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WOMAN'S POWER

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人と神戸の街 への想いびと 神戸のウエディングプロデューサー

谷口 享子(たにぐち きょうこ)

(株) オフィスマーメイド代表取締役


キュート、という言葉がぴったりな笑顔。は きはきとした耳触りのいい声。谷口享子が表れ ると、その場が華やかな空気で満ちる。神戸の 中心部に構える、司会やミュージシャンを手配 するプロデュース会社【オフィスマーメイド】 の社長でありながら、「神戸をウェディングの 街に」という想いで立ち上げた“神戸ウェディ ング会議”の事務局長として、日夜奔走する。 「1日でいいから、何も考えずに過ごせる時間 がほしい」という願いも空しく、ゆっくり読書 する時間を確保することすら至難の抜。にもか かわらず、自分と関わる人たちから声がかかれ ば、時間を捻出する。愛する神戸の街のために …自分と関わる人たちのために…無償といえる 愛情を注ぎ続ける。

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谷口享子

人と神戸の街への想いびと

神戸をウェディングの街に─。

谷口享子はその想いを胸に走り続けている。

愛する地元・神戸の活性化と自らが関わる人々のために 無償とも思える愛情とエネルギーを注ぐ真摯な姿勢。

キュートな笑顔と絶対的な存在感は、まさに“神戸の女神” 。 そう称することに異議を唱えるものはいないだろう。


キャスターと通訳に憧れた学生時代 「これからの人生は自分で決めたい」   子どものころは、アナウンサーに憧れた。その想いを抱きつつ進んだのは、県下でも有名な 進学校である兵庫県立長田高校。 「自分との空気の違いを感じていたので、入学してからもあまり馴染めなかったんです」   そう語るように、高校入学後も中学時代の友人たちと遊ぶことの方が多かった。厳格な両親 に反発しながら過ごす谷口の身に、友人の事故死という衝撃的な出来事が起こる。高校3年の ときであった。それを機に「こんなことをしていてはダメだ」と猛勉強を開始。ところがその 後、谷口自身が交通事故に! このとき、高校の友人たちのありがたさを痛感した。 「みんな受験で忙しいのに、毎日たくさんの友人がお見舞いにきてくれたんです。それも、世 界史など受験用の勉強をテープに吹き込んで持ってきてくれて…最後の方は声が枯れていた友 人もいたほど」   1ヶ月の入院生活を経て、谷口はギプスをしたまま受験に挑んだ。 「『通訳になりたい』という想いを持っていたので、大阪外大の英米学科を目指していました。   ただ、共通一次試験の持ち点で余裕があったのは神戸大学教育学部幼児教育科。母が子ども

教室をしていたこともあって、何か力になるかな、と神戸大学を受験することにしたんです」   大学生になった谷口は、後に国会議員となる高市早苗氏が結成したバンドに勧誘される。 リー ドボーカルとして音楽活動を楽しむ一方で、1回生のころからパーティコンパニオンのアルバ イトをはじめ、 4回生のころには“リクルートヤングツアー”で、アメリカのホストファミリー の家に2週間滞在。“ニュースキャスター”か“通訳” 。谷口は自身の目指す未来へ向けてさま ざまな行動を起こしていった。ところが、「普通に就職し、寿退社で家庭に入るのが幸せ」と いう父親の考えに添うカタチで、堅実な教育関連の一般企業に就職。しかし、働きはじめてし ばらく経ったある日、谷口は“神戸グリーンエキスポ博覧会(1985 年に開催) ”のイベン トコンパニオンに応募する。見事、採用の知らせを受け取ると、勤めていた会社を1年あまり で退職。両親に「これからの人生は自分に決めさせてほしい」と自らの意志を伝えた。   仕事を辞めて望んだ“神戸グリーンエキスポ博覧会”では、よく通る声を褒められ、館内ア ナウンスやナレーションを務めた。この体験を通して人前で話す楽しさを知るも、心のなかに は「通訳になりたい」という想いが強く生きていた。 「大学時代に訪れたホストファミリーに手紙を出してステイさせていただくことにしました。 何も決めずにアメリカに行って、ホストファミリーの方に家から一番近いカリフォルニア州立 大学ロングビーチ校に電話をしてもらい、自分ひとりで入学の手続きに。かなり無謀だったと

