サステナ第36号

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■司会挨拶

みむら のぶお

三村信男 茨城大学学長

皆さま、おはようございます。ただ いまより 「国際シンポジウム 持続可能 な自然社会づくり」 を開催いたします。 本日、司会をさせていただきます茨城 大学学長の三村です。サステイナビリ ティ・サイエンス・コンソーシアムの 理事を務めている関係で司会の役とな りました。どうぞよろしくお願いいた します。 本日の流れについてご説明いたしま す。最初に基調講演があり、それに続 けてお二人の方のご講演があります。 その後で、三人のご講演に対する質疑 応答の時間を三〇分間設けます。以下 同じように、二つの講演の後に質疑応

答の時間を設けるということを繰り返 します。そして、一五時一〇分からパ ネルディスカッションを開き、終了予 定時刻は一七時二〇分です。長いシン ポジウムでありますが、どうぞ最後ま でお聞きいただければと思います。 それでは開会に当たりましてのご挨 拶を、プログラムではデイビッド・マ ローン国際連合大学学長が申し上げる ことになっておりますが、急にご都合 がつかなくなったということでありま すので、国際連合大学上級副学長の武 内和彦先生にお願いいたします。

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国際シンポジウム第 9 回公開シンポジウム International Symposium on Sustainability Science

持続可能な自然共生社会づくり Creation of a Sustainable Society in Harmony with Nature

本シンポジウムは,国内外の学界や産業界などのリーダーの皆さんを招いて, 持続可能な社会への移行のために,サステイナビリティ・サイエンスがどの ように貢献できるかについて議論しました。自然資本を利用した,生態系サ ービスをよりどころとする,気候・生態系変動などの長期的変動と激甚災害 などの短期的環境変動に対するサステイナブルでレジリエント(回復力のあ る)な社会の実現に役立つ方策について,さまざまな考えが出されました。

●主催:一般社団法人サステイナビリティ・サイエンス・コンソーシアム(SSC) 東京大学サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S) 国際連合大学サステイナビリティ高等研究所(UNU-IAS) ●日時:2015 年 1 月 24 日(土)10:00~17:20 ●会場:ウ・タント国際会議場(国際連合大学内 3F) 2


ました。 自然共生社会という言葉は、日本で は、二〇〇七年に二一世紀環境立国戦 略が策定された際に初めて使われまし た。人と自然を一体として捉え、その 良好な関係を築いていくというのが、 自然共生社会の基本的な考え方です。 本日は最初に、経済学分野で大変著 名なケンブリッジ大学のパーサ・ダス グプタ名誉教授をお招きして基調講演 をしていただきます。経済学の観点か らも、自然共生社会を考えていくこと に関心が高まっています。二〇一二年 にブラジルのリオデジャネイロで「リ オ+ 」 (国連持続可能な開発会議) が 開催 された際 に 、 包括 的 富 指 標 )が発表さ ( Inclusive Wealth Index れました。その中身について、包括的 富指標の提唱者であるダスグプタ名誉 教授ご本人からお話いただけることに なっています。包括的富において自然 資本が非常に重要であるとダスグプタ

教授は指摘され、自然資本を私たちの 生活のために有効に使っていこうとい う考えが世界的に主流になってきてい ます。 自然資本と私たちの生活をつなぐの が「生態系サービス」という考え方で す。日本語としては「自然の恵み」と いうとわかりやすいかと思います。「自 然の恵み」を生かしていくためにはき ちんとした科学的な評価が必要で、評 価結果を社会的に活用していくことが 重要になっています。 そのような取り組みを国際的に推進 するために、いくつかの地球レベルで のイニシアティブがあります。 一つは、 生物多様性と生態系サービスに関する 政府間科学政策プラットフォームです。 略称でIPBESと呼ばれています。 本日はそのIPBESの議長を務めて おられるザクリ教授にもお越しいただ いています。最近ドイツのボンで開催 されたIPBESの総会の成果につい

て直接お話をいただけるものと期待し ています。 自然共生社会を実現していくには、 学術界のみならず、産業界との連携も 大変に重要です。本日は、産業界も含 めて国内外から自然共生社会に関わる さまざまな関係の方々にお越しいただ いております。 このシンポジウムで、わが国のみな らず、世界の自然共生社会に向けた有 用な提言ができることを期待いたして います。長時間になりますけれども、 どうぞ最後までお聞きいただき、また 討論に加わっていただければと思いま す。

司会 どうもありがとうございまし た。 それでは早速基調講演に入らせてい ただきます。ケンブリッジ大学のパー サ・ダスグプタ名誉教授にご講演をお 願いします。

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■開会挨拶

たけうち かずひこ

武内和彦

が集まってサステイナビリティ学を日 本で推進していくためにさまざまな活 動をしています。また、このシンポジ ウムを開催するにあたって、科学技術 振興機構(JST)をはじめ多くの関 係機関のご支援をいただいております ことに対しまして、この場で感謝申し 上げたいと思います。 本日のテーマは「持続可能な自然共 生社会づくり」です。 皆さまもご存じのように、二〇一〇 年に愛知県名古屋市で生物多様性条約 の第一〇回締約国会議が開かれ、二つ の大きな成果を生み出しました。一つ

国際連合大学上級副学長 東京大学国際高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)機構長

本日は休日の土曜日にもかかわらず、 国連大学にまでわざわざお越しいただ きまして、まことにありがとうござい ます。 このシンポジウムは、サステイナビ リティ学国際会議の一環として企画し たものです。国際連合大学サステイナ ビリティ高等研究所、東京大学サステ イナビリティ学連携研究機構、そして 一般社団法人サステイナビリティ・サ イエンス・コンソーシアムの共催によ るものです。主催者の一つであるサス テイナビリティ・サイエンス・コンソ ーシアムは、大学、自治体、企業など

は、遺伝資源の公平な利益の配分に関 わる「名古屋議定書」の採択で、もう 一つは、二〇二〇年までの短期目標と 二〇五〇年までの長期目標を定めた 「愛知目標」の採択です。現在、私た ちは、短期目標の達成に向けて様々な 取り組みを行っています。 長期目標は、 日本政府の提案を受けて「二〇五〇年 までに自然と共生する世界を実現す る」という世界共通の目標が採択され

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図①

往々にして自然環境を減少させてしま います。そして、世代をこえてという ことでありますから、われわれの世代 のニーズと将来の世代のニーズのバラ ンスをいかにとっていくのかというこ とも政策立案者はみていかなければい けません。 経済学には経済学の言語があります が、それですべての説明が付けられる わけではありません。これまでわれわ れはグリーン経済成長のコンセプトを 把握できていませんでした。一部には その試みはありました。しかし、経済 学はある特定の物差しで測る国の経済 成長に重きを置いていました。生産的 基盤が重要なポイントとされ、通常そ の生産的基盤はわれわれが人工的につ くったものを考えていました。生産的 基盤に投資するということは、ブルド ーザーを投入するようなこと、構造物 をつくっていくようなことであるとさ れていました。

投資にはそのようなハード的なもの だけではなくて、よりソフト的なもの もあります。たとえば、教育や健康を 改善していくような面での投資です。 また、湿地をどのように生き返らせる のか、昆虫による受粉がこれからも引 き続き行われるようにするにはどうし たらいいのかといった観点からの投資 もあるでしょう。しかし、それらを把 握するということはなかなかされてき ませんでした。投資には必ずしも能動 的なものだけではなくて、何もしない といった受動的なものもあって、それ らもみていかなければいけません。 そうしたことがなかなか意識されて こなかったのは、経済学そのものが間 違っていたからではありません。経済 を説明しようとする経済学者が間違っ たかたちでの説明をしてきたのです。 今日はここで、 生産的基盤について、 新たな視点からみるということをお話 していきたいと思っています。これま

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■基調講演1

グリーン経済における福祉 y m o n o c E n e e r G e h t n i g n i e b l l e W

パーサ・ ダスグプタ o as t s p ue g f s o a D r iP h t y ae r s a S m a aR h t r k an P a rr i F S

ちです。今回のシンポジウムの非常に 重要なテーマである自然をどのように 維持していくのかということが忘れら れがちなのです。このシンポジウムで いま一度われわれの立ち位置を見直し て、人類としてのプライオリティをど こにもっていくべきなのかということ を考える機会にしていただければと思 っています。 今日の私の講演のタイトルは「グリ ーン経済における福祉」です。グリー ン経済成長とは、自然環境を減少させ

e g d i r b m a C f o y t i s r e v i n U e h T , s c i m o n o c E f o s u t i r e m E r

本日はなるべくゆっくり話すことを 心掛けたいと思っています。往々にし てこのような場でのスピーカーは早口 になりがちで、もし早すぎると思われ ましたら、そして通訳がなかなか追い ついていないと思われましたら、ぜひ 挙手していただければと思います。 皮肉にもといいますか、あるいは悲 劇的ともいえるのかもしれませんが、 現代の政治は国としてのアイデンティ ティを重視しているために、その結果 として、より重要な問題が忘れられが

ることなく、人々が世代をこえて生活 水準の向上を享受できるということを 意味します(図①) 。これは定義として は非常に明確ではありますが、実際の 助けにはあまりなりません。なぜかと いうと、生活水準の向上をどのように 図るのかというのがまず難しいからで す。さらに、生活水準を向上させても 自然環境を減少させないというのが難 しいのです。生活水準を向上させると

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図③ 自然資本の利用に伴う減耗と、汚染物 質の排出に対して課税を行うという考 え方を取ります。 時間とともに動く経済下では、われ われの活動がいかに自然資本を減耗し ていくのかということを考えなければ いけません。 ビジネスの世界の人なら、 減価償却ということでこのコンセプト はご存知だと思います。 たとえばショッピングモールを建設 するために開発すると、あっという間 に自然がなくなってしまいます。ショ ッピングモールはいいものだと考えら れていて、動植物の生息地を破壊する ことは必ずしも悪いことだとは考えら れていません。経済学者はバランスを 取っていかなければいけません。自然 を破壊して、つまり自然資本を減耗さ せて、人工資本がそれにとって代わる ときに、人工物をつくるメリットと自 然を破壊するデメリットのバランスを とっていかなければいけないのです。

汚染は自然資本の価値を下げます。 湿地のような自然資本は正の社会的価 値をもち、サービスを提供します。湿 地の価値はいますぐに使えるものでは ないこともあります。汚染物質は自然 資本の価値を下げるので負の社会的価 値をもちます。酸性雨は古い建物に危 害を与えます。大気中の二酸化炭素も これ以上増えるといろいろな大切なも のが破壊されてしまいます。その意味 では、二酸化炭素も汚染物質です。 自然資本と汚染物質は逆向きのもの、 コインの裏と表です。二つは別のもの でありますがつながっています。ピグ ーとコースは汚染の話をしたわけです が、そのような洞察をもって時間とと もに経過する経済をみることで、自然 資本の価値の減少について考えること ができます。それによると、自然資源 に対して適切な価格づけが行われるな らば、経済活動は自然保全と両立する ことになり、結果としてグリーン成長

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で、いわゆる自然環境を経済の計算の なかに取り込むことを経済学者は怠っ ていました。その一部分、たとえば生 態系から得られる生産物といったもの は取り込まれてきましたが、われわれ が日々吸っている空気などは無償のも のとされ、正当な価値は測られていま せんでした。さまざまなものが経済の 計算のなかにきちんと取り込まれてい なかったのです。 それに対してわれわれはどのような 手を打っていけばいいのでしょうか。 ケンブリッジ大学出身の経済学者アー サー・セシル・ピグーは、一九二〇年 に、経済活動によって汚染物質が排出 される場合に、汚染物質が人々の厚生 を限界的に減少される分まで課税され るべきであるということを示しました (図②) 。 汚染物質を出している人間は、 課税されれば出す量を当然制限するは ずだという考えです。彼はこのことを 『厚生経済学』 のなかで述べています。

図②

それから四〇年後にドナルド・コー スは、もし人々に適切な所有権が与え られたならば、汚染に対する交渉が行 われ、その市場が形成されて、汚染の 外部性は内部化されるだろうと指摘し ました。 自然資源の利用に関してこのような 二つの議論がありました。汚染物質を 排出する人々が、それに対してどのよ うに支払いをしていくのか、どのよう に配慮をしていくのかという議論で、 ピグーとコースのこの分析は、時間に よる影響を考えない世界を前提として いました(図③) 。実際の社会では時間 はもちろん経過しています。ピグーや コースの分析は論点を説明するもので、 時間とともに動く経済においては、彼 らの議論は、資産のストックである自 然資本の利用に価格を付けるというこ とを指摘したことになります。自然資 本には天然資源や湿地、森林、池、海 といったものが含まれます。彼らは、

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い、孫のためによりよい生活を残して あげたい、少なくともわれわれと同じ ような生活にさせたいとわれわれは普 通に思います。これは将来をみるとい うことです。色はグリーンでもブラウ ンでも何でもよくて、重要なのは人々 の安寧、幸福です。その測定を将来を みながら行うのです。 もう一つは、そのための手段です。 安寧、幸福を維持し拡大するための手 段を探し出さなければなりません。正 しい結果を引き出すような手段を選ぶ ことができるのなら、結果を測定して も、手段を測定しても、どちらでも正 しい答えが得られるはずです。手段と 結果はつながっているからです。そし て、経験と議論が教えてくれるのは、 手段を研究し測定する方がよりたやす いということです。 一九七八年に国連のブルントラント 委員会が持続可能な開発の議論をしま した。その報告書は、次世代に残す幸

福についてのパイオニア的な非常にす ばらしいものでした。しかし、実際に 何を測定したらいいのかという記載は ありませんでした。 皆さんのなかには、建物が壊れると か、天然資源が失われるとか、人々が 死亡するとかも、国内総生産(GDP) を使えば測れるのではないかとおっし ゃる方がおられるかもわかりません。 GDPは経済の成功・失敗を測るため にわれわれが作り出したものですがそ れだけでは駄目なのです。まず、資本 の減耗を含めなければなりません。そ のためには、発展の指標をGDPから 国内純生産(NDP)に置き換えなけ ればなりません(図⑤) 。ただし、それ だけでいいとしたら、それは誤った考 え方です。今日は正しいアイディアを お話したいと思います。 開発の目的が、われわれ、子ども、 そして孫といった世代をこえた安寧・ 幸福であるとするならば、それを実現

するための手段の測定は、ある経済の 一人あたりの包括的富指標の測定であ るべきです(図⑥) 。一人あたりといっ ているのは、人口の規模を考えて正規 化するということです。所得の配分、 富の配分につながっていきます。 重要なのは、富といったときにその なかに何があるのかです。自分たちの 富を考えてみてください。自分にどれ くらいの富があるのかといったら、土 地や家屋や株をどれくらいもっている かをまず思い浮かべることでしょう。 あるいは、自分が退職するまでにどれ くらいの給与をもらえるのかと思うで しょうか。つまりそれは所得のフロー で、富の源です。これは私の富だとい えるのは、自分が所有しているもの、 自分のところへと流れてくるフローだ けなのでしょうか。 たとえば海はだれのものでもありま せん。われわれは海から海産物を手に することができます。大気もだれのも

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図④

図⑤

がもたらされるということになります (図④) 。 両者のバランスがとられて両 立するということです。将来の世代に 向けて自然を保全し、遺産として残せ るのです。 それでは、成長とは何が成長するこ となのでしょうか(図⑤) 。ここで考え るのはもちろんグリーン経済の成長で す。成長を測るには測定基準が必要で す。 その経済が本当にグリーンなのか、 グリーンとして維持されているのか、 よりグリーンになっているのか、それ らを測る基準がなければなりません。 われわれが実際に何を拡大しようとし ているのか、成長させようとしている のかということです。 われわれが従うべき二つのことを指 摘します。一つは、われわれがほしい のは人々の安寧で、それを維持したい ということです。幸福を維持し拡大し たいといってもいいでしょう。子ども たちによりよい人生を選んでもらいた

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ンポジウムでは自然資本に焦点が当て られています。 経済のなかで(1)や(2)につい てはこれまでも考慮がなされてきてい ますが、自然資本に関しては十分では ありませんでした。ピグーの理論を援 用すると、汚染によって自然資本にダ メージが与えるのなら、生産したもの の価格はより高くなるべきです。しか し、実際には自然資本へのダメージの すべてをみることができていません。 可視化できていないものがあるのです。 作物が実をつけるのにハチの受粉が非 常に大きな役割を果たしているという ことはわかっていても、ハチの受粉活 動の真の価値はわかっていません。 資本資産はこれですべてでしょうか。 これ以外にも、生産活動をするための 社会の仕組みのようなものも富である といえるでしょう。それらを、実現さ )と呼んで せる資産( enabling assets います(図⑧) 。制度、ソーシャルキャ

ピタル、整えられた知識などです。ソ ーシャルキャピタルというのは、社会 規範や慣習、人々の間の信頼の程度な どです。整えられた知識というのは、 自然法であるとか、数学の理論である とか、歴史であったり、何らかの体系 性があるものはすべて資本と定義付け されます。 このような実現させる資産は測定で きるものなのでしょうか。可能だとい う感覚はあっても、これまではなかな か実証できませんでした。たとえば 人々の間の信頼の程度はどのように測 定したらいいのでしょうか。信頼は社 会が崩壊するのを防ぐ接着剤のような 役割を果たしていますが、七〇〇〇億 円の信頼があるというような言い方は 意味をもつでしょうか。全く意味をな さないということはおわかりいただけ ると思います。実現させる資産は、社 会的なインフラとして把握することに なります。

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図⑧


図⑥

のでもありません。われわれは無償で 酸素を吸い、無償で二酸化炭素を排出 しています。そのようなものもわれわ れの富として考えるべきなのではない でしょう。 富には、経済のなかでわれわれがア クセスできる資本資産があり、それは 三つに分類されます(図⑦) 。 (1)再生産可能な資本。普通の言 い方をすれば、道路、建物、港、機械、 設備などです。 (2)人的資本。人は重要です。国 の富のなかに人的資本があるというこ とをわれわれは真剣に考えなければい けません。まずは人口の規模と構成を みます。人は富をつくりだす手段とし て使われることもあります。人を教育 することで非常にすばらしいものがつ くり出せるようになります。もちろん 健康も重要です。 (3)自然資本。生態系、大気、土 壌、地下資源などです。今日のこのシ

図⑦

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図⑩

図⑪

ックであるならば、t期における包括

的富 W(t) がどれだけになるかという ことが示されています。シャドー価格 とストックを掛け算して、すべての資 産について足し合わせるという公式で す。 さて、持続可能な発展とは何でしょ うか。その定義が図⑩です。世代間福 祉が時間の経過に伴って低下しないな らば、発展は持続可能です。いいかえ ると、現在の経済が将来の福祉を損な うものではないということです。 包括的富に関する二つの定理があり ます(図⑪) 。 定理1は、世代間福祉が増加すると きのみ、 一人あたりの富は増加します。 これは目的と手段のいい接続ができた ということです。きちんと手段を研究 するならば、目的は達成されうるとい うことです。富と国内純生産(NDP) の結び付きは、人口で規格化すると定 理2のようになります。

