Issuu on Google+

青 山学院管弦楽団 第5 5 回定期

創立35周年 記念演奏会

1989年H月 19日 0 午後1:00開場/午 後 1:30開演 昭和女子大学人見記念請堂


青山学院管弦楽団 第55回定期

創 立35周年記念演奏会 1989年11月19日(Rl午後 1時30分 開演/昭 和女 子大学人見記 念講堂

指 揮 0梅 田俊明 独奏O 西 岡知良子

吐 グモント 序 」 OL.、 ベートー曖 〔 ン

ピ〃 協奏曲第3番 ハ短調 op。 37 ´E :‐ -1 Ludwig van Beethoveni Klavier Konze′: 、

:[

I.A‖egro con b・ c II LargO III Rondo

―一 体憩 (20分 )一―

交響 曲第2番 二長調 op.73 」oha∩nes BrahmsiSymprO‐

´2]=_´ 3`、

:こ

i

I A‖egro non troppO II AdagiO no∩ troppo III A‖ egretto grazloso1 0_as ■´じ二 ] IV A‖egro con sp rio

=三 `=t==奏

==

=番

_=院

議 菫 =影

多摩 スタジオ)


御挨拶

青山学院大学学

西 岡 久 雄

第55回定期演奏会、 まことにおめで とうござい ます。 今回の定期演奏会 は35周年記念演奏会で もあ ります

奏会 に臨 んでいることで しょう。 もとよリアマチ ュア であ り、学生 であ りますか ら、本業である学業 のかた

が、ォーケス トラ部が長 い伝統を保ち続け ることがで

わ らに練習を行わ ざるを得ず、 自らに課 した課題を成

きたの も、OB会 長 であ られ る野田精一氏をは じめOB の方 々、 また厳 しいご指導をいただいてい る梅 田俊明

し遂げ るのは大変 であ った ことで しょう。 しか しそ う したひたむ きな努力に よって奏 され る曲には、 アマチ

先生や NHK交

響楽団の先生方、そ して音楽を ことの ほか愛好 されていた故大木金次郎先生な らびに顧間を されてい る坂井正廣先生 とフ ァンの皆様 のご支援が あ

ュアならではの純粋な情熱 と意気込みが込め られてい ます。私達 は皆 さんの演奏に名演奏家にはない ものを 感 じ、楽 しい憩 いのひ と時を得 るのです。

れば こそ と思 い ます。心 よ り、感謝中 し上げます。

35周年にふ さわ しい演奏会 となるこ とを望み ます。 ご盛会をお祈 りいた します。

部員 の皆 さんは寝食を忘れて練習に勤 しみ、 この演

。経欝 音隣 受― ― 坂 井 正 度

と暖か いご支援 の賜物 と申せ ましょう。 ここに心か ら 御礼申 し上げ ます。 さて、今回は創立35周年を記念 して、会場 もこの昭

本 日は青山学院管弦楽団の演奏会に ご来場 くだ さい ましてあ りが とうござい ました。私達 のオ ーケス トラ も今年で倉J立35周年を迎えることにな りました。 この

和女子大学人見記念講堂で、西岡学長の愛娘 であられ、 欧米で もご活躍中の ピアニス ト西岡知良子 さんを ソリ ス トにお迎え してベ ー トーヴェンの ピアノ協奏曲 第

間、定期演奏会を初め数多 くの国内での演奏に加えて、 4度 の訪米 と 1度 の訪欧 と5回 に渡 って海外 での演奏

導 をいただ いてい る梅田俊明先生 の指揮 の もとで、団

活動 も経験 しました。青山学院管弦楽団が、 こ うした アクテ ィブな演奏活動を続けて こられた の も、音楽 と 学生を こよな く愛 された故 ・大木金次郎博士、学長 西岡久雄博士、野田精一理事を会長 とす るOB O餘 の皆様方 を初め数多 くの関係者 の方 々の深 い ご理解

3番 を中心に プ ログラムを組み ました。昨年か らご指 員一同が 日頃の練習 の成果を十分に発揮 して くれ るも の と期待 してい ます。 どうぞ、 ごゆ っ くりお楽 しみ く だ さい。 ご来場に感謝申 し上げ るとともに、今後 とも 変わ らぬ ご支援をお願 い申 し上げてご挨拶 といた しま す。あ りが とうござい ました。

一大村 博昭

本 日はお忙 しい中を、青山学院管弦楽団第55回定期 演奏会に御来場 いただ きまして誠 にあ りが とうござい ます。 当団は、 これ までの諸先輩、御指導を賜わ った トレーナーの先生方、学院内外 の御指導を頂 きま した 皆様方に支え られ、創立35周年を迎える事 がで きまし た。今回は これを記念 いた しまして、人見記念講堂 で 演奏す ると共に西岡知良子先生を ピアニス トとしてお 迎えす る事 とな りました。又、前回の定期演奏会 につ づ き、指揮者 に梅 田俊明先生をお迎えできた事は団員 の喜 びであ り、先生に深 く感謝 いた します。部員一 同

日々練習に励み、多 くの御指導 に支えられ当定期演奏 会 が実現す るに至 りました。その練習 の成果を皆様 が 聴 きとって下 されば幸 いです。最後 にな りましたが、 当演奏会を行 うにあた り、お世話にな りました学長 西岡久雄先生、O B 会 会長 野 田精 一理事、人見記念 講堂 の岡田二郎氏、並びに多 くの関係者 の方 々に感謝 す ると共に厚 く御礼申 し上げます。


指揮者

梅田 俊明 Tosh ak∪ meda

Profile)

1961年、東京に生 まれ る。 5歳 よリピアノを始め、井 L直 幸、新井精氏等に学ぶ。1980年、 桐朋学園大学音楽学部入学。指揮を小澤征繭、秋山和慶、尾高忠明、 コン トラバ スを小野崎充、 ピアノと室内楽を三善晃の各氏に師事す る。83、84年には、来 日中の ジ ャン フルネ氏に も学 び、高い評価を得た。84年、同学部卒業。85年 3月 、桐朋学園オ ーケス トラ定期演奏会を指揮 す るなど、学内のオ ーケス トラを数多 く指揮す る。86年、同研究科修了。 また、在学中 よりN HK交 響楽団に於 て ピアノ、 チ ェ レス タ奏者 として出演 し、同楽団の推薦で、86年よ リウィー ン国立音楽大学指揮科に留学、オ トマール スウ ィー トナ ー氏 に師事す る。87年秋、帰国 し、 群馬交響楽団、東京 シテ ィ フ ィルハーモ ニ ック管弦楽団、札幌交響楽団、仙台 フ ィルハーモ ニー管弦楽団、広島交響楽団な ど、各地のオ ーケス トラを指揮 し、新進気鋭 の若手指揮者 とし て活躍 している。現在、相愛大学講師。

