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青山学院管弦楽団

第56回定期演奏会

1990年 5月26日l■ l 青 山学院講堂


青山学院管弦楽回 第 50回 定期演奏会 1990年5月26日(ll午 後6時 30分 開演/青 山学院講堂

指 揮 0栗田博文

スラヴ行進曲 P e t e r l l y c h T c h a l k o v s k y I S卜 И l a rv ce h

` 交響詩 まつげ

Yuzo Toyama:Symphon c Poem・

Matsura"

「 のための 民舞組曲」より 管弦楽 Kao「u い/adal Folklor c Dance Sute for Orchestra I. 1悧 =了 Hayashl Ⅳ. 追 分 O w a k e V.11俗 白 勺夕 準曲 D o z o k u t e k B―u k y o k u

―一 体 憩 (15分 )一― ○磁力 /L/ザ ーク

交響曲第9番ホ短調作品95《 新世界より 》 Anion n Dvorak:Symphony No 9

∩E M nor Op 95・ F「 orr the New

Ⅵ/or d"

I.Adaglo,Alegro molo II.Largo Иo to vlvace III.卜 fuoco Ⅳ. A I l e g r o c o ∩

‐ ` 爾い 轟 ‐: 罐「1■轟,ず

纂奮

第55回定期演奏会 より 於 昭和女子大学人 見記念講 堂 (撮影 多摩 スタジオ)


御挨拶

青山学院大学学

西 岡 久 雄

第56回定期演奏会、本当におめで とうござい ます。 音楽が′ いに与える影響はまことに大 き く、最近では オフ ィスにバ ロ ック音楽を流 した り、胎教 として シ ョ バ ンの小犬 の ワル ツや モーツ ァル トの室内音楽を聞か せ るなど、心身 の リフ レッシ ュメン トや情操教育 のた

中の雑念か ら私達を解放 し、乾 いた心にみずみず しさ を与え、本来 の 自分を取 り戻 して くれ ます。演奏す る 皆 さんに とって も、それは同 じであ りましょう。 今回は、栗田博文先生を指揮者 にお迎え し、邦人作 曲家 の曲を学生 オーケス トラとしては初め て演奏す る

めに も、使われた りさえ しています。

な ど、実に意欲的に取 り組 んでお り、 この演奏会にか

喧騒 とした世の中で時間に追われて生活 し、 ともす れば殺伐な気持ちにな りがちな私達に とって、良質 の

け る皆 さんの意気込みを感 じます。

音楽は、 フ ラス トレーシ ョンの解消 のみ ならず、世の

どうか、 日ごろの練習の成果を発揮 し、素晴 らしい 演奏会 となることを心か ら願 ってお ります。

顧問・ 繊鄭鞭 ―― 坂井正度 本 日は青山学院管弦楽団の第56回定期演奏会に ご平 場下 さい まして誠 にあ りが とうござい ます。 当団が ここまで順調に歩みを続けて参 りましたのも 故院長大木金次郎博士、学長西岡久雄博士、野 田精一 理事を会長 とす るOB会 の方 々を始め、 多 くの関係者 の皆様 の深 いご理解 と暖かいご支援 の賜 と、心か ら御 礼申 し上げ ます。 さて、今夕 は民音 コンクールで一位 に入賞 された新 の 鋭 栗田博文先生を指揮者にお迎え して、栗田先生 の

恩師外山雄三先生の作品 と新進作曲家 ・和 田薫先生の 作品を学生のオ ーケス トラとして初めて演奏す ること にな りました。 団員達が この新 しい試みにどこまで答えて くれ るか 非常 に楽 しみに してい ます。 ご来場頂 きました皆様方 もど うぞ若者たちの心意気 と情熱を汲 んで暖かいご支援を賜 ります ようお願 い申 し上 げて、 ご挨拶 と致 します。あ りが とうござい まし ,こ 。

賑 ――濱 口雅史 本 日はお忙 しい中を、青山学院管弦楽団第56回定期 演奏会に御来場 いただ きまして誠 にあ りが とうござい

トレーナーの先生方には こ うした私達の練 習を御指導

曲、選曲させて頂 きました。 どちらも難 曲で仕上げ る

最後 にな りましたが、この演奏会開催にあた りまし てお世話 にな りました多数 の方 々に、 この場をお借 り

して頂 き、曲の御指導 のみ ならず、栗田先生をお紹介 ます。団員を代表致 しまして、厚 く御礼申 し上げます。 して頂 きました。 こ うした先生方 に支えられ、本 日、 今回のプ ログラムは 「 新世界J「 スラブ行進曲」 とい 演奏会を開催できます ことは団員一 同の大変な喜 びで った大変有名な曲を とりあげた一方で、邦人作品を 2 あ ります。 には大変苦労致 しました。

指揮 も新たに栗田博文先生をお迎え し、団員 もまた 心機一転 して 日々練習 に励んでまい りました。 また、

致 しまして厚 く御礼申 し上げます。


指揮者

栗田 博文 H rofuml Kurlta

│ぶ

PKfile)

1961年 、神奈川県小田原市に生 まれ る。東京音楽大学指揮科を経 て、1 9 8 8 年、東京音楽 大学指揮研究科修 r 。紙谷 一衛、汐沢安彦、外山雄三 の各氏に師事。同年 9 月 、第2 3 回東 京国際音楽 コンクール指揮部門 ( 1 日 民音指揮者 コンクール) において第 1 位 優勝、 一躍注 目 。 をあつめ、東京都交響楽団 東京交響楽団 新星 日本交響楽団 東京 シテ ィフ ィルハ ーモ ニ ック管弦楽団 ・名 古屋 フ ィルハーモ ニー交響楽団 ・大阪 フ ィルハーモ ニー交響楽団 ・広 し デ ビュー。 島交響楽団 ・九州交響楽団 ・札幌交響楽団、などを指li■ また、8 9 年に渡欧 し、イタ リアにおいて、第 1 回 アン トニオ ・ペ ドロ ッテ ィ国際指揮者 コンクールに入賞す るなど、 さらに今後 の活躍が期待 されている若手 ホ ープである。

団員よ り

クリータは遠い星から地球の音楽を征服する為にやって来た。我 々より 指揮者怪獣M も腕が進化 していて 」=300で も ,=400で も八つ振 りで刻める。アル コールを主なエネル ギー源 とし、多種多様の攻撃手法を持っている。で も僕は負けないぞ愛する人達や地球の 音楽を守る為に。手がちぎれそ うになる激 しいア ッチェレランドビームや測定値120ホー ンまで達するMolto.Crec 爆弾に もやられはしないぞ。今宵は討ち死に覚悟で喰 らいつ い て や る。 シ ワ ッチ 。

(帰 って きて よウル トラマ ン)


御指導 頂 いた先生方

PKデile)

I Profile)