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想像してみてください。財産に対す る権利を保障する法があったとしても、 もし内戦がおこったらそういった権利 は弱くなってしまうでしょう。あるい は非常に腐敗した政府であったらどう でしょうか。社会秩序の崩壊した世界 にいたならば、資本資産を本来の意味 で活用することができません。今われ われが非常に秩序立った社会で生活し ているのは幸いであって、非常にうら やむべき環境にあるといえます。実現 させる資産がどのようであるかによっ て、資本資産の実際の価格が変わって きます。実現させる資産は、実際の資 本の価値を現実のものにする役割を果 たすものなのです。 人的資源にはスキルも入れました (図⑦) 。スキルは知識であって、実現 させる資産の方に入れるべきではない かと考えるかもしれません。逆に、知 識は資本資産として捉えるべきではな いかと考える向きもあるでしょう。ス

図⑨

キルは人のなかに存在するものです。 そして労働市場において、スキルの価 値の一部は実際にお金という指標に反 映されています。それに対して微分・ 積分のような数学の理論は、社会環境 として存在していてわれわれが自由に 使うことができます。もちろんスキル がなければ数学の理論は活用できない のですが、スキルがあってもなくても 知識としては社会に存在しています。 富とは、ある経済の資本資産ストッ クの社会的価値です(図⑨) 。資本資産 の社会的価値はその資産のシャドー価 格と呼ばれています。社会環境は、資 本資産とシャドー価格をつなげる接続 性をもちます。倫理はその一部を占め ます。倫理は過去から継続してきた資 産に対して、その目的を決定付けるも のです。

ここに数式が一つ出ています。 Pi(t) が資産iのt期におけるシャドー価格

で、 Ki(t) が資産iのt期におけるスト

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裏に必要です。この後でお話されるア ナンサ・ドライアッパさんたちが『包 括的富レポート2014』を出されま した。これは一九九〇年から二〇一〇 年までの世界一四〇カ国における包括 的富の動きを推計したものです (図⑬) 。 自然資本としては化石燃料、鉱物、農 地、森林を測り、人的資本としては教 育・健康を入れました。 図⑭が結論です。皆さまが知りたく ないような結果が出てしまいました。 それが人生というものでしょうか。 一人あたりの富は八五カ国で成長し、 五五カ国で減少しました。 しかも、 大気中の二酸化炭素の増加、 石油価格の上昇、そして技術的な変 化・成長を考慮して修正すると、一人 あたりの富が成長していると判定され た国の数は五八カ国になりました。 自然資本のストックが成長したのは 二四カ国だけでした。自然資本という のは本当に貴重な限られた資本です。

図⑭

二四カ国が成長したとするのは実は評 価が甘いのかもしれません。 まだ不十分な結果であっても、非常 に役に立つ情報だと思っています。一 つには、ここから悲観的なストーリー がみえてきます。われわれはもっと懸 念をもたなければいけません。地球に われわれが何をしているのか、われわ れが自分たちに何をしているのか、わ れわれが子どもたちに孫たちに何をし ようとしているのか、もっと心配しな ければなりません。 私にとって喜ばしいのは、私たちの 仲間がこのようなテーマに関して本当 に真剣に研究していることです。あち こちに研究グループがあります。それ らの人々がともに協力をして、子孫の ために破壊されない将来を残していけ ることを願っています。

司会 大変に明快なご講演をありが とうございました。私自身も、今のお

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図⑫

定理2は、NDPが集計国内消費を こえた場合にのみ、その時点における 富は増加するということです。つまり NDPと消費のバランスをとるという ことです。バランスがとれていて、次 世代に対してより大きな生産能力を継 承していくなら、世代間福祉が増加す るということを意味します。 以上の定義と定理を踏まえて、グリ ーン経済成長に戻りますと、持続可能 な発展は、ある経済の一人あたりの国 内純投資が、各期において正であるこ とを要求します(図⑫) 。グリーンGD Pという名称ははなはだ不適切です。 自然資本の減耗を考慮すると、GDP がグリーンではなくなるからです。 定義と定理の次は実践です。まず、 包括的富の測定です。しかし、恥ずか しいことに、この実践の歩みは非常に 遅いのです。われわれが普通にみてい るのは市場価格です。包括的富を計算 するには、たくさんの仮定事項がその

図⑬

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行でもアジア開発銀行でもこの概念を 説明すれば共鳴してもらえるようなも のであることが必要です。現在の投資 政策、金融政策がどうして間違ってい 図①

るのかということを語ることのできる 枠組みがほしいのです。国連はここ数 年で、ミレニアム開発目標から持続可 能な開発目標へと戦略的な方向にシフ

トしてきました。国連のブレント・ウ ッズ機関はGDPを主要な指標として 使っています。われわれとしては包括 的富指標が共通の言語として話される ようになってほしいと考えていて、『包 括的富レポート2014』を発表しま した。 先ほどもお話がありましたように、 資本資産には、自然資本、人的資本、 人工資本があります(図②) 。二〇一二 年に二〇カ国について試算し、二〇一 四年には一四〇カ国について計算しま した。実際は一五〇カ国を調べたので すが、整合性のあるデータをすべての カテゴリーで収集できない国があった ために一四〇カ国になりました。 人的資本の内訳は教育と健康となっ ています。健康は重要な構成要素であ りますが、いまの測定の仕方ですと、 これがどれよりも重く、最大の構成要 素になります。健康が本当に最大の要 素であるのならばそれでいいのですが、 図②

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話で、持続可能な開発に関する経済学 の理論的な背景を聞くことができて感 激いたしました。 ご質問は、あとお二人の講演のあと でお願いするとして、次にアナンサ・ ■講演

ドライアッパ先生のご講演に移りたい と思います。ドライアッパ先生は、ユ ネスコのマハトマ・ガンジー平和と持 続可能な成長に関する教育のための研 究所の所長を務めておられます。

包括的富指標からみえてくること

t r o p e R h t l a e W e v i s u l c n I 4 1 0 2 e h t f o s g n i d n i F

アナンサ・ ドライアッパ a hh a pa p M a i a , r r u o D t ac h e t n r a i n D A

とめてくださいました。改良の余地は いろいろとありますが、いまの研究状 況をお話します。 包括的富指標の研究の背景について はダスグプタ先生からのお話がありま した。持続可能性な開発が重要である

e l b a n i a t s u S d n a e c a e P r o f n o i t a c u d E f o e t u t i t s n I i h d n a G a m t

O C S E N U / ) P E I G M ( t n e m p o l e v e D

このプレゼンテーションはパブロ・ ムノス( Pablo Munoz )さんと私の研 究に基づくものであります。ムノスさ んは研究の中核を担ってくれた人で、 一四〇カ国のデータの分析をお願いし たところ、二年間かけてしっかりとま

ということは以前からいわれてきまし たが、それを測定するしっかりとした 枠組みが必要だということです (図①) 。 エネルギーのような限られた分野の話 としてではなくて、IMFでも世界銀

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図④

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図⑤


図③

もう少し慎重に分析しなければいけな いと考えています。それで、主要な結 果からは健康は外してあります。 いくつかの結果をみていただきまし ょう。図③は一九九〇年から二〇一〇 年までのGDPと包括的富の成長です。 上段がGDPで、 下段が包括的富です。 成長率によって色分けされています。 GDPは常によく報道されていますの でとくに驚くようなことはないと思い ます。包括的富は、一四〇カ国中八六 カ国がプラス成長でした。包括的富の 絶対的な数値ではなくて二〇年間の成 長率です。一人あたりの値であること を強調しておきたいと思います。 人口は持続可能性にとって極めて重 要な要素です。図④の上段は、包括的 富の国全体での成長率です。一四〇カ 国中一二八カ国がプラスです。これを 一人あたりに調整し、人口増を考慮す ると、プラスであるのは八五カ国に減 ります。人口の増加率が包括的富の伸

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図⑥

図⑦ 23


びを上回っている国が多数あるという ことです。単純にいうと、生産基盤が 人口増を支え切れていないということ です。それに対しては二つの政策オプ ションがあるでしょう。一つは、人口 増に取り組む政策を導入すること、も う一つは、生産基盤の成長率を上げて いくことです。継続的に人工資本を増 やしていくというのはオプションには なりえません。インフラに資本を投入 するのは富を増やす簡単で手っ取り早 いやり方とみられがちですが、人工資 本に投入しすぎるとリターンが出ない で、包括的富がマイナス成長になると いうことがあるのです。 気候変動や原油価格の上昇を考慮し た全要素生産性 (TFP) をみますと、 約六〇パーセントの国がマイナスです (図⑤) 。つまり、自らの主力手段を超 えて消費している国が約六〇パーセン トだということです。逆にいうと、一 四〇カ国のうち五八カ国だけが富のプ ラス成長を経験しているのです。 これらの結果について、われわれは とくにランキングは出していません。 報告書をみた人が、自分の国はランキ ングで何位ですかとよく聞いてこられ るのですが、ランキングをしてもあま り意味がないとわれわれは考えていま す。国の生産基盤に合わせてパフォー マンスをみているので、ランキングし て比較するのはオレンジとリンゴを比 べるようなものです。 日本の皆さまには日本のことが気に なると思いますので、資料には入って いない新しい情報を口頭で申し上げま す。日本は包括的富の成長は〇・九パ ーセントです。この意味を申し上げる にはもう少し分析が必要なのですが、 〇・九パーセントの成長率は脆弱なレ ベルだと思っています。持続可能では あるけれどもマイナスになる恐れもあ るというゾーンです。日本について、 気候変動や原油価格の上昇を考慮した

調整後のTFPをみると、成長率は 〇・四パーセントに落ちます。アベノ ミクスでも〇・五パーセント落ちてし まいます。これでいくと、日本は生産 性や技術革新に投資すべきだというこ とがいえると思います。ドイツはTF Pを計算するとプラス〇・五パーセン トです。ドイツは職業訓練にかなりの 投資をしているのがプラスにきいてい るのだと思います。 次に、世界の一人あたりの包括的富 の変化をみていきます。図⑥に赤で示 してあるのがGDPです。黒の破線は 人工資本です。両者には非常によい相 関関係があります。緑の破線が自然資 本で、年々下がっています。黄色い破 線が人的資本でゆっくりとした伸びで、 あまり期待がもてない状況です。今回 の報告書では、人的資本では教育が主 要な要素ですから、教育に投資をしな くてはいけないということです。 世界の資本資産の内訳を示したのが

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図⑨

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図⑩


図⑧

図⑦です。 人的資本が五四パーセント、 自然資本が二八パーセント、人工資本 が一八パーセントです。自然資本のこ の数字は過小評価であると思っていま す。 注目していただきたいのは、人工資 本が一八パーセントしかないことです。 国が通常統計を取っているのはこの人 工資本だけで、資本資産の八二パーセ ントは国家会計においてはフォローさ れていないのです。測定されているも のはうまく管理されうるとしたら、測 定されていない八二パーセントは管理 がおぼつかないということになります。 国家会計のこのようなあり方を変えて、 本当に重要なものを主要な会計項目に 入れていく必要があります。 自然資本に関して、再生可能資源と 再生不可能資源の内訳を図⑧に示しま した。七四%が再生可能資源で、それ はよいニュースです。再生不可能な資 源の割合が小さい方がいいのです。投

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資は再生可能資源に回すべきでしょう。 自然資本と人的資本にトレードオフ の関係があるのか分析してみました (図⑨) 。高所得・低所得という分類で 図⑬

国を色で分けてあります。 自然資本、人工資本、人的資本のそ れぞれの変化を図⑩~⑫に示します。 これらをみると、日本については、自

然資本と人的資本により多く投資する 必要があるのではないかと思います。 このようなまとめから何がいえるの かを考えてみました(図⑬) 。まず、G

図⑭

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図⑪

図⑫

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■講演

包括的富と持続可能な発展

)の定義が 来』 ( Our Common Future 持続可能な発展を大変有名にし、その 後は、環境と開発の問題を考える際に は、世界中どこでも必ず持続可能な発 展がいわれるようになりました。 しかし残念ながら、持続可能な発展 を実際に具体的に活用して、政策的な

一九八〇年に国際自然保護連合(I UCN)が世界保全戦略で提起したの が、持続可能な発展という言葉の最初 だといわれています。一九八七年のブ ルントラント委員会の『我ら共有の未

t n e m p o l e v e D e l b a n i a t s u S d n a h t l a e W e v i s u l c n I

うえた かずひろ

植田和弘 京都大学副学長

ダスグプタ先生から包括的富に関す る理論的な基礎、あるいは意義の説明 があり、ドライアッパ先生からそれを 適用した報告書の説明がありました。 私からは、包括的富と持続可能な発展 とのつながりについて簡単にお話をさ せていただきます。 持続可能な発展(サステイナブル・ デベロップメント)を最初に聞いたと きに、私は大変に魅力的な言葉だと思 いました。発展パターンの一種のパラ ダイムシフトです(図①) 。

意思決定に使えるものにしていくとい う面での動きは大変弱かったと思いま す。私は『包括的富レポート2012』 を読んで、持続可能な発展の概念を政 策的意思決定に活用可能なかたちにし ていく具体的な取り組みであると感じ、 日本の人にも広く知っていただきたい と考えて翻訳することを思い立ちまし 、 た( 『国連大学 包括的「富」報告書』 赤石書店) 。

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DPの成長を推し進めることは、持続 可能な成長戦略ではありません。 次に、 GDP成長促進を経済の生産的基盤の なかで推し進めるのは、持続可能であ

っても公平ではありません。これから の分析としては、公正さに注目して、 包括的富がどのように分配されている のかというところをみていきたいと思

図⑭のつづき

図⑮

っています。 最後にこの報告書に関係する方々の お名前です(図⑭) 。アドバイザリーボ ードの皆様のうち三名の方がこちらの 会場にいらしています。執筆者には東 大の若い経済学者の馬奈木俊介先生に 入っていただいていまして、次の二〇 一六年の報告書では大きな役割を果た していただけると思います。 報告書はインターネットでダウンロ ードが可能です(図⑮) 。ぜひご覧にな ってください。

ありがとうございました。包 司会 括的富の膨大な研究結果を短時間で紹 介していただきました。 では続きまして、京都大学経済学研 究科教授、副学長の植田和弘先生にご 講演をお願いします。

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ラストラクチャーをどのように利用し ていくかということにも関わって、そ れに影響を与える社会環境も考慮に入 れなければいけないといっていること です。資本資産と社会環境を区別しな がら両方が重要だということをいって いるのです。 包括的富という指標は、世代間でヒ ューマン・ウェルビーイングが低下し ない持続可能性を判定することができ ます。そのときに、最も鍵になる概念 であると同時に、役立つ重要な概念が シャドー価格です。資産がそこにある ときに、市場での価格が付いていない ような自然資本にも、社会的価値を考 えて付与するのがシャドー価格です (図②) 。 市場で取り引きされている自 然資本でも、その市場価格が価値を正 確に反映しているのかという問題もあ って、シャドー価格はしばしば市場価 格と乖離します。 包括的富の枠組みによって、持続可 図②

能な発展は大変な前進をしたと私は理 解していますが、いくつか課題もあり ます。こうした枠組みができて、実際 に測り始めたことで、課題が鮮明にな ってきたのです。課題は新しいものも あれば古くからのものもあります。 自然資本に限って少し議論をします と、自然資本のシャドー価格をどう付 けるかというのは大きなテーマです。 仮に市場があるような自然資本であっ ても、外部性がある場合にはシャドー 価格と市場価格は乖離します。そもそ も市場価格のないものもたくさんあり ます。どのようにしてシャドー価格を 付けるかというのは大きな問題です。 シャドー価格の問題は、自然資本を有 効に利用するような仕組みがうまくつ くられていないという一種の制度の失 敗と非常に深い関わりがあります。 日本の方はよくご存じのように、貴 重な自然資本に焦点を当てたすばらし い活動があります。 最も有名なものは、

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ブルントラント委員会の定義は、図 ①に書かれている通り、世代間で豊か さ(ヒューマン・ウェルビーイング) が低下しない社会の発展パターンを持 続可能な発展としたわけです。では、 ヒューマン・ウェルビーイングとは何 だということが当然問題になりますが、 これは簡単ではありません。 先ほどのダスグプタ先生のお話のな かに、手段と目的ということがありま した。ヒューマン・ウェルビーイング をより豊かにしていくという目的を議 論することに加えて、それを実現して いく手段も合わせて議論することが大 事だというご指摘でした。社会の生産 的基盤を、ヒューマン・ウェルビーイ ングの決定要因として捉えて検討する ことは、持続可能な発展を具体化して いく上でとても意味のあることではな いかと思います。 『包括的富レポート』の理論的基礎 にあるものは、発展パターンのパラダ 図①

イムシフトの意味内容を明確するとと もに、その尺度も明確にするという二 つの意味をもっていると理解していい と思います。包括的富は生産的基盤で ありますから、それは持続可能な発展 の基礎をなすものです。包括的富が持 続しないことには持続可能な発展の条 件ができないと理解していいと思いま す。 『包括的富レポート』では、どの形 態の資本に対して投資することが生産 的基盤の持続可能性を確かなものにし ていくのかという情報を、包括的富の フレームワークが政策決定者に与える ことができると主張しています。 その生産的基盤とはどのようなもの か、 『包括的富レポート』には資本資産 が列挙されています。再生産可能な資 本、人的資本、自然資本です。とくに 自然資本に重点が置かれています。こ こで私が重要だと思いましたのは、資 本資産だけではなくて、社会のインフ

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と思います。質問がある方は手を挙げ ていただいて、二つか三つほど質問を いただいた後で先生方に答えていただ きます。時間がくるまで、また次の質 問へ移るとういかたちで進めたいと思 います。それではどうぞお願いいたし ます。 ――私は日本のただの主婦でございま す。今日は持続可能な開発について学 術的にお話を聞かせていただいて、い ろいろと考える大変いい機会を頂戴し

たと感謝しています。いまこの地球で 普通の暮らしている人々に、持続可能 性という考えがあるのかどうかという ことが一番の問題だと私は思っていま す。私たち普通の人々はやはり日々の 生活に追われています。いまの世界で はお金を使うということが定着してい て、お話のあったシャドー価格とは離 れたところで暮らしています。そうし た私たちが、地球を存続させていくた めに、普通の暮らしのなかでどのよう に考えて、どのようにしていったらい いのでしょうか。 ――私は現在福島の廃炉の問題に関わ っています。 環境の問題、 経済の問題、 いろいろな点で考えなければならない たくさんのポイントがあります。しか も、非常に迅速にプランをつくって、 社会資本の全体としての減少を防いで 再生・復興へともっていくことが求め られています。それについて適切な参

考資料、あるいはご助言がありました らお願いしたいと思います。

――私は持続可能な木材の安定的な供 給や森林の持続可能性について関心を もって活動しています。 どこの国でも、 森林は首都から離れた地方にあって、 国の政策としての優先順位はあまり高 くありません。しかし、自然資本やグ リーン経済をいうときには森林は重要 な要素だと思います。今日は包括的富 について教えていただきまして、自然 資本の計測には森林も入っていると思 うのですが、およそどのようなプロセ スで評価されているのでしょうか。そ れと、人工資本、人的資本、自然資本 の三つに分けて評価されていますが、 この三つの分野間のバランスはどのよ うにとるものなのでしょうか。三〇パ ーセントずつ投資するよう政策的に導 くようなことを考えていくのでよいの でしょうか。

