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四国遍路

花曼荼羅を歩かせて いただいて


さんごうしいき

空海 24 歳著『三教指帰』序 (口語訳) あ と の す く ね おおたり

私は十五歳の時、母方の叔父である阿刀宿禰 大足について儒学を学ん だ。師をひたすら尊敬し、喜んでよく付き従った。十八歳になると大学 に入り、ますます猛烈に勉強したものだ。 ところでその頃、私は一人の出家者と知り合った。 こくうぞうぐもんじほう

その彼が、私に虚空蔵求聞持法を教えてくれた。そのことの出ている お経には、 「もし人が作法どおりに虚空蔵菩薩の真言 ノウボウアキャンシャギギャラバヤ

オム

ア リ

キ ャ マ リ ボ リ

ソ ワ カ

【 南牟阿迦捨掲婆耶・ 唵・阿利・迦麼唎慕唎・莎嚩訶】 を百万遍唱えれば、すべての経典を暗記することができる」と記してあ る。 これは、仏陀のいつわりのない言葉だろう。そう信じて、木をこすって 火を出すように寸時も求聞持の行法をおこたらず、常に精進努力した。 たいりょうだけ

ある時は阿波の 大 瀧 嶽(現在の第二十一番札所舎心山大龍寺)によじ 登った。ある時は土佐の室戸崎(現在の第二十四番札所室戸山最御崎寺) で座禅をした。 すると成果があらわれて、虚空蔵菩薩の応化身といわれる明星が出現 した。 こうした修行をつむうちに、立身出世や金持ちになることが、だんだ ん疎ましいことのように思えてきた。 そして、俗塵を離れた山林暮らしに憧れるようになった。軽やかな衣 服、肥えた馬、速車、そういう贅沢な生活を見ると、無常迅速どうせは かなく消えてゆくのにと嘆きの気分になってしまう。 身なりのみすぼらしい人を見ると、何か原因があるのだろうかと哀れ むのである。 このように目に見えるものすべては、私が仏道に入ることをすすめるの だ。 何人も風をつなぎ止められないように、誰も私の出家の志を思いとど まらせることは出来はすまい。


発心の道場(第一番霊山寺~第二十三番薬王寺)・阿波(徳島県)・・・・・・・・・・・・・ ・・・1 第一番札所

じ く わ さ ん いちじょういん

りょうぜんじ

竺和山 一 乗 院

霊山寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1

にっしょうざん むりょう じゅいん

ごくらくじ

第二番札所

日 照 山 無量寿院

極楽寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2

第三番札所

亀 光 山 釈迦院

き こうざんしゃかいん

こんせんじ

こくがんさんへんじょういん

第四番札所 第五番札所 第六番札所

第八番札所 第九番札所 第十番札所 第十一番札所

第十三番札所

黒厳山 遍 照 院

第十五番札所

愛 染 院・・・・・・・・・・・・・・・・2

大日寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 じぞうじ

無尽山 荘 厳 院

地蔵寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4

おんせんざん る り こ う い ん

あんらくじ

温 泉 山 瑠璃光院

安楽寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 じゅう ら く じ

光 明 山 蓮華院

十 楽寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6

ふ みょうさんしんこういん

くまたにじ

普 明 山 真光院

熊谷寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7

しょうかくさん ぼだいいん

ほうりんじ

正 覚 山 菩提院

法輪寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8

とくどさん かんちょういん

きり は た じ

得度山 灌 頂 院

切 幡寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8

こんごうさんいちじょういん

ふじいでら

金剛山 一 乗 院

藤井寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9 しょう さ ん じ

摩盧山性 寿 院

おく

いん

焼 山寺・ 奥の 院・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11

おおくりさん けぞういん

だいにちじ

大 栗 山 花蔵院

大日寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13

せいじゅさんえんめいいん

第十四番札所

あいぜんいん

むじんさん しょうごんいん

まろさんしょうじゅいん

第十二番札所

いんきんけいざん

だいにちじ

こうみょうさん れんげいん

第七番札所

おく

金泉寺・ 奥の 院 金 鶏 山

じょう ら く じ

盛寿山延命院

常 楽寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13

やくおうさんこんじきいん

こくぶんじ

薬王山金色院

国分寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14

こうようさんせんじゅいん

かんのんじ

第十六番札所

光耀山千手院

観音寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15

第十七番札所

瑠璃山 真 福 院

井戸寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16

ぼようさん ほうじゅいん

おん さ ん じ

第十八番札所

母養山 宝 樹 院

る り さ ん しんぷくいん

第十九番札所

い ど じ

恩 山寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16

きょうちさんま に い ん

たつえじ

橋池山摩尼院

立江寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・.・・・・17

りょうじゅさんほうじゅいん かく り ん じ

第二十番札所 第二十一番札所 第二十二番札所

霊 鷲 山 宝 珠 院 鶴 林寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18 しゃしんさんじょうじゅういん

たいりゅうじ

舎心山 常 住 院

太 龍 寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・19

はくすいさんいおういん

びょうどうじ

白水山医 王 院

平 等 寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20

いやだにかんのん

番外札所

弥 谷 観 音・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21

第二十三番札所

医 王 山 無 料 寿寺 薬王寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・22

番外札所

明徳寺・ 東 洋 大師・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・23

い おうざんむりょう じ ゅ じ やくおうじ

めいとくじ とうよう た い し み く ら どう

御蔵 洞・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・24 番外札所 修行の道場(第二十四番最御崎寺~第三十九番延光寺)・土佐(高知県)・・・・・・・・・・・・ 25 第二十四番札所 第二十五番札所

むろとさん みょうじょういん

ほつみさきじ

室戸山 明 星 院

最御崎寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25

ほうじゅさんしんごんいん

しんしょうじ

宝珠山真言院

津 照 寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・26

りゅう ず さ ん こうみょういん

第二十六番札所

龍 頭山 光 明 院 ちくりんさん じぞういん

第二十七番札所

竹 林 山 地蔵院

こんごうちょうじ

金 剛 頂 寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・26

こうの み ね じ

神 峯寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・28

ほっかいさんこうしょういん

だいにちじ

第二十八番札所

法界山 高 照 院

大日寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・29

第二十九番札所

魔尼山 宝 蔵 院 ど ど さ ん とうみょういん

ぜんらくでら

第三十番札所

百々山 東 明 院

善 楽 寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・31

ま に さ ん ほうぞういん

こくぶんじ

国分寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・30

ま き の しょくぶつえん

牧野 植 物 園 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・31


いしづちじんじゃ

石 鎚 神 社・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・74 第六十二番札所

てんようさんかんのんいん

ほう じ ゅ じ

天養山観音院

宝 寿寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・76

みっきょうさんたいぞういん

第六十三番札所 第六十四番札所

きちしょうじ

密 教 山 胎蔵院

吉 祥 寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・77

いしづちさんこんじきいん

まえがみじ

石鉄山金色院

前神寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・77

しんはせでら

ユースホステル

新長谷寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・79

第六十五番札所

由霊山慈損院 三角寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・80

ゆれいさんじそんいん さんかくじ ほう ち さ ん

じょう ふ く じ

つばきどう

番外札所 邦 治山 常 福寺( 椿 堂 )・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・80 涅槃の道場(第六十六番運寺~第八十八番大窪寺)・讃岐(香川県)・・・・・・・・・・・・・・・・・ 82 第六十六番札所

きょごうさんせんじゅいん

うん ぺ ん じ

巨鼈山千住院

雲 辺寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・82

こ ま つ お さ ん ふどうこういん だいこうじ

第六十七番札所

小松尾山不動光院 大興寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・83 ことひきはちまんぐう

番外霊場

琴 弾 八 幡 宮・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・84 しっぽうさん

第六十八番札所 第六十九番札所 第七十番札所 第七十一番札所

しん ね い ん

七宝山

神 恵院・・

しっぽうさん

かんのんじ

七宝山

観音寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・85

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・84

しっぽうさんじほういん

もとやまじ

七宝山持 宝 院

本山寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・85

けん ご ざ ん せんじゅいん

いや た に じ

剣 五山 千 手 院

弥 谷寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・86

が は い し さ ん えんめいいん

ま ん だらじ

第七十二番札所

我拝師山 延 命 院

曼荼羅寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・87

第七十四番札所

医 王 山 多宝院

い おうさんたほういん

こう や ま じ

甲 山寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・88

がはいしさんぐもんじいん

しゅつ し ゃ か じ

第七十三番札所

我拝師山求聞持院 出 釈迦寺・奥の院捨身ヶ嶽禅定・・・・・・・・・・・・・・・・90

第七十五番札所

五岳 山 誕 生 院

ご がくやまたんじょういん こ

ぜんつうじ

善通寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・90

ひ ら ぐ う

金刀比羅宮・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・92 第七十六番札所

けいそくさんほうどういん

こんぞううじ

鶏足山宝幢院

金 倉 寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・93

そう た さ ん みょうおういん どうりゅうじ

第七十七番札所 第七十八番札所

桑 多山 明 王 院 道 隆 寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・94 ぶっこうさんこうとくいん