昭和15年生 まれ。東京芸大、同大

│,昭 和22年生 まれ。ベル リン芸術大 │1学 卒業。 ベル リン ・ドイツオペ ラ

学院を卒業。 ジュリアー ド音楽院 に留学。昭和43年、帰国後N響 に

■ 管弦楽団を経 てN響 に入 団。今 日 に至 る。 '│

入団。現在、N響 首席奏者。国立 音大、東京音大講師。

霧生

吉秀

志賀 信雄

(NHK交 響楽団)

(NHK交 鰈 団)

P【デile)

PrOile)

昭和4 2 年、東京音楽大学卒業。4 6

昭和4 4 年東京芸術大学音楽部卒業。

年読売 日響 に入団。5 1 年にN 響 に

同年 N H K 交 響楽団に入 団、現在

移籍、今 日に至 る。

に至 る。東京弦楽合奏団、田中千 香士合奏団に も参加。

田沢 俊 ―

田渕

( N H K 交響楽団)

( N H K 交 響楽l b l l )

Proile)

PKデile)

昭和 8年 東京生れ。昭和32年東京

昭和 14年生 まれ。桐朋学園音楽大 学卒業後、東京 フ ィルハ ーモ ニー

芸術大学卒業。同年 NHK交

響楽

団入団。昭和38年か ら39年にかけ て、 ボス トン交響楽団給費留学生

交響楽団を経 て、NHK交

としてタングル ウ ッ ド音楽祭参加、 カナダ、ケベ ック交響楽団の トッ

大管楽器及 びオーケス トラ指導講

響楽 団 に入団、今 日に至 る。桐朋学園音

師。

プサイ ドとして 一年契約、帰国、

平井

(フソー )

平成元年 9月 N響 退団。現在 フ リ ーで活躍中。

三輪

純生

( N H K 交 響楽1 寸 │)

PKデile) 昭和 16年生 まれ。東京芸術大学に 入学。同大学卒業の昭和40年にN 響 に入団。今 日に至 る。現在、首 席打楽器奏者、東邦音楽大学講師。

百瀬

和紀

(NHK交 響楽団)

(li「音順・ させていただきました) 芍 文TiJ各


曲 目紹介

スラブ行進曲 ピ ョー トル

イ リイチ ・チ ャイ コフスキ ー、1840年5月

7日 生 まれ、牡牛座。19日前に150歳にな ったばか り。や や精神不安定、 ロマ ンチス トで美 しい旋律 をつ くり出す こ

った。南方 スラヴの旋律や ロシア国歌な どを使 っているた め、愛国心を昂揚 させ、熱狂的な成功を収めた のである。 さて、 この曲は フ ァゴ ッ トとビオラに よるどこか さび し

とにかけては定評があるため、女性 のフ ァンが多い。 とこ ろが本人には同性愛者的傾向があ り、女性へ の関心 は……。

げな旋律 で始 まる(譜例 1)、 これが木管― 金管 と受けつ が れてゆ く。次に クラリネ ッ トに よる軽 い民族調 の旋律 (譜

本当か嘘かわか らない様な作 曲者紹介は この辺でおわ り

例 2)が 始 まる。 しば らくす るとロシア国歌 (譜例 3)が 出 て くる。第 1主 題が舞 い戻 ってきて不安な感 じになるが、

に してこの曲が書かれた時代 背景 を少 し述べ てみたい。 17C以 降、小 アジア半島を中心 としてバル カン、北 アフ リカにまで版図を広げていたオスマ ン=ト ル コ帝国 (以 下 トル ロと略 )が衰退 しは じめたため、 ヨー ロ ッパの列強は トル コに介入 しは じめた。中で もロシアが特 に熱心だ った。

最後 には、 スラヴ民族 が勝利をおさめ るんだ ./といわんば か りに華やかに曲を閉 じる。 最後 に、団員 に この由について語 って もらったので、 下 に記 して解説を終 りに したい。

今 まで抑圧 されてきた諸民族 は ここぞ とばか りに独立闘争 を開始 した。 ロシアはこれ らの諸民族を援助す る形で影響 力を強めていった。 ス ラヴ民族 が団結 して トル コか らの 自

「血が さわ ぐJ― 一 因みに彼は ラテ ンの血をひいてい る

立を達成 しようとい う思想が強 まった。その ような汎 スラ ヴ主義 に支えられ1876年7月 、 セル ビアが トル コに宣戦 し

「ウィー ッて感 じ。J

た。当然、 ロシアはセルビアを援助 し、独立運動を助けた。 こ うして ロシア と トル コの間の緊張 は次第 に高 まってゆ き、 1877年4月 第 6次 露土戦争 が勃発 した。 チ ャイ コフスキ ーが このスラヴ行進曲を作曲 したのは18

そ うだ (?) 「1812年もどきだ。J 「管 が活躍す るか ら面 白い。 もしか して弦 がな くて もで きちゃうん じゃない ?」 「最初 の主題 が ジーンとくる。」 「最後 の方 の ラ ッパ、おい しい よね。J 「自分 の世界 にはまって しま う。旋律に酔 い きって しま

76年、36歳の ときである。上に書 いた通 り、 ロシアがセル ビアの対 トル コ戦を援助 していた時期 のこ とである。街の

「イ メージ ? 葬 式だ よ葬式 ! J

中にセル ビアか ら帰 ってきた負傷兵 が 目につ き始 めたので あろ う。初代 モスクワ音楽院長、 ニコライ ・ル ビンシテイ

「スラヴといいなが らアラビアのイ メージがあるなあ。」 「自分 の音 しか聞こえな ―い . ′ J(Perc)

う。」

ンの提唱で負傷兵慰問基金募集 のための慈善演奏会が企画

「きてる」

された。 チ ャイ コフスキ ーに も依頼 があ り、す ぐに これに 応 じた。 スラヴ行進曲は彼 が愛国心 に もえ、 この演奏会 の

「 弦 のあ じが今いちない。 自分 の中でオケでや ってるっ て感 じが しない。」

為 に作曲 した ものである。演奏会は同年11月にモス クワで 行なわれ、初演 の指揮者は ニコライ ・ル ビンシテイ ンであ

(ぐん )

譜例 2 Cl 言 普j」3

lib


` 交響詩 まつげ 日本 フ ィルハ ーモニー交響楽団の一連 の 「ガ ンバ レ日本 フ ィルJの 演奏会を契機に、唐津市 で 「 交響詩 ・か らつJ をつ くる会が発足 した。作 曲が外山に委嘱 され、作曲 ・初

団員 の声 ――― 「中間部 のメロデ ィーの、子守唄を連 想す るよう な所が とて もきれ いで好 き。」 ――一 「 最初 の弦 の ロング トーンが簡単そ うにみえたの

の募金 とい う 演 にかかわ る費用 は、唐津市民 の 1人 1,000円 い の で め 例 無 形 集 られた。作品は1982年2月 完成 され、同

だけれ ど、実際や ってみて、 うま くきれ いな音がだせな く て… !」

年 3月 1日 唐津 において渡辺暁雄指揮の 日本 フ ィルハ ーモ ニーに よって初演 されている。曲名は、唐津市にある東松

―一一 SulGが …

浦湾か ら採 られてい る。 曲は唐津市 とその付近 の民謡を素材 としてい る。弦楽器 とホルンに よる穏やかな静け さのなか 「盆踊歌Jが 始 まる。 ヴ ァイオ リンとヴ ィオラ、 チ ェ ロに よるカ ノンで 「鯨歌 (骨切歌 )Jが 2回 繰 り返 され、その 2回 目には木管が 「鯨

