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台灣東亞歷史資源交流協會 會刊 東アジア歴史資源交流協会 アジア歴史資源交流協会ニューズレター 歴史資源交流協会ニューズレター East Asia Popular History Exchange, Taiwan (EAPHET)

No.15 日文版 2013/07/01 eaphet@gmail.com Tel/Fax:886-4-23145592 台灣台中市西屯區何厝街112巷5號

http://eaphet.myweb.hinet.net <目次> 目次>

特集1

福島第一原発爆発から 福島第一原発爆発から台湾 から台湾へ 台湾へ避難して 避難して

特集 1

2013 年、今 考 え る こ 私の経験から と— 経験から

福島第一原発爆発から 福島第一原発爆発から台湾 から台湾へ 台湾へ避難して 避難して

■福島第一原発爆発から 福島第一原発爆発から 台湾へ 台湾へ避難して 避難して 上前昌子 1~4 ■山に住む人々─遮断さ 遮断さ

れたアフガニスタン 劉佳昇 5~8 ■私のベトナムイメージ ―ベトナムで働 ベトナムで働いて 林欣怡 8~10 特集2

核四をめぐる 核四をめぐる攻防 をめぐる攻防 ■元原発技術者・ 元原発技術者・菊池洋 一講演会 吉田藍 11~12 ■原発トリオ 原発トリオ、 トリオ、台湾で 台湾で旗 13 を振る 古川ちかし 古川ちかし ■台湾の 台湾の第四原発

-自救会会長さんの 自救会会長さんの話 さんの話 武藤泰子 14~15

上前昌子 時間の流れは早いもので娘と息子と3人でスーツケース3個のみを持って台湾に来て から、中国語も話せないまま暮らし始め1年3ヶ月が経ちました。原発の爆発後、慌し く時間が過ぎている部分と、自分の中でまるでそこだけぽっかり時間が止まってし まったかのような部分とが同居している毎日です。ふとした縁で、台湾でも自分が経 験した原発爆発、避難という事をお話させて頂く機会をもらい、改めて振り返り書い ています。 私の自宅は原発から約60キロの郡山市にありました。大阪から夫の仕事の関係で転 居し、のどかで住みやすい土地が気にいって7年前に家を新築し、4年前に庭にミニロ グを建てました。木製おもちゃの販売、自 宅のリビングでベビーマッサージ教室、手 作り 工作教室、親子で 遊べる プレイル ー ム、そこにはたくさんのお子さんやママさ んパ パさん、時にはお じいち ゃんおば あ ちゃんも来店してくれて、忙しいながらも 楽しく過ごしていました。娘の部屋の窓か らは、安達太良山が綺麗に見えて四季の移 り変わりを感じられる家でした。3月11日 までは…。

聊聊映画館レビュー 聊聊映画館レビュー ■Gasland 村山さたね 村山さたね 15 ■Living Without Money

15

村山さたね 村山さたね

■父、中国民主活動家王

炳章の 炳章の釈放を 釈放を目指して 目指して― して― 良心の 良心の囚人 太田千秋 16 ■中国語で 中国語で話そうNo.8 20 ■【写真エッセイ 写真エッセイ】

一人の 一人の幻[1]雪の国 イワン・ス 20~21

3月11日 11日 あの日は、たまたま宮城県で仕事をし ていました。夫が仙台で単身赴任してい て私も仕事で行き来していたのです。何 が起こったのか?というようなものすごい 揺れ、ものすごい音、電気も水道もしば らく使えず余震が激しく2日間は車の中で しか寝られない状況。ラジオしか情報が 入らず携帯も繋がらないそんな中で原発 のニュースを聞いたのです。郡山の自宅 も気になるけどガソリンもなく道路も通

行できないので帰れないまま、原発の状 況に頭が真っ白になる程の衝撃でした。 まず、3号機はプルサーマルでものすご く危険な燃料を使用しているのに、その 点に一切触れない報道に違和感を感じま した。これは何か隠されていると直感的 に感じ、まずいことになっているなと思 いました。仙台は原発から100キロ離れて いましたが不安でした。

ニュース 郡山で販売していた木製のおもちゃ

▶Eaphetが Eaphetが見た出来事 18~19

活動報告 ■ついに完成 ついに完成! 完成!

スヌイ映画 スヌイ映画プロジェクト 映画プロジェクト Awil Kazuo 10 お知らせ ▶会員更新手続き 会員更新手続き ▶4月~6月の活動 ▶これからの活動 これからの活動

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特集1

福島第一原発爆発から 福島第一原発爆発から台湾 から台湾へ 台湾へ避難して 避難して

はやくここから逃 はやくここから逃げたい ガソリンスタンドに夜中から並び続けようやくガソリンをいれると、 埼玉から帰ってきた娘と小学生の息子を車に乗せ、実家のある京都に 避難したのは、震災から9日目のことでした。京都に到着しまず驚い たのは、テレビの報道内容が東北とは違うことでした。関西の放送で はかなり切り込んだ内容で、原発で働く作業員の人がインタビューに 「深刻な状況で、すぐにできるだけ遠くに逃げなければ」と答えてい ました。後日、その番組は出演者も変わっており、これは何か圧力が あったなと感じる放送になっていました。 その頃、郡山では「60キロ離れているから大丈夫」と思っている人 が多く、友人は特に情報も入ってこないと話していたので、あまり危 機感が無く、この落差に驚きました。とにかくネットやツイッターで 情報収集して、いろんな友人と連絡をとり合っていました。「“ネッ トはデマばかりなので見ないように”という内容の回覧板がまわった ので、見ない」「怖いことは聞きたくない」というような友人の声も ありました。情報の格差が激しく、それが危機感の差となったので す。

郡山市は政府が制定する避難区域ではあ りません。何の補償もなく自主避難者とい う扱いです。しかし実際はものすごい高線 量の場所だらけで、当初外で活動するのは3 時間以内、窓が開けられない、洗濯も外に 干せない、我が家の芝生の上は毎時5µシー ベルトでしたし、近所は10を超えるところ もありました。そこで生活するのは憲法に ある「健康で文化的な暮らしを保障する」 といえる生活なのだろうか?

私は1番に優先したいものは命と健康でした。特に子どもにはリス クが3倍以上ともいわれています。アメリカが80キロ以上退避と言った のには、それだけの理由があるのだと思っていたし、家も仕事も、元 気であればまたなんとでもなると思っていました。悲しいことに、放 射能は人間がいくらがんばってもどうしようもないもので逃げるしか ない、郡山に戻るという選択肢は、私や子どもたちにもありませんで した。迷いなく、避難生活をすることになりました。 原発からの距離 自宅屋外(上) 自宅室内(下)|2011年6月17日計測 ウクライナ製ガイガーカウン ( ター TERRA-P で測定 )

庭 04.41μSv/h 駐車場脇 4.79μSv/h

リビング卓上 0.32μSv/h オモチャ屋店内 0.55μSv/h

経済優先? 経済優先? いて更にそう感じています。隠されていた事実は徐々に 報道され始めてはいますが、2年以上たっても出てきてい ないことはたくさんあるのです。

国や県は、人の命を守る事を優先しませんでした。優 先されたものは経済。人口が減ると経済がしぼむ為、何 をしたかというと、いち早く長崎大学の山下教授という 人を呼んで福島県内のあちこちで、「大丈夫だ、安全で す」「これくらいの放射線はあびるとかえって健康にな る」「ニコニコ笑っている所には放射能はこない」「郡 山は健康ランドになる」などと繰り返し講演し、地元メ ディア、ラジオ、テレビ、医師会もタッグを組んで安全 アピールを連日やり続けました。それは「大丈夫であっ てほしい」という人間の心理を利用したのです。私は、 有事の際のテレビの報道ほどあてにならないものはない と思っています。

例えば、郡山でも「危険だ。すぐに県外に家族をつれ て避難しろ」という情報を得た人たちがいました。外資 系の保険会社社員と大手のハウスメーカーの社員です。 彼らは、爆発時にいち早く県外に避難しました。多くの 人が郡山は大丈夫だと思い、水や食料を手に入れに外に 出ている時にです。その日は、隠蔽されたSPEEDIによる と一番大量の放射性物質が降り注いでいた日でした。県 はその証拠を隠蔽消去しました。きちんとした情報が報 道されず知らない人が多い中、一部では情報を得られる 人がいた。まるで終戦時の満州での出来事のようです。

巨大な広告費などの利権がおそろしく絡み合い、大手 新聞社、テレビ局はわかっていることの半分もきちんと 報道をしていない。これは、様々な報道関係者に私自身 が取材を受けた際に、記者やディレクターの生の声を聞

海外のニュースから事実がわかることが多いです。自 分の国のことを海外のニュースで知るなんていうことも 多い。近くでは見えず焦点が合わないから、時に遠くか ら物事を見ることが大事だということを教えられます。 2


特集1

福島第一原発爆発から 福島第一原発爆発から台湾 から台湾へ 台湾へ避難して 避難して

ごっちゃに論 ごっちゃに論じてしまうこと 風評被害という言葉をいち早くマスコミは使いまし た。福島県 では県庁の 会議 で「風評 被害でいき まし ょ う」と決定したという話があります。これは、どのよう な状況に対しても、風評被害という言葉をとにかく使お う、ごまかそうというような事ではないでしょうか。安 全かどうかしっかり確認もできていないうちから“風 評”だと言い続けました。風評ではなく実害なのです。 “食べて応援”も同じことでしょう。

射能、放射線、放射性物質についての危険性をほとんど 教えられて来ませんでした。付近の住民をどこにどう やって避難させ、住民の安全を第一に何をどうするの か、ということがきちんと定められていると思っていた ら、とんでもない。マニュアルも何もなく、事故後どう やって隠すか、どうやってごまかすか、どうやって国民 の目を逸らさせるかという事については、巧妙で狡猾に 計画されていたのだなと、感じずにはいられません。

これを広めることで喜ぶのは補償しなくて済む東電と 政府です。決して生産者ではありません。食べないと買 わないとか、生産者の人がかわいそうとか、そういうこ とではないのです。消費者も生産者も同じ被害者です。 食べない消費者が悪いわけではないのです。そこをごっ ちゃにして考えてしまうと、物事の本質を見誤るように 思います。

危険だからこそ放射性漏れを防ぐ為に「5重の壁」だっ たにも関わらず、漏洩がわかると直ちに影響はないだと か、健康に被害が出るほどではないだとかでごまかす。 じゃあ何のための5重?福島の放射能は毒じゃない?日本 人は放射能に強い体質なの?おかしなことが多すぎま す。テレビが報道しているから、有名な大學教授が話し ているから、お医者さんが言っているからではなく、自 分の頭で考え自分の身は守らないといけない、そんな世 の中なのだとしみじみ思うのです。

原発を語るときも、そうです。“原発がなくなると経 済が…”という人もいますが、経済と人間の命と安全を ごっちゃに論ずるからややこしくなるように思うので す。日本は唯一の原子爆弾の被害を受けているのに、放

子どもの病死者数・死因別 子どもの病死者数

その他

肺炎

感染症

心疾患

癌 白血 病

2010年

2011年

福島県1-19歳・3-11月(政府人口動態統計)

台湾への 台湾への避難 への避難 くなっていました。沢山の無関心な人たち、その中に飲 み込まれていきそうな恐怖感。この国からとにかく出よ うと台湾に来たのです。なぜ避難したのかと聞かれれ ば、答えはひとつです。命を守りたい。これは、ずっと 以前保育士をしていた時も、母親になってからもずっと 一貫して私の信念です。