団員 よ り

先生をお迎え しての演奏会 も、はや 4回 を数えるまでにな りました。 これ までの練習で私達 は先生 の非 凡なる個性にただ、ただ 日を見張 るばか りであ ります。特に人間関係を把握す る能 力たるや ……。 練習後、喫茶店にて…… 先 │ね ェ、2nd Vnの Sさ ん……J 団 「あ ― トップの。J 先 「それ って……Vcの D君 と……。J 団 (目を丸 くして)「 。」 先 │じ ゃ、Vlaの Kさ んはVcの R君 ?J 団 (目を点に して)「は あ……。」 いや ぁ……それが……。」 先 「……で、G君 は どうなの ?J G「 先 「僕、 もう(待 てないんだ よ。」 と一言残 して、 ウ ィー ンで知 り合 った彼女 の許へ翔 んで行 って しま うので した。 今宵は素敵な演奏を贈 りた い ものですね。 先 (赤面 して)「 … 。J by M&G


独奏者

西岡知良子 Chyoko N sh oka

Pkf‖e)

東京に生 まれ、幼少 よ り朝倉光子、富本陶、小林福子 の 3氏 に学ぶ。 16歳で渡英。 ロン ドンの王立音楽院 (Royal Academy of Music)のピアノ科演奏家 コース に入学、故 アルフレ ッ ド コル トーの弟子 であ ったガイ ジ ョンソン(Guy」 onson)教授に師 事。在学中、 アルバ ネ シ ・プライズ、エルシー ホーン プライズ(学生 コンサ ー ト最優秀賞 ) 等を受賞。 1976年首席卒業。 ウ ォルター ・マ ックフ ァー レン ゴール ドメグル ピアノコンクー ル第 1位 受賞。 さらに、 リサイタル デ ィプロマ、バザ ー リ奨学金、 L.RAMの 称号を授与 され る。その後 も大学院課程 に進む。 1977年、王立音楽院主催で第 1回 の リサイタル。彼女に 委嘱 された、英国の作 曲家 ジ ョン ホールの 「ピアノソナタm2」 の初演を含む。その後 もロ ン ドン各地 で演奏活動。1980年、東京 でデ ビュー リサイタル。 以後 ニ ューヨークにてジュリアー ド音楽院 ピアノ科 のマーテ ィン ケーニン(Martin canin) 教授 に師事す る。同時 に米国、英国、 日本で も幅広 く演奏活動を開始。 1982年、英国 スコ ッ ト ラン ドの首都 エデ ィンバ ラで リサイタルを行 い、著名な音楽批評家デイ ビ ッ ド グ リフ ィス氏 に 「日本 の若 い ピア ニス ト西岡知良子 の演奏 は、優雅 繊細に して的確であ り、 ロマ ンテ ィッ クな詩情、鋭 い音楽 の把握 と力強 さを持 つJと 評 され る。同年、東京虎 ノ門 ホールで リサイタ ル。その際、 ジ ョン ホ ールの 「6つ のバ ガテル Op.1lJを 日本初演。 1983-84年シーズンは、大阪で、海外学術文化協会、 (財)大阪21世紀協会 の後援 に より関西 フ ィルハ ーモニー管弦楽団 (4ヽ 松 一彦指揮 )とベー トー ヴェンのピアノ協奏曲第 5番 「皇帝Jを 共演。 また、 ロン ドンのセ ン ト マーテ ィン イ ン ザ フ ィール ド主催 お昼の コンサ ー トに 出演、 ニ ューヨー クで も客演 リサイタル。 1985-86年シーズンは、東京、 ニ ューヨー ク(ニューヨー ク市立博物館主催 )での リサイタル の他、米国 オ レゴン州 ポ ー トラン ド市 でポ ー トラン ド州立大学、 日本国総領事館、 オ レゴン日 米協会、北太平洋電力会社 お よび コ ミュニテ ィー ミュージ ックセンターの招待 支援 に より 西海岸で初 の リサイタル。 この リサイタルの成功が きっかけで、1986-87年シーズン、 ニ ュー ヨー クで米国 日米協会連合本部 の後援 に よリリサイタル、そ して ロン ドン、 パーセル

ムーに

デ ビュー、好評を博す。 昨 シーズンは(財)都市経済研究所、海外学術文化協会 の後援 に よ り東京新宿文化センター (大) で リサイタル他、 ニ ューヨー クの リンカーンセンター内でブル ーノ ワルター オ ーデ ィ トリ ウム主催、そ して、 ブル ックリン博物館 でブル ック リン芸術協会主催に よる客演 リサイタル。 今 シーズンは ニ ューヨー クで客演 リサイタルを、イギ リス各地で演奏 (1989年4月 )、その他。 今秋 は大阪で、 モーツ ァル ト室内オ ーケス トラの定期演奏会 に ソリス トとして出演 の予定。


御指導 頂 いた先生方

Profile)

PKfile)

昭和 15年生 まれ。東京芸大、同大

昭和22年生 まれ。 ベル リン芸術大

学院 を卒業。 ジュ リアー ド音楽院 に留学。昭和43年、帰国後N響 に

学卒業。 ベル リン ・ドイツオペ ラ 管弦楽団を経 てN響 に入団。今 日

入団。現在、 N響 首席奏者。国立

こヨ三る。 ヤ

音大、東京音大講師。

霧生 (NHK交

吉秀

志賀 信雄 ( N H K 交 響楽団)

響楽団)

Pidile)

PrOfile)

昭和42年、東京音楽大学卒業。46

昭和44年東京芸術大学音楽部卒業。

年読売 日響 に入団。 51年にN響 に

同年NHK交

響楽 団に入 団、現在

に至 る。東京弦楽合奏団、 田中千

移籍、今 日に至 る。

香士合奏団に も参加。

田沢 俊 一

田渕

NHK交 響楽団) 〈

( N H K 交 響楽l N I I )

Pidile)

Prolile)

昭和 8年 東京生れ。昭和32年東京

昭和1 4 年生 まれ。桐朋学 園音楽大 学卒業後、東京 フ ィルハーモ ニー 交響楽団を経 て、N H K 交 響楽団

芸術大学卒業。同年 NHK交 響 楽 団入団。昭和38年か ら39年にかけ て、 ボス トン交響楽団給費留学生

‐奨 饉・ 吾 レ 軍 テ T琴 薫 異 i暴 猶 會 暑 曇

としてタングル ウ ッ ド音楽祭参加、 カナダ、ケベ ック交響楽団の トッ

r l 師。

プサイ ドとして一年契約、帰国、

平井

( フリー )

平成元年 9月 N響 退団。現在 フ リ ーで活躍中。

三輪 (NHK交

純生 響楽団)

Pigile) 昭和 16年生 まれ。東京芸術大学 に 入学。 同大学卒業 の昭和40年にN 響 に入 団。今 日に至 る。現在、首 席打楽器奏者、東邦音楽大学講師。

百瀬

和紀

( N H K 交 響楽剛

(石 「音順・ 敬称略させていただきました)


コンサ ートマスター ・学 生指揮 者

旨賭 与1主オ

コンサートマスター

川井

会沢 貴裕 「会沢君 は元気 ですか ?J、 「会沢君 の調子 は どうです か ?J、 「会沢君 の コンマスは どんなふ うですか ?き っと す ごいで しょう?」 等 々、私が他大学 のエキス トラに行 く と必ず聞かれ るこれ らの質問。 そ うです、青学 オケの コン

川井氏は学生指揮者 の他 に副団長、 ホル ンのパー トリー ダー、金管 セクシ ョン リーダー とい う肩書を持 っています。 これだけ肩書 があると、やは リオケでは強い立場 にい るわ けで して、その分仕事 も大変なのに、全ての仕事を クール

