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研究者入門 2013 未来を訪ねる 3 日間


はじめに 本報告書は、2013年に開催された「研究者入門2013─つかもうぜ!自分の仕事! 未来を究める 3 日 間─」における、講師の先生方のお話をまとめたものです。研究者入門とは、参加者が主体となって学んで いく 3 日間の集中講義です。テーマは、研究者としての自立、キャリアパス、ライフワークバランスと多 岐に渡ります。 講義では、先生や先輩の経験を踏まえ、研究上の問題点と解決策について具体的に学びます。またワーク ショップでは、参加者同士で主体的に学んでいきます。 本授業は研究活動を行っていこうと考えている学生の入門編として組み立てられています。これから研究 者として生きていこうと考えている皆さんは2014年度も開催されますので、ぜひご参加ください。 2014年度開催予定 [日 時] 7 月19日(土)~20日(日)(予定) [場 所]総合研究大学院大学葉山キャンパス [定 員]20名(先着順)※参加を希望される方は、「参加申込書」を提出してください。 [参加費]無料 ※本学の学生には、往復の交通費と宿泊施設の無償貸与等の支援を行います。 [申し込み先]詳しくは、総研大HPで通知します。 [内容に関するお問い合わせ先]

学融合推進センター 岩瀬峰代・奥本素子

TEL 046-858-1628

MAIL oida@ml.soken.ac.jp

2013年度のプログラム[内容及び講師(敬称略)] <研究者として飛び出すためには「研究者のキャリアを振り返って」> 堀田 凱樹(遺伝学専攻/総研大名誉教授) 司会:桑島 邦博(総研大学融合推進センター特任教授) <未来への旅「ちょっと年上からのアドバイス」> 西山 陽一(統計科学専攻/准教授) <自分の居場所の探し方「若手研究者のここだけの話」> 安藤 昌也(メディア社会文化専攻修了/千葉工業大学准教授)・林(大岡)杏子(基礎生物学専攻修了/山梨 大学医学部免疫学講座助教)・藤原 一毅(情報学専攻修了/国立情報学研究所特任研究員)・村上 昭義(核融 合科学専攻修了/信州大学産学官連携推進本部リサーチ・アドミニストレーター助教)・鈴木 堅弘(国際日本 文化研究専攻修了/京都精華大学) <パネルディスカッション「つかもうぜ!自分の仕事!キャリアに関するQ&A」> <ワークショップ① 自分をアピる一枚プレゼンテーション> 講師 岩瀬 峰代・奥本 素子 <研究目的別ラウンドテーブル:目標の可視化・整理> 岩瀬 峰代(学融合推進センター) <研究スケジュール作成ワークショップ「10 年後の私」> 岩瀬 峰代(学融合推進センター) <ワークショップ② 研究ゲーム「ゴミ箱ワークショップ~最後に残った大切なもの~」> 奥本 素子(学融合推進センター) <自由討論:研究者のワークライフバランス~研究者手帳~> 七田 麻美子(島根大学)、奥本 素子(学融合推進センター)


CONTENTS 研究者として飛び出すためには 〜研究者のキャリアを振り返る─研究者年表〜

堀田 凱樹………………………… 1

明るく元気な統計人生

西山 陽一……………………… 19

とにかくやってみる!

安藤 昌也……………………… 29

自分のゴールを忘れない

大岡 杏子……………………… 33

可能性を広げる考え方

藤原 一毅……………………… 37

研究を支援する立場から

村上 昭義……………………… 40

教養という強み

鈴木 堅弘……………………… 46


研究者として飛び出すためには 〜研究者のキャリアを振り返る─研究者年表〜

堀田 凱樹

遺伝学専攻/総研大名誉教授

本プログラムは、学融合推進センター特任 教授の桑島先生の司会で行われました。

理学部の物理学教室、だから物理の先生にな られたんですね。で、生物物理の研究室を担 当されてたんですが、定年になる少し前に、

研究者への歩み 桑島: 堀田先生は昭和13年に東京にお生ま

国立遺伝学研究所の所長さんとなられ、その 後は情報・システム研究機構長をされて、平 成23年にそちらを退職されてます。

れになりまして、その後、東京大学の医学部

生物学の分野での、あるいはいろんな分

をご卒業されました。昭和38年ですね。で

野っていうか、松永賞、井上学術賞、日本遺

すからお医者さんの免許を持ってらっしゃる

伝学会の木原賞、それから紫綬褒章。いろい

んですけれども、私も堀田先生とかなり長い

ろな賞をたくさん取られてる方です。いろい

期間ご一緒させていただいたことがあったん

ろ面白い、役に立つお話が聞かせていただけ

ですが、お医者さんをされてるのは、実際に

ると思います。お話の途中でどんどん質問し

されてるのはみたことありません(笑)。医

てくださって結構ですということですので、

学研究科を卒業されてから、カルフォルニア

何か聞きたいことがあれば途中でも結構です

工科大学に行かれて、そこの生物学部門の博

ので質問してください。

士研究員をされました。その後、東京大学の

堀田: もう定年になって何年にもなります 1


し、機構長とか所長とか、そういうアドミニ

に住んでいて、そのお宅でお話を聞いたので

ストレーションも散々やらされて、もう、嫌

すが、その人がとんでもない人だったんです

でしょうがなかったんですが、それも終わっ

ね(笑)。その人が「生物嫌いなの?」と聞

て、今、自由の身になっています。考えてみ

くので、「嫌いです。生物が大嫌いで医者に

た ら ば、 大 学 を 出 た の が1963年、 ち ょ う

なれるでしょうか?」って聞いたんです。す

ど50年ですね。大学院に入る時というのが、

るとその人が、 「これからの医学に大事なの

やはり研究者になろうって本当に思ったとき

は物理と化学と計算機です」って言ったんで

なので、今、僕が振り返るっていうのは、そ

す。56年前のことですよ。その当時、僕は

れはそれで何か意味があるんじゃないかと。

計算機って知らなかった。高校生ですから

過去50年で起こったこと、これは事実です

ね。計算尺は知っていましたけどね。うちに

から、歴史としてちゃんと記載できるし、自

帰 っ て 調 べ た ら、 電 子 計 算 機ENIAC( 注:

分も理解できる。私はずっとサイエンスの中

Electronic Numerical Integrator and

に生きてきたので、その中でどうなってきて

Computerは、アメリカで開発された世界初

どう思ったかという話をすれば、皆さんがこ

のコンピュータ。プログラムを組み換えるこ

れから50年間生きていく中で、どう考え、

とでさまざまな計算問題を解くことが可能と

どうなっていくかっていうことを予想するこ

なった。)は、当時は弾道ミサイルの弾道計

とに多少は役に立つのではないかということ

算のために設計されたもので、部屋いっぱい

でお話をしようと思っています。

に真空管が何千本って並んでいて配線だらけ だって話が本に書いてありました。それで、

何を研究するか

人が言ったかというと、数値計算とか記録と

研究者になろうかなと思ったのは、高校の

かじゃなくて、推論に使えるってことだった

頃です。僕は物理や数学が好きだったんです

のです。医学に計算機が使えるって言うこと

よ。それで、一番きらいなのが生物学。生物

は、病人を診てその症状を入れたら病名が出

学の授業ったら、もうつまんなくて、つまん

てくるということ。そういうのが理想でしょ。

なくてしょうがない。物理や化学が面白い、

医者自身がそれやっているわけですよね。計

地学も面白かった。それで、やっぱりそうい

算機に病名とか検査結果とか全部ぶち込んだ

う方向に向いているんだなと思っていまし

ら、ベイズ推論か何かで計算をして、それで、

た。でも、人助けもしたい、人の役にも立ち

この病気である確率が何%である。予後は何

たいというような気持ちもあった。医者にな

年プラス、マイナスであるとかって出てくる

るということはどうなることかを考えたこと

と。多分、今の技術ならそれはできます。で

があって、担任の先生に相談に行ったんです。

も、その当時の計算機っていうのは計算する

そしたら先生が「あなたの先輩が東大の医学

スピードが速いっていうことだけが知られて

部にいるから、相談に行ってごらんなさい」っ

いたので、論理計算ができるとか、そんなこ

て言ったので、その人のところへ相談に行っ

とどこにも書いてあった覚えはないのです

たんです。

が、その人はそう言ったんです。僕はまた素

今でも忘れられないですよ。立派なお屋敷 2

何で計算機が医学に役に立つってことをその

直なものだから、そんなもんかなって思って、


それで医学部に入ったんですよ。で、嫌いな

あるわけ。いかにもそれを辿って行くともっ

生物学は取らないで入って、駒場で初めて生

ともなように、論理的に書いてあるのだけれ

物を勉強して、全く面白くなくて。カエルの

ど、ちょっと考えなおすと、違う考え方もで

解剖をさせられたので、僕はカエルの血管や

きるっていうことがいっぱいあるんです。医

神経がどういうふうに走っているかっていう

学ではそれは教えちゃいけないわけです。み

ことを、今の地下鉄の地図みたいな関係図に

んなが同じように考えなきゃいけないんだか

してレポートを出したんですよ。そしたら成

ら。ただ現在は、分子の話が詳しく分かって

績はC。もっとカエルらしくって批評されま

きたので、ここはごまかせません。検査法が

した(笑)。

進歩したから。でも、それでも難しくって、

生物は面白くなかったけれども、医学部へ

この間もテレビでやっていたけれども、腰が

入ったちょうどその頃、分子遺伝学などが発

痛くて患者が来るとレントゲン撮ります。レ

達してきた時代で、まだファージと大腸菌の

ントゲン撮ると椎間板のところが少し出っ

頃ですけど、こっちはもうものすごい論理な

張っているのがわかります。「だからここが

の。非常に精密な論理を展開しながら実験を

神経を押して痛いんです」って言うんですよ。

するという、なかなかそれは面白いと思った。

確かに、腰が痛い人の椎間板がおかしい人は

しかし臨床医学には興味が持てなかったです

いっぱいいる。でも、腰が痛くない人を同じ

ね。こんな分厚い教科書も丸暗記するぐらい

人数を調べると、かなりの確率で椎間板はお

勉強するわけですけれど、それは実は、案外

かしいんです。でも、それは調べられない。

簡単なんですよ。覚えてしまうと、この病気

だから、患者さんが来て、腰が痛いというこ

とかはどっかのページに右の端に書いてあっ

とで調べたら椎間板が出っ張っていた。だか

たなとかは思い出すぐらいになるんですよ。

らこれが原因ですと言うけれど、それが本当

だから、それはこなすことはできたんだけれ

に正しいかっていうのは、科学的に言えば疑

ど、面白くない。本当に医者が役に立とうと

問がないとは言えない。で、それを調べる手

思ったら科学だけではないわけですよね。だ

術をやるかって言うと、それはかなりの決断

から実は非常に難しい職業、学問なのです。

で、逆に取ったために悪くなるかもしれない

僕にはとてもできそうにない。

わけだしね。でも、そういうことは教えない

理想的には、1人の患者を診たらどの医者

から、一般の人はお医者さん行って写真撮っ

もおんなじ診断、正しい診断をするっていう

てもらったら、椎間板に異常があると言われ

のがいいよね。でも、現実にはその正しい診

ると「うん、なるほど」と皆さん言うけれど、

断に達するまでに、推論の分岐がいろいろあ

それが原因だっていう証拠はないのです。そ

るから、そのどこをたどるかっていうのに

ういうことです。だから科学ではないんです。

よって答えは違うのです。しかし、違うとい

今できる可能なところで診断をやっているわ

うことまで教えるっていうことはやらないん

けですが、昔に比べれば、いろんな血液の検

です。医学って科学的じゃないとも言える

査とか、すべてが数値で出てきますから、そ

んです。科学的じゃないっていうのは、例

れで多少良くなったとも言える。でも例えば、

えば、いろんな病気で、ここが悪くてこう

コレステロールが高いですって言うと、コレ

なったのがこうなるとかって教科書に書いて

ステロール下げる薬を使うじゃないですか。 3


でも、実は本当にそれでよいのか確実には証

していた時代だったんですよ。それから、ユ

明はされてないんです。コレステロールが下

ダヤ系の研究者はヨーロッパから追われて、

がることは証明されています。コレステロー

アメリカへ移って、アメリカで新しい研究を

ルを下げると、じゃあ危険が減るのかってい

始め、そこで分子遺伝学なんか出てきたわけ

うリスクの問題は、実は本当にはわかってな

です。そういう時代ってすばらしい論文が

い。そのデータが振れていてわからないんで

いっぱいあるから、それをたくさん読みなさ

す。だから、コレステロールが高いのが本当

いということだったのです。

に悪いのかっていうのも、じつは論文集めて

しかし、その頃の雑誌ってなかなか手に入

読んでみると、成り立ってない。解決するこ

らないんですよ。ところが、ありがたいこと

とが非常に難しい議論がいっぱいある。医学

に東大の医学部には、ロックフェラー財団が

はそういうものです。

寄附してくれた図書館があるんです。その中 に一部、古い戦後の雑誌等があるんです。で、

研究テーマとの出会い 僕は臨床はやめて、基礎医学へ進みました。

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僕はそれを一生懸命読みました。当時読むっ ていってもコピーなんかできないです。コ ピー機は無いですからね。ゼロックスってい

基礎医学へ行ったときに2人の先生から言わ

うのは、ずっと新しいんです。僕が学生、院

れたことが忘れられない。1人の先生は解剖

生の頃は、せいぜい青焼きみたいなコピーが

の中井準之助先生ですが、「過去の人たちが

あって、あとは写真しかないです。ワープロ

どういうことをやったかというのは一所懸命

ももちろんありません。ですから、ただ読む

勉強しなきゃいけない」と言われました。勉

だけ。記録するのはノート取るぐらい。で、

強するとは論文をたくさん読むこと。うんと

それで何が面白いのかなと思って、いろいろ

乱読するんだから、当然そんなに細かくは読

乱読すると、大体つまんないものが多いんで

めない。細かくよりもたくさん読めば、何か

すよね。正直言って。論文の99.9%はつま

自分の心に残るものがある。それは心の琴線

んないわけですよ。でも、僕がいくつか面白

にふれるって言ったんですけど、そういう言

いなと思ったことが見つかりました。その一

葉、若い皆さんが知っているかどうか知らな

つは、移植の実験です。その頃見た絵をちょっ

いけど。琴線にふれるようなことが必ず、時々

とお見せしたいと思います。

出てくる。それは忘れようと思っても忘れら

これ、オオサンショウウオです。オオサン

れない。そういうものが何か自分に合ったも

ショウウオの右腕の付け根に別の個体の左腕

のなんだ、と言われたんですね。

を植えたという実験を今でも忘れません。こ

もう1人の先生、僕が大学院で指導を受け

の論文はPaul Weissという人の1950年の

た薬理の江橋節郎先生からは、「読むならば、

ものです。ただ植えただけなら問題ないです

戦争直後の論文がいい、1949年から55年

よ。その次に書いてあったことは、この腕が

ぐらいまで、その頃にものすごくいろんな仕

動くんですよ。で、どう動くか。これ、右腕

事が行われている」と言われた。それは理屈

の下に左腕ですから、ちょうどここで、鏡像

をあとから考えればそうで、その時代は戦争

対称です。そして、運動も鏡像対称であるっ

で研究者たちが発表もできないで、研究だけ

て書いてあります。だから、この腕が前に出


無い腕がそこに存在したときに、ちゃんと神 経は正しくつながると。これは面白いじゃな いですか。これは心の琴線にふれた。非常に 驚いた。 もう一つ驚いたのは、これ1965年だった かな、後にヒトの左右脳機能の違いの研究で ノーベル賞を受けたRoger Sperryという人の 仕事なんですけど、カエルの網膜から脳に行っ ている視神経、これ、左右全交差するんです。 人間は半交差なんですね。で、この視交叉を 左右に切って同側へつないでやる。そして、 このカエルにショウジョウバエを見せるんで すね。このショウジョウバエをX(Y)で見せ るとカエルはX’ (Y’ )へ飛びつくと。で、こ るときに、同時にこの腕は後ろへ下がる。やっ

れなぜかって理屈をゆっくり考えてみればわ

ぱ驚くでしょ。

かりますが、これもさっきと同じで、神経は

それで、どうしてなんだと考えました。僕

自分が行く先を知っていると考えられる。ター

の解釈は要するにこれ、構造が鏡像対称で、

ゲットが違うところにあっても、そこへ行く。

運動も鏡像対称だということは、筋肉も鏡像

これは面白いと思いました。これを研究した

対称に収縮しているってことです。鏡像対称

いっていうのが僕の最初の考えです。

にある同じ名前の筋肉が、同時に縮んでいる

その頃いくつもそういう話があって、これ

ということです。論文にはそれしか書いてな

も60年頃、スペリー研のMinerという女性研

いんですよ。運動神経が筋肉へつながってい

究者の論文ですけど、カエルの、オタマジャ

るわけですから、正常な腕の特定の筋肉を支

クシの時代に、側腹部を四角く切り取って、

配している運動神経と同じものが、移植され

背腹逆転して、植えなおした。だから、背中

た腕の同じ名前の筋肉も支配しているという

にお腹の皮があって、お腹に背中の皮がある

ことですね。でも、本来は無い腕ですから、

ことになる。そこで、背中の側にある腹の皮

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こういうこと研究したいなと思ったんですよ。

どうやって研究を進めるか そうすると脳の研究だ。そしたら脳の研究 室には伊藤正男さんって今でも有名な方がい て、その人のとこ行くっていうのは一つの チョイスだったんだけど、その先生はがむ しゃら働いて、必死で実験する人なんですよ。