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谷口享子

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歳でやっと念願が叶って嬉しかったです」

思います。ただ、高校時代からアメリカ留学をしたいと思いながら、 父が厳格だったこともあっ てできなかったので、

「会社に入った翌年、 歳で結婚しました。でも、パーティコンパニオンという仕事は皆さん

かに根付く強い想いに突き動かされるように、5年間勤めた会社を退職することを決断。

業績を伸ばしていく。しかし、谷口のなかにはある想いがあった。 「子どもがほしい」 。心のな

切らない」という信念のもと、周りの人たちに助けを請いながら愚直に仕事をこなし、順調に

  人前で話すことに関しては経験を積んできた谷口も、経営に関しては素人。「人の信頼は裏

2度の流産を経て、起業と同時に妊娠発覚 子どもが自分に足りないものを与えてくれた

いかも…」と、その申し出を受けるとともに常務取締役に就任した。

会社の社長から「神戸支社を任せたい」との依頼を受ける。漠然と「マネジメントもおもしろ

活動を開始。アメリカに行った翌年、学生時代にアルバイトをしていたパーティコンパニオン

後も英語の勉強を続けながら、フリーの司会やナレーターモデル、ウグイス嬢として本格的に

  ところが、何も考えずに行ったため「資金不足で半年で帰国しました」と谷口は笑う。帰国

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緒に働くスタッフたちも、息子の保育所の送り迎えをしてくれたり、病院に連れていってくれ

「周りの助けがあったからやってくることができました。主人の母や義妹、私の両親や姉、一

社を運営していくことは大変なことである。

  起業の理由を、そう話す。とはいえ、幼い子どもを育てながら、まだ基盤のできていない会

「元気になること、 幸せになることをお手伝いする。一生を懸けるに値する仕事だと思いました」

同じ年、谷口は独立起業となるブライダル中心の司会の会社『オフィスマーメイド』を開設。

じめていた司会の仕事は他メンバーがそのまま続けてくれた。そして、無事に長男を出産する。

  人生とは皮肉なものだ。覚悟を決めた矢先、念願の子どもを授かった。すでにグループでは

ンに通いました」

ループで独立準備をはじめ、私もあらためて“おしゃべり”の勉強をするため5カ所のレッス

めに何かしよう、と。そう考えはじめたら、徐々に仕事への想いが再燃してきて…司会者のグ

「子どもは産めないかもしれないと思いました。ならば、子どものいない人生を生きていくた

はじめた諦めの感情は、その色を濃くしていく。

  ただ、仕事を辞めても子宝には恵まれなかった。不妊治療を行いながら、谷口の心に生まれ

どもを産むのは難しいな、と感じていたんです。子どもを産むなら辞めるしかないな、と」

が思っている以上にハードで…2度の流産を経験していましたから、この仕事を続けながら子

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たり…ある意味、私は何もしていないかも。私の両親に至っては、今でも毎日息子と一緒に夕 食を食べてくれています。もちろん、教育方針を決めるのは私ですが、周りの人たちが育てて くれたと思っています。だから、本当に感謝しています」   仕事をしながら子どもを育てることに不安を抱える女性たちにとって、谷口の言葉は心強い。 「“案ずるより産むが易し”と言いますが、私の場合その通りでした。頭で考えていてもはじ まらない。自分で全部しようと思うと無理だから、上手に周りの人たちに協力してもらえばい いんです。ただ、身内が近くにいないと難しいのかな?」   子どもを持つことは自分に足りないものを与えてくれるいいきっかけになる、とも話す。 「それまでの私の人生の辞書に、“我慢”や“忍耐”という言葉はありませんでした。だから、 子どもを持たなかったら、もっと鼻持ちならない嫌な女になってたかもしれません」   そう言って、よく通る声でけらけらと笑った。

会社の基盤を作ってくれた恩人との出会い そしてはじまった「神戸をウェディングの街に」   現在は、司会業を中心に結婚披露宴やパーティー、イベントの総合プロデュース、司会者の