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気仙沼の畠山重篤さんが「森は海の恋 人」というスローガンで行っておられ ることです(図③) 。漁場がきちんとし ているためには、森林の状態がよくな ければいけないということで、漁師さ んが植林の活動をしています。海と山 の生態系のつながりを非常に意識した 取り組みです。われわれは森林資源、 漁業資源を別々にみて、その生産を測 ってきたわけですが、海と森ののつな がり全体を扱うことが大変重要だとい うのが畠山さんの活動です。京都大学 では森里海連関学という呼び方で、そ うした連関全体を扱うことが必要だと とらえています。 もう一つ重要なのが、ダスグプタ先 生からもお話がありましたように、実 現させる資産、 すなわち社会環境です。 日本では社会関係資本ということもあ れば、一般に制度といわれることもあ ります。同じ自然資本でも、信頼関係 のある地域で使われる場合とそうでな 図③

い場合とでは、価値付けがまるで違っ てくるということがおこります。つま り、シャドー価格が変わるのです。 実現させる資産とは、資本のもって いる価値を実現させるための資産であ りますから、それのシャドー価格への インパクトという問題を扱う必要があ ります。 投資ということを考えますと、 自然資本に対してだけでなく、実現さ せるための資本に対しても行っていく 考え方があるのではないかと私は思っ ています。 包括的富の枠組みが、新しく持続可 能な発展を考えていく上で提起した課 題として私が理解しているものをいく つか提示しました。時間がきましたの でこれで一応終わりにしまして、あと は討論のときにと思います。

ありがとうございました。 司会 それではここまでの三つのご講演に 対するQ&Aのセッションに入りたい

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パラドクスです。 極めて低い可能性と、 起こってしまったときの非常に大きい 影響と、この二つ掛け合わせた結果の 数字がどうなるのかというのは難しい 問題です。掛け合わせる二つの推定値 のわずかな違いで結果が大きく違って しまいます。ですから、リスク分析で は満足のゆく答えがなかなか出しにく いのです。 数値化するというところではなくて、 直観的な、あるいは政治的な判断をす るというところで考えなくてはなりま せん。それを企業や政治家リーダーに 任せるのではなくて、リスクに直面す るわれわれが判断して決めていかなけ ればならない問題であるのでしょう。 シャドー価格の視点からいいますと、 壊滅的リスクに応じた価格を付けなく てはいけません。たとえば保険料を上 乗せするというようなことです。損害 が大きすぎると保険がきかないのかも しれません。

三つ目の質問で、人工資本、人的資 本、自然資本の三つのバランスという ことでしたが、どれを重要と考えるの か、心理的な要因がシャドー価格に影 響を与えます。われわれの将来には関 係がないと思えばシャドー価格は低い でしょう。一般の人々は自分の子ども のために食事をつくったり、教育をし たり、自分の子や孫の将来世代につい て常に考えています。われわれの活動 は他の人にも影響を与えます。自分の 子や孫だけではなく、他の人の子や孫 にも影響を与えます。問題は、自分の ことほどには他の人のことを考えてい ないということです。持続可能性は世 代間にわたる問題ですから、個人の心 理的な要因にとどまらず、集団につい て考える必要があります。 ここで注意しておきたいのは、持続 可能性な開発というのは、最適な開発 とはイコールではありません。持続可 能性な開発とは、われわれが受け取っ

たものを何とか維持して次の世代を危 機に陥れないために必要な開発です。 次の世代にどれだけ残すべきか、子ど もたちがよりよい生活水準を享受でき るように開発していくということとイ コールではありません。

司会 森林の価値をどう計算したか について説明してほしいというご質問 が出ていましたので、ドライアッパ先 生にお願いします。その後で、植田先 生から福島の災害についてのコメント をお願いします。

ドライアッパ 森林の評価にお答えす る前に、最初のご質問に感銘を受けま した。一般市民がどのような行動がと れるのかということでありますけれど も、 これは人的資本に関わることです。 とくに教育システムに大きく依存しま す。教育システムを正しく設置するな ら、かなりポジティブな方向にもって

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司会 それでは、持続可能な開発のコ ンセプトと普通の人々とのつながりと いう最初のご質問についてダスグプタ 先生からお答えをお願いします。

ダスグプタ すばらしいご質問あり がとうございます。三つの質問の全部 についてまず私から答えて次の方に回 すのがいいのかなと思います。 最初にご質問について。ここにいる われわれもみんな普通の人です。あな ただけではありません。おっしゃった ことには非常に深い意味があると思い ます。われわれはそれぞれの日々の生 活に重要性をもっています。国民の一 人であり、家族の一員です。家族を愛 し、友達を愛しています。しかし、遠 い国の人々を気遣うのは心理的になか なか難しいところがあります。世界中 の人をすべて愛するということはでき

ません。それはご理解いただけると思 います。 世界中の人を愛することはできなく ても、遠くにいる人に害を与えるよう なことがあってはいけません。よい社 会の条件として、一般の人々がいつも 何かをするたびに他の人のことを考え なくてはならないという責任から解き 放つことができるというのがあると思 います。遠い世界にどういった影響を 与えているのかということをいちいち 考えなければいけないのだったら何も できなくなってしまいます。社会は進 歩し、その進歩を通して、他の人のこ とを考えなくても、自分のことを考え ればいいようになってきました。自分 のことだけを考えていても、遠くにい る人に害を与えることがないというの がよい社会です。 しかし、自然資本に関してはそれが うまくできていません。自然資本に関 していまは政府が注意していないので、

われわれ一般の人が心配しなければい けないのです。ドライアッパさんや、 その裏方として私も、自然資本を資産 のなかに入れていく努力をしています。 一般の市民は、政府や産業界が考えて いないことに対して声を上げていくと いうことが、一つの大切な役目であろ うかと思います。 二つ目の質問ですが、福島では原発 事故により地域社会への壊滅的なダメ ージがあり、その影響は遠くにまで広 がりました。人間社会のいろいろな活 動はリスクを伴います。小さなリスク から大きなリスクまでさまざまです。 原発事故の場合は、起こる確率は低い けれども、起こってしまうと影響が甚 大で壊滅的です。このようなリスクに ついては適切に分析がなされていると はいえません。起こってはいけないこ とが起こり、どのような力を使っても 動かせないようなものにも不可抗力が 働いて動いてしまう、これはある種の

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状態が果たして持続可能であったのか どうかという問題も実はあります。単 純に元に戻ればいいというのではいか ない面をもっている難しい問題だとい うことです。そのこともよく分析して おく必要があります。 自然資本の評価に関しては、たとえ ば漁場の数、魚の数は実は減っていな かったりするのですが、漁船がなくな るなどして魚を獲る手段が壊れてしま っているということがあります。その ために自然資本の価値が付けられない ことになっています。これについては 手段を確保すれば回復へ持ち込むこと ができるのではないかと思います。 一方で、放射能汚染で使えなくなっ ている土地があります。一種の負債が たまっている状態です。この深刻な問 題に対して、包括的富の考え方から、 どのような変化を生み出していったら よいのか明確にする必要があるのでは ないかと思います。

司会 さらに続けてのご質問がある とは思いますが、時間の関係で質疑応 答はここまでにさせていただきます。 包括的富という概念のもとで日々の 生活のなかにそれがどう現れるか、福 島の復興の計画のなかにその考え方を どのように活かすことができるのか、 森林をどのように評価するのか、どれ も非常に大切で、それぞれ議論したら ■挨拶

デイビッド・ マローン eU n o , l a r M o t d ic v e a R D

y t i s r e v i n U s n o i t a N d e t i n

ここで私に発言の機会を与えてくだ さりありがとうございます。皆さまと 最初から一緒にいられたらよかったの ですが、実は私は朝の四時まである危

相当の時間がかかるようなテーマにつ ていいご質問をいただきました。先生 方はこの後も会場におられますので、 休みの時間などにご質問をお願いした いと思います。 それでは次のセッションへと進みま すが、ただいま国連大学のマローン学 長がお見えになり、皆さんに一言ご挨 拶をということですのでお願いいたし ます。

機に直面していました。国連大学とも サステイナビリティともサイエンスと も全然関係のないある危機のなかにい ました。 国連というのは巨大な組織で、

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いけると思います。現在のわれわれの 教育システムは、これは私見ですが、 非常にアウトプット思考です。学生を トレーニングして効率的なかたちで生 産を行えるようにする、つまり、生産 性を上げるようにするのがいまの教育 システムではないかと思います。もち ろんそれは重要なことです。ただし、 それに追加して、よりヒューマニステ ィックな観点を取り込むことが必要な のではないでしょうか。ダスグプタ先 生もおっしゃいましたが、モラル、規 範、責任といったものを教育に取り込 むということです。 世界はより小さくなってきています。 人々はよりつながりを強め、われわれ は地球市民、世界市民となってきてい ます。二〇〇年前にはすべてがローカ ルにまかなえていました。四〇〇〇キ ロも遠く離れた人のことなどは考えな くてよかったでしょう。いまはそうで はありません。人々は相互に依存して います。その点からも教育システムは 変えていかなければいけません。現代 の課題に対応できるような教育システ ムをつくっていくということが、最初 のご質問の一つの答えとしてあるよう に思います。 次に森林の評価、つまり森林のシャ ドー価格をどう測定するのかというこ とですが、一つは実際の価格を比較し て、人々の嗜好性をシャドー価格に反 映させます。たとえば、湖のまわりの 住宅価格とそれ以外の場所の住宅価格 を比較すると、湖のまわりの方が高け れば、湖のある景観を好む人々の嗜好 性が住宅価格に影響していることにな ります。そのようなことを自然資本の シャドー価格に反映させるのです。も う一つは、環境変化に対してどれだけ の対価を支払いますかと、実際に人々 に聞きます。さらに三つ目の手法とし て、実験的な測定方法があります。実 験をどのように設計するかに大きく依

存するのですが、非常に興味深い結果 が出てきています。

植田 福島の再生・復興について、今 日の議論にあるような持続可能な発展 を判断基準として考えていくという発 想があっていいと思います。私もその ような観点から何か助言ができないか と考えているところです。 福島の事故による被害はどのような ものであったかといいますと、将来の 世代に向けてヒューマン・ウェルビー イングの持続的な向上を実現するため の生産的基盤が壊滅的に破壊されたと 理解すべきであると考えています。生 産的基盤がどのような壊れ方をしたの かをよく知って、逆にいえば、生産的 基盤をどのように回復していけばいい のかということをよく理解して、復興 プランを立て、それを実践していくこ とが大事だと思います。 その場合に、震災や原発事故の前の

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■講演

持続可能性の挑戦 生物多様性からみた科学と政策の関係 o t e c :n t n e e r e mf pr e o l e h v t i e Dw s eu l b x e a n N i a y t c s i u l s So s o fPl o e y sc t e i n s g e r i nc e e v S l i l d eo a h h i CTb

ザクリ・ アブドゥル・ ハミド ds i i m v a d H lA u e d b c A n e ii r k c a S Z

a i s y a l a M f o r e t s i n i M e m i r P e h t o t r e

) S E B P I ( s e c i v r e S

た課題への対応であり、この地球が持 続可能であるような開発のパターンを 達成するということです。 ここで皆さまにお話したいのは、科 学と政策という相互に関係し合い、し かし全く違っているようにみえる二つ の間で、私が長年にわたってみてきた

m e t s y s o c E d n a y t i s r e v i d o i B n o m r o f t a l P y c i l o P e c n e i c S l a t n e m n r e v o g r e t n I , r i a h C

今日われわれが対処しなければいけ ない重大な挑戦に打ち克つための人間 の努力において、科学と政策のつなが りがきわめて重要であるとますますみ なされるようになっています。重大な 挑戦とは、気候変動、水や食料の安全 保障、健康、生物多様性の破壊といっ

いくつかのことがらです。私は科学者 として訓練を受け、マレーシア首相の 科学顧問をし、また国連事務総長のた めの二六人の科学アドバイザーの一人 として、非常に多くの役割を果たして きました。その視点からのお話をした いと思います。 先週は、国連の生物多様性及び生態 系サービスに関する政府間パネル(I PBES)の議長としての役目を果た しました。ボンでの六日間は大変でし

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小さなエイジェンシーがたくさんあっ て、そのうちの一つが危機に面して、 国連事務総長から対応を頼まれたので す。 サイエンスは非常にエキサイティン

グであり、比較的直線的で、大きな満 足感を与えてくれます。しかし、マネ ジメントというものはグチャグチャし ていて、そしてわれわれをいつもいつ も忙しくさせるものであります。その ために今朝ここにこられなかったこと をお詫び申し上げます。 一言だけ申し上げたいと思います。 科学者が、それは自然を対象にした科 学も社会を対象にした科学もですが、 持続可能性の科学に関わって活動する ことは非常に価値のあることです。日 本で武内和彦先生はじめ多くの方々が どれほど活動し、それがどれだけの広 がりをもって展開されてきているかを みるのは本当に大きな喜びであります。 今日はさまざまな多くの方がこのシン ポジウムにきてくださっています。こ れは大きな意味のあることです。本当 に心から感謝いたします。 次のザクリ・ハミド先生をあまりお 待たせしてもいけませんので、お話を

早速伺いたいと思います。本日はまこ とにありがとうございます。

司会 マローン学長はご多忙の中を わざわざきてくださいまして、ありが とうございました。 それではザクリ・アブドゥル・ハミ ド先生にご講演をお願いしたいと思い ます。ザクリ先生は、現在マレーシア 首相への科学アドバイザーであり、生 物多様性及び生態系サービスに関する 政府間プラットフォームの議長という 要職を務めておられます。

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生物学的、生態学的なプロセスや、あ るいは文化や土地に固有な社会的価値、 そして公衆衛生に至るまでを測るとい うのはなかなか難しいのです。 生物多様性と生態系サービスをお金 に換算するのは困難ですが、不可能で はありません。一九九七年の専門家の 評価によると、生態系サービスの世界 的な価値は年間、 平均三三兆ドルです。 今年になってアップデートされた結果 では、約四倍の一二五兆ドルになって います。 いくつかの数字を挙げますと、二〇 一〇年の経済学者の評価では、地球上 の湿地六三〇〇万ヘクタールがもたら している防災や食料やその他の人間へ の恩恵は、 毎年三四億ドルになります。 薬の市場でも、海洋生物を使った抗が ん剤など自然の遺伝的資源に依存して いるものが六四〇〇億ドルにも上りま す。 一方で、森林の伐採によって失われ

る生物多様性の喪失による損害は毎年 四五兆ドルと見積もられています。 来年終わるIPBESの最初の二つ のアセスメントによると、ハチやそれ 以外の花粉媒介者の健康状態に由々し き変化があるとされています。それが 食料生産に貢献している価値は計り知 れないほどのものがあります。 このような変化に直面して、地域、 国、世界の政策に関わる課題に対処す るには、科学的に信頼できる中立の情 報が必要です。政策には、科学的コミ ュニティ、政府、その他のステークホ ルダー関係者たちの対話が必要です。 その他のステークホルダーとは、生物 多様性、生態系サービス、そして人類 の間の複雑な関係に関連する人々です。 IPBESの目的は対話をするフォ ーラムになることです。いま一二三の 国連加盟国と一三〇の組織が会議に参 加しています。 IPBESの初期の成果物として、

生物多様性の経済的価値に基づく政策 支援ツール、生物多様性の持続可能な 利用と保全への理解、そして、生物多 様性と生態系サービスの世界的な総合 的なアセスメントがあります。 IPBESは伝統的な知識と現代の 科学の知を融合して、地域的にまたグ ローバルに生物多様性の評価をしよう としています。 今月になってIPBESは「パブリ ック・ライブラリー・オブ・サイエン ス」の出版物を初めて出しました。こ れは、ローカルな知識の持ち主ととも に、自然科学、社会科学、そして工学 の専門家からの情報と考察を統合する アセスメントの基礎となるものです。 これは何百人という専門家の協力によ って生まれた出版物で、重要なマイル ストーンであり、われわれの仕事にと って基本となるものです。 IPBESにとって、地域に密着し たローカルな知識を入れるのは、公平

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たが充実した毎日でした。最後のセッ ションである人がこのようなことをい っていました。「われわれは本当に歴史 的な瞬間にいる。自分たちに何が必要 なのかがわかり始めた。われわれの作 業プログラムは実を結ぶべく動き出し た。われわれはいま努力し、実行しつ つ学び出している。将来、この瞬間か らIPBESと呼ばれる赤ん坊が歩き 始めたというようになるだろう」 。 IPBESは、二〇一二年に、気候 変動に関する政府間パネル (IPCC) と似たようなかたちでつくられました。 IPBESは、政府やステークホルダ ーの要請に応じて、生物多様性がどの ように失われているのかということを 正確にアセスメントするものです。 また、IPBESは、世界中の一〇 〇〇人以上の専門家によってなされた ミレニアム生態系評価のアセスメント を継続するものでもあります。私はミ レニアム生態系評価の共同議長になる という名誉を得て、その最終報告書を まさにこのホールで一〇年前の二〇〇 五年に発表しました。ミレニアム生態 系評価は、 生物多様性の状況について、 明確で価値のある、政策に関連するコ ンセンサスを提供するプラットフォー ムとして非常に成功しました。 生物多様性と生態系サービスはいま 減少しつつあります。それもいままで にないようなスピードで減少していま す。 驚くべき調査結果があります。八種 の鳥のうちの一種、四種の哺乳類のう ちの一種、三種の両生類のうち一種が 絶滅の危機に瀕しています。七種のウ ミガメのうち六種も、珊瑚礁のうち三 分の一も同様です。農作物の遺伝的多 様性の七五パーセントが失われ、世界 の漁業の四分の三がほとんど乱獲状態 です。そうしたカタログは増えていく ばかりです。

驚くことに、人々はこのような絶滅 の脅威に関心がないようです。おそら くは、この生物多様性の減少が人々に は本当にゆっくりみえるからなのでし ょう。しかし、地球規模の進化の過程 からみたら、ほんのまばたき一つとい う瞬間におこっているのです。ここ二 〇~三〇年の生物多様性の喪失に関す るレポートや警告は、話題になりすぎ て緊急性があるということがわからな くなってしまっている状態であるのか もしれません。あるいは、もうどうす ることもできないと思ってしまってい るのかもしれません。 たぶん最も重要なことは、生物多様 性と生態系サービスの価値はほとんど が過小評価されているということです。 広い視野のもとで、多様性と生態系サ ービスのさまざまな価値をアセスメン トする体系的なプロセスがわれわれに はないのです。狭く手近なところでの 経済の考えにに基づいた測定を超えて、