確かに重 々 しい音が していいんだけ … ど !J ――― 「 練習番号⑮ まで音がない (ち なみに練 習番号 は 全部 で⑩ です )の にほ とんどめだたな くて、その くせつ ら い ¨J 一―― 「 最後 の くりかえ しの ところ、私たちはVlnと 1 回 日、2回 日、 3回 日とそれぞれずれてい くのが正 しか っ たなんて… .′ 」

歌」 のひ とつ 「千越祝唄」を加える。つ ぎは、 グ ロ ッケン シ ュピールによる 「東松浦地方 のわ らべ うた」。最後 に唐 せ りや まばや し」が、 ピ 津 くんちの曳山ばや しのひ とつ 「 コロ フルー ンチ ト チ 、 キで 、 ッ ャ 奏 され る。次第 に楽器を 増 しつつ、 クレッシ ェン ドしなが ら、テ ンポを速め クライ マ ックスヘ と導かれ る。 (日本 フ ィルハ ーモ ニー管弦楽団演奏会 プ ログラムよ り)

フランス流の合理主義 & フ ァッション感覚 から生まれた ヽ4 ∧D E I N F R A N C [

` ″ ★ 硬 い殻 で 楽器を1カ t護する という従来のケースの 考えと ` lたケースで 丸 全く 違う、 発想 かげ11ま オ 新 しにヽ 本イ 本に新1刑発の1吹質│,卜 殊本 朴 │を使用し、 彼i撃を柔らか ′ く受け│ 1 1 ま めt

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民舞組曲」より 管弦楽 のための 「 和田 薫 1962年、山 口県下関市 に生 まれ る。

終曲を演奏 して頂 きます。 今宵、演奏者 ・聴衆 の皆様 の心に 自然 とこの作品の響 き

17歳か ら作 曲、和声法を独学。1981年東京音楽大学作曲科

が残れば と思い祈 ってお ります。

に入学。作 曲を伊福部昭、池野成、有馬礼子 の各氏 に、指

(御自身 の解説 に よる)

揮を汐沢安彦氏 に師事。同大学卒業後、渡欧米、 オ ランダ、 スウェーデ ン、 アメ リカ各地 で作品が初演 され好評を博す。 1988年、帰国。 現在、各方面 で作曲活動を展開す る一方、欧米間 との音 楽文化交流 の企画等 もおこな う。 く公演によせて 〉 言語や文化、習慣、宗教等 の異な る欧米に於て、約 2年 間各地を漫遊 し、出会 った音楽家達 と必ず話題になるのが、 「 何故、 自分たちの音楽を しないのか ?」 とい う間答 で し た。 この問いは、当時 の私 に とって彼 らへ対応す るのに難 行苦行 とな った もので した。否、む しろ 「自分たちの音楽J が何 であ るかを現象 として確信で きていなか った とい うの が事実であ りました。 ドイ ツにあ って ドイ ツ音楽が、 フランスにあ って フラン ス音楽がいかに 自然 であ るか、私は当地を訪れ て初めて感 じ入 ったのです。それは、音楽が単に芸術の体現化のみで な く、環境 と生活、そ して歴史へ と深 く関わ り合 い、古典 とか現代等 とい う時代性 の もの とは全 く無縁な存在 であ る とい う現状を 自覚 したためです。音楽 とい う言葉を離れ て、 音響 自体 が 自然 と心へ浸透 してい くもの とは何か、 これが、 欧米人を見なが ら私が思索 して きた テ ーマの一つであ りま した。 この作品 は、異国の地に於 て真 に 自己な るものへ の探求 と、心 の深層 にあ る響 きへ の 自覚を感 じなが ら作 曲 した も のであ ります。曲は、一 曲 目 「囃子」、二 曲 目 「馬子唄」、 三曲 目 「踊 り」、四曲目 「追分J、 終曲 「土俗的舞曲Jの 五曲で構成 されてお ります。今夜 は、 この中か ら一 、四、

青山学院管弦楽回第57回 定期演奏会

1 9 9 0 年 H 月 2 4 日l E L l於 新宿文化センター


新世界より 》 交響曲第9番ホ短調作品95《 一一 皆 さん今晩は。楽 しい クラシ ックの時間です。本 日

―-9番 はア メ リカン ・イ ンデ ィアンや黒人霊歌 の影響

はグス トにア ン トニ ン ・ドヴ ォルザ ークさんをお迎え して

が強 い と伺 い ましたが。 D:確 かにそ ういった 曲の研究 もしました し、かな り影

「 新世界 よ りJの 名で親 しまれてい る交響曲第 9番 をお聞 き頂 きます。 は るば る遠 くか らお越 し頂 きましてあ りが と うございます。 ドヴ ォルザ ー ク(以下 Dと 略 ):い えいえ、最近は ウ ィー ン直行便 が あ りますか らす ぐです よ。 一― まず生 い立ちか らお伺 い した いのです が。 D:1841年 生 まれの とら年です。今のチ ェコス ロヴ ァキ アで宿屋 と肉屋 の息子 として生 まれ ました。 一一宿屋 と肉屋 と2軒 も家が あ ったのですか ? D:い いえ。肉屋 の付 いた宿屋 で、木賃宿 の ような宿で した。大変貧乏 で した。 一一 楽器経験などは ?

響を受けているとは思い ます。で もそれが全 てではあ りま せん。 3楽 章なんてかな リスラヴ舞 曲風だ と思い ませんか。 ―― そ うですね。それ と構成がかな リ ドイツ的な印象で の通 りです。 ブラームス先生 か ら ドイ ツ音 す が。 D:そ D:そ の通 りです。 ブラームス先生か ら ドイツ音楽 の古 典的な構成な どを学びました し、 また先生の曲を研究 して 交響曲 とい うものを把握 しようとしました。先生 はベー ト ー ヴェン先生を尊敬 してい らっしゃい ましたか らそ うい っ た流れ もあると思 い ます。1楽 章が ソナタ形式、2楽 章 が 緩徐楽章、 3楽 章が トリオ形式、 4楽 章が ソナタ形式 とベ ー トーヴェン先生 のお教え通 りです。