養成や手配、話し方スクール、ビジネスマナー講座など、幅広い業務を行う【株式会社オフィ スマーメイド】。会社の設立当初に事業の基盤を作ってくれた恩人が何人かいる。その一人が、 当時の前神戸市長である故宮崎辰雄氏だ。同じ兵庫県立長田高校出身ということもあり、同窓 会の事務長・戸田和男氏が引き合わせてくれたという。 「高校の先輩ということで、同窓会の行事などでよく顔を合わせていました。そこでいろいろ 雑務に動いていたのを見てくださっていたからでしょうか…あるとき、私が司会の仕事をして いることを知って、神戸市内のホテルをいくつか紹介してくださったんです」   その後、同じ長田高校の先輩で宮崎氏と親しかったダイエーの中内㓛氏の力添えもあり、仕 事は少しずつ増えていく。そして、もう一人の恩人が、神戸大学の大先輩である元シンエーフー ズ社長の福田晋三氏。福田氏からの紹介により、ブライダル業界最大手『ワタベウェディング』 の三宮支店を任せられることになり、ブライダルプロデュース業の拡大へと繋がっていく。 「もともとあまりうまくいっていないお店でしたのでダメだったら辞めよう、と。でも、たま たま前年に入ったスタッフの石川ががんばってくれて1年で黒字に転換しました。今の私があ るのは、人との繋がりがあるから。ご紹介いただいた方々の顔に泥を塗ることがないように、 その期待に応えられるように、とにかくそれだけを考えてやってきました」   この福田氏から「ブライダルは神戸の活性化に繋がる!」と言われていた谷口であったが、

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当時はあまりピンとこなかったという。しかし、ホテルへの出入りが増えると同時に、今まで 知らなかった現実を知っていく。 「ホテルの出入り業者が一同に集まる“業者会”というのがあったんです。初めてそれに参加 したときは驚きました。200〜300社くらいが参加していて、『ホテルってこんなにたく

