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Schaden.com feat. Bรถhm / Kobayashi Publisher


Sailor Chibi Moon, Potsdam 2007


Tokyo 2006


Nagahama 2006


Edward Elric, Nagahama 2006


Sailor Chibi Moon, Potsdam 2007


Potsdam 2007


Hauro / Howl, Leverkusen 2007


Nara Shikamaru, Osaka 2006


Osaka 2006


Sarutobi Asuma, Osaka 2006


Princess Sakura, Toronto 2005


Toronto 2005


Axel, Langenfeld 2007


Suzaku, Ulm 2007


Toronto 2005


Jubei Chan, Toronto 2006


Edward Elric, Nagahama 2006


Kuchiki Byakuya, Schw채bisch Hall 2007

Toronto 2005


Chi, Bad Nauheim 2007

Axel, Langenfeld 2007


Squall, Neuss 2007


Sailor Venus, Toronto 2005


North York, Toronto 2005


Rabi en Rose, Toronto 2005


Presea, Langenfeld 2007

Stuttgart 2007


Crown Label Lolita, Bonn 2007

Gothic Lolita, Stuttgart 2007


Neuss Holzheim 2007

Priss Asagiri, Weiterstadt 2005


Pyramid Head, Rottenburg 2007

Neuss Holzheim 2007


Queens NY 2007

Mister Brown, Queens NY 2007


Lara Croft, Forked River NJ 2007

Sweet Lolita, Queens NY 2007


Jill Valentine / Chris Redfield, Forked River NJ 2007

Chris Redfield, Forked River NJ 2007


Squall, Neuss 2007

Forked River, NJ 2007


Osaka 2006

Sailor Lolita, Bonn 2007


Date Masamune, Nagahaama 2007

Ceres, Essen 2005


Gothic Lolita, Kyoto 2007


Helga von Vogelweid, Schw채bisch Hall 2007

Schuldig, Essen 2005


Nodahanshin, Osaka 2006

Sailor Mars, Osaka 2006


Gothic Lolita, Kyoto 2006


Chinese Girl, Kyoto 2006


Nodahanshin, Osaka 2007


Suzaku, Ulm 2007


Lenneth, Osaka 2006


Hauro / Howl, Leverkusen 2007


Essen 2005


Kurai, Homburg 2007


Ulala, Bad Nauheim 2007


Homburg 2007


Helga von Vogelweid, Schw채bisch Hall 2007


Raiden, Berlin 2007


Princess Sakura, Toronto 2005


Lara Croft, Forked River NJ 2007


New York 2007


Cake and Mr.Brown, Queens NY 2007


「コスプレ」、誰もがその言葉を一度は、 いやおそらく何

プレーヤーがこのようにお互いを撮影し合うという楽

生たちは、 おずおずと彼女に質問を投げかけ始めた。 な

度も耳にしたことがあるだろう。 その様子を伝える写真

しみ方はごく一般的なものである)。そうやって撮られ

ぜコスプレをするようになったのか、 こういう写真を撮

を新聞やテレビなどを通して目にしたり、実際、電車の

た写真を数十点選び、 プリントアウトしたものを、広い

って何が一番面白いのか、一番お気に入りの写真はど

中や繁華街などで見かけたことがある人も少なくない

机の上に並べてみせてくれたのだった。

れか……。 しかし、そこで一番戸惑っていたのは、当の

のではないだろうか。 しかし、 それが本当に何であるか

私は一瞬、言葉を失った。彼らはそれなりに手が込んで

学生本人だったのかもしれない。 というのもこれらの写

を知る人は、意外と少ない。

いるとはいえ、見るからにチープな衣装を身につけ、 い

真は、 コスプレをしない人に見せるために撮られたもの

アニメやマンガ 、ゲームの登 場 人 物の衣 装や格 好

ささか誇張気味のポーズでカメラの前に立っていた。写

ではなかったからだ。確かにコスプレは写真と不可分な

を真 似てそのキャラクターになり切る「コスプレー

真はいずれもさりげないスナップショットというよりも、

関係にあるが、そこで撮られた写真はメールで交換さ

ヤー 」は、いまや日本に数 万 人いるといわれ( 一 度

ドラマティックな効果を狙って対角線や遠近感を強調

れたり、 インターネットのコミュニティサイトやコスプレ

だけでもコスプレをしたことのある人を含めればそ