マス会沢君 は他大学にまでその名が知れ渡 り、大学 オケの

に こな して しまう彼 のす ごさ。 もっとす ごいのは彼 の楽器

ちの間では)そ の名を知 世界 では、 (と りわけViolinistた

経験 です。幼少時 には何 もしていなか った し、その上音楽 の授業 が嫌 いだ ったにもかかわ らず、小学校 よリトランペ

らない人はいないのだ とい うこ とを私は確信 してお ります。 5歳 でViolinを始 め、オケに入団 して以来、 トラに行 くこ と?回 、年間通 して常に どこかの舞台に立ち、 レパー トリ ーは n百 曲、多忙な コンマスなのです。 これほ どの有名人 だか ら、彼 の実力は言わず と知れた もの。多 くのViolinist 会 たちは彼 の実力を大 きな 目標 として頑張 ってい ます。 「 沢君 て、 どうしてあんなに上手なのかな…Jこ れ は某大学 の コンマス氏 のひ とりご と。 2年 前 の年 の瀬、つ ま り、会沢君 が 1年 生 の時に、私 は 照 彼 が青学 の S氏 と共に S大 学 の トラで 第九 "を 弾 くとい うので聞 きに行 った ことがあ ります。場所 は人見で した。 大 きなホ ールで第九 ですか ら、 もちろんオケの編成 も大 き な もの。Violinは特に人数 も多 くて 2階 席 からは顔な どよ く見えないのです。 「これ じゃ青学 の 2人 は探せないJと 思 いつつ舞台を見 ると、パ ッと目立つ黄色 いViolin。そ し て、それを弾 いているのは会沢君。本当に よく目立つVio linなのです。ちなみに、普通 の色 のViOlinを 弾 いていた S氏 は全然、 日立たなか ったのは言 うまで もあ りませ ん。 合奏前 の緊張 した空気 の流れ るなか、 「チ ューニングし ます。」の声 と共に立ち上が り、A線 を少 しの狂 い もな く調 弦 して各 パー トに音 を配 る彼。会沢君 が コンマスにな って、 この ようなことが もう何回あ っただろ う。時 は流れ てゆ く けれ ど、あの黄色 いViolinでいつ までも美 しい音色 をきか

ッ ト���中学校 よリトロンボ ーンとピアノ、高校 のオケでホ ル ン、そ して大学では コン トラバ スに もち ょっぴ り手を染 めてい るのです。 これだけす ごい人だか ら、管楽器 の音程 は もちろん、弦楽器の微妙な音 の立ち上が りも一瞬に して 捕えて しまい ます。故に、学指揮合奏 とい うと団員達 は梅 田先生 の合奏 の時 と同 じくらい緊張 し、震えあが って しま うのです。 (緊 張 し、震えあが って恐れているのは トップ だけが 駅1人 弾 き "を や らされた某弦 パー トだけ とい う噂 もあ りますが一 )

《 彼 の学指揮 としてのデビューは約 1年 前 の フ ィンラン デ ィア "だ った と思い ます。私 の 日には、みんなの前で緊 張 して コチ コチになっていた ように映 りましたが、実 の と ころは どうだ ったので しょう?今 では学指揮 とい う大役が す っか り板 についた ような気が します。 白い服を着 ている 時は、 ピンクの指揮棒を持 ち、服 と指揮棒をきちん とコー デ ィネー トさせて指揮台に現れ るあの姿 には感心 して しま います。 「これか らも頑張 って 下さい。」と言 いた いのに、 彼 の学指揮 としての生命 もあ とわずか、私達は彼 に 「お疲 れ さま。Jと言わなければならないのです。 1年 間に 4つ の 役を こな し、学外では青学 オケか ら唯一」eunesseに 出演 し、素晴 らしい演奏をきかせて下 さった り、 オケの合間に 授業 に出るとい う、本当にオケー色に染 まった 1年 間だ っ

今度、約束通 り梅 ヶ丘へ お寿司を食べ に行 きましょう。 ついでにお好 み焼 も一緒 に食べ に行 きましょう。私は会沢

た と思 います。で も、そんな彼 の私生活は、最近引越 した 南青 山のマ ンシ ョンで優雅な シングル ライ フを満喫 し、夜 な夜な片手 にたば こを くゆ らせなが ら、バーボ ンのグラス

君 がお好 み焼を長方形 に切 って食べ るところを是非 一度、 見 てみたいのです。 (これは、次期 コンマスのViolinistA

を傾けて、得意な ドイツ語の本で も読 んでいる映画の ワン シーンの ようであるだろ うと私 は信 じて疑わないのです。

氏の証言 に よるものです。) それか ら、渋谷駅 で傘を落 とさない ように、気 を付け て下

(11487116)

せて下 さいね。

さい。そ して、またいつの 日か一緒に トラに行け ることを 楽 しみに してお ります。 (スヌーピーの雨傘 )


曲 目紹介

「 ‐グモンヽ序曲

ピ;〃協奏曲第3番 ハ短調 op.37

「エ グモ ン トJ序 曲は、ゲーテの戯曲 「エ グモ ン トJの ために、劇中音楽 と共にベ ー トーヴェンに よって作 曲され た。 ゲーテはこの戯曲を、1782年(ゲーテ33歳)から執筆を

そんなのあんま り知 らないに決 まって るじゃない。だいた い、200年以上 も前 の人 で しょ、それ も外国の人 よ、会 った

始め約 5年 をかけて完成 させた。 エ グモ ン トとい うのは実在 の人物で、 ラモ ラル ・エ グモ

こ とも話 した こ ともないんだか ら。

ン トとい う16世紀 のオラングの貴族将軍 のこ とである。 ゲ

く神経質そ うで さ、結構恐 い顔 しててさ、そ うね、あんま リモテそ うなタイ プ じゃないか もね。そ う、ほ ら30代だか

ーテは彼を主人公 として、五 幕か らなる悲劇を ものした。 背景はスペイ ンの圧政か ら逃れ独立 しようとす る機運 の 高 まるオ ラングである。 エ グモ ン トは スペ イ ン王に敬意を 払 いなが らも、民衆 とともに自由を願 うフランデル領主 と して描かれ る。 エ グモ ン トは、快活 で、度量が大 きく、領

で も、 まあなん とな く、イ メージはあるわね。なん とな

40代ぐらいで耳がおか しくな り始め るんで しょ。た しかに ち ょっと可哀そ うな人か もね。小 さい頃か ら割 と貧 しか っ たん じゃなか った っけ。飲 んだ くれ の父親がいて さ、兄弟

民 か らも心か ら尊敬 されていた。 しか し、オランダ各地 で はスペ イ ン統治に対す る暴動 が起 こる。 スペ イ ン王の フ ィ リップニ世 は、鎮圧 のためアルバ公を差 し向け る。そのこ

結構 た くさんいて、なんかあんま りいい先生 に もつ けなか ったん じゃないか しら。 だか らってわけ じゃないけ ど、若 い頃か ら は稼がなきゃ" って思 ってたか もよ。普通は こんなふ うには思われてない