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をくすぐると、カエルは一所懸命腹を払う。

その隣の研究室に江橋先生っていう薬理の方

逆に、腹側の背中の皮をくすぐると、背中を

がいて、その先生の筋肉の収縮機構の研究も

払う。これは何を意味しているかと言うと、

世界的で、むちゃくちゃ働く人でしたが、院

感覚細胞も自分が行く場所が始めから決まっ

生には放任主義のように見えたので、江橋研

ているということですね。ゆっくり考えてく

に行くことにしました。江橋先生は、文化勲

ださい(笑) 。ということで、これは神経がつ

章までもらっています。もちろん本当はノー

ながるということはどういうことなんだろう

ベル賞もらってもよかったと思うんですけど

かと思ったときに、もともと、神経細胞は自

ね。後に生理研の所長やって、岡崎機構の機

分の行き先を知っていると。でもね、Weiss

構長やられたので、総研大とも非常に関係が

の論文にはそういうふうには書いてないんで

ある方です。で、そういう先生のところへ入っ

すよ。論文では二つの可能性が書いてあって、

て研究をしました。

一つは今言った可能性だけど、もう一つの可

遺伝学的に脳の研究できるものないかなと

能性として、行く先を知ってはいないんだけ

思って、いろいろ考えたんですけれども、そ

れど、行った先で周りの神経を「モジュレー

の当時考えた動物としてはいろんなこと考え

ションする」って書いてあった。性質が変

たんですよ。まず、考えたのは金魚。金魚っ

わって、本来そこにあるものが行く場所じゃ

ていうのは産業になっているじゃないです

ないとこに行くようになるとか、いろいろ書

か。だから、いろんな系統あるじゃないです

いてあるんですが、考え方としては、これは

か。あれ、脳の中もいろいろに違っているん

細胞が自分のやるべきことを知っているとい

じゃないかと考えました。実は東大に近い本

うことですね。まあ現在ではこういうことは

郷三丁目に金魚屋があるんですね。ちょっと

ある意味で当たり前というか、むしろ各細胞

した養殖池があって、今でもやっています。

はautonomousで、自分がやるべきことは自

それから根津の近くに熱帯魚屋さんがあっ

分が決めているということが細胞の性質であ

て、そこにも何度も行きました。熱帯魚使うっ

ることは非常に多く報告されています。遺伝

ていう方法もいろいろ考えたんですが、なか

学のほうから言うと、周辺からの影響で変わ

なか規模が大きくなきゃいけないし、自分で

るっていうのは、以前思っていたほどはたく

お金もないし、そんなできないと。ネズミの

さんはないっていうのが当たり前になってい

遺伝実験っていうのは当時もいろいろやられ

るんですけれど。でも、 とにかくこれは面白い。

ていたんだけれども、お金がかかるので私に


はできない。

ころがみんな面白いと思うわけじゃないです

その次に考えたのは鶏と鶉。これは生物の

か。だから決定論の遺伝子と非決定な脳とど

人ならよく知っていると思うのですが、鶏と

うやってつなぐのだという反対論の人たちの

鶉というのは、あんなに卵の大きさは違うの

意見がありました。でも、僕はまあそれはで

ですが、その胚の大きさは割合近いんですよ

きると思っていましたけれど。

ね。だから移植ができる。そうすると、鶏の

ショウジョウバエを使って研究をやろうっ

一部の細胞が鶉で出来ているっていうような

ていう考えは実は僕の考えではなくて、僕が

キメラを作ることができて、そういう実験と

留学したアメリカのカルフォルニア工科大学

組み合わせたら面白いなと思ったんだけど、

のSeymour Benzerという教授のアイデアで

これもいろいろ専門家のところ行って聞いた

す。この人は、実は修士まで物理で、光トラ

ら、鶏の遺伝学っていうのはほとんどない

ンジスタか何かの専門家としても有名で、総

よっていう。どうしてって聞いたら、違う種

説も書いています。それが戦後、デルブリュッ

とかけ合わすとみんな死んじゃうんだって言

クという物理出身で分子遺伝学の祖である人

うんですよ。致死遺伝子が多いらしいですね。

のファージの研究に触発されて、遺伝学を始

あと、犬、猫なんてものも考えたけど、これ

めて、非常に有名な仕事をした人です。ベン

は遺伝学やろうと思ったら、相手が5年10

ザーはファージの遺伝子の微細構造の研究で

年って生きて子どもを生むわけですから、そ

有名で、遺伝子の内部も一列に並んだ構造を

れはいくら40年学者生命があっても、遺伝

持つことの発見者です。その人が一転して

学できないですよね。まあ、あれやこれややっ

ショウジョウバエで脳の研究をしたいと言い

て、だめだと言っているところで、大学院卒

だしたというニュースがアメリカから伝わっ

業近くなって、ショウジョウバエって話が出

てきた。幸いなことに、その人が、脳の研究

てくるんです。

には電気生理が一番大事だということを説得 されて、電気生理ができる若い研究者がほし

脳科学と遺伝子とショウジョ ウバエ

いっていう募集が出たんです。それで僕はそ れに応募して、採用してもらったということ です。でも、行ってみたらショウジョウバエ

その頃は、「遺伝子で脳を研究するって、

ですからね。こんな体長1ミリ、体重1ミリ

不思議な話だ」とみんなに言われていました。

グラムですから。これを電気生理やれと言わ

「遺伝子は脳に関係なんかないよ」ってみん

れたんです(笑)。できない。すぐにはでき

な言ったんですよ、その頃。今でもそういう

ない。そこで遺伝学を勉強して、まず行動異

人、かなりいますね。遺伝子は決定論です。

常をもつ突然変異体の単離をやりました。も

DNAがあったら、その配列からRNAができ

ちろん分子遺伝学はハエでは使えない時代だ

て、RNAがあればその配列からタンパクが

から、古典遺伝学だけです。

できて、タンパクのアミノ酸の配列が決まれ

今から考えると、ある意味では非常な大き

ば、三次構造が決まって、三次構造が決まれ

なジャンプと冒険をしているのですけれど、

ば機能が決まる。だから全部順番に決まって

そのときそんなに何か冒険をしているって

くんです。だから決定論。脳って非決定なと

思っていなかった。でもみんなが反対して、 7


あまり賛成する人いなかったですよ。ハエの

て。そうすると、いろんな突然変異体が取れ

脳の研究をするっていうのはね。そしてアメ

てきました。手足が震えるとか、麻痺すると

リカ行ってみたら、実はベンザーの説に賛成

か、うまく飛べないとかいろんなハエのほか

する人は少数派で、反対者が多かったのです。

に、例えば光のほうへ走らない(非走光性の)

しかし、ベンザーはなぜか天才だと思われて

ハエがたくさん取れてきました。遺伝子地図

いて、誰もベンザーの悪口言わない。ですが、

を作って調べると、X染色体上には7つの非

僕が発表すると悪口を言うんですよね。だか

走光性遺伝子があるということまでわかりま

ら、 戦闘的になってね、 よくけんかしたんで「お

した。

まえは怖すぎる」と言われたんですけども。 その人たちの、反対者の最大の理由は、行

考えたのは、これをいくらやっても、本当に

動っていうのは非常にたくさんの遺伝子が関

何が悪いか分からない。ただ、突然変異で行

与しているんだと。だから一つの遺伝子変え

動がおかしいですっていうだけでは、遺伝子

て行動が変わることには意味がないというん

と行動の間の真ん中はブラックボックスで、

です。別に意味があるかないかではなくて、

入り口と出口だけで測定をしていることにな

1個の遺伝子変えて大きく変化させることは

る。そこで、中で何が起こっているか見たい

事実だということは、実験で証明できる。そ

と思ったわけです。そうすると実は、これは

こで、私は実際にやってみました。その内容

臨床医学と全く同じ難しい問題で、非常に困

を細かく話している時間はないですけど、た

難だということがわかってきました。ハエの

くさんの突然変異を集めるという研究をしま

お医者さんになったのだと気付いたのです。

した。そこでいろんなこと習いました。心理

人とハエは全然違うとよく言うけれど、そ

学の方たちからは、遺伝学関係の人たちの考

んなことはない。進化は図の左のように書か

え方と微妙に違うんですけれども、「行動」

れますが、時間軸をきちんと書けば、図の

を研究するときには、やっぱり行動の測定と

右のようにずっと一緒に進化して、最後に

いうことがものすごく大事だということを教

ピュッピュッと分かれたんですよ。進化の9

えてもらいました。この測定法が客観的で、

割がたは共通なんですね。だから、脊椎動物

精密なものでないと、突然変異など取れない

と無脊椎動物に分かれたのは、もうごく最近

んですよ。それをきちんと測れるようにする

の話なんです。進化論の時間軸っていうのは、

というのは、ベンザー研究室の十八番(おは

最初の生命誕生から始まって、ずっといろん

こ)なんです。精度良くかつ迅速に測定して、 さらに繰り返し測定をしなきゃいけないので す。「行動」というのは、繰り返し測定をし て初めて確率が推定できるわけで、その繰り 返しを同時に素早くやるということがポイン トなんです。それで、遺伝子を壊すような薬 を与えて、たくさんの突然変異体を回収して、 分析をする。そういう仕事を2年ほどやりま した。2年間、本当にもう夢中になって働い 8

そういう研究を2年ぐらいやって、はたと


なことが蓄積してくるとしたら、ハエと人と

体上にどういうふうに並んでいるっていうと

は90%同じでもおかしくない。今ゲノムが

ころまで決めたわけです。その人の書いた教

全部わかっていますから、おおよそ70%ぐ

科書に、生命現象の複雑さは、われわれが無

らい同じと考えられています。似た遺伝子が

知だからだと書いてある。一見そう見えるだ

いっぱいあるわけね。だから、人固有な遺伝

け。発生現象も、遺伝子の展開であると。

子は極めて少ない。人とチンパンジーだった

これは驚きです。発生を遺伝子で研究する

ら1%。あなたと私の間では0.1%の違いし

ようになったのはごく最近の話ですよね。今

かない。

ではもうそれが全盛時代ですけれども、ずっ

遺伝子レベルではそのぐらい近いんです。

とモルガン学派でさえ発生は研究できなかっ

もちろんその僅かな差が、言語などにも関係

た。ショウジョウバエは実は発生の研究にも

しているだろうし、いろんな違いを生んでい

使えるし、遺伝学にも使えるし、何にでも使

るわけですよね。とにかく、人とハエがそん

える。ただ無脊椎動物だからって、さげすま

なに遠いわけではないというのは今ではこれ

れるけれど。さっき言ったように、無脊椎動

は常識。遺伝病の原因遺伝子って言うと、大

物と脊椎動物の差は僅かなものだから、生命

抵ハエの何とか遺伝子のホモログとかって書

の基本の研究には使える。そういうのがわれ

いてあります。ハエが一番よくわかっていま

われの主張でしたね。それでも、だんだん認

すから、人の遺伝病が見つかると、その遺伝

められるようにはなって、今では当たり前の

子をハエで研究すれば、その遺伝子のいろん

話なのですが。

な性質がわかる。これは今ではみんながやっ ていることです。ショウジョウバエは「分子 →個体→集団」つまり分化から進化まで研究

研究を広げる、研究が広がる

できるという利点があるのです。最近はマウ

さて日本に帰ろうと思ったら、どこにも就

スもハエと同じぐらいの能率で研究ができる

職口がない。医学部出身だから、医学部でどっ

ようになってきた。お金はかかりますけど、

か雇ってくれないかなと思ったけど、ハエの

マウスも重要です。

脳の研究できる医学部はないですよとかと言

「生命現象の複雑さは、われわれが無知で

われてね、医学部には行き場所がない。アメ

あるために、一見そう見えるだけである」「発

リカだと自分の研究を面白いと思ってくれる

生現象は遺伝子の‘展開(Development)’