した極端な、 ほとんど凡庸と言いたくなるような撮り方

雑誌に投稿されたり、 あくまでも仲間うちで楽しむため

の数は何 倍にも膨らむという)、その人口は国 境を

が目立つ。 そんな写真のなかで陶酔した表情で空を見

のものにすぎない。実際この学生にとって、そのような

越えて今なお拡大し続けている。ちなみにインター

上げたり、 カメラを見つめて妖艶に微笑む彼らの姿は、

場以外で写真を見せたのは初めてのことだった。 デジタ

ネット上の日本最大のコスプレ・コミュニティサイト

正直なところずいぶん幼く見え、 しかし同時に、奇妙な

ルカメラで撮った画像をプリントアウトしたことすら初

自信のようなものにも溢れていた。

めてだったという。

活動しており、200万枚以上の写真がアップされて

私は、彼らが真似しているキャラクターやその背景とな

もちろん私たちはそうした写真のなかに、 コスプレをす

いるという。2003年からは「世界コスプレサミット」

っているマンガやゲームについて、 ほとんど何の知識も

る若者たちの欲望や無意識を分析したり、 日本のサブ

が開催され、参加国数は年々増加傾向にある。

持ち合わせていなかった (日本人だからといって皆がマ

カルチャーの特徴を見いだしたり、彼らの理想と現実の

だがこうしたデータをいくら並べてみても、 コスプレが

ンガやアニメ、 ゲームに精通しているわけではない)。 だ

ギャップを指摘したり、写真作品として至らぬ点を挙げ

何たるかを理解する手がかりには、 じつはほとんどなら

から彼らが演じているキャラクターが誰なのかは無論、

ることは、 たやすくできるだろう。 しかしその教室で、私

ない。私がそのことを実感させられたのは、都内の大学

その背景となっているストーリーを推測することもほと

にはそうすることが彼らにとても失礼な気がしたのであ

で担当しているある授業での出来事だった。学生が自

んどできなかったし、 それらのコスプレ写真が他のコス

る。 そんなことよりも、同じ写真を前にしていながら、彼

分で撮った写真作品を発表し、 それについて全員で話

プレ写真とどう違うのかということもわからなかった。

女と私 (たち) との間で、 その意味を読み取るコードの量

し合うという内容の演習で、 あるとき、 コスプレをしてい

つまり、 どれだけ時間をかけて凝視しようとも、 これらの

と質が、 つまりは対象の中に意味を読み取る愛の強度

る学生が写真を持ってきた。彼女はお気に入りのマン

写真はピントや構図などのテクニカルな面をのぞけば、

が圧倒的に違うという事実そのものが、私を、 そして学

ガのキャラクターの衣装を手作りし、 それを着て交流会

私たちの視線や言葉などまったく必要としない、 それ自

生たちを圧倒していた。 コスプレをめぐる幾重にも絡ま

や撮影会などのコスプレイベントに行き、そのキャラク

体で完結し閉じられたひとつの世界に見えたのである。

り合う意味のコードを共有できない限り、 そこに立ち入

ターに合った場所を選んで写真を撮ってもらっている。

実際その教室には、彼女以外に誰ひとりコスプレをする

ることはできなかった。 しかも、 コスプレやアニメに関す

それと同時に、 そうした仲間の写真も撮っている (コス

者はいなかった。 そこで、 これらの写真を取り囲んだ学

る学生の熱のこもったプレゼンテーションを数時間聞

「Cure」では、現在4万人以上のコスプレーヤーが

You may have heard of the term “cosplay”, (short for costume-play) through the media, or

are dressed as, or any of the background of these characters. No one in the class was

you have seen them in person somewhere in the city. However, not so many people know

familiar with this culture and they started to ask questions. Why and how she started to do

what this is all about.

Cosplay and what interested her about taking these photographs. Which one does she likes the most? However, these questions were irrelevant and confusing for her because these

“Cosplayer”, people who dress like a character from Manga, Animation or video games.

photographs were meant to be exchanged exclusively within the Cosplay community, and

The source says that there are more than 10,000 “Cosplayers” in Japan and the popula-

shown to the people who have common understanding of the culture. These photos were

tion is growing internationally. More than 2,000,000 photographs are uploaded on the

taken for email exchanges and posting on the Cosplay Internet websites.