とを知 った エ グモ ン トの友人 のヴ ィルヘルム フ ォン ・オ ラーニエ ンは、共 にめいめいの州に戻 り、戦力を増強 し機

のか もしれないけ ど、彼 ってひ ょっとした ら時代 とか社会 とか音楽を きいて るお客 さん とかの雰囲気つかむ のが うま

会を待つ こ とを提案 した。 しか し、エ グモン トは戦 いに よ る破壊 と殺数を思い、 スペ イ ン王の恩寵にわずかな望みを

か ったん じゃないの。だ ってあの人 ピアノひいた りしてた んで しょ。それが、今 でい うマーケテ ィング ・リサ ーチな

かけ る。

の よ、 きっと。そんで もって、それか ら客 の趣味 とか好み

やがてアルバ公 がオラングヘ入 り、街角 には スペイ ン兵 の歩吟が立つ ようになる。 アルバ公 は、 エ グモン トとオラ

とか分析 して、曲を作 る参考 にす るの よ。そ うい うの繰 り 返 して、交響曲 とか作 って ったん じゃないの。だ って第五 交響曲 ぐらいで もう、 ウ ィーン中心 に して ヨーロ ッパの楽

ーニエ ンを城へ呼び 出すが、オラーニエ ンはアルバ公へ の 不信 のために姿を見せ なか った。一人城へ入 ったエ グモ ン トは、堂 々 とスペ イ ン統治を批判、 オランダ人 の 自由を訴 えた。 そ して、彼 は捕 われの身 とな り、死刑を宣告 され る。恋 人 の クレルヘ ンは、悲嘆 に くれ 自殺 して しま う。死刑の直 前、牢獄 でふ と眠 りに落ちた夢 の中で、 クレルヘ ンに似た

壇 にセールスす ることは成功 したんで しょ。 そ うや って経済生活 も安定 して きて、第七 とか第八、第 九 とか さ、わ りに自分のや りた い ようにで きた ん じゃない のか しら。で も、その頃 には耳が悪 くなってるってヽ ホ ン ト、 ヒサ ンな人ね。で も案外俗 っばい人 で もあったん じゃ ないのか な、そ りゃ気難 か しい ところもあったか も知れな

女神が、彼 の死が各州に 自由を もた らす こ とになるといい、

いけ ど、結構恋に悩んだ りしてた りして さ。で も、凄 い才

彼を勝者 として認め月桂冠を授け る。 目醒めた彼 は、追 りくるスペイ ンの軍隊を 自由のために へ 迎 撃つ イ メージ とともに、 しっか りとした足 どりで刑場

能 のある人 って、実はわ りと普通 っばか った りす るん じゃ ないのか な…… まあ人に よるだろ うけ ど。

へ 向か ってい った。

,

えっ、ベー トーヴェンって どんな人か知 ってるか って ?

序曲は三部分か ら構成 されてい る。 まず第一部は24小節 の序奏部。第二 部 は 4分 の 3拍 子 の急速調 で第一主題は弦 楽器 に よって程示 され、第二主題は木管楽器に よって奏 さ れ る。第三部 はへ長調 とな り新 しい勝利 の主題 ともい うべ き勇壮な主題が現れ、やがて壮大なクライマ ックスヘ導か ″tる。 ゲーテを敬愛 した作曲者 は、 ウ ィーン宮廷劇場支配人 ヨ ーゼフ ハル トルの依嘱によ り1810年、40歳の年 にこの序 曲を含 めてlo曲の劇音楽 「エ グモ ン ト」を作 りあげたので ある。 (つい休憩 2h)

えっ、 ピアノコンチ ェル ト3番 について何 か言えって ? え ―、初演は1803年4月 5日 ってなってるわね、で もピア ノソロの ところまだ譜面完全 にはで きてなか ったんだ って。 この 日は彼の曲だけの演奏会 でオラ トリオ 「 檄概山上 のキ リス トJと 交響曲第二番 の初演、交響曲第一番 の再演があ って、演奏会 は大盛況 で黒字 だ ったんだ って。 この曲 って、 オーケス トラは交響曲的 で、 ピアノは よリソリステ レック なの よね。始めての、いかに も tピ アノ協奏曲 "っ て感 じ の曲なん じゃないか しら。 (そのせいで P練 さぼ っち ゃった )


交響曲第2番 二長調 op.73 ブラームスは1877年6月 に、 ウェルター湖畔 の風光 の美 しいベルチ ャッハで第二交響曲の作品に着手 し、 9月 にバ

さらに、 この曲で見逃 せない重要な統一的な基本動機 が あることも述べ ておか なければならない。それ は、第一楽

ーデ ン ・バーデ ンの リヒテ ンタールでこれを完成 した。 こ

章 の冒頭 で低弦 のだす D―Cis―Dと い う三音の動機 であ る。 これは、第一楽章 ばか りでな く、各楽章 の主題や主要な旋

れほ どの大曲を これほ どの短期間で書 きあげた こ とは、慎 重な ブラームスに とって例がなか った と言 って もよい。だ か らとい って、 これは決 して粗雑な もので も、価値 の低 い 作品で もな く、交響曲史上、不滅 の光を放つ音楽 となって い るのである。初演 は、1877年12月30日のウ ィーン ・フ ィ ルハーモ ニーの演奏会で、 ハ ンス ・リヒターの指揮 の もと におこなわれた。その ときには大へ んな好評を受け、第三 楽章が アンコールに応えて再演 されたほどだ った。 第一交響曲完成 までに20年を費や したブラームスは、 こ れに盛 りこむ こ とので きなか った ものを第二交響曲に とり いれて完成 させた と言われ る。 この第二交響曲は他 の曲で しば しば見せているような、内容的な暗黒か ら光明へ とい う移行がな く、すべ てが柔和 で温和 であ り、喜ば しい。 こ れは、 この曲を書 いた土地 (前出のベルチ ャッハ)に由来す ると言われている。 ブラームスの場合、他 の曲に関 して も それを作曲 した土地の風光か ら影響を受けてい ると思える こ とが、け っして少な くない。 しか し、この曲は単に温か く喜ば しい とい うだけ ではな い。北 ドイ ツ人 らしい枯れた味わいや寂 しさもうかがわれ、 渋 くくす んだ もの も流れ ている。 二長調 とい う調性 であ り なが ら、 こ うい う性格 の ものになっているのはブラームス

律やその他で使われ ていて、全曲の統一的な契機をな して いる。 この ような強力な統一的動機 の用法 は、ブラームス にあ っては、 まことに珍 しい もの といえる。 第一楽章 ア レグ レッ ト ・ノン トロッポ ソナタ形式 であ る。あたたか く喜 ば しいが一抹 の哀愁を もつおっとりとした楽章で、低弦のだす基本動機 の上で木 管 とホル ンが柔和 に第一主題を奏す る。第二主題 は ヴ ァイ オ リンとチ ェロが歌 うようになめ らかにで る。 第二楽章 アダージ ョ マ ノン トロ ッポ ロ長調で ソナタ形式を とる。孤独感 もおいた楽章で、物 淋 しさを訴えるチ ェロの第一主題 では じまる。展開部 らし い ものはな く、再示部では第二主題の再現を省略 して もい る。 第二楽章 ア レグ レッ ト グラツ ィオ ー ソ ト長調 で、二部形式を拡大 した ロン ドの形を とる。その 各部 の主題は、変奏 の技巧を活用 して相互に関連 させ られ ている。 ロココ風に愛 らしく、 しか も親 しみやす い楽章 で あ り初演以来 とくに人気があ った。 第四楽章 ア レグロ ・コン ・ス ピリー ト ソナタ形式を とり、 きわめて生気 に富む。その第一主題 と第二主題は、明確に対比 している。提示部 の両主題間の