D:宿 に泊 りに来 る大道芸人の様な人達 や父に ヴ ァイオ リンを教わ った りしました。後で コムザ ー ク楽団 とい うレ

一-2楽 章 は 日本では小学校の下校時 に よく放送 されて い ます。

ス トランな どで演奏す る楽団に入 った頃か らヴィオラに移 りました。 プラハに国民劇場の前身に当る "仮 "劇 場 が18

Cと Gの 5度 を ロング・トーンで弾 き、その上でオーボエが

62年にできたんですが、 コムザークがそこの管弦楽団に吸 収 されたので、暫 くはそ こで ヴ ィオ ラを弾 いてい ました。 一一 ヴ ィオラを弾いていた影響 とかはあるので しょうか。 D:曲 の最後 の音 で ヴィオ ラは主音を弾けないこ とが多 いのです が、私はで きるだけ主音 で終れ るように してい ま す。 ―― アメ リカにお住 みになっていた と伺 い ましたが。 D:1892年 か ら3年 間、 ニ ューヨークの国民音楽院で院 長をや ってましたか ら。 一― では、英語 はかな り話せ るんですね。 D:TOEFLで 520点程度です。 で も3年 もいるとやは り ホームシ ックにな ります。 1回 だけチ ェコに帰 ったのです が、それ以外 にはアイオフ州の同郷人植民地 に行 った りし ていました。 一一民族楽派 として有名 でい らっしゃい ますが。 D:え え。 もともとはチ ェコの民族音楽を他 の人に聞か せたか ったんです。当時我 々はオ ース トリアの支配下 にあ りましたか らスメタナ さん達 とチ ェコ人 の底力を見せてや ろ うと努力 しました。そ うや って作 った曲を奨学金 の申請 のために提出 してお金を稼 いでいたんです。その審査員 に ブラームス先生が い らっしゃって私 の曲を広 く紹介 して下 さってか らは、益 力燃 えて愛す るチ ェコの曲をた くさん書 きま した。 ―一 中で も交響曲の 8番 は有名 ですね。 D:は い。 で も9番 もかな リチ ェコっぼ くした んです が。

D:そ れは必ず しも正 しくあ りません。途中、チ ェロが 6連 符 でかわいい主題を吹 くところがあ りますが、そ こは 動物達 の 目覚めのイメージです。第 1主 題 が帰愁を さそ う のでそ う思われ ているので しょうが、それはチ ェコに帰 り た い気持ちがあ ったか らだ と思 い ます。 ―― と申 します とアメ リカがお嫌 いだ ったのですか。 D:い えいえ、 とんで もあ りません。慣れない土地で し たので最初の頃は少 し苦労 しましたけ ど。 この曲は アメ リ カで得た動気やチ ェコの音楽な どだけで書かれた のでな く、 アメ リカ国民音楽 の精神を チ ェコの国民音楽風に作 曲 した ものです。両方 の民族音楽 の融合に よってこの素晴 らしい 曲が書けた のです。私に この曲を書かせて くれた アメ リカ に大変感謝 してい ます。 ――最後 に 「 新世界 よ り」 とい う副題は ? D:私 が付けました。それ までお世話 になった方 々や、 アメリカの人 々に贈 りたか ったのです。 一― あ りが とうございました。本 日は青山学院講堂 より 生中継 でお聞 き頂 きます。栗田博文指揮、青山学院管弦楽 新世 団の演奏 で、 ドヴ ォルザ ー ク作 曲、交響曲第 9番 、 「 界 より」です。 (T/Cの

かず お)


1 年生の時、彼 は真面 目人間に見えた。去年の春、少 し ……だ と思 った。_ 8 に は貧乏な奴だ と思 った。秋はV l n を 弾いているよ うに見えたが 一 。冬 は暖冬だ った ( 心 は寒 か った : 本人談 ) 。―― そ して新緑の春、彼は コンサー ト マス ター としてステ ージで奏 でる。それ では来年 の今L F 彼 は どうなってい るんだろ う? こ れが今回の問題です。答が 分 か った人はア ンケー ト用紙 の裏 に書 いて下 さい。正解者 の中か ら 2 名 の方 に相川暁生氏着用 のオ リジナル靴 F ( 香 り付 ) を プ レゼ ン ト致 します。 また、若 い女性 に限 り 「相 川暁生 と 1 ロ デ ー トで きる券J も 発行 してお ります。 どし どし御応募 ドさい / ― 一 クイズの ヒン ト: 明 日は明 日の風

無 荒井君 が初めてその 血筋 "を かいま見せて くれた のは、 3月 のVln練 の時 だ った と思 います。指揮を していた手を 止め ると彼 は言 い ました。 「みんなね ぇ、 ノ リが悪 いんだ よ、 この曲は騎馬民族 の リズムで弾かな きゃあ、 いい?!月 1、 2、 3、 2、 2、 3-。 」 一 同呆然 とす る中、一人 で踊 る彼 …。けれ ども確かにそれは軽やかな リズムで した。 その時以来彼が学指揮 として活躍 しているのは、実 は彼 が騎馬民族 の i子 係 であるか らに他ならない と私は思 ってい ます。本人 もまた 「オ レの顔 ってモンゴル系だ と思 うで し く ょ。Jと、 とって も自慢気。や っば り 血 "っ てあるんです ネ。

が吹 く、その うち何 とかなるだろ う。

――荒井 くんの養女 ( よしお くん )

l∬置k江如ne

おは よう、今 日もいい天気だね。絶好 のバ イオ リン日和 だ とTVの ニ ュースで も言 っていた よ。 こんな 日は青空 に サルの歓声 の ような高音が よ く響 くだろ うね。久 しぶ りに

拝啓 冨岡 歩様 い ま僕は、あま りの切なさに耐えかねて この手紙を書 い ています。たぶん先輩 は御存知ないで しょう。そ うです。

新世界で もさらお うかな。今 までさば ってたわけ じゃない んだ、俺 がノミイオ リンを弾 くとその素晴 らしさに世界が止

僕は冨岡先輩 のこ とを愛 してい ます。信 じて頂け るで しょ

まっちゃうか ら、あんま り弾かない ように 自制 してるんだ。 他 の奴等に悪 いか らな。え ?キ スマークが ある ?激 しくっ

も、先輩 の分 の ク ッキ ーセ ッ トの代金 ぐらい喜 んで払 い ま

うか ?

で も本当のこ となのです。 P練 がお茶会 になって

す。合奏 で何十回 も落ちる度に、足を じたばた させ る先輩

てさ俺 のバ イオ リン。 いやあ しまったなあ実 は練習 してる のバ レちゃったかなあ。あた りまえだろ う、俺はバ イオ リ

が とって も素敵 です。今夜 も3楽 章で華麗なステ ップを決

ニス トとしての天命を うけ てるんだか らさ。 まい ったなあ、

手 も震えます。先輩 の奏 でる美 しい音色 に、鳥肌す ら立 っ て しまい ます。先輩 ! G線 を撫でて もいいです よね ?

じゃあ、ち ょっとマ ジに弾 くか ら、俺に惚れ るなよ?