Cosplay community website “Cure”. World Cosplay Summit was established in 2003, and the number of participating nations is increasing. Cosplay is now internationally popular,

It is easy to criticize or analyze the characteristics of Japanese subculture, it’s optimistic

however, this data does not help us to understand what Cosplay really is about unless you

ideal word and how this imaginary world is separated from the real life. And these photo-

have a chance to interact with a Cosplayer.

graphs are not even technically qualified as art. However, somehow, I felt there is something else in these photographs that are beyond my understanding, which will never be

I was teaching a photography class at the art school in Tokyo, and one day, a student

understood by outsiders including myself and other students. There was a huge language

brought her Cosplay photograph to the class. She went to a Cosplay event and took some

gap between “them” and us. We cannot communicate with Cosplayers without the “code”

photographs of herself and her friends. In the photographs, they dressed like anime

that they use to understand each other. They have so much more care into this Cosplay.

characters. She proudly told us that she made the costume by herself. Taking photographs

This much care almost pushes away the others who are outside of the circle. Unless you

of each other and making costume is a common practice in the culture. I was speechless

understand the “code” with many layers of meanings and reasoning, you would never be a

when I saw the photographs. People were oddly posed and stood with the pride in front

part of them. Obviously, it is impossible to understand the dynamics of the whole Cosplay

of the camera in the cheaply hand made costumes. The photographs were taken from the

culture by listening to a few hour-long presentations.

sharp angle and perspective that gives dramatic effect just like an action figure. It was far from just snapshots. The person in the photograph looks immature at the same time,

Narcissus loved the reflection of himself on the surface of the water. But these cosplayers

strangely confident. I did not have any knowledge about the anime characters that they

crossed the line and jumped into the water, and then became the reflections themselves.


いた程度で、 それが簡単に 「共有」 しうるようなものでな

する自分たちでしかないのだから。 そして彼ら自身の興

なイベントにおいてのみ必要とされるものだ。 そして、 そ

いということも明らかだった。

奮を別にすれば、 それらはちっぽけなデジタル画像とし

れぞれのコスプレに合ったシチュエーションやポーズが

 対象を愛するがあまり、 みずからその姿になろうと望

て、 インターネット上のコミュニティサイトにつかのま漂

選ばれることによって、写真は 「完成」 に近づいていくの

むこと。 それはある意味で、 ナルキッソスが水面をうっと

うことしかできない。 ただそれだけではあるが、 しかし、

である。 その意味で生活空間というのは、彼らにとって

りと覗き込み、 その姿に恋をして亡くなったのとは異な

それこそが彼らにとってすべてなのだ。

はあくまでも様々な準備を行うための場にすぎない。 し

り、 その境界を思わず超えて水面に飛び込んでしまう行

かしよく考えてみれば、彼らがマンガやコミックに出会

為にたとえられるかもしれない(もちろん、水面に映る

『キャラクター・ドロボー』 と名付けられたオリヴァー・

い、熱中し、 さらには衣装を手作りしてイベントの準備

姿は彼そのものではないのだが)。 だがその境界を超え

ジーバーの写真集に登場するのは、世界のあちこちに

をするため膨大な時間を過ごすのは、 じつはこれらの場

た瞬間、 その姿は衝撃で歪んでしまう。 しかも飛び込ん

散在する、 こうしたコスプレーヤーたちである。 しかしそ

に他ならないのである。

でしまえば、二度と自分でその水面を見ることができな

れは、巷のコスプレ写真や、他の写真家によって撮られ

そもそも、 コスプレは日本のサブカルチャーの代表的存

い。 コスプレーヤーたちはこうして、 みずから飛び込んだ

てきたものとは、 どこか確実に異なっている。 これは、 コ

在としていまや世界的に知られているが、 こうしたサブ

水面の下で、 お互いがお互いの鏡となるほかなくなって

スプレーヤーが自分たちのために撮る写真でも、 コスプ

カルチャーは必ずしも 「メイン」 に対する 「サブ」 (下位)、

しまうのかもしれない——水面という境界を踏み越え

レの奇抜さをこれ見よがしに見せる写真でもない。独特

つまりマイノリティーの文化現象を必ずしも意味するわ

た者だけの間で。

の静謐さをたたえたその写真には、 コスプレに関する様

けではない。実際コスプレの母胎になっているアニメや

 実際、 その学生は授業の後、慎重に言葉を選びなが

々な意味のコードを共有しない者であっても思わず引

ゲーム、 マンガは、 いまや巨大産業によって生み出され

ら私にこう話してくれた。 「たとえ同じコミックやアニメ

き込まれてしまう質がある。 いったいそれはどこから来

る消費文化であり、年齢を問わず幅広い人気を誇って

が大好きであれ、 コスプレをする人としない人の間には

るのだろうか?