〜100社くらいあったんですよ」

さんの業者が関わっているんだ』と思ったのを覚えています。それとは別にブライダルだけの “業者会”もあるんですが、それでも

330名が参加。このカンファレンスをキックオフとして、神戸の街でウェディングや観光の

ディングフォーラム」を開催。ウェディングをはじめファッションや観光産業の関係者など約

  勉強会をはじめた翌年の2005年。神戸観光コンベンション協会の力添えもあり 「神戸ウェ

テルや観光・ブライダル業界から有志が結集。「フォーラムをしよう」という動きがはじまる。

みならず県外にも大きなインパクトをもたらした。この呼びかけに、神戸市内のいくつかのホ

なか、『幸せを演出するビジネスで神戸に元気と喜びを取り戻す』という提唱は、地元企業の

  震災後、神戸は経済低迷に苦しんでいた。そんな街を再生すべくさまざまな試みがなされる

らも取材を受けるようになっていったんです」

動するNPO団体を立ち上げたり、小さな勉強会をはじめていきました。それを機に、新聞か

と励ましてくれたんです。彼らが中心となって“ブライダルを神戸の地場産業にしよう”と活

に参加していたんですが、ここのメンバーが『ウェディングは地域活性になるからがんばろう』

「中小企業家同友会の仲間に誘われて、中小企業向け経営セミナーをしている『神戸駅前大学』

ち消えになってしまう。今から7年前のことである。そんなとき、一筋の光が差し込んだ。

協会を紹介される。「前向きに検討する」との返事を受けるも、さまざまな紆余曲折により立

戸をブライダル都市にしよう」と2人で神戸市に掛け合ったところ、神戸観光コンベンション

メリケンパークオリエンタルホテルの能川社長に伝えたところ想像以上の共感を呼んだ。 「神

はそう考えた。ウェディングを通して多くの人が訪れる街になれば…その想いを、当時の神戸

  地元の企業が潤うことで経済が活性化され、神戸の魅力をさらに高めることができる。谷口

地元の業者さんを使っていただくことで、神戸の経済の活性化に繋がる、そう思いました」

ています。当時、神戸のホテルへの出入り業者は大阪の方が多かったんですが、せっかくなら

ローやウェルカムボードなどの演出グッズにいたるまで、たくさんの業種・業者さんが関わっ

や美容、印刷、音響や照明、引き出物では陶器や和・洋菓子、かつおぶし、ほかにもリングピ

「ウェディングというのは、ホテルやレストランはもちろんのこと、食品やお酒、お花、衣装

い。谷口は、ウェディングが「裾野の広い産業」だと感じた。

  その事実に福田氏の言葉の意味を知る。これだけの人が仕事をすることができる産業はすご

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仕事に関わる人たちによる『神戸ウェディング会議』というネットワークが形成された。そし て、神戸を“ウェディングの街”として活性化させるため、数多くの取り組みがはじまる。

「神戸を元気にする力になりなさい。 そして、後輩の世話ができるような人間になれ」 「神戸をウェディングの街に!」   その小さな声はいつしかおおきなうねりとなり、『神戸ウェディング会議』設立から5 年を 経た今なお、変わらぬ情熱で走り続けている。 「毎年、神戸空港やハーバーランド、明石海峡大橋の麓など神戸らしい場所での挙式イベント をしながら、昨今注目を浴びている『和婚』を研究。自由な発想とスタイルの『神戸流和婚= 神戸祝言』を提案したり、“ Congratulations ”と“キングコング”をかけて『神戸コング』と いうキャラクターを作ったり…多面的な取り組みを行うと同時に、神戸市がデザイン都市に認 定されたことを受けて『神戸デザインウェディング〜結婚しようよ! 神戸で!〜』をキャッ チフレーズに全国へ向けて発信。ただ、もっとPRに力を入れていかないといけないな、と」   そして、2010年から新たにはじまった『神戸プロポーズの日』や『神戸ウェディングク

イーン』。これをどう広めていくかが今の課題、と語る。ただ、その波は少しずつ広がりを見 せている。 「ウェディング会議に参加していらっしゃる方々はみんなボランティア。それぞれ仕事がある にもかかわらず、手弁当で汗を流していらっしゃって…本当にすごい人たちばかりなんです」

  神戸の街を元気にしたい。   もっと多くの人が訪れる街にしたい。   谷口がここまで神戸のために尽力する陰には、恩人である 故・宮崎辰雄元市長の存在がある。 「震災後、宮崎辰雄さんはすでに市長を引退されていたので すが、神戸市の地図を広げて、震災で焼けたところ、人が亡 くなったところに、印をつけていらっしゃったんです。神戸 の街が大きく傷ついてしまったことに心を痛めていらっしゃ る姿を覚えています」   自身に影響を与えた人物の傷ついた姿。そして告げられた、 ある言葉。

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「亡くなられる前に『あなたのために何かできることはないですか?』と聞いた私に、 『君が 僕のためにできることはないし、そんなことはしなくていい。ただ、 神戸の役に立つ人間になっ てほしい。神戸を元気にする力になりなさい。それから、後輩の世話ができるような人間にな れ』とおっしゃられたんです。今の私があるのは、宮崎辰雄さんのお力添えがあったから。そ の言葉に報いる人間になろう、そのときにそう心に誓いました」   ワタベウェディングとつないでくれた福田氏からも「神戸の活性化のためにはブライダルだ。 もう自分は若くない。君たちの世代でがんばってくれ」と発破をかけられた。   また、ウェディング会議立ち上げ時には「僕でよかったら何かするよ」と、アシックスの鬼 塚喜八郎氏がキックオフフォーラムでエールを送ってくれた。 「鬼塚さんから亡くなられる前にいただいたお手紙の結びに『神戸は文化の都、愛情の都。あ なたの果たされるお役目は無限にあり、大いに健闘を祈る』と書いてありました」   消印は6月7日。偶然なのか、それは谷口の誕生日であった。 「自分の力なんてちっぽけなものだけど、神戸の街が元気になるために、幸せと感謝の笑顔で 溢れるように、これからも頑張っていきたい」