埼玉の自由の森学園生だった娘のいた飯能市で、娘が 高校卒業するまでの1年を私と娘と息子の3人で避難生活 を過ごしました。そこから、このままの日本では子ども の命と未来を守るのが困難だと思ったので、台湾への避 難を決めました。汚染されていない食品や水を手に入れ るのも苦労しますが、私が何よりも絶望に近いものを感 じたのは、学校が放射能について被曝について黙ってし まった事です。学校、保育園、幼稚園、子どもに関わる 仕事に従事している人の声がない。確かに中には声をあ げる教員もいましたがごくごく少数で、孤立して悩み苦 しむ教員もいました。学校の教員などが子どもの健康や 命をどうするのだ!と真っ先に被曝から守ろうとしてく れるものだと思っていたら逆に、子を心配する親を抑 え、モンペア扱いする。驚くべき状況になったことに愕 然としました。学校内ではすぐそこで原発が4個も爆発し 放射能が漏れ続けている事に対して一切触れず、何事も 無かったかのように、授業があり、なにも変わらない学 校生活が流れる、小学6年生だった息子は「気持ち悪い、 嘘の世界のようだ」と違和感を感じ、学校へ足がむかな

命を守るこだわり。日本という国で過ごしていて原発 事故前も感じていた事。どんどん命を守るこだわりが無 くなっている社会、政治、教育の現場、それが原発事故 で今、現在進行形で一段とひどくなっているように感じ て い ます。 反 原 発と か、原 発い らん、放 射 能こわ い よ、放射能危ないなどと言ったり、書いたりすると「勇 気あるよね」と言われたり、それはタブーのように言わ れたりすることが未だにあります。こういうことをタ ブーにされてきた空気は大きな黒い利権を得ている人た ちによってつくられてきたものです。危ないものを危な い、原発必要ないと言う事はそんなに勇気のいることな のだろうか?といつも思うのです。ましてやこんな事故 が起きてたくさんの人が苦しみ、命が脅かされている時 3


特集1

福島第一原発爆発から 福島第一原発爆発から台湾 から台湾へ 台湾へ避難して 避難して

繰り返していると思うのは私だけではないはずです。過 去の歴史から、あまりにも学んでいないのではないで しょうか。

に何もなかったかのように黙ってやりすごしてたり、反 対 に、原発 必要、再 稼動必要 と言ってい る人たちの 方 が、ある意味勇気があるなぁと思わずにはいられませ ん。よく「仕方ないよ、死ぬ時はどうせ死ぬのだから」 とか「こうなったら覚悟して今楽しく生きればいいんだ よ」といか にも悟った よう に、クー ルに言う人 がい ま す。私はそういう刹那的な考えは大嫌いです。そんない かにも悟ったような台詞は「100万年早いわー」と後ろか ら飛び蹴りをかましたくなるくらいです(飛べないけ ど…)ましてや、いい年をした大人がそういう事を言っ たらこれからの若者はどう感じるのでしょうか。自分の 命を大切にできない人は他人の命も大切にできないので はないでしょうか。

時間か経てば経つほど人間は緊張感や危機感が持続で きなくなりがちです。反対に放射能は時間と共に汚染が 拡大されて、国や経済界のいいようにごまかされ、事態 は深刻化していきます。日常に流され、のみ込まれてし まいそうになることが恐ろしいと思うのです。原発が、 放射能が、食品汚染がという話は、気分が下がるし、考 えると怖くなるから聞きたくない考えたくないと思う人 も多いかもしれません。しかし、現実に起こっているこ とを、今考えないと、自分の命も自分の大切な人も守れ ないのです。そして、自分の大切な未来も守れない。こ の原発事故の当事者でない人はひとりもいないのです。

私は子どもたちに、今も楽しく生きてほしいけど未来 も楽しく生きてほしいと願っています。静かに足音をた てずに黒い利権を貪るものたちは、世論を誘導し操作し ています。メディアも様々ありますが、テレビや新聞な どだけを、信用してはいけない世の中だと認識する必要 があるように思います。終戦間近、負けているのに勝っ ている、大勝利をしているなどと報じていた新聞やラジ オに国民の多くは騙されていました。 同じようなことを

私はこの経験を話す事、言葉にする事、発信する事を 続けていきたいと考えています。今を生きる若者にも、 今を生きる母親、父親にも、おじいちゃんおばあちゃん に も 考 え て 欲 し い、知 っ て ほ し い と い う 願 い を こ め て…。(了)

筆者紹介 上前昌子(うえまえ 上前昌子 うえまえ まさこ) まさこ 1966年京都府生まれ。大阪の公立保育園 で保育士として17年間勤務。夫の仕事の 関係で福島県郡山市に転居。郡山市で子 育て講座の講師をするかたわら安心安全 な木製のおもちゃを自宅の一角で販売。 2011年3月11日の震災、原発爆発によ り郡山からすぐに避難、当時小学 6 年生 の息子を連れて、埼玉の高校に在学中の 娘のいる飯能市に一旦避難し 1 年後、娘 の高校卒業後すぐに娘と息子と 3 人で台 湾台中市に避難。 現在、台湾で暮らしながら、今後の生 き方を模索中。

Eaphet活動 活動 4月 月~6月 月 4/6 聊聊【Darwin's Nightmare】 4/10 聊聊【TERROR'S ADVOCATE】 4/24 聊聊【ADRIFT】 5/1聊聊【The Coca-Cola Case】 5/8 聊聊 【MY ENEMY'S ENEMY】 5/15 聊聊【不花錢過生活】 5/19 南コリアstudy tour報告 報告+ 報告+焼肉大 會!! 5/22 聊聊【Ai Weiwei: Never Sorry】 5/29 講座【外国人労働者 外国人労働者と 外国人労働者と仲介業者: 仲介業者 フィリピン】 6/5 聊聊【GANSLAND】 6/12 6/19 6/26 6/30

(福島新聞) 4

聊聊【Workingman's Death】 聊聊【The Other Side】 聊聊【McCullin】 手打ちうどんの 手打ちうどんの会 ちうどんの会


山に住む人々──遮断 ──遮断されたアフガニスタン 遮断されたアフガニスタン

特集1

劉佳昇

山に住む人々──遮断 ──遮断されたアフガニスタン 遮断されたアフガニスタン

翻訳|村上生紗 翻訳 村上生紗・ 村上生紗・JOY

最も暗い時代においてさえ、人は何かしら光明を期待する権利を持つこと、こうした光明は理論 や概念からというよりはむしろ少数の人々がともす不確かでちらちらとゆれる、多くは弱い光か ら発すること、またこうした人々はその生活と仕事のなかで、ほとんどあらゆる環境のもとで光 をともし、その光は地上でかれらに与えられたわずかな時間を超えて輝くであろうということ ハンナ・アレント (Hannah Arendt) 『暗い時代の人々』阿部斉(訳)

アフガニスタンの首都カーブルの景色

想像

タリバン

私が2007、8年この2年の夏休みに韓国非政府組織The Frontiersの平和学校活動に参加し訪れたのは、911事件 後、西側諸国からテロリスト温床国家というレッテルを 貼られたアフガニスタンであった。

が韓国非政府組織のメンバー23名を誘拐し、韓国政府と の交渉のさなかに、その内の2人を殺害するという事件 が起こった。他21人は双方によってなされた交渉後、8 月になってから何度かに分けて解放された。

出発前の中央アジアに対する私の認識は、主流メディ アによる過激な言い回しで表象されるテロリスト、戦 乱、自爆テロ、貧困…その他に想像を膨らましたのは、 『千一夜物語』(アラビアンナイト)の中に登場する人 物のような体験や、砂嵐が巻き起こる砂漠での旅行、ラ クダに乗って古い町を渡り歩くのか、はたまたペルシャ 装飾を身にまとり宴席に参加するのか…などであった。 心配とロマンが入り混じり、期待と不安でいっぱいの私 の想像は、飛行機がカーブル(Kabul)に到着するその 時までずっと頭の中を駆け巡っていた。

タリバンは、アフガニスタン南部のイスラム原理主義 組織を源とし、ソ連によるアフガニスタン侵攻(1979~ 1989)の抵抗過程で生まれたグループである。かつて米 国政府が支持した“自由のための戦い”聖戦士の一つ で、1996年から2001年にかけてアフガニスタンを実効支 配したが、圧政、厳しい法律の制定を行い、専制政治の 中で人々は苦しい生活を強いられた。とりわけアフガニ スタン女性は男性覇権の下で更に物や奴隷と化した。 2001年の911事件後タリバン政府はウサマビンラディン のアルカーイダを擁護したため、アメリカは北部同盟を 支援し、タリバンを失脚させた。その後、タリバンは外 国人の誘拐、自爆テロ攻撃を始めたのだった。

2007年7月夏、アフガニスタン内のタリバン(Taliban)

この年の猛暑、全世界の注目を集めた人質事件が収束 する前には、アフガニスタン内のすべての関係ない“外 国人”が撤退しなければならず、私たちの平和学校計画 も中断を余儀なくされた。映画『ホテル・ルワンダ』 (Hotel Rwanda)の中の、あの外国人と同様にそこを離れ ることしかできず、戦争と暴力は休むことなくアフガニ スタンの土地と人々を浸食していった。

本年度会員更新手続き 本年度会員更新手続きはお済みでしょうか。左 記の郵便口座まで五百元お振込になるか、おついでの際に協 会までお持ちください。

戶名:台灣東亞歷史資源交流協會 郵局代號:700 帳號:0021441-0448927

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特集1

山に住む人々──遮断 ──遮断されたアフガニスタン 遮断されたアフガニスタン

ハザーラ

平和学校

人質事件が幕を下ろした一年後、私はもう一度アフガ ニスタンに戻ることを決めた。戦争に対する無力感を感 じてはいたが、平和学校計画が未完であることの悔しさ も残っており、自らの想像を超え実践し、平和に向かっ てもがき続けることを再度決意した。

The Frontiersのアフガニスタン平和学校計画は平和教 育を通して、現地の平和活動者を育てることが最も重要 な活動の一つであった。参加者は異なる場所、異なる文 化からボランティアで訪れた方々だったが、私たちは信 じていた――平和、これはいかなる場所であろうとも、 学習、理解と交流を通してお互いに築き、養えるものだ と。

平和学校計画で訪れたバーミヤーン(Bamyan)は、ア フガニスタンの中でも最も緑が多い所ではあるが、悲し み を 抱 え た 貧 困 の 村 で も あ る。こ の バ ー ミ ヤ ー ン (Bamyan)周辺にはチンギスハンの末裔だと言われるハ ザーラ族が住んでいる。チンギスハンが引き連れていた 弓矢で武装した騎兵隊がこの地に留まったのだと考えら れている。しかしチンギスハンの死亡とモンゴル帝国の 崩壊と共に、ハザーラ族は忘れられた存在となった。

このアフガニスタン平和学校は非常に困難な状況下で の出発だった。人材や資源に限りがあり、当初、村の若 者や子どもたちが参加してくれるかどうか不安もあっ た。しかし、この心配は開学一日目にして吹き飛んだ。 学校へ行くと、大人も子供も含め大勢の人がとっくに集 まっていて、校庭や教室でわれわれ“外国人”を待って いたのだった。