いる。そこにはカウンター・カルチャーのような抵抗性

0と1ほどの歴然たる違いがある」。 それはたとえば、音

まず一目で気づくのは、 これらの写真が彼らの生活空

や政治色はほとんどない。 つまり、 コスプレーヤーの格

楽を演奏する人とそれを聴く人との間で共有されるよ

間で撮られているということだ。 自室やキッチン、居間、

好がどれだけ私たちの目に特異なものに見えようとも、

うな、音楽への愛に基づくゆるやかな関係のあり方と

ベランダ、 あるいは近所の公園など、 それらはなんら特

彼らが愛するストーリーが広く共有され得ないものだ

は、 確実に異なっている。

別な場所ではない。 その細部に目を凝らせば、多少なり

としても、 その源にあるのは、現代社会に生きる私たち

 みずから愛する対象の姿になろうとするという点で

ともそれぞれの文化的・社会的なバックグラウンドや、

がごく普通に享受し消費している文化そのものなのだ。

は、たとえば美術作家の森村泰昌は、みずからの身体

彼らのコミックやアニメへの傾倒ぶりを読み取ることが

その意味で、彼らの生活空間は、私たちのそれと文字通

を使ってマリリン・モンローやブリジット・バルドーとい

できる。 とはいえ、基本的にはいずれもどこかで見たこと

り地続きなのである。

った女優や名画に扮した作品で広く知られる。それは

のあるような、 ごく平凡な空間にすぎない。

しかし、 じつはだからこそ、 コスプレが一般の生活空間

彼なりの対象に対する愛の表現なのだと本人は言う。

 通常コスプレーヤーは、 このような身近な場所で自

の中で置かれている立場には、微妙な緊張感や戸惑い

だがコスプレーヤーたちの場合、 その愛が「芸術」 に高

分たちの写真を撮ることはほとんどない。 コスプレにと

が少なからず伴うことも事実だ。 日本において、 とりわけ

められることはない。彼らにとっての観客は、 コスプレを

って写真とは、 あくまでも交流会や撮影会のような特別

都市から離れた地域においては、 少なからぬコスプレー

The only difference is that what they see in the water is not the reflection of themselves,

bedrooms, kitchen, living room, or at the park near by. There is nothing special about

but other Cosplayers. Those who crossed the line, only crossed it to share the world under

locations. If you look closer, there are some details and evidence that tells you about their

the water. When one loves another as much as oneself, and actually wants to become an

cultural and social background, but they are just in their basic every day living environ-

other self.

ment. Cosplayers would never take photographs in their living spaces. They are often taken at the social gatherings and events. Cosplay photographs can only be “complete”

In fact, the student confessed that there is a great difference between people who just

when the pose, the background and the situation all match with the costume. Another

read Manga and people who dress like Manga. Even if you like Manga, if you do not do

word, the living spaces are just for the preparation for the event, the place for sewing the

Cosplay, you will never share that same love. It is different from what music lovers share

costumes, reading and studying Manga and about the characters. They spend much time

with musicians.

in the space to prepare.

Yasumasa Morimura, whose work is about becoming some one he loves. Morimura’ s works

Cosplay is one of the most known Japanese subculture worldwide. “Sub”culture is not

are known for the photographs of him dressed like Marilyn Monroe and Brigitte Bardot.

necessary opposite of the “main”culture. “Sub” does not mean smaller population cul-

Morimura claims that becoming his beloved is the way of expressing his love. The Cos-

tural phenomenon. Animation, video games and Manga is multi-million dollar corporation

player photographs would never be called art because their audiences are only them-

businesses that attract many different generations. This is not a counter-culture either.

selves. In spite of the excitement that they share among themselves, it only exist on their

Although the Cosplay-look is different from what we see in daily life, this culture is directly

website, and that is all they have.

connected to our consumed culture. Cosplayers lifelines are connected to ours as we share the same society, but at the same time, there are also some tensions between the Cosplay

In Oliver Sieber’s now published book “Character Thieves” we find a series of Cosplay

lifestyle and everyday society. Especially in the suburban and rural areas of Japan, Cos-

portraits. Sieber’s photographs do not have the expression of the passion that Cosplayers

players often hide their hobby from their families and professional colleagues. Although

share, but there is some common language we can share. There are some elements that

Manga is very popular, Cosplay is still “over the top” behavior. The Cosplayers from rural

make us feel little more related to Cosplayers in Sieber’s photographs. One of the reasons

areas often take the hand made costumes in their suitcases and change into their costume

is that these photos are taken in the every day real life situations. They were taken in their

in the public bathrooms and go to the event. Afterwards they change back into their re-


ヤーたちは自分がコスプレーヤーであることを家族や

意味をある程度読み取ることはできるが、 マンガやアニ

ることのない 凡 庸 な 住 宅 地の 一 角で、この 現 代の

職場の仲間に隠して暮らさざるを得ない。 アニメやマン

メに詳しい人でない限り、彼らの格好が厳密に意味す

天 使たちは、果たして何を思っているのだろうか?