どんなに忙しくても声がかかれば時間を作る 「ただのおせっかいおばさんだから(笑)」   谷口は、どれだけ忙しくても、あちこちからかかる声に時間を都合して応えていく。ときに は、営業電話をかけてきた人と会うこともあるのだとか。 「営業電話は断るんですが、なかには『一度会ってモノを見てください!』っていう人もいた りして。断ってもしつこく粘られると、『じゃあ一度、お会いしましょうか』って。あと、顔 が広いと思われているみたいで、就職の相談とか結婚相手の相談とかも多くて…」   仕事以外のことでスケジュールが埋められていく、と笑う。谷口はウェディング会議の事務 局長をはじめ、神戸商工会議所女性経営者クラブや神戸経済同友会、兵庫県中小企業家同友会 …アカシクリエイティブクラブの副会長や兵庫県日本ロシア協会理事、長田高校同窓会常任理 事といった肩書きを持つものまで、多くの団体で幅広い役割を担う。 「断れない性格だから、NOと言えない。多分、『頼まれごとは試されごと』というのが刷り 込まれてるんだと思うんです。だから、『やってくれませんか』と言われると、 『いいですよ』 と言ってしまう。会に入ったからには会合には出席しないといけないと思うし、私でできるな ら 何 か お 世 話 役 を や っ た 方 が い い、 と 思 っ て い ま す。 た だ、 そ う 思 っ て 受 け て き ま し た が、

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『ちょっとやりすぎかも…』と思い、最近は少し減らしたんです」   ただ、そこが減ったとしてもウェディング会議関連や仕事関連での打ち合わせや出張、会食 は変わらずある。ここ最近は、今までのなかでもピークに近いほど忙しい、と話す。 「頭のなかはパンパン。ショートしそうな感じですね。おかげで、読みたい本はたくさんある のに 〜 行読んだら眠たくなってきて…最近は全然本が読めないんです」 3

  小学校4年生のときには、担任の先生が取った“自分以外のみんなのいいところと悪いとこ

義のためにやったんでしょう?』と。わかってくれてる人がいるのが嬉しかったですね」

人のシスターが言ってくれたんです。『私もあれはどうかと思っていた』と。 『自分のなかの正

スターを育てるような幼稚園だったので、私の言動は考えられなかったのでしょう。でも、一

ろに行って、どんと突き飛ばしたの。男の子は怪我をしてしまって、すごく怒られました。シ

きなくて。当時から正義感が強かった私は、ある日、ジャングルジムに上ってたその子のとこ

のジャングルジムをいつも一人の男の子が占領していて、その子の許可がないと使うことがで

「幼稚園のときの話しですが…私はキリスト教系の幼稚園に通っていたんですが、そこの園庭

語る。それとともに、谷口の姿勢に大きな影響を与えているのが、“正義感” 。

  クリスチャンであった母親から、誠実さと奉仕の精神をしっかりと植えつけてもらった、と

幼いころから身体に染み付いていた“正義感” すべての言動の源にあるのは“相手のために”