ごうしょうじ

仏光山広徳院

郷 照 寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・95

きんかざん こうしょういん てんのうじ

第七十九番札所 金華山 高 照 院 天皇寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・95 第八十番札所

はくぎゅうさんせんじゅいん

こくぶんじ

白 牛 山 千手院

国分寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・97

りょうしょうさんどうりんいん

第八十一番札所

あおみねさんせんじゅいん

第八十二番札所 第八十三番札所

しら み ね じ

綾 松 山 洞林院

白 峯寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・98 ね ころじ

青峰山千手院

根香寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・98

しんこうさんたいほういん

いちの み や じ

神毫山大宝院 えんじょうあん

一 宮寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・99

た ひ かんのんどう

円 成 庵(多肥 観 音 堂)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・100 なんめんさんせんこういん

やしまじ

第八十四番札所

南面山千光院

屋島寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・102

第八十五番札所

五 剣 山 観自在院

第八十六番札所

補陀洛山 清 浄 光 院 ほ だ ら く さ ん かんのんいん

ながおじ

第八十七番札所

補陀落山 観 音 院

長尾寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・105

第八十八番札所

医王 山 遍 照 光 院

こうや

べっかくほんざん

高野

別格本山

ご けんさんかんじざいいん

や くりじ

八栗寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・103

ほ だ ら く さ ん せいじょうこういん

い おうざんへんじょうこういん

し ど じ

志度寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・105 おおくぼじ

大窪寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・107

じ そんいん

慈 尊 院・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・110

こうやさん

高野山・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・111 こんごう ぶ じ

金 剛 峯寺・奥の院・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・113


第三十一番札所

ごだいさん こんじきいん

ちくりんじ

五台山 金 色 院

竹林寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・32

はちようさんぐもんじいん

第三十二番札所

ぜんじ ぶ じ

八葉山求聞持院 禅師峰寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・33 こうふくさん

せっけいじ

第三十三番札所

高福山

雪渓寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・34

ほんおやま すざくいん

たねまじ

第三十四番札所

本尾山朱雀院

種間寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・34

第三十五番札所

医 王 山 鏡 池院

清 滝 寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35

とっこさんいしゃないん

しょうりゅうじ

い おうさんきょう ち い ん

きよたきでら

おく

いんふどうどう

第三十六番札所

独鈷山伊舎那院

青 龍 寺・ 奥の 院 不動堂・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・36

ふじいさんごちいん

いわもとじ

第三十七番札所

藤井山五智院

岩本寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・38

いちのせさん

しんねんあん

番外札所

市野瀬山

真 念 庵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・41

さださんほだらくいん

第三十八番札所 第三十九番札所

こんごう ふ く じ

蹉陀山補陀洛院

金 剛 福寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・41

しゃっきさんじさんいん

えんこうじ

赤 亀 山 寺山院

延光寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・43

へいじょうさん やくしいん か ん じ ざ い じ

第四十番札所 平 城 山 薬師院 観自在寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・44 りゅうこういん

番外札所

臨海山 龍 光 院 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・46 いなりさん ごこくいん

りゅうこうじ

第四十一番札所

稲荷山護国院

龍 光 寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・47

いっかさんびるしゃないん

第四十二番札所

ぶつ も く じ

一王果山毘盧舎那院 佛 木寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・47 げんこうさんえんじゅいん

めいせきじ

第四十三番札所

源光山円手院

明石寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・49

番外札所

十夜ヶ橋・大師堂 永 徳寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・50

第四十四番札所

管生山大覚院 大寶寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・52

と よ がは し

たいしどう えい と く じ

す ごうさんだいがくいん

第四十五番札所

たいほうじ

かいがんさん

いわやじ

海岸山

岩屋寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・53

あみかけいし

網 掛 石・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・56 い おうさんようじゅいん

第四十六番札所 第四十七番札所

医王 山 養 珠 院

じょうるりじ

浄瑠璃寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・56

くまのさん みょうけんいん

やさかじ

熊野山 妙 見 院

八坂寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・57

もんじゅいんとく せ い じ

番外札所 第四十八番札所 第四十九番札所

文 殊 院 徳 盛寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・58 せいりゅうさんあんよういん

さいりんじ

清 滝 山 安 養院

西林寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・58

せいりんさんさんぞういん

じょうどじ

西林山三蔵院

浄土寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・59

ひがしやま る り こ う い ん

はんたじ

第五十番札所

東 山 瑠璃光院 くまのさん こくうぞういん

いしてじ

第五十一番札所

熊野山虚空蔵院

石手寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・60

りゅううんさん ご じ い ん

たい さ ん じ

第五十二番札所 第五十三番札所 第五十四番札所 第五十五番札所

繁多寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・59

瀧 雲 山 護持院

太 山寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・61

す が さ ん しょうちいん

えんみょうじ

須賀山 正 智 院

円 明 寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・62

ちかみさん ほうしょういん

えんめいじ

近見山 宝 鐘 院

延命寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・64

べっ く さ ん こんごういん

なんこうぼう

別 宮山 金 剛 院

南 光 坊・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・65

きんりんさんちょくおういん

たいさんじ

第五十六番札所

金輪山 勅 王院

泰山寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・66

第五十七番札所

府頭 山 無 量 寿 院

ふ とうざんむりょうじゅいん

さ れいさんせんこういん

第五十八番札所 第五十九番札所 第六十一番札所 第六十番札所

作礼 山 千 光 院

えい ふ く じ

栄 福寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・66

せんゆうじ

仙遊寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・67

こんこうさんさいしょういん

こくぶんじ

金光山 最 勝 院

国分寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・68

せんだんさんきょうおういん

こう お ん じ おく

栴檀山 教 王院

香 園寺・ 奥の 院 白 滝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・70

いんしらたき

いしづちさんふく ち い ん

よこ み ね じ

石 鉄 山 福 智院

横 峰寺・ 奥の 院 星ヶ森・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・71

おく

いんぼしがもり


発心の道場(第一番霊山寺~第二十三番薬王寺)・阿波(徳島県) 『夫レ四国遍礼ノ密意ヲ云ワバ、四国ハ大悲胎蔵ノ四重円壇ニ擬シ、数多ノ仏閣ハ十界皆 成ノ曼荼羅ヲ示ス…』江戸時代の遍路絵図に刷り込まれた言葉である。遍路は胎蔵曼荼羅に 擬されたもので、その円環的世界(連続的変形が加えられても構造の本質は変化しない)を さあ、歩き始めるのだ! 平成 20 年 3 月 25 日(火) 晴:平成 20 年 3 月 26 日(水)晴:15℃ 4 時間 40 分 20.1km 名古屋発 23 時の夜行バスに乗り、5 時 40 分に徳島に着いた。JRに乗り換え、板東駅で 降りたのは蒲郡から来たという鈴井陽太さんと私の二人だけだった。駅で朝食を食べてから、 一番の霊山寺へ歩きながら、鈴井さんは 3 度目の遍路で今回はテントなど 13kgの荷物を背 負い、野宿をしながら番外も併せて 108 ヶ寺を5月半ばまで掛けて打つ予定とのこと。希望 退職で早期に辞めたので、夢だった野宿遍路を 1 年かけて準備し、お杖も自家製で納経帳も インターネットで番外込みのものを特注したといわれる。すごいなーと感心する。 道筋のお遍路マークを辿りながら、この目印が八十八番の大窪寺まで手引きしてくださる と思うと心強く、なんだか大きく見えてくる。 じ く わ さ ん いちじょういん