ガ、 ゲームといったものが国民的な支持を集め発達して

るところを完全に読み取ることはできない。 その結果、

いる国だからこそ、かえってコスプレという行為はいわ

ひとつのフレームの中に空間とそこに暮らす人間が共

オリヴァー・ジーバーは、90年代末から今日に至るま

ば「一線を越えた行為」 として否定的に捉えられてしま

存しているにもかかわらず、両者の間にある手の施しよ

で、数々のポートレイト写真によるシリーズを制作して

いがちなのだ。 そこで彼らは週末になると、 自宅で作っ

うのない深淵が、 ひとつの経験として見る者に迫ってく

きた。 スキンヘッドやモッズカルチャーなどのユースカル

たコスチュームをスーツケースに詰め、駅のトイレやイ

るのだ。

チャーに属する若者を撮影した 「Skins Mods Teds」 、

ベント会場の控え室で着替え、 インターネットや交流会

ただし、彼らは他のどの星からもやってきたのでは

性転換した若者を撮影した 「Boy meets Girl」 、 ドイツ

で知りあった仲間たちとそれを楽しんだ後、何事もなか

なく、まさにこの場 所で暮らし、どこにでもいる消

および日本でパンクの若者を撮影した 「Mici」 「j_subs」

ったかのように再び近所の駅を降り、帰路につくのであ

費者のひとりとして、これらの居間や部屋の中でマ

など、 いわゆる主流ではなく社会の周縁に位置するグ

る。 これが日本における少なからぬコスプレーヤーたち

ンガやアニメに夢中になり、胸躍らせてきた若者に

ループを通して、若者の集団的アイデンティティや個性

の日常である。それはコスプレが「クール・ジャパン」 を

すぎない。ところが 、ある一 線を越えて愛するもの

の問題を探ってきた。 その撮影方法は比較的一貫して

めぐるエキゾティックなイメージの中で受容されている

と同じ姿になることを望んでしまった途 端 、彼らは

おり、薄いグレーか白のバックを背にしたバストショッ

海外の状況とは、 いささか異なっているだろう。

その空間にひとりで投げ出され、カメラの前で茫然

トがその大半を占めている。 そして被写体の視線はカメ

ジーバーは、 日本であれそれ以外の国であれ、 そうした

と立ちすくんでしまう——彼らはまるで、現代の消

ラから逸らされ、見る側が被写体の視線にたじろぐこと

コスプレーヤーたちをそのままの格好で、彼らの生活空

費文化から生み出された天使のようにすら見える。

なくその細部を凝視し検証することを可能にし、 ある種

間へと連れ戻す。 そして彼らの格好の奇抜さを強調する

しかしその天 使たちの姿は、あたかも世 界に産み

の標本のような印象すら与えている。

代わりに、 むしろ多くの場合に柔らかな外光を活用しな

落とされたばかりのごとく初々しくあるにもかかわ

じ つ は 被 写 体 が カ メラ を 見 つ め て い る か ど う

がら、彼らのコスプレへの愛を育んだ生活空間そのもの

らず、一 方でその表 情から虚ろさを隠しきれない。

かということは 、写 真 の 性 質 を 左 右 する 重 要 な

が、 じつは他の生活空間となんら変わるものではないこ

点 で もある 。被 写 体 が カメラを 見 つ めてい る 場

とを示唆するのだ。彼はこうやってコスプレーヤーたち

彼らはもはやコスプレにお決まりのポーズをとるこ

合 、そ の 写 真 を 見 る 側 は 否 応 な く 被 写 体 と 目

を、今まで出会ったことのない方法でカメラと出会わせ

ともなく(たとえポーズをとっているように見えて

が 合 って い る よう に 感 じ る 。こ の 、写 真 か ら ま

るのである。

も、どこか仕 方なく道 具を手にして脱力していると

な ざされ るという 感 覚 こそ が 、ロラン・バ ルトが

すると、 そこからは覚醒にも目眩にも似た、驚くべきひ

いった風 情 だ )、カメラをじっと見つめることもな

『明るい部屋』 において展開した、見る側の一般的関心

とつの感覚が生じる。誰もがどこかで見たことのあるよ

く、ただぼんやりと思いに耽っている。もはや、自分

をかき乱す 「プンクトゥム」 という概念のベースにあるこ

うな凡庸な生活空間の中に、 まるで別の星からやって

がこのような格好をしていることすら気づいていな

とは言うまでもない(この本の冒頭が、 ナポレオンの弟

きたかのような青年たちが、 それぞれひとりぼっちでた

いかのように、自分 の中に引きこもっている。この

の肖像写真の眼のエピソードから始まっていることを思

たずんでいる。私たちは彼らを取り巻く凡庸な空間の

世 界 にただ 漫 然と拡 がる、いまさら誰も目をとめ

い起こそう) 。

gular clothing in the bathroom before they go home. This is the life of Cosplayers. This

and identities of young people through the group being out of the main current social

real life version of the Cosplay does not necessarily translate into the exotic “Cool Japan”

position. His method of photographing is comparatively consistent, bustshots in light grey

theme outside of Japan.