めて下 さいね。ああ先輩 のことを考えると、ネ ックを持つ

僕 もう我慢 で きないんです。

(ピ エ ー ル )


V l n との区別 が、 ようや くつ き始 めた と思 った ら、 もう

こんにちは、 チ ェロ会 です。かつて大 チ ェロ会 と呼ばれ

4 年 で した。月 日の流れは早 い もので、あの初めてオケに 来た 日……パー トの紹介 ですね。

た面影 もな く3∼ 4人 で強化練をや っていた頃には来年あ た り消滅す るん じゃないの と本気で考えましたが、新入生

ええ と、 まず V l a の会の太陽、パー リー T 。 その妻で こ

の豊作 で何 とか息をふ き返 しました。 しか しここで新たな

れまた明るいT ′。何者を も怖れない、超 マイベース F 。 何 故か F と 気 の合 う、 ボーイ ングK 。 フレアースカー トY 。

問題 が生 じま した。僕達、上級生 のプル トが経験者 であ る 新入生達 に脅やか され始めたのです。 ブル トって知 ってま

スマイ リー R 。 あなどれない男、M r . v i o l a の O 。 期待 の

すか。僕達 が演奏す る際 の席順 のこ とです。 │プ ル トなん て関係ない さ。」とか何だかんだ 言って もみ んな前 の方 に座

新人、つぶ らな瞳Y ′其 ノ他、と、各種そろってお ります。 毎晩、練習の為楽器庫 に向か う足が、何故か小走 りにな るのです。それ はV l a の深 い音色 と、行けば誰か い る、 V l a 会 の人間のせいだ と言えるで しょう。あったか いんで す よVla会 は。

(0′)

りたい訳 で、そのあせ りもあってか以前は 「これで本当に 定演や るの。」とい う演奏 が、必死 の努力で数箇所 ごまかせ ば とい う位 にはな りました。細部に こだわ らない大胆なチ ェロの音を楽 しんで くだ さい。

衛]第 56回 定 期演奏会

=譜 め くリー代 = 裏女王書簡集 より抜粋 ` 何気な くオ ーケス トラの演奏を見ていると お もて "で 華 々 しく奏 でている人 々に 日を奪われがちであ りますが、 本物 の醍醐味 はプル トの裏 にあ るのです。裏 の お 仕 事 の 「 裏 譜 め くりJは 一生がお稽古でございます。た とえ今、 の女工Jと して世間様に認めていただ いて もこれが到達点 だ とは思 ってい ません。例えば譜面をめ くる指先 の所作 が 乱れた り、体を起 こした時 に コン トラバ スか ら体が離れて

TOWAホ

リデ ーセ ンター

03(350)0161渋 寺0122(21)2881 "i宿 `,o3(476)0541 lil羊

世界 の 名器直輸 入販売 どうぞお電話 で お問 い合せ くだ さ い。

しまっては、 どんなに タイ ミングよくめ くれ て も何 の価値 もないので ござい ます。後 ろに続 く裏 の方 々に中 し訳ない こ とにな ります。め くる10小節前か らが闘 いなのでござい ます。今年は華を極めた方 々が、青学 オケの コンバ ス会 に 入 られたわけですが、荻野流門下生 として是非 とも裏街道 の花 に も目を とめ られたい、 とせつ に思 う今 日この頃でご ざい ます。 追仲

か しこ コンバ スは家具 であ るとい う噂 は本当でござい

ましょうか。

営 業 時 間 日 平 日 曜 ・祭 日

A M10:00-PMフ A M10:00-PM6:00

:00

株式会社 ネ ロ 楽 器 〒 1 5 0 東 京 都 渋 谷 区 渋 谷 2 9 1 0 ( キ ング ビル ) a03(400)フ 466“ う


我 が フルー ト会は、現在 8名 の大所帯 であ ります。 4年 生は元パー トリーグーで理工 の首領 と呼ばれ る I氏。そ し て、それを影 で支えているのがNさ ん。 3年 生は現パー ト

お母 さん。今、僕は うれ しさで胸 がい っばいです。かゎ いい一年生 が二人 も入 って きたのです。女 の子 が二人、男 の子が一人。み んな本当にかわ い らしい私 の子供達 です。

リーダーのM美 さん。 パー ト内の不祥事は決 して見逃 さな いスーパーガールである。M子 さんは、そんなM美 さんに

パー トの総人 口も年 々増加 の傾向にあ り、 もう笑 いが止 ま

協力 しなが らフルー ト会を見守 ってい る役職 にあ ります。 2年 生は少女時代をそのまま引 きず って今 日まで きて しま ったRち ゃん。そ して女性ばか りのこのパー トで 4年 生 の I氏 同様肩身 の狭 い思いを してい るS君 。1年 生は今後に 期待をかけ られてい るE庭 ちゃん と2年 生 の Rち ゃん と間

りませ ん。 で も心配な事だ ってあ ります。 い ったい子供達 はこのオ ーケス トラの悪 い環境 の中で無事や ってい くこ と がで きるので しょうか。娘 の 2人 に悪 い虫がつかないか と 毎 日不安でな りません。 ましてや息子に まで悪 い虫がつ こ うものなら……。 で も平気です。お母 さん。 このパー トに は二人 のや さしい姉 にお じいちゃん とおばあちゃんまでい

違えられ ること数限 りないM里 ちゃん。 こんなパー トです が、皆 さん見守 って ドさい。

るのですか ら。家族みんなで力を合わせ精 一杯生 きてゆ き ます。お母 さん。お母 さんの味噌汁が飲みたい。 (涙 )

私達 クラ リネ ッ トパー トは男 2 人 、女 6 人 の総勢 8 名 か らな り立 っています。普通 8 人 といえば、ち ょうどまとま

舞台上でち ょっと目を引 くワイ ンレッ ド(茶色 ?)の ス リ ムなボデ ィ、そ こか ら流れ出るやわ らかな、時には甘 く、 時 にはせつない低 い調ベーー しか しフ ァゴ ッ トと言われ て

りの とれ る人数なのですが、元来 クラリネ ッ トなどとい う 楽器を吹 く人には、へそまが りが多 いため、一す じ縄では いか ないパー トとなって しまい ま した。なんせ音色はバ ラ バ ラ、 リズム もバ ラバ ラ、使 ってる楽器 も リー ドもバ ラバ

す ぐに ピンと来 る人は余 りに も少ない。 こんな超 マイナ ー 楽器を吹 いてい るのは余程 の もの好 きか変わ り者か?! …

ラときた 日には もうどうに もこ うに もな りません。が、 し

気 いっばいの 3人 娘、そ してかわいい一年生 もめでた く加

か し、み んなが心か らクラ リネ ッ トを愛 しているため、 ど

わ って、総勢 6人 とな りました。せ っか く買い出 しした合

んな苦境 におかれ て も雑草 の ように生 きのびるこ とができ、 ど うにか こ うにか今 日の演奏会をむかえる事 がで きました。 それでは今 日は こんな クラ リネ ッ トパー トの奏 でる、なが

宿 のお菓子が行方不明になろ うと、4本 で低 いDの 音を吹 いて 「B29の 敵機襲来 のよ うだ (ご想像下 さい)Jと 言われ

れ るような メロデ ィー とあまいひび きを心ゆ くまでおたの しみ下 さい。なお、現在 クラ リネ ッ トパー トでは、団員を 大募集 してい ます。 もし、興味 のある方は、青学 ャンパスの音楽室 まで来 て下 さい。