大学はあったので、ずっと永住しようかなと

で あ る 」 こ れ が1917年 のThomas Hunt

も思って、ジョブトークなんかもいろいろ受

Morganの 教 科 書“Physical Basis of

けてみたりしていました。でもたまたま東大

Heredity”に書いてあるんです。1917年で

の理学部物理学教室で生物物理を充実させる

すよ。モルガンっていうのは、もともとは発

ということになり、生物も物理もわかる人を

生学の有名な教授だったんですが、1903年

採るというので応募したら、間違えて採用さ

のメンデルの法則の再発見に触発されてショ

れました。

ウジョウバエの遺伝学を始めた人です。彼は、

それで日本へ帰ってくることになって、こ

ショウジョウバエでまずメンデルの法則の確

れはものすごいラッキーだったと思って、物

認から始めて、多数の突然変異遺伝子が染色

理教室には本当に感謝しています。僕は最終 9


講義のときに言ったんですよね。物理教室は

遺伝子導入と言います。遺伝子導入をして発

大変すばらしいことをしたと。誤った論理に

現させる。これは大変なことです。自分がデ

基づいて正しい結論を出した、なんてね。み

ザインした遺伝子が自由に発現させられる。

んな一瞬シーンとなって、あとドーっと笑い

これをやらなかったら、もう世界に遅れてし

ましたけどね。誰もわかってなかったはずだ

まうと考えました。そこで、僕は何かできる

と思うんですよ。ショウジョウバエの重要性

方法ないでしょうかって物理の先生に聞いた

とか僕の仕事も多分わかっている人はいな

んだけど、物理の先生から「そういう実験は

かった。だけれど、採ってくれたのです。今

大体怖いですよ」とか言われてね。しょうが

日は話しませんけど、「運命予定図法」とい

ないから生物物理実験施設という案をでっち

う確率論と統計推理を応用した突然変異診断

上げて、文部省に提案を出したら、ある総長

学を開発したんですが、それを面白いと思っ

補佐が僕を呼び出して「堀田さん、生物物理

てくれた人がいたらしいです。でも、それは

施設なんて絶対通りませんよ。遺伝子実験施

解析する技術であって、実際にはハエを飼っ

設って言いなさい」って智慧を授けてくれた

て突然変異を取るっていう話ですから、「臭

んです。それで、わが国最初の遺伝子実験施

い」ってみんなに言われて散々苦労しました。

設っていうのができたのです。で、それを言っ

それでもいい学生がたくさん興味を持って来

てくれたのが西島さんといって、素粒子の有

てくれるんですよね。優秀な学生が集まって

名な西島・ゲルマンの法則の西島さんです。

きます。物理は1学年に数名すごい、これは

あの人にそんな世俗的な智慧があったなんて

秀才だ、よくできるなっていう学生がいるん

驚きですね。それでそこで分子の実験もして、

ですよね。先生より良くできるかもというの

新しい時代に突入しました。ただ分子生物学

がいて、まあもちろんそういう人たちは生物

の時代になって、正直言って面白くなくなっ

物理には来ないですけれども。でも、優秀で

た。これはもうただの競争。1日でも早く論

好奇心旺盛な学生で生物面白いと思う人を何

文を出したほうが勝ちで、負けたらゼロに近

人も生物に転向させました(笑)。大学共同

いのです。結果は同じでも。

利用機関にもたくさん僕の学生たちが教授や 准教授などになっています。

10

分子の時代になったら、さっきみたいない ろいろ牧歌的な面白いことはなくて、もう結

その間に何が起こったかって言うと、さっ

論ただ一つ。それ出されちゃったら終わりと

きの話じゃないですが、技術の革新が起こっ

いうので、何度も苦杯をなめました。そうい

ちゃったのですよ。分子です。分子遺伝学は、

う時代ですから、あくせくと働くというだけ

それまではファージや大腸菌が対象だったけ

で、分子の時代の思い出ってそんなに楽しく

れど、高等動物の遺伝子もクローニング(単

はないです。いくつか重要なペーパーは書き

離)できるようになった。はじめのうちは、

ましたけれども。でも、分子がそういうふう

僕はばかにしていた。クローニングしたって、

に使えるようになるってことは大学院時代に

ただ塩基配列がわかるだけ、それだけでは何

は想像もできなかった。たかだか20年ほど

もならないじゃないと思っていたら、そのク

の話ですよね。ですから10年という単位で

ローニングしたDNAを操作して染色体に組み

はやっぱり新しい技術が出てきて革新が起こ

込めますってことになったわけですね。これ

る。そうすると今までやっていた、例えば自


分の先生のやっているようなことは、もう時

的な変化が起こっているものだから、それが

代遅れだというふうになるのですよ。そのと

全部みんな見えてしまう。で、そうすると何

き生き残れるかっていうことなんですよね。

が何だかわからない。当時、 『見えすぎちゃっ

僕はそのとき助教授だったと思いますけど、

てこま~るの』という○○アンテナのテレビ

必死でそれは生き残るために遺伝子実験ので

コマーシャルが流れて、本当にそうだと思い

きる環境づくりに賭けた。でも生き残っても

ました。

世界に勝てるかって言われたら、なかなか世

でも、現在ではそれはもう一度リバイバル

界に勝つっていうところまでやるのは、物理

して、これがプロテオームってやつですよ。

学科の半講座の研究室ではなかなか難しかっ

今のプロテオームってまさにそうでしょう。

た。もうアメリカでは圧倒的な数の研究者が

プロテオームすごい、ゲノムすごいっていう

この分野に流れ込んできていて、極端に進ん

けど、実は何もわからずとにかくいろんな変

でいますから、歩兵が戦車と競争する様なも

化が出るっていうようなことが見えるってい

のでした。

うのが、まず最初ですよね。そこに意味づけ

だから独自のアイデアとかいろんなことで

するっていうところには、実はさっきの医者

交えて、ある場面では勝つということがで

の難しさと同じぐらいの難しさがある。本当

きるって程度しかできない。そういうこと

にこれが原因でこれが結果だっていうこと

が、まあ10年っていう単位では起こる。そ

を、きちんと全部詰められるかって言うと、

のときに素早く対応できるかどうかっていう

大抵そうなっていないです。多分この状況は

のは、実はその前の蓄積で決まるんだと思い

まだ当分続くでしょう。

ます。これは大変大事なことで、さっき誰か

そ う い う 時 代 に な っ て 僕 が 思 っ た の は、

が非常に嫌なことでもやらなきゃいかんって

昔、計算機が大事だと先輩に言われた言葉で

いう話がありましたよね。僕も嫌なことでも

す。僕は70年代にそれを思い出して、ちょ

やんなきゃいかん時期っていうのはあると思

うどマイコンっていうのが出てきたんですよ

う。でもその時点ではそれが何の役に立つの

ね。小さなチップのCPU(注:プロセサ)が

か、成功するのかわからない。

出て。それコンピュータに組み立てるキット

僕の場合、その前にやっていたタンパクの

が出た。1977年頃です。で、僕は作りまし

二次元電気泳動法が分子に進むのに役に立ち

たよ。で、1年間夢中になって。当時、プロ

ました。タンパク質を二次元電気泳動して展

グラミング言語(注:高水準言語/COBOL、

開して、まるごと一つの個体から1000個ぐ

BASIC、Pascal、C、C++、Java、C#な

らいの蛋白を一度に同定する方法をオファー

ど)ってのは、ほとんどないわけで、アセン

レルっていう人が発表した。1975年だった

ブラ(注:低水準言語/0,1の羅列で表された

かな。そこで、私は突然変異でそのタンパク

機械語を人間が読み易い形で表現したプログ

1個変わるってことが見えたらいいじゃない

ラミング言語)なんです。ところがこのアセ

かと思って実験しました。でも結果的には大

ンブラが僕にぴったりなの。やっているとも

した論文はでなかった。なぜかというと、突

う夢中になって、本当に面白い。やりだした

然変異になると、実は最初は1個の変化なの

ら周りが全部見えなくなっちゃって、夜中に

だろうけども、その結果としていろんな二次

なってもわからない。終電も乗り遅れる。気 11


がつくと明くる朝。

たわけで、本当に考えて計画してやったかっ

コンピュータの中のCPUの中身とか今のみ

て言われると、決してそうでもないんですけ

んなはほとんど知らないと思いますけど、レ

れど。でも、あとから考えると結局首尾一貫

ジスタ(注:CPU内の記憶装置)っていうの

していて役に立った。

があって、そういうとこにいろんな数字を入

例えば、医学を習って、臨床医学って科学

れて、どこのフラグ(注:CPUの状態などを

になっていないと思ったけれど、実はハエの

ビット単位で表したもの)を立てると何がど

突然変異を研究するって、これまさに医学で

こに出力されるという風に回路が組んである

すよね。ハエの遺伝病の診断学です。このハ

ので、それを全部考えながら暗算的にプログ

エどこがおかしいのか。そのあとのモザイク

ラムしていくんですよ。そろばんの暗算のよ

解析とかそういうのをやったのも、実はどこ

うにCPUの中の動きを脳内に再現する。これ

が悪いの、どうやって決めるの。一見して足

が僕にはぴったりで、世が世ならビル・ゲイ

が麻痺していたら、じゃあ足が悪いのか。そ

ツだったかも。ちょうどあの頃なんですよね。

うじゃない、神経が悪いのかもしれませんね。

今から考えると自分でOSを組んでいたんです

目が見えない。目が悪いか、脳が悪いかもし

ね。小さいプログラムをいっぱい作ると、そ

れない。そういうのを、じゃあどうやって分け

れが同時に、連携して動かなきゃいけないか

るのって。そういうセンスっていうのは、やっ

ら、それを統一的に動かすためのプログラム

ぱり医学部のセンス。で、コンピュータです

を作るというのをやって…。

よね。だから何一つ無駄なことはなかった。

でもそのうちに頭がおかしくなっちゃっ た。このままだと俺は気が狂うなと思いまし た。1年半ぐらい何の仕事もできない。科研

12

研究キャリアを振り返って

費のお金でコンピュータの材料を買っていた

定年が近くなっても少しは研究に近いとこ

んです。ですからこれはまずいなと思ってや

ろにいたいと思ったのと、そこに僕の学生

めました。やめましたけれど、そのときの経

だった人が教授でいたりしたので、遺伝研で

験っていうのは、じゃあ無駄だったかってい

自分自身の研究も少しずつ続けながら所長を

うと、決してそうではなくて、今でも実はコ

やりました。そうしていたら、国立大学や大

ンピュータのハードについて、僕はかなりよ

学共同利用機関の法人化ということになっ

くわかっています。だから遺伝研のあと、情

て、とうとう法人の機構長にされてしまった。

報システム研究機構なんてつくって、情報研

でも研究は潮時かなと思っていた時でもあっ

の人なんかとも一緒にいろいろやったわけで

たので、機構長になりました。

すけれど、彼らの言うこともある程度はわか

当時は、法人化でどういう組み合わせで研

ります。情報処理の問題も結局はコンピュー

究所をまとめるかっていうのは、非常に深刻

タのことを理解していることが大切です。一

な問題だったんですね。大議論をしました。

部の人を除いて、大部分の人はコンピュータ

今後は情報が大事。実際に、今、ビッグデー

の中身わかっていませんからね。そういう話

タとか何とかって大騒ぎしていますけれど。

になったらこっちの方が強い。だからやった

遺伝学っていうのは、結局情報ですからね。

ことに無駄はなかった。破茶滅茶でやって来

また、遺伝学っていうのは考え方が物理学に


近い。結局、論理なのです。メンデルの法則 は有名ですが、法則って名のつくものは生物 にはあまりないです。メンデルの法則だけは 普遍法則です。だから、私が医学から物理に 行って、遺伝子に行って、情報に行ってとい うのは、これは全部論理としてはつながって いたんです。後づけですよ、後づけだけれど もつながっていたんで、結果的にはそういう ふうに無意識に考えてきたのかなあと、後か らは思いました。 ただ、その場その場ではなかなか自分です べてをコントロールして、自分の運命決めら れませんから、いろいろ難しい。今日のお話 も成功した道筋であって、その間に試行錯誤 して失敗したことを十分に話せていません。 でも失敗の話をはじめると数十倍の時間が必 要です。結論として、いろいろなことをやっ て失敗したことも損なことにはなっていな い。やっぱり、自分の直接のテーマに閉じこ もらないで広く周辺を見て、そこも勉強して やっていくと、必ずそういうものが将来、何 かの革命が起こったときに、自分にはできる けど、周りの人にはできないことっていうの が出てきて、それで生き延びていく。何かそ んなふうにしていくのがいいんじゃないです かというのが、私のメッセージです。

13


質疑

応答 Q.任期付の職が多いせいか、余裕が無く なってきていると感じています。10年後 に必要なことより目先のことばかりになっ てしまうのですが、どうやってバランスを とったらよいでしょうか。

は、僕は先生に言われたことが印象に残って いて実行したけれども、われわれの頃だって、 みんながやっていたわけでもないですよ、そ れは。

堀田: 今の人たちは本当に気の毒だと思いま

それから自分の将来を決めるときに、例え

すよ。僕らの頃よりもはるかに早く結果を出

ば、大学院入るときどこに入るか、大問題で

さないといけないという立場にいる人が多い

すよね。学部のときは別に色つかないけど、

ですよね。それは深刻な問題だ。これは何も

大学院入ったらやっぱり色つきますよね。あ

ポスドクだけじゃなくて、教授たちでもそう

る意味で自分の将来を狭めるというものです

ですよ。お金取ってきて、報告書を数年後に

から。そのときにどれだけ調べてやるかとい

書かなくちゃなんない。そのためには、その

うことは、実は非常に重要になります。まあ

お金で雇ったポスドクはその仕事をしてくれ

実際調べないでボーっと入っちゃった人いた

なきゃ困るわけ。だからその仕事をさせるで

らごめんなさい(笑)。

しょ。みんな全部そういうふうにしたら他の

僕は、だから基礎の研究室は全部回って、

ことに視野を広げる余裕がなくなってしまう

1カ月ぐらいずつ回って、それで、僕が見た

のは事実です。それは非常に残念なことだけ

のは先生の性格。中身ももちろん大事ですよ。

ど、嘆いても改善はしないので、やっぱり努

でも研究の中身は、その先生がやっているこ

力で、その時間っていうのを生み出していく

となんて、その先そんなに続くわけでもない

より仕方がないと思いますね。

と正直思っていたから。自分が何をするかだ

程度の差はあるけど、僕が言ったように一 14

生懸命勉強して過去のことに学ぶということ

から、自分が自由にやらせてくれそうかとか


は大事。それから周りが優秀でないといけな

れはだめかもしれないですよ。だから、それ

い。周りが優秀であると、自分も伸びるので

はいろいろ難しいです。だけど、よく教えて

すよ。だからやっぱり優秀な人たちの中に自

くれる先輩とか同輩がいるっていうことは非

分を置くってことが大切です。それは大学や

常に重要であるし、人間関係がうまくいって

研究所の人事でも同じなのです。研究所でも

いるってことは重要。そういうことをよく考

大学でも。怖いと思う人を呼ばなきゃいかん

えてものを探すということ大切ですよね。

のです。自分に都合のいい人をみんな呼びた がるわけですよ、それはだめなんです。それ では組織がズルズルと悪くなっていく。あの 人が来たら自分は下手したら追い出されると

Q.いろいろ専門分野を変えられたと思う のですけど、何か抵抗とかっていうのはあ りましたか。

いうぐらいの緊張するような人材を隣に置く

堀田: 僕はね、専門分野を変えたつもりはな

ということが大切。そういう雰囲気とか、そ

いのです。だって医学部入っても別に医者に

ういうのを全部見て自分の将来を託すべきで

なろうと思ってないわけですからね。だから、

す。もっとも、僕は東大以外のとこはあんま

ぼんやり基礎医学って考えたときには、基礎

り見るっていう努力は十分ではなかったです

医学一般ですから、それは何でもいいんです

ね。あれで本当によかったのかな、もっと良

よ。でも、とにかくきちんと論理的にものが

い生き方があったんじゃないかなって今でも

考えられて、ちゃんと実験したら、一つの結

思っています。

論が出るっていうような、そういうことをや

今度は、自分が先生になってから。堀田研

りたいと。

に入りたいって言ってくる大学院生で本当に

それがだんだん狭まっていって、さっきの

そうやってあらゆる場所を調べてきた人って

ようなことで脳が面白いと思ったの。その先

いうのは、ほんの数名しかいません。ほかの

はどこへ、どの人の弟子になるかってことで、

人はただ何となく入ってきたとかね。また理

そのときは、さっきちらっと言いましたけど、

学部はそういう人が多いんですよね(笑)。

脳の研究者の直接の弟子にはならなかったの

理学部の人って大体素直なんです。一生懸命

ですよ。でも、僕は正直言って、それは正し

勉強するんですよ。勉強してよくできる人っ

かったと思っていますけどね。江橋先生は、

ていうのは大学にいるわけで、その人たちは

全く自由にやらしてくれそうな気がしました

素直に面白いと思って入ってくると。それだ

ね。実はそうでもなかった。僕は自由にさせ

けなのね。今、面白いっていうことと、将来

てもらえてかなり優遇してもらったと思って

どうかっていうことは違いますからね。そこ

いますけど、もしかすると見放されていたの

までいろいろ考えるとか、あるいはそのラボ

かもしれない。僕は江橋先生との共著論文っ

に入ったら人間関係はどうかとか、そんなこ

て1通もないんです。指導教官と共著論文な

とまで考えて入ってくる人も実はいる、い

い大学院生っていうのは珍しいですね。でも

た。いたけれども、それは少数です。でもそ

大学院生の時にメジャーな雑誌にいくつか論

れはやっぱりやらなくちゃいけない。もっと

文を出しました。その頃そんなすごいことだ

も、あんまり向こうが優秀でも、飛び抜けて

なんて思いもしなかったので、結果が出たの

天才だけいるところに自分が入ったって、そ

で先生に言ったら『ネイチャー』に投稿して 15


みたらと言われて、出したら通ってしまった。

出しました。だから脳には関係ないですよ。

だから論文リストって書くと、最初のとこに

別に初めから脳なんかやる必要はない。その

立派なジャーナルが並ぶんです。

前に相当の修行が必要だ。ただ、いくら電極

学生: その『ネイチャー』の論文っていうの

を刺していてもだめだ。1個の細胞、数個の

も脳に関係した論文なんですか。

細胞を見ていたのではだめなので、やっぱり

堀田: 平滑筋の薬理と電気生理ですね。筋肉

全体を別の切り口で切るっていう方法が必要

の専門家の江橋先生に「私、脳のことをやり

だって思ったときに、その一つとして遺伝

たいんです」って言ったら、しばらく考えて

学っていうアイデアがボンヤリと浮かんだん

「脳の研究には電気生理が大切だね」っておっ

です。それを考えて研究していた人は、世界

しゃったのです。「電気生理のトレーニング

でもほとんどいなかった。そういう中から、

したまえ。そのためには一番難しい材料でや

ベンザーのショウジョウバエと、もう一つは

るといいね」って言われたんです。「何です

ブレンナーの線虫。この二つが大きな成果に

か」って言ったら「平滑筋」って。平滑筋っ

結びつくという結果になった。

て直径数ミクロンの細胞ですから、そこに電 極を刺すっていうのは極めて難しくて、世界 でも数人しかいなかったのです。九州大学に

16

Q.先生はどんな行動をしている学生は優 秀だなと思いますか。

それをできる先生がいて、そこへ1カ月ほど

堀田: まあ優秀にもいろんな優秀さがあると

習いにいって、それで、その技術とほかのこ

は思うけど、僕が優秀だと思うのは、やっぱ

とも組み合わせて、論文を書いたのです。だ

り好奇心の強さですね。何でも、面白いもの

から、例えば腸管の平滑筋はカルシウムスパ

は面白いと思うこと。

イクだというも、われわれの発見なんですよ。

学生: でもいろんなことを、全部できるわけ

その当時はナトリウムチャンネル、ナトリ

じゃなくて。専門ってやっぱり大事というこ

ウムが大事。これ神経がそうなんですけれ

とで、絞っていかなくてはいけないけれど、

ども、平滑筋はカルシウムだったんですよ

自分で絞ることも難しいですよね。

ね。最初、それ見つけたのは学生実験でテト

堀田: そうですね。全くそのとおりですよ。

ロドトキシンっていうフグ毒を腸管にかけた

好奇心の強い人は「物理学」を志す人の中に

んだけど、いくら濃いテトロドトキシンをか

何人もいます。でも、ある意味で、本当に優

けても腸管は縮んだり伸びたりする。あれっ

秀なそういう人たちが、例えば素粒子論研究

て、縮んだり伸びたりする時には活動電位が

に行くわけですよ。でも正直言って、素粒子

出ている。活動電位、ナトリウムじゃないん

論で本当に大きな成果を上げる人っていうの

だっていうことになって、カルシウム濃度を

は、ごく少数の人たちですね。物理教室では

下げていくと消える。カルシウムの代わりに

大学院の入試を見ていると、よくできる人は

ストロンチウムを入れるとちゃんと出る。ス

素粒子とかって行くわけですよ。何か本当に

トロンチウムの代わりにバリウム入れると出

ものごとの究極を極めたいと思うんでしょう

る(だけど筋収縮はおきない)とかね。まあ、

ね。そっちへ絞りこむというのは、決断です

そういうようなことをやっていました。そん

けれど、でもそこでの成功率っていうのは高

な仕事と薬理と絡めたようないくつか論文を

くない。あれだけの才能があったら、新しい


生物学をやったら、もっといろんなことがや

は江橋先生に散々言われたんで、いや、先生、

れたんじゃないかと思ってしまいます。

それでは足りませんと。『運・根・鈍・貧』っ

ノーベル賞に輝いた小柴さんなどは、自分

ていうんです。ひん、貧しい。ある程度貧し

は優秀でなかったって本を書いている。僕は

くなくちゃいけない。極貧はだめよ。明日の

その書評を書いて彼に送ってあげたけど、こ

めしが食えないっていうのはだめだけれど、

れが傑作なのでご紹介しておきます。「研究

貧が大事で、お金があって裕福だったら、何

者として成功するためには優秀であること

でそんな苦労をしますかって。だから、『運・

は、必要でも十分でもない。優秀であること

根・鈍・貧』が大事だと。

が十分だったら優秀な人はみんなノーベル賞

『運・根・鈍・貧』全部やりました、だめで

もらうはずだが、そうはならない。で、優秀

したって人も、いっぱいいるかもしれないか

でない人でもノーベル賞をもらうのだから、

ら、保証はありませんけれども、でもやっぱ

必要でも十分でもない。」それだけ書いて、

り運は非常に大事で、だって僕は医学部入っ

小柴さんに送ったんだけど、返事は来なかっ

たのだって運ですよね。その先輩に計算機が

た(笑)。

大事だって言われて、ああ、そうか、生物は

学生: それでは何が必要だと考えられますか。

いらないんだなと思った。その先輩とは、後

堀田: 一つは運ですよ。やっぱり運。小柴さ

になって何かの会で会ったら、「堀田さんは

んの停年直前の超新星爆発という花火は典型

いいねえ、僕は早すぎたよ」と言われて、返

ですよ。あの花火が上がんなかったらどう

す言葉なかったですよ。やっぱりその人は早

なっていたか(笑)。できっこないことに大

すぎた。

金をかけて、浜松ホトニクスをだましてさ。

だから、やっぱり時代の要請と自分の才能

浜ホトだってつぶれたかもしれないです。で

との、タイミングとマッチングが重要です。

すから、一つは運。もっとも、小柴さんは運

いくら有能な人でも、年を取っちゃってから

が良いというけれど、ニュートリノは全員の

時代が追いついてきたんでは、そこには入れ

上に降ってきたんですよね。だからよく言う

ない。僕が分子にギリギリ乗り遅れないって

のは『運・根・鈍』っていうじゃないですか。

いうのも、やっぱりそれは必死だったですよ。

やっぱりそれは正しいと思いますね。根性み

だって、下手すりゃ落伍者だ。もうちょっと

たいな、必死で、だめなように見えても頑張

年を取っていたら、分野を変えるのは難しい

るっていう準備が必要で、そこに運が向くと

ですからね。だから若いってことは必要だし、

大成功となる。「鈍」っていうのはやっぱり

そこについてきてくれる若い研究者がいるこ

あんまり鋭利なのはだめです。何でもわかっ

とが重要ですね。若い頃にいろいろなことを

ちゃうっていう人は先が見えちゃうから、ど

試してみるっていうのが大事だと思います。

うせやってもだめだってわかっちゃうんです

『運・根・鈍・貧』。あとは頑張るっきゃな

よ。どうせ、99%はやってもだめなことばっ

い。どうせ人生初舞台なんですよ、皆さん。

かりなんです、世の中。だめなことの中に1%

誰でも初舞台。練習なしの初舞台なんですか

の確率で成功があるかもしれないってとこに

ら、それはもうやるっきゃない。それはもち

賭けるわけだから、『運・根・鈍』って。

ろん失敗、成功にもいろんな程度があるし、

僕 は も う 一 つ 足 す ん で す。『 運・ 根・ 鈍 』

失敗にもいろんな程度があるけども、やっぱ 17


り『運・根・鈍・貧』で頑張っていれば何か はあると。大成功、ノーベル賞もらえました なんてのは、それはやっぱり運。運とかいろ んなことが全部そろわなきゃいけない。でも そんなことまで別に考えることはない。何と か賞もらえましたなんてことは、生きる価値 に比べれば小さいことなのです。 まあ、頑張ってやっていれば、そこそこ楽 しい。サイエンティストっていうのはやっぱ り自由で自分のやりたいことをやるっていう ことでしょうか。それも限界があっていろん な環境や条件が必要ですから、簡単には言え ないけども。手持ちのものを最大限に活用し て頑張るよりしょうがないじゃないですか。

18


明るく元気な統計人生

西山 陽一

統計科学専攻/准教授 

恥ずかしい話から始めます。

なるなんて、あながち無駄じゃなかったと思 います。

どうもご紹介ありがとうございます。統計

実は僕、関西の出身なんですけど、関西の

科学専攻の西山陽一と申します。本日はこの

超有名進学塾で教えていました。大きな塾な

ような晴れがましい機会をいただきまして、

ので、1学年20ランクぐらい細かくクラス分

大変嬉しく張り切っております。僕は学融合

けがあって、トップのほうのやつは灘高とか

推進センターのとある委員をやらせていただ

目指すんですけども、僕はわざと下のほうの

いた時、会議の場で、何かのはずみでポロリ

クラスを担当させてもらうのが好きで(笑)。

と、院生時代にバイトで塾の先生をしていて、

下のクラスの子らに、因数分解を教えてたり

僕、授業に自信ありますと言ってしまったん

していました。実は因数分解は、中3に教え

ですね(笑)。だからこの場にも呼ばれたの

たらいかんのですけど、その子らが因数分解

かな?