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れ込むパイロットスタディも含んでい るということです。 このプラットフォームを独自のもの にしようという声がありました。そう でないとIPCCの双子になってしま うか、生物多様性条約の弟分・妹分に 過ぎなくなってしまからです。IPC Cの議長、ラジェンドラ・パチャウリ 氏もこのようにいっています。「IPC CはIPBESにインスピレーション を与えたかもしれないが、新世代は常 に昔の世代の数歩先に行くものだ」 と。 科学と政策のつながりの成功要因と して最後のものは、非常に広範囲な知 識の所有者とユーザーを取り込んで動 員することのできる正当性です。 IPBESは政策立案者のニーズを 満たす権威ある科学的成果物を出して いくことを保証し、多くの代表者は、 IPBESが常に正当なプラットフォ ームだということを認識してもらうこ とが重要だと強調しました。IPBE Sを拡大するにはまだまだ多くの作業 が必要です。人々に向けて広く手を伸 ばし、真に包含的なネットワークをつ くらなければなりません。それは科学 の専門家だけでなく複数の知識のシス テムを入れた公平な場でなければなり ません。

IPBESの経験は、今われわれが 正しい方向に向かっていると、私をま すます確信させてくれるものがありま す。科学と政策のつながりはどんどん 強くなっていて、 それによって人類は、 生物多様性の損失を遅らせ、そして止 めて、修復していく最初の過程をたど っているのです。 とはいえ、まだ重要なことがありま す。一般市民の関与です。開発計画に 生物多様性への関心を入れていくには、 やはり魅力的な理由づけが必要です。 生物多様性が富を生むこと、雇用を創 出すること、そしてまた人間の豊かさ

全般につながっているということを納 得してもらうことが重要です。社会に 向かってなぜなのかということをじょ うずに説明することで、生物多様性の 損失の破滅的なペースを止めるために、 誰が、何を、どこで、いつ、どのよう にして行ったらいいのかという対話へ とつなげていくことができることでし ょう。 科学に対する人々の認識と信頼はよ いコミュニケーションにもとづきます。 残念ながら、科学者は社会や政治との コミュニケーションに慣れていないし うまく伝えることができないと科学者 は思っているようです。とくに複雑な 問題、不確実性のある問題にはそうで す。コミュニケーションはこのアジェ ンダを主流化するために本当に重要で す。いままでのメディアを使うと同時 に、新しいソーシャルメディアのプラ ットフォームを使って、保全のためだ けでなく、開発のための一つ課題であ

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性だけの問題ではなく、知識の源とし て無視してはならないものであるから です。私の信じるところ、まさしくこ れがますます重要性を帯びているいま の研究のトレンドです。統合的で、パ ラダイムを超えて、そしてともに作り 出す知識で問題を解決するのです。 科学と政策のプラットフォームは、 いかなるものであっても、その究極的 な成功には三つの重要な要素がありま す。 まず信頼性です。人を納得させ、信 頼させ、そして信じさせるに足る質が あることです。これを達成するのは大 変ですが、 簡単に失われてしまいます。 先週の本会議で、プラットフォーム において科学の声がどんどん強くなっ てきているということを聞いて私はう れしく思いました。そのことは、技術 的なそして実質的なさまざまなディス カッションのなかでも表れていました。

ある非常にベテランの代表者がいって いたのは、ここでの対話の仕方がほか のフォーラムとは変わってきたと。他 のフォーラムでは科学の声が政策的な プロセスに埋もれがちであるが、この フォーラムではそうではないのです。 非常にさまざまなディスカッション の後で、土地の劣化やそして復旧、そ して持続可能な生物多様性の利用、あ るいは外来種についてといったテーマ 別のアセスメントと、地域に基づいた アセスメントを組み合わせて行うこと に同意しました。このことはアセスメ ントの過程を早めるとともに、政策支 援ツールの発展を助け、キャパシテ ィ・ビルディングの必要性をはっきり させることになります。 この三年間のIPBESの仕事のな かでさまざまな学びがありました。そ の一つは、科学と政策の分断に対して 効果的な橋渡しをするには、地方のレ ベルでの政策支援のツールと、地域に

おける技術的な支援が重要だというこ とです。そのために、国連のさまざま なパートナーシップの運営が歓迎され ます。 とくに国連開発計画 (UNDP) 、 ユネスコ、 国連食糧農業機関 (FAO) 、 国連環境計画(UNEP)の四つの機 関はIPBESの作業プログラムの相 乗作用を最高に引き出すものでありま す。 科学と政策のプラットフォームの二 番目の重要な成功要因は関連性です。 本会議の最後に多くのスピーカーが言 及していたように、IPBESの行動 プログラムの付加価値は、国際的な環 境のガバナンスがさまざまに存在する なかで、やはり関連性をきちんともっ ているということが重要です。IPB ESの行動プログラムが革新的なのは、 生物多様性の価値のコンセプトをどの ように言及し、統合し、橋渡しをする かという方法論の研究を含むとともに、 地域のレベルで固有な地元の知識を入

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図①

図② 45


るという枠組みをつくっていくのです。 実業界にも参加してもらい、革新的 な市民との協同を強めていくべきです。 そして、生物多様性の研究をすべての 教育レベルで入れていくことが重要で す。 今日の聴衆の皆さまの価値あるご支 援をぜひ頂戴したいと思います。ご清 聴ありがとうございました。 ■講演

持続可能な社会を支える環境経営

おばら こういち

小原好一 経団連自然保護協議会副会長 前田建設工業株式会社代表取締役社長

ここではまず経団連の自然保護協議 会についてお話し、それから一企業で あります前田建設工業の環境経営に関 する活動をご説明させていただきます。 経団連、正確な名称は日本経済団体 連合会ですが、そのなかに、一九九二 年に、自然保護協議会が設立されまし た(図①) 。この年にはリオデジャネイ ロで国連環境開発会議、いわゆる地球 サミットがあり、それを受けて、経団

連のなかにも環境を考える部会が必要 だと考えられ、自然保護協議会が設立 されました。経団連の会員は、企業が 一三〇九社、 業種別全国団体が一一二、 地方別経済団体が四七ありますが、自 然保護協議会には一一七の会員が参加 しています。 自然保護協議会の活動を簡単に説明 しますと、 まず募金活動があります (図 ②) 。企業や個人から資金を集め、NG

e l b a n i a t s u S a r o f t n e m e g a n a M l a t n e m n o r i v ny t Ee i ec h o TS

司会 ありがとうございました。 生物多様性の保全に関する政策の決 定や実行に必要な科学的な情報を提供 する役割を担うIPBESがいまどの ような状況にあるかをご説明いただき ました。 続きまして、小原好一様にご講演を お願いします。小原様は経団連自然保 護協議会の副会長、前田建設工業株式 会社代表取締役社長という要職を務め ておられます。それではよろしくお願 いします。

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Oが実施する自然保護・生物多様性保 全のプロジェクトなどを支援していま す。一年に一回、自然保護協議会のメ ンバーが、資金が実際にどのように使 われているのかを視察しています。写 真はその視察のときのもので、上がイ ンドネシアのオランウータンの保護活 動、下がミャンマーの自然保護センタ ーです。 企業とNGOとの交流を推進し、企 業に対する自然保護と生物多様性の啓 発活動も実施しています。さらに四年

前の東日本大震災以降新たに加わった 活動として、自然再生を通じた東北復 興支援にも力を入れています。 自然保護協議会が設立されて二一年 になります。これまでに支援したプロ ジェクトは一一〇〇件、支援総額は約 三二億円になりました(図③) 。支援の 内訳は、自然資源管理、植林、環境教 育、希少動植物、調査などとなってい ます。地域別では、アジアが多く、次 いで日本です。 次に前田建設について説明します。 まず、概要を簡単に話させていただき たます。前田建設は創業が一九一九年 の建設会社です(図④) 。社員は単体で 約二八〇〇人、グループ会社を入れる と約三八〇〇人であり、売上高は単体 で約三二〇〇億円、連結で四〇〇〇億 円弱です。前田建設の社是は、 「誠実・ 意欲・技術」です。私は社員に対して 「誠実×意欲×技術」だと話していま

す。三つのうちの一つでもゼロだとト ータルでゼロになってしまうという意 味です。 「天空の地平線」と呼んでいる 社章を二四年前に制定しました。青い 空、緑の地球をデザインに取り込み、 環境との調和をキーワードとした社章 です。このようなものを二四年前につ くった諸先輩に私は敬意を表しており ます。 弊社の挑戦の歴史について説明しま す。まず、事業における挑戦ですが、 前田建設は山岳土木の会社として始ま り、おもに発電関係のダムを造ってい ました(図⑤) 。当時日本一あるいは東 洋一といわれたダムも手掛けています。 一九七〇年代からは、青函トンネル、 東京湾アクアラインを施工するととも に、都市土木あるいは建築にも力を入 れるようになりました。同じころから 海外にも進出し、完成当時には世界一 の斜張距離を誇る斜張橋であった、香 港のストーンカッターズ橋も施工して

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図③

図④ 46


います。次に、経営における挑戦につ いて説明します。弊社では、一九七九 年に一六人の尊い命を失うという非常 に大きい事故を起こしてしまいました。 これを契機に、安全に力を入れなけれ ばいけないとTQC( Total Quality )を導入し、一九八〇年代は一 Control 〇年間かけて安全の基礎を築きました。 一九九〇年代は品質管理に力を入れ、 デミング賞、デミング賞本賞、日本品 質管理賞等を受賞させていただくよう になりました。二〇〇〇年代になりま すと、コンプライアンス(法令遵守) に非常に力を入れるようになりました。 私は二〇〇九年より社長に就任しま した。そのときに最初に宣言したのが 環境経営であり、建設業界において環 境経営ナンバーワンの会社になろうと 考えました。なぜ私が環境経営を宣言 したのかといいますと、私自身の土木 屋としての経験が背景としてあります。 三つほどご紹介させていただきます

(図⑥) 。 一つ目は、マレーシアでのダム建設 工事です。私は、一九八二年に、マレ ーシアのサラワク州でダムの建設に携 わりました。当時、私は二八歳でした が、建設予定地に立ったとき、自然が 生み出した壮大な景観に圧倒されまし た。日本では考えられないような非常 に大きなスケールの森林です。ダムを 建設することで電力を供給し、地域の 人々の生活水準を向上させるという事 業に関わる誇りをもつとともに、地球 の営みが長い時間をかけてつくりあげ たこの景観を可能な限り守らなければ いけないという思いにかられ、自然を 守ることの大切さをここで学びました。 二つ目は、ケニアでの自然保護区視 察です。二〇〇六年に、経団連の自然 保護協議会の一年に一回の視察で、ケ ニアのナイロビの自然保護区に行きま した。写真は、われわれが乗ったジー プの前でインパラという動物がハイエ

ナに食べられているところです。ハイ エナが食べ終わってその場を去ると、 次にハゲタカが集まってきました。生 命の連鎖ということに対して非常に感 銘を覚えました。 三つ目は、インドネシアでの自然保 護区視察です。二つ目と同様、自然保 護協議会の視察の一環で、先ほどもご 紹介したオランウータンの生息地に行 きました。オランウータンは「森の人」 といわれるように森という生命体の一 部となっている類人猿です。その森の すぐ隣に世界最大級の露天掘り炭鉱が あり、採掘範囲を拡大することで彼ら の生息地を狭めていました。その石炭 は非常に質がよくて日本でも使用して いると聞かされ、グローバルな環境と 経済のつながりを深く感じました。 そのような経験を踏まえて、二〇〇 九年に社長に就任したときに、これか らは自然を大事にしなくてはいけない、 環境を大事にしなければいけないと、

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図⑤

図⑥ 48


進めるために、毎年四月に必ず環境経 営を社長方針のなかに入れて、各支店 を回って社員に説明しており、社長に 就任してから継続しています。 さらに、

の石炭の露天掘りもそうですが、何億 年もかかって地球が蓄えた資源をわれ われは利用しています。地球がわれわ れに資源を提供してくれているという 意味では、地球もわれわれの大切なス テークホルダーなのです。そうである のなら、地球というステークホルダー に対しも配当しなければいけないので はないか考え、純利益の二パーセント を地球環境保全活動へ拠出しています (図⑧) 。 次に事業領域での取り組みに ついて説明します。現場で二酸化炭素 の削減などもしているなかで、各現場 で何をしなければいけないのかという ルールを定めた環境版MAEDAルー ルをつくり、運用しています。最後に 個人領域での取り組みですが、主に社 内エコポイント制度を利用した運用を 展開しています。弊社の特徴としまし て、社員だけではなく、その家族も対 象に含めている点があります。 これは、 社員の環境への意識を向上を目的とし

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社員全員に環境への認識をもってもら おうとエコ検定の取得を社員に奨励し ており、現在では八〇パーセント以上 の社員が取得しています。今後も取り 組みを発展させていくためには、いわ (計画) ゆるPDCAのサイクル( Plan (実行)→ Check (評価)→ Act → Do (改善) ) を回していかなければいけま せんから、定期的な取締役会で各部署 における環境活動を報告して、社外取 締役も含めた取締役がチェックすると いうことを行っています。社会に向け てはCSR報告書をつくって、ホーム ページ、ステークホルダーダイアログ などで発信するようにしています。 ここで、先ほど前述いたしました、 事業・企業・個人というそれぞれの領 域における具体的な取り組みについて 紹介します。まず、企業領域での取り 組みですが、前田建設は建設会社です から、木材やセメントなどの地球の資 源を使って仕事をしています。先ほど

図⑧


環境経営ナンバーワンになると社内で 提言し、中長期ビジョンに掲げました (図⑦) 。 大きく区分けして、企業として、事

業として、個人として、何をしていく のかを提起しました。まず、企業とし ては、地球環境保全に関わる仕組みづ くりをしています。この中には、環境

技術・サービスを創出する取り組みも 含まれます。事業としては、前田建設 は年間に三〇〇から五〇〇カ所の現場 をもっていますので、その現場で使用 されるエネルギー・資源の利用を抑制 し、 二酸化炭素や廃棄物の排出を抑え、 環境に与える影響を極力減らす取り組 みをしています。個人としては、家族 を含めた着実な環境配慮行動の取り組 みをしています。一万人規模、一〇万 人規模の会社ですと家族も含めてとい うのは難しいのでしょうが、弊社のよ うな三〇〇〇人の社員なら家族を含め ての環境活動ができるのではないかと 考えまして、具体的には後でお話をさ せていただくような取り組みをしてい ます。 それらに加えて、二〇〇五年に始ま ったCSR推進部が、二〇〇八年にC SR・環境部となったものを社長直轄 部門として、環境経営の推進体制を整 えました。経営層と職員の意識改革を

図⑦

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図⑩

支援によって、ベンチャー企業がいい ものをつくり、それで利益を上げて企 業が大きくなっていったならば、その 利益からわれわれに配当するというシ ステムです。研究機関に対しても同じ です。 地球への配当で取り組んだ活動エリ アは、北海道から沖縄の竹富島まで、 いろいろな場所で支援させていただい たおります(図⑩) 。先ほどお話ししま したように、前田建設は年間に三〇〇 から五〇〇カ所の現場をもっていて、 その現場を中心にしてこのような支援 を展開しています。東南アジアでも同 様で、たとえば、スリランカでは現場 の職員の提案で、象の里親になりまし たし、フェアトレードのコーヒーを毎 年三〇〇本植林することもしました。 沖縄県の国頭郡大宜味村ではマング ローブの保全活動をしました(図⑪) 。 ここにわれわれはダムの現場をもって いて、その現場の人間が中心となって

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ており、社員個人だけではなく、家族 まで巻き込んだ仕組みが有効だと考え たことによるものです。 先ほど触れました、地球への配当に

ついて説明します。地球への配当は大 きく二つの領域、企業領域と個人領域 に出資しています(図⑨) 。企業領域で は、温暖化防止、生物多様性の保全、

環境教育、国際貢献、これらの複合、 および、環境市場という、六つのカテ ゴリーにて取り組んでいます。それぞ れの活動について説明しますと、前田 の森として植林関係を中心とした活動 をしています。また、前田エコシステ ムとして生物多様性に対する支援をし、 前田エコスクールとして小学校・中学 校・大学に弊社の社員が出向いて環境 教育を行うということもしています。 前田エコエイドとして、東南アジアを 中心とした海外の現場でのいろいろ支 援もあります。それらの分類に当ては まらない、例えばグリーン電力の購入 などの支援は前田エコエンジェルとし て実施しています。 環境経営といいましても、企業とし てはやはり利益を上げなくてはいけま せん。二年前に、MAEDAグリーン R&Dというシステムをつくって、お もに環境関連のベンチャー企業や研究 機関に投資をしています。われわれの

図⑨

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もっとも価値の高いものでも自転車程 度に設定しています。 以上申し上げましたのは、一つの企 業の小さな活動ではありますけれども、 弊社がハブになって四方にスポークを

伸ばして、家族、NGO・NPO、あ るいは協力会社、地域社会など前田建 設を取り巻くステークホルダーと一体 となって環境活動をするという役割を 担って、持続的な社会づくりに貢献し ていくことが大事なのではないかと考 えています(図⑭) 。 今日は大きなスケールのお話が続い た後で、ほんの微々たる活動の紹介で 恐縮ですが、こうした行為が、企業と しての責務・役割ではないかと考えて いるところです。

司会 ありがとうございました。本日 のテーマである持続可能な自然共生社 会づくりに関して、企業として環境経 営に取り組んでこられたご経験を非常 に具体的にご紹介いただきました。 それでは、Q&Aのセッションに入 りたいと思います。会場からに二、三 ご質問をいただいて、それをまとめた 上でお答えをお願いしたいと思います。

――前田建設が環境に対して積極的に 行動していらっしゃることを伺って、 非常にすばらしい会社の方針であると 感じました。私はとして大変気になり ますのは、それで経営が成り立ってい るのだろうかと。もちろん成り立って いるから行っておられるのだろうと思 いますが、大変失礼な質問ながら、教 えていただけたらと思います。

――両方のプレゼンターに関わる質問 で、IPBESにプライベートセクタ ーが参加する機会はあるのでしょうか。 IPBESとプライベートセクターの 両者に便益をもたらす協力というのは あるのでしょうか。

――前田建設のさまざまな活動を伺っ て感銘を受けました。そのようなこと が実行できているのは、環境活動が価 値あることだという考えが、顧客の

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図⑭


マングローブを植えました。社員の家 族も参加しています。 タイでは、日本のオイスカというN GOと一緒になって活動しました(図 ⑫) 。 オイスカが環境教育をしていると

図⑪ ころで、われわれも一緒になって教育 だけではないいくつかの活動をしまし た。 前田建設のタイの現地法人の職員、 日本人もタイ人もいますが、それと家 族も一緒になって活動しました。

図⑫

次に社内のエコポイント制度を紹介 します(図⑬) 。この制度は環境活動に 参加した社員にポイントを付与するも のであり、付与されたポイントは環境 配慮製品と交換することができます。

図⑬

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く民間セクターも関わっていました。 しかし、IPBESは政府間のプラッ トフォームで、民間セクターは入って いません。加盟国を通じて民間セクタ ーに関わるレビューがなされるという ことであります。