の地味な管弦楽法 と、重厚な和声法 と、対位法 の使用 に よ るところが多 い。管弦楽 の編成は、第一交響曲の場合 と大 差ない (と 参考資料には書かれ ているが、私 としては唯一

経過部 で、第一主題を展開ふ うに扱 うの と、展開部が第一 主題を基調で本来 のままで示す の も大 きな特徴 であ る。そ

テ ューバが使用 されてい る交響曲である点で大 きな差が あ

のため、展開部 の代わ りに再示部がは じまった ような印象

ると思 う。ちなみに私 はテ ューバ吹 き )が、 フルー ト、オ ーボエ、 クラ リネ ッ トの用法 に進歩を見せている点は見逃

もうけ る。

せな く、そのために もこの曲はの どかな ものになってい る。

(ブ ール ミッシ ュを よろ しく)


楽器群紹介

leW宝

です。青学 に薬学部なんてあ った っけ ― ?と 思われた方 も多 い と思 い ますが、

が予期 したであろ うか。それ もこれ も みんな、実力 十人気を兼ね備えた救世

それ も当然 のこ と。だ って在籍 してい るのは荒井 くんただ一人 とい う、小 さ

主N・T(2年 )の加入に よるところが大 きい。人数不足に悩 まされていたの も 過去 の話。Vla会 もついに 2桁 の大台 を突破 し、 「エ グモ ン ト」 に賛助な し

な小 さな学部なのですか ら。そのため は 彼 は、某東京薬科大学 に まぎれ こん で "毎 日学業に励んでい るのです。 ハ こは、 ノ ヽ と、い うことでイ 皮│ま 練習 日′ 王子 にあ るC a m p u s か ら青 C a m ま で 通 って くるこ とになるわけですけ ど、 私 は青 山学 院管弦楽団、弦 楽部 、 Vln科 に在籍 してお ります lstヴ ァイ オ リンと申 します。私の性格を簡単 に 述べ させていただ きます と、明朗活発 で趣味は歌 うこ とです。 日夜、歌 いこ

迷えるセ コバ イのために一 目散にかけ つ けて くれ るのです。荒井 くんのその 素晴 しいエネルギ ーに感謝感激 しなが

で挑 もうとしてい る/奇 跡 か も知れな い。 嗽 近頃 栄枯盛衰 " と い う言葉が妙に 怖 い。そ うならない よう頑張 らなきゃ ね 0

(Tam)

ら、今 日も荒井 くんの登場を首を長 く して待 っている私達 です。

んでいるのでその美声 には 自信 が あ り ます。 しか し人生経験の不足 のためか 甘美なdolce.や 情熱 ほ とば しるespres な どにがてな ところ もあ ります。 こぶ しはまわ るのです が、 どうもいや らし くな って しまっていけ ません。未熟な 面 も多 い私 ですが、努力を重ね て今 日 まで きました。 どうぞみなさまのあた たかい拍手を よろ しくお願 い 申 し上げ ます。 一辛か った就職活動思い出す 最後 のパー ト紹介― (字余 り)

part leaderは 2nd Violinの 、青 山 学 院大学薬学部薬学科 2 年 の荒井 くん

今、Vla会 がす ごい /Vla会 は今、 隆盛を極 めている。巷 でHaremと 呼 ばれ るほ ど女性が多 い (強 い とい う説 もない訳 ではない )。 そのせいか パー ト内は明る くにぎやかで、楽 しい雰囲

オケの中の不老林、我がチ ェロパー トの男性陣 には悩み も多 い。弾 くこ と

気 に満ちている。かつては地味 で 目立 たなか ったVla会 の変貌 ぶ りを一体誰

面 の問題 は毛髪についてであろ う。 ベ

自体 が重労働 であるのは ともか く、当


― トー ヴェンや ブラームス ともなると、 彼 らはみな青学 オケの一部なのであ る。 そ して彼 らは伝説 となってこれか らも 弓を持 つ手 に力 も入 る。が、その一音 一音 に気合を入れ るごとに、一本、 ま 受けつ がれてい くのであ る。

てあ りませんか ?

た一本 と頭の上の長 い友達 は私 に別れ

一 日の中でフワー ッと頭の中に流れて

∼ こぶ 平 ∼

決 ま り。 きった音で

も、イ 可がイ 可だか解 らない、ち ょっと説 明できない ような音 で も。 とにか く、

を告げ、そ して もう二度 と戻 らない。

くる音 って、あ ります よね。その時 の

まるで引 き潮 のごと くフロン トライン は後退 し、栓を抜 いた コー ラの様 にけ

気分 に よって音 が決 まるのか、 あるい は音 に よって気分が染 まって くるのか

は抜け てい く。 カムバ ック、マイヘ ア ー./でも、根が楽観的なチ ェロ会 は、 そんな ことな どけに しない。 この よう

そんな時は、 きっと感性 が ピィーン としていて、瞳に映 る 「色J、 肌 に感

に身を削ってまで熱演す る私 たちチ ェ ロ会 の奏 でる音色 に今夜 は酔 って下 さ

じる 「空気J、 そ して 「香 りJ、 その 全 てが まさに ライヴ。

(鶴々)

そんな 「時間Jの 音 になれ るのを願 っています。 ――宮本文昭 「NepentheJよ り

い ませ 。

私達 フルー ト会 は 7人 兄妹です。 ま ず長女 は弟や妹たちを温かい笑顔 で見 守 るK子 ちゃん。次女は長女をさし置 いて I君 を婿養子に もらい、今や アツ アツの新婚生活を送 っているE子 ちゃ ん。三女 と四女は双子で、おみ きどっ くりのよ うにいつ も伸 の良いM子 ちゃ ん とM美 ちゃん。長男は ウケ狙 いが好 は きで また笑われ て しま うま "を 連発 我 がバ ス会 は、性別不詳 の 8人 の勇 士か ら成 りた っている。 バ ス会 ではた だ一人、所帯 もちの織江、新入 りだが

五女は今に もオジさんに連 す るT tt。 い れて かれそ うな幼 い Rち ゃん。私達 はフルー トの上手な婿養子のT君 を崇

しか し絶好調 のひろ りんに、名前か ら して よくわか らぬが、いちお う頭 のエ

めつつ、 日々の練習 に励んでお ります。

リザベ ス、人見知 り激 しく初めての人

奏致 しますので、皆 さん最後 までごゆ っくりお楽 しみ くだ さい。

には きび しい、血 のふ きでるこぶ平、 現在 フ リーで浮気性 のみの古、最近妙

今 日は フルー ト会一 同、心を こめて演

の悪 いポチに、みかけに よら に気げ え′ ふ ず とりぎみのタマ、それになぜか厚 木在住 で推定年齢30歳のハチ、以上で ある。みなそれぞれ どうして こ うい う