りょうぜんじ

第一番札所 竺和山一乗院 霊山寺 徳島県鳴門市大麻町坂東 126 088-689-1111 釈迦如来(秘仏) 霊山寺から 1.5km程の裏山麓に建つのが荘重豪華な大麻比古神社で航海の守護神として 崇められ、後に阿波一宮となり「大麻さん」の名で親しまれている。霊山寺はこの神社の別 当寺である。霊山寺の壮大な山門をくぐると右手に池があって太子堂、左手には多宝塔、正 面に延びる参道沿いには十三仏堂があり、その先に本堂がある。創建は天平年間(729~749) に聖武天皇の勅願により行基菩薩さまによって開かれ、弘仁 6 年(815)に弘法大師さまが釈 迦如来像を刻んで本尊にしたという。門前のみやげ物店がまだ開いておらず、納経帳・お軸・ 道中衣・納札などを霊山寺で調え、作法を確認し少し緊張しながら四国霊場札所巡りの出発 点である「一番さん」の参拝を終え、半年がかりで書き溜めた176枚の写経を2枚納める。 この寺が「和国の天竺」といわれるのは、老師の説法を何人もの弟子が取り囲んでいる様 子と天竺の霊峰・鷲峰山でお釈迦さまの説法を聞いている菩薩さまの様子が似ているところ から名がついたといわれる。室町時代には阿波の豪族三好家の庇護を受け、本堂、大師堂、 多宝塔など七堂伽藍が建立された。天正 10 年(1582)に兵火に遭い消失するが、万治年間 (1658~1660)に再建。本堂の数十もの灯篭の明かりが幻想的である。この本堂で授戒して から遍路に入るとNHKの「街道てくてく旅」で放映していたが、導師のお姿も見えないの で、ひとり「勤行次第」をお上げし、遍路をさせていただく覚悟とここに在ることを感謝し、 旅の始めとした。 出門の折、池のほとりで鳩に餌を与えておられた尼僧から、和顔施とともにお線香のお接 待を受けた。咄嗟のことで、慌ててお礼申しあげるのに精一杯だったが、これからあんな笑 顔で日送りできるようになりたいと思った。 ただひたすら 自分の道をゆけ 息のきれるまで 一筋のものを求めて 歩くことだね 遍路の言葉

板東駅

山門 1

大師堂


県道 12 号線を西へ 1.4kmを 15 分ほど歩き、極楽寺に着いた。 にっしょうざん む り ょ う じ ゅ い ん

ご く ら く じ

第二番札所 日照山無量寿院 極楽寺 徳島県鳴門市大麻町檜段の上 12 088-689-1112 阿弥陀如来 巨大な仁王門をくぐるとすぐ 、「お願い地蔵」があり、その奥に池を配した庭園・本堂や 大師堂がある。阿弥陀如来像は、弘法太師さまが 21 日間の修行を終えて、感得した仏さま といい、その姿を刻んで本尊としたという。 阿弥陀如来さまの霊験の光が強くて鳴門の海まで届き船を操る妨げになり、本堂の前に小 山を築いて光を遮ったといわれ、山号の由来となっている。紅白の綱を巻かれた樹齢 1200 年の長命杉は弘法大師さまが「この寺を末永くお守りください」と願いを込めて弘仁 6 年 (815)に植えられたものという。樹に両手をかざし気を頂く。 この寺は安産祈願の「安産大師」としても知られている。ある妊婦が安産祈願のため四国遍 路に出かけたところ、巡礼を始めたばかりなのに産気づき、苦しむ産婦は夢うつつの中で大 師さまのお告げをきき、お告げに従って八十八ヵ所を巡り、結願。帰ってから元気な男の子 を出産したという由来によるという。 遍路用品は 2 番でも求めたほうがよいと鈴井さんが教えてくださったので、ここで菅笠・ お杖・和袈裟などを買う。 山門脇の舗装路を通り、2.6kmのあぜ道を行くとレンギョウ・コブシ・パンジー・レン ゲ・梅・チューリップ・木蓮・椿・桜・ボケ・桃・ツツジなどが咲き乱れ、まさに“百花繚 乱”徳島の人の優しさに心が癒される。

木々を見よ 花々を見よ すべては今日 今を生きる 遍路の言葉

仁王門 き こうざん し ゃ か い ん

本堂

大師堂

長命杉

こんせんじ

第三番札所 亀光山釈迦院 金泉寺 徳島県坂野郡坂野町大寺亀山下 66 088-672-1087 釈迦如来 朱塗りの仁王門をくぐると、正面に参道が延び、朱塗りの欄干の極楽橋、本堂、観音堂、 多宝塔など、朱塗りの堂宇がいくつもあり、お庭も美しく私好みの古刹で印象的である。 天平年間に聖武天皇の勅願により、行基菩薩さまが建立し金光明寺という寺号だったが、 弘法大師さまが境内の小金井から霊水が湧き出ずるのを発見し、金泉寺と改名したのだそう だ。泉は大師堂と観音堂の間を入った閻魔堂の隣、黄金地蔵尊とかかれた堂のなかに井戸と なって水を湛えている。この井戸を覗いて見て顔が映れば 3 年長生きできる、あるいは 92 歳 までともいわれると案内書に書かれていたが、境内は工事中で黄金地蔵尊は柵に遮られてい た。長生きには代えられないとばかり、ちょいと失礼して柵をよけ、井戸覗きをさせていた だく。一緒に覗いた夫婦遍路のかたに写真を撮ってもらう。長生きしそうに写ったかな? 元暦 2 年源義経が戦勝祈願に立ち寄ったとき、弁慶が大石を持ち上げて見せたという大人 でも手を廻せないほどの巨大な岩が、庫裏の裏の竹に囲まれてひっそりと在った。 板野周辺の部落を通り抜け、畑の畦道や野道の昔ながらの遍路道を一人歩いていくと白い雪 柳・黄色のカラシ菜・桃紫の犬フグリのお花畑に、子供の頃を思いだし童謡を歌い継ぎながら 2


歩いた。すっかり身体と心が温かくなった頃、三番札所の奥の院に当たる愛染院に着いた。 ・迷故三界城(あれこれと無智によって迷うから、欲望、物質、 観念の世界にとらわれ苦しむのだ) ・悟故十万空(悟りを開けば、迷いの夢は消え去り、行くとこ ろすべて楽土となる) ・本来無東西(自我が無ければ敵もなく常に平和である) ・何処有南北(我執を捨て去れば、苦悩は無くなり、人生は 広くて楽しいものだ) 菅笠に書かれた四句の偈

山門

本堂 きんけいざん

あいぜんいん

番外霊場 金鶏山 愛染院(金泉寺の奥の院)徳島県坂野郡坂野町那東居内 32 088-672-1480 不動明王 民家風の庭から入っていくと縁側で若い僧侶が包丁を研いで居られた。ここは全国に三体 しかないという坐像の不動明王さまがおられる。他の二体は高野山と成田山に祀られている とのこと。 “お参りさせていただけますか”とお言葉掛けをすると、“まずはお茶をどうぞ”と爽や かな笑顔が嬉しい。コーヒー・紅茶・緑茶・ウーロン茶・プーアール茶まである。迷った挙 句コーヒーを頂くことにして、まずは不動明王さまにお参りさせていただいた。 コーヒーを頂いていると、4 人の遍路さんが、 “ここにはなんかあるのですか”と庭に入っ てこられたので、“この番外では四国唯一の力感溢れる刷毛書きの納経をいただけますよ ” と宣伝すると喜んで次々と納経され、みんなでティータイムを楽しんだ。門番の犬が可愛い く、お利口なので、幸洋さんから頂いたとっておきの蛋白源の「本ししゃも」を1尾やった。 なだらかな丘の道を 30 分進む。地蔵寺からいわゆる「打ち戻り」のコースで黒谷寺と呼 ばれる人里離れた山寺の大日寺を目指す。道端に無縁仏の墓が点在していた。