――ザクリ先生へのご質問です。先生 は科学と政治のインターフェイスで二 五年間活動されてきましたが、新しい 学生たちの世代がインターフェイスの 担い手になる機会はあるのでしょうか。 ザクリ先生が始めたころには、そうい った役割の重要性はあまり明確に理解 されていなかったと思いますが、現在 は理解が高まっているのでしょうか。

司会 では、あと二つぐらい会場から ご質問を受けたいと思います。

司会 いまのお答えで一つだけ明確 にしておきたいと思うのですが、IP BESのなかに民間企業が正式に参加 するような仕組みはあるのでしょうか。

――いまの日本政府は環境政策をあま り推進していないように思われます。

ターがどのようなかたちでIPBES が提起する問題に関わってくるのか、 われわれは期待をもっているところで す。 政策として進めていくためには、当 然のこととして、他の国際機関、ユネ スコ、UNDP、UNEP、FAOな どと関わりをもっています。フューチ ャーアースとも太いつながりがありま す。日本についていえば、国連大学の 武内先生のリーダーシップのもとにI PBESは多くのIGES、 NIES、 その他大学、研究機関と関わりをもっ て興味深い展開をしています。

ザクリ 二〇〇五年に始まったミレ ニアム生態系評価では政府だけではな

午前中にドライアッパ先生はアベノミ クスの評価についてのコメントがあり ましたが、持続可能な開発という今日 のこのテーマに日本も本気になって取 り組まなければならないと思います。 日本の経済政策は持続可能性にどのよ うに影響していくのでしょうか。

司会 二つ目の質問はいろいろなと ころに関係すると思いますので、ザク リ先生にも小原社長にもお答えいただ いて、それから、フロアにおられる武 内先生からもご意見を伺いたいと思い ます。武内先生は中央環境審議会の会 長でもありますので一言お願いしたい と思います。

ザクリ アベノミクスには私は精通 していないので、それへのコメントは 回避させていただきたいと思います。 私が申し上げることができるのは、科 学と政策のつながりは非常に重要で、

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方々にも浸透しているからではないか と思うのですが、浸透しているとした ら、何かをしたからそのようになった のでしょうか。もう一つ、環境経営、 CSRという言葉を何度もお話されて いましたが、持続可能という言葉はあ まり聞かなかったように思います。サ ステイナビリティのコンセプトを会社 のなかで、あるいはより広範囲なとこ ろで使っていくようなお考えがあれば お聞かせいただければと思います。 ――IPBESと科学政策との関係に ついてお伺いします。具体的な科学政 策を考えるときにはどこか別の機関、 ユネスコなどと協力することになるの でしょうか。それともIPBESが科 学政策を考えようとしておられるので しょうか。

司会 それでは小原社長に向けての 二つのご質問からお答えをお願いしま

す。

小原 経営として成り立つのかとい うご質問がありましたがが、われわれ は成り立つ範囲で配当しようという考 えです。企業は株主に対して必ず配当 をしています。それと同じように地球 にも配当しようということで、純利益 の二パーセントと規定しまた。もしも 純利益の一〇パーセントとか二〇パー セントということになったら経営は成 り立たないかもしれません。 グリーンR&Dをご紹介しました。 ベンチャー企業や大学の機関が環境に やさしいことを行っているのに対して、 二年前から投資をさせていただいてい ます。いい製品をつくって利益が上が るようになったら、そのときには利益 からわれわれに配当してくださいとい うことを申し上げています。広い範囲 でトータルに考えたならば、われわれ がやっている環境経営は経営的にも正

しいだろうと考えています。 持続可能性ですが、一つの企業だけ では、地球全体の持続可能性までには なかなか至らないように思います。一 〇〇、二〇〇、三〇〇といった多くの 企業が持続可能性に向けて活動をして いけば非常に大きな力になるのではな いかなと思います。前田建設の環境活 動はあくまでも一つの歯車でしかあり ません。 もっともっといろいろな歯車、 あるいは大きな歯車が出てきてくれる ことを期待しています。

ザクリ IPBESは一二三の加盟 国からなるプラットフォームです。先 週の総会では一三〇のオブザーバーも 参加しました。今後はますます多くの NGOも参加してくると思われます。 ステークホルダーフォーラムというも のも開催して、民間セクターの考え方 に耳を傾けます。前田建設はすばらし い活動をなさっていますが、民間セク

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は原子力を念頭に置きながらエネルギ ー政策を考え、そして環境政策を考え るというかたちでした。原子力がこれ 以上増加することは、社会的にはほと んど認められない状況のなかで、放っ ておけば化石燃料が伸びてしまうのを 何とかしなければならないという認識 を人々はもっています。 また、いまの経済政策において、今 日議論したようなことがもっと強調さ れていいと私は思います。日本の重要 な課題として、衰退する地方をどう再 生するのかが問われています。地方創 生は、 おそらくあらゆる手段を講じて、 人々が手を携えて取り組まない限り実 現できないものだと思いますが、その ときに、いわゆる生産資本に大きく依 存して、そこを増やせば経済的に発展 するという社会から、その前提となる 自然の恵みをもっと大事にしていくよ うな社会へと変わっていく必要がある との認識が高まっています。 さらには、

健康で暮らせるという人的資本の増大 によって社会を富ませていくことで地 方創生は実現されるのではないかとも 言われるようになりました。そういう 議論と、広く豊かさをどう追求するか という議論とを合わせて考えれば、い まは残念ながら乖離している経済と環 境をもっと密接に結び付けていくこと ができるのではないかと思います。ま た、今日ここで話に出ている市民社会 の人たちの目線でも、環境や持続可能 性が重要だと認識していただけるよう になるのではないかと思っています。 中央環境審議会ではそのような考えを 取りまとめて、意見具申として情報発 信をしたところですので、機会があり ましらぜひご覧ただきたいと思います。

司会 Q&Aのセッションで活発な 議論ができ、 ありがとうございました。 それでは時間も過ぎてしまいました ので、午前の部はこれで終了にさせて

いただきます。午後の部では講演の後 にパネルディスカッションも予定され ていますので、昼食後も皆さまこの会 場にご参加いただきますようにお願い いたします。

司会 では午後のセッションを始め たいと思います。最初のご講演をハロ ッド・ムーニー教授にお願いいたしま す。ムーニー教授はスタンフォード大 学の生物学の名誉教授です。

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そのことに関して重要な展開があった ということです。具体的には、たとえ ばノーベル賞を受けたIPCCが、グ ローバルなレベルで、そしてローカル なレベルで大きな役割を果たしていま す。IPCCには日本からも多数が参 加して建設的な役割を担っています。 前向きの展開がなされていると考えて います。 若者がどのように参画できるのかと いうご質問には、ダスグプタ先生の世 代間の定理が関わってきます。持続可 能な開発の将来は世界の若者にかかっ ているのです。聴衆のなかに若い方が いらっしゃいましたらぜひ真剣にこの 点に注意を払っていただきたいと思い ます。先週のIPBESの本会議で活 発なさまざまな議論がありましたが、 最もインスピレーションを刺激したの は、セッションの最後の方で出された 二つの青年グループからの発言でした。 若い人々がこの地球の将来についてど う考えているのか、非常にポジティブ な姿勢が示されたのです。今後は私は 若い世代へとバトンを渡していきたい と思っています。

小原 アベノミクス等の日本の大き な政策に対して、一建設会社の社長と しては大きなことをいえる立場ではあ りませんので、建設会社の仕事を通じ て感じていることを申し上げます。建 設業界においては、二〇一七年、つま りあと二年後からは、ある基準に合っ た建物でなければ建設を許可しないと いう政策が出されています。二酸化炭 素を削減するなどの基準を満たさない 建物は駄目ですよということです。そ ういう点をみると、政府が環境につい て真剣に考えているという印象をもち ます。 その一方で、エネルギー政策がきち んと決まっていないために、環境問題 についてはっきりとしたことが出せて

いないと感じることがあります。原子 力を本当に再稼働するのか、再生エネ ルギーをどのぐらいの割合にするのか、 火力をどのぐらいにするのか、そうい うエネルギー政策がきちんと決まらな いうちは環境に対する政策はなかなか 出にくいのかと感じています。

武内 自然共生社会という言葉が日 本で提案されたのは二〇〇七年で、第 一次の安倍内閣のときでした。当時、 安倍首相は、国連総会で二〇五〇年ま でに世界は二酸化炭素の排出を半減す べきだということもおっしゃって、環 境に対して大変熱心でした。 ところが、 第二次安倍内閣は、環境という面での 発言が弱まっていて、私としては残念 に思っています。 その一つの原因として、いま小原社 長がお話しされたように、エネルギー 政策がまだはっきりしないということ があると思います。かつての環境政策

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いる障害物です。 ここで、一九四五年に立ち戻ってみ たいと思います(図②) 。サンフランシ スコに連合国が集まって六月二六日に 国連憲章が署名されました。まさに歴 史的な瞬間でありました。国連憲章第 図①

してあります。すばらしい考えであり ました。しかし、環境という問題は一 切取り上げられていませんでした。 一九七二年になって環境に焦点が当 てられました(図③) 。ストックホルム で国連人間環境会議が開かれ、環境に

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図③

一条第一項に国連の目的が述べられて います。戦争を経てここに至ったこと で、平和と安全を維持することが国連 の目的とされました。第二条第一項に は、国連の機構はすべての加盟国の主 権の平等の原則を基礎に置いていると 図②


■講演

持続可能性に向けて解決すべき障害

e h t n o e m o c r e v o o t d e e n e w t a h t sy t mi l ei l b b a o n r i p a t ds e u k s c i o w t d ea h o Tr

ハロルド・ ムーニー y e A n o . o M S dl l o u r a a P H

ているわけではありません。 第二に、科学と社会の間の結び付き が双方向で欠けています。科学の世界 もそして社会もお互いにきちんと耳を 傾け合うコミュニケーションができて いないのです。 第三に、グローバル化が進んでいる われわれの活動にどのような波及効果 があるのか認識できていません。認識 するためのメカニズムもありません。 これはまさに隠されたコストだといえ

y t i s r e v i n U d r o f n a t S , y g o l o i B l a t n e m n o r i v n E f o r o s s e f o r P s e l l i h c

本日ここでディスカッションしたい ポイントは、持続可能性にはさまざま な障害があるということです。これま でにいろいろな改善がなされ、進捗し ていることは午前中のセッションでご 紹介があった通りですが、今後さらに 進展していくにはいくつかの非常に困 難な問題があります(図①) 。 第一に、国際的な条約の困難。国際 的な条約は確かに存在していますが、 必ずしもグローバルな課題に取り組め

るでしょう。 第四に、いわゆるサイロ(縦割り) の問題です。ローカルなレベルからグ ローバルなレベルまで、縦割りをどう なくしてくのか。さまざまな情報が縦 割りのせいで共有されておらず、その 改善がなかなか進んでいません。 第五に、さまざまなタブーがありま す。どのようなタブーがあるのか、後 でお話していきたいと思います。 これらが、われわれがいま直面して

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かで、どういうかたちで地球を第一義 的に考えるような交渉ができるでしょ うか。私は自分のキャリアを通じてさ まざまな交渉をみてきましたが、どう しても国家間の駆け引きになりがちで す。重大な障害であると私は捉えて

います。 次に、第二の問題、科学と社会の対 話です(図⑥) 。一般社会は科学者のメ ッセージに対して必ずしも耳を傾けて いません。配慮していないか、理解で きていないか、あるいは圧倒されてし まっています。科学者が提起するグロ

ーバルな問題に対応できずに、ローカ ルでやっていこうということになりが ちです。一方で科学者はどうなのでし ょうか。科学者は市民からのフィード バックに耳を傾けていません。たとえ ば遺伝子組み換え生物に関する問題で は、市民社会の声を科学者は聞こうと しませんでした。 進展も見受けられます。イギリスの 個体群生物学者であるジョン・ハーパ ー氏は、二〇年前に、世界の最も優秀 な生物学者二五〇名が集まる講堂にも しも爆弾が落されて生物学者が殺され てしまったら、人類の未来はどうなる だろうかと問いかけました(図⑦) 。彼 の答えは、全く何もないというもので した。科学者の存在、役割はそのよう なものなのでしょうか。 気候変動に関して、科学者のコミュ ニティがその知識を結集してIPCC の報告書を数年ごとに出してきました (図⑧) 。一九九〇年の報告書では、温

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図⑥

図⑦


関わる今後のすべての交渉の根幹をな す原則が立てられました。このときか ら各国の環境プログラムの構築がスタ ートしました。そしてようやく昨年ぐ らいになって、環境が国連のなかで他 の問題と同じレベルになったのです。

一九九二年に生物多様性条約がつく られました(図④)その第三条に、国 の主権について述べられています。各 国は国連憲章および国際法の諸原則に 基づき、自国の資源をその環境政策に 従って開発する主権的権利を有してい

図④

ます。ただし、自国の管轄下にある活 動が、他国の環境、あるいはいずれの 国の管轄にも属さない区域の環境を害 さないことを確保する責任を有すると されています。この後半の部分はなか なか触れられることがないのですが、 非常に重要なポイントです。 一方で、国境を越えた地球憲章をつ くろうとする動きもありました。二〇 〇二年のヨハネスブルグの会議で検討 されたのですが、最終的には採択され ませんでした(図⑤) 。 サンフランシスコ条約で打ち出され た国の主権がいまも重要な基礎になっ ています。地球は大切な一つのシステ ムであっても、国家というものがそれ ぞれの地域で主権を有しているために、 地球全体として守っていくという考え 方にはなっていないのです。これが最 初に挙げた第一の困難な問題でありま す。非常に克服が難しい問題です。 主権を有する国家がたくさんあるな

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図⑤


それに対して規制が講じられてしまい ますから、経済界として受け入れたく ないのです。そのため、気候変動が重 大なリスクとして取り上げられるよう にならないのです。科学者はそのよう なこともきちんと考慮して、社会に寄

図⑫

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者が声高に出しました(図⑩) 。アメリ カでは遺伝子組み換え作物だという表 示をしないでいいことになりました。 しかし、イギリスの科学界はそれとは 異なる見解で、科学的評価は政治的判 断に取って代わるものではなく、世論 図⑪

り添って活動していかなければなりま せん。 一方で、一部の科学者は、一般社会 の声に耳を傾けようとしていません。 アメリカでは、遺伝子組み換え作物は 健康に害はないとのメッセージを科学 図⑩


図⑧

室効果ガスを発生させると気候変化を 生じさせるということをいっていまし た。一九九五年の報告書では、気候に は識別可能な人為的影響が出ていると いいました。 二〇〇一年の報告書では、 人類の活動が気候変動に影響している 可能性は六七から九〇パーセントだと いいました。そして二〇〇七年の報告 書では、その可能性は非常に高いとい う表現になり、二〇一三年の報告書で は、九五パーセントです。科学者はこ れだけのことを発信してきたのです。 この二五年間を振り返ると、科学的 な知識が浪費されてきたように思えて なりません。科学者の発するメッセー ジになぜ耳が傾けられないのでしょう か。 『ガーディアン』の最近の記事にそ の一つの答えがありました。気候変動 に対して経済界がアクションをとらな いのは、規制を好まないからだと書い てありました(図⑨) 。気候変動に関し て何がおきているかを受け入れると、 図⑨

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のように大きなうねりになってきてい ます。国のレベルでも、国際的なレベ ルでも、科学者はいままでとは違った 取り組みをするように求められていま す。第二の障害はどんどん取り除かれ ていかなければいけないのです。実際 図⑯

にそれが進みつつあります。ラテンア メリカで活動している全アメリカ地球 変動研究機関(IAI)は科学者に学 際的な知識の統合を求めています(図 ⑯) 。また、フューチャーアースのプロ ジェクトでは新しい問題解決のあり方 図⑰

を志向していますし(図⑰) 、MA(ミ レニアム生態系評価)では生態学者も 人間の福利に取り組もうとしてきまし た(図⑱) 。新しい実践がこうして広が ってきています。なかなか険しい道だ とは思いますけれども障害は徐々に克 服されつつあるといえるでしょう。 それでは三番目の障害をみていきま す。波及効果、すなわちグローバルな 外部性の問題です(図⑲) 。 資源は地球上に均等に分布している わけではありません。水が潤沢のとこ ろもあればないところもあり、広い土 地を有しているところもあればそうで ないところもあります。資源を有効に 活用するためにグローバルな取引がな されています。日本は穀物を世界中か ら輸入していますが、これは日本の国 土が狭いということを反映しています。 穀物を輸入することで日本はいろいろ なものが節減できています (図⑳、 ㉑) 。 一つは窒素です。穀物を生産するには

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を反映しなければいけないといってい ます(図⑪) 。日本では遺伝子組み換え 作物について食品安全試験が行われ、 かつ表示もされています。 人が食べるものには安全以外の側面 もあります。文化的・歴史的な側面も

図⑬ 重要です(図⑫) 。ハラル食品が一つの 例です。図⑬のような料理は日本では なかなか食べることはないと思います が、すべて食用に適したもので栄養も 豊富です。 科学者も文化的な側面をきちんと注

図⑭

視しなければいけないのです(図⑭) 。 文化的に受け入れられるものでないと、 自分の問題として社会が取り組んでい くのは難しいです。 いま科学者の世界でも大きな変化が おこりつつあります。図⑮の太鼓の音

図⑮

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ものの負担をしています。穀物を生産 するために農薬が使われます。農薬の 入った水がたとえばミシシッピー川に 流され、 そして河口にたどり着きます。 その水を浄化するのにコストがかかり ます。それを支払っているのは日本の 消費者ではありません(図㉒) 。これが 波及効果、外部性の一例です。 気候変動の観点からすると、化石燃 料の利用量を減らすのはいいことです。 バイオマスを使うのはいいことですか ら、大豆やトウモロコシからバイオ燃 料につくろうとします(図㉓) 。すると そこからさまざまな波及効果が出てき ます。よく政策決定者の仕事が遅いと いわれますが、波及効果の広がりには 急いで政策を変えて対応していかなけ ればなりまません。 四番目の問題がサイロ、縦割りです (図㉔) 。 アメリカ政府で環境に対して 責任をもっている機関を挙げると図㉕ のリストのようになります。これらの

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窒素が必要ですが、日本は輸入する分 の穀物については自分たちの国土でそ れを取り込まなくてすんでいます。水 利用も節減できています。逆に日本に 輸出している側は、穀物を販売するこ とで対価を得てはいても、それ以外の 図㉑

図㉒


図⑱

図⑲

図⑳ 68


図㉗

図㉖

増えていくところもあれば、日本のよ うに人口が減って高齢化が進んで大き な社会的問題になっているところもあ ります。人々は職を求めて都市に移住 しています。大都市の多くは沿岸部に あります。そこは最も災害に弱いとこ ろでもあります。非常に深刻な問題で す。 二枚の写真をみてください(図㉚) 。 左側はインドのタージマハールです。

図㉙

世界中で最も美しい構造物といわれて いますが、その前を流れる川はこのよ うに汚染されています。 右側は日本で、 ここがどこであるのかは皆さまがよく

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図㉘


機関はいい仕事もしていますが、お互 いに競争しながら、それぞれの利害に 基づいて仕事をしています。 五番目の問題はタブーです(図㉖) 。 タブーというのは、なかなか受け入れ