そんな 「時間J の ために…… フ ッと気が付 くと、耳 の中に音楽が

名前 で呼ばれ ているのかわか らぬが、

いつの間にか流れ ている、そんな事 っ

私達 クラリネ ッ トパー トは体中か ら 渋 さを漂わせていて I先 輩 と、団員か ら金を集める事に命をかけていると言 く― 卜の マ ドンナ、 われ てい る我 が ノ

青山学院管弦楽団第56回 定期演奏会

1990年 5月 26日 l■ l 於 青 山学 院講堂


0 先 輩がまとめた、他のパー トか らは 一線 も二線 も画 した面 白いパー トにな

を頻煩に使 った指導 で選手 の頭を麻痺 させ、技術 と頭脳 の レベルア ップをは

だ った私を見捨てずに暖か く指導 して

りました。そのため、入団当時はすな

か っています。今季限 りで引退を表明

年 の三枝君は花 の早大生 です。中村先

おだ ったK 君 もM さ ん も、今では先輩

してい る西村 松村 根本 の 3人 はい まだ パ ワーの衰えを知 りませんが、 も

輩 は逆立 ちで腕立てふせがで きます。 我が部 のマネ ージ ャーであ る大山先輩

の影響を もろに受け て、変わ り者 にな って しまい ました。今 日は、 この よう な クラリネ ッ トパー トの奏 で る渋 く、 そ して甘いサ ウン ドで、 きっと皆様 の ハー トをつかむ ことで しょう。

下さる先輩方を紹介 します。私 と同学

う身 のふ り方を考えてあるようなので、 は世 のためオケのためいつ も飛び回 っ ています。団長で、パー トリーダーの 美 しい最後を飾 ってほ しいですね。去 ー ルー キ の 大村先輩は、 「今 日か ら禁煙す る」 と 年 ドラフ ト1位 で入団 した 渡辺は、女房役 の乙畔 と共に炎 の魔球 をあみだ し、次期 エースの座を確実な

何度 おっしゃったかわか りません。大

もの としました。最後 に忘れ てな らな いのは、やは り今年入団 した進士 町 田 山崎 のマイペース トリオで、個性

注意 してあげ ようと思 い ます。 印刷屋 の息子で ビデオ店 でバイ トを してい る

を出 しなが ら来年 の大 きな得点源 とな って くれ るで しょう。以上、現地 レポ

先輩方に囲まれて私は とって も幸せで す。 ホ ン トにあ ―幸せです。

村先輩 が道徳的に悪 いこ とを した時 は

のは望月先輩です。 この ような偉大な

ー ターのあみで 1ン たo

熙ソフ トク リーム べ に 食 行 くけ ∼ " 待 ってました と、 3人 娘。 いつ もバニ ラを食べ る I先輩を横 目にたば こをす うM先 輩。 これが、Fg会 の今 の 姿 で あ る。昔は静かだ った ?Fg会 を元 気 印に したのは この私達。私 のこ と好 き なんで しょう?と K君 を とりこに した T嬢 。お酒を飲む と、か らみだす、い つ もは知的なYtt。 音の悪 さは リー ド

トランペ ッ トパー トは、なん とい っ

合宿最終 日の出来事 で あ る。 私達 パ ー カ ッシ ョンパ ー トの 5人 の メンバ ー

て も “ゆかい "だ 。各人 の強烈なキ ャ ラクターがなん とも言えない味をか も

は、朝、 日を覚 ま した。 「何 とい うこ

し出す のである。 K氏 の とどまるとこ ろを知 らない大 ボケに、Y氏 の雷 のご

え変わ ってい るではないか。 奇跡 だ。 神 が私達 に力を 与えた。 よ うし、 これ

とく鋭 いつ っこみ。練習を中断 させて しま うお しゃべ りに、悪寒 さえ も感 じ

喜乱舞 し、喜 び あ った 5人 の人間達 に

させ る矢の ような視線。 た とえ借金が す /も し、怒 られた らや ってみ よう。 これを読 んで先輩、怒 らないで下 さい。 あ って も役員になれ ると身を もって証

周囲か らの冷 た い言葉。 「甘 い。 ごは んは ど うや って食 べ るんだ。Jこ の言葉

私達は、尊敬 しています。本当です、

明 して くれた 2年 生。1年 生は と言え

は陽気 な 5人 に もきいた。 しか しそ こ

うそ じゃあ りません。大好 きです。先 輩 も、私達 のこと好 きで しょう?

ば、遅刻の常習犯 0氏 と今 日もまた マ ンガに登場す るM氏 である。

はか しま し 5人 組。 「手 がだめな ら足

のせい、 と言い張 るE嬢 。私達は、先 輩 の弱点を知 ってい るので何 も怖 くな い。I先 輩 に京都弁 で怒 られた ら、標 /M先 輩 に怒 ら 準語 に直 して言い返す 。 れた ら、印籠な らぬ、桜 の花をつ きだ

秋 も深 まる今 日、 トランペ ッ トパー トは まろやか、かつ深 い コクの味 のあ る演奏が 出来 るのではないだろ うか。 そ の前 に、今 日もまた K氏 の服装 チ ェ ックが入 る。 鳴呼なんて素晴 らしい 日 なんだろ う/

こん│こちは。

就任 2年 目の川井監督は、2字 熟語

トロンボ ー ン会 の唐 沢 です。初心者

とだ。手首 か ら先 が、 ステ ィックに生

で どんな リズム も思 いの ままだ。」と狂

が あ る。足 がだめな ら口があ る。J人間 リズムマ シー ンの パ ー カ ッシ ョニス ト としては ご く当然 な こ とか もしれ な い ……ってか 。


ψ彰ψψ炒

TTTT↑

7月 のある日の昼下が り、街を歩 いてい ると、噴水 のあ る広場 の一角が突然、黒山の人だか りでみちあふれてゆ く のを見た。場所はパ リ。 白昼 で も何が起 こるかわか らない 危険な場所だか ら、恐 る恐 る近づいてみ ると、10人ほ どの 弦楽 アンサ ンブルのグル ープが く四季 "を 演奏 し始めた。 その後、 5分 、10分と過 ぎてゆ き、曲は 《四季 "か ら はカ ノン "、 く2つ のヴ ァイオ リンのための協奏曲 "に 変 わ っ ていった。 と同時に、街を歩 いていた人 々がほ とんど皆、 足を止め、 さらには トラ ックの運転手 まで彼 らの演奏 に聞 き入 っている。 6月 にオケを離れ てち ょうど 1月 、弦楽器

ホ ームシ ック(以下家病 )とい う言葉がある。別に家 ダニ が発生す るとか、 自ア リに喰われ るとい う意味ではない… などと説明す る迄 もない。風薫 る 5月 、五月病 と共に新入 生 の間に蔓延す るこの家病 はや る気を失わせ、 クラブをや め る原因の 1つ であ る。 当団で も毎年少なか らず この病に冒され る者がいて、大 問題 となっていた。そこで皆でない知恵を絞 り、何 らか の 対策を立 てることに した。 もう半年程前 になるであろ うか。都内の某私立全寮制高

の生 の演奏が とて もなつか しく、新鮮 に思えた。 ョーロ ッパでは、 ァマチ ュアの演奏家たちが街 の広場や、

校 で学校 内暴力が発生 した。その高校 では家病を防止す る 為、数人で グル ープを作 って教師を中心に集 まるフ ァ ミリ ー制度があ る。 同校 OBの 団員 Aの 提案で…… とい う訳 で