渋谷 キ

そんな こ とはない。その音色 のご とく優 しい男性 2人 と元

て もめげずに、今年 もます ます明るいFg会 を目指 します″


「合宿物語 ・山中湖編J

(Trpか らのつづ き)

登場人物 幸福 顧

三枝 竜子 濱 口 博昭 ・池 田 嘉雄 ・田中

泰弘

俺 は何げな く窓か ら外を見た。湖のほ とりで何か モ ゾモ ゾとや っている 2人 がいた。何だろ う。俺はオペ ラグラス を手に取 り、その 2人 を見た。その とき俺 の 日にはい った

朝、俺 (幸福 )は頭痛 で 目が覚めた。 どうや らタベ宝焼酎 レジェン ドを飲み過 ぎた ようだ。隣 の部屋 か らTrpの 音が 聞 こえる。三枝 さんの音だ。普段は心を酔わせ る彼女の音 色 も今 の俺 には苦痛で しかない。部屋 の中はひ どく散 らか っている。そ ういえば夕べ三枝 さんが暴れていた ような…。 その為か池田は押 し入れの中で眠 っている。 バ カが .′ドラ え もん じゃあ るまい し。 しか も何か ニタニタしている。不

のは花粉症で 目を腫 らしてい る濱 日 とくしゃみのILまらな い田中が抱 きあっている姿 であった。 「 花粉症 の苦 しみは オ メーらにはわか らね ―んだ /Jと い う濱 日の悲痛な叫び が聞 こえるようだ。 … まァいいか。俺 だけで も練習 しよう。ふ と時計を見 ると午後 8時 ではないか /俺 は何 と3食 ソンを しち ゃった んだ。 …… また これか ら酒か と思 うと躍 りた くなって くる。 明 日だけで も練習できれば良いが… …。 (おゎ り)

気味な奴だ。そ ういえば田中 と濱 日は どうしたのだろ う? 見あた らないな……(つづ く)

(二人悪人 ・共作 ) なお、登場人物 の本名は最終 ページと照 らしあわせて確認 して 下さい。

私達 ホル ンパー トは、 3年 生 の渡辺先輩、4年 生 の川井 │1井 先輩を筆頭に個性派ぞろい。メ 先輩 はホル ン会 のパパ と もいえる存在、一 見 クールそ うですが、実は とって もおち

私たちってね、お茶会 とね、お しゃべ りとね、あ と、ほ んのち ょっとだけお酒が好 きなね、お洒落なパー トだ った

ゃめであったか ―い方 です。渡辺先輩はお兄 さん とい った ところで しょうか。我がホル ン会 のパー トリーダー として 日夜がんば ってい ます。忘れてな らないのは、3年 生 のサ クラ先輩、私達不 肖の後輩をや さしく温 か く見守 って くれ ています。そ して私達 2年 生 3人 もひ とクセあ る(?)面 々、 なかなかいい味を出 しているのでは… ? 期待 のル ーキ ー も加わ ってホル ン会 はます ます power up/ とあなたを酔わせて しま うことで しょう。

今宵 もきっ

の。それがね、ある日春 の演奏会 の楽譜を もらった 日か ら ね、お茶会 も、お しゃべ りも出来な くなって しまったの。 だ って楽譜 に 2 ケ タ以上 のお休みがないんです もの。一 曲 で一人 3 つ 以上 の楽器を手なづけなければならないなんて、 手が 2 木 しかないのにど うした らいいのか しら。それにか け声 まで出さな きゃいけないなんて、おは しよりも重い物 を持 った こ とがな くて、お上品な私たちにそんなことが出 来 ると思 う? 今 か ら本番が楽 しみで、 日本人の血が騒 いで しまいますわ。おほほほほ…。えっ、今 日ってエイプ リル フール じゃなか ったんですかあ ?


どうで も良い話 だが、僕は胃の調子が悪か った。そ もそ

18歳にな ったばか りの時 はあま り実感 がなか ったのです

も銀座 のシェーキ ーズの ピザ食べ放題で玉砕 した為である が、 とにか く病院 で レン トゲン撮影す ることを勧 め られた。

が、まわ りの人達 が持つ ようになると自分 もほ しくなるも

僕はバ リウム とい うものを一度飲 んでみたか ったので単純

種免許な るものを手に入れ ました。 さて、手には入った も のの、運転技術には問題があ ります。その くせに何か と車

にOKし て しまった。

のです。 とい うわけで、や っと去年 の10月、私は普通第 1

撮影 の前 日、午後 8時 以降は一切 の飲食を禁止 されてい

を使 いたが るのが初心者 の悪 い所 であ ります。か くい う私

るに もかかわ らず、 こ ともあろ うに彼女 の家で夕食を御馳 走にな って しまった。それ もビール付 で。そ こで僕 は生来

もその 1人 で、免許を もらって 5日 後、我が家 の車 には じ

のいや しさを発揮 して 7時 45分 とい うギ リギ リの時亥1まで 飲み食 い していた。 さて その席 で彼女 のお父さんか らバ リウムを飲む コツを教えて もらった。 口に含む とまず くて 吐 き出 しかねないので、 「イ ッキ飲みJの テクニ ックで即 時 に勝負をキ メろ、 とのことだ った。 そ して当 日、 レン トゲン室 で看護婦か ら説明を受けたが、 バ リウムは初めてだ と言 うと、一杯 のバ リウムを くれて、

めて乗 ったのですが、車は家の前の電柱 と気があった らし く、仲良 しになって しまい、その事 に機嫌 を悪 くした左倶1 の ドアは開かな くなって しまったのです。 ドアの機嫌 がなおった頃 (そ れにい くらかか ったかは も う忘れた ことに しておこう… )、 ロング ドライブに行 きた い とい う無謀な事を考えつ き、親 の渋 い顔 を よそに、11月 のある火曜 日、私は厚木キ ャンパスヘ車でへ ろへ ろと行 っ たので した。折 しもその 日は指揮者 の先生 のtuttiが あった ので、命知 らずな 4人 をのせて車 は一路青山キ ャンパスヘ

一寸飲 んで味見 してみて と言われた。そ こでタベ の教訓 ど お リー気 に飲み千 して しまった。 白濁色 のバ リウムは、ポ タージュの ように ドロ ドロしていて甘 さひかえめであった。

食事を、 とい うことで 2台 の車で某 レス トランに行 ったの

しか し既 に コ ップー杯飲 んだので安心 して撮影 の台に立 っ た。ふ と見ると手元に Lサ イズの コ ップがある。中はバ リ ウムで満ちていた。そ こで医師 の一言。 「ハイ。それでは

です。同席者 は埼玉 さん、墨田さん、 日黒氏、大田氏、そ して千葉先生 と私 こと横浜 で した。その 日は 「先生が明 日 OFFと い うことで、ゆ っくりと飲 み食 い し、お しゃべ りに