う? 後で考えたらそう思うのですが」

なものもらっても困るでしょうしね。『高くてもそのお店に行きたいねん!』って感じでしょ

「ほんとに単なるおせっかいおばさんなんです。頼まれてもないし、本人たちからしたらそん

てもこうなの」と笑う。

  結局、言葉がわからなくてやめたとのだとか。知り合いであろうがなかろうが、 「誰に対し

それをあげようかと思ったんです。そのお店の方がおいしいし、何より安く食べられるから」

「私がよく行く同じジャンルのお店が近くにあるんですね。そこの割引券を持っていたので、

読めず、ホテルのスタッフに対応をしてもらった後、ある言葉が喉元まで出かかったという。

たカップルに、ある神戸ビーフのお店の場所を問われた。ポルトガル語らしいパンフレットが

  谷口は、とあるホテルで遭遇したエピソードを話してくれた。海外から観光でやってきてい

もいるかもしれない。そう思いながら、気づいたら動いてるんですよね」

「ただのおせっかいおばさんなんだと思います。もしかしたら、ありがた迷惑って思ってる人

  脳に隙間がない、と笑うが、それでも声がかかると時間を都合しようと画策するのである。

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ろ”の無記名アンケートに、現在の谷口を彷彿とさせる言葉が書かれていた。 「いいところに『人が嫌がることをしてくれる』という記載があったんです。みんなが嫌がっ てやらないことを率先してやってくれる、と。結局これも正義感。自分がやらないと!って」   幼少のころから無意識のうちに身体に染み付いていた正義感は、ときを経ても変わらない。 「自分でやらないと、という意識がすごく強いので、結果的に全部背負い込んでしまう。 『す べて手放したらいいのに』と言われるんですけど、会社のことも全部把握しておかないと怖い んです。何かあったとき、自分のわからないことがあると責任が負えなくなってしまうから。 そうすると、結局は抱え込みすぎてしまって、自分自身がしんどくなってしまうんですが」   周りを信用していないから、ではない。それは、対人関係においても発揮されている。 「もっと考えて言葉を発しないといけないんだろうな、とは思うんです。思うんだけど気づい たら言ってしまってる。言いにくいことや他の人が言わないことも、自分が思ったことや感じ たことは言ってしまうんです。地位が高い方であればあるほど、いろいろと思うことがあって も周りの人たちは正直に言わなくなりますよね? 言えないのかもしれないし、言っても変わ らないと思っているからかもしれないし。でも、本人が気づいておられないんだとしたら、そ れはちゃんと言った方がいいのかな、と。その人のことを想うなら、ときにはきついことや言 いにくいことも伝えていくことが、その人のためになるんじゃないか、と思ってしまうんです。

それで、後で後悔するんです。結局、相手を傷つけてしまうことになってしまって…」   相手にとってよかれと思っての言動。でも…と本人は言う。 「よかれと思って、というのはいけないのかもしれない。相手にとっては大きなお世話だった り、ありがた迷惑だったり、また私の考えの方が間違っていたりすることもあるでしょうから。 頭ではわかってるのですけど、もう無意識で言葉が出てしまうんです」

“感謝の想い”と“義理と人情”の言葉を大切に 今までも、これからも、変わらずに歩いていく   その人のためにと発する谷口の言葉は、ときに本人の意図する想いとは違った受け取り方を されることもある。それにより、心ない誹謗中傷に触れなければならないことも。思わぬ場で、 思わぬ瞬間に、そういうことを耳にすることも増え、心を悩ませることも多い。 「直接的な表現で言われることはないんですが、遠回しにそれらしいことを言われると、誰か が何か言っているんだろうな、と。そういうことを耳にするたびショックを受けます」   本当は「人に嫌われないように、という想いが強い」という谷口の心を痛めるのは、 そういっ た声だけではない。名前が知られ、その活動が周知の事実となるごとに、周りの人たちのなか

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谷口享子

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にある自分と本来の自分の乖離が激しくなっていく。そのことに、他でもない谷口自身が戸惑 いを隠せないでいる。求められる“谷口享子”の姿は、本人の意思を無視してどんどん加速し ていく。それが、ときにストレスを生むこともあるだろう。それでも谷口は、前を向き、その 歩みを進めていく。自身を支える「義理と人情」という 言葉を大切に。 「今の時代には似つかわしくない言葉かもしれないけ れど、私はずっとそれを大事にしてきましたし、これか らもそこを大切にしていきたい」   人に支えられ、ここまでを歩いてきた。その感謝の想 いがあるからこそ、この言葉の大切さを痛感する。とは いえ、神戸のため、人のため、どうしてそこまで無償と も思える愛情で立ち向かえるのか。なぜ、すべてを受け 入れ、ためらいもなくそこに向かえるのか。 「昔はきつい人間だったと思います。母がクリスチャン だったため、善悪について厳しく教えられてきました。 ある程度の歳まで嘘をつくことができなくて…もちろん、