できるようになるっていうのを見るのが快感

その後、他の先生から「大学の教員とその

やったんです(笑)。

塾の、一緒にされちゃ困る」みたいなこと言

その塾では、生徒のアンケートで時給が決

われまして、口が滑ったなと思ったんですけ

まるんです。アンケートが60ポイントを切

ど、こういう場に呼んでもらえるきっかけに

るとそのクラスをクビになるんです。60ポ 19


イント以上やとクビがつながって、その60

学関係はほとんど全部、可でした(笑)。だ

ポイント以上でその次の2カ月の時給が決ま

けど幾何学だけは、ちょっと分かるような気

るんです。僕は、大学2年生からこのバイト

がして、その授業だけはちゃんと出て、前の

を始めたんですけど、最初のほうはクラスを

ほうの席取って、ノート取って聞いてたんで

潰しまくりで、アンケートのたびに「嫌な先

すね。期末試験受けても、手ごたえよかった。

生」みたいに書かれて、クラスをクビになっ

これ、まあひょっとすると優は無理にしても、

ていたんです。それが悔しくて、人気講師と

良は取れたかなと思ったんですね。ところが

される先輩の講義を見に行ったんですね。そ

返ってきた答案の点数が32点で、その欄外

こでいろいろ技を盗んだんですね。だんだ

に、「確かに数学を自分流に考えることは大

ん最後のほうは人気講師になれたんですが、

切です。ただそれだけでは論理性が、弱くなっ

ちょっと自慢でした(笑)。

てしまい」って書いてあったのを先生一度消

そういうわけで、いきなり恥ずかしい話か

して、「なくなってしまい」と書き直されて、

ら始まってるんですけど、今日はそういう恥

「今は基本が大事です」と書いてありました。

ずかしい話をしたいと思います。僕の人生は

数学がだんだんわかるようになってきたの

波瀾万丈の人生だったと、自分自身で勝手に

は大学院に入ってからです。統計学の研究の

酔いしれています。僕の研究所のモットーは

ためにというモチベーションをもって数学を

明るく元気な論文を書くということです。 「明

復習するうちに、抽象的な議論がだんだん理

るく元気な統計の定理、数学の定理なんてあ

解できるようになってきました。ただ修士の

るんか」って言われるんですけど、 あるんです。

ときの成績が良かったかっていうと、そんな んではなくって、修論の成績証明書、これは

成績は良くはなかった学生時代 僕は地方の姫路なんですけど、高1の夏休

開けたらあかんのですが、開けたんですけど、 修論は良でした。修論なんて全員、優もらえ るんかと思ってたんですけど(笑)。

み以降は、授業を全然聞かずに、独学で数学 や物理の先取り学習をやっていました。困っ たことに文部省指定の教科書を読まずに、市

20

最近の活躍を紹介します。

販の矢野健太郎先生の『解法のテクニック』っ

D1の終わりで、今ではあり得ないことで

ていうのを読んで、記号の定義を想像しなが

すけど、統数研の助手に何故か就職できたの

ら、強引に前のめりにバタバタ問題を解いて

で大学は中退しました。1996年の6月から

いくという珍妙で危なっかしい勉強スタイル

2年間、ユトレヒト大学に学振の海外特別研

を身に付けた結果、東大理1に不合格(笑)。

究員として行きまして、1998年の5月25日

そこで大阪大学の数学科に行きました。阪

に博士号取得しました。スーパーバイザーは

大 理 学 部 数 学 科 で、 成 績 は 多 分 で す け ど、

Richard D. Gill先生っていいまして、マルチ

50名中20番くらいやったかなと思ってま

ンゲール理論っていう数学の理論の中にコッ

す。とにかく成績があまりいいほうじゃあり

クスリグレッション(Cox regression)っ

ませんでした。ちなみに僕は、大学1年のと

ていう手法があるんですけど、それが数学的

きの微積の単位だけは優でしたけど、あと数

に正しいということを証明して一躍有名人に


なった方です。その先生は32歳ぐらいの時

Chapman & Hallのエディターが聞いてたん

の論文で超有名人になって、日本でもその業

でしょう。僕にいきなりメールよこしてきた

績は色んな場所で活用されています。オラン

んですね。「本、書きませんか」と。僕は「一

ダから帰る機内で、もし万が一結婚できたら、

応日本語で本、書きました。研究だけじゃな

オランダにちなんで娘には蘭と名付けようと

く教育の部分も組み込んだ本を書きたい」っ

心に誓いました(笑)。僕、女の子が欲しかっ

て言ったら、「それでいいですから、書いて

たから、男の名前は考えませんでした(笑)。

ください」っていうことになって、去年の9

2011年度より早稲田大学の3年生向けの 非常勤講師をしていますが、人気講師です

月に書いてもええよっていう合意に達して、 今、書いてるというところです。

(笑)。自慢してます。今、3回やっているん ですが、登録受講者数は26、40、79と増 えています。最初の頃は、出席点を加味した りして色々複雑なシステムにしたんですが、

半人前の研究者 自己紹介はこれまでにして、研究者になる

色々あって試験100%にしたら、受講者が

か、しゃべらないとだめですね。勉強と研究

ドンッて増えたんですね。2年目のときに僕

の違い。勉強はインプットであり、研究はア

の講義聞いてくれてた早稲田のエースの学生

ウトプットです。全然別物です。区別してく

が、総研大の統計科学専攻に来てくれて、僕

ださい。問題を解く能力と、問題を作る能

の院生になってくれてるんですけど、彼に「何

力は全く別物です。違います。前者は努力

で増えたんやろうな」って聞いたら、「それ

で、何とかなります。後者は要するに才能の

はシステムが試験100%になったからじゃな

問題です。残酷なようですけど…。でも片っ

いでしょうか。だから、フェアにやってくれ

ぽだけでもだめなんです。いや、作る能力だ

るのはうれしい。出席点なんか、そんなせこ

けあってもその問題を解けんかったら、人に

いのは嫌い」ということらしいです。あと、

パスを渡してばっかりみたいなってしまいま

僕の講義が自分なりにうまいこといってるな

す。やっぱり自分で蹴る能力も必要だし、ゴー

と思った週は、最後まで一人も帰らへんかっ

ル決める能力も必要なんです。ゴール決める

たですが、ああ今日ちょっと、出来悪いなっ

能力と、いいパスを出す能力。両方あったら、

て思ったら、最後のほうで5人、7人ぞろぞ

一番いいプレイヤーなわけですね。だから努

ろと帰っていくんです。まあ学生は正直です

力しつつ才能があることを信じることが大切

ね。いや、なかなか面白いです。だからやる

です。才能があることを信じるには、楽観的

気で燃えてます。

になったり野心的になったりするのがいいで

後、日本語で本、書きました。買ってくだ

す。広中平祐先生が、素心深考ということを

さい。皆さんが買ってくださいますと、1冊

強調されてます。解けそうやと思ったときに、

買ってくださいますと、僕に288円転がりこ

必要以上にそれにこだわりすぎると、そっか

んできます。また、英語で本、書いてます。

ら先、行き詰まることがあるんで、時には最

何でこういう話が転がりこんできたかと言い

初に戻って考えるのが大事だっていう話が、

ますと、1年前に筑波で国際シンポがあった

広中先生の本に書いてあります。興味があっ

んで、そこで発表したんですね。そうしたら、

たら読んでください。 21


最初の就職はぶっちゃけ言って、推薦して くださった先生の人脈パワーのおかげだった と思います。僕のところに受験生で来られた

22

苦労続きのオランダ滞在 そんな時、学振の海外特別研究員に応募し

方が、いきなり僕に「ここ、工学系ですか、

まして、受かりました。僕の八つ年上に、東

理学系ですか」って聞かれたんです。工学系

大の吉田朋広先生っていう先生が、当時、統

というのは、先生が就職まで面倒見るらしい

数研の助教授としていらっしゃいました。そ

んです。理学系、特に数学系は放っておく、

の先生が、7カ月間、パリに在外研究で行か

推薦状も一応書くけども、それ以上のことは

れたんですね。その先輩がなかなか為になっ

しない。 「私のために世話してくれるんでしょ

たと言って帰って来られて、「西山君も研究

うか」っていきなり聞かれた気がして、僕も

行きなよ」と言ってくださったんです。

カチンと来て、彼に、「いや僕は、こういう

僕が行ったユトレヒトから電車で30分離

媚びたりせえへんタイプやったんで、先生と

れ た ア ム ス テ ル ダ ム に、Aad W. van der

は就職の話なんて一遍もしたことない!」っ

Vaartという若い、偉い、優秀な研究者がい

て言いました。実は一遍だけあります。修士

ました。機動戦士ガンダム知ってます?彼は

の入学のときに「君、研究者の希望ですか、

僕にとってのシャア・アズナブルみたいなも

一般企業の希望ですか」って聞かれて、「僕

んなんですね。僕より、ちょうど10個上の

は研究者の希望です」って答えると、 「ああ

年なんですけれども、彼が博士号を取って、

そう」って言われただけです。だから「自分

助手になって、いきなりアメリカに長期留学

の就職のことは自分で決めますんで、先生、

行ったんですね。これはきっとオランダ統計

口出さんといてくださいっていうような学生

学会の重鎮が、幹部候補生のエリート留学と

が好きです」っていうふうに言ったんです。

して意図的に送ったんだろうと、僕は勝手に

それで「ありがとうございました」と言って

思ってたんです。だけど、この2月にね、本

帰りましたけれども。

人に「あのときあなた、誰かに推薦されて行っ

実は、僕は先生の推薦状1本で就職させて

たんですか」って聞いたら、「んなわけない

もらったと思ってて、後ろめたさがあったん

やろ」って一喝されまして、彼は自覚を持っ

です。僕は論文0本で助手になったんです。

て、自分ですべてを決断して、準備して、自

それをすごく自分の中で負い目に思ってたん

力で世界に打って出て行ったと話してくれま

です。指導教員が一生懸命僕を推薦してくれ

した。みんな自分で切り開いているんです。

たらしいんです。入所した当時の直属のボス

ところで、ユトレヒトでは英語でへこみま

が4月の給料日に「西山君、初任給はご満足

した。数学の研究を英語で考えようとして、

いただけましたでしょうか?」って、聞いて

頭おかしくなりそうになりました。まあ元か

きました。初任給21万やったんですが、思っ

らおかしかったんですけど。研究仲間から「西

たんは、この21万、稼ぎではない。僕が21

山さんは学会やセミナー発表のときだけ、関

万円分、働いたとはとても思えない。これは

西弁ですね」って言われることはありますけ

ローンのようなもんや、と。クビは切られま

れども、まあ僕が思うに本気の脳で(?)も

せんでしたけども、気分的には半人前と思っ

の考えるときはmother tongueが一番よろ

ていました。

しい。なので英語で考えるなんてもっての外


という言い訳です。僕はそう思います。例え

収穫です。たぶん望月先生は、寝食を忘れて、

ば、生粋のイギリス人の友人が、『Shall we

ぎりぎりのところまで研究してしまうんだと

have dinner together?』 っ て 聞 い て く れ

思います。まあ自慢になりますけど、僕も若

たので、僕は『I can eat anything! 』って

干のそういう気はありまして、僕、立川に勤

言ってもうたんですね。そうすると、 『Really?