ハザーラ族は、アフガニスタン内で第三か第四番目の 人口数で、ペルシャ、アラブ、イスラム文化が融合した グループである。シーア派イスラム教を信仰し、他の民 族と比べてはっきりと様相が違う。この差異がアフガニ スタン内で少数グループを形成させ、排斥や圧政をもた らし、タリバン政権時代には大虐殺の対象となった。ハ ザーラ族はアフガニスタン西側のイランと東側のパキス タンに逃げ、故郷を離れることになった。タリバン失脚 後、アフガニスタンに戻り自分達の故郷を再建したので ある。

しかし、男女に厳格に線引きする保守的習俗が都市よ り色濃いこの場所で、男は男、女は女同士という形で学 校運営を行うのは常だった。小さい子ども達には、ゲー ム、お絵かき、工作、易しい英語クラスなどというよう に、毎クラス内容を変えながら子どもたちの興味を引き つけ、私たち及び学校に対して好奇心を抱いてもらえる ようにした。あらゆる社会の子供と比較して、貧困、ハ ザーラ人であること、性別の違い、或いはムスリムだと いうような要素が、学習能力に差をつけているわけでは

ない。唯一の差と言えば、学習機会に 乏しいということだけだった。年が少 し高い子らも好奇心と興味を持っては いるが、これまでの経験なども関係す るのだろう、小さい子どもたちとは違 い、ある意味で、ものわかりの良さが 感じられた。彼らは、英語能力があれ ば良い仕事を見つけられ、そうすると 英文書や知識、多くの資源への接触が でき、発展可能な平和にも貢献できる ――というようにまず高い英語能力を 身につけることに関心があった。私た ちはいくつかのテーマを用意して彼ら と討論した。彼らはアメリカ政府を嫌 い、ブッシュを嫌い、西側諸国の軍隊を嫌っていた。だ が、西洋の文化の横暴さや言語権力について考える余裕 がなく、より高い英語能力がより多くの機会を提供して くれるという認識は強かった。そしてその機会を得られ ること自体が極めて稀な事も彼ら自身よく知っているの である。

平和学校終了後、修了証書を手にした現地の子どもたち

ているのか?ここは、ここの全ては彼らの生活そのも のであるのに、私たちは乱暴にただ彼らより自分達が 優れていることを実感しただけなのか?私たちがここ に 易々 と来ら れる というだ けな のか?これ らの問い に、実は私は答えを持ってはいない。ただ、選択の権 利は彼ら自身の手にあるのであって、それは私たちの 手ではないということなのかもしれない。

平和学校終了の最後の夜、弦月が高く昇っていた。こ の数日間私たちはここで何をしたのか、頭は混乱し、さ らにわからなくなっていた。私たちのもたらしたものは 何だったのか?平和か?それとも破壊か?私たちはここ で何を変化させたのだろうか?ここを台北にしたいの か?それともニューヨークか?文明人や文明社会を求め

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山に住む人々──遮断 ──遮断されたアフガニスタン 遮断されたアフガニスタン

特集1

テロリスト テロリストという名詞は、私がアフガニスタンの地 を踏む前の2001年9月11日のニューヨークでの攻撃以 降、現れてきたものだ。「イスラム」「ムスリム」或 いは「ウサマビンラディン」等も関係語句の一つだろ う。西アジアの全ての人、事、物に対して、つまりは 「イスラム」に対して、「テロリスト(主義)」とい う烙印を押した。これはアメリカ政府によってつくら れたものに過ぎない。 私は常にこのような妖魔化した見方に疑問と批判を 持っていたけれども、実際にアフガニスタンに入り自 爆テロを聞き、韓国非政府組織のメンバー誘拐殺害事 件を経て、確かに私の心と身体は恐怖に怯えていた。 また同時に、この爆弾を仕掛たムスリムが、武装した スイス、インドネシア、台湾から来た平和活動ボランティアの面々

聖戦士であることが私を悲しませた。様々な暴力行為 に断固として反対していく決意を私は固めた。困難な 生活、無知、飢餓、貧困、政府に対する憤り、自分の 家族と同胞は既に傷を負っているという為す術のない 状況、彼らは絶望と怒りに溢れているのだ。この不公 平な状態は確かに多くの人を絶望に陥れるだろう。恣 意的に対立を仰ぎ、国或いは宗教の誇示や使命という 名義によって、あらゆるテロリストは作りだされてい くのだ。

てくる婦人の姿、これらは実際に見たアフガニスタン での生活であった。 テロ、私たちはこれを考える際、それがどこから来 たのか、どの組織や国家なのかに関わらず、まず慎重 に思考するべきである。パレスチナ系アメリカ人、文 学/文学批評家エドワード・サイード(Edward Said)はこ う言った。「80年代、ソ連侵攻に抵抗したアフガニス タンは“自由闘士”と呼ばれ“聖戦士”であった。同 じ様に別の国家の侵入に対して抵抗することが、今は テロリズ ムだと言われ る。テ ロリズムというの には もっと具体的な規定が必要で、そうすれば区別が可能 になるだろう。例えば、イスラエル軍に抵抗するパレ スチナ人と、世界貿易センターを攻撃した人、この違 いを考えてもいいのでは。私たちはテロリズムという 中���国家テロリズムというものがあることをまず了解 する必要があるだろう」と。深く自省し、冷静に観察 することが重要である。自分との“差異”があるもの に対して、国家、組織、個人どのレベルにおいても、 暴力を使用して相手を攻撃すること、それは自分自身 がテロリズムの道の上を歩いていることに他ならない のだから。

妖魔化されたイスラムは、私にとって別の世界では あるが、同じ人間として連帯できるからこそ私はアフ ガニスタンに来た。メディアに爆弾、野蛮、テロとい うことが誇大化され表象されてしまうが、ハザーラの 街とバーミヤンで、私は自分自身の目で、隠されてい る多くの真実を見た。アフガニスタンの英雄マスード の肖像画があちこちの壁に飾られていること、屋台で 物売りが客とするやり取り、学校は解放されていて学 生たちは 賑やかに行き来している こと、昔 の軍隊に よって作られた土の城郭は村の青年にとって格好の遊 び場であること、一日一便の中心部との往復バスにめ がけて、子どもと荷物を抱えて急いで家から飛び出し

ハザーラ村

左に見えるのは近隣のいくつかの村の共同学校

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特集1

山に住む人々──遮断 ──遮断されたアフガニスタン 遮断されたアフガニスタン

われわれ/ われわれ/かれら ゆっくりと流れる時間ととも に埋もれていくように、早くも 5年前のアフガニスタンの記憶 は薄れていくようだった。砂風 を避けるために布をかぶること だけではなく,南アジア音楽が 流すラジオを聞いて、クッキー を口に運ぶことを想像している 空腹状態、あるいはサソリに刺 される恐れ、毎日直面するのは このような生活環境だった。

私 たち が台 湾 で生 まれ、彼 らはアフガニスタンで生まれ たという運命の違いが私たち にいかなる責任を背負わせて い る の だ ろ う か。「私 た ち は 周りに貧しい人がいるにも関 わ らず、そ の 彼ら の存 在を 無 視してきたことを理解すべき だ、そ して 彼 らの 死は 避け る ことができることを理解すべ き な のだ。第 三世 界の 人々 が 私 た ちと 同じ よ うに 考え、同 じ 様 に人 を助 け、そし て同 じ 様に泣き笑うことを私たちは 理 解 しな けれ ば なら ない。彼 ら は 私た ち、そし て私 たち は 彼らということを理解しなけ れ ば な ら な い」、パ レ ス チ ナ で活動したアメリカ人反戦運 動家レイチェル・コリー(Rachel Corrie)の言葉である。

決まった時刻に鳴るアラーム 音で目を覚まし、仕事にせかさ れ、一定のリズムで道が通れる ことを教えてくれる信号を待 ち、お腹が空くと24時間いつで も食品を提供してくれる店が門 をあけている、これが現在の生 活。

規則や資源の整った世界に戻 ると、慣れ親しんだような、ま 私はずっとバーミヤンの夜 たそうでないような、そんなア を 忘 れ な い。弦 月 は、明 瞭 な フガニスタンでの生活は既に遠 空 に 高く 昇り、銀 河や 星た ち いものとなってしまっていた。 ハザーラ族はアフガニスタンの様々な民族の周 の 光 を覆 い隠 し ていた。私 た だけど、戦争や暴力、貧困や飢 辺に存在している ちには見えないこの遮断された 餓、常に発生する事柄を、忘れ 星 た ち は、そ れ で も 自 ら 光 を ないようにいつも自分に言い聞 放っていることだろう。アフガニスタンの人たちもまた かせている。大きく全く太刀打ちできないものに対面し この星たちと同様に、周りを暗闇に取り囲まれていたと 無力感を覚えながらも、どのようにそれに向かっていく しても、自ら光放ち続けることを諦めはしない。(了) のか、そして自分は何ができるのかを私は考えている。

私のベトナムイメージ ーベトナムで働 ーベトナムで働いて 林欣怡

ぶっちゃけて言えば、ホーチミン市に2年半も住んだ私はベトナムに対する良い印象を持ってい るとは言えないのかもしれない。ベトナムに行く前には、ベトナムはよく耳にする場所でもあった し、イメージはいろいろあったが、私自身との特別な関係性を意識することはなかった。まさか本 当に行くことになるとは全く考えもしていなかった。

ベトナムへ 最初は自信のない姿だったが、最後にはステージに上が り笑顔でアメリカでの幸せさを講演することができた、 という内容だ。その女の子の笑顔も印象深かった。

はじめてベトナムに接触した機会と言えば、高校生の時 だったと思う。高校の歴史教科書に出ていたベトナム戦 争から、私のベトナムのイメージは始まったのだ。ベト ナム人は戦争で苦しみ、家を失った避難民も多かった が、世界中で始めてアメリカに勝った国でもあった。イ メージは深編み笠と迷彩とともに、覚えざるを得ない歴 史事件ばかりだった。

大学に入ってから、ベトナム戦争をめぐる議論に触れ る機会も増えた。ベトナム戦争の際、米軍は台湾や沖縄 の中継基地にしばらく滞在し、そこからサイゴンへ行 く。当時米軍相手の娯楽業も盛んだった。選択コースの “ブロードウェイミュージカルから社会を見る”という 授業で、私は“ミスサイゴン”を期末レポートのテーマ

ある日、テレビである映画を見た。映画に登場するベ トナム難民の女の子はアメリカ人の家庭の養子になり、

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私のベトナムイメージ -ベトナムで働 ベトナムで働いて

特集1

頼んだ。オーナーはベトナムから来たお嫁さんで、いつ も機嫌が悪そうだったが、彼女が作るフォー(Pho)の味 は格別だった。また、私の親戚の叔父さんはよくベトナ ムへ出張するし、同僚のお姉さんはベトナムのフランス 料理がおいしいと教えてくれた。これらはすべて学校で 学んだ“ベトナム”と直接にはつながりにくい。

にしたこともある。このとき、イメージの中でのベトナ ム女の子は白いアオザイを着ている様子に変わり、また ベトナムの男の子は背が小さく、森の奥で米軍とゲリラ 戦をしているというものだった。学年が上がるととも に、あの火傷し全裸で、道の真ん中を走っている女の子 はもっと鮮明なイメージになりつつ、米軍がベトナムで 行った残酷事跡も深く印象に残った。

ある日「ベトナムでの仕事に挑戦してみないか」とい う話があり、“はい”と即答しちゃった。行ったことは 無い所へ体で記憶を作るのも悪くないという思いで、上 述したようなベトナムイメージを抱えて、ベトナムへ飛 ぶことになった。

私のベトナムイメージの中に、欠かせないものがまだ ある。ベトナムから台湾へ来たお嫁さんだ。大学在学 時、学校の後ろの東別というところに住んでいた。夕飯 に困ると、いつもベトナム料理屋さんでフォー(Pho)を