図㉓ られない、話し合われることもないよ うな問題です。一枚の悲惨な写真をみ ていただきます(図㉗) 。小さな船に乗 って、たくさんの難民がアフリカから マルタに向かっています。 この地上には、毎日、一時間ごとに 一万人の人が新たにこの世に生まれ出 てきています(図㉘) 。人口増加のペー

図㉔

スが非常に急速です。 一日に二四万人、 一年で八〇〇〇万人です。そのうちの 三分の一が十分に栄養が摂取できてい ません。 世界中で都市化が進み人口構造も変 わってきています(図㉙) 。国によって は若い世代が多くてこれからも人口が

70 図㉕


ェクトも非常にたくさんあります。ど れもが人々の生活をよりよくしようと しているわけですが、持続可能なかた ちでの富の蓄積、人的資本の蓄積には つながっていません。世界にはグロー バル化の恩恵とは無縁の人々、いわゆ るグローバル・サウスが実に大勢いま す。そこに共通する問題をここで考え てみたいと思います。 図①は先週アップデートされたばか りのグラフです。グローバリズムの超

図①

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ご存じでしょう。どちらをわれわれは 選ぶでしょうか。 世界がともに手を取り合って、障害 に立ち向かって、自然との調和のとれ た地球にしていかなければいけません。 危機に対してより迅速な対応が必要で す。

図㉚

司会 ありがとうございました。 時間の関係で後半は駆け足でお話を していただきましたが、聞き足りなか ったところは、質疑応答の時間にご質 ■講演

問をお願いします。 それではお二人目の講演ですが、エ デュアルド・ブロンディジオ教授にお 願いします。ブロンディジオ教授はイ ンディアナ大学の人類学の教授です。

持続可能な土地利用から持続可能な地域経済へ イノベーションと構造的制約

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s t n i a r t s n o C l a r eu l t b c a u n r i t a S t s d u n Sa os t n ei o s t Ua v do nn a n LI : es l e b i a m n o i a n t o s c u SE l a mr ou r R F エデュアルド・ ブロンディジオ o i f z o i d n r o o r s B s oe d f r a o u r d P E

るかということに関する研究をご紹介 したいと思います。 世界には環境問題のイニシアティブ が非常にたくさんあり、開発のプロジ

y t i s r e v i n U a n a i d n I , y g o l o p o r h t n A

私からはいまのムーニー先生のご講 演のフォローアップとして、人類学者 の立場から、人々の日々の生活がグロ ーバルな問題とどのように関係してい


その一方で、生産活動からの収入が 減少し、地域の市場が衰退し、政府か らの現金給付に地域経済が頼っている ところがあります。アマゾン流域の市 町村では五〇パーセント以上の家族が

貧困といわれ、政府の現金給付に依存 し、また九五パーセントがインフォー マルな市場で働いています。一つの非 常に大きな問題として、地方と都市の 分断もあります(図⑤) 。地域の資源が

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図⑤

にいろいろな改良がみられました(図 ④) 。 森林破壊に対して代替案が出され、 継続的な取り組みがなされ、二酸化炭 素の点でも改善があり、保護区域も増 え、 地域の人々の知識も高まりました。 図③

図④


図②

加速化が地域的にシフトしてきていて、 グローバル・サウスと呼ばれる地域で プレッシャーが高まっています。開発 途上国、 そしてBRICS (ブラジル、 ロシア、インド、中国)では成功して いるところもみられますが、ほとんど が超加速化によるプレッシャーが高ま っています。 私はアマゾンに関わって研究をして いますが、アマゾンでも超加速化が進 行しています(図②) 。アマゾンは南米 の水循環にきわめて大きな位置を占め、 世界の生物多様性のホットスポットで あり、文化的な多様性に富んだ地域で もあります。五〇〇年にわたってグロ ーバルな市場に資源を提供してきまし た。アマゾン流域は二酸化炭素の爆弾 を抱えていて、爆弾がもうじき爆発す るともよくいわれています(図③) 。気 候変動にアマゾンが与える影響はきわ めて大きいものがあります。 アマゾンに対して、ここ二五年の間

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私が関わりのある三つの例をお話し ます(図⑦) 。問題があるというだけで なく、可能性があるという話もしたい と思います。 最初は、アサイー・パーム・フルー ツです(図⑧) 。私はこれに三〇年ほど 図⑩

関わっています。ローカルな技術から 始まって、環境的にも成功して、グロ ーバルな市場にのると期待され、東京 のスーパーマーケットでも売られるよ うになりました(図⑨) 。しかし、生産 する人々はまだまだ政府の財務支援に

頼っています。製品は市場に出ていっ ても、人々の生活の質(QOL)は必 ずしもよくなっていません。なぜそう なのかを分析しています。生産者は市

図⑪

77

図⑨


実際には市町村の経済の発展につなが っていないのです。 イニシアティブがたくさんあって地 方に投資されているにもかかわらず、 一貫した結果が出てきていないのはな ぜなのでしょうか(図⑥) 。ほとんどの

開発プロジェクトでは生産技術が強調 されていて、その基本となる能力、あ るいは市民が繁栄するための技術が不 足しているために、土地に由来したシ ステムでもその他のシステムでも、継 続して発展していかないという問題が

図⑥

あります。インフラや物理的な資本へ の投資はあっても、組織だっていない 上に、人的資源への投資が少ないため に、価値を継続的に積み上げていくこ とにつながっていかないのです。これ は非常に悲観的にさせられる現実です。

図⑦

図⑧

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化が進んでいても所得は上がっていま せん(図⑭) 。自分たちの生産システム が所得を上げてくれないのです。二〇 億ドルの経済にはなっていても、それ が自分たちの広範囲な開発に反映して いないのが問題です。 二番目はブラジルのアクレ州の事例 です(図⑮) 。アクレ州はブラジルの環 図⑮

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図⑯


場の需要の求めに応じてつくり、グロ ーバルな製品として出しているのです が、ローカルな知識を使って開発する ということはなかなかできていなくて、 政府の介入を必要としています (図⑩) 。

図⑫ アサイー・フルーツの生産はアマゾ ンデルタの非常に巨大なエリアに拡大 しています(図⑪) 。森林管理に関わっ ていた地域の全てにまたがっています。 そして二〇億ドルという経済規模にな

図⑬

っています(図⑫) 。しかし、アサイー・ フルーツをつくっている人たちの家庭 の経済をみてください(図⑬) 。アサイ ー・フルーツが所得に占める割合は大 きくありません。そして、地域で都市

図⑭

78


農作物の生産は上がっているけれども、 森林破壊も広がっている現状です。つ まり土地利用がうまく行われていない という結果です。一九九七年から二〇 一〇年までの間に、さまざまな土地利

図⑳

81

です。 時系列を追ってみると(図⑱) 、アク レ州でゴムの生産を森林のなかで促進 する動きがあったのですが、牧畜が代 替の職業となり、 ウシの飼育が増えて、

図㉑

用システム、生産システムで所得が減 ってきています(図⑰) 。増えたのは政 府の現金給付への依存です。アマゾン の開発地域のモデルとなっているアク レ州のような地域でもこのような現状 図⑲


図⑰

境運動のリーダーとして有名なシコメ ンデスの故郷です。 私の学生の一人が何百というコミュ ニティにまたがる包括的な研究をして います (図⑯) 。 それでみえてきたのは、

80

図⑱


最初に戻って、たくさんの開発の努 力が払われ、基金もたくさんありなが ら、 なぜうまくいかないのでしょうか。 問題はバランスです(図㉖) 。人々の能 力、基本的なインフラ、市場がきちん と成長していない、価値の積み上げが 図㉔

図㉕

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木材伐採へとつながっていきました。 森林からの生産は減ってしまったので す(図⑲) 。 そして三番目はあるコミュニティの 成功例です(図⑳) 。一九三〇年代に日

図㉒ 本から移民してきた人たちのコミュニ ティがあります(図㉑) 。一九五〇年代 ごろには、ここはブラックペッパーの 生産で世界的に知られていました。こ のときは単一栽培で、あるとき病気が

蔓延してブラックペッパー経済が破綻 してしまいました。それからは、非常 に多様化された農林業のシステムをつ くり出そうと努めてきました。非常に 見識のあるリーダーがいて、自分たち の地域の価値を生もうと努力し、グロ ーバルな市場のなかで成功しました (図㉒) 。 この周辺地域はアマゾンのなかでも 最貧といわれ、人間開発指数が一番低 いところでした(図㉓) 。暴力も非常に 高い率がおこっていました。この地域 では自分たちのしていることを周辺地 域に対して広げるということを始めま した。バイオ燃料のためのオイルパー ムの生産を拡大させるなどしてこの地 域の変革を図りました(図㉔) 。図㉕は 詳しい説明はしませんがわれわれが調 査したパートナーシップのマッピング です。日系ブラジル人が何十年にわた って非常に複雑なネットワークをつく ってきたということを表しています。

図㉓

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ポイントは、都市と地方の開発はつな がっているということです(図㉘) 。都 市と地方は相互に依存しているので、 両方を同時にみなければなりません。 地域を変革していこうとする価値観の 統合と、持続的な産業化が必要です。 そして、若者に焦点を合わせることで す。若者は教育がない、自分の親がや っているような農業はしたくないけど 雇用がない、都市に行っても生活でき ない、医療サービスがない、そういう 状況に置かれています。これは大きな 問題なのです。 アマゾン流域に可能性はあるのでし ょうか。環境のためには時を止める、 つまりアマゾンをこのままにしておく のがいいのでしょうか。経済を発展さ せ、富を自分たちでつくり出し、自分 たちに投資をして、そして自分たちの QOLを上げられるようになることを 考えなければなりません。

司会 ありがとうございました。 それでは次にQ&Aに入りたいと思 います。二つのご講演に対してどなた かご質問ありますでしょうか。 ――ムーニー先生への質問です。三〇 年前ぐらいに遺伝子組み換え作物に関 しての反対活動がアメリカでもわきお こりました。もしも遺伝子組み換えで ない作物を購入しようとしたならば、 大きな対価を支払わなければならない のですが、これについてコメントをい ただけますでしょうか。 ――ブロンディジオ先生に二つ質問が あります。一つは、アマゾンの諸問題 がそれ以外の地域にも共通するものな のでしょうか。もう一つは、さまざま な障壁があるということでしたが、地 方においては中央政府から距離が離れ ているということで特有の問題はある でしょうか。それを克服する手立ては

あるのでしょうか。

――ムーニー先生への質問です。今後 のIPCCとIPBESの連携のあり 方について、午前中のザクリ先生のお 話も踏まえて、どのようにお考えかお 聞かせください。 もう一つ、ブロンディジオ先生への 質問で、アサイー・フルーツの例を用 いてご紹介いただいきましたが、アサ イーの生産の面積が広がったことによ って、モノカルチャーとはいわないま でも何かネガティブな影響は出ていな いのでしょうか。あるとしたら、どの ようにマネジメントしようとしている のかということに関して、具体的なお 話があれば教えていただきたいと思い ます

司会 お二人にそれぞれご質問をい ただきましたので、ムーニー先生から お答えいただけますか。

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なされていないなどいくつものボトル ネックがあります。 投資は父親的温情主義によって慈善 的に与えられるものとみられがちで、 それを受ける農家は受益者とみられが

図㉖ ちです。それではプロジェクトは続い ていきません。投資をする側と受ける 側とが信頼関係をもった公平なパート ナーとならなければいけないのです (図㉗) 。 そうなっていくような変化を

遂げることで、資金提供を受けた地元 の人たちが自分たちでインフラをつく り、環境問題を解決し、生活の質を上 げていけるようになるのです。 ここで第一に考えなければいけない

図㉗

図㉘

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げが行われてきていません。アマゾン 流域では一セントの価値の資源が、他 の地域ではもっと大きな価値があると いうことがあるのに、それを活かす努 力が払われてきませんでした。 第三は、サービスの欠乏です。地域 がもっている資源から富を取り込むこ とができていないのです。 これらはグローバル・サウスにおけ る共通の問題です。 それから、政府から遠いローカルで あるというのは障壁にはならないと思 います。日系ブラジル人は遠く離れた 地方で非常に成功しています。彼らは 自分たちでボトルネックに対して投資 をしてきました。早い段階から資金を つくって投資をし、製品を商業化し、 日本の企業や商社などとの強いコネク ションをつくって、自分たちの手で収 益を得てきました。自分たちのために 自分たちで努力をしてきたのです。グ ローバル・サウスが変化できずにいる のは、地域の資源が大きな需要があり ながらも市場から利益を取り込めてい ないのが問題なのです。 私が観察したところ、アマゾンでは 九五パーセント以上の人が破産してい ます。私が研究対象としている市町村 は、アサイー・フルーツをつくってい るナンバーツーのところです。財務的 な構造、市場の構造によって、アサイ ー・フルーツをローカルなレベルでう まく所得に取り込むことができずにい ます。 そしてもう一つの質問はアサイー・ フルーツの拡張で、トレードオフの関 係になったものがあるかということで した。単一栽培になっていないのかと いうのは非常に重要です。ほとんどの 経済が非常に小規模な小作農によるも のなので、マイクロな環境に目が向き ます。多様化されたランドスケープの 大切さにも目を向けて、小作農から組 合へ、単一栽培から他のことをも取り

込むといった広げ方が大切であると思 います。

司会 今日の議論は、ダスグプタ先生 の持続可能な発展を支える経済理論の お話から始まりました。生産資本だけ でなく、 人的資本や自然資本も重要で、 社会のなかで広く成長を支えるような 環境であることが大切であるといった 趣旨でしたが、いまのアマゾンの開発 においても、いろいろな条件が広く整 っていないところでは、金銭的な収入 があっても社会の持続的な発展にはつ ながっていかないということですので、 基本的な議論から具体的な議論へとつ ながる大変いいディスカッションがで きたと思います。 これで三つの講演のセッションを終 わりとし、次にパネルディスカッショ ンに移っていきたいと思います。モデ レーターは武内先生にお願いします。

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ムーニー 二つ目の質問で、IPBE SとIPCCの協働の可能性を考える のはすばらしいことだと思います。二 つは異なったものを代表している別の 機構ですから、協働を実現するには多 くの作業が必要だと思います。IPC Cには最近はより多く大学や教育機関 が入ってきていますから、意見交換や セミナーなどのプログラムで協働する 可能性は十二分にあると思います。非 常にポジティブに考えたいと思います。 ただしIPBESとIPCCはそれぞ れ異なるサイクルのなかでさまざまな

プロセスを進めていますので、シンク ロするのは難しいかとも思います。 一つ目は遺伝子組み換え作物に関す る質問でした。遺伝子組み換え作物が 最初に登場してきたときに、私はロッ クフェラー財団のあるベラージオへの 招待状をいただき、生態学者、分子生 物学者と一緒の会議に出ました。会議 の終わりに、食品として問題ないとい う声明を共同で出しました。あくまで も私見でありますが、安全に関しての 懸念は私にはありません。しかし社会 的には抵抗があります。それに対して きちんと公平に対応していくべきだと 思っています。人々が自らの価値観に 基づいて意見を出し、自分らの意見に 基づいて選択できるようにしていくこ とが必要ではないでしょうか。遺伝子 組み換え作物には、社会的にもう一つ の問題があります。食糧に携わってい る国際機関では貧困の撲滅が非常に大 きな目標となっています。遺伝子組み

換え作物はそのことについて必ずしも プラスに寄与するものではありません。 ローカルな経済に依存している社会に 遺伝子組み換え作物は寄与しない点も 見逃すべきではないと思います。

ブロンディジオ アマゾンでの問題が 他の地域でも共通するのかということ ですが、ラテンアメリカの他の地域で もアフリカでもアジアでも、三つの共 通するものがみられると思っています。 第一に、構造的な調整プログラムで す。これらの地域では、一九九〇年代 に、政府の役割としてサービスを提供 してインフラを開発し、資源を輸出す るという構造的な調整プログラムが実 施されました。それによって同じよう な問題を抱える地域ができあがってし まいました。 第二に、価値の積み上げがありませ ん。自然資源はあるけれども、人的資 源もインフラもなくて、価値の積み上

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武内 パネルディスカッションにも 引き続きご参加いただきうれしく思い ます。今日のテーマは、持続可能な社 会や自然共生社会をつくるために、わ れわれがどのような寄与ができるのか ということです。ここには教育界、経 済界、国際機関などさまざまな分野を 代表される方々にご参加いただいてい ます。 さて、サステイナビリティ学を構築 していく上で大きな貢献をされたアリ ゾナ州立大学のサンデル・ファン・デ・ ルー先生は、個人的な事情にから残念 ながら来日いただけなかったのですが、 幸いなことにビデオメッセージを送っ てくれました。パネルディスカッショ ンを開始する前に、そのビデオメッセ ージをご覧いただきたいと思います。 ■ビデオメッセージ

サンデル・ ファン・ デ・ ルー w u e e L r e d n a v . E r e d n a S

科学とグリーン成長についてひとつ コメントをしたいと思います。 科学は、さまざまな分野の知見を一 般の人々の前に提示して科学の透明性 を高め、信頼を再醸成し、そして多様 性のある科学をつくっていかなければ なりません。さまざまなアプローチを 実際に試して、それも繰り返し試行錯 誤して、 事後の修正をしていくことで、 高い満足感のある未来に向かっての進 化が遂げられるようになると思います。 一般の人々と討議するときに、科学 者にはどのような役割があるでしょう か。科学者は客観的でなければいけな いという考え方にとらわれてきました。

持続可能性の議論のなかでそれは変わ ってきています。科学者は自分の意見 をいい、政策を提言していくことが求 められる状況になってきています。そ のときに、IPCCのように科学者が ひとつにまとまっていくことを目指す のか、それとも多様であることを目指 すのか。重要なのは、科学者にとって ではなく、一般の人々にとって効果的 な対話のできる枠組みを考えることで す。 科学者は科学の文脈で理解し、解決 策を考え、そうする理由を考えます。 科学者が孤立するのはやはり宿命でも あるのかもしれませんが、科学者には

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■パネルディスカッション モデレーター

[

] かずひこ)

[

] ふみこ)

武内和彦 (たけうち パネリスト

春日文子 (かすが としお)

国立医薬品食品衛生研究所安全情報部長/日本学術会議前副会長

有馬利男 (ありま ) Salvatore Aricò

一般社団法人グローバル・ コンパクト・ ジャパン・ ネットワーク代表理事

サルバトーレ・ アリコ( -

S A T I S R E V I D , r o t c e r i D e v i t u c e x E g n i t c A A p S e r u t t u r t s a r f n I , O E C & n a m r i a h C

) Fabio Orecchini

) Pier Francesco Rimbotti

) Anne-Helene Prieur Richard

O C S E N U , r e d a e L m a e T d n a t s i l a i c e p S e m m a r g o r P r o i n e S

アン エレーヌ・ プリュー・ リシャール (

ピエール・ フランチェスコ・ リンボッティ ( ファビオ・ オレッキーニ(

n o i t a i c o s s A n a i l a t I , t n e d i s e r P e m o R f o y t i s r e v i n U i n o c r a M o m l e i l g u G , r o s s e f o r P /