高浜虚子

こくがんさんへんじょういん

お接待のお茶

道��� 阿波�遍路� 墓���

愛染院本堂

遍路道の墓

だいにちじ

第四番札所 黒厳山 遍 照 院 大日寺 徳島県坂野郡坂野町黒谷字居内 5 088-672-1225 大日如来(秘仏) 山門は上に梵鐘が置かれた鐘楼門となっていて下層部の柱は角材、上層部は丸太材という 特徴的な造りである。山門から本堂まで敷石の参道が続いている。右手に築地塀が続き、そ の向こう側が寺の本坊だ。正面左手に納経所を兼ねた薬師堂があり、本堂から右側に回廊が L 字型に続き、回廊の先は太子堂に続いている。回廊には西国三十三観音が祀られている。 この寺の創建ははっきりしないが、弘法大師さまが感得し、一刀三礼して大日如来さまを 刻んだと伝えられている。ちなみに一刀三礼とは材を一回刻むごとに三礼することで三礼とは 仏・法・僧への礼拝であり読経も入るので、そこに込められた思いは並大抵ではない。 大日如来さまは宇宙の中心に位置する最高の仏さまであり、真言宗の本尊でもある。宇宙を あまねく照らす智恵の光で衆生を闇から光明の世界へ導いてくれる仏さまだ。ご本尊の大日如 来さまを深く信仰した阿波藩主・蜂須賀家により、現在の堂塔は元禄年間(1688~1704)に修復 整備されたものといわれる。たち橘の家紋は竹内家と同じなので親しみが湧いた。ここだけは、 3


本尊名・寺名も毛筆で書かず、木版で押します…と案内書に書かれていたが、7~8 年前より毛 筆に変えたと納経所の方が話された。 田園地帯から徳島自動車道をくぐり、歩き遍路むきの細道に入る。奥の院羅漢堂を経て地蔵 寺へ。 む じ ん さ ん しょうごんいん

じ ぞ う じ

第五番札所 無尽山 荘 厳 院 地蔵寺 徳島県坂野郡坂野町羅漢林東 5 088-672-4111 勝軍地蔵菩薩(秘仏) 樹齢 800 年といわれる「たらちね銀杏」を囲んで左手に本堂、右手に大子堂、正面は納経 所と四方に建物が配されている。本尊は八十八ヵ所には珍しい甲冑姿で軍馬に乗った勝軍地 蔵菩薩さまで本堂に安置された延命地蔵像の胎内に納められている。源平合戦の折には源義 経が戦勝祈願をし、戦国時代には堂塔が焼かれたが、江戸時代に復興したのも、蜂須賀氏ら 多くの武将に信仰されてきたからだろう。 御影堂に安置されている愛染明王さまは源頼朝が寄進したものという。真新しい本堂は 3 年前に建て替えられたという。納経を済ませてから、ベンチでおにぎり・本ししゃも・クッ キー・バナナ・カリカリ梅などをいただいた。食後は今も銀杏をいっぱいつけるという「た らちね銀杏」の窪みに体を沿わせてもたれ、目を閉じて樹林気功をした。 本堂の裏手にある奥の院に戻る。五百羅漢堂は等身大の木造彩色像で薄暗い照明の中では 迫力満点である。羅漢さまはお釈迦さまの弟子として修行を極めた方々で、喜怒哀楽の表情 に自分の顔をみることができるといわれている。 回廊の入り口に弥勒菩薩さま・中央にお釈迦さま・出口には弘法大師さまが祀られていた。 五百羅漢堂の堂守さんの温かい笑顔に惹かれお写真を撮らせていただいた。 おもいきり 遠い視線で ゆったりと 一歩ずつ 歩こう 遍路の言葉

山門

本堂

たらちね銀杏

奥の院・羅漢堂

県道 12 号と並行する遍路道を行く。道端の古い遍路の墓の多さに驚く。途中、ご一緒させ ていただいた四国の元床屋さんによると、小さい頃、「へんど」と呼んでいた人達はいわゆ る子連れの乞食集団で物乞いをしながら一生遍路し続けるのだという。その頃まで『捨往 来手形』の名残がここにはあって行き場にない人々の行き倒れの墓所となっていたのだろう。 足が熱くなりマメができたようなので、公園の石垣に腰を下ろし足を冷やす。住宅街の中 道とはいえ 20 分間、誰も通らない。過疎化が進んでいるのだろう。 1 時間ほど歩くと『よもぎもち』の幟が目に入った。おいしいほうじ茶とよもぎと飴の接 待をしていただく。おかみさんは「てくてく一人旅」の四元さんがここで接待を受け、ご主 人は握手していただいたと嬉しそうに話してくれた。元気をいただき納札を渡し、改めてよ もぎもちと赤飯を求めた。 痛み始めた足をひきずってひとり、とぼとぼと歩いていると、自転車のおばあさんが私に 手を合わせ、“のどを潤して”と百円くださった。お礼の言葉とともに納札をお渡しする。 身も心も洗われていき、なんだか目頭が熱くなる。苦しいとき、悲しくなったとき、いつも 誰かが見ていてくれ、温かく包んでくれる。お大師さまのお手配だろう。思わず私も合掌す る。“南無大師遍照金剛”と唱えてみる。元気がでてきたので安楽寺に着くまで唱え続ける ことにした。 4


捨て往来手形(1776 年)

5

境内の八重桜

宿坊玄関

往往往往来来来来證證證證文文文文之之之之事事事事 一一一一此此此此勝勝勝勝蔵蔵蔵蔵����申申申申者者者者����安安安安芸芸芸芸国国国国三三三三好好好好十十十十日日日日市市市市之之之之��������二二二二 而而而而御御御御座座座座候候候候���� 此此此此度度度度四四四四国国国国遍遍遍遍路路路路����罷罷罷罷出出出出申申申申候候候候 国国国国����御御御御関関関関所所所所無無無無相相相相違違違違御御御御通通通通����可可可可被被被被下下下下候候候候 万万万万一一一一行行行行暮暮暮暮申申申申候候候候��������宿宿宿宿等等等等被被被被仰仰仰仰付付付付可可可可被被被被下下下下候候候候 尚尚尚尚又又又又何何何何国国国国����而而而而病病病病死死死死仕仕仕仕候候候候��������乍乍乍乍御御御御世世世世話話話話 其其其其之之之之御御御御所所所所之之之之御御御御作作作作法法法法二二二二而而而而御御御御葬葬葬葬可可可可被被被被下下下下候候候候���� 此此此此方方方方����御御御御附附附附届届届届����及及及及不不不不申申申申候候候候���� 仍仍仍仍而而而而捨捨捨捨����往往往往来来来来一一一一札札札札如如如如斯斯斯斯����御御御御座座座座候候候候����以以以以上上上上 安安安安芸芸芸芸国国国国三三三三好好好好十十十十日日日日市市市市庄庄庄庄屋屋屋屋 庄庄庄庄助助助助

あんらくじ おんせんざん る り こ う い ん

本堂

宝物殿

安安安安永永永永五五五五年年年年丙丙丙丙申申申申年年年年 六六六六月月月月二二二二五五五五日日日日 国国国国����御御御御番番番番所所所所 御御御御奉奉奉奉行行行行衆衆衆衆中中中中様様様様 宿宿宿宿���� 御御御御庄庄庄庄屋屋屋屋中中中中様様様様

第六番札所 温泉山瑠璃光院 安楽寺 徳島県坂野郡上板町引野字寺ノ西北 8 088-694-2046 薬師如来 弘仁年間(810~824)大師さまがこの地に湧いていた赤錆色の温泉を発見し難病で苦しん でいた人々に温泉の効能を説き、さらに衆生を病の苦しみから救ってくれる薬師如来像を刻 んで開いたのがこの寺の始まりという。元はここから 1km北西の安楽寺谷にあったという が、天正年間(573~1592)に長宗我部の兵火に遭って堂宇を消失。その後、徳島藩によっ て定められた駅路寺(旅人の宿泊所として街道沿いの真言宗八ヶ寺を指定)の瑞運寺を合併 して再建され、宿坊を持つ寺として繁栄した。 今は別の温泉が湧き、宿坊の大浴場に供されている。朱塗りの竜宮門が鐘楼門ともなって いる。山門をくぐると左手に池を配した庭園。池の傍らの松の古木は、弘法大師さまを守っ て流れ矢を受けた伝説の逆松。松の根元にちいさな大師像が祀ってある。 納経を済ませると七番も打てそうなので、今夜同宿の砂田さんとその友人と私の 3 人で、 十楽寺へ向かった。広島の砂田さんはゼネコンの元管理者で友人はヘビースモーカー。一歩 控えておられる感じ。“のんびりマイペースで番外も廻るのでゆっくりなんです”といわれ るが花の名前や地形も楽しみながら歩かれるのを見て、必死で歩いていた私は遍路の楽しみ 方を教えられた気がした。爽やかで気負わず、話が楽しく素敵な熟年ペアーでした。