めてて、家は三鷹なんですけど、時々、まあ

Can you eat even a car? 』って言われた

例えば御茶ノ水で気がつくんです。まあそれ、

んですね(笑)。で、これで思ったのは、やっ

大体、僕、帰る時間ってフローしてるんです。

ぱりどの言語にも崩し表現ってあるんです

よくあることです。それのものすごい版が望

ね。日本語で、俺、何でも食うぜって言う

月先生なんです。

じゃないですか。でも英語じゃ『I can eat

また、これちょっとシリアスな問題です

anything.』って言っちゃだめなんですよ。

が、僕にとって記念すべき第2論文ってのが

だから許される崩し表現とそうでない表現は

あって、これユトレヒトに行く直前に投稿し

言語に依存するので、mother tongueじゃ

た論文だったんですが、投稿して直後にある

ないものを勉強するというのは不可能と僕は

ミスに気づいたんです。そのミスはちょっと

思いました。で、そこで言ったんですね。 『My

すりゃ直せるミスやったんです。だからほっ

attitude to the language problem is to

といたら、レフリーが何か言ってくるだろう

keep“let it be”!』って言ったんですね。そ

から、それと一緒に直そうとほっといたんで

うすると、『In your case, you should go

すね。そうすると困ったことに半年後レフ

to school!』って言われ(笑)。ちなみにこ

リーレポートはすばらしい論文、直す必要な

れを言われたのは滞在2年目の後半のことで

し、このままでOKって来てしまって。これ

した。そういえば、2012年8月31日に、望

は人間的ミスなんですけど、僕は直さんと出

月新一先生っていう先生が、ABC予想とい

してもうたんです。理由はそれの続編がもう

う、これがあればフェルマー予想が屁でもな

できあがってて、その続編が存在するという

いみたいな予想を証明する500ページの論文

条件の元では、第2論文というのは存在価値

出されました。望月先生は、僕がユトレヒト

のない論文やったんです。だから今、出すし

に行っていた当時に1カ月間滞在されたんで

かないと思ったんです。黙って出してもうた

すね。その時も望月先生は、僕にとって神の

んです。でも、もうこのミスが自分の人生を

ような人でしたから一言も話しかけられませ

大きく変えてしまったんです。間違えた場合

んでした。でもサインもらっときゃよかった

に間違いましたと必ず言わないと人間のくず

と思いましたね。ちなみに望月先生は自分で

とみんなから罵られるのが数学者です。僕の

ウェブページを持たれてて、そのページ、新

ミスは数学的ミスは大したことはなかったん

着情報の一番上に望月新一の安否情報ってい

です。それを直さなあかんてわかってて直さ

うボタンがあるんです。で、それピッと押す

んかったという人間的ミスが重大やったんで

と、今、元気、何時何分元気にやってますっ

す。 そ の と き のAssociate Editorは、 吉 田

て出てくるんです。普通の人、あれジョーク

先生がパリに行ってたときのJacod先生なん

かなって思うでしょ。あれしゃれやないんで

です。2008年の4月に准教授になって、そ

す、というのがわかるようになったのが僕の

の前の2月にJacod先生に自白したんです。 23


あのとき私はあなたをだましましたと。すみ

使ったらあかんので、口で答えないかん。口

ませんでしたと言ったら、Jacod先生は、 「あ

でintegral of F from A to B of M言うてや

あ、すんません、私は私のジョブをうまいこ

るんですわね。まあわかるわけがないんです

とやらんかったみたいや、どうもすんません」

けど、どうせセレモニーだからいいんですけ

というお答えでした。で、現在の私は間違え

どね。

ますと言いまくったうえで、ここ直しゃええ よっと繰り返すお気楽な数学者です。 オランダの大学のPh.D. ディフェンスのシ

24

地獄のスランプの乗り越え方

ステム、結構ユニークで、審査員に必ず外人

帰国後、悪夢の7年間でした。はっきり言

を混ぜるんです。日本だと博士論文の内容を

えば6年間論文ゼロだったわけです。吉田先

こちらが説明しますよね。でもオランダでは、

生は共同研究という名目で事実上の再教育を

こっちの説明の時間ないんです。向こうから

してくださいました。で、隣の部屋の江口先

の質問の時間から始まるんです。つまり、向

生はとにかく明るく元気よくトークをしよう

こうは論文を読んできていて、完全に理解し

としてくれました。しかしなかなか僕はスラ

てきているという前提で始まるんです。その

ンプを抜けられませんでした。

際、質問の順番は、地理的に遠いほうから行

僕のスランプから抜けるきっかけは小さな

うんです。僕の場合、吉田先生に来てもうた

問題、小さな論文を軽視しない、と決めてか

んですけど、東京が一番遠いので、まず吉田

らです。小さな問題でも、それを解く過程で

先生。次、フランス、トゥールーズから来た

いろいろ勉強になります。小さな論文でも、

先生が質問して、次にパリから来た先生が質

書き上げるとやはり気分がよく次の意欲が湧

問して、という感じで地理的に遠い先生から

いてきます。今どきの世知辛いご時世では実

順番にしていき、答えるんです。簡単そうに

利を伴う俗っぽい部分は、質より量で決まる

見えると思いますけど、英語で40分間打た

ことも多くやむを得ないのですが、僕が言い

れなあかんのです。結構ハードでした。実際

たいことはそれ以上に、量を書いてるうちに

のところ、向こうの質問がわからなくて、 「も

力がついて、結局は質も向上するということ

う一遍言ってください」って言いまして。そ

です。研究の質の自己評価なんて、所詮は独

ういうのを連発しまして、終わったときに結

善にすぎないこともあり得るんです。大研究

局時間切れで最後の1人が質問できんかった

への過度のこだわりが傲慢につながるとそれ

んです。論文審査は40分でピシっと終わる

はよくない。で、最後、小さな論文でも愛し

んです。ペデールという宗教的な役割をした

てくれる読者がいるかもしれないんです。

おばちゃんがいまして、それが先頭に立って

という理由で小さな論文を軽視しな

きて、ドンドンドンと入って終わりを知らせ

い、 と 決 意 し て、『Journal of the Japan

るんです。ユトレヒト大学では博士論文審査

Statistical Society』にちっこい論文を投

時期が決まっておらず、日々やってるんです。

稿したら、小川研究奨励賞が最年長でもらえ

そして必ず博士論文公聴会用の歴史のある荘

たんです。投稿時点で39歳6カ月。で、これ

厳なホールの中で、被告人席みたいなところ

40歳までしかもらえないです。だから多分

に立たされてやるんです。しかも黒板とか

ね、もう、もっとぎりぎりまで頑張れる人が


現れない限り、歴史上最年長記録でしょう。

新婚旅行は共同研究者とか、お世話になっ

で、受賞スピーチで、こんなことを話しまし

た先生を訪ねるイタリアとオランダへの旅に

た。統数研という世界一恵まれた研究環境に

出ました。そしてライデン大学のファカル

ありながら、全く論文が書けない場合に、多

ティクラブでディナーを取らせてもうたんで

少なりともプライドを持った人間がいかに自

す。妻は、ライデン大学のファカルティクラ

己嫌悪に陥るかはちょっとご想像いただけれ

ブはパリのシャンゼリゼストリートのミシュ

ばおわかりになると思います。苦境に陥って

ランレストランよりもよっぽどええと。ミ

いた心の表面から母親のように支えてくだ

シュランは半年前に予約したら誰でも行ける

さった、これ秘書さんです、と言う話をその

と。ライデンのファカルティクラブはそう

場でしました。その後、現機構長の北川先生

いう旦那を持つ私にしか行けんということを

に懇親会で謝罪したんですね。「すんません、

言っていました。今年、蘭ちゃんと結都が誕

スピーチでああいうことを言ったのは統数研

生しました。結都はユトレヒトが由来です。

にとってご迷惑じゃなかったでしょうか、い

この字はサイエンティフィックキャピタルを

や、もうご迷惑だったと思います。7年で論

結ぶっていう意味もあります。

文ゼロはまずいですよね」って聞いたら、 「い

僕の今やってる仕事は修士の夏に作った数

やあ、まあ賞を取った人が言うのはいいんだ

学的予想です。この予想を初めて公言したの

よ。全然なしの人が言うのはだめだよ」といっ

は助手採用の面接のときでした。その時、統

てもらえました。

数研には赤池先生がいらっしゃって、僕の予

で、2010年にやっと結婚できました。小

想に関する話も聞いてくださったんです。入

川賞の副賞です。妻は僕の統計学会の会報に

所して8月にこの予想を定式化したわけです

僕が寄稿した受賞者の言葉という文章を読ん

が、部分的解決でちょっと間違ってたのが第

で、この男おもろいって思ったらしいんです

2論文で、第4論文がドクター論文の主たる

ね。で、共通の知り合いを探して、僕と知り

部分です。そこからスランプに陥ってしまい、

合いになろうとしたらしいんです。僕、何に

その後、この仕事以外のちっこい仕事をきっ

も知らされずに、知り合いから「あのー、西

かけに復活したんです。だからこの論文は

山さん、今度国立のおいしい野菜レストラン

ほっといたんです。

で、今度、ランチ一緒にしませんか。もし男

お題の一つ、挫折とその乗り越え方という

2人で嫌だったら女性1人いてもいい」って

テーマをもらっているので言っときますけ

聞かれたんです。これ僕、合コンやって思っ

ど、一旦諦める。いや、これに尽きる。一旦

たんです。「うちの研究所に男いますんで、

諦めて、ちっこい問題やって力ためてからも

ちょっと集めます」とかって言ったら、 「いや、

う一遍やる。もうそれぐらいしか言い様がな

今回は3人でいい」って言われて(笑)。実は

いですね。僕、もっと早くそれをやったらよ

妻側から仕組まれたことだったというのを聞

かったんですけど。でもそれに気づくには、

いたのはずーっと後で、結婚する直前でした。

やっぱり相当打ちのめされたほうがいいんで

僕は結構あとまでこいつにだまされてたんで

す。打ちのめされた分だけジャンプもできま

す。僕は、実は引っかけたつもりやったんで

すんで。それは広中先生も書いてるんです。

すが、引っかけられてたんです(笑)。

広中先生も、「僕、あほやし」とつぶやいて 25


乗り切った時期があるって本に書かれていま した。フィールズ賞を取った広中先生が、 「僕、 あほやし」ってつぶやいてたんです。広中先 生が1年頑張って取り組んだ問題の先を越さ れて、呆然とした時に「あ、僕、あほやし、 先やられたわ。しゃあないわ」それで諦めが ついたと言うんです。それで、乗り切ったと いうことらしいです。僕もある時期諦めたん です。諦めるっていうか、中断したんですね。 ほんまに諦めるのはよくないかもしれないけ ど、中断はいいんです。

恋をしよう! 僕が統計学者になったのは単なる偶然やと 思います。あえて言えば数学苦手やったから 純粋数学者をあきらめたんです。僕は多分、 キャリアの重ね方は失敗してると思います。 今後、研究者を目指す方へ、学生時代にやっ ておくべきことは、思いっ切り過激なことを 言いますけど、恋愛をしてください。研究っ て、美的感覚が、情緒とかいうのが一番大事 なんです。だから皆さんのような失敗しても 恥ずかしくない年齢に、振ったり振られたり、 傷つけられたり傷つけたり、思いっきりドッ ポリ沈んでくださいと。傷つきまくってくだ さい。そうやって心を豊かにしてくださいと。 そうすると新しい美しい解が見えるかもしれ ません。それぐらいしか言い様がないですね。 学生時代にやっておくべきことっていった ら、そんなとこですね。

26


質疑

応答 Q.先生にとって研究する喜びとは何です か。

Q.勉強はインプットで研究がアウトプッ ト、という言葉を詳しく説明してください。

西山: 僕はうそぶいて、数学なんかどうでも

西山: 研究と勉強を単純化して、ディフォル

いいって言うことあるんですけど。で、妻か

メして言ったまでですけどね。

ら叱られるんです。そういうほかの人に理解

早稲田の最後の講義で、僕は毎回言ってい

できないようなセリフは言うもんじゃないっ

るんですが、人は自分がイメージしたように

て、よく言われるんですけど、でも本音はやっ

しかならないと思っています。自分がきっと

ぱり数学好きなんかなと思うんですね。どこ

うまいこといくって思うイメージをグーッと

が好きかっていうのは多分専門的な答えにな

頭の中にインプットしてると、何かそういう

ると思うので言っても仕方ないかもしれない

風になるんです。俺だめちゃうかって思って

んですけど、何かごちゃごちゃしてたのが、

しまったら、ほんまにだんだんだめになるん

ある一瞬全部見えた瞬間というのが好きなん

です。僕、両方のパターン経験しました。

でしょう。

例えば話悪いですけどね、僕と近い年代で、

最初に予想を立て、その完成に21年かかっ

若い頃から事あるごとに人事の話するやつが

てるんですね。20年以上かかって、うーん

いたんですよね。どこどこの助教授のポスト

と考えてきて、最後は一瞬で見えるようにな

が空いたとか。僕はそういう話はしてはいけ

るんです。そういう時間が伸びたり縮んだり、

ないとずっと思っていたし、彼のそういう面

わからんかったのがスカッと短くなるってい

を嫌なやつって思ってたんです。でも、彼に

う、その辺が面白いですね。

とってはそういうことで頭がいっぱいやった んですね。で、彼、早くなったもん、教授に 27


(笑)。だからイメージしたとおりになるんで すよ。

あと、立ち直ったきっかけは広尾の研究所

奥本: 先生はどんな自分になりたいとずっと

の近くにスタバがあったんです。毎朝、研究

イメージしてたんですか?

所前のスタバに立ち寄るようになると、スタ

西山: 僕はあいつは有能と思われつつ、でも

バの店員のお姉さんたち僕に声をかけてくれ

何か不遇やなあとみんなから思われてる自分

るようになったんです。僕、そのとき独身で

になりたい。

したから1日中、家で1人、研究室で1人、飯

奥本:ロマンチックですね(笑)。

も1人で食ってる、そんな生活でした。唯一、

西山:全部ディフォルメですからね、割り引

スタバに行ったら、朝、「おはようございま

いて聞いてくださいよ。だから言いたいこと

す!西山さん、今日も頑張ってくださーい」っ

は、どっちみち自分のイメージどおりになる

て言ってくれるんです。で、救われた気分に

んやったら、なるべくいいイメージを思い描

なって、それで復活できたんです。まあスタ

いてインプットをしまくったほうがハッピー

バパワーですね。

になれる確率が高いということですよ。難し いですけどね、多分ね。僕もそれで6年7年 へこんだわけですから。 Q.先生のブランク時代をもっと詳しく話 していただけないでしょうか?多分、学生 の皆さんには想像つかないかもしれません が、ポスドク組はひしひしと感じていると 思うので(笑)。 西山: まあ正確に言うと、論文の出版が6年 空いてるんです。実際に、ほんまに何もやっ てなかったのは2、3年ぐらいで。あとは吉 田先生に助けていただきながらバタバタもが いてたんです。その当時、吉田先生のところ に毎週通って、僕はそのとき広尾が勤務先で、 吉田先生は東大の駒場やったんで、通って毎 週やってたんですね。共同研究をしてまし た。で、夕方ぐらいからディスカッションし て、翌日にそれをまとめようとしたんですが、 酒を飲んで毎回翌日には何話したか忘れてし まってたんです。これはいかんということで、 あるとき、吉田先生に、これからディスカッ ション、朝お願いしますとお願いしたら、そ れで乗り切れました。だから僕の問題はただ 28

単に酒の問題やったいうことです(笑)。


とにかくやってみる!

安藤 昌也

モノと人との関係を調べる

メモも同等に効果的なことも明らかになりま した。僕の研究は、このような基礎的な道具

僕の研究は多岐にわたります。デザイン系

の違いを明らかにして、次の道具を作るとき

から工学系まで幅広く、道具とそれを使う人

にどういう配慮すればユーザーが使いやすい

との関係を調べています。例えばこのボイス

かってことを提案していくことです。この研

レコーダー、アメリカの映画見ると研究者が

究は、手書きメモと音声メモの基礎的な違い

カセットテープを使って音声を録音してメモ

を明らかにしたということで賞をいただきま

をとっているシーンがありますよね。最近の

した。

僕の研究で、そのボイスメモの研究がありま

ま た、 大 学 の 教 員 に な る と、Faculty

す。看護の現場はいつも時間との戦いです。

Development、通称FDというシステムがあ

看護士は手の甲や小さな紙にメモをします。

ります。FDは簡単に言うと教育の質を高める

最近、この手書きメモと音声による録音メモ

ための教員同士の自己点検システムのような

が、どのような違いがあるのかってことを、

ものです。僕が勤めている千葉工業大学では、

すごく基礎的な研究を始めました。その結果、

学部教育シンポジウムという、教員のFDの

手書きメモがとても有効だということが分か

取り組みを学内で競い合う学内コンペがある

りました。だけど、ある条件の中では、音声

んですが、そこで去年、僕表彰していただき 29


ました。ですから教育も頑張っています。ま

ていう認知の考え方があるんですけど、人と

た地方の大学に行きますと、社会貢献や地域

物との長い歴史は詳細に調べていくと色々面

貢献が大切になります。私はもともとコンサ

白いことが分かっていきます。

ルタントでした。そこで自分の専門を生かし、 千葉の中小企業の人たちと一緒に2日間ワー クショップを行い、新しい千葉土産をデザイ ンしました。

マイナスからの大学院入学 でも僕のこれまでの歴史は黒歴史という

私の専門分野は、ユーザーエクスペリエン

か、僕の学歴、職歴はとても入り組んでいま

スデザインと呼ばれる領域です。ユーザーエ

す。研究者になる前、僕は会社を興していま

クスペリエンスデザインというのは、認知科

した。僕が会社でしていた仕事としては、今

学とか認知工学と呼ばれる新しい学問領域か

テレビのボタンで4色ボタンがありますが、

ら派生した分野ですが、この領域に名称がつ

あのデザインや、NHKのデータ放送、あるい

けられたのも最近です。ユーザーエクスペリ

は電子番組表といったようなもののインター

エンスデザインを日本語で置き換えると、人

フェイスの設計やガイドライン作ったりして

と物の関係、の研究です。例えば、我々はパ

いました。

ソコンやプロジェクターなど電子機器に日々

仕事は順調だった矢先、僕は鬱病になって

接しているわけですが、人がどうモノを扱っ

しまいました。ちょっと働きすぎてしまって

ているのか、その認知構造や心理状態を解明

いたのかもしれません。そこで、会社を辞め

すると、それを産業運用することができるの

ることにしました。辞めるときに一つ気づい

です。

たことがあったんです。その頃、僕はノキア

皆さんは携帯電話使ってますよね。それ何

のスマートフォンを使ってたんですが、それ

年使ってますか?携帯電話を友達だとする

がすごく使いにくかった。でも使いにくいな

と、あなたと携帯電話の関係はどれほど親密

がらも、僕は自分がその機械に合わせて使っ

ですか?例えば、親友みたいに仲良しです

ているってことに気づきました。人は使いに

か?このように、ヒトとモノの関係も測ろう

くい製品であっても、自分が歩み寄ってその

と思えば測れるんです。友達としての道具っ

製品を愛していこうとする、不思議な心の働 きがあります。僕はそれをうまく産業応用で きたらいいな、と思い研究することにしまし た。先ほど話したように、先行研究が少ない 分野でしたので、ユーザーエクスペリエンス デザインに近い分野で、ユーザビリティ、道 具の使いやすさについて研究をしている、日 本のトップクラスの先生である黒須正明先生 の門をたたきました。黒須先生は当時、総研 大のメディア社会文化専攻の先生だったんで す。すると黒須先生から「そんな研究ないか ら、研究してみたら」って言われたんです。

30


それが総研大に入るきっかけです。 僕は自分の心の動きをノートに記録してい ます。2005年の9月23日の僕の決意が書か

人たち、こういう研究を求めていたっていう ことだと受け止めました。このことは、私に とっても自信になりましたね。

れています。これは総研大に入る直前の僕の

実はこの時、鬱病を理由に、僕は会社時代

決意です。 「自分はユーザー工学関係の分野

の貯金を切り崩し、飲み歩きました。多分一

の研究者人生を歩むことにする。」と書かれ

生、もう遊ばなくてもいいくらい遊びました。

ています。さらに「実務に詳しい研究者を目

その時、はっと気づいたことがあります。貯

指す。」って書いていますね。これは今やっ

金がない。将来のことを考えていないわけで

ていることですね。また、「新しいシステム、

はなかったんですが、結局貯金がなくなった

手法、知見の提供を常に行う研究者を目指

ので働こうと思い、働き始めました。国立情

す。」って書いていますね。まあ鬱病になっ

報学研究所の特任研究員をやったりとか、自

てましたからね(笑)。なんか鬱っぽいんです

分でコンサルティングを始めたりして、ちま

ね、この段階でね。今から思うとそんなにき

ちま稼いでいました。とにかくお金が欲しく、

ばらなくてもよかったのにと思うわけです

学生Webコンサルティング選手権なんかに出

が、まあそういうのが鬱病というものです。

たりして、優勝しました(笑)。そりゃ優勝し ますよね、だって僕プロでしたから。

研究所の外からの気づき 総研大時代、はっきり言って、研究の進捗

そんな風に職を探しているとき、教員向け の求人情報サイトJREC-INを見て、産業技術 大学院大学の助教の職に就きました。

はなかなかなかったんですが、学会発表だけ

そんな矢先、自分が所属しているメディア

はしてました。学会発表をしていると「安藤

社会文化専攻が平成21年3月をもって廃止さ

さんの言ってることは面白いね」って言って

れるということが発表されます。これはやば

くれる人が必ず何人か出てきます。これだと

い、早く学位を取らねば、と焦り、急いで学

思ったことを、信じたことを学会発表で、少

位をとりました。

しでもいいから発表する。そうすると、「何 かやりましょうよ」って言ってくれる人が出 てきます。 僕にとってそれは日本ビクターって会社の

研究者は楽しい 僕が今回言いたいことは、人生いろいろあ

方でした。 「ぜひ一緒にやりましょう」とい

ります。はっきり言っていろいろあります。

うことで共同研究を始めました。その頃、僕

鬱病になることだってありますよ。だけど、

は長期にわたる使いやすさ、というロング

何か続けていると、誰かが助けてくれます。

タームユーザビリティという名称で研究して

大学教員になっても大変だよっていう話もよ

いました。産業の人たちとの共同研究の中で、

く聞きますが、僕は楽しいです。人を育てるっ

自分ひとりで考えてたり、指導教官と考えた

ていうのはこんなに楽しいかと思います。

だけでは分からなかった、自分の研究のゴー

また、僕の研究者人生を振り返って、もし

ルが明確に見えてきました。この共同研究は

後輩の皆さんにお話できるとしたら、とにか

論文賞を取りました。つまりそれだけ企業の

くやってみること、あるいは言葉にしてみ 31


るってことはすごく大事だということです。 どんな場所でもいいんですが、とにかく自分 が考えてることをとりあえず話してみる。す ると、そこで聞いてる人は聞いてるんです。 私は新しい分野の研究をやってるので、ぴっ たり合う学会はありません。だからいろんな ところに道場破りみたいにして学会発表しま す。そうすると、「君の研究は、よくわかん ないけど面白いね」って言ってくれる人が出 てきます。そうして議論してるうちに、新し いヒントが生まれてきます。 もう一つは、とにかく現状を楽しむという ことですね。苦しいかもしれないけど、そこ でできること一つでも二つでも探して楽しん でみるっていうことが大切です。やりたくな かったり、自分に合わないなという仕事で あっても、とにかく頼まれたら断らない。す るとまた新しいことを考える機会となり、次 のステップにつながるわけです。やってみた 先にいいことがあるかないかはそのあと吟味 すればいいので、まずは色んなことに挑戦し てみてください。