or white are subdued for the most part. A subject’s eyes look away from a camera, you can stare at and inspect the details of it without shrinking from subject’s eyes, and it makes

Sieber brings the Cosplayer back into the every day environment under the natural day-

an impression on you.

light. This could be a very unusual situation for Cosplayers. The costumes look out of place in the house, but this everyday environment is in fact where the Cospalyers actually be-

In fact, it is important to influence as one of the properties of photography whether an

long. By taking photographs of them in these real life situations, we see them differently.

object stares at a camera or not. If an object stares at a camera, you would feel that your

The figure looks isolated and does not belong. By placing Cosplayers within this real life

eyes met whether you wanted to or not. It is needless to say that this sense of getting

situation, we see them in a different way, yet we must admit that it is odd when we see

a look from a photograph is the conception of the basic of confusing people’s general

these two different worlds in one frame, even when we know that this place is where this

interest “punctum” which Roland Barthes developed in “La Chambre Claire” (you will

Cosplayer lives and spends most of their time reading manga and watching anime. When

recall that the beginning of this book starts an episode of the eyes of the portraits of

this person becomes a Cosplayer and stands in front of the camera, in a costume, in the

Napoleon’s brother.) But, there is one more important property of the photograph that the

room, this person looks lost and absent. They do not pose as an anime character like they

object stares at the camera. It might contradict, but you can control the object by showing

do at the Cosplay events. They do not know what to do in this costume in this dull reality

a camera to the object. (otherwise, why are the portraits taken at the concentration camp

within some apartment complex. They look like an angel lost in this real world. Who knows

and the police always made to stare at the camera?) In fact, to make the object to stare

what this angel dreams about in this ordinary everyday life.

at the camera is an action of control that you put the object’s eyes down and keep it not to escape from there.

Sieber has been producing many series of portraits since the end of 90’s. “Skins Mods Teds” are portraits taken of young people who belong to youth-cultures like Skinhead- and

According to Sieber’s photographs, most of the objects don’t look straight at a camera.

Mod-culture, “Boy meets Girl” is about transsexual people, and “Mici” and “J_Subs” are

That makes it possible to some extent to let you stare at the objects, at the same time, you

about punk in Germany and Japan; he has been studying the matter of group individuality

aren’t given all of the objects, and you make them to put off some parts of their inside.