県道 139 号に並行する旧道をくねくねと曲がって道なりに進むと 15 分ほどで十楽寺の門 前に出る。 こうみょうさん れ ん げ い ん

じゅう ら く じ

第七番札所 光 明 山 蓮華院 十 楽寺 徳島県阿波市高尾字法教田 58 088-695-2150 阿弥陀如来 下層が白い漆喰、上層は朱塗りの木造という竜宮造りの鐘楼門を兼ねた形式の山門が印象 的。門をくぐると、四国の札所には珍しい 100 体ほどの水子地蔵がある。からからと回る風 車の音が物悲しい。だらだら坂と石段の参道を上がると中門にあたる三兼堂門だ。ここは愛 染堂と護摩堂を兼ねており、門の二階に上がると愛染明王さまがおられ、燃えるような真っ 赤なお姿が美しく鮮やかだった。その奥に老松に囲まれた本堂が建っている。幕末の建物だ が、平成 6 年に改築されたという。 じんかん

く ぼ ん じゅうらく

ご詠歌に詠まれた「人間の八苦を早く離れなば 到らん方は九品 十 楽」からの寺名であ り十楽とは極楽浄土の階位を示す九品の上にある至上世界のことだ。また、人間の定めであ る四苦八苦(生、老、病、死、愛するものとの別れ、憎むものと一緒になる、求めても得ら れない、心や体の働きによって起こる苦しみ)から離れて、極楽浄土にある十の喜びを得ら れるようにという思いも込められているそうだ。来た道を引き返し、安楽寺に戻る。 鈴井さんが、今夜は安楽寺の山門の 2 階が善根宿なので泊めてもらう積もりだと言ってお られたので、声掛けしてみた。“あがっておいでよ。今、コンビニから帰ったところだよ ” との返事に砂田さん達と覗いてみることにした 。“これが僕の夢だったので最高だよ ”と鈴 井さんは本当に嬉しそうだ。4 畳半くらいの広さがあってちゃんと布団も用意してある。結 構快適そうなのでよかったと思う。もう一人泊まられる予定という。私も男だったら野宿し てみたいなあと思った。素敵! 椅子式の食堂は 40 名ほどで満席だった。私たちのテーブルは砂田さんペアー・北海道の ご夫婦・私の 5 人でした。北海道のご主人は“60 代からは第二の青春、みなさん!大いに楽 しんでください。80 代の私達は、今回は 3 度目の遍路でお礼参りですよ”といわれる。2~ 3 ヶ寺づつ打ってから、温泉に泊まり北海道に帰るという繰り返しで八十八ケ所をゆったり 廻る積もりだといわれる。精一杯生きてこられたのだろう。それにしてもなんと優雅なお礼 参りでしょう。これも素敵! 楽しい一日にするか 悲しい一日にするか それは自分の心が 決める ことなのです 遍路の言葉

善根宿の安楽寺山門

十楽寺山門

本堂

食堂のテレビで愛知県一宮市在住の水谷しづさんの体験談が紹介されていた。昭和 ?年に カリエスを患ったしづさんはご主人に助けられながらお遍路をしておられたそうだ。二十七 番神峯寺で転んだ時、なにかに 2 回すくわれるように起こされた。その後徐々に身体が回復 し満願成就した頃には一人で歩けるようになったそうだ。お礼に安楽寺のご本尊さまを奉納 されたそうだ。昔から、お遍路することによって病が治り、不要になった箱車や杖がお寺に 残されていると案内書に書いてあったが、現代も奇跡を信じて行をされる人もあるのだろう。 夕食後7時から本堂でお勤めがあった。今夜は住職・副住職がお出かけのため、3 人の役 6


僧さんによる勤行の後、薬師如来さまを囲む本堂八柱の薬王菩薩さま(左手前から奥へ…勢 至菩薩さま・薬上菩薩さま・文殊菩薩さま・寶檀花菩薩さま・右手前から奥へ…普賢菩薩さま・ 弥勒菩薩さま・無藎意菩薩さま)や空海の壁(弘法大師さま直筆の三教指帰や心経が壁に刻印 されている)の説明があった。達筆だけではなく、清しく力強い墨跡に心が揺り動かされた。 役僧さんたちは、質問にも丁寧に答えてくださり、なかでも如意輪観音菩薩さまは弥勒菩薩 さまと同体であるといわれ、滋賀の小谷寺の如意輪観音菩薩さまは渡来の弥勒菩薩さまのポー ズをされていることを思い出し感動し、納得した。 遍路初日はゆったりと温泉に 2 回入って熟睡し、朝目覚めると 5 時だったのでまた、ぬるい 薬湯にただひとり、薬師如来さまのご真言を唱えストレッチしながら朝風呂をいただいた♨ 平成 20 年 3 月 27 日(木) 晴:14℃ 6 時間 10 分:21km 午後から雷雨との予報なので藤井寺まで急ごうと宿坊を出ると、砂田さんが“気をつけて いってらっしゃい”と 3 階の窓から手を振ってくれた。もう 7 時すぎなのに出発ものんびり なんだなーと思った。 県道 139 号線や徳島自動車道に沿った舗装の遍路道を行き、熊谷寺の直前で徳島自動車道 をくぐると農道となり排気ガスから開放されて思わず深呼吸をした。歌を歌いながら 2 時間 近く歩いて熊谷寺に着くと、鈴井さんが参拝を済ませて、納経所の前の椅子に座っていた。 平成 19 年 9 月 18 日(火)キンツーのバスツアーで四国八十八ヶ所霊場巡拝に幾子さんと 恵子さんと私の 3 人でお試し参加したのを思い出した。その時は 11 番藤井寺から8番熊谷 寺までの逆打ちだった。あのときと同じご詠歌のテープが流れていた。 ふ みょうさんしんこういん

くまたにじ

第八番札所 普 明 山 真光院 熊谷寺 徳島県阿波市土成字前田 185 088-695-2065 千手観音菩薩 仁王門はなだらかな桜並木のある坂道の参道に立ち、楼門形式で高さ 13.2mの雄大な建造 物。門内の真っ赤な金剛力士像が、印象的だ。安永 3 年(1774)建立。持国天と多聞天が安 置された二門天で簡素な建築だが、江戸時代初期、慶安 4 年(1651)の建立という。 あ

たに

寺伝によれば、寺の奥にある閼伽ヶ谷で修行していた弘法大師さまのもとに、熊野権現さ まが現れて 5cmほどの黄金の観音菩薩さまを授けた。この観音菩薩さまを胎内仏として弘 法大師さまが千手観音像を彫り、堂宇を建てたのが始まりという。しかし昭和2年の火災で 焼失したという。神仏混交の時代には四国霊場も熊野神社も同じような神仏のおわすところ として人々に信仰されていたのだろう。 途中、四国最大といわれる熊谷寺の仁王門を見た。二階建てで大きいので、七番札所に何 度も移したが、戻ってきてしまうのでそのままにしたという伝説があるそうだ。 半年前、キンツーのバスツアーの折、本堂下の桜の木の前で 3 人で写真を撮ったっけ。 立派な大伽藍へ続く参道の両脇には寄進者名が彫られた石柱が林立し、大師堂からの眺めも 絶景で、本堂の鬼瓦がことのほか立派なのも、参道に流れるのどかなご詠歌もあの時と変わ らないのに、今、私だけがここに居るのがなんだか不思議空間に思えた。 こ

えん

去年の縁 ひとり佇む は な

熊谷の桜 遍路の言葉

山門

大師堂から本堂の甍 7

本堂


参道を引き返し、阿波市土成支所の先からは広がる田んぼの中にこんもりと茂った森とし て見える法輪寺を目指して、「四国のみち」の案内に沿って農道を廻りながら 40 分程歩く。 しょうかくさん ぼ だ い い ん

