841-2288 7:40 屋島御加持水 食わずの梨 8:15 2H45分:5.4K 11:00 地蔵寺 11:30 2H10分:6.5 K 13:40 14:00 1H50分:7K 15:50 16:30 5分:0.1K ながお路5/7 16:35 8H30分: 4H25分:15.1K 079-52-3084 6:50 玉泉寺 23.1K 胎蔵峰 女体山 11:15 13:30 13:30 コミュニティバス 志度高速 14:39 14:52 JR高速バス 難波 17:41 18:20 南海電 橋本 19:14 19:17 JR 九度山 19:27 車 19:35 0.5K:10分 龍王亭 6:30 2K:30分 0736-54-2328 5H10分:19.6K 7:00 展望台 8:00 9:00 二ツ鳥 9:30 11:20 居 13:10 6

3,100 2,200 2,200 2,000 1,400 600 2,000 1,400 2,000 2,000 1,400 4,000 3,900 7,000 5,800 6,900 800 6,600 5,000 11,900 5,100 7,400   4,100 5,400 6,500 7,000 100 15,100

500 2,000 19,600


100,000

金剛峰寺 高野山奥の院 金剛峰寺

16,000

ウェルサンピア

5/10(土) 2,100 雨:13℃

ウェルサンピア

1H30分:3.3K

13:40 14:50

16:10 1H30分:3.3K

3,300

伊賀上野 芭蕉の湯 19:00 9:00 信楽

自宅 納経 賽銭 その他

3,300 金山堂

19:00

75,000 20,000

5,000 歩行キロ数

628,242

7

1,130,200


四国遍路~花曼陀羅を歩かせていただいて~06