コ ップを持 って 口に含 んで下 さい。」 言われた通 りに して し

花をさかせ ました。 しか し、 ここは24時間営業 で東京都 目 黒区だ ったのです。ふ と時計を見 ると針は1:00を指 してい

ば らくす ると 「ハイ。飲 んで下 さい。Jこのパ ターンを 3∼ 4回 や らされ、 もうバ リウムが嫌 になって きた。 しか し医 言われ るま 師は非情に も 「ハイ。残 り全部飲 んで下 さい。」 まに努力 した。その時、僕 の頼 に涙が一筋流れ ているのを 感 じた。 これ程 の苦労 の末、結果を待つのみの身 となった訳だが、 一週間後 の結果発表 では、「異常は全 くあ りませんねえ…。」

p.m9:ooに終 った後、先生 とお 向い ました。 さて、tuttiが

ました。 「うっそ ― !」一同はあわてたけれ どすでに電車はあ り ません。 目黒氏 の提案で、千葉先生 と墨田さんを 目黒氏が、 埼玉入間 さんを私が送 るとい うこ とにな り、私 は優秀なナ ビゲーターである大田氏を乗せて一路埼玉へ と向いました。 「 ず 一っ とまっす ぐ行 って左折 してず 一っ といって右折す

の一言。 …… ??… … どうや ら精神的な ものが原因 らしい。 しか し僕には今 これ とい った悩みはない。 自分 で述べ るの

ればいいんだ よ。」と大田氏はおっしゃいました。そ うかそ うか と軽 い気持 で私 は運転 し始 めました。そ うです、私は

も恐縮 であ るが、全てが順調である。僕が幸福す ぎるのか、 それ とも何 も感 じない阿呆 であ るのかの判断は困難である

首都圏 の広 さを知 らなか ったのです。 曲 る まで の 距離 は した。結局、入 間 さんの家に着 い beyond descriptionで

が。そんな訳 で僕 は悩みはないのか、 ス トレスがた まって いないのか どうかを考えたが、 どうも見あた らない。その

たの│ ま a.m2:00- !

結果 として、悩みが見つ か らないこ とに対 して悩んで しま ったのであった。 …… こんな自分を、僕は とて もシアワセ な人間だ と思 う。 〔付記 ・関係者 の皆 さん、御迷惑をおか け しました。御心配な く〕 (これで も私 はパー トリーダー)

内心焦 りつつ もに こやかに、大田氏を送 るためにもと来 た道を戻 ったのですが、 さすがの大田氏 も時間を気に した らしく、1号 線沿いでおろ して くれればいい よ、 とい うの で、言われ るままにおろ しました。 そ れ か ら、 とにか く ` "と 朝 呼ばれ る時間前 には帰 らな くては… と猛 スピー ド で帰途 につ きま した。 家 のそば まで来た時、バイ クが数台は しってい るのに出 会 い ました。 こんな遅 くに一体何 をや ってるんだろ う… ? 賢明な諸兄は もうおわか りで しょう…。 (Y)


幼 い頃、泥だ らけになって、皆で遊んだ校庭。晩秋 の夕 暗 も迫 り、人影疎 らになる頃虚勢を張 るように夢中でボー ルを追 いかけたあの感 じ。そ うあの感 じです。大学 に入 っ てか らもそ うです。皆 で ワイ ワイや っていた と思 っていた のに、一人減 り、二人減 り、そ して残 った人達 とも御別れ して、遂 にまた あなた と二人 き りになって しまいました。 いや、いつ も恨 しそ うに横か ら覗 いてい る ビオ ラのあの子 がい るか ら二人ですね。二人 き りになると緊張 して胸 が張 裂けそ うです。あなたはいつ も強引、そ うい うことは、瞳 を合わせてからす るものよ。あの子 もい るのに、い きな りく るか ら私は吃驚 して指先 が震えて止 まらないんです。重 く 載 しかか って くるあなた。 いつ もあなたは勝手気 ままに好 き放題 して、耐えるのは私。あなたがはや くす る日は、私 も早 く。ゆ っ くりす る日は、私 も引摺 られ るようにゆ っく りと。あなたは、吃度私の こ となんか考えた こ とないで し ょう。や ってい る間中、私 はあなただけを 見つめてい るの

執行 部

に、あなたは一度だ って私を見て くれ ませんね。 いつ もこ の一瞬の出来事 が とて も長 く感 じます。 もう疲れ ました。 終わ りに して下 さい。 さような ら。 ていていていていていていていていてい。

編集後記

こら相り ││(コンサー ト ・マス ター)。俺 が もし可愛 いい女

ポスター、チ ラシ、 プログラム…このよ うな広報活動を

の子や った ら上文みたいに優 しくゆ うてやろ。そやけ ど俺 の気性や った ら無理やか ら、 もう一度同 じことゆ うたろ。

今回初めてや ったわけです が、これは ど大変で責任 の重大

あの二楽章 のお前 と俺 の ソロを どんだけ心細 い思 いでや っ てるか知 らんやろ。お前が 上手なんは よう分 ってる。そや

てみれば大勢 の人 の 目にふれ るものを私が決定す るのです ものね …。特に プログラムは途中までは快調だ ったのにや

け ど、俺 が 目を見て くれち ゅ うとんのに勝手に弾 き始め る

は り時間がた りな くて皆 さまにはいろいろ と迷惑をかけ て

な よ。それ に速 さはその 日の気分次第や しぃ。下の音弾い

しまいました。

ている俺 の身 に もなってみろや。 お前を支えなあかん思て 必死やねんど。指先が震えて勝手に ビブラー トかか って し

出来 はいかがで しょうか ?

まうわ。段 々、人が減 って二人になった とき、いや ビオ ラ のあいつ もおるか ら三人か。 どんだけ心細 い と思 ってるね

最後にな りましたが、短 い期 間 で一 生 懸 命原稿をかい て くだ さった団員 の皆 さん、最後 の原稿を辛抱強 く待 って

ん。 こ う見えて も俺 は」ヽい者 で本番に弱 いんや。お前は上 やか ら自由に歌 えるけ ど、下で支える俺 は不安なんや。あ

下 さった印刷所の方 々に、 この場を借 りて厚 く御礼申 しあ

の数秒が 日茶長 く感 じるわ。 こっちは民舞組由の ソロもあ るち ゅうのに、 もうお前なんか知 らん。はなさいなら。 (果 して、本番 どうなるこ とや ら、乞 う御期待。) (いに しえの都人 )

な ものだ とは思 っていませんで した。そ うです よね、考え

さて、夢の中でまで私を悩 ませた これ らの印刷物たちの

げ ます。 ●ポスタ ー、チラシ、チケ ッ ト 佐藤 由理 ●プ ログラム企画、編集 佐藤由理、間瀬和男 ●写真撮影 木坂嘉雄 ●広告 金井 淳 ●F 口 層J ハセガ ワ企画印刷

(Lily)


輝者 栗田博文

青山学院曽弦楽団 ●コンサ ー ト・マスタ ー 相川暁生/ 会 沢貴裕 ●学生指揮者 荒井 恵二 ●ステ ージ ・マネ ージャー飯田泰弘/ 五 十畑一郎

●顧問 坂井正廣/鈴 木律子 (短大 ) ●OB会 会長 野田 精一 ●御指導頂いた先生方 霧生吉秀/志 賀信雄 田沢俊一/田 渕 彰 平井 光/三 輪純生 百瀬和紀