ほうりんじ

第九番札所 正 覚 山 菩提院 法輪寺 徳島県阿波市土成字田中 198-2 088-695-2080 涅槃釈迦如来(秘仏 5 年に一度の開帳) 弘法大師さまが仏の使いの白蛇と出会って開いた寺ということで、白蛇山法淋寺と称して ちょうそがべもとちか

いたが、戦国時代、長宗我部元親の兵火にあい、建物などのほとんどを失った。かつては山 麓にある法池ヶ渓というところにあったそうだが、北方正保年間(1644~1648)に移転再興 されたときに改名された。現在の堂宇は明治時代の再建という。 お釈迦さまは 80 歳に沙羅双樹の木の下で入滅されたが、涅槃像はその時のお釈迦さまの 姿。『寝釈迦』は秘仏で弘法大師作といわれる。健脚のお守り札が有名だ。 門前にちいさなうどん屋さんがあり、管直人氏が“おいしい!”といったことで有名にな ったそうだ。昨日買った赤飯と草餅があったので、今回は素通りした。バスの運転手さんに デジカメを押してもらう。遠く山の中腹に切幡寺の甍が見える。さあ、気合を入れて山寺ま で頑張ろう。 若者遍路に今夜の宿を聞かれたので、へんろみち保存協会の「四国遍路ひとり歩き同行二 人」の本を見せると喜んでくれた。本も持たずに来るなんて驚いてしまう。 しばらくすると、先程の青年が追いついて来て、私と話しながら歩きたいという。東京で 広告代理店で忙しく働いていること、実 家は北海道で 99 歳の信心深い祖母がいるせいか、 ハワイに誘われたが、それより遍路をしたくなって来たという。今、29 歳で仕事に不満はな いが、今の人生をこのまま延長していってしまいたくないものを強く感じるので、自分と向 かいあいたい。人生の先輩たちといろいろ話す旅にしたいという。切幡寺まで人生・生き甲 斐・価値観などについて語り合った。 足も口も疲れた頃、おばあさんから冷えたフルーツトマトと冷茶・菓子の接待を受けた。 トマトは甘くて美味しい。“ご近所から市に出せない等外品を毎日いただいて冷やしておく の。私はもう、お山へ登れなくなったから代わりに頑張って”の声に励まされ、切幡寺でお ばあさんのために心経を上げるお約束をした。 おもいきり とことん悩むがいいよ 悩むというのは 人間だけの 特権なのですから 山門

遍路の言葉

本堂 と く ど さ ん かんちょういん

お接待

きり は た じ

第十番札所 得度山 灌 頂 院 切幡寺 徳島県阿波市観音 129 0883-36-3010 千手観世音菩薩 民宿や表具店・巡礼用品の並ぶ坂道の参道を上がり山門をくぐると延々と続く急勾配の石 段が見えて圧倒される。石段を99 段登ると、右に向きを変え更に 159 段登ると小休止。 その先には男女の厄年に合わせて 33 段の女厄除坂、42 段の男厄除坂が続き、ようやく本 堂や大師堂の前に出る。合計 333 段の石段は讃岐では 2 番目に長いといわれ、これからの難 所が思いやられる。 伝説では弘法大師さまがこの地を訪れたとき、機織の娘に出会った。この時大師さまの手 甲や脚絆が痛んでいたため、布を求めたところ、織り上げた布を惜しげもなく引き裂いて大 8


師さまに差し上げた。娘が「亡き父母の菩提を弔いたい」というので十一面観音菩薩を彫り 上げ、娘に得度灌頂を授けた。すると娘から後光が射し、即身成仏して観世音菩薩さまに化 身したという。これによって山号も寺名も名付けられたそうだ。その機を埋めたら大銀杏が 生えたので、その木で“はたきり観音さま”を刻んだ。ご本尊の十一面観音さまの背面に、 はたきり観音さまは秘仏として安置してあった。 境内の石のテーブルで赤飯・蓬もち・本ししゃも・バナナ・文旦など手持ちの食料を全部 並べていただいていると、トマトの接待所ですれ違った、賑やかな池山さん・田口さん・大 橋さんの 3 人連れが声掛けしてくれた。休暇を利用して還暦遍路を始めたのだとか 。“さっ きのイケメンはどうしたの?”に始まり、ひとり遍路の私が気になるらしく身の上調査まが いの矢継ぎ早の質問攻めにオバサンパワーが溢れ、長岡京と大阪に住んでいるので、私が京 都に行ったら一緒に飲みましょうと盛り上がった。一足先にいっていただく。 ・・・またひとりぼっちになってしまった。 まだ早すぎる ということ もう遅すぎた ということ 人生にはありません 遍路の言葉

山門

道標

参道

道端の椅子接待

参道を下って道なりに南下。八幡の集落を粟島神社前で抜け四国三郎(吉野川)本流の川 島橋を渡る。この橋は大雨の時は川に沈む『沈水橋』のため、欄干がなく幅も狭いので、車 が来る度、ひやひやしてしまう。でも、もし雨降りなら県道を延々と遠まわりしなければな らないので感謝しなければならないと思い直す。 それにしても足のマメが痛い。吉野川の中洲の石段で腰を掛けぼんやりしながら足を冷や す。誰も来ない…車も…猫一匹だって通らない…なぜこんな思いをして歩きに来たのかなあ …と溜め息をついたら、訳もなく涙が滲んだ。 “僕も休んでいいですかぁ”突然、太い声がしたので私は“ぎゃっ”と叫んでしまった。 “怪しいものではありません”真っ黒に日焼けした恰幅のよい壮年の男性が笑っている。高 知の人で休みを利用してはランダムに歩き回り、今回は三十七番岩本寺から逆打ちで入った とのこと。私に合わせてゆっくり歩きながら、マメの手入れや菅笠の被り方など遍路 1 年生 に楽しく丁寧に教えてくださる。10 分も歩くと金沢の男性遍路さんも足が痛いといいながら 加わり、3 人で藤井寺へと向かった。 こんごうさんいちじょういん

ふじいでら

第十一番札所 金剛山 一 乗 院 藤井寺 徳島県吉野川市鴨島町飯尾 1525 0883-24-2384 薬師如来(秘仏) 古い藤棚があることから、藤井寺の名が付いたそうだ。少し石段を上がると古い小さな堂 宇があった。納経所の堂守さんの笑顔の温かいこと。じんわりと疲れた心身に染み込んだ。 伝承では弘法大師さまが 17 日間の修法の後、自ら刻んだ薬師如来像を祀るお堂の前に藤 の苗を植えたものという。その後、寺は真言密教として栄えたが、天正年間(1573~1592) に長宗我部元親の兵火に遭い、その後臨済宗の寺院として復興。天保3年(1832)に再度火 災に遭うがいずれの火災にもご本尊の薬師如来さまは守られてきた。この仏像は胎内の墨書 から久安 4 年(1148)の作とされている。四国八十八ヶ所では最古の仏像ということになる。 もともと釈迦如来さまだったらしいが、弘法大師さまが刻んだという伝承が薬師如来像であ ることから、後年改修され、左手に薬壺を持たせた薬師如来坐像に作り変えられたという仏 9


像の来歴も変わっている。右手の大師堂の天井一面に描かれた雲竜図が見事な迫力である。 本堂内陣には千体薬師如来像が祀られている。 門前の民宿の前を通り過ぎるところを、宿のご主人に呼び止められた 。『ふじや本家』と 小さな看板が庭先に置いてあるだけなので“行き過ぎる人も多いね”と笑っておられる。焼 山寺に行き着くためにはここを早朝に発たたねばならないので、昔は宿が多かったが車遍路 が増えてすっかり宿が減ってしまったといわれる。夕食はブリとカツオのお造り、ぬた、胡 麻豆腐の味噌汁、煮物にエビフライとハレのご馳走だ。嬉しい!心のこもったおもてなしの ご膳は、ほんとうに美味しかった。 遍路は食前・食後の挨拶をするのがお作法である。 『一粒の米にも万人の苦労を思い、一滴の水にも天地のご恩徳を感謝し、有り難くいただ きます』 じき