まったく嘘をつかず生きていくことはできません。だけど、自分に厳しい分、人にも厳しかっ たのだと思います」   その意識は「四半世紀のお友だちのおかげ」で変わった。 「その彼女は友だちがいっぱいたんですが、待ち合わせに友だちが遅刻してきても、気にもし てない。当時の私はそういうのが許せませんでしたが、彼女が言ったんです。『でも、こうい ういいところがある』と。嫌なところやダメなところを見るのではなく、いいところだけを見 てつき合っていこう、と彼女を見て思いました」   それを機に人に対して随分と寛容になれたという。相手のすべてを受け入れること。そのう えで、その人のいいところに意識を向けて接していくこと。 「 そ う し な い と、 自 分 が し ん ど く なるから。と言いつつ…時々、腹を立ててしまったりするのですけれど。まだまだです」 。

人のお世話を“させてもらえる”幸せ 歳になったら叶えたい“夢”がある!   谷口には、 歳になったら叶えたい“夢”がある。 「息子が小学校1年生のとき、尼崎で同じ歳の男の子が親に虐待され川で発見されるという悲

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谷口享子

人と神戸の街への想いびと

人と神戸の街への想い人


Personal profile

info@office-mermaid.com

業務内容

◦結婚披露宴やパーティ・イベントの総合プロデュース ◦司会者・牧師・聖歌隊・ミュージシャンやマジシャン、ダンサーの手配 ◦司会者養成や話し方スクール ◦ビジネスマナー講座など

■Service Menu 『美しい話し方スクール』  〜日常生活とあらゆるビジネスシーンで活用できるトークテクニックを磨く〜 『実践型 プロ司会者養成スクール』  〜お客様と感動をともにできる司会者へ〜

─ 。

『美しい話し方スクール』  人前で上手に話したい! プレゼンを成功させたい! また、会話力を伸ば したい! 発声、活舌、複式呼吸などの話し方の基礎からフリートークまで、 現役プロに学びます。 次回開催時(年3回開催)、体験レッスンに無料でご参加いただけます。 ホームぺージをご覧下さい。

しい事件がありました。その子の写真が息子に似ていたこともあって、今も目に焼き付いてい

http://ameblo.jp/office-mermaid/

Mail

ます。最近も幼児虐待がすごく増えていますよね? そういうニュースを見るとすごく胸が痛

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BLOG

みます。だから、NPO団体か何かを作って、虐待されている子どもたちのレスキューをして

TEL:078-265-1077  FAX:078-265-1078 HP

いきたい。あの事件を知ったときから自分のなかにあった夢なんです」

〒651-0085 兵庫県神戸市中央区八幡通4−1−27−2302

  今から十数年前。念願の子どもを身ごもっていた谷口は、絶対安静で入院していたことがあ

株式会社オフィスマーメイド

住  所

る。何をするにも誰かの手を借りないとできない日々のなかで、気づいたという。 「人のお世

社  名

話ができることってありがたいんだな」ということに。当たり前だと思っていたことができな

Company Profile

くなって、誰かのお世話ができることへの感謝と幸せを、初めて感じた。

2005年に神戸をウエディングで元気にしようと発足した 「神戸ウエディング会議」の事務局長も務めている。

「人のために何ができるか。それが人の価値だと私は思っています。地位とか名誉とかではな

現在は代表取締役として結婚式やイベント等の司会、総合プロデュースなどを手がけ、

く、人のためにどれだけ動けるのか。それによって、人の価値は決まると思うんです。私の力

1996年に有限会社、2006年に株式会社に組織変更。

なんて大海のなかの一滴でしかないけれど、その一滴がなければ大海は成り立たないと、そう

その後、神戸市のイベントコンパニオンを経て、 (株)明日香企画常務取締役に就任。1994年オフィスマーメイド設立。

思うんです」

神戸市出身。神戸大学教育学部を卒業後、公文教育研究会に入社。

  人のために自分ができることを積み重ねてきた。それが現在の谷口の姿であり、今も日々そ

経  歴

の価値を高めながら生きている。神戸のため、人のため、今後は小さな命を守るために…。

株式会社オフィスマーメイド代表取締役 

  これからも変わることなく、その信念に添って一歩ずつ歩みを進めていくのだろう。

谷口 享子(たにぐち きょうこ)

肩  書

  大輪の花のような笑顔を称えながら。神戸を愛し、神戸に愛される“女神”として

氏  名

谷口享子

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kyokotaniguchi  

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