¨ 会沢 貴裕 梶原 由美 岸本 隆弘 小島 由佳 河野 真理 須藤真由美 副田 幹樹 藤井 篤子 ◎相川 暁生 荒井 恵二 池田 良昭 小田部久美 小林麻里絵 佐藤 由理 高橋 筑紫 田原 淳司 ○冨岡 歩

金井 淳 ●サブ ・ステ ージ ・マネージ ャー

B― (英米 4) (英米 4) (物理 4) (化学 4) (英米 4) (教育 4) (国政 4) (英米 4) (英米 3) (団友 3) (教育 3) (経営 3) (英米 3) (私法 3) (公法 3)

(経営 3) (史学 3) 花岡 宏幸 (機械 3) 望月 千里 (教育 3) 飯塚 謡子 (国政 2) 伊藤主枝子 (短国 2) 宇野 和照 (私法 2) 江川 徹 (経営 2) 岡田 典子 (国際 2) 小嶋 紀子 (短英 2) 篠原 愛子 (日文 2) 杉浦美保子 (団友 2) 田中 富美 (経営 2) 堀家 亜紀 (団友 2) 宮崎 哲也 (法 2) 安田 芳子 (日文 2) 吉野 志郎 (仏文 2)

llen

吉原菜穂子 (日文 2) 雨官小百合 ( 1) 石橋 徹也 (法 1) 大島 仁美 (英米 1)

大西 京子 (教育 4) 大森 章成 (私法 4) 保尊 は るみ (仏文 4) 山 口 知子 (英米 4)

岡本 青史 小泉 久子 (英米 1) 坂尻 向子 (短教 1) 田部井美也 (英米 1) 鶴巻 志歩 (英米 1) 寺本 真弓 (短家 1) 穂積 尚子 (短家 1)

加藤 貴之 (公法 3) 田村 晴美 (英米 3) ○冨永 範子 (経済 3) 米野 裕子 (日文 3) 古川 聡一 (電工 2) 山村 売子 (短教 2) 野田 諭 (経営 1) 鷲峰 陽子 (短家 1) 中島 恵子 (英米 1) 吉岡 牧子 (団友 ) 米原 緑 (賛助 ) 堀越 典子 (賛助 ) 松尾 浩司 (賛助 ) 宮本 征和 (賛助 )

山 口 聡子 (経営 1) 岸野ゆか り (OG) 白坂麻衣子 (OG) 藤倉 千夏 (OG) 中村 岳志 (賛助 ) 西田 史朗 (賛助 ) 益田 公彦 (賛助 )

阿部

寿行

¨ 伊藤 麻子 (史学 4) 岩沢 浩美 (英米 4) ○石黒由美子 (英米 3) 宇田川秀子 (日文 3) 小池 陽子 (日文 3) 田中 淳一 (経済 3) 辻 真弓 (日文 3) 佐藤 正浩 (経済 2) 鶴田 純弥 (私法 2) 登坂 幸雄 (経済 2) 池永亜紀子 (団友 1) 井田 好彦 (法 1) 平川 員 (法 1) 西田 彰夫 (OB) 小林 知子 (賛助 ) 分藤美紀子 (賛助 )

…間瀬

和男 (国経 5) 正道 (化学 4) 仲 西浦 寛 (日文 4) ○荻野 奨 (仏文 3) 早川ひろみ (国政 2) 操 典之 (日文 2) 石川 泰弘 (国営 1) 鈴木 敦子 (短家 1) 中沢 咲 (英米 1) 本多美佐子 (英米 1) 渡辺 祐一 (法 1)


●団長 ●副団長

濱 口 雅史 佐藤

●インスペ クタ ー ●渉外 マ ネ ージ ャー ●渉内 マ ネ ージ ャー ●会計 ●庶務

田中

由理 淳一

飯田

泰弘

武井

絵里

牛田

圭子

川合美保子/田 村晴美

●理工代表 ●短大代表 ●厚木代表 ●代表委員 ●サ ブ ・マネ ージ ャー ●サ ブ ・インスペ クター ●ライブラ リアン ●インス トゥルメン ト

恥 (物理 4) (公法 4) (仏文 3) (短教専 ) 里砂 (仏文 2) 隆之 (経済 2) 麻里 (仏文 1) 恵庭 (物理 1)

伊藤 武史 名古屋悦子 加藤美和子 ○中下 素美 近藤 須藤 伊藤 鈴木

篠原 愛子 石黒由紀/伊 藤主枝子 柿原浩二 典之/宮 崎哲也

mmJnen

¨

井上 雄策 (国経 4) ○溝 口 真 (国政 3) 石黒 由紀 (国政 2) 山田江里子 (団友 2) 柳田 知美 (団友 2) 今村 紀子 (史学 1)

川井 正 (経営 4) 乙畔 桜子 (史学 3) ○渡辺 宏 (経済 3) 進`士 明広 (団友 2) 町田 明子 (史学 2) 山崎 淳子 (経済 2) 赤池 聡樹 (法 1) 赤塚 明実 (日文 1)

大村

博昭 大山 顧 池田 泰之 新海加寿子 中村 仲 田村 幹夫 平井 茂宣

(物理 4) (史学 4) (団友 3)

(短国 1) (経営 1) (OB) (OB) 望月洋一郎 (OB)

西村 智子 (OG) 根本 阿美 (OG)

mOen

加藤 秀行 (史学 4) 草榔 あさ (団友 4) 穂積 陽子 (日文 3) ○柳生瑠璃子 (日文 3) 金井 淳 (私法 2) 高橋嘉代子 (日文 1) 種茂 知之 (経 1) 中舘 智子 (短芸 1)

Knine■

en

五十畑一郎 小笠原恭子 ○牛田 圭子 小野寺由起 川合美保子 柿原 浩二 森 官野

花岡 宏幸 稲葉友紀子 飯塚 謡子 小野寺 由起 金井 淳

(経営 4) (史学 4) (史学 3) (経済 3)

○三枝

常久 (団友 2)

高安 吉竹

(経済 4) (私法 4)

_mm 幸福 外山 飯田 ○木坂

新祐 竜子 泰弘 嘉雄 濱 口 雅史 押鐘 快之 田中 賢

(私法 4) (英米 4)

(私法 3) (国政 3) (物理 3) (経営 2) (私法 2) 阿部 寿行 (日文 1) 高橋 美佳 (教養 1) 馬場 之弘 (法 1) 福田 雄介 (経営 1)

紀枝 寛恭 武井 絵里 ○松本 光 稲葉友紀子 塩原 壮 栗田 徹 亘 中村

(経営 3) (英米 3) (短家 2) (英米 2) (団友 1) (国営 1)

(経済 3) (経営 2) 匡子 (団友 2) 律子 (短英 1)

小林あかね (英米 1) 。印 は パー ト・リーダー


19900526第56回定期演奏会  

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