『今すでに有り難き食を受け、心豊かに力身に満つ、願わくば身を養い、心を修め、報恩 の道にいそしまん、ごちそうさまでした』 順逆� 会釈一�� 遍路道

扇山彦星子

山門

本堂

ふじや本家

おかみさんと

平成 20 年 3 月 28 日(金) 晴:14℃ 7 時間 50 分:19.3km ふじや本家を 6 時 30 分に金沢の遍路さんと一番に出た。藤井寺の裏手の山道を登ってい く。標高 938mの 8 合目にある焼山寺への道は「遍路ころがし」と呼ばれる難所である。健 脚者でも 6 時間以上掛かるといわれる道のりである。谷川から 200m上がった崖っぷちに弘 法大師さまが護摩修行したという八畳岩がある。一汗かいた頃、見晴らしのいい瑞山休憩所 があり、振り返ると吉野川の悠々とした流れ、その先には阿賛山脈が見渡せる。さらに登る と弘法大師さまが小休止したという長戸庵は、今は無住となっていた。古い道標に「是より 焼山寺迠弐里」の文字が刻まれている。ここからはアップダウンを繰り返しながらも楽しさ を感じられる道だった。山を渡る風の音、遠くの沢の音に励まされながら杉林の先を進み、 急な下り坂になったところが水場のある柳水庵でここも宿坊跡で無住だ。大師伝説の残る湧 き水は甘く軟らかい。先に休んでいた男性遍路さんと 3 人で進む。左右内集落に入ると、紅 白の梅林がとてもきれいだった。木の手入れを���ている婦人に声掛けして干し柿と甘夏を分 けていただく。林業がすたれて、町へ出る家が多い中、地方が元気になって生活できるよう に政府は頑張って欲しいと切に願う。 道は下って、上って約 3kmの峠を登ると、巨大な一本杉があり、根元に修行大師の銅像 があった。一本杉庵の峠から眺めると、焼山寺は向かいの山頂にあり、これからが「遍路こ ろがし」の急坂。垢取川の谷底まで下り、一ツ瀬橋を渡れば、それから胸突き八丁。最後の 力を振り絞って上がらねばならない。上りを前にして 11 時だったが、おにぎりを食べてか ら頑張ろうと 3 人で腰を下ろして食べ始めると、後から来た遍路さん達も食べ始めた。 “谷底まで下ろさず、中腹で橋を架けて欲しいなあ”と誰かが言った。本当にそう思う。 その時“小銭入れを落としませんでしたかぁ”と言いながら遍路さんが来た。金沢の遍路 さんの小銭入れと分かり、こんな山道で拾われ手元にもどるなんて大師さまのおかげと皆で 素直に喜んだ。 急登に喘ぎながら行くと、3 年前に来日し、自転車で逆打ちしているというイギリス人に 10


出会った。くりくりと目を輝かせながら話される。干し柿とせんべいを物々交換した。 荷物が肩に食い込み、足が痛くもつれるのでしっかり、杖を突きながら思わず“南無大師 遍照金剛”と唱えながら登る。6 時間余りかけて、よろよろとよろめきながら、焼山寺の参 道にやっと辿り着くことができた。 それ仏法 遥かにあらず 心中にして 即ち近し 真如外にあらず 身を棄てて いづくんか求めん

一本杉

大和永乗師像 大和永乗師頌徳碑 ま ろ さ ん し ょ う じゅいん

空海『般若心経秘鍵』

梅林の農家の人と

しょう さ ん じ

第十二番札所 摩盧山性寿院 焼 山寺 徳島県名西郡神山町下分字地中 318 088-677-0112 虚空蔵菩薩 新しい広い参道に入ると、金沢の遍路さんが“おやぁ!なんか足が軽くなったし、ひざの 痛みも取れた。肩も楽になった”といいます。私も背中や肩・足の痛みが取れ元気が湧いて きて、ハイな気持ちになってきた。その時、参道の向こうから駐車場に向かうバス遍路の集 団がこちらのほうへ歩いてきたので、金沢の遍路さんに“登ってきたってこんなに元気だよ という顔をしましょう”と挨拶することにして、 “こんにちは(^o^)丿”を連発した。遍路の 団体さんは口々に“歩いてきたの?すごいね”“まあ元気ですね!”と声掛けしてくれるの が心地よい。心楽しく、踊りたいくらい身が軽くなった不思議な感じがする!! 参道は真新しい石柱が立ち並び、山門へと続く自然石の石段と天を突くような杉の古木が 数十本聳えたち、圧倒されるほど美しい。樹齢 300 年あまりで根回りが5~6mのものもあ えん お づ の

る。この寺は役小角さま(修験道の開祖)が開基し、10 年後に弘法大師さまがこの地を訪ねる と、山には火を吹く魔性の大蛇がいて、山を焼き、村人を困らせていたという。大師さまは 虚空蔵菩薩さまと三面大黒天さまとともに法力で蛇を岩窟に封印し、岩の上に三面大黒天像 を刻み、虚空蔵菩薩さまを本尊としてこの寺を建立したという。焼山の寺号はこの故事によ るのですが、焼き畑農業と縁が深かったこともあるのでしょう。 納経を終えたところで、金沢の遍路さんが“皆さぁん、奥の院へ行きませんかぁ”と呼び かけた。なんとなく焼山寺への道中で 7~8 人のグループができていたが、若い人達も疲れ たようで、誰も行かないという。私は、心の中で万歳!をしていた。弘法大師さまが修行を 大蛇に邪魔されて悟りを得られなかったという奥の院へは是非行きたいと願っていたが、ま だ今夜の宿である「なべいわ荘」へは山道を 1 時間半は下らねばならない。ひとりだけで奥 の院へ行くのは宿へ着くのが遅くなり危険なので、諦めようと思っていた矢先だったからだ。 早速荷物を納経所に預けて、1.4kmの山道を空身になったので足が軽くなり駆け上った。 奥の院には小さな祠があって、日本酒の一合瓶などがお供えしてある。眺めは最高だった。 金沢の遍路さんはテレビでこの展望を見て上りたかったといわれる。ここで 1200 年前、若 き弘法大師さまが、この山並みを前に修行され、あの道を同じように上がってこられたと思 うと感無量だった。お参りをして、少し下ると大蛇を封印したという大岩窟があり、前には 石像を建てるのでしょうか、石組みがしてあった。納経所に戻ると“早かったね、今日奥の 院に上ったのはあなた達だけだよ”とねぎらってくれた。奥の院に上りたいと思っていたの は金沢の遍路さんと私だけであり、弘法大師さまが上がれるようにと、遍路ころがしの難所 を登り、ふらふらだった私たちの足腰や肩の痛みを取り、心身をリフレッシュして奥の院ま でひっぱり上げてくださったと思われ、感謝の合掌をした。 11


南無大師 遍照金剛 唱え歩めば 涙 流るる 遍路の言葉

山門

山門の私

大蛇封じ込めの岩

奥の院

じょうさんあん

麓の鍋岩に下る途中に 杖 杉庵がある。遍路の元祖といわれる右衛門三郎は大師さまに会 って非礼を詫びたいと四国巡拝の旅を幾度も重ね、21 回目の旅の途中で病に倒れ、やっと弘 法大師さまに出会えたのが、ここだそうだ。焼山寺から、 3.8km先のなべいわ荘で私は宿 泊するので、ここで一期一会のご縁を感謝して金沢の遍路さんと名乗り合い 、“大日寺で会 えたらいいですね…”とお別れした。その荒川さんはなべいわ荘で宿が取れなかったそうで、 3km先の桜屋旅館に宿泊するため、また歩いて行かれた。 なべいわ荘に着くと、客と管理人が大声で喧嘩をしていた。管理人は“こんな客は初めて だ。泊まってもらわんでいい”と叫んでいる。客は“自分は医者であり、暖房にファンヒー ターを使うのは中毒するから泊まれない”といい、タクシーを呼んで出て行かれた。インタ ーネットの情報によれば、ここの管理人さんは一風変わった方らしい。しかし、どちらもど ちら! 夕食ではなぜか、みんながアルコールをいただくムードになり、私も焼酎をいただいた。 お四国ではみな遍路であり、医者もセレブもないはず。 『遍路に肩書きはいらない』を肴に、 食卓を共にした上原さんご夫妻の部屋で、お続きの焼酎を楽しくいただいた。 人間 本来 無一物

