D.A.C. NO.3

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中央祠堂にて

リンガ石塔の先の建物 は「遺跡付近図」参照

中央祠堂東側は絶壁に

異 郷との 出 会 い、    そこに神々が 降 臨 する プリア・ヴィヘア神殿(ヒンドウ寺院)を頂に置く 山は、南の平原に向って槍の穂先のように突き出し、 南・東・西の三方は急峻な崖になっている。北側だけ が他の山々と尾根をつなげ、多くの谷を入込ませなが ら、ゆるやかにコラート平原へ至る。 山は、北のタイ側の谷からゆやかな傾斜で高度を上 あんぶ

げ、一度、砂岩が剥き出しとなった鞍部に下がり、再 び急な崖を昇って、テーブル状の砂岩が広がる台地に 出る。ここに山上の大神殿、プリア・ヴィヘアが築か れたのだ。現在、カンボジア・タイの国境は、一続き の山の鞍部に引かれている。が、往時、プリア・ヴィ ヘア神殿(寺院)は、現在のカンボジア領に属してい る参道入口から最奥の中央神殿の領域を超えてタイ側 にまでその神域を広げていたようである。それは、今 まがい

もタイ領側の山上に残るクメール遺跡(祠堂跡、磨崖 の神像群)からも想定できる。 *タイ側からの観光については unseen Thailand 参照

想えば、アンコール・ワットを造営したスーリアヴァ ルマン二世の12世紀の頃、王朝の威光は遠くコラート 平原を越えてスコータイにまで、また、平原を東にた しんろう

どってアンコール王朝につながる「真臘(漢文資料・

第三塔門西側

チェンラ王国)」の発祥地チャン・パサック地方(現・ ラオス南部)に及んでいた。それ故、往時、プリア・ ヴィヘアのあるこの地は、王城の地・アンコールとス コータイ、チャン・パサックに通じる王道の中継点に 当たる事になる。 タイ領に入ってわずか200mほど、東側の急峻な崖 の上部に彫られた三体の神像がある。それは明らかに クメール民族の造形によるもので、肉付きのよい、ゆっ たりとした姿態、厚めの唇、口元の穏やかな微笑み、 伏し目がちな視線の先には、眼下数百メートルにゆる やかな傾斜でコラート高原に続く広い谷に注がれてい る。時に、アンコール王朝の威光を背にした軍の行進 は遥か山上の神殿に神の栄光を祈り、荷物を背負った 旅人は神の加護を求めて、磨崖の神像の慈愛に浴した に違いない。それ故にこそ、ここは「聖なる神殿 (寺院)」(プリア・ヴィヘアの意味)と呼ばれた のである。往時、この地はけして辺境ではなく、行き 交う人々は仰ぎ見るにふさわしい憧れの「天空の神殿」 であった。 *楯状地:先カンブリア時代(5億9000万年以前)に成立した安定地殻 で、地形的には楯を伏せたような形に見えるため、この名称が生まれた。 最古の大陸地殻であって、激しい変形・断裂を受けた結晶片岩、片麻岩、 花崗岩などで構成されるが、古生代以後はまったく安定し、わずかに堆 積岩類を載せている場合もあるが、その構造はほとんど水平でまったく 乱されていない。カンボジアの場合、楯状地の地殻の上に披歴砂岩体が 見られる。 (平凡社版:世界大百科事典を参照)


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