ホーチミン 2009年7月ホーチミン市へ着いた。ホーチミン市は私 の想像する一国の中の最大経済都市のあるべき様子とは 違っていた。同じ東南アジアの都市であれば、ホーチミ ン市はおそらくジャカルタに似て、道路が広く、車が多 く、ビルが高いのかなと想像していた。実際は、ホーチ ミン市は車ではなくオートバイが非常に多く、そのせい で道が混んでいた。これがおそらくほとんどの外国人が 持つホーチミン市の最初の印象かもしれない。ホーチミ ン市での建築物の高さは平均四・五階程度、二十階以上 のビルは少ない。都市の名前はあの民族解放戦線の指導 者ホー・チ・ミンからきており、道路名も英雄の名前に ちなんで付けられている所が多い。両サイドの屋台やお 店はCa Phe Sua Da(べトマム式コーヒー)*1とBanh Mi (ベ トナムバゲット)*2がよく見られる。「現代化せよ」と

いう匂いがこの都市で溢れ出ていた。授業で教わったベ トナム戦争は、今は観光地になった戦争証跡博物館とク チの地下道にしか残っていないようだ。 勤務先は、都心からそう遠くはないベンタン区に台湾 資本でつくられた工場だ。総ワーカー数は9万人程で、 面積は約48ヘクタールの工業団地の中にある、3千人規 模のアパレル工場が私の勤務先であった。ベトナム人 ワーカー達の勤務時間は週6日、1日7時半から4時半まで と明確に決められているが、台湾人及び中国人によって 構成される管理側の方は責任制で、仕事が終わるまで働 かなければならなかった。その点を比べれば、ベトナム 政府がワーカーを保護する法律は比較的に整えられてい ると思う。

ベトナムの労働法 ベトナムの労働法 2年間、台湾、中国で働いていた私がベトナムへ来て初 めて労働法についての授業を受けることになった。あら ゆる管理者側は必ずベトナム労働法を認識しなければな らないというベトナム政府からの要望があるからだ。そ の中で一番関心したのは妊婦を守る法律だ。妊婦は誰で も6ヶ月の有給出産・育児休暇が与えられ、出産予定日の 2ヶ月前から計算される。如何なる場合でも妊娠した従業 員 を解雇す ること はできな い。労 働法、第 3章 155条 4. 「妊娠中、社会保険に関する法規に基づいて、産休の取 得中、12 ヶ月未満の子供の育児を行う女性被雇用者は、 労働規律違反で処分されない。」(No.: 10/2012/QH13、 2012 年6月18 日版)と規定されている。*4 7ヶ月目以降の妊婦及び12ヶ月未満の子供を育児中の女 性労働者は1日の勤務時間が 1 時間短縮される。私から見 れば、母親にとって世界で最も良い法律だと思う。しか しこのような状況であっても、ベトナムではストライキ もよく発生してしまう。 2009年からベトナムは大幅なデバリュエーションを行 い、2009年ベトナムへ来た頃の為替レートは1台湾ドル対 560ドンだったのに対し、一年も経たないうちに710ドン になってしまい、インフレも激しかった。また、ベトナ ム政府は国内企業の最低賃金を上げようとし、ついに 2011年半ば「寶成グループベトナム工場9万人ストライ キ」*5事件が起きてしまった。ワーカー側の主な要望は やはり給料を上げることに過ぎなかった。会社側も止っ ホーチミン市第六郡

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特集1

私のベトナムイメージ -ベトナムで働 ベトナムで働いて

で、台湾とベトナムとの密接な関係がさらに濃くなりつ つあるのがわかった。私はやはりベトナムを好きになれ ないのだ。それでも、ベトナムに対する記憶は複雑にな り、憧れの感情で行きたいとというよりもむしろそこで2 年半も生活したという様々な感覚が心に刻まれているの だ。実際に行く前と後では、記憶の中の点と点はちょっ とつながったように思えるが、それにしても、歴史教科 書で学んだイメージはどうしても現在の姿とは繋がって いない違和感がある。唯一残ったのは写真(p9)のように、 私の心の中にあるベトナム風景なのである。 (了)

た生産ラインから発生する損をなるべく少なく抑えたい ため、一刻も早く元のペースで生産出荷を再開できるよ うすぐにワーカー側の要望を受け入れた。しかし、ワー カー側はそれではまだ納得できず、給料を上げろとボー ナス計算とストライキ期間の給料計算において騒ぎ、無 理やりストライキを5日間に延長してしまった。ベトナム では労働者が5日間はストライキしても解雇されない。 学生の頃、資本側は労働者から搾取し儲けている悪 で、私たちは労働者の権利を実現すべきだと勉強してき たが、このストライキ事件で立場が資本側に立ち代わっ て、労働者たちの要求は理不尽だと切なく感じてしまっ た。彼らは思いやりがないとさえ思ってしまった。もし も企業が倒産しちゃったら、現地の人たちの就職場所も 同時に失ってしまうのではないだろうか。では、合意っ て何なのだろう?ただ、みなそれぞれ自分の利益の為に 戦うということに過ぎないのではないだろうか。

*1 Cà phê sữa đá –發音はカフェシェーダーに近い。sữaはミルクの 意味で,đáは氷。意味はアイスコーヒーミルク。練乳と氷が入ったガ ラスにコーヒーを注ぐ。 *2 Bánh mì – 発音はバンメイに近い。ベトナム式バゲット。横から半 分切り、自分好みの中身を入れる。 *3 http://hochiminh.taiwantrade.com.tw/news/detail.jsp? id=9648&lang=zh_TW

2012年4月ホーチミン市を離れる頃、都心の68階ビテク スコ・ファイナンシャルタワーが完成したばかりで、さ らに100階以上の超高層ビルGS Thu Thiem TowerとSaigon Lotte Towerが計画されていた。それで、台北、台中、高 雄3地とホーチミン市の間では、飛び交う飛行機便は頻繁

*4 http://haiphong.gov.vn/PortalFolders/ImageUploads/ UBNDTP_Jp/1792/ThuTucHCCong/ % E5% 8A % B4% E5% 83% 8D % E6% B3%95.PDF *5

http://www.wearn.com/bbs/topic.asp?

ついに完成 ついに完成! 完成! スヌイ映画 スヌイ映画プロジェクト 映画プロジェクト Awil Kazuo プロジェクトに取りかかったのは2008年の9月だからほぼ5年も前 の話になる。当時の「山プロ」(東海大学修士班のプロジェクトの 一 つ)メン バーと、当 時の「台 日地 区研究」、学部 の3 年生 30人 弱。地震のときから(1999年9月)通っているスヌイの部落にある教 会の牧師さんから「部落の年寄りたちの半生を記録したい」という 要望が出発点となった。山プロと地区研究の学生たちで、年寄りた ちの話を聞き、彼らが過ごしてきた半生の足跡を追い、彼らの語り を軸にそれぞれの人の半生を映像化しようという試みが始まった。 教会の長老会議だけでなく、部落関係者との会議ももって、企画に ゴーサインが出たのは1カ月後の2008年の10月。 シナリオの作成にほぼ4カ月、撮影に1カ月、編集に2カ月ほどかけ て、2009年6月、学生たちとしては作品を作り上げた。学生たちとし ては学期終了までに何とか完成させなくては、ということで駆け込 みでやった部分もあって、出来は荒かった。牧師との約束に合って いない部分もあった。このままでは公開できない、学生たちは卒業 したり次の学年に進んでそれなりに忙しい。どうしよう。スヌイ映 画プ ロジェクト は2010年1 月に発足し た「東 亜歴史資 源交流協会 Eaphet」が引き継ぐことになった。5本別々に担当者をつけた。担当 者は当初のシナリオ作りや撮影にも参加していた人が中心だった が、映像の受け渡しにいろいろな問題があった。そもそも使ってい る映像編集ソフトの違い。映像をコピーしたときに生じたパスの異 同や、映像名の変更、さらには映像の劣化(開けないなど)。映像 の撮り直しも含めてなんとか救えるところを救いながらの作業に なった。映像の行方不明や劣化に加えて、「Sediq語の中文字幕」作 成が大きなネックとなった。Eaphetメンバーも時間が潤沢にあるわけ ではなかった。時間があるときに山に出かけて「ここ、なんて言っ てるの」と年寄り本人や部落の人に聞いた。仕事は遅々として進ま

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なかった。2011年1月、「年寄り」の一人、 ワリス・パワンさん逝去。葬式ではとりあ えず使える映像でまとめ直した追悼映像を 流した。2011年と2012年は矢のように流れ た。 2013 年 4 月、牧 師 が「そ ろ そ ろ 公 開 し よ う」と言ってきた。これまでも途中の映像 や予告編などのファイルを渡してきていた のだけれど、牧師の方も忙しく、あまり催 促されることもなかったのが仇となってこ こ ま で 引 き ず っ て し ま っ た。心 が 痛 か っ た。牧 師 の 言 葉 で「よ し、こ れ が 最 後 の チャンスだ」と思った。自分の仕事とEaphet の活動の合間を縫って、各自奮起して5本の 映像を完成させた。6月23日の礼拝のとき に、映像プロジェクトを紹介する映像(ま あ、予告編でもあるのですが、これまでの 経緯を説明する短い映像)を流し、全編公 開はその後に予定されることになる。Eaphet 等、スヌイの外でも公開していきたい(ス ヌイ教会の許可があればですが)。


特集2

元原発技術者・ 元原発技術者・菊池洋一講演会

元原発技術者・ 元原発技術者・菊池洋一講演会in 菊池洋一講演会in台北 in台北 吉田藍

菊池洋一と 菊池洋一と台湾 2013年6月12日端午節、GEのグループ会社GETSCOの 元技術者・菊池洋一氏が緑色公民行動連盟主催で台北で 講演会を行った。この日、菊池氏は体調がすぐれず、薬 を飲み無理を押して話をしてくれたらしい。台湾に来る のはこれで三度目だという。菊池氏がGEのグループ会 社に入社したとき、元々は台湾の原発の建設担当に決 まっていたが、のちにアメリカと台湾が断行したため、 結局実現はしなかった。代わりに東海・福島原発の建設 を担当し、現場監督となった。もしかしたら自分が台湾 の原発建設に関わっていたかもしれないこともあって、 台湾のことが格別に気になり、それが理由で台湾を訪れ ているという。 綠色公民行動聯盟HPより

原発の 原発の問題 32 歳 で 辞 職 し た 後、自 分 の 犯 し た 罪 の 大 き さ を 知 り、50ccバイクで全国を回りながら、原発の恐ろしさを 伝えてきたそうだ。特に静岡県の浜岡原発は直下型地 震の危険性が高く、万が一事故が起これば、チェルノ ブイリやスリーマイルとは比べ物にならない最悪の被 害が想定されるため、一刻も早い廃炉を求めてきた。 しかし、その前に311東日本大地震によって、福島第一 原発の1から3号機が事故を起こしてしまった。いま日 本をはじめ、オホーツク、台湾、フィリピン、インド ネシア、ニュージーランドなどをつなぐ環太平洋ライ ン は 地 震多 発 期に 入 ったと い わ れて いる。そ ん な中 で、台湾では第四原発の建設を一時中止してはいるも のの、廃止如何を成立自体可能性の低い公民投票に委 ね、日本では原発の再開に向けて安全対策の新基準を 施行することになった。菊池氏は原発の設計や構造自