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e c n e i c S y t i l i b a n i a t s u S r o f


オレッキーニ 武内先生とは非常に長 い間お仕事を一緒にさせていただいて おります。そして他の皆さんとも、持 続可能な社会づくり、自然共生社会づ くりで関わりをもってきました。いか にしてさまざま分野から最高のものを

取り込み、そしていかにしていろいろ な分野が協力していくのかということ をお話したいと思います。 今日ここまでお話を聞いていて驚い たことがあります。スマートという言 葉がまだ出てきていません。スマート シティ、スマートフォンなどスマート の付いた言葉がたくさん使われるよう になりました。全世界がいまやスマー トになってきています。 エネルギーを例に取ると、スマート グリッドがあります(図①) 。エネルギ ーを生産して配るシステムが大きく変 わりつつあります。一方的にエネルギ ーが配られるのではなくて、受け取る 側が供給する側にもなって、いくつも のやり方でエネルギーが供給されるか たちになってきています。エネルギー の生産と配分のシナリオが変わり、グ リーン・エネルギーが市場に入って、 どんどん大きくなってきています。生 産と供給の新しいネットワークがスマ

ートグリッドです。 交通の分野でもスマートモビリティ がいわれています。数年前に不可能だ と思われていたものがいまや現実のも のになろうとしています。たとえば、 自家用車を一人ひとりがもつのではな く、自動車を共有するカーシェアが多 くの都市で実現しています。カーシェ アは以前から考えられてはいてもそれ が成功しないでいて、いまになってで きるようになったのは、スマートフォ ンのおかげです。スマートフォンによ

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その役割を果たしていく責任がありま す。 科学者は無知から知識をうみだし、 社会に対する脅威に取り組みます。そ れはさまざまなネットワークを通じて 行われていきます。 科学には一つの単純なアプローチが あるのではありません。科学者には、 どのように動けば科学を適切に二一世 紀の課題に適用可能にできるのかを実 践していく責任があるのです。

武内 サンデル・ファン・デ・ルー先 生からは明快なメッセージをいただき ました。 それではパネリストの方々に最初に お一人ずつご発言いただきたいと思い ます。プレゼンテーションには二つの ポイントを入れてくださいとリクエス トしました。第一は、皆さんの組織が 持続可能性のビジョンの実現のために どのような寄与ができるのか。 第二は、 皆さんの組織が長期的な目標と関連付

けられたどのようなビジョンをもって いるかです。 最初にファビオ・オレッキーニ先生 にお願いします。

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スマートフォンやタブレットで大きく 変わってきました。持続可能性を改善 していくチャンスを見逃してはなりま せん。そのためには知識のスマートグ リッドが必要です。 ビジネスや技術がそれぞれに個々の 目的を追求するのでは持続可能性は実 現しません。共通の長期的なビジョン がなければいけないのです。そのビジ ョンは、スマート・イコール持続可能 性であると私は思っています。われわ れ科学者には、そのために社会ととも に知識をつくっていくインテリジェン トなシステムをつくる役割があると思 っています。

武内 ありがとうございます。知識の スマート化のコンセプトについて明確 なお話をいただきました。 それでは次に春日先生にお願いしま す。

春日 私は本務として厚生労働省の 管轄下にある研究所で働いております が、本日は前期日本学術会議の副会長 としての活動についてお話したいと思 います。 日本学術会議について簡単にご紹介 します(図①) 。日本学術会議は一九四 九年に設立され、その役割は、社会の さまざまな問題に科学の観点から応え

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グリッドへの最初のコンセプトである というのが私の解釈です。 持続可能な社会に向けてさまざまな 解決法、知識があります。たくさんの 知識が生まれ、 そして拡散しています。 それらは社会のスマート化につながる もので非常に大きなチャンスがありま す(図⑤) 。われわれの普通の生活は、 図④

図⑤


ってオンタイムで使える車がいまどこ にあるのか、そして使った後でどこに 置いたらいいのかがわかるようになり ました。 大都市、中都市、小都市、さまざま な規模の都市でスマートシティという スキームが考えられるようになってき ました。その先に、スマート社会もで きるようになるでしょう。スマート社 会とはどのようなものなのか、それと 持続可能性との関係はどうなるのか、 いまわれわれが考えるべき課題です。 あまりまだわかっていないのは、

図③

スマートがイコール持続可能性なのか、 それともイコールではないのかという ことです(図②) 。何かスマートなもの をつくりあげたとして、スマートであ るのは短期間だけであるということは あるでしょう。それは持続可能ではあ りません。ユーザーにとって、市民に とっては、スマートであることが長く 続いたほうがいいので、もちろん持続

図②

可能であることを目指すべきです。逆 に、持続可能性な社会にはスマートで あることが必要でしょうか。スマート だというのは、物理的な要素が共有さ れて効率的になるということです(図 ③) 。 それによって物理的な要素が少な くなります。交通であれば車の数が少 なくなり、電気であれば発電量は少な くてすむということです。それは持続 可能であるということにつながるでし ょう。 次にわれわれ科学者の役割について 考えてみます。科学者の役割は、知識 のスマートグリッドをつくることにあ るといえるのではないでしょうか(図 ④) 。武内先生はネットワーク・オブ・ ネットワークスというコンセプトを提 示されています。さまざまなネットワ ークを結んだネットワークです。企業 のネットワーク、 大学のネットワーク、 研究機関のネットワークを結んだネッ トワークです。それは知識のスマート

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のビジョンは何であるかという質問を いただきました。それに対する答えと して図④をお示しします。これはまも なく出される予定でいまはピュアレビ ュー中の提言(案)から引用したもの

です。読み上げますと、 「自然から過酷 な試練を与えられるだけでなく、四季 折々の変化に富む豊饒な恵みを享受す る中で、日本では、人間という一つの 生物種が自然環境を構築する一員であ

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図⑤

る負の影響が増大すると、人間活動、 自然双方の持続可能性が脅かされ、環 境上のさまざまな問題が生じてきます。 武内先生から、自然共生社会におけ る持続可能性に関するわれわれの組織 図③

図④


るというものです。日本学術会議は政 府や一般市民、場合によっては科学界 に対して提言を出してきました。 また、 日本の科学者の国際活動を支援し、科 学のリテラシーを促進し、また科学者 間のネットワークづくりを進めてきま した。日本学術会議には二一〇人の会 員と、約二〇〇〇人の連携会員がいま す(図②) 。人文社会、生命科学、理学・

工学の三つの部から成り、三〇の分野 別の委員会、約三〇〇の分科会があっ て、さまざまな課題について議論し提 言しています。 環境科学分科会が昨年の九月に出し た報告書があります(図③) 。そのなか

図①

に、人間と自然の相互作用について言 及した箇所があります。人間は自然か ら資源やエネルギーを受け取り、人間 の営みそして廃棄物は自然に影響を与 えています。相互に影響する循環の関 係があるために、人間の生産活動によ

図②

94


についても同じ提言(案)から引用し てお答えしたいと思います (図⑤、 ⑥) 。 「科学に対する視点もその上に構築さ れていると考えると、日本で育まれて きた科学には、人間中心の発展を遂げ た欧米の近代科学を補完する独自の視 点があるものと自負する。世界の持続 可能性を追求する諸研究、そしてより 幅広い学術分野において、この独自性 を貴重な基盤としていくことが望まれ る」 。 「それにより、人文・社会科学と 自然科学の連携(インターディシプリ ナリー・アプローチ)や、科学者コミ ュニティと社会のステークホルダーと の協働(トランスディシプリナリー・ アプローチ)においても、我が国の科 学が謙虚に、かつ自信を持って世界に 貢献することが可能となると考える」 。 まだ概念的でありますが二つ目の質問 の答えになると思います。 そして、最後にフューチャーアース についてお話したいと思います (図⑦) 。

こちらは、より実践的に日本の科学者 が貢献する場になると考えています。 フューチャーアースはユニークな、そ して包括的な科学プログラムです。五 カ国に分散した事務局の一つが日本に 置かれたことをうれしく思っています。 日本の事務局の活動の基礎になってい くのがさきほどお示ししたビジョンで あると考えています。

武内 ありがとうございます。日本学 術会議の活動について、とくに持続可 能な社会への貢献についての観点から お話をいただきました。現在のグロー バルな地球環境イニシアティブである フューチャーアースについてもお紹介 いただきました。グローバルな環境に ついて、自然科学、社会科学、人文科 学を統合したかたちで一つのプラット フォームをつくるという野心的な試み です。 それでは次にサルバトーレ・アリコ

先生にお話いただきます。

アリコ 私は国連のユネスコを代表し てまいりました。ユネスコは科学、教 育、文化を通しての人間の調和を目的 として一九四五年に設立され、七〇年 たったいま、調和は、人間の調和だけ ではなくて、自然との調和という課題 にいまわれわれは直面しています。 ユネスコのビジョンについて、とく に科学の観点からお話したいと思いま す。ユネスコのビジョンは科学と関連 するさまざまな研究を通して提示され ています。理想をいえば、さまざまな 科学的な知識と、さまざまな伝統的な 知識がともに対話ができればと考えて います。そしてさまざまな価値も認識 されなければなりません。経済的な価 値だけでなく、自然の価値もです。自 然の価値には、精神的、文化的な側面 もあれば、生態系の恩恵もあります。 ビジョンを考えたときには、何か達

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るという感覚が生活や価値観の中に当 たり前のこととして育まれてきた」 。 こ れが持続可能な自然共生社会のビジョ ンであります。 もう一つのご質問は、このビジョン のためにわれわれの組織がどのように 貢献できるかということです。こちら

図⑥

図⑦

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ンダについても言及されましたが、今 年は非常に重要な年です。今年の終わ りまでにはわれわれは持続可能な開発 目標を具体的な数値とともに決めなけ ればなりません。私の理解では、この 新しい持続可能な開発目標は、貧困撲 滅や食糧安全保障、そして水の安全保 障といった途上国の問題だけでなく、 生物多様性や気候変動、そして包括的 富など、先進国も視野に入れて問題解 決を考えていかなければなりません。 。 それでは次にアン‐エレーヌ・プリ ュー・リシャール博士にお願いします。

リシャール DIVEASITASと いうのは国際的な機関で、春日先生が 紹介されたフューチャーアースにおい て中心的な役割を果たそうとしていま す。 私のビジョンですが、生物多様性が 持続可能性の鍵であると考えています。 生物多様性は持続可能な開発の三つの 柱、環境、社会、経済と関わっていま す(図①) 。三つの柱とのつながり方は それぞれで異なりますが、生物多様性

はすべてに関わり、分野横断的です。 図②をみてください。 生物多様性は、 食糧、健康、水、エネルギー、文化な どと関わっています。生物多様性は地 球の生命維持、生態系のレジリエンス と深く結びついて、直接的・間接的な 恩恵を人々に提供しています。間接的 な恩恵は見過ごされがちですがとても 重要です。生物多様性は国の豊かさと

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図①


成すべきことがあります。達成するに はさまざまな境界を超える必要がある でしょう。生物的な境界、物理的な境 界もあるでしょうし、社会的な境界も あるでしょう。貧困の問題もあるでし ょう。それらすべてをビジョンの達成 へとつなげていくのです。 ビジョンは、科学、技術、そしてイ ノベーションの視点からみて、繁栄を もたらすものでなければならないでし ょう。そして、イノベーションをもた らす担い手たちが、政府関係者であっ ても民間人であっても、みなが共通に

貢献することが望まれます。 実践的なステップはどのようにした らいいのでしょうか。われわれは歴史 的にみてチャンスに恵まれています。 科学、技術のイノベーションが注目を 浴び、二〇一五年以降の発展につなげ ていくことに向けて動いています。皆 さま一人ひとりがビジョンを共有して それを実現することに貢献できるので す。国連はポスト二〇一五年の開発ア ジェンダについて話し合っています。 これはミレニアム開発ゴールの次にく るものです。 国連の宣言や決議は、皆さまには少 し空々しく聞こえるのかもしれません。 しかし、 政治的に大変重要なものです。 それに基づいて国家の法規がつくられ、 研究の方向性なども決まってくるから です。ですからポスト二〇一五年の開 発アジェンダが出されるいまはチャン スなのです。 国連総会の決議として、ポスト二〇

一五年の開発アジェンダについて持続 可能な開発の目標が出るはずです。そ こにたくさん科学的な側面がカバーさ れ、教育や貧困についてもカバーされ ればと期待しています。決議に至るに はどこかの政府がイニシアティブを取 らなければいけないわけですが、日本 がぜひ貢献してほしいと思っています。 われわれは希望をもっています。複 数のレベルでいろいろなよい兆候があ ります。科学が社会のなかで主流にな りつつあります。国連事務総長はサイ エンティフィック・アドバイザリー・ ボードをつくりました。ザクリ先生は その一人ですし、日本の黒川清先生も メンバーです。日本のリーダーシップ がこの分野でますます継続されること を期待しています。 武内 ありがとうございました。ユネ スコも自然科学、社会科学、人文科学 を統合しなければいけないということ です。ポスト二〇一五年の開発アジェ

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あり(図⑤) 、また食糧にもプラスにな ります(図⑥) 。 このようにして、科学は大きな課題 に対して、解決策を社会に対して提供 することができます。解決策は政策決 定者やその他のステークホルダーとの 図④

VEASITAの活動についてご紹介 いただきました。生物多様性の保全は 直接的・間接的なかたちで社会に貢献 します。『グローバル生物多様性アウト ルック』の新しいバージョンをご紹介 いただきましたが、社会的・経済的シ

図⑥

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共同関係によって生まれてきます。そ のときにウィンウィンの関係になる政 策アジェンダをつくっていくことが大 切です。

武内 ありがとうございました。DI 図⑤


は関係なしに恩恵を与えてくれます。 公正な分配を可能にし、適応能力を提 供し、持続可能性に極めて重要です。 われわれのDIVEASITASは 持続可能性についての科学の枠組みを 提供することに貢献しています (図③) 。

図② グローバルな持続可能性のために、生 態系サービスの科学的な優先順位につ いての報告を二〇一二年に出し、どの ようにしてグローバルな持続可能性を 達成するかということを述べています。 DIVEASITASは政策決定メ

図③

カニズムに関わっています。午前中に ザクリ先生がお話されたIPBESの 活動の推進にDIVEASITASが 寄与しています。施策決定者と科学の 間にギャップがどこにあるのかを見極 めようとしています。 『グローバル生物多様性アウトルッ ク4』を出しました。二〇五〇年のシ ナリオとして、生態的なシナリオとと ともに社会的・経済的なシナリオも考 えています(図④) 。これは二〇五〇年 の生物多様性目標を達成する意図で出 しているものです。 このシナリオでは、 生物多様性を守るだけでなく、他の政 策、地球温暖化を二度未満に抑えると いうことにも言及しています。分野横 断的にさまざまなセクターに関わって 食糧や水についても網羅しています。 分析の結果、もしわれわれの三つのシ ナリオに基づくと、生物多様性にポジ ティブな影響があるだけでなく、二酸 化炭素の排出にもポジティブな影響が

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して利益を創出して、投資家に配当す るというものです。これは従来型の企 業の視点です。 右側の②のボックスは、雇用者やビ ジネスのパートナーです。従業員、供

図②

給元、 ロジスティックスのパートナー、 あるいは販売チャネルなどです。CS Rをかなり幅広く考えると、この部分 のステークホルダーの期待に応えてい くことが大切であると、グローバルな 企業では受け入れられてきています。 こういったCSRを推進していくため に二つの考え方があります。攻めの姿 勢をとるか、 守りの姿勢をとるかです。 事業活動を積極的に展開していく、人 道支援を実際にしていく、省エネ製品 を出していくといったことは攻めの姿 勢ということになるでしょう。 左側の③の箱は企業を取り巻く環境 やインフラです。これもステークホル ダーとして捉えることができます。社 会の共通資産であるここが持続可能で ないと企業としても持続可能なビジネ スが提供できなくなります。「コモンズ の悲劇」を回避するために、企業とし てビジネスモデルをきちんと構築しな ければいけないのです。ここまで含め 図③

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ナリオを二〇五〇年までに実現すると 持続可能な社会に向けて進んでいける ということです。 それでは次に有馬利男様にご発言い ただきたいと思います。

有馬 私は長く富士ゼロックスとい う企業で働きいまもイグゼクティブ・ アドバイザーであるとともに、社会的 な組織にも参加して、二つの役割を果 たそうとしています。国連と関係する

社団法人グローバル・コンパクト・ジ ャパン・ネットワークの代表理事を務 め、ジャパンプラットフォームという 緊急の人道支援を行うNGO組織の共 同代表理事でもあります。そういった

経験を踏まえて、企業がいかにして持 続可能な社会に寄与できるのかといっ たことをご紹介したいと思っています。 まずCSR(企業の社会的責任)に ついてお話します。 私の考えるところ、 ステークホルダーは三つのカテゴリー に分けられます(図①) 。図には、上に 顧客、下に投資家・株主のボックスが あります。中央の①のボックスは金銭 的なフローです。 この場合のCSRは、 高い価値を顧客に提供し、その結果と

図①

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援していくことも大切です。 また、教育界・学術界と経済界がコ ラボレーションを通じてCSRを推進 していくことも大切で、グローバル・ コンパクト・ジャパン・ネットワーク、 そしてジャパンプラットフォームもそ うしたことを支援しています。今日の 会場にはたくさん学術界の方がいらし てますが、グローバル・コンパクト・ ジャパン・ネットワークは、GCAN (グローバル・コンパクト・アカデミ ック・ネットワーク)をつくるべく作 業を進めておりますので、多くの学術 界の方にご参加いただければと思って います。その結果として、実り多い成 果を上げて、持続可能な世界を作り上 げていくことに寄与したいと考えてい ます。

⑤) 。縦軸が価値の創造、横軸が統合性

三段階目はCS R でSBI 3.0 )の段階 ( Socio-Business Integration です。これはグローバルな持続可能性 を確立するために、ビジネス界、経済 界も参画していくということです。重

武内 ありがとうございました。CS Rのすばらしい進化の流れについて紹 介いただきました。

次の段階はより強靱なCSR 2.0 で す 。 B P I ( Business Process )の段階で、企業が生物多 Integration 様性やリサイクルなどを世界的により 推進していくならば、グローバルな持 続可能性をさらに進めていくことがで きることでしょう。

です。 CSR はCGC ( 1.0 Compliance )の段階 Governance & Contributions で、図①の中央のステークホルダーと 合致します。配当とかボランティアと いったもので社会に貢献していきます。

から 要なのは、企業としてCSR 1.0 、 3.0 へと統合的に導入していくこ 2.0 とです。政府が規制等を介してそこに インセンティブを与えて、経済界を支

では、プレゼンテーションの最後に なりますが、ピエール・フランチェス コ・リンボッティ様にお願いいたしま す。

リンボッティ 今日はサステイナビリ ティ、そして環境に対するわが社の考 え方を皆さまと共有できる機会を与え られてうれしく思っています。 先日のダボス会議で、環境リーダー のフィゲラさんが、「ビジネス界がアク