ただし、被写体がカメラを見つめている写真には、 もう

で、私たちがそもそも他者の顔に何を見ることができる

した孤独や不安を、独自の方法で浮き彫りにすることに

ひとつ重要な性質がある。 それは矛盾するように聞こえ

のか、 同時に何を見ることができないのかということを、

成功している。そして、彼らの視線をカメラに強制しな

るかもしれないが、被写体にカメラを見させることによ

静かに問いかけるのである。

いことによって、被写体それぞれの中にある、 けっして簡

って、 むしろ見る側は被写体を支配することができるの

 そもそも 「見る」 とは、 つまり他者を見るとは、 自己と

単には共有しがたいものの存在を示唆しているのだ。

だ (そうでなければなぜ、強制収容所や警察で撮られる

他者との間に横たわる超えがたい深淵を、 あたかも存

事実、私たちの多くは、 コスプレーヤーについて完全に

ポートレイトはつねに被写体にカメラを見つめさせるの

在しないかのように取り扱うことではない。 それとは逆

理解することなどおそらくないだろう。 しかしよく考えれ

だろう?)。被写体にカメラを見つめさせることとは、 じ

に、両者の超えがたい深淵にできるかぎり寄り添おうと

ばそれは、根本的にはあらゆる自己が他者を完全には

つは見る側が被写体の視線を捉え、そこから逃げられ

することではなかっただろうか? しかし私たちはたい

理解できないのとほとんど同じことでもある (「私」 は世

ないようにねじ伏せ、支配する行為でもあるのだ。

ていそれを 「個性」 や 「愛情」 などといった言葉によって

界中で私の眼だけは決して見ることができないがゆえ

ジーバーの写真において、被写体の大半はカメラをまっ

なんとなく説明した気になって、適当に片付けてしまう

に 「私」 であり、 「他者」 は、私がそう理解しているように

すぐ見つめることがない。 それは、見る側が彼らをじっく

のが常である。 それに対して、 ジーバーの作品には、 この

私を理解できないがゆえに 「他者」 なのだから)。 だから

りまなざすことをある程度可能にすると同時に、被写体

写真という、 ともすると暴力的になりがちな視線に対す

こそジーバーは、普段私たちが単なる特異な現象とし

のすべてをこちらに受け渡させることなく、彼らの内の

る配慮と、他者の顔というものに対する深い敬意が満

て片付けてしまいがちなコスプレーヤーの姿を、誰より

ある部分を保留させもしている。 つまり視線が決して交

ちている。

も丁寧に、彼らの生活空間と共に、 あらゆる誇張を避け

わらないがゆえに、私たちはここで見る者と見られる者

「キャラクター・ドロボー」には、ユースカルチャーにお

て見つめようとする。それによって浮かび上がるのは、

の、 つまりは自己と他者の非対称性に気づくことができ

けるアイデンティティと、 この写真における視線という、

見る者と見られる者の間に横たわる深淵であると同時

るのだ。

二つの重要な関心が流れ込んでいる。前述のとおり、 コ

に、誰にとっても当たり前の生活空間であり、孤独であ

ジーバーの作品に通底する、 このような写真における

スプレはとりわけ写真というメディアと深く結びついて

り、夢でもある。その意味で、 これは現代の天使たちの

視線をめぐる関心は、近作である盲人のポートレイト・

展開しており、 きわめてフォトジェニックな存在でもあ

ポートレイトであると同時に、 それを見ている私たち自

シリーズ 「The Blind」 に最も明確に表れている。 そこに

る。 だから、 コスプレーヤーたちをスタジオで撮影すれ

身のポートレイトでもある。 とするならば、 じつはこの写

は生まれつき目の見えない人や、事故などで視力を突

ば、その奇抜さや特異性を強調する 「クール」で「珍し

真集を眺めている私たちこそが、 いつの間にかナルキッ

然失った人、 あるいは徐々に視力を失った人たちが含

い」写真が撮れることは、誰にでも容易に想像がつくだ

ソスのように水面を覗き込み、 身を乗り出しているとい

まれている。 いずれにせよ彼らはこちらを決して見返す

ろう。 しかしだからこそジーバーは、 これまでの撮影方

えるのかもしれない。竹内万里子、写真評論家、東京国

ことがない。私たちの視線に晒された自分自身の顔を

法を変え、彼らをあえてその生活空間の中にとどめるこ

立近代美術館客員研究員

見ることもない。 その意味で、私たちは一方的に彼らを

とによって、単なる特異な対象として示すのではなく、

まなざしているとも言える。 しかしジーバーは、ただ暴

私たち全体にかかわる存在として呈示する。 その結果、

力的に彼らの顔へカメラを向けるのではなく、驚くべき

フィリップ=ロルカ・ディコルシアやリズ・サルファティの

慎重さと繊細さをもって対峙しようとする。 そうすること

写真作品にも通じるような、現代人の中に潜む荒涼と

That is to say, we can realize unbalance of a person who sees and another person who is

figures by placing them back in everyday life. There, we can see Cosplayers as one of us,

seen, or oneself and others. The interest about the eyes of the photograph is well informed

sort of speak. Sieber successfully brings anxiety and loneliness in today’s desolated con-

of Sieber’s works, expressed most clearly in the portrait series of blind people in recent

temporary lifestyle. Similar to the work of Philip-Lorca diCorcia and Lise Sarfati.

years called “The Blind”. There are people who have been blind from birth, who lost their

Most of us never understand much about Cosplayers, but we would never understand

eyesight by an accident, and who have been gradually losing their eyesight included. In

anyone completely. “I” do not see myself with my own eyes. Only the others could see “I”.

any case, they never look back at us. They don’t look at the face of themselves watching

Perhaps, others are others because they can only see “I” through their eyes. Cosplayers are

by our eyes. By the meaning, it says that we are giving them an one-sidedly look. But,

often treated as someone “special”, but Sieber connects them, in his photographs, very

Sieber doesn’t just turn a camera to them rudely, and he tries to get along with surprising

carefully with another part of their lives which is not special. There we witness the relation-

care and delicacy. By doing that, we ask silently what we can see and what we cannot

ships between “them” and “us”, subject and object. They could be lonely dull reality and

see in their face at the same time. Now, the “look” or looking at others is not treated an

dreams. Sieber’s photographs are in a way portraits of urban angels, and the same time

abyss hard to beyond lying between oneself and other as no exist. The reverse of it, was it

portraits of ourselves. In the end, we are the observers who are looking these photographs

possible to get closer to an abyss hard to beyond between them? But, we usually settled it

as reflection of ourselves, just like Narcissus was looking at his reflection on the water.

with a vague explanation using the words of “individuality” and “affection” On the other

Takeuchi Mariko/Tokyo, Photography critic and curator, Guest researcher, The National Muse-

hand, Seiber’s works, as this photography, are filled with consideration for the eyes being

um of Modern Art, Tokyo

apt to tend to be violence and deeply respect for the stranger’s face.