地 下鉄などでこ うした ミニコンサー トを よく開いてい る。 アマチ ュアとい って も実力は十分に兼ね備えていて、聞い

もないが……当団で もフ ァ ミリーを導入す ることになった。 特定 の団員 のアパー トに主に 1人 暮 しの団員数人が集 ま り、

ている方が、彼 らの世界 に引 きず り込 まれて しま うほ ど。 10年ほ ど前、ある レコー ド会社 の コピーに 「音楽 に国境は ないJと い うものがあ ったけれ ど、その コピーの本当の意

互 いに助け合 い、励 まし合 う……当初はそんな 目的 もあっ

味が、今 になってや っと、わか った気が します。 先 日、あ る先生 が 「人生は流 されてゆ くものではな く、 選 び とってゆ くものなのだ。」とい うこ とをある情報誌 に書 いてい らした のを読 んで、流れ る時 に身を任せた 自分 の大

たか も知れない(注1)。 当団のフ ァ ミリー第 1号 となったOフ ァ ミリーは パ チ ン コ好 きの連中に よって形成 された ものであ って、1人 がオ ケラ(=文 無 しの意、筆者注 )になると他の人が金を貸す と い った互助会的、模範的 フ ァ ミリーであ った。 しか 1_いつ

学生活をふ り返 ってみた。数ある大学 のなかか ら青山を選

の頃か らであろ うか、 (誰も予期 し得なか ったのだが )全員 が貧乏 になるとい う事態が生 じ(注2)、ファミリーの財政は

び、 また、星の数 ほ どあるクラブのなかか らオケを選び、

破綻 し、互助会的要素 はな くな り、単なる合宿所 へ と身を

3年 めに して 3ヶ 月の休団。 これ も 1つ の選択 だ と割 り切 って、今回の演奏会 はほ とん ど諦めていたのです が、パー リーの O氏 か ら無言で譜面を渡 されて、再び舞台に立てる

落 として しまった。 家病を防止す る為 にあ った フ ァ ミリーはこうして寝食を 共 に し、昼夜を忘れて遊 びま くるとい う怠惰な生活 の場へ

こ とができて喜 しく思 い ます。今 の ところ私 の選択は、確 実 に正 しい ものであ ると言 い切 る自信はないけれ ど、少な くとも私に とってマイナスではない と信 じてい ます。なぜ

呼ばれ る迄になって しまった。 か くして長男はケーキ屋に丁稚に行 き、家長 自ら出稼 ぎ

と変貌 した。そ してついに Oフ ァ ミリーは 「 怠け者隊」 と

なら、オケに入団 したか らこそ知 り合 うことができた仲間 たちや、指揮者、 トレーナ ーの先生方、 トラに呼 んで下 さ った他大学 のオケの人達、1年 前 のアメ リカ演奏 の時 にお

に行 くこ とになった。残 された我 々は暖房を フルに して フ ァ ミコンを しつつ、彼 らの帰 りを首を長 くして待 っている

世話になった方 々 との多 くの出会 いがあ ったか らです。青 学 オケに入 って 3年 、今まで知 り合 った全ての人 々に対す

出典 ;『家族 の隆盛 と没落 』、家族制度審議会編、1989、 中の一般 か らの投書 より抜粋

のである。

る感謝 の気持 ちを ヴ ィオラに託 して演奏 します。 (11487116)

注1

『家族制度を考える 』、K.Tadai、 青学 出版、

1988、 p55 注2

貧乏 の内容及びその程度については 『貧窮間答歌』、

山上憶良、を参照 されたい。 ― フ ィクシ ョンです― (by.び

ょん )


͡

幼少 の頃 か ら私 にはた くさんの ニ ックネ ー ムが あ る。幼 稚 園時代 はで こっば ち、小学校時代 は、 鼻 が 低 い こ とか ら ベ チ ャ、中学 校時代 は、 「しゃぶ しゃぶJを 言 い損ね た こ ととしゃ しゃ りで る と言われた ところか ら 「し ゃ しゃぶ J と呼ばれた。高校時代はあ る漫画 に 出て くる人物 に似 てい る ところか ら │テ ンち ゃん、 テ ン坊J、 もし くはそ こか ら 派生 して 「スケベ のテ ンち ゃんJ略 して 「スケテ ンJ「 さ ぼ りのテ ンち ゃん J略 して 「サ ボテ ンJな ど と呼ばれた。 名前 にちなんで │や まち ゃんJと か 「カ ッち ゃんJな ど と 呼 ばれた のはほ とん どな い。 大学 に入 り、 い きな りつ け られた あだ名 は │つ るJだ っ た。 単に片 岡鶴太郎 の よ うな眼鏡 をかけて いたか らだ った。 しか し悲劇 は 夏合宿 にお こった。 当時 の 4年 生 が テ レビを 見なが ら昔話 を して い��� ら しい。何 で も去年 は合宿中 に テ

言 うんですか。Jとか 「先輩が うわ さの、ぎゅうさんですか。J などと言われ る始末であ る。 しか し悲劇 は 2年 の時 に行 っ たア メ リカ遠征 の時 に起 こった。 ホ ームステイ先で話題 に つ まった私は、 自分 のあだ名について説明 しようとした。 「マイニ ックネ ームイズ、 ぎゅう。J ホ ワ ッツ ミーン ?」 浮かんだ言葉 は 「ア∼、ォーイ ッッ、 ビーフ ′Jだ った。 つ ま り私 は 「牛肉Jに なって しまったのであ る。それ以来、 皆か らもっとい じめ られ るようになった。ttM君 、 「ぎゅ うちゃん もだ いぶ知恵がついて きたネ ′J、 「私は猿です か ?J「 ううん、 ぎゅうちゃんは牛 ./J ttD君 「ぎゅう、 そんなに ビール飲 んだ って脂肪が多 いんだか ら霜降 りにな んかなれね ―ぞ。Jひどい もんである。 しまいには指揮者 の U先 生に も 「ぎゅうちゃんはぼ くに よ くなついたね 一。J 「なつ くなんて先生、私を大 とまちがえてません ?J「 う

レビCMを 見 てた時 に入 室 して きた 後輩 にその CMの 広告

うん、ち ゃん と牛 だ と思 ってるよ。J

名をあだ名に した とい う話 だ った ら しい。 そ こに流れ てい た CMは 「走れ ぎゅ うち ゃんJと い うカ ップ ラー メンの C

奏会を最後 に、 セ リに出され ることにな りました。皆の こ とは 一生忘れ ません。お元気 で、 さような ら。

Mだ った。 そ の時、運悪 く私 は ドアを開け た。 「お、 ぎゅ う/」 こ うして私 に新 しい あだ 名 が つい た。 それ以来、新 嗽 入生か らは、 「ぎゅ う先輩 の本名 って、 うしだ も う "て