奥の院からの展望

相国寺住職 有馬賴底

杖杉庵

衛門三郎

なべいわ荘

平成 20 年 3 月 29 日(土) 晴:14℃ 7 時間 30 分:26.1km 6 時 55 分になべいわ荘を出る。道が心配なので大分と長崎の男性遍路さんに同行していた だき山越えをした。川平で「はっさく」のお接待を受け一息つく。鏡大師から植村旅館を過 ぎて鮎喰川の須賀で私は公衆トイレへ寄り、男性遍路さん達は郵便局へ立ち寄るというので 別れる。神山集落から鮎喰川に沿った道は、緑の杉の山、きらきら光る川の水、咲き誇る桜… と美しく、鶯の谷渡りを聞きながら、自然の豊かさの中をひとり、ひたすらに歩く。広野の 郵便局を過ぎたところで、荒川さんから携帯が届いた。なんと鮎喰川の対岸から木の間越し にチラッとリュックに括りつけた私の真っ赤なウインドブレーカーが見えたので電話をし てみたというのだ。驚いて見通しのよいところまで行き、対岸を見ると小さな遍路姿が見え た。両手を振ると杖を上げて応えてくれた。私が河野橋を渡って橋のたもとに着くのと同時 に荒川さんも着き、思わずハイタッチ!聞けば道に迷い一山超えて鮎喰川に出たとのこと。 迷わなければ私より3km先の桜屋旅館からの出立なので今頃は大日寺につく頃でしょう か。一緒に3km程歩いたところで建治寺遍路道に迷いこみ、建治寺の近くからまた鮎喰川 迄戻ることとなった。1 時間半のロスタイムだったがなんとか1時 10 分に大日寺に着いた。 後で考えると建治寺は大日寺の奥の院に当たるので引っ張られたのでしょう。 12


おおくりさん け ぞ う い ん

だいにちじ

第十三番札所 大栗山花蔵院 大日寺 徳島県徳島市一宮町西丁 263 088-644-0069 十一面観世音菩薩 鮎喰川のほとりに建つ境内にはいると、大分と長崎の遍路さんや上原さんご夫妻が、私の 到着が遅いので、具合でも悪くなったかと心配して待っておられた。ごめんなさい。申し訳 ない気持ちと人の心の温かさに『袖振り合うも他生の縁』の諺をかみしめた。ありがとうご ざいました。 境内正面に合掌の形をしたモニュメントがあり、その掌中に「しあわせ観音」像が安置さ れている。こじんまりしているが、山深い焼山地から人里に下りてきたことを実感させてく れる。ここはもともと一宮神社の別当(規模の大きな神社の事務を統括する寺院)であり、 現在も道を挟んだ向かいに、ご詠歌に歌われた一宮神社が建っている。縁起によると弘法大 師さまの護摩修行中に紫雲が漂い、大日如来さまが出現し大師さまはそのまま大日如来像を 本尊として、一宇を建立したという。しかし現在、この寺のご本尊は十一面観世音菩薩さま ほ ん ち すいじゃく

である。神仏習合時代の本地垂迹という考え方に基づけば、神社に祀られた神々は、仏が衆 生を救うために神の姿に変化して現れた姿。一宮神社の神も本来は仏とされ十二番札所とな っていた。しかし明治の神仏分離で神社が札所から外され、大日寺が十三番札所となった。 一宮神社の本地仏だった十一面観音さまは、大日寺の新しいご本尊となり、もともとの大日 寺のご本尊であった大日如来さまは脇持仏とされたが、格が上の如来さまが脇持仏となって いるのは珍しい。 へんろ道を歩いて 「人の心の温かさ」と 「人の心の優しさ」を 知ることができた わたし 遍路の言葉

本堂

境内

時間があるので十四番常楽寺から十七番井戸寺まで打つこととする。打戻しの分は車で送 迎サービスしてくれるという名西旅館に荷物を置き、鮎喰川沿いの道にでて、一宮橋を渡る。 道標に従いながら田園地帯を 50 分ほど進むと城郭を思わせる石垣が見えてくる。ここが常 楽寺である。 せいじゅさんえんめいいん

じょう ら く じ

第十四番札所 盛寿山延命院 常 楽寺 徳島県徳島市国府町延命 606 088-642-0471 弥勒菩薩(秘仏) 放生池のほとりから 50 段ほどの岩盤を削って造られた石段を上がって境内に向かう。あ たり一面ゴツゴツした巨大な岩盤が波打つように広がりダイナミックである。この天然の岩 盤は渓流を思わせる水の流れのような美しさがあるため「流水岩の庭園」と呼ばれている。本 堂前のアララギは弘法大師さまが挿し木をしたもので「あららぎ大師」の標識が立てられて おり、眼病を始め諸病快癒にご利益があるという。四国八十八ヵ所で唯一の弥勒菩薩さまを 本尊とする寺だ。修行中の弘法大師さまの前に弥勒菩薩さまが現れ、そのお姿を霊木に刻ま れたという。弥勒菩薩さまはお釈迦さまの入滅後 56 億 7000 年後に現れて衆生を救済すると 言われる未来仏で、その御影の姿は胎蔵曼荼羅図に描かれた姿と同じである。お釈迦さまの 代わりを務め、お釈迦さまの救済からもれたものを救ってくれるという。 ところで奈良時代から平安時代にかけては地球全体が温暖化していて、潮位は今よりも5 mから 10mも高かったと歴史気象学の方面でいわれている。すなわち海がずっと内陸部ま 13


で進入していたわけで、吉野川下流の平野部はほとんど海であったと想像できるという。 当時の官道について、律令の施行細則を記した『延喜式』兵部省に、「諸国駅伝馬 南海 いわくま こ う ず か く 5 ひ き

道阿波国駅馬 石隈郡頭各五疋」という記述がある。南海道の表玄関である墲養の港は、5 km ほども内陸に入ったところ。そこをスタート地点にして、最初の駅が約 3km 西の石隈 (現在の鳴門市大麻町大谷字石園)、二番目の駅がさらに西方約 10km 入った板野町大寺の 郡頭である。ここには第三番の今泉寺があるが、そこから南行すれば阿波国府に入る。おそ らく、このあたりまで来なければ、吉野川の渡渉は難しかったのでしょう。この辺りは台地 として市街もできていたのだろう。近くまで海が入り込み国府との関係で寺も創建されたと 考えられる。国府の役所は、現在の徳島市国府町府中、大御和神社のある場所に西千庁が、 大坊のあるところに、東庁があった。 強い人になるには たくさんの挫折が必要です 優しい人になるには たくさんの哀しさが必要です 遍路の言葉

門柱

本堂

住宅地を抜けていく 1 本道を 800mも進むと国分寺に着いた。 やくおうさんこんじきいん

こくぶんじ

第十五番札所 薬王山金色院 国分寺 島県徳島市国府町矢野 718-1 088-642-0525 薬師如来 十三番札所から十七番札所までは、すべて徳島市内にあり、徒歩でも一日で 5 ヶ所を楽に 巡れることから「五ヵ所参り」と呼ばれている。 国分寺は天平 3 年(741)に聖武天皇の勅願によって、全国 66 ヶ所に建立した国分寺のひ とつで国家鎮護沖願所となっていた。七重の塔をはじめ数多くの堂宇を備えた広大な寺院だ ったという。国家鎮護の目的から、広く社会教化を図り、一大文化センターとして学問・技 芸が奨励されたから、民衆に多大の影響を与えた。 しかし、国家の保護を失った平安中期以降は、幾多の変遷を経て曹洞宗に改宗。戦国時代 に戦火に遭って堂塔はことごとく失われた。現在の本堂は江戸時代後期の再建。境内には天 平時代の国分寺の遺跡が点在している。 裳階のある重層入母屋造りの建物は、一見すると二階建てにも見える。太子堂のかたわら には、不浄を取り除くトイレの守護神の烏枢沙魔明王さまがおられた。 枯山水の庭園が見事である。

山口波津女

本堂

病遍路 大師���� �����

山門

大師堂

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四国遍路~花曼陀羅を歩かせていただいて~01