体の欠陥、放射線被爆の恐ろしさ、原発が差別構造の 上に成り立っているという根本的な問題を語った。 菊池氏の話は、元技術者だけに素人には理解しにく い難解な部分もあったが、会場に集まった100人以上の 人々は熱心に耳を傾けていた。金属と金属を接続させ る 溶 接 一 つ を と っ て も、金 属 に よ っ て、割 合 に よ っ て、方法によってそれぞれ専門家がいるのだそうだ。 そしてそれに関する資料も膨大なものになる。従来使 われている格納容器の溶接は自然とひび割れが生じる 構造で、日本の原発は今溶接なしの格納容器に順次入 れ替えを行っているが、生産が全く間に合っていない とのことだ。 色々と驚かされる話が多かったが、中でも菊池氏が 「エイズは放射線が原因である」と述べた時には、会

場が一瞬どよめいた。菊池氏の言い方はこうだ。放射線 は甲状腺がんや心筋梗塞、白血病など様々な病気を引き 起こすが、放射線の一番怖い点は免疫力を低下させるこ とだそうだ。エイズの多い地域はアメリカやフランスが 原爆・水爆実験を行った緯度上にあり、大気の対流によ り、その地域に放射性物質が降り落ちているそうだ。つ まり実証されてはいないが、免疫力を低下させるエイズ の原因は放射線だと考えることができるということらし い。体内に取り込まれた放射線は水分子を分解し活性酸 素を作る。その活性酸素は体に様々な悪影響を与える。 老化現象や、免疫力の低下、最近ではリュウマチや糖尿 病など、あらゆる成人病の原因も活性酸素だといわてい るらしい。確かにインターネットで調べてみると、放射 線と活性酸素の関係を説明したページがいくつもある。

菊池氏の話の中で「ペトカウ効果」という言葉がでて きた。これは一般的には安全値以内の低線量被爆の方 が、高線量被爆よりも体内で悪影響を及ぼすということ だ。もしこれが実証されたなら、これまでの安全対策は 全く無意味になる。 私が菊池氏の講演の中でもっとも共感した部分は「原 発自体が差別構造の上に成り立っている」という部分 だ。この言葉自体は彼が別の講演で言った言葉(動画サ イトで見た)だが、内容的には菊池氏は今回の講演でも この点を強調した。事故以前に、人間が核エネルギーを 使用するということ自体が差別と切っても切り離すこと ができない面を持っている。ウランを採掘する人々は、 アメリカであればネイティブアメリカのホピ族だった り、インドでもカーストの低い人である。また、原発を

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特集2

元原発技術者・ 元原発技術者・菊池洋一講演会

管理するためには、メンテナンスを行わなければならな い。その際、高線量の格納容器内部へ不十分な装備で 入っていくのは、電力会社の人間ではない。借金を返せ なくなったような人がやくざに無理やり連れてこられた り、日雇い労働の人たちが掃除などのメンテをしている のだ。また、核廃棄物を受け入れるのはどういうところ だろうか。過疎化で仕事がなく、核廃棄物を受け入れざ るを得ないようなところではないのか。台湾でも原住民 の多く暮らす離島・蘭嶼に作られ、新たに人口の少ない 台東県に作る計画もある。お金で貧しい国に引き取って もらうなどという計画もあるのだ。人の犠牲の上に成り 立っている電気を、そこまでして使おうとしている国や 企業が「いじめは良くない」と言って何の説得力がある だろう。菊池氏は何度も差別されている人が犠牲になっ ていることを忘れないように、と繰り返していた。

い の だ。 ヒートアッ プした会場 からは大き な拍手が起 こ っ た。私 も何だか興 奮 し て い た。前 述 し た専門的な 溶接の話を 会場での菊池氏 菊池氏が 「せっかく台電の人が来ているのだから台湾ではどう なっているのか聞いてみましょう」と投げかけた。する と台電の人は素直に分からないと認めるという一幕も あった。台電の人の登場により、それまで静かに聞いて いた会場が一気に白熱し、来ていた人たちの原発に対す る関心の高さが分かった。

会場には台湾電力(以下台電)の人が来ていた。最後 の質疑応答で真っ先にマイクを持った人物は菊池氏の方 を向きもせず、会場に向かって原発の安全について語り 始めたのだ。自らを台電の者だと言い、自分は台湾の原 発を全て見てきて何でも知っている、二つのこと(この 二つを聞き取れず)が実現すれば、全く安全なものだと 主張した。会場は最初あっけにとられていたが、すぐに 大きなブーイングが起こった。「本当だったら名前を言 いなさい」「嘘を言うな」などとあちこちから飛び交っ た。また台湾で原発の技術師をしていた人も来ていて、 台電の人にそんなことが分かるわけがないと言ってい た。電力会社は現場で何が起こっているのか何も知らな

今回菊池氏の話を聞いて、原発は無数の専門家たちの 「つぎはぎ」でできあがっており、それでも完璧なもの を未だ完成させることは出来ていない、そして人間が不 完全な生き物である以上、原子力技術が完全になること はないだろうと感じた。さらに現場監督という立場の人 間でも原発の全てを把握するのは不可能であるのに、ど うして政府や電力会社の人間が安全だと言えるのか、そ の何の根拠もない迷信から、私たちは自分たちを自分た ちで守らなければならないと強く思った。(了)

これからの活動予定 これからの活動予定

▼隨邊聊聊 隨邊聊聊 19:00~22:00 ドキュメンタリーを見て、討論をします。

Snuwil映像試写会 映像試写会: 映像試写会 日治時代から 日治時代から国民党時代 から国民党時代まで 国民党時代まで、 まで、山を生き抜いた5 いた5人の物語 (Sediq発音 発音、 発音、中文字幕) 中文字幕)

▼英語 英語で 英語で読むかい17:00~19:00 むかい 話さなくても聞けなくてもOK、読むことだけの 勉強会。 現在の読み物:"Shock Doctrine" (Naomi Klein)、 Japan Under Neonationalist, Neoliberal Rule: Moving Toward an Abyss? -See more at: http:// www.japanfocus.org/-Herbert_P_Bix/3927#sthash.C6sPE2pg.dpuf

8月 月22日 日(木)19: :00~ ~21: :00 Snuwil長老教会 長老教会(南投縣仁愛鄉永樂 長老教会 巷6號、電話/Tel: 049-280-3451 ) 【先行試写会:7月20日(土)17:00 ~19:00 台湾東亜歴史資源交流協 会(台中市西屯區何厝街112巷5號、 電話/Tel: 04-2314-5592 】

▼ネッシン ネッシン19:00~21:00 ネッシン 参加者各自がテーマを持ち、調べ、発表したりし ています。現在は、夏に予定されている第四原発 の是非を問う投票に向けて、イベントを考えてい ます。

問い合わせ:台湾東亜歴史資源交流協会

▼詳細はEaphet HPをご覧ください。

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上映作品 Lubi Nabu 20分 Rabay Napay 20分 Ukan Watan 21分 Pian Cybi 16分 Walis Pawan 8分


特集2

原発トリオ 原発トリオ、 トリオ、台湾で 台湾で旗を振る

原発トリオ 原発トリオ、 トリオ、台湾で 台湾で旗を振る 古川ちかし 古川ちかし

6月初旬、綠色公民行動聯盟が元GEの エンジニアで電力会社と原発村への批判 を繰り返している菊地洋一を招いて講演 会をやった(左記事)と思ったら、台湾 電力が6月24日、こちらも自分たちの主 張にあう日本人専門家を三人も呼んで講 演会「福島事故後の日本の現状」を台北 でやったそうだ。その専門家とは、石川 迪夫(みちお)、中村政雄、高村昇。主 催は中華民国核能学会と台湾電力。 会場で配られた予稿集

中華民国核能学会 「中華民国核能学会」は1972年の米中接近、日台断交の時に作られた“学 術”団体。1970年代に蒋経国の核エネルギー政策と十大建設によって台湾 の原発輸入は加速され、米国との関係をつなぎとめ、それが1979年の台湾 関係法制定に結びついていった。

3人の“専門家” 専門家” ゲストスピーカーは、まず、東大工学部出の石川迪夫、日本原子力技術 協会最高顧問。メディアにも頻繁に登場して「原発は絶対安全」と主張し 続けてきた人だが、論客として鋭いわけでもなく、“原発推進派”から見 れば「あの人を前に立たせると逆効果」といった印象さえ(日本では)持 たれている。石川は講演の最後を『台湾に押し寄せる日本の反対派の主張 は嘘だらけである』と結んだ(右)。 二人目は、反原発報道を批判する読売新聞の中村政雄。元社主だった正 力松太郎(日本の原発の父とでも形容したらいいだろうか)路線を筋金入 りで貫いてきた人のようだ。原発報道の中立性を主張し、反対派の宣伝・ 報道の偏向性を攻撃。(推進派の宣伝・報道については偏向性を認めない という立場だが、それでは「中立性」主張にあまり説得力がない。) 最後に高村昇。山下俊一と同じ長崎大学の医師で、なぜか事故後すぐに 二人が福島県放射線健康リスク管理アドバイザーなる職に任命され(もう 一人、広島大の神谷医師は半月ほど遅れて任命されているが)、福島市で 「100mSVまで安全、子供のマスクなし、外遊びOK、セシウム摂取も全く 問題なし、放射線の影響はニコニコ笑ってる人には来ない。クヨクヨして る人に来る」という講演をした人で、同じ内容の講演をその後も繰り返し た。福島では“原爆被害を受けた長崎のお医者さんの言うことなら”と、 こうした講演を聞いて安心した人たちが少なくなかったという。 人選を誰がどうやってやったのか分からないが、「日台原子力安全セミ ナー」(1986年開始、台湾側では原子能委員会、台湾電力公司、核能研究 所、放射性物質管理局、中華核能学会が、日本側では原産協会【日本原子 力産業協会(原産協会、JAIF)】が主催)を通して培われた人脈が背景に ある。結果として日本原発村の最右翼三人が台電と中華核能学会の旗振り 役として使われた。 会場では、右ようなパンフレットも配られた。右のパンフには「反原発 の波は放射能より怖い」とある。 ―資料提供,上前昌子―

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台湾の 台湾の第四原発- 第四原発-自救会の 自救会の会長さんのお 会長さんのお話 さんのお話

特集2

台湾の 台湾の第四原発- 第四原発-自救会の 自救会の会長さんの 会長さんの話 さ���の話

武藤泰子

5月5日、台湾北部「貢寮」にある核四(第四原発)に 反対する「自救會」を訪ねた。大学の同僚の阿川さんの 授業で学生を連れて見学に行くのに混ぜてもらった。 台中から新幹線で台北まで1時間、台北から電車に揺 られてまた1時間。「貢寮」駅もあるのだが、降りたの は「貢寮」駅の一つ先の「福隆」。原発建設地なので海 沿いの場所。その日は海岸でサンドアートのお祭り?も 開催されていた。阿川さんから「福隆」はお弁当が有名 と聞いてお弁当が有名って何?と思っていたが、駅を降 りると駅前の道の両側に店が並び、確かにお弁当屋がた くさんある。さらにどれが有名店なのか見てすぐわかる ほど駅前すぐの店は長蛇の列。観光客と思われる人たち がたくさんいた。駅でみんな集合し、サイクリングロー ドをとぼとぼ歩いて10分ほどで「自救會」に着いた。 核四は、今年、その是非を問う国民投票が行われるこ とになっていて、3月には大きなデモ行動も行われた。 以下は、理解した範囲で、会長さんのお話の内容。