そんな私 も今 日の演

byぎ ゅう(買い手が見つ か らず、 メサ イアまでに送 り返 され るで しょう。) 多分、

執 行 音5

あとがき 困った ことに私はまた プ ログラム作成 に とりかか るのが遅 くな っ て しまい ました。前回で思 い知 ったはずなのに、私には学習能力が ないので しょうか。チ ンパ ンジー以下みたいです。印刷屋 さん、 ご めんなさい。原稿を書 いて くれた団員 の方、せか して申し訳ない。 次回か らは余裕を もって とりかか るぞ と思い きや、私 の副団生活 も もうお しまい。なんてこった、ち っともまともに仕事をや って こな か ったではないか。私はオケのいったい何 だ ったんだろ う。ああ、 で きるこ とならもう1 年 や りなお したい( 実は可能性大 ) 。 とまあそんな こんなで色 々あ った 1 年 間で した。皆様、 どうもあ りが とうござい ました。 この場を借 りて深 く厚 く御礼申 し 1 1 げます。 (コ ンバ スを吹 くホル ン弾 き)

●ポス タ ー、チ ラシ、チ ケ ッ ト 川井

●プ ログ ラム企画 、編集 川井

●写真撮影 伊藤武 史 ●印刷 ハ セ ガ ワ企 画 印刷


梅 田俊 明

青山学院 管弦楽団 ●顧問 坂井正廣/鈴 木律子 (短大 ) ● OB会 会長 野田精一 ●御指導頂いた先生方 霧生吉秀/志 賀信雄/田 沢俊一 田淵 彰/平 井 光/三 輪純生 百瀬和紀 ●コンサー トマスター (ミス トレス) 会沢貴裕/土 屋 明子 ●学生指揮者 川井 正 ●団長 大村博昭 ●副団長 川井 正 ●インスペクター 吉竹寛恭 ●サブ ・インスペクター 木坂嘉雄 ●マネージャー 大山 顧 (渉外 )/五十畑一郎 (渉内) ●サブ 。マネージャー 飯田泰弘 ●代表委員 保尊 はるみ ●会計 小笠原恭子 ●庶務 名古屋悦子/山 口知子 ●短大代表 根本阿美 ●理工代表 伊藤武史 ●厚木代表 渡辺 宏 ●ライブラリアン 田中淳一/川 合美保子/松 村優子 ●インス トゥルメン ト 濱 口雅史/花 岡宏幸 ●ステ ージ ・マネージャー 大山 顧/飯 田泰弘

Vldinen 白坂麻衣子 (英文 4 土屋 明子 (国政 4 ◎会沢 貴裕 (英文 3 梶原 由美 (英文 3 岸本 隆弘 (物理 3 河野 真理 (英文 3 小島 由佳 (化学 3 須藤真由美 (教育 3 副田 幹樹 (国政 3 相川 暁生 (英文 2 0荒 井 恵二 (団友 2 池田 良昭 (教育 2 小林麻里絵 (英文 2 佐藤 由理 (法 2 高橋 筑紫 (法 2 田原 淳司 (経営 2 富岡 歩 (史学 2 花岡 宏幸 (機械 2 藤倉 千夏 (短夏 2 望月 千里 (教育 2 飯塚 謡子 (国政 1 伊藤主枝子 (短国 1 宇野 和照 (法 1 江川 徹 (経営 1 岡田 典子 (国経 1 小lle 紀子 (短英 1 篠原 愛子 (日文 1 杉浦美保子 (団友 1 田中 富美 (経営 1 堀家 亜紀 (団友 1 宮崎 哲也 (法 1 安田 芳子 (日文 1 吉野 志郎 (仏文 1 松山佳代子 (OG) 松本 ゆ う (OG) 岸野ゆか り (OG) 岩田 雄 (賛助 ) 佐藤 俊明 (賛助 ) 田中 上枝 (賛助 ) 高木 経夫 (賛助 ) 中村 岳志 (賛助 ) hen 石井 素美 (仏文 4 ― 勝 呂麻矢子 (教育 4 大西 京子 (教育 3 0大 森 章成 (私法 3 保尊 はるみ (仏文 3 山 口 知子 (英文 3 加藤 貴之 (公法 2 田村 晴美 (英文 2 冨永 範子 (経済 2 米野 裕子 (短国 2 原 さお り (化学 1 古川 聡一 (電工 1 山村 亮子 (短教 1 稲葉 紀子 (賛助 )

小方 一郎 佐久間貴之 塩澤 正子 米原 緑

(賛助 ) (賛助 ) (賛助 ) (賛助 )

¨ 井寺美穂子 (団友 4) 土肥 克匡 (団友 4) 鳥屋尾明子 (団友 4) 西田 彰夫 (化学 4) ○伊藤 麻子 (史学 3) 岩沢 浩美 (英文 3) 石黒由美子 (英文 2) 宇田川秀子 (日文 2) 小池 陽子 (日文 2) 田中 淳― (経済 2) 辻 真弓 (日文 2) 佐藤 正浩 (経済 1) 鶴田 純弥 (法 1) 登坂 幸雄 (経済 1) 戸村 聡子 (賛助 ) 前田 健治 (賛助 )

…間瀬 和男 (国済 4) ○仲 正道 (化学 3) 西浦 寛 (日文 3) 荻野 奨 (仏文 2) 杉本多加乃 (短英 2) 早川 ひろみ (国政 1) 操 典之 (日文 1) 田中 祐之 (OB) 高山 健児 (賛助 ) 山添 庸介 (賛助 ) 安 裕希 (賛助 ) 職 加藤 恭子 ○伊藤 武史 名古屋悦子 加藤美和子 中下 素美 須藤 隆之 近藤 里砂

(教育 4) (物理 3) (公法 3) (仏文 2) (短児 2) (経済 1) (仏文 1)

…相,電 恵美子 (公法 4) ○草椰 あ さ (団友 3) 加藤 秀行 (史学 3) 穂積 陽子 (日文 2) 柳生瑠璃子 (日文 2) 金井 淳 (法 1) Klarine■en 野村 恵子 林 智子 ○五十畑一郎 小笠原恭子

(日文 4) (日文 4‐ ) (経営 3) (史学 3)

牛田 圭子 小野寺由起 川合美保子 柿原 浩二 森 匡子

(史学 2) (経済 2) (経済 2) (経営 1) (団友 1)

呻 ○井上 雄策 溝口 真 石黒 由紀 柳 田 知美 山田江里子

(国経 3) (国政 2) (国政 1) (団友 1) (団友 1)

○ …川井 乙嘩 西村 根本 松村 渡辺 町田 山崎 進士

正 (経営 3) 桜子 (史学 2) 智子 (短国 2) 阿美 (短児 2) 優子 (短英 2) 宏 (経済 2) 明子 (史学 1) 淳子 (経済 1) 明広 (団友 1)

¨ 佳織 克彦 新祐 竜子 泰弘 嘉雄 雅史 快之 賢

(団友 4) (経済 4) (私法 3) (英文 3) (私法 2) (国政 2) (物理 2) (経営 1) (法 1)

mmlnen 望月洋一郎 ○大村 博昭 中村 正一 唐沢 美穂 沢藤 孝行

(物理 4) (物理 3) (法 2) (教育 1) (法 1)

佐野 山田 ○幸福 外山 飯田 木坂 濱口 押鐘 田中

Mas 大山 顧 (史学 3) 三枝 常久 (団友 1)

高安 紀枝 ○吉竹 寛恭 武井 絵里 松本 光 稲葉友紀子 塩原 壮

(経済 3) (私法 3) (経営 2) (英文 2) (短家 1) (英文 1)

○ 印 は パー トリーダー



19891119第55回定期演奏会