Two important interests flow into the series “Character Thieves”, which are the identity in youth-culture and the eyes in the photograph. As mentioned before, the Cosplayers have been developing to be tied up with a media as a photography, it is extremely photogenic. So, anyone could easily imagine that “cool” and “unusual” photographs that emphasized originality and uniqueness can be taken only if the photographs of the costume players are taken in the studio. Sieber takes out that this unfamiliar Cosplay subject as relatable


Reita, Köln 2007

This publication was made possible through your

Tetsuya Goto Osaka

Oliver Sieber, Character Thieves

contribution to the Special Limited Editions:

Daniela Steinfeld Düsseldorf

Concept and Design: Oliver Sieber

Lenneth, Osaka 2006 and Cake & Mr. Brown, Queens NY 2007

Mischa Kuball Düsseldorf

Typography & Illustration: Katja Stuke

C-Print, 30 x 37,5 cm, Ed. 35 each, numbered and signed

Yvonne Hochtritt Düsseldorf

English/German translation: Barbara Schmeichel, Düsseldorf

Thank you for your support:

Ralf & Juliane Ritter Köln

(www.os66.de/buch/textdownload)

Christoph & Markus Schaden Köln

Bonner Kunstverein, Artothek Bonn

Translation supported by:

Rudolf Arnold Ulm

Dirk Ufermann Bonn

Sandra Exterbrink München

Felix Biehler/Art Book Cologne Köln

Wolfgang Schäfer Düsseldorf

Karen Stuke Berlin

Published by:

Gaby Kraushaar Düsseldorf

Goethe Institut Toronto

Schaden.com, Burgmauer10, D-50667 Köln

Thomas Hanssen Köln

Duff Murphy Los Angeles

+49.(0)221.92 52 667 www.schaden.com

Lawrence Barth Los Angeles

Combination Records Düsseldorf

All Rights Reserved.

Steven Cohen Los Angeles

Oliver Räke Düsseldorf

No part of this book may be used or reproduced in any manner

Mirko Meurer Köln

Art Book Cologne Köln

without the written permission of the publisher.

Rudolf Müller Düsseldorf

Dr. Andreas Hentsch Köln

© Schaden.com feat. Böhm/Kobayashi Publishers

Inga Schneider Köln

Ferdinand Brueggemann Köln

© Fotos: Oliver Sieber

Helga Weckop-Conrads & Walter Conrads Düsseldorf

Verena Loewenhaupt Köln

© Text: Mariko Takeuchi, Tokyo

Ute Blechschmidt Köln

Olaf Schumacher

Printing: Druckstudio GmbH, Düsseldorf

Foundation For Visual Arts Krakow

Jürgen Jansen Düsseldorf

Marc Wilde Erkelenz

Robert Pufleb Düsseldorf

Frank Hermann Düsseldorf

Christiane Stahl Köln

Kirsten Koehler Köln

Tina Schelhorn Köln

Thank you Katja, Mom and Dad.

Oliver Forsbach Troisdorf

Buchhandlung Walther König

My very special thanks to all the nice people I photographed.

Arno Forsbach Troisdorf

Thomas Flor Düsseldorf

Through your help I was able to enter a new world.

Christiane Mitschker & Ole Schilling Köln

Kirsten Braun Radevormwald

Andrea & Marc Radermacher Düsseldorf

Kai Zastrow & Vilja Machgielsen Amsterdam

Andreas Wigand Düsseldorf

Christian Blei Düsseldorf

Walther König Köln

Ute Löwenberg Düsseldorf

Heike Rybienski Düsseldorf

Löwenberg Family Düsseldorf

Städtische Galerie Iserlohn

Jens Altemeier Köln Deutz

Dirk Klein Daaden

Rolf Philips Niederkassel

Norbert Dickten Köln

Caro Frankfurt/M.

ISBN 978–3–932187–63–6 Printed in Germany

More Books by Oliver Sieber Deutsch – Young German Photography Vol. 2, Hamburg 2001 Die Blinden, Schaden.com, 2007 Citizen’s Handbook, with K. Stuke, Schaden.com, 2004 The Böhm Project, with K. Stuke, Catalogue CASO Osaka, 2006 http://www.os66.de


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Schaden.com feat. Böhm / Kobayashi Publishers 978–3–932187–63–6

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