■ 核四の 歴史。民国 69年(1980)に建設 計画が 出さ れ た。民国74年(1985)、蒋経国の時に、住民の反対にあ い、建 設 計 画 は 一 時 停 止 さ れ る。民 国 77 年(1988)、 「自救會」ができた。建設計画からすでに33年が経過。 「自救會」は25年の歴史を持つ。

も原発の事故が起きている。(技術力が高くても事故は 起きる)まして、台湾はアメリカや日本に比べて国土が 狭い。そんなところで事故が起きれば大きな影響が出 る。小さな台湾で原発はいらない。 ■核四の場所は、三つの活断層がある。地震の危険が大 きい。

■台湾の第一から第三原発までは、セットで外国に作っ てもらった。第四は、第一から第三とは違い、独立した 計画。台湾電力が第一から第三の経験を元に、中心と なって計画。

■地震が起きて想定される津波は20メートルに及ぶと言 われている。しかし津波を防ぐ壁は12メートルしかな く、津波の被害から守ることができない。

■原発がなければ電力不足が起きると言っているが、 今、台湾の電力使用量は減少傾向にある。(工場が中国 などに移転した結果)第四原発がない現在、電力不足の 問題は起きていない。電力不足が起きるというのはウ ソ。

■政府は、「原発から何キロ圏内」という言い方をする が、放射性物質が風にのって飛散するので、風の方向に よって影響が変わり、中心から等距離に影響が出るもの ではない。政府の考え方は正しいことを伝えていない。 ■国民投票は、ハードルが高すぎる。有権者の過半数が 投票に参加しなければ投票は成立しない。核四を停止さ せるには、有権者の過半数が国民投票に参加し、さらに その過半数が停止に賛成票を投じる必要がある。それは 事実上不可能。(過去、国民投票が成立したことはな い。総統選と同時に行われた国民投票ですら、過半数投 票には達しなかった。)来年は大きな選挙が控えている が、現政権の国民党はその選挙と同日に国民投票を実施 したくはない。だから今年中に国民投票を行おうとして いる。

■現在ある原発では、高濃度の放射性廃棄物は、元の原 発の場所に保管されている。保管方法に問題があり、原 発周辺地域ではガンの羅患率が高い。 ■原発はブラックボックスに包まれている。建設現場 も、予算の使い方も明らかにされない。 ■原発は安全でクリーンで安いと政府は言うがそれはウ ソだ。安いのウソの一つが中央埠頭の問題。核四のため に作った中央埠頭は、自然の海流を止めてしまったの で、自然の海流があれば流れていった砂がたまるように なり、それを毎日抜き取るために巨額の費用がかかって いる。

■国民党は核四賛成、民進党は核四反対、という政治的 にはっきり対立があるのでもない。それぞれの中にも賛 成や反対がある。

■原発ではこれまでにも事故が起こっている。原発では 何万本もの線が使われていて、そのうち1本でも問題が 起きれば事故が起きる。事故が起きて放射性物質が拡散 すれば被害は大きい。

■地元の反応。最近は地元で大きな動きはない。3月9日 の台北でのデモには多くの人が参加したが、それはむし ろ意外だった。核四では200人強の地元民が働いていて、 核四がなくなれば、その人たちが失業するという影響も ある。

■アメリカや日本のような高度の科学技術を持った国で

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特集2

台湾の 台湾の第四原発- 第四原発-自救会の 自救会の会長さんのお 会長さんのお話 さんのお話

A:もう30年以 上の問題なの で地元は麻痺 している。

■会長さんの国民投票への見方。馬英九総統は、国民 投票が成立せず、そして反対票がわりと多いという状 況をねらっているのかもしれない。反対票が多かった ので、核四を停止にはしないが、国民の意向を組ん で、一時停止に持ち込む。そうすれば、自分たちのポ ケットにお金が入る。

お話しして くださった会 長 さ ん も、歳 の頃は私とそ う変わらない よ う に 見 え た。とすると、30年以上のこの問題は、会長さんも計 画が始まった頃は、子どもだったということ。最初の 反対運動をしていた人とは、今は世代交代しているは ずだ。逆に、計画を立ち上げた側も世代交代してい る。会長さんを前に、30年は長いなあと感じた。

以下、質問とそれに対する会長の答え。 Q:火力発電は温暖化を引き起こし環境によくないと 思うが。 A:それもあるかもしれないが、原発で放射性物質が 出たらその影響は計り知れない。その影響のほうが危 ない。 Q:国民投票の話が出る前と後では地元の様子は何か 変わったか。

台湾第四原発の 台湾第四原発の周辺 自救会の会長さんにお話を伺った後、実際に原発周辺 に行ってみた。原発敷地内の見学もできるのだが、会長 さんが原発の人に連絡してくれたところ、休日だし事前 に申し込みがないと内部の見学はできないとのこと。外 から見るだけでもと、会長さんの運転する車で原発の場 所に向かった。駅に集合し歩いていた時にも多少降って いた雨が、かなり本格的な雨になっていた。

外に出てみる。鉄の門の向こうには駐車スペースがあ り、車が何台か止まっている。その先に警備員さんがい る建物があって、警備員が4名ぐらいいるように見え た。休日ではあるが、中の道を車が何回か通って行っ た。 どのぐらい経っただろうか、雨もひどいしそろそろ車 に戻ろうという時、会長さんに電話がかかってきた。後 で聞いたところによると、その時に警備員のところに中 にいる警察の車が来て(外からはただの黒い車にしか見 えなかった)、電話はその警察から。「いつまでいる の?」という内容だったそうだ。警備員さんも一応仕事 だから門を少ししめ、警察も仕事だから自救会の人が来 たらチェックする。自救会にいた時に、会長さんが内部 の見学ができないかどうか、原発の人に電話をかけてく れたのだが、その時にも、「今はお互いにコミュニケー ションを図ろうということになっているから、原発の人 も知り合い」と言っていた。車にいたら、中からオート バイの人が出てきて、会長さんに手を振って挨拶し通り 過ぎた。いわゆる対立という感じではないようだ。 近くに水道局の水源がある、ということなので見に行

自救会から再び駅方向に向い、観光客の車がたくさん 止まっている中をぬけて、広い道路を走っていくと、そ こは原発。見えるのは煙突と原子炉建屋。以前、台湾プ ラスチックのコンビナートを見学に行ったことがある が、その時は外から見てもいろいろな設備があるのが見 え、大規模な何やらやっている感があったのだが、原発 はいたってシンプルに見えた。 自救会の車は、正面に「自救会」と大きく書かれてい て見ればひと目でわかる。私は気づかなかったが、車が 着いたとたんに、正面の鉄格子の門が車が入れない程度 に閉められたようだ。中に入れないし、雨が降っていて 視界が悪くよく見えないけど、とりあえず車から降りて

の水が流れ込んでいるのが見える。天気がよければ原発 も見えるらしい。海岸では釣り糸を垂れている人、海で はサーフィンをしている人がいる。天気がよければもっ と遊んでいる人が多いのだろう。福隆は特に産業もな く、観光が収入源。原発がひとたび稼働したら、事故が 起きなくても、海に遊びにくる人は少なくなるだろう。 最後に駅まで送っていただいた。駅には観光客がたく さんいた。楽しそうな観光客と原発の対比が不思議な感 じがした。観光客のすぐ近くに原発がある。原発はい たってシンプルで見た感じは危険そうなにおいはしな い。私の家から高速までの道にある台湾プラスチックの 工場のほうが、何やら変なにおいがして(時々家の近く もそのにおいがして)、危険さを漂わせている。放射性 物質も目に見えない。わけのわからないとても透明な感 じ。黒よりも怖い透明、そんな感じがした。(了)

く。ここも、会長さんが連絡してくれて、中に入れても らった。この水源からは3箇所(地名はよく聞き取れな かった)と基隆市の一部に水が供給されている。原発で 事故が起き放射性物質が広がったら、間違いなくこの水 源も使えなくなる。そうしたら多くの人に影響が出る。 台北からの電車から、線路沿いに綺麗な川が見えた。 川で遊んでいる人も結構いた。私の台湾の生活区域では どぶ川みたいな川しか見たことがなかったので、いいな あと思いながら見ていた。あの川も人が近寄れなくなる のかなと思った。 「この場所の特色は、川の淡水と海水が交じり合うと ころがあることなんです。そこを見ることができるけ ど、行ってみますか」というので、水道局を離れ、次の 場所へ移動。次に来たのは海岸を少し見下ろす感じの場 所。廟があり、車が止められる広場になっている。少し 遠くにサンドアートが見える。左側から海に向かって川

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父、中国民主活動家王炳章の 中国民主活動家王炳章の釈放を 釈放を目指して 目指して― して―良心の 良心の囚人

父、中国民主活動家王炳章 中国民主活動家王炳章の 王炳章の釈放を 釈放を目指して 目指して― して―良心の 良心の囚人 太田千秋

今年の6月4日で、天安門事件から24年が経 つ。その少し前、台北の友人から「王天安」が 台湾から渡米するという知らせが入った。6月7 日アメリカのオバマ大統領は中国の習近平国家 主席を迎えて初の首脳会談を行うという。王天 安はアメリカの議員達に父親の釈放を懇願する よう大統領に訴える手紙を出すという。 王天安は1989年天安門事件の年に生まれた。 両親は彼女に「天安」という名前をつけた。父 親の王炳章氏は1947年中国河北省生まれ、医師 を目指しカナダに渡り、中国民主化活動を始め る。その後アメリカに渡り民主活動誌「中国の 春」を創刊、民主活動団体の結成に関わってい く。中国民主化活動でノーベル平和賞を受賞し た劉暁波氏も「中国の春」に執筆していた。 Montrealgazetteより http://www.montrealgazette.com/news/ Girl+courage+father+convictions/8368018/story.html

王炳章氏は2002年中国労働運動家と会うため ベトナムに行った時、誘拐され中国にそのまま強制連行 された。2003年広東省深センの裁判所で証拠不十分の中 「台湾へ軍事機密を持ち出した、タイの中国大使館にテ ロ行為を計画した…」などの内容で終身刑を言い渡され 投獄される。その後、アメリカ(王炳章氏はアメリカの 永住権を持つ)、カナダ、ヨーロッパ各国、国連やアム ネスティ(国際人権救援機構)などが釈放を求めてい る。

をはじめ支援者たちの気持ちは焦りと不安が募るばかり だ。 そんな王天安と父、王炳章氏のストーリーをモデルに 「9天」(Nine Days)という小説が出版されている。王 天 安 の 姿 に イ ン ス ピ レ ー シ ョ ン を 得 た 作 者(Fred Hiatt)が執筆したフィクションである。その後書きに記 されている王天安の言葉で本文を終わりにしようと思 う。「With our rights come responsibilities to use whatever strengths we have and stand on the right side of history.”(我々の権利には責任が伴っている。それは、私 たちの持つすべての力を使って歴史の正しい側に立つ責 任である。 )」(了)

父、王炳章の一刻も早い釈放を目指し娘の王天安も必 死に運動を続けている。大学へ進学する前の一年間、彼 女は故郷のカナダ、モントリオールを離れアメリカ、ワ シントンに渡り父親の釈放や中国民主化運動に専念して きた、しかし投獄から10年経った今でも釈放のめどが 立っていない。長い独房生活の中、王炳章氏の身体と精 神、健康状態が最近急激に悪化している。現在、王天安

