Navi Magazine Volume 6

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ルソン島

フィリピンのイスラーム教徒 「モロ」の知られざる闘い

太平洋 マニラ

南シナ海

ヴィサヤ諸島

ミンダナオ紛争の現場を訪ねて 床呂郁哉

(ところ いくや)

スールー諸島

東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所

イスラームというと、とも すると「中東の宗教」という イメージが一般的には強いの ではないだろか。たしかにイ スラームは、西暦7世紀前半に 預言者ムハンマドがアラビア 半島で創始した宗教として有 名である。しかしイスラーム はその後、西暦13世紀頃まで には既に西は北アフリカから 東は東南アジアに至るまでの 広大な地域に浸透していった。 意外に思う読者もいるかも しれないが、現在、ムスリム (イスラーム教徒)の人口が世界 で最も多い国は、中東のいず れの国でもなく、他ならぬ東 南アジアに位置するインドネ シアである。また東南アジア 全体でも、イスラームは域内 で最大の宗教であり、イスラ ームは同地で単に個人の内面 的信仰の領域のみならず、食 事や衣服などの日常生活の内 容にも強い影響を及ぼしてい る。また近年の世界的規模の イスラーム復興の動きとも呼 応して、イスラームは東南ア ジアにおいて政治や経済など

といった公共的な領域におい ても影響力を増しつつある。 本稿は東南アジアのムスリム のなかでも「モロ」 、すなわち フィリピン諸島のムスリム(イ スラーム教徒)について、現在 進行中のミンダナオ紛争(フィ リピン南部の島ミンダナオで のムスリム反政府武装勢力と 政府側の武力紛争)の話に焦点 を当てながら紹介していきた い。 歴史的にはフィリピンにイ スラームが伝来したのは13世 紀以降であるという説が有力 である。現在フィリピンに残 る最古のモスク(ムスリム礼拝 施設)はスールー諸島南部のシ ムヌル島にある。筆者がシム ヌル島を訪問した際にも14世 紀後半の建設当時の木造の柱 がそのまま残されていた。こ うしてフィリピン諸島に伝来 したイスラームはその後、現 地の政治的基盤として採用さ れ、スールー諸島やミンダナ オ島ではスールー王国やマギ ンダナオ王国などと呼ばれる 独自のイスラーム王国が成立

ミンダナオにある国連が設置した難民キャンプ(Evacuation Center)の 子供たち。厳しい状況のなかでも子供たちの表情は明るかった

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NAVI Manila 2010.11.15

ミンダナ

シムヌル島

し、近隣のブルネイやテルナ テといった東南アジア島嶼部 と交易によって繁栄した。一 時は現在のマニラもラジャ・ス レイマンというブルネイと関 係の深いムスリムの首長によ って統治されていた時期もあ り、今もラジャ・スレイマンの 彫像をロハス通り沿いに見る ことができる。 さて、先に述べたようにフ ィリピン諸島のムスリムは 「モロ(Moro)」と呼ばれるが、 この語源は、そもそも北アフ リカ出身のムスリムへのスペ イン側の呼称であった。16世 紀以降にフィリピン諸島の本 格的な植民地化に乗り出した スペインは、異教徒のモロを 不倶戴天の敵、討伐対象とし て攻略を試みるが、モロの激 しい抵抗に阻まれることにな る。スペインは、ついに19世 紀の末に至るまで、決してミ ンダナオやスールー諸島のム スリム圏を実効支配すること はできなかった。 20世紀に入ると、スペイン に代わって今度はアメリカが


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