32


自分のゴールを忘れない

大岡 杏子

研究がしたいという気持ちだ けで…

過ごしました。そこでは、糖たんぱく質の細 胞内輸送について研究をしました。本研究を 簡単に話しますと、私たちの体は、約60兆

私は山梨大学の医学部の免疫学講座で特任

個の細胞からできています。その細胞の中で

助教をしています。今日はまず自分の略歴を

はたんぱく質が合成されていますが、たんぱ

話しながらキャリアについて話してみようと

く質は細胞の膜とか各オルガネラとかに輸送

思います。

され、その後分解されるっていうようなこと

私は小さい頃から結構耳が悪く、小学生の

が日々行われています。私はそのたんぱく質

低学年ぐらいまでに100回ぐらい中耳炎にな

がどのように細胞の中で動いているかについ

りました。その後の手術によって、耳は完全

て研究をしていました。

に治りましたが、その時の経験から医学部に

当時から先輩方には、博士課程にいったら

進学を希望していました。結果的に受験で失

就職先もないし、大変だとよく言われていた

敗し、東京理科大学の生物系の学科に進みま

のですが、それでも、まあなんとかなるんじゃ

した。卒業研究を経て、もっと実験がしたい、

ないかというような気楽な考えで博士課程に

という気持ちが生まれ、理科大と提携を組ん

進むことにしました。博士課程では、オート

でいた、東京都老人総合研究所で修士課程を

ファジーという、たんぱく質の細胞内輸送の 33


中の一つの現象を研究したいと思い、せっか

いくと、あっという間に40歳や50歳になっ

くなら一流の研究者がいるところで研究して

てしまう。こんなに優秀な人たちがたくさ

みたい、と、愛知県の岡崎市にある基礎生物

んいる中で、自分はどのようにどういうふう

学研究所に進学しました。そこで博士課程の

に生きていくのだろうと悩みました。当時の

3年間を過ごしました。総研大の他の研究所

私は悩んで顔が吹き出物だらけになってしま

でも同じだと思いますが、総研大には一流の

い、周りの人もどうしたのっていうぐらいに

先生や先輩方がたくさんおられて、そこでは、

なっていました。

日々、研究の考え方についても、手法につい

いくら悩んでも答えが出ないので、とりあ

ても大変勉強になりました。人間関係もとて

えず、自分がどうして、どのような研究者に

も良好な研究室だったので、3年間、本当に

なりたいのか、なりたいと思っていたのかを

楽しく充実した毎日を過ごすことができまし

洗い直してみようと考えました。すると、元々

た。この博士課程の3年間はもう毎日が研究

は人の病気を治すような仕事をしたかったと

に追われて、将来について特に何も考えてい

いうことに気づきました。大学から、私は生

ませんでした。

化学と分子生物学をやっていたので、医学 の世界に入るというのは少々不安でしたが、

将来について真剣に考える 卒業後、研究室の教授が東工大に移動した

元々やりたかった医学部の中で、生化学と分 子生物学を扱っている基礎研究ができる研究 室に移ろう、とその時に決めました。一旦、

ので、一緒についていき、実質は同じ研究室

決めてしまうと気持ちの整理もつき、ポスド

でポスドク1年間過ごしました。その時、教

ク職や助教職をいくつか探し始めました。当

授から、「学位をとったところにいつまでも

時結婚もしようと思っていたので、旦那の就

いたら視野が狭くなってしまうから、自立し

職先の近くの公募に応募し、山梨大学の医学

て研究者になるには他の研究室に移ったほう

部の免疫学講座というところでGCOE研究員

がいい」と言われました。そこで、私はいよ

として雇ってもらい、母乳免疫や食物アレル

いよ就職活動しなくてはいけないという段階

ギーとか花粉症などのアレルギー研究をして

になりました。1年間ポスドクの間に就職活

います。

動しようと思いましたが、私は、これまで研 究がしたいという単純な気持ちでポスドクま で進んでしまったので、次にどこに行けばい いのかよく分からなくなってしまい、半年間

今までの研究とは随分違うので、始めはか

ぐらい悶々と過ごしていました。例えば、細

なり戸惑いました。しかし、今おこなってい

胞内のタンパク質輸送の研究をしているとこ

る研究が自分の最終的な目標である、人の病

ろは山のようにあり、どの研究室も面白そう

気を治すというところにつながっていると実

な研究をしていますが、自分がその研究室に

感できるようになり、研究に対するモチベー

行ってどんな研究者になっていくのか、将来

ションが上がり、これまで以上に勉強も研究

像が見えなかったのです。当時、私は30歳

も進みました。

前後でした。ですが、このまま研究を続けて 34

新しい分野への挑戦

皆さんはレスベラトロールというポリフェ


ノールを聞いたことがありますか?フランス

究を進めたいのか。今は仕事したい、と思っ

人は脂っこいものをたくさん食べるのに心筋

ても、絶対に仕事と家族とのバランスをどう

梗塞になる人が少ないと言われています。そ

とるのかという選択をしなくてはいけない時

れはフランス人が毎日ワインを飲むからだろ

がでてくると思います。私は家族で過ごすと

うと考えられています。ワインの中に多く含

いうことは中心に考えたいな、と思いました。

まれているのがレスベラトロールというポリ

恐らくGCOEの研究員が切れても山梨の中で

フェノールです。レスベラトロールは心筋梗

研究員かあるいは技術補佐員でも仕事を続け

塞だけじゃなく、寿命延長や抗癌にも効くと

ていたと思います。しかし、たとえ研究補助

言われていました。しかし、アレルギーに効

職であっても、人の病気を治すような研究に

くということは、これまで知られておらず、

関わるという軸は持って職探しをしていたの

私はマウスを用いて、レスベラトロールが食

ではないかと思います。

物アレルギーを抑えることを発見しました。

周りの女性研究者を見ても、家族と一緒に

このように医学の基礎研究でもこれまで自分

過ごしつつ、自分のキャリアを積み上げてい

がやってきた研究の知識や経験が使えるし、

く。この両立にみんな苦労しているように思

ある意味違う分野から参入しているのでオリ

います。女性のキャリア構築には、とにかく

ジナルティも高いのではないか、と思います。

研究を続けるということが、一つの重要なポ

去年の1月から、私は特任助教になりまし た。このポストに就いたのは本当にたまたま

イントと思います。 今の特任助教のポストは、5年契約の一回

で、山梨大学でたまたまポストが空きまして、

更新で、10年が任期限度のポストです。私

私が助教になりました。助教になると授業を

も任期が近づけば、また就職活動をしなくて

しなくてはいけませんが、授業も2週間に一

はなりません。しかし、今は地道に自分の研

度ですので、今のところは研究中心の生活を

究に取り組んで、次に結び付けられるように

送ることができています。もし特任助教に

頑張りたいなと思っています。

なっていなかったら、今年の3月でGCOE研 究員の任期は切れてしまう予定でした。私は、 任期が切れる時点で子どもが8カ月だったの で、切れていたらどんなキャリアを送ってい たのか想像がつきませんね。

その一歩は本当に自分のため の一歩なの? 最後に私から皆さんに伝えたい、学生時代 やっておけばいいと思うことですが、研究を

女性研究者として生きる

通して、自分が最終的に目指すものが何かを 考えながら研究を進めていくことが重要だと

今、研究者の世界でも男女平等と言われて

思います。今の研究がうまくいって、例え一

います。しかし女性は特に結婚や出産といっ

歩進んだとしても、その一歩が、研究室のボ

た人生の契機に、どうやって自分の仕事を続

スのゴールだけでなく、自分が目指す目標へ

けていくかということを考えなくてはいけな

の一歩にもなっているかということを意識し

くなると思います。家族と一緒に過ごしたい

ながら、研究を進めてください。もし自分の

のか、それとも単身赴任をしてでも自分の研

目標への一歩になっていないとしたら、それ 35


を自分のための一歩にするためにはどのよう にすればいいのか考えなければいけません。 そのためには、このような会に参加して、 自分を見つめ直すということもいいと思いま すし、一人でも、時間のあるうちに自分なり には考えておいたほうがいいと思います。私 がそのことについて考えないと前に進めない ということに気づいた時は、次の就職先を探 さなくてはいけないときでした。その時は、 本当に切羽詰まってしまって、なかなか答え にたどり着けず、とても時間がかかってしま いました。博士課程に進まない多くの人は もっと早く就職活動をしますので、そのタイ ミングが自分を見直す良いチャンスになると 思います。しかし、博士課程の学生は毎日研 究に追われ、自分の将来を振り返る時間もな いと思います。さらに研究員になってしまう と、ますます余裕がなくなります。だからこ そ、時間がある今、きちんと考えてほしいの です。 私自身もまだまだ自立している研究者とは 決して言えません。研究者の就職難という話 に、自分自身も滅入ることがあります。しか し自分のゴールとするものを目指せば、そこ に向けて研究のモチベーションも上がり、そ れが最終的にポストにつながれば良いのでは ないかと思います。

36


可能性を広げる考え方

藤原 一毅

考えなしに会社を飛び出した あの日

した。 そんな時、社内で公募が出まして、社内の 研究職に応募し、見事玉砕。腕一本で世を渡

僕は情報学専攻を卒業しまして、2012年

るのはそう簡単じゃないです。こうなったら

度から国立情報学研究所 (NII) でポスドクを

二つ前のセーブポイントに戻ってやるお、と

やっています。僕は博士課程の前にちょっと

いうことで、なぜか大学院に戻ることを決意

寄り道をしていました。博士課程の前に、こ

しました。ちょうど、学部の時にお世話になっ

の木何の木、気になる会社にて、4年ほどSE

た指導教員がNIIに異動になっていたんで、総

をやっていました。僕が会社で担当していた

研大の大学院入試を受けました。ちなみに、

業務は、鉄道の運行管理システムです。会社

先生に入学前に「仮に3年で博士号取ったと

での日々は、(色々な事情で書き起こしを自

して、その後食っていけますかね」と相談し

粛させていただきます。書き起こせない話を

たところ、「うん、まあ君なら食いっぱぐれ

聞きたい人は直接研究者入門を受けようw)

ることはないだろう!」なんていうお言葉を

大変な日々でした(笑)。で、社会人3年目の

いただきまして、何とかなんのかなあぐらい

頃に、ご多分に漏れず鬱病になってしまいま

の軽い気持ちで願書を提出しました。

37


受験を経て、無事合格通知書をもらい、自

ル20万本、合計1000キロメートル以上が、

分としては退社する気満々で業務の引継ぎを

体育館の床下に張られています。そこで、もっ

行っていました。ちょうどそのタイミングで、

とライトウェイトでエコなスパコンを作ると

新しい課長が外からやってきまして、その人

いう研究を現在やっています。スパコンとい

が何故か僕がやりたかったことを次々に実現

うのは1万台ぐらいのコンピュータをつなげ

していこうというやる気のある方で…。ある

て、ハイスペックな処理をしているのですが、

時「こういう開発は研究所と共同でやったほ

現在、そのコンピュータ間をランダムにつな

うがいいもんなんですよ。君、1年ほど研究

いで、その配線をうまく最適化すると配線長

所に出向する気はありませんか?」と打診

が42%減る、という研究をしています。

してくれました。そういうことはもっと早く 言ってほしかった(笑)。

うちのボスは、これはすごく革新的で破壊 的な技術であって、アカデミアでしかできな

その時、「すいません。今まで黙ってまし

い研究だと言うんです。こんなこと金になん

たが、大学院に進学します」と正直に白状し

ないから企業では絶対やらない、って言うん

ました。すると「よしわかった、俺が部長に

ですけど、これアカデミアでやることか、っ

言っといてやるから、あとは任せろ」と、全

ていう疑問が僕の中で常にありました。なん

く慰留されなかったんですね(笑)。自分の

となく、こんなことは建設会社がやればいい

セーブポイントは簡単に捨ててはいけないか

んじゃないかと思うんですよ。すごい地道で

もしれません(笑)。

力仕事っぽい話じゃないですか? どれくら いうまくケーブルを張れるか、っていう研究

アカデミアにずっといるの? 本当にそれしかないの? 昨日、研究者の闇という話がありましたが、

38

をなんでアカデミアがやんなきゃいけないの か…。 でも、最近気づいたんです。どんな研究で も、それを企業がやるかアカデミアがやる

企業にも闇はあります。しかし、どこにいて

かって、実はそんなにはっきり分かれている

も闇はあると思うんです。だから、自分のキャ

わけではなくて、時流、時節によって、ある

リアを場所に限定してこだわらないほうがい

いは金の流れ方によって変わってくるんじゃ

いと思います。

ないかって。今たまたま企業に余裕がないの

僕 が 今 や っ て る こ と は、 ス ー パ ー コ ン

で、こういうすぐに金になんないような仕

ピュータのネットワークをもうちょっと早く

事っていうのは割とアカデミアがやってい

しようぜっていう研究です。これ皆さんご存

る、というのが情報学分野での実情です。情

じかどうか知らないですけど、地球シミュ

報学分野はその点でも、企業とアカデミアの

レ ー タ っ て い う ス パ コ ン が 昔 あ り ま し た。

間で行ったり来たりが非常にやりやすい学問

10年前のスパコンです。床のふたをパカっ

領域の一つです。

と開けると、83200本のケーブル、総延長

だからこそ、どこでやろうと一緒なんです

で2400キ ロ、 総 重 量140ト ン の ケ ー ブ ル

よ。みんな研究職ポストが少ない、取り合い

が床下にスパゲッティのようにとぐろを巻い

だ、という話をしますが、みんな本当にアカ

ていてます。最近の京コンピュータもケーブ

デミアにずっといるの? 本当にそれしかな


いの? 僕は他にもポストの選択肢は色々あ るんじゃないのかと思います。

研究者のビジネスモデルを考える 研究者のビジネスモデルを考えたときに、 研究者って非常に投資型ビジネスだと思いま す。申請書やプレゼンひとつで経費を獲得し てくる。社会性の高いビジネスです。資金獲 得のためには、オフィシャルな付き合いだけ じゃなくて、学会の中、共同研究、あるいは 全く関係ないところでつながった人たちとの 人間関係に依存する部分も結構あると思いま す。なおかつ、私見ですが、極めて体制依存 性の高いビジネスだと思います。例えば、も し日本国が滅びたら、研究者は生きていけま すか?アカデミアに留まっていたら一緒に沈 没するんじゃないの、と僕は常々思っていま す。自分でビジネスやってれば、別にどこの 国だって商売やろうと思えばできます。アカ デミアにずっとしがみついていることが、果 たして本当に安全なのか? そう考えた時 に、何かそこにこだわることはそんなに大切 なことではないのではないか、と思います。 もちろん、そう考えているのは心の中だけ で、実際には実績を貯めていくためポスドク をやっています。ただ、いつもそういう視点 でキャリアに挑んでいきたいなと自分自身は 思っています。

39


研究を支援する立場から

村上 昭義

バリバリ研究していたんです!

40

研究をやっていたんですが、大学院ではそれ までとは全然違う分野にいこうと思い、この

信州大学には産学官連携推進本部という部

専攻を選びました。そのきっかけに、エネル

署があります。私はそこのリサーチ・アドミ

ギー問題があります。昔からエネルギー問題

ニストレーション室の助教をやっています。

に結構関心を持っていて、物理学を利用して

しかし研究職ではありません。

社会に貢献したいと考えていました。

私の出身は松本なんです。地元にある信大

そこで、核融合でエネルギー問題を解決し

に進学し、その後総研大に入学しました。大

て社会貢献することを目指そうと、こう思っ

学院の博士課程の最後の年にDC2に採用され

ちゃったわけですね(笑)。核融合発電につ

たので、卒業後繰り越しで1年間、PDができ

いて簡単に説明すると、水素が核融合してヘ

ました。学振のPDを経て、2013年の2月に、

リウムになる時、エネルギーが取り出せるん

信州大学で現在の職に就きました。というこ

です。そのエネルギーを水にぶつけると水が

とで、一応2月までは私もバリバリ研究をやっ

熱くなり、エネルギー源として使える、とい

ていました。

うのが核融合発電の原理です。核融合発電の

私は総研大では核融合科学専攻で核融合の

燃料は海水中にある、重水素を使います。資

研究をやっていました。大学の時は素粒子の

源のない日本のような国では、エネルギーを


無尽蔵に取り出すことができる核融合発電と

サーチ・アドミニストレーターはURAと呼ば

いうのは大変魅力的なんですね。

れることがあります。University Research

しかし核融合を持続的に起こすには、高温

Administrationの略で、研究開発の内容に

で高密度、そして一定時間その状態を閉じ込

関して一定の理解を有する、研究資金の調達・

めておけなきゃいけないという課題がありま

管理、知財の管理・活用等をマネジメントす

す。核融合の状態とは、原子から電子が飛び

るという人材のことを指します。いわゆる研

出てプラズマの状態になっている状態を指し

究支援人材です。

ます。このプラズマを高温で高密度で一定時 間閉じ込めるということが難しいんですね。

今までは、大学の事務員と教員間でこうい う業務を相互補完的に行ってきました。しか

どうやってプラズマをうまく閉じ込めるの

し、事務も研究も両方の分野を理解して業務

かというと、核融合炉をドーナツ状にして、

にあたる、ということがなかったために、業

その周りに磁力線で籠を作って、プラズマを

務がスムーズにできないことがありました。

閉じ込めちゃうんです。その閉じ込め方式に、

ですから、現在、研究の内容も分かった上で、

トカマク方式とヘリカル方式という二種類の

研究者をサポートしてくれる人材が求められ

方式があります。私がいた核融合専攻の方で

ています。

は、ヘリカル方式のプラズマ閉じ込め方式を 使って実験をしてます。これはものすごい装 置でして、実は日本独自で開発した、世界最

なので、現在の仕事は核融合の研究とは全 く違います。 なぜ僕が、この仕事に就こうと思ったのか。

大の超電導コイルを用いたプラズマ発生装置

これは1982年から2010年までの主要国の

なんです。

論文数推移のグラフです(図1)。一番上がア

私は、プラズマの元となるガスを高密度に

メリカで、日本が黄線です。日本は、論文数

装置の中に入れるため、ガスを収束させて密

が2004年くらいから横ばいか少し下がりつ

度の高い状態で、プラズマに入れるという研

つあります。一方、中国がものすごい勢いで

究をやってました。すると、こうやって収束

論文数を増やしている。これが、日本の科学

したガスを入れることの方が従来のやり方よ

技術をめぐる現状です。

り、プラズマの密度、供給効率が高いってい

世界を見ても、研究力として、論文数が注

うことが分かりました。博士論文や研究員時

目されるようになってきています。一方で、

代の研究はこういうことをやっており、辞め

大学の先生たちの研究時間は減っています。

る段になって、行かれたら困るよ、というよ

教授、准教授、講師、助教とも、2002年か

うな形で指導教員からは留意されました。

ら2008年にかけて研究する時間が減ってい ます(図2)。

研究を支援する仕事 ~それが求められる背景~ 2013年の2月から、信州大学の産学官連 携推進本部のリサーチ・アドミニストレー ション室に着任しました。私の職業であるリ