南投県春陽村(Alang Snuwil)歴史写真 歴史写真プロジェクト 南投県春陽村 歴史写真プロジェクト

Eaphetバドミントン バドミントン部 バドミントン部

スヌイ教会70周年(2016年)を目指して昔のスヌ イの写真を集めています。写真管理・処理、提供 などご協力ください。

不定期ですが、週末を利用して汗を流していま す。一緒にプレイしたい方、募集!! お知らせ はfacebookを利用しています、ご確認下さい。

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聊聊映画館レビュー 聊聊映画館レビュー

Gasland

聊聊 映画館レビュー 毎週水曜日の夜7時から の「聊聊」ではドキュメ ンタリー作品を中心に、 映像を通して語られる歴 史、社会、人々について 議論している。このコー ナーでは、4月から6月に 「聊聊」した作品の中か らいくつか紹介しよう

村山さたね 村山さたね

2010 年 ジ ョ シ ュ ・ フ ォ ッ ク ス 監 督 ・ 製 作。 シェール・ガスがアメリカ合衆国で注目され た。自国に膨大な天然ガスがあるのに中東の石 油に頼ったり、危険で商売にならない原発に頼 る必要はないじゃないか。政府の肝いりで特別 の法律が作られ、エネルギー会社がこぞって シェールガスの採掘に乗り出した。環境問題さ え気にしなければガスは掘れば出る。掘る方法 は水圧破砕法と呼ばれ、通常は岩盤を溶かす薬 品と砂の混合した水を高圧でノズルから噴射し ながら、ガス溜まりに向かってパイプを入れて いく。圧力と薬品の効果で、ガス溜まりをある 程度密閉していた外壁がヒビ割れしたり破損し て、ガスは地中へ、そして地上に漏れ出してく る。これは自然にも起きているし起こりえるこ とで、映画の中で水道水に火がつくという現象 も、昔からガス埋蔵地域では見られてきた現象だという人もいる。異なるのは、 水圧破砕法によって地下水に混入する科学薬品の存在と、ガス溜まり外壁損傷に よるより大きなガス漏れで、それが広範囲に起こっている。映画はそれを伝え、 この環境破壊を合法化している政府とエネルギー会社を告発する。映画の作り方 としては好きじゃない。見る人たちに判断材料を与えないで、一方向の主張だけ を展開して、作り手のナルシスティックな声だけに晒される。でも、しかし、な んです。天然ガスはいいじゃないか、というだけで、そのガスがどんな問題を引 き起こしているか報道しない大手メディアに対して、この映像は腰が引けるとこ ろなく対抗している。

Living Without Money

村山さたね 村山さたね

2010年、「援け合いセンター」の創始者、ハイデマリー・シュヴァルマー(精神 科医・69歳)の活動を描いたドイツ記録映画。シュヴァルマーは金を使わない生活 を提唱し、実行し、広めようとしている。実際、そんなことできるの? 映画の中 で電車に乗ったり、タクシーに乗ったり、飛行機まで乗るけど、あれは金使ってな いの?…観た後で、そんな感想が飛び交った。日本のテレビ番組で「自給自足生 活」を紹介するみたいなのがあるけれど、あれも『これで自給自足って言える の?』とか『道楽にすぎないね』とか、見てる人たちはよく言う。自給自足も、金 を使わない生活も、寄り沿う理念のことを言っているのであって、理念を100%実 行していて矛盾なし、という教条主義というか原理主義的な生き方を言うのではな いだろう。ことは民主主義でも自由主義でも、寄り沿う理念を完全に体現する生き 方は誰もできないし、していない。それで、しかし、民主主義や自由主義がまやか しだ、とは誰も言わない。 私がこの映画で最も魅力を感じたのは、ハイデマリー・シュヴァルマーがイタリ アに招かれてTVのバラエティ・ショーに出て「急に気分が悪くなって」中途退場 するシーン。まじめに生き方を考えているシュヴァルマーには興味本位のTV ショーが耐えられなかった、と、まあ、そんな風に見るのが妥当なのかもしれない けれど、彼女の「急に気分が悪くなって」はそんな説明では納得できない何かがあった。ショーのホステスがイタ リア語で「今着てるその服もただなんですか?そのきれいなバッグは?」と畳みかけてくる。シュヴァルマーは通 訳者がそれをドイツ語に訳すのが遅いと言わんばかりに耳にさしたイヤホーンを押さえながら待つ。突然、口がき けなくなって水を要求する。彼女はそのままショーから退場。カメラはセット裏でペットボトルから水を飲むシュ ヴァルマーをとらえる。シュヴァルマーはもごもごと言い訳めいたことを言いながら、水を飲む。ノルウェーで若 い人たちに物々交換や、労働と物の交換について教えていたときのシュヴァルマーの自信に満ちた姿と、イタリア のTVセット裏の彼女の姿との間のギャップが奇妙に印象的、魅力的だった。(ヘロデ王の宮殿で馬鹿にされるキリ ストを思わせるなんて言ったら、今度は私がバカにされるだろうか) このドキュメンタリーは、久しぶりに観た、人間を人間らしく描いた映像だったと思う。

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ニュース

Eaphetが Eaphetが見た出来事 4月~6月

4月 月 2日 日 日本国政府、電力会社から送配電部門を切り離 すことなどの電力 電力システム 電力システム改革方針 システム 改革方針を決定。2015年から 改革方針 三段階で実施し、18~20年をめどに発送電を分離すると 同時に電力料金も全面自由化するという。「戦後」電力 供給の地域独占を約60年ぶりに見直す。…発送電公営化 の動きを懸念したGHQが地域分割・民営・発送配電一貫 経営という大枠を打ち出したのは(逆コースに入りつつ あった)1948年8月。大枠に沿って日本は9つの地域、9つ の独占企業に分割された。60年間続いた殿様商売、簡単 に解体されないだろう。(と書いていたら、6月26日には 電力事業法改正案は民主党自らの手によって廃案の見通 しと報じられた。)

4月 月 21日 日 日本国、靖国神社 靖国神社の春季例大祭が始まり、麻 靖国神社 生太郎副総理、古屋圭司国家公安委員長が参拝。安倍晋 三は参拝を見送り、真榊を奉納。「国のため命をささげ た英霊に対し、哀悼の誠をささげるのは当然のこと」 (麻生)

4月 月 3日 日 日本国、原子力安全規制委が使用済 使用済み 使用済み 核燃料再 処理工場運転(青森県六ケ所村)を12月まで認めないと 処理工場運転 発表。 10月稼働予定だった使用済み核燃料の「中間貯蔵 施設」(同むつ市)の操業も同様に待ったがかかった。 規制委は国の新しい規制基準ができる12月まで、安全確 認の審査をしないと言う。規制委の暴走という批判もあ る中、これで議論が進めばという期待もある。

4月 月24日 日 台湾出身の活動家、理由説明もなく韓国入国を 拒否される。ワン・エミリ(Wang Emily)さんは、国際平 和団体、「開拓者たち」(The Frontiers)のメンバーらと ともに、2011年6月からガンジョン村に常駐し済州海軍基 地反対運動に加わってきたが、海外での日程を終え、マ レーシアから出発してインチョン国際空港に到着した際 に入国を拒否された。

4月 月 5日 日 嘉手納基地以南にある沖縄 沖縄の 沖縄の米軍施設の 米軍施設の返還計 返還 画について日米両政府が合意。最大の焦点だった普天間 飛行場については、辺野古への県内移設を前提として、 2022年度以降(つまりはっきりしない)の返還とされ た。これで何が進んだというのか。牧港補給地区(浦添 市)などすでに不要になった施設の返還が具体化しただ け。

5 月 1 日 日 本、電 電 力 8 社赤 字 1.3 兆円、円安、燃料費 増 加、原発再稼働へ規制委が立ちはだかっている。旧体制 の電力会社、福島以来表立った文句は言えない。自由化 しなくちゃ、とアベノミクス。ハイエクの愛弟子、サッ チャー女史も墓の中から応援?

4月 月 23日 日 〈ガーディアン〉は「サムスン サムスン電子 サムスン 電子が作って 電子 いる携帯電話の部品中の一つであるスズ(錫)が児童搾 取、環境汚染などの理由で国際的関心の対象となってい るインドネシア・バンカ島所在の鉱山で生産されたもの であり、サムスン電子もこれを認めた」と報道。サムス ン電子だけじゃないだろう。

5月 月 9日 日 台湾漁船「広大興28号」がフィリピン沿岸警備 艇に銃撃され一人が死亡。台湾政府は15日、フィリピン 側の対応に「誠意がみとめられない」としてフィリピン 人の台湾での新規の就労申請を認めないなどの制裁措置 を発動。フィリピン側は対台湾外交窓口機関「マニラ経 済文化事務所」の代表が、台湾外交部を訪れ謝罪など申 し入れたが、台湾はこれを拒否。アキノ大統領自ら「深 い哀悼と謝罪」を表明したのも受け入れなかった。台湾 は16日、漁船の安全を守るためと称して、台湾が主張す る南シナ海の排他的経済水域(EEZ)で軍事演習を実 施。台湾が南シナ海で軍事演習をするのは初めて。台湾 の強硬姿勢を見ると、銃撃事件を渡りに船とばかりに利 用して「一つの中国」原則を掲げるフィリピンを滅多打 ちの感。裏がありそうだ。【台湾には、外国人の介護労 働者が20万7千人働く。そのうち19万3千人が家庭に住み 込み、高齢者のケアをする。インドネシア人が圧倒的に 多く、15万8千人。フィリピン人(2万1千人)、ベトナム 人(1万3千人)。】

4月 月 9日 日 日本国、北朝鮮ミサイルに対応するとして都心 部の市ケ谷のほか、朝霞、習志野にも地対空誘導弾パト リオットPAC3配備 配備。「パトリオット(愛国者)」とは 配備 どこの「愛国者」?この愛国者ミサイル、2カ月たった現 在もそのまま「配備」されている。防衛省は常時配備を 検討中とのこと。戦時体制 戦時体制は 常時化 戦時体制 は 常時化されていく。去年4 月の東亜日報が報じたところによると、去年の同じ時期 の「北朝鮮ミサイル危機」に際して『米国は台湾に設置 したミサイル防御システムを初めてフル稼動した』と し、さらに『米国、日本が北東アジアに構築した戦域ミ サイル防衛(TMD)体制の中枢施設は台湾新竹山・楽山 レーダー基地だ』という。香港返還後の米軍(日本軍) の「耳」は台湾にあり、という噂は絶えないが、その台 湾でMDはメディアの話題に載ってこない不思議。 4月 月 20日 日 映画セデック・バレ 映画 セデック・バレ、 セデック・バレ、日本公開が始まった。 日本公開 「過酷な歴史を正面から描いた」との前評判。台湾公開 版と同じ、全編カットなしでの上映でよかった、などの 声。ネットを見る限り「できるだけ原住民の視点を重 視」など、日本の批評は原住民を「描かれる対象」とし てしか見ていないようだ。なるほど過酷な歴史は再生産 される。

5月 月 13日 日 日本、大阪市長、橋下 橋下の 橋下 の「慰安婦は 慰安婦 は 必要だっ 必要 だっ た」発言。15日から予定されていたアメリカ合衆国訪問 発言 を(現地での批判が高まったため)キャンセル。

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Eaphetが Eaphetが見た出来事 4月~6月

ニュース

5月 月29日 日 日本国、安倍首相、インドのシン首相と会談、 原子力協定に 原子力協定 に 向 けた交渉再開 けた 交渉再開で合意。安倍のセールス 交渉再開 トークは「安全」。安倍のトップセールスの狙いは「原 発ゼロ」路線を修正したことを内外にアピールすること だという。5月には2011年の福島原発事故後初の原子力協 定にアラブ首長国連邦(UAE)、トルコと署名。サウジ アラビアとも協議開始で合意。6月にはチェコなど東欧4 カ国を訪問するのも原発輸出が目的。ユニオン・カーバ イト社の化学工場から有毒ガスが漏れ、死者2万5000人、 負傷者は数十万人にも上った一九八四年の事故の教訓か ら、インドは二〇一〇年9月に「メーカーにも損害賠償責 任を持たせる」原子力損害賠償法を制定。まともな会社 なら手を出さない。

6月 月13日 日 ブラジル、サンパウロ市中心部で約5000人が道 路を占拠し警官隊と衝突、240人以上が拘束された。共同 電によると、デモのきっかけは同市で今月上旬、地下鉄 やバスなどの運賃が値上げされたこと。食料品高騰に悩 んでいた市民の怒りが爆発。15日には、国立競技場前に 約1000人が集結し、同大会や来年のW杯開催に抗議。抗 議者たちは「コンフェデ杯より教育の充実を」と主張。 来年ブラジルで開催される予定のW杯についても「金の 無駄遣いだ」「W杯より医療と教育に金をくれ」などと 批判するプラカードが掲げられた。 6月 月18日 日 許世楷、東京で発言。中国一党支配下に組み込 まれるか、自由世界に残れるかの分かれ道に来ているの に危機感 危機感のない 危機感のない台湾 のない台湾を批判。 台湾

5月 月 31日 日 トルコ、イスタンブールでゲジ ゲジ公園 ゲジ 公園を 公園 を 守 れ と 公園を占拠したデモ隊を、警官隊が大量の催涙弾などを 使って強制排除。2020年夏季五輪のイスタンブール招致 をめざす政府への抗議デモの中心グループ「タクシム結 束プラットホーム」は6月15日、最大都市イスタンブール 中心部のゲジ公園からの退去を拒否し、占拠を続けると の声明を発表。(→6月13日、サンパウロW杯抗議)

6月 月20日 日 2012年11月に蘭嶼の椰油地区にセメント工場建 設話が持ち上がった。台東県政府は行政上の手続きが未 完了だとして、この計画に待ったをかけた。しかし今年3 月、建設予定地はいつの間にか東清村に変わり、4月に県 政府の建設許可が下りた。これに反対する東清村自救会 では、伝統領域のすべての開発には原住民の承認が必要 とする原住民基本法が無視されているとして、この日、 徹底抗戦を発表。

6月 月 7日 日 米政府、2007年からIT企業ぐるみでネット上の 個人情報、 、メールの盗 個人情報 メールの盗 み読み をしていたことが発覚(英 ガーディアン、米ワシントン・ポスト両紙)。内部告発 したのは国家安全保障局(NSA)で働く米国人エドワー ド・スノーデン(29)だったことが9日、本人が名乗り出 て分かった。スノーデンが暴露した文書によると、国家 安全保障局(NSA)と連邦捜査局(FBI)が、グーグル やマイクロソフト、アップル、携帯電話大手のベライゾ ンなど大手9社の協力を得て盗み読み、盗聴を行ってき た。同文書は英国政府が2009年ロンドンでのG20開催の 際に参加国外交官の携帯電話とネット使用を盗聴したこ と、それにもNSAが一役買っていたことも暴露した。オ バマ政権は「米議会の承認を得ていた」、盗み読み・盗 聴は愛国者法第215条および国外情報監視法第702条に基 づいて合法だ、実際盗聴したのは300通話くらいしかない し、アメリカ合衆国人のメールや通話は含まれていな い、などと言い張っている。香港に潜伏しているとされ るスノーデンの身柄引き渡しを巡って賛否両論が飛び 交っ���いる。今年1月30日にアルカーイダ幹部に対する尋 問で水責めの「拷問」があったと去年十月にテレビで証 言し、その後、同僚の名前をメディアに教えた罪などで 起訴されていた米中央情報局(CIA)の元職員キリア・ コウ被告に禁固刑確定になり、彼が告発した拷問実行者 たちはお咎めなしという事件があったことが思い出され る。内部告発者だけが犯罪人となるのが911以後の世界な のか。

6月 月 20日 日 加。

東日本大震災から2年で脳卒中の発症が5倍増

関連する情報をネットから拾ってみると、▼福島県の 子どもの病死因、心疾患での死亡数が1年間で2倍に増加 (「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の 代表、中手聖一2012年5月14日発表レポート)▼2012.3.20 第76回日本循環器学会『東日本大震災後に心不全が有意 に増加、ACS、脳卒中も』▼2012.4.23 第98回日本消化器 病学会『東日本大震災後に出血性潰瘍が有意に増加』▼ 2011.6.30 NHK『震 災 後 心 不 全 の 患 者 3 倍 超』▼ 2011.11.20 心疾患引き起こす川崎病が全国で増加中▼ 2012.3.22 『心筋細胞にセシウム137が取り込まれると、 エネルギーの産生(合成)ができなくなり、突然死につ ながる。』『特に心血管系疾患で死亡した患者の心筋に 多くのセシウム137が蓄積されていたことを突き止め た。』『残念ながら日本人は情報が少なすぎる。(政府 当局は)情報を隠している。今のような形で情報を隠し 続けると、(対策の遅れによって)数十年後に日本の人 口 は 激 減 し て し ま う。』(ユ ー リ・バ ン ダ ジ ェ フ ス キー・元ゴメリ医科大学学長) セシウムがミトコンドリアの機能を破壊する結果、子ど もだけでなく大人にも心筋梗塞など心臓血管系の病気が 増えることはチェルノブイリ事故の知見の一つだとも言 われているが、日本政府からは聞いたことがない。

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【写真エッセイ 写真エッセイ】 エッセイ】

一人の 一人の幻 【1】 雪の国

イワン・ス 2013/04/15

一人の 一人の幻 [1] 雪の国

前夜、まだ自分のベッ ドに寝ていたのに、今 晩もう見知らぬところ に寝ることになった。 降りてまず電車に乗り 換え。

予想外の温度。寂しさ。 涙。 それと共に何かが膨らん でいると感じた。 強さかも。仕方がないと思いながら生み出された強さ。 車内の暖房にも癒された。 少しの不安を抱え、翌日の広い青空と大地を迎えた。 広がっているというのは、こんな感じ だったか、と結構感動した。毎日。

久々の農作業。お米の朝ご飯。早起き。

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【写真エッセイ 写真エッセイ】 エッセイ】

一人の 一人の幻 【1】 雪の国

逆に名所としてよく知られ ている港の都市に対して、 あまり感動しなかった。

もう一つ、雪。

フワフワ、ふわふわ。 雪が降る音が聞こえるような、静か。 曇っても、晴れても。

[未完]

※全ての写真はフィルムで撮影、F-C-400 (F:フィルム、C:カラー、400:ISO)

カラーで見たい方はこのリンクへ:http://issuu.com/ eaphet

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中国語で 中国語で話そうNO.008 そうNO.008 | 編集後記

中国語で 中国語で話そう 第8回 最近台湾を震撼させた毒入りデンプン事件。工業用の接着剤として使われる「無水マレイン酸」を含んだ加工デ ンプンが食用として使用されていたことが分かりました。台湾で人気のデザートや屋台料理には欠かせないデン プン。毒入りデンプンは食べすぎると腎機能を低下させると言われています。 最近讓台灣震撼的就是毒澱粉事件了,工業用的黏著劑「順丁烯二酸」被使用在加工澱粉作為食用澱粉,台灣的人 氣甜點及小吃攤都不可缺少這些原料,吃了這些毒澱粉會造成腎臟機能衰退。 村上

やっぱり夜食には鶏の胸肉のでっかいから揚げと、タピオカミルクティーが最高ですね。

村上

宵夜還是要吃大雞排和珍珠奶茶最對味。

TY

ええ!村上さん知らないんですか?複数のメーカーの加工デンプンで作った食品から「無水マレイン 酸」 が検出されて、今大問題になっているんですよ。タピオカやから揚げ粉の原料にも含まれてい るそうです。

TY

什麼?!!村上小姐你不知道嗎?很多廠商的產品裡的加工澱粉都驗出「順丁烯二酸」,造成很大的問題耶! 連珍珠和炸雞排的粉的原料都含有這些成分。

村上

そうなの ?!

村上

是嗎?我不知道!!

知らなかった!!

TY

原料の製造元までは表示義務がないから、もう何に使われているか分からないんですよ。加工デンプン はコンビニのパンやおでんの具、餡かけスープのとろみ付けなどあらゆる食品に入っているそうです。 食べすぎると腎機能を低下させるとか。台湾で透析が多いのはこの原因だとも言われ始めました。政府 は規制に乗り出しているけど…。

TY

因為沒有標示製造來源的義務,所以才會不知道究竟被用來作什麼了?加工澱粉在超商的麵包或關東煮的 內餡、醬料等等食品中都可以見到。吃太多的話會造成腎臟功能敗壞。所以有人開始說台灣有很多這類疾 病有可能是因為吃太多這些食品的關係。政府現在也在想一些補救的規範措施…。

村上

成長ホルモンなどの薬漬けの肉や、遺伝子組み換えや農薬漬けの野菜、放射能で汚染された魚…、私た ちはこれから何を食べたらいいだろう…途方に暮れちゃうね。

村上

打生長激素的肉類、基因改造或有農藥的蔬菜、核廢料汙染的魚…、我們以後到底要吃什麼好?都不知道 要怎麼辦了。

今回は二つの特集を設けました。特集1「2013年、今考えること—私の経験から」では、 福島から台中へ避難した経験、アフガニスタンでの平和活動、ベトナムで働いた経験、それ ぞれが現在の時点から自らの体験を振り返り記しています。“情報のズレや生活のギャップ、考え方の違いに 直面し葛藤や違和感を覚えた経験”等と、軽々と表現できるような事ではおそらくないでしょう。自らを取り 巻く環境(国や制度)、自明視され疑われない事、又それらを支え趨勢を作り出すスパイラル、このスパイラル 自体の恒常性に対して個人の経験が如何に関係するのか、読み手に考えさせてくれる内容です。自分の経験を 少し時間を置いた後に評価していくことが大切だなと思いました(p1~10)。 編 集 後 記

特集2「核四をめぐる攻防」は、台湾の第四原発をめぐって財政力を携えて行われた講演会が報告されてい ます。マクロ的な争い―緑色公民行動連盟主催講演会と中華民国核能学会・台湾電力主催の講演会、どちらも 日本から“専門家”を招待する形―、このようないわゆる原発推進派と反対派の攻防に対し、貢寮の自救会で の話を聞いた報告(p14)は、既に原発に追い詰められた地域の身動きの取れなさが伺えます。マクロなレベルで の盛り上がりの一方で、ミクロ側では冷めている或いは利害があまりにも直結する為に大声を出せないという ような落ち付き感を感じました。そもそも連動しているはずのマクロとミクロが対極を為すのは検討違いかも しれませんが。 その他に、「父、中国民主活動家王炳章の釈放を目指して―良心の囚人」(p16)もぜひお読みください。釈放 を求める署名がネット上で可能です、ご協力願います。http://www.change.org/en-CA/petitions/chinese-leader-xijinping-release-dr-wang-bingzhang NL15号から、横書きにスタイル変更しましたが、いかがでしょうか。記事の内容、読みやすさ等の形式につ いて、ご意見がありましたらお知らせ下さい。(村上生紗)

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NL No.15 日文版