その代わりに研究以外の教育と雑務の時間 が増えています。雑務とは、本当は雑務と言 うのは適当ではないかもしれませんが、研究 に関する申請書を書いたり、会議資料を作っ たり、そういう時間だと思ってください。 英国の教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・ 41


図1 主要国の論文数の変化(件)

図2 職位別・活動別年間平均職務時間割合(ウエイトバック無し)

エデュケーション(THE)」という雑誌が、

は東京大学と京都大学だけです。文科省は、

毎年世界大学ランキングを発表しています。

今このランキングをすごく気にしていまし

このランキングには、毎年文科省も注目して

て、教育再生実行会議という諮問機関では、

います。2012年のランキングは、表1のよ

2013年5月28日に、今後10年間で、この

うになっています。 

世界の大学ランキング100位以内に日本の大

日本の大学でトップ100に入っているの 42

学を10校ランクインさせよう、ということ


表1 世界大学ランキング2012 1位 カリフォルニア工科大学 2位 オックスフォード大学

部資金の割合は増えつつあります。これの意 味するところは、力のある大学が外部資金を 獲得する反面、あんまり力のない大学は資金 を減らされていく、そしてそれが次の資金獲

3位 スタンフォード大学

得の弊害となり、大学間格差がどんどん広

27位 東京大学

がっていく、ということなんです。

54位 京都大学 128位 東京工業大学

URAのお仕事

137位 東北大学 147位 大阪大学 201-225位圏内 名古屋大学

 URAは単に研究者の大学業務の支援だけ でなく、科学技術等の動向に関して調査し、 研究をマネジメントするという役割もありま す。今までのように大学教員に自由に研究を

を安倍政権に提言しました。 日本の学術界は、 現在論文数が低下しており、

やらせるのではなく、国の資金で行っている

研究者の研究する時間も減少しています。一方

研究を管理し、それが成果につながるように

で、こういう大学ランキングを上げるために、

持っていくことも、URAに求められている業

論文数を増やすことを求められています。

務であります。また、産業界のニーズと学内

しかし、大学の運営費はどんどん減らされ

の研究の種をマッチングさせ、研究成果を単 に学術界だけにとどまらず産業応用にまで結

ています。 この図(図3)の下の円グラフの薄い部分

びつけていくことも求められています。

が運営費交付金の額です。一方で濃い部分は

具体的に業務としては、学内では研究力の

外部資金という、申請書を書いて競争的に獲

分析、研究企画、申請書の作成、科研費獲得

得していく金額です。実は大学の運営費は減

の支援を行います。産業界との連携において

らされてるんですが、競争的な資金である外

は、市場や特許の調査、外部資金の公募情報

図3 主要な財政的支援の経年変化

43


の把握を行っています。また外部資金獲得後

ですね。あと人の話を聞くのも嫌いではな

は、研究計画の契約や共同研究の契約を担っ

かった。そういう自分の性格もこの仕事に向

たり、資材戦略やアウトリーチにも携わりま

いているなと思っています。

す。産業界と一緒にやっていく場合は、研究

実際、就いてみて僕が感じたことは、URA

マネジメントやリスク管理、報告書の作成も

は研究者というよりは研究マネージャーに近

求められます。

いんだな、ということです。この仕事の一番

URAの仕事の成果は、学内の科研費の採択

の魅力は、色んな研究分野を知ることができ

率という形で現れます。科研費の採択率は大

るということです。今まで核融合の研究だけ

学評価の指標の一つにもなっています。URA

をやってきましたが、僕の大学にはそんな研

は、学内教員が科研費を獲得できるよう、サ

究をやっている研究者はほとんどいません。

ポートしていくことが求められます。なかな

その代わり、これまで触れたことのない他の

か大変な仕事でしょう(笑)? 例えば外部

学問に触れる機会が増えました。すると、こ

資金の獲得業務は、A-STEPやJSTのさきが

れまでの自分の研究を客観的に眺めることが

けの申請書を、先生と一緒に一から作ってい

できるようになりました。実際に色んな研究

きます。

分野を見てみると面白い研究がたくさんある

また、最近、大学の強みを分析してくれっ

んですよ。エネルギー問題を解決する研究

て言われて、学内の論文調査をやりました。

だって、核融合研究に限らず、他にも色々な

そして、うちの大学はこういう分野が強いで

手法があった。これまで自分は核融合研究の

す、という報告書を作成したりしています。

事しか知らなかったんですが、様々な研究分

さらに研究関連の論文調査や市場調査という

野に触れることによって、多様な視点を得る

調査関係の仕事も多いです。こういう調査の

ことができました。

場合は、まずはWEBで調べます。その他には、 セミナーに出向いて情報を得たりします。

また、国の政策や今後の科学技術の動向を 知る機会も増えるということもあります。た だ、他分野の話を聞いていくうちに、学際研

URAになったわけ まず僕がURAという職を選んだ理由をお話

究であった核融合研究をやっていたおかげ で、色んな分野の研究の話が少しは頭に入っ てくるというメリットもありました。

しします。第一の理由は、博士号を取ったの で、それを生かした職に就きたかったという のがあります。URAという職種は博士号を 取ってる人が優先的に採用されます。もう一

最近、研究者ってプロスポーツ選手と似て

つの理由としては、他分野に飛び込むことも

いるなって思うんです。研究者の多くは任期

面白いかもしれないと思ったからです。僕は

つきの職だし、プロサッカー選手とか、プロ

元々、政治や経済に関心がありました。その

野球選手も任期つきの契約ですよね。また、

延長で、研究マネジメントにも興味を持ちま

実力主義ということも似てますよね。

した。 また、申請書を書くのも割合好きだったん 44

プロスポーツ選手と研究者

そんな世界で、URAってどういう立場なの かなって考えたりします。すると、例えば野


球やサッカーも監督がよければチームの成績

作っていたノズルのほうに注目して、そちら

が上向くじゃないですか。研究では、学長と

を使ってガスを収束させよう、と発想の転換

か所長に当たる部門だと思うんです。しかし

を行いました。すると、そちらの方がうまく

プロチームには、監督だけでなくコーチやマ

いったんです。ですから、悪い状況でも、そ

ネージャーもいますよね。実はあの人たちも

の中で見つけられる最善の解決策で実行して

プロスポーツ選手の活躍をかなり支えている

いくと、解決できるんです。ポジティブに考

わけです。ところが研究者には、これまで研

えていくというのが、研究者にとってはとて

究活動を支えてくれるコーチやマネージャー

も大事です。

がいませんでした。研究者を育てていく時に、

そして、キャリアにおいて僕が留意してい

客観的な立場から研究活動に対してアドバイ

ることは、今までの自分の経歴から強みを見

スする人というのがURAなのではないかなっ

つけて、それにプラスアルファ、自分の向上

て思っています。

できる分野や仕事に関われるような仕事を選

プロスポーツって、別にお金があったって

んでいくことが大切かな、と考えています。

強いチームができるわけではないじゃないで

固定観念で自分の可能性を自分で狭めず、柔

すか。また、いい選手だけ集まっていても、

軟な発想がこれからは必要なんだと思います。

まあ個人技に走っていたら勝てないわけです

例えば、企業にいってから大学等の研究者

よ。やはりチーム力を向上させるそのマネジ

に戻るという道も十分残されています。実

メント力が必要なんですね。

際、企業経験がある先生が、研究実績を積ま

また、日本全体で研究力を高めていく工夫

れているという場合もあります。なので最初

も必要だと思います。大学同士がライバルだ

からアカデミックにこだわるというよりは、

と、同じ装置を二つ買っていたりする。だけ

ちょっと迂回しても研究は進められると思い

ど大学間の協力を促進して、マネジメントを

ます。最後に、学生時代にやっておくべきこ

うまくすれば、もっと研究効率って上がると

とは、こういったセミナーに参加して人脈を

思います。少なくとも、そういうマネジメン

作ったり、読書や新聞を通して社会情勢を知

トの視点が、今までの日本の科学政策の中で

るなど、自分の研究分野以外の情報にも興味

は欠けていたんじゃないかなと思います。

を持つことが大事です。これからの時代は、 自分の研究分野以外のポストについても、研

乗り越える挫折 最後に、大学院生に対して挫折とその乗り

究できるような適応力の高い人材が求められ ます。その際、基礎的な考え方や常識が求め られるのではないかと思います。

越え方を話してくれと言うリクエストだった んですが、僕が大学院生の時、元々クラスター ビーム入射法という方法で研究を進めようと しました。しかし、装置をいざつけようと思っ たら、法律に引っかかることが分かったんで すね。確か博士後期1年生の時だったと思い ます。その時初めて、クラスタービーム用に 45


教養という強み

鈴木 堅弘

これがモラトリアムだ!

いただけたら、と思っています。

僕は京都の国際日本文化研究センターにあ

実は僕、学部時代は教育学のゼミに所属し

る国際日本研究専攻を、昨年の9月に修了し

ていました。大学は京都精華大学という、ご

ました。博士論文は春画で書きました。博士

く普通の私立大学です。僕は高校時代はずっ

論文の内容を簡単に言うと、現代のポルノと

とサッカーばかりをやっていて、勉強はあま

江戸時代の春画がどう違うのかという考察で

りしませんでした。大学に入ったきっかけも、

す。専門は美術史のなかの図像学という分野

元々本が好きだったので、何か物書きになれ

です。図像学はイコノグラフィーとも呼ばれ、

たらいいかなみたいな、それくらいの考えで

絵画や建築物の模様など図像から当時の文化

入学しました。また、教育学を専攻したのも、

や習慣や流行などを読み取っていく学問分野

教育学の先生が優しそうだったから…(笑)。

です。僕が取り扱っているのは、主に絵画資

教育学のゼミに入っても、全く主体性のな

料です。

46

お話し、皆さんのキャリア形成の参考にして

い大学生活を送っていました。ただ、4年生

そして、現在、目下就職活動中です。今日

の半ばぐらいから、アトピー性皮膚炎が悪化

は、現在自分がどのようなセールスポイント

し、そのせいで就職活動を中断せざるを得な

を持って、就職活動に望んでいるかについて

くなりました。まずはアトピー性皮膚炎を治


療しなければ、ということで1年間、熊本の

この旅が、僕の人生の契機になりました。

温泉で療養生活を送りました。療養生活の間

海外の文化に触れる中で、ちょっと待てよ、

は、とにかく本を乱読するという日々でした。

自分は日本のこと全然知らないよなっていう

その後1年間でアトピー性皮膚炎はよくなっ

ことに気づいたのです。特にそれを思い知ら

たのですが、就職活動のタイミングを逃して

されたのが、ヨーロッパの美術館での体験で

しまい、将来についてなかなか方向性を見出

す。ヨーロッパの美術館は自分の国の文化を

せませんでした。典型的なモラトリアムです

誇りに思っているし、敬意を払っています。

ね。3年間くらい、本を読み続けるという日々

自国の文化や絵画に対して、すごく熱心に研

を過ごしました。この時期に特に読んでいた

究を進めているということが、旅人でもひし

のが古典でした。例えば教育分野では、ジャ

ひしと感じられました。

ン・ジャック・ルソーの『エミール』などを

それに感銘を受け、僕も日本人だったら日

読んでいました。半分以上分からないながら

本の文化をやっぱり極めてみようという気持

も、片っ端から古典を手に取り、読み漁る日々

ちになり、そのまま学部の恩師にその話を

でした。読書と同時に出版社に自分の書いた

持っていきました。久しぶりに会う恩師は、

ものを送ってみたりもしました。こちらの方

「お前、また戻って来たのか」みたいな感じ

は全く音沙汰なしという残念な結果でしたが

でしたが、すごくいい人で「お前は書くこと

(笑)。

が結構好きだから、とりあえず修士に入って、 日本の文化や絵画を研究してみるのはどう

海外の文明を辿ると日本にた どり着いた

か」って薦めてくれました。そして修士時代 は、「大津絵」という江戸時代の絵画の研究 をしました。その後、修士での日本研究をさ

そんな時期、若い時にしかできないことを

らに学際的に発展させたいと思い、総研大に

やろう、と思い立ち、僕はヨーロッパと中国

入学しました。僕が入学した研究所は日文研

を巡る旅に出ました。本を読む過程で、 「文

といいますが、日文研では「春画」と出会い、

明」ってなんだろう、ということにすごく興

5年半かかって春画で博士論文を書きました。

味を持つようになったのです。例えば、日本 の文化や習慣は、中国やヨーロッパの文明の 影響を色濃く受けています。僕は文明の根元

教養教育の経験から

を知るため、まず中国を3カ月くらいかけて

また僕は博士課程在学中から、大学の「初

バックパッカーで巡ってきました。柳田國男

年度教育」に関わってきました。博士課程2

の『海上の道』という有名な本がありますが、

年生の時に出身大学の先生に呼ばれ「おまえ

日本人や日本のお米のルーツを探りに、雲南

は学部の時に教育学をやってたから、初年次

省の一番奥地まで分け入ったこともあります。

教育のTAをやりなさい」といわれ、1年間

またヨーロッパも3カ月半かけ、電車で巡っ

ティーチングアシスタントをやり、次の年か

てみました。とにかく小さな美術館まで徹底

ら「では、初年次教育の助手をやりなさい」

的に見てやろうと心に決め、かなり熱心にヨー

ということで、その年から教育助手を務めま

ロッパの絵画や美術品を見て回りました。

した。教育助手の仕事は、1年間で20人クラ 47


スを三つ、計60人の1年生の学習指導と初年 次教育を担当することです。20人クラスは

僕は今、学生が学習を「やらされている」

専任教員と教育助手の二人体制です。授業の

という気持ちから、「やりたい」という気持

中では教育助手も多くの役割を担います。そ

ちへ移行させるにはどうすればいいのか、と

の経験を通して、僕は初年次教育について学

いうことを考えています。あるいは、考える

んでいきました。

こと、調べること、書くことの楽しさを伝え

初年次教育というのは、高校までの管理型 学習から大学における自主型学習への移行を

48

自分のなかで解決していません。

るにはどうしたらいいのだろう、と考えてい ます。

支援するというのがねらいです。比較的新し

そういうことを考えた末、ふだんの学習や

い教育分野ですので、大学側も戸惑いが多い

心がけによって身につけた教養が学問への深

です。特に、僕が勤めている大学は多様な学

い動機づけを高めるのではないのか、と思い

生が入ってきます。優秀な学生から勉強など

始めています。教養とは何か。正直僕自身も

全くしてこなかった学生までを、ひとつのク

よく分かっていません。ただ、日文研の元所

ラスで同時に教育していかなければならない。

長の猪木先生の本『大学の反省』から引用す

その様な現状に、今、大学側は対応していか

ると、「教養とは、人間と社会についてのマ

なければならないという課題があります。

ニュアル化することのできない深い洞察を促

そうした課題を解決するため、若手研究者

す知識基盤であり、この洞察が、いざという

同士で初年次教育を考える教育研究プログラ

ときの非定型の判断能力を高める」とありま

ムを立ち上げました。このプログラムは、僕

す。ちょっと分かりにくいかもしれないです

自身とても楽しく行いました。若手研究者同

けど、要するに、学問で得た知識や経験は、

士で、初年次教育のためのフィールドワーク

その後の挫折や困難を乗り越える力になると

のプログラムを考えたり、レポート作成プロ

いうことです。これは一種の理想主義かもし

グラムをワークショップ形式にする方法を考

れませんが、僕は挫折や困難を乗り越える力、

えたりしながら、教育プログラムを開発して

それが教養の力ではないかと思っています。

いきました。そうすると、そのプログラムに

そして今、自分はこの教養というものを、学

こたえてくれる学生が必ず出てくるんです

生に伝えたいなと明確に意識するようになっ

ね。僕自身、そのような学生に接することで、

てきました。いまの僕は、自分の居場所を探

教育の喜びを感じました。ただ、負の面もあ

している、困難を乗り越えようとしている

りました。現場でどんなに改善しても、上層

真っ最中です。そこで就職活動における自分

部にはその意義が伝わらない、という悔しさ

の強みは、教養教育の実践ではないかと考え

も味わいました。また、もっと現実的な問題

ています。でも、教養を伝えるためには、や

としては、積極的に授業に参加してくれる学

はり、自分の専門分野という学術の幹を大き

生がいる一方で、初年次教育から逃げる学生、

く育て、そこに他分野の枝葉を茂らせる、そ

心を閉ざしてしまう学生、大学生活に迷って

ういう研究者になっていかなければならない

しまう学生が、まだまだいるということです。

と思っています。

こうした学生を如何に大学教育の中に取り込

今の僕のもう1つの課題は、博士論文で取

んでいくのか、その課題についてはいまだに

り扱った春画を、どのように教養教育で語れ


るかというのがあります(笑)。もちろん課 題はありますが。 教養教育の際、僕が学生に伝えていること が三つあります。まず、古典にふれること。 これは非常に重要です。古典からは人生の機 微を知ることができます。例えば怒り、悲し み、孤独、喜びは古典に溢れています。過去 の人々の言葉からは、よりよく生きるヒント を学ぶことができるのです。2つ目は、継続 的に挑戦する意志を持ち続けること。これは、 調査、発表、仕事など、実社会での経験を積 極的に行っていこうというものです。しかも それを諦めずにやっていこうと伝えていま す。そして、3つ目は、とにかく他者と積極 的にコミュニケーションをとりなさい、とい うことです。人との付き合いや会話から、知 識を得ることは非常に重要であることを、僕 は大学の講義の中で学生に伝えています。な ぜ今日、これを持ち出したかというと、総研 大生の皆様にとっても、学生時代にこの三つ のことを意識しながら過ごすことは必要だと 思うからです。

49


質疑

応答

50

村上: 人を頼るというのもとても大切なこと

Q.研究室がブラック研究室の場合、どの ような対策をとればいいですか?

です。自分で全部やろうと思わず、人に助け

藤原: 私 が 在 職 中 に 心 掛 け て い た の は、 自

藤原: 研究室に閉じこもらない。研究室内で

分の責任範囲をきっぱり区切ることですね。

解決しちゃおうと思うと泥沼にはまるんで、

オーバーリーチ(範囲を広げすぎる)しな

なるべく外の空気を取り入れたほうがいいと

い。自分の責任範囲の外まで出掛けて行って、

思いますけど。

フォローしてあげることは、私は意図して一

鈴木: これは研究の世界だけじゃないですよ

切しませんでした。自分の仕事の範囲を区切

ね。僕は教育の世界でもまさに同じようなこ

り、そこはちゃんとやります。それ以外の仕

とがあると思います。ものすごい量の仕事を

事は、たとえ隣の奴がすげえ忙しそうにして

ふられたりとか、パワハラまがいな扱いを受

ても、「じゃあお先に」って言って帰るとい

けたり。ですから学生のうちに、そんな扱い

う勇気が大切です。

に慣れておくというのは大事かもしれません

村上: きちんと、できないことはできない、

ね(笑)。

と伝えることで、多分、多くの場合は解決す

七田: すみません、横槍なんですが、ブラッ

るんじゃないかな(笑)。

ク研究室ではボスも問題があると思うんです

藤原: もしできないと伝えても怒られ、それ

けど、上級生が鬱病であるということは、下

が客観的に見て問題になるレベルだったら、

級生にすごい精神的に影響を与えている可能

大学のパワハラ相談室みたいなところを頼っ

性があるんです。先輩が立て続けに鬱病にか

てもいいかもしれないですね。

かると、自分もなるかもしれないと思っちゃ

てもらうことも大事なスキルですよね。


いますよね。そうするとなりやすいんですよ。

業革命、日進月歩どころか秒進分歩ですよ。

だから、実際は、先輩とそのボスの相性の問

今、若い子たちに情報分野に対する発想とか

題が、ブラック研究室というイメージが固定

パワー、実行力で勝てる気は全くしません。

化しちゃうと、結構その雰囲気に飲まれる危

私は、将来は東南アジアでパソコン教室の

険性もありますね。

先生をしてもいいじゃんって思っています。

男性D:学生でしょう。授業料払ってるんで

何か将来において立派な目標があるわけでな

しょう。給料もらってるわけではないんでしょ

く、ボトムアップに日々生きているんです

う。じゃあ、そんな仕事をしなくていい。

(笑)。自分の才能は割と細かい仕事が得意で、

安藤:僕は実際に研究室を持っているので、

論文書いたりプログラムを作ったりするの好

そういう声をお聞きすると非常に耳が痛いと

きです。それが仕事に結びつけられるうちは

いうか。僕自身もすぐ院生に頼んでしまって

アカデミアでやっていこうと思っています。

います。またこれは負の連鎖なんだけど、そ

しかし、自分の能力が衰えてきたり、後進に

の業務は僕が他の教授の先生方から頼まれた

追い越されたり、あるいは世の中の変化に追

仕事だったりするんです。

い付けなくなった時は、新しい道を探しても

一応、振る方としては、できる範囲でやっ

いいんじゃないかな?

てもらいたいと思っています。振られた仕事

でも、僕が言うのもなんですが、色んな研

ができないときは言ってもらわないと、出来

究をすると、また視野が広がるのかなと思い

ないと言ってもらわないと、こちらには分か

ます。卒業後、僕は違う分野の方々とよくコ

らないっていうのが本音です。

ラボレーションしています。すると、論文も

先生は、むしろ院生が何をやってるかっ

またたくさん書けるようになるし、出来るこ

て、そんなに頻繁に見てるわけではないんで

とが増えてきている気もします。

す。だから学生がどれだけ忙しいのかも把握

安藤: 私がいるデザイン学部は論文だけがそ

できていないんです。だから、そこは言って

の人の学術業績の評価にはなっていません。

もらうしかないっていうのがあるかなと思い

例えば、作品もデザイン分野の人たちにとっ

ます。

ては業績なんです。それを学術業績として評

でも、遠慮せずに断れる雰囲気を先生側も 作る努力をしていかないといけないですね。 Q.自分の才能を見極める時期というか方 法があれば、教えてください。例えば、才 能のある人っていますよね。その人と比べ て、自分の業績が足りなかった場合、自分 のできる範囲で自分は研究していけばいい のか、それとも、ある程度の時期には自分 の才能と成果を鑑みて、職業研究者になる という目標を方向転換していかなくてはな らないのかな、と思っているんですが。 藤原:僕は若い人らに勝てると思ってないん ですよ。コンピュータの世界なんて毎日が産

価するかどうかというのは、その環境に依存 すると思います。なので、自分の業績評価っ て一様ではないのではないのかな。 村上: 確かに、研究者の業績評価って論文の 数とかサイテーションだけじゃない部分もあ るはずなんですが、国はやはりそこの部分で 評価をしているのが現実です。でも、現場で は多分評価はそこだけじゃないということは 理解していると思います。だから、あまり論 文数やインパクトファクターだけにこだわる のも変だと思います。 それだけで研究者が評価されるようであれ 51


ば、日本の学術界は間違った方向に進んでる

す。だから、作る人は自分のわがままで作っ

んじゃないかなと思います。若いんだから、

ちゃいけなくて、使う人がどう使うかに合わ

ある一カ所の価値基準に染まらず、企業や海

せて設計しなきゃいけないんです。だから、

外の大学に出て、いろいろ経験を積んで、自

他分野の研究を知っていないと、いい研究が

分のあった環境で評価してもらうという道も

できません。そういう意味で僕は学際的な活

ありますよ。起業してもいいし、可能性は広

動は結構行っていました。

く考えたほうがいいと思いますよ。

村上: 僕の場合はやはり学生時代は、自分の

鈴木: あと僕もそうなんだけど、隣の芝生は

核融合研究を中心に学んでいました。だから

青く見えてしまうんですよ。それは仕方ない

他の専攻の学生と話したりするのは、本当に

ことかもしれないですけど、なるべくその気

学生セミナーの実行委員会の時だけでした。

持ちを抑えて自分は自分なんだという気持ち

今考えると、ちょっともったいないことした

で取り組むことが大事だと思います。うまく

のかなと思います。でも、あの頃はやはり余

いっていない時は嫉妬したり、逆に自信を無

裕がなかったっていうのも事実です。

くしたりするような感情も出てきますけど、

大岡: 今思い出したんですが、生命リトリー

自分が成果を出して自信がついてくれば、そ

トという生物分野の専攻が集まる研究会には

うした気持ちは徐々に和らいでいくと思いま

参加し、情報交換していました。

す。他人と自分を比べないで、自分のやるべ

鈴木: 僕は、春画だけでなく、フィールドワー

きことを楽しんでやっていると、また違った

クの勉強もしていました。春画と関係ないで

結果が出てくるんじゃないかな。

すけど、大きなくくりで絵画研究という分野 で、仏教絵画の絵解きの研究も並行して行っ

52

Q.僕は基礎生物学をやっているんですが、 総研大では広い視野を獲得しなさいと入学 時から言われる半面、専攻では専門に集中 しなさいと言われます。皆さんが在学中は、 他専攻や他分野の知識をどの程度学びまし たか?また、学ぶ機会はありましたか?

ていました。なので、他大学の先生を訪ねた

大岡: 私も全学事業にはよく参加していたん

やっちゃう。するとそれもどこかで役に立つ

ですけど、確かにそういう専門以外のイベン

んです。なので、他分野の研究や勉強も、興

トや活動に行くと、研究室の人から「好きだ

味と時間があるならばやってみたほうがいい

ね」って言われたりしてました。あと私は後

と思いますよ。本末転倒にならない程度です

期から入ったんで、1年生のうちは参加でき

が(笑)。

たんですが、それ以降はだんだん忙しくなっ

安藤: 文化科学研究科は色んな先生がいて、

て参加できなくなりましたね。

そういう先生たちとの話し合いは僕にとって

り、科研の研究協力者にしてもらって調査予 算をいただいて調査をしたりしていました。 その経験がちょうど今の科研費の獲得につな がりました。僕の場合は思いついたらすぐ

研究室にはいろんな考えの人がいますから

はとても刺激的でした。例えば、歴史をやっ

ね。やはり自分の研究もきちんと行いつつ、

ている先生は、「なぜ日本は家を建てるとき

両立させるというのが前提だと思います。

に木と紙を使うんだ」とか言うわけですよ。

藤原:情報学っていうのはインフラなんです

当時、僕の研究は物を長く使うことというの

よ。スパコンだって作る人と使う人が別々で

を考えていたわけですが、そういう建築の観


点からの問題提起というのは新鮮で印象深

は、人は物に対して人を感じる機能があるん

かったです。また、当時の学長の小平先生は

ですね。その本質が専門外の人たちとの会話

天文学の先生だったんですが、小平先生と話

で出てくることがあります。だから僕は、対

をすると、当り前ですが時間の尺度が全然違

極にある人ともコミュニケーションできるコ

うんです。そういう話を聞いてると、自分が

ミュニケーション能力も研究者として必要だ

扱う時間という単位についても再考する機会

なっていうのは思います。

になりました。先ほど、鈴木さんが教養とい

藤原: 補足ですけど、研究テーマそのものに、

う話をしていましたが、自分の研究とは直接

分野横断的な要素を組み込んでしまうのが、

関係のない知識は多分教養の部分に含まれる

研究と学際性を両立させるためには一番効果

と思うんですが、教養を知ると自分の研究に

的かなと思います。僕はグリッドコンピュー

対する視点や考える観点が変わっていくとい

ティングと言ってあちこちのスパコンを組み

う経験が多々ありました。

合わせて使おうっていう研究室に行ったんで

例えば、民博の大森先生が「科学映像の理

すけど、そのためには厚生経済学やオーク

論と制作」という合宿型の授業を、全学向け

ション理論とか、経済学の勉強する必要があ

に総研大レクチャーという形で開講してくだ

りました。したんです。そしたら、物の値段っ

さいました。その授業は僕の人生を変えるぐ

ていうのは各個人の心の中にしかないんだ

らい面白かったですね。その授業では、映像

なっていうようなことが見えてきて、発想の

を作成する素材を様々な場所で、10分程度

転換になりました。

撮影します。その後、10分の映像を3分の学

君がどんな研究してるかわからないんです

術的映像に変換し、さらに1分に縮めて映像

けど、細胞の動きを調べるときにゲーム理論

を要約していくという作業を行います。

的に解析してみるとか、学際的視点を入れて

映像は、それぞれチームに分かれて、保育 園とか、国立天文台とかを撮影しますが、参

研究してみると面白い話になるかもしれない ですよ。

加している人の専門がバラバラなので、撮影 の視座が多様で本当に面白かったです。自分 の視点を記録し、それを元に説明するってこ とを、映像というビジュアル言語で表現する と、我々は同じ事象でもまったく違うように 捉えてるんだなあ、ということがよく分かり ました。そこが理解できるのが他分野の学問

Q.私は現在ラボローテーション中なんで すが、自分の軸になる研究がまだ定まって いません。皆さんが自分の軸を見つけた時 というのはいつ頃なのかなということをお 聞きしたいのと、それを見つけるまでにど うやって研究へのモチベーションを維持し ていったかを教えてください。

を学んだり、学際交流をするメリットだと感

安藤: 難しい質問ですね。僕は社会人を経て

じます。

研究に入っているので、こういうことやりた

また、専門じゃない人の話を聞くのも意外

いって思って研究することから始めました。

に本質的な議論が聞けて面白いです。例えば、

でも、僕自身は、仕事でも研究でも、人と道

僕はモノの長期の利用について考えていたん

具との関係というのはずっとテーマとして取

ですが、その理論を話すと、ほとんどの人が

り組んできた気がします。

恋愛の話とか奥さんの話をするんですね。実

僕がそのテーマを選んだのはなぜか。そ 53


れはもう学部の時代に遡っちゃうんですけ

るんですが、僕は「いいものが作りたいから

ど、っていうかもっと遡ると保育園から遡る

です」って答えるんです。いい物を作りたい、

んですけど、いいですか? 僕が一番最初に

僕が作るというよりも作ってくれる人のため

作った一番大きいものっていうのが、実はお

に「いいものがこうやって作れるよ」って言

神輿なんです。保育園でお神輿作ったんです。

う研究がしたい。そうするとみんながハッ

それは「できるかな」っていうノッポさんが

ピーになれる。お神輿だけにハッピーという

出てきて工作する番組があったんです。あれ

54

(笑)。

を見ていたら、牛乳パックとストローでお神

奥本: 安藤さんには、ダジャレについては注

輿を作ってたんです。しかしあの番組はひど

意したんですけど(笑) 。

くて、最後になると、作ってもない、でっか

安藤: ちょっとまじめな話に戻すと、もう一

いのが出てくるんです(笑)。番組ではストロー

つ、実は今、私は質的研究法という研究法を

や牛乳パックで作ってたのに、最後はノッ

研究者に教えるっていう立場にいます。ここ

ポさんが担げるような大きなお神輿が出てき

数年、社会学で使われている質的研究法を工

て、ノッポさんが担いじゃったりとかしてる

学にいかに応用するのかっていう研究法の研

わけ。

究もやっています。研究法を研究する、とい

僕はその時、これが欲しいって思ったわけ

うのもすごく大事です。ラボローテーション

です。そうすると、作らないではいられない。

をしながら、自分に合った研究法に巡り合う

うちは、代々、桶職人の家系だったので、家

というのはとてもいい経験になると思います

に道具があふれてる家でした。結局自分一人

から、頑張ってくださいね。

ではできないんで、父親、母親、色んな人を

大岡:私もさっき言ったように、もう研究し

説得しておっきいお神輿を作って保育園持っ

たいなっていう純粋な好奇心だけで今に至る

て行って、今度は保母さん達を巻き込んで、

という気がします。ただ迷った時は、ここに

輪っかで飾りつけ、そしたらもう担がないわ

きた過程をもう一回思い出してみることが一

けにいかないじゃない。

番重要じゃないかなって思います。自分の目

大岡: それ3歳? 4歳?

の前の研究が面白いと、つい初心を忘れがち

安藤: 3歳、4歳ですね。

です。私も、29歳でようやく昔の夢に気づ

藤原: すごいお祭り体質ですね。

いたから(笑)。

安藤: 基本、僕はお祭り体質なんですよ。だ

藤原: 僕はすごくボトムアップな生き方をし

から今やっていることも基本的には何にも変

てきまして、別に研究者になりたいわけじゃ

わっていないんです。僕は人を巻き込んで、

ないんです。自分ができることで自分のやり

人が楽しく何かを作るってことそのものが楽

たいことをやっていけたら、今の人生になっ

しいんです。だからずっと昔から好きだった

てきたっていう感じです。これからも研究者

ことを今でもやってるだけなんです。

をやり続ける気は全くないんですけど。僕は、

物作りに関わりたいけど、自分じゃできな

論文書くのがすごく苦手でして、すごい筆が

いので、物を作る人を側面支援しようと思い

遅いんです。でも発表するのは好きだし、プ

今の仕事をやっています。だから僕もよく「何

ログラミングは好きだし、研究構想練るのも

で大学の先生やってるんですか」って聞かれ

割と好きなんで、まあこのぐらいのバランス


なら苦手な部分があってもいいかなと思うこ

えさせられ、自国の文化を研究することが大

とはあります。

切だと、自分の進む方向性が見えてきたんで

割と物作りが僕も昔から好きで、自分で作

す。だから、あなたも日常の中にあるショッ

れるものは自分で作っていました。自分の限

キングな出来事を大切にすると、自分の中に

界がどこにあるかなんて、やってみなきゃわ

ある迷いが答えとなるかもしれません。ごく

からないので、いろいろやってみて、できる

普通の日常生活のなかで、インパクトを受け

ところを探してみようと思います。

る瞬間がたまにあると思います。それが軸に

村上: 自分がやりたいと思ってやっていたけ

なって、自分の将来が開けたりするので、僕

ど、そのあと、実際にやってみてやっぱ違っ

は日常の中の経験に目を向けるということが

たんじゃないかっていうことが多いんですよ

非常に重要かなと思っています。ただ、そう

ね。僕もそうだなあと思って(笑)。僕は核

いうショッキングな出来事に出会う確率を高

融合の研究をやってきたんですが、今この職

めるためには、やはり好きなことや興味のあ

業に着いて考えてみると、別にそこまで核融

ることをしながら暮らしていくというのは必

合研究にこだわる必要なかったなって思いま

要かもしれません。これって結構恋愛にも似

す。僕自身が、今は自分が何をやりたいのか

てるかなって思いません? 一目惚れとかあ

分かってないのかも知れないですが、今思う

るじゃないですか。ショッキングな出会いを

のはキャリアを選択する時の情報量が少なす

経て、あ、この人好きだと瞬間的に思うこと

ぎたのかなあ、という部分があります。もう

が多々あるじゃないですか。で、この人と結

ちょっと視野を広げて考えて選択していく

婚したいと思って、結婚する場合もあるし、

と、自分にとってもっと向いている研究や職

結婚までいかない場合もあるけど、その時の

業があったかもしれないな、って今少し反省

ショッキングな出会いというのは、あたかも

しています。そういう意味ではこれからも僕

自分の軸になったような気持ちになってしま

自身がどんな方面に進むか分かりませんが、

いますからね。でも、時間と共にその気持ち

これから自分のやりたいことを見つけていき

は変わることもあると思います。僕はその気

たいと思っています。そういうことが往々に

持ちが変わっても別にいいと思うんですよ。

してありますから、別に今迷っていたって問

ただ、そのショッキングな出会いというのは、

題にしなくてもいいです(笑)。

大切にしたほうがいいと思います。その経験

鈴木: あ、 は い。 非 常 に 難 し い 質 問 で、 答

が、あとから振り返ると、自分の人生のター

えにくいですけど、僕の場合は先ほども話

ニングポイントになっていくかもしれないで

したんですが、ヨーロッパの美術館、特に

すから。日常の中のそういう何気ないインパ

ルーブル美術館の展示方法でびっくりした

クトっていうのを大切に拾い上げていくって

のが、きっかけのひとつです。ルーブル美術

いうことは重要ですね。

館はイタリア絵画を全部廊下に展示してい

奥本: 最後はすごくロマンチックな話で終わ

て、フランス絵画を各部屋に展示しているん

りましたね。先生方、 ありがとうございました。

です。ぱっと見た瞬間に、その空間に、もの すごくフランスナショナリティを感じまし た。これは何だと思って、そこから色々と考 55


研究者入門 総合研究大学院大学 2014 年 3 月 31 日

総合教育「研究者入門 2013」講義録 発行

企画・編集:岩瀬峰代、奥本素子 発行:国立大学法人 総合研究大学院大学(総研大) 学融合推進センター 〒240-0193 神奈川県三浦郡葉山町(湘南国際村) Mail address:oida@ml.soken.ac.jp デザイン・印刷:(株)ポートサイド印刷 ※許可なく転載を禁ず

研究者入門2013  

研究者入門2013の講演集