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てステークホルダーとのよりよい関係 を築いていくことがCSRとして必須 であると考えることができます。 このようなCSRについて富士ゼロ

図④ ックスのような会社に何ができるのか ご紹介します(図②) 。具体例として、 岩手県遠野市と共同で行っている事業 があります(図③) 。これは将来に対す

るチャレンジに投資する事業です。い ろいろな写真がありますが、ビジネス 以外にも、大学生、高校生、中学生、 海外の関係者などいろいろな人を取り 込んで、ローカルな問題を捉え、自ら の視点で新しい解決策を考えていくた めの対話を、わが社のコミュニケーシ ョン技術で支援しています(図④) 。 遠野市としては、市への来訪者を増 やし、新規事業を興して新たな雇用を 作り出して、地域を再生していくこと を求めています。富士ゼロックスとし ては、こうした活動に参画するリサー チセンターをつくることによって、新 しいコミュニケーションのプロセスを 生み出すことを目的としています。全 く違うコミュニケーションの経験があ る人々が一堂に会することで、新しい ビジネスモデル、新しいネットワーク が構築されることが期待されています。 私見ではありますが、CSRは三段 階で進化していると考えています(図

図⑤

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〇年で事業内容を大きく変革し、再生 可能エネルギーにかなり重点を置くよ うになりました。現在では、環境の観 点からの評価に高いレベルで期待に応

えていこうとしています。 その期待はさまざまなステークホル ダーから出されています(図②) 。第一 は領域的な期待です。未利用の土地を 有効活用したい、地域経済を活性化し たい、新規の雇用を創生したいといっ た期待があります。 第二に環境に関する期待です。環境 に関する科学は非常に複雑ですので、 異なる要素、異なる領域のバランスを 取っていかなければいけません。 第三に技術的な期待です。より新し いより効率的な技術が市場に次々に出 てきています。規模も大きくなってき ています。風力発電のタワーは十数年 前には三〇メートルぐらいの高さだっ たのが、いまでは一〇〇メートルある いは一二〇メートルといった相当に大 きなものになっています。技術的なレ ベルの向上をはからなければなりませ ん。 第四が投資家の期待です。投資家は 図③

安定したリターンを求めています。 われわれはこうした期待のすべてを 考えていかなければいけません。全力 を投じて期待に応えようとしてきまし た。 われわれの事業をいくつか紹介しま す。図③は中規模の太陽光発電所で、 五〇〇〇人ほどの電力消費に対応でき ます。この発電所の隣でWWFと共同 で、環境への影響を低減させるだけで なく、 むしろ環境を改善していこうと、 自然公園を構築しています。環境を悪 くすると攻撃にさらされることの多い 発電所ですが、われわれとしてはこの ような試みもしています。 発電所を計画するときに、既存の文 化に最大限の配慮を払うということを しています。図④の事例では、発電所 設備の前に石垣があります。これは長 い歴史を誇る手作りの石垣です。石垣 のある景観を損なわないように、太陽 光パネルをシンメトリカルでないデザ

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ションをおこさねばならないほどの靴 の痛みにはなっていない」と発言しま した。そのことをまずご紹介して、私 の話を始めたいと思います。 私どもの会社は一九六三年に設立さ

図① れ、 発電事業を行ってきました (図①) 。 公共事業レベルでの再生可能エネルギ ーの供給業者のパイオニアとして事業 を展開してきました。一九九〇年代初 頭の段階で、バイオマスと風力発電の

事業を開始し、一〇万あるいは一〇〇 万規模でたくさんの方々に電気を供給 しています。また、環境に関連する資 産運用の会社を立ち上げ、ロンドンの 市場ですでに取り引きされています。 三〇〇メガワットを超える風力発電事 業も展開し、一〇〇万単位の人々に電 力を供給しています。 わが社は、初期の段階では石炭や石 油による火力発電の事業で、イタリア 国内の電力の約六割を供給し、イタリ ア国外にも供給していました。過去二

図②

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んでいる人も、働くために出稼ぎに出 た人も、六〇〇〇人以上をゲストに招 いて、非常に喜んでくださいました。 わが社が文化の発展に寄与することが

図⑧

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テクノロジーがありますので、大きな チャンスがあると考えています。国外 に出て、そしてさまざまな文化的な背 景をも取り込んで活用していきたいと

図⑦

できたという事例です。 将来に向けての課題としては、国際 化がまず重要です(図⑧) 。社内にはパ イオニアとしてのさまざまなノウハウ、 図⑥


インで置きました。将来ここではもし かすると太陽光発電所から他の事業に 変わるかもしれませんが、そのときに も同じような環境が保たれるよう、た やすく光パネルを撤去できるように特 図④

別な基礎工事を行っています。絶命危 惧種となっているカメが移動できるよ うな迂回路もつくっています。 もう一つの事例では、発電所のなか にヒツジを入れて草の管理をしていま

す(図⑤) 。動物を発電所に入れ込むに は事前にかなりの調査が必要です。子 羊が写っていますが、これはわれわれ の発電所で生まれたものです。 発電所をつくった場合の運用と保守 は非常に重要で、草が伸びないように 薬を使ってコントロールするというこ とがありますが、土壌をいためて大き な無駄となってしまうことがあります。 図⑥の写真ではトラクターを使ってい ますが、これは特別に設計されたもの で、健康被害がおきないかたちになっ ています。非常に暑くて乾燥している と芝も乾燥していて、トラクターから 出てくる熱風で事故がおこる危険があ ります。そういったことへの配慮も必 要で、開発にかなりの時間を要してい ます。 地域のコミュニティに対して十分な 配慮をするということもわが社はして います(図⑦) 。ここではオーケストラ をわれわれの負担で招聘し、ここに住 図⑤

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アクションガイドラインをつくること や、技術をつくることも含めての知識 です。そこに研究機関も関われば、政 府も公の機関も、企業も市民もみんな が参画するということがまさに重要だ と思います。これによって持続可能性 が共有できるのです。 持続可能性は非常に広いコンセプト で非常に複雑です。 持続可能な社会を、 世界のある一つの部分だけでつくるこ とはできません。そのほかの世界も持 続可能になっていなければ何の意味も ありません。より悪い方向になってし まうことさえあるでしょう。本当に持 続可能な社会をつくるには、知識を世 界中に広げて共有していかなければい けなのです。 私のプレゼンテーションでも知識の 交換・共有の新しいコンセプトをお話 しました。インターネットによって地 球上のどこからでも情報交換ができて、 何がおきているかを共有でき、批判し 合うこともできます。スマートグリッ ドの話で、将来的にもっともっとスマ ートな知識のやりとりができるように なるというお話をしました。知識をと もに作り上げて、そしてそれを実際の 行動計画に落とし込むことがスマート に行われるようになるでしょう。学術 界も政府機関も知識のスマートグリッ ドに成功していくならば、完璧な持続 可能な社会とまではいかないかもしれ ませんが、近いものはできあがるので はないでしょうか。

武内 ありがとうございます。 それでは次に春日先生に、われわれ が今日討論したようなアプローチをも つことで、たとえば男女共同参画の問 題などはどのように解決していけるの かについてお話いただけますでしょう か。 春日 大変にチャレンジングなご質

問をいただきました。男女共同参画は 問題の一例であると思いますが、社会 の広い範囲にまたがった難しい問題を 解決するためのアプローチとしては、 まず問題を特定しなければいけません。 何が問題であるのか、それを設定する のがまず難しいのです。 分野を超えた問題にアプローチする には、次に、どのようなステークホル ダーが関係しているのかを洗い出しま す。ステークホルダーが判然としない 状況ではゴールの設定もできません。 そして、すべてのステークホルダーが ともに協力して、 その解決策を研究し、 その研究成果を社会に実装していくよ う努めていかなければなりません。 男女共同参画の問題をみるときにも、 どのような社会的側面から考えるのか によって、社会のさまざまな層での多 種多様な問題が浮かび上がってきて、 ステークホルダーも多種多様です。ゴ ール設定として、たとえば貧困撲滅も

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図⑨

武内 ありがとうございました。二〇 年間にわたる自然エネルギーの開発や 投資のご経験をご紹介ただきました。 とくに自然と調和した状況を作り出す こと、文化的な価値が重要であること を強調されて、すばらしいお考えであ ると思います。 残り時間が二〇分ほどあります。昨

考えます。どういった技術が市場にあ るのか引き続き検証して導入していき ます。その結果、再生可能なエネルギ ーの分野に大きく貢献できると考えて います。重要なのは、常に文化的な側 面を投資に入れ込んでいくということ です。投資は、やはり文化的に豊かな 環境下で、最善の方法で行わなければ いけません。 最後に、われわれが投資して四〇〇 万バレル原油相当のエネルギー削減に 寄与したという事例をみていただきま す(図⑨) 。

オレッキーニ 非常に重要なご質問を ありがとうございます。 私のビジョンでは、イノベーション は持続可能な社会をつくるための有効 で重要な要素であるととらえています。 とりわけ大切なのは知識をつくってい くことです。論理的な知識を生み出す だけではなくて、行動をおこすための

日と一昨日の二日間にわたって国連大 学において専門家会議をもちました。 その議論のなかでいくつかの大切な問 題点が提起されましたので、その点に ついてここでパネリストの皆様にお伺 いできければと思います。 まずオレッキーニさんに、持続可能 な社会へと転換していくためのイノベ ーションの重要性と、イノベーション をおこすときにさまざまなステークホ ルダーがどのように関わっていけばい いのかを教えていただけますでしょう か。

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せん。そしてステークホルダーの間で 争いはしないということです。 新しい政府間のプラットフォームと してIPBESがあります。IPBE Sはマルチ・ステークホルダーでない 方がいいという声がありましたが、複 数のステークホルダーを参画させると いうことで最終的には合意に至りまし た。ただし主要な管理をしているのは 政府です。フューチャーアースのよう な研究プラットフォームもマルチ・ス テークホルダーです。そこでもやはり 大きな志が関わってきます。

武内 ありがとうございます。 それではリシャール博士に生物多様 性の主流化についてお伺いします。生 物多様性はビジネスセクターではまだ あまり人気のない考えでありますが、 生物多様性条約の愛知目標には人々の 意識の変革があげられていて、生物多 様性のコンセプトがどのように社会に

影響を与えていくのかということはと ても重要だと思います。何かコメント をいただけますでしょうか。

リシャール 生物多様性をビジネスセ クターでどのように主流化するかとい うことには二つの側面があります。一 つは、生物多様性は実はさまざまなビ ジネスの基本になっています。たとえ ば食糧です。どのような品種を開発す るのか、どのような農薬を使うのか、 農業のイノベーションは生物多様性に 深く関わっています。中国の稲作にお いて、さまざまな種類から病原菌に強 い稲の品種を選んで農薬の量を減らす ことに成功し、収益性を高めたという 事例があります。生物多様性はビジネ スに実際に活用されています。まだま だたくさんやれることがあります。と くに環境の面で多くの可能性がありま す。 もう一つは、すでにここで議論され

ているさまざまなステークホルダーと の関わり方です。企業は重要なステー クホルダーであり、ビジネスは多数の ステークホルダーと関係します。知識 を共有しなければいけませんし、相互 に理解を深めなければいけません。生 物多様性を守るということを共通の目 標として認識して、企業として実践し ていくことがとても大切だと思います。 まだ始まったばかりの試みですが、い くつかのいい事例が出てきています。 多数のステークホルダーが共通のメリ ットを享受できるよう対話を継続して いくことが期待されます。

武内 ありがとうございます。 それでは有馬様にご発言いただきた いと思います。自然共生社会づくりを 行っていく上で、民間にとってあるい は市場にとって、どのような課題や制 約、あるいはチャンスがあるとお考え でしょうか。

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その一つとしてあるのかもしれません。 ステークホルダーが協力して明確に 問題を落とし込んで、共同して結果を 出していくというような共同作業はす でにさまざまな分野でさまざまな方法 で行われてきています。男女共同参画 もその一例ですが、社会にとって複雑 な問題に対処するときには世界のステ

ークホルダーが共同作業によって取り 組んでいく状況をつくることが大切で あると思います。

武内 ありがとうございます。 いまのことに関連して、アリコ博士 に、どのようにしたら複数のステーク ホルダーを交えて知識のコプロダクシ ョンができるかということをお話しい ただければと思います。 アリコ 国際レベルでいいますと、科 学と社会、政策決定者との対話は促進 されてきました。とくに国連の場にお いては科学アセスメントのプロセスが 二〇年余りにわたって促進されてきま した。私が知る限り最初の事例が一九 八〇年代半ばに行われたオゾン層破壊 の評価でありました。科学の専門家が 動員され、適切な評価が行われ、その 知識がパッケージ化されて政策決定者 に提示され、モントリオール議定書に

結実しました。オゾン層の破壊を防ぐ よう技術的な対応も進められ、社会が 迅速に動くことができました。これは 成功した事例として、われわれはたく さんのことを学びました。 二〇〇一年から二〇〇五年にかけて ミレニアム生態系評価が行われました。 生態系や生態系サービスの変化を評価 する科学的な評価で、そこには社会的 な要因がさまざまにからむために、市 民団体の代表も含めてさまざまなステ ークホルダーが関わるプロセスとなり ました。それは非常に興味深いプロセ スだったのですが、最終的にはいくつ かのステークホルダーがその場を去り ました。ステークホルダーはある期待 をもってプロセスに関わり、そこで彼 らには彼らなりに何か成し遂げたいこ とがあったのでした。重要な教訓とし て、ステークホルダーが去ってしまう のを防ぐには、共通の願望、大きな志 といったものをつくれなければなりま

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ときに、一三歳の息子さんに聞いたの だそうです。原子力の事業で働きたい か、再生可能エネルギーの事業で働き たいかと。息子さんは再生可能エネル ギーを選ぶと答えたそうです。 より持続可能な世界へと社会は向か っていくのだということが文化として 広まっていくことが大事なのだと思い ます。この日本の社会には、自然に対 するときの姿勢ですとか、周囲の人々 に接するときの姿勢ですとか、持続可 能性につながるようなものがたくさん あって、世界が学ぶべきことが多いと 思います。

武内 ありがとうございます。 では、パネルディスカッションも最 後の部分に入ってきまして、フロアか らいくつかご質問をお受けしたいと思 います。 ――非常にすばらしい討論を聞かせて

いただきましてありがとうございます。 ただ、インフラについてあまり言及が なかったように思います。公共物の破 壊といった言葉は出ていたようですが、 何かコメントをいただけますでしょう か。

武内 非常に大切なご質問です。リン ボッティさん、いかがでしょうか。 リンボッティ 皆さまはボートピープ ルをご存じかと思いますが、南イタリ アには毎夜ボートにのった難民がやっ てきていて、当局も何とかしようとし ているのですが対処しきれない状況に あります。これは大きな人道的問題で す。われわれの会社にもそうした人た ちがきて銅を取っていったということ がありました。会社としてどう対応し たらいいのかというと、われわれとし ては保険をかけるくらいのことしかで きません。

生物多様性に対する破壊が進んでい ます。これも公共物の破壊です。多様 性を守るには、たとえばウサギもヤモ リもハチも鳥もすべてを考慮に入れな ければいけません。いろいろな問題が 出てきて、それらにすべてを解決する のは大変なことだというのはすぐにお わかりいただけるかと思います。 残念ながら、いまここでご質問に対 して私が簡単に答えがいえるようなこ とではないのです。

――産業界の方に聞きたいのですが、 企業は収益を得るために事業をおこな っています。その一方で、収益のため ではなく社会のために活動するNPO などの組織があります。両者はゴール が違っています。収益を得るための競 争は人に喜びをもたらすものであるの かもしれません。競争がなくなったら 人々の行動はどうなるでしょうか。持 続可能性の問題は人々の意識のところ

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有馬 ご質問はグリーン経済の課題 とチャンスということであると思いま す。私がアドバイザーを務めておりま す富士ゼロックスでの事例をご紹介し て一つの答えとさせていただきたいと 思います。 一九九〇年代半ばに、弊社の製品で あるカートリッジや機械のリサイクル 事業を始めました。当時、使用済みの カートリッジや機械は廃棄物回収業者 が回収してごみとして処理されていま した。ところが、悪質な業者が回収し たものを山野に不法投棄するといった ことがありました。それはあくまでも 廃棄物回収業者が行ったことなのです が、捨てられたものに富士ゼロックス の名称が付いていたために、われわれ のところに通報され、それらを適切に 処分するコストを担うことになってし まいました。 そういったことを防ぐためにリサイ

クル事業を始めたのですが、当初の八 年ほどは大きな損失を出しました。リ サイクルは複雑なプロセスで時間も手 間もかかり、新しい原材料から新たに つくったほうがより早くより安くでき てしまうのです。しかし、リサイクル は重要だと考える非常にモチベーショ ンの高い社員によってリサイクルの試 みは続けられ、八年を経過してついに 黒字に転換することができました。そ して二〇〇の特許を獲得しました。 持続可能な社会をつくっていこうと するときに、民間企業にとってはリス クのある課題であることもあるでしょ うけれど、それをチャンスとして捉え ることもできます。そのようにしてい くことが経済界としての対応策である と考えられると思います。

武内 あありがとうございます。 それではリンボッティさんにお伺い します。持続可能な社会に向けての変

化はどのようにしたら加速できるので しょうか。たとえば再生可能エネルギ ーの開発・投資の観点からご発言いた だけますか。

リンボッティ 非常に難しいご質問で す。加速化していくには、企業にとっ ては市場から資金を引き出せるように なっていくことが重要です。 それには、 今日のようなシンポジウムでもいいで すし、インターネットを通じてでもい いのですが、持続可能性に関する知識 を社会に広めて、正確な情報を提供し ていくことが必須です。社会にいろい ろなかたちで知識が取り込まれていけ ば、市場を通じて資金が企業へとまわ ってくることになるでしょう。 イタリアのある大きな銀行のCEO と話したことがありました。彼は、原 子力に対してなら資金繰りはできるけ れど、再生可能エネルギーにはなかな か資金を出せないという状況にあった

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ていくことはもちろん大切ですが、そ れには時間がかかります。われわれは 長い時間を待ちたくないですし、待た なくてはならないということもないの です。政府が方向性を示し、議会が法 案を通すことで、持続可能性に向けて の動きが加速化されるのです。 ヨーロッパでは欧州政府が方向性を 示し、指令を出すことで、ヨーロッパ が一つとなって実践していくことが可 能です。自動車業界では、排ガスへの 対応はこれまではヨーロッパがリーダ ーだと思われていました。ところが現 在では、ディーゼルカーであれば日本 やアメリカ、そして中国の規制の方が 厳しくなっています。日本の自動車業 界は、非常に低い水準で排ガスを抑え て、ヨーロッパの市場に参入するため のしっかりとした長期的なビジョンを もって進出してきています。ヨーロッ パは自動車技術のリーダーとしての高 いビジョンをもたなければなりません。

政府の果たす役割が大きいと思います。

武内 今日はこの会場に環境省自然 環境局の奥田直久様がいらしています。 自然共生社会をつくるという観点から、 政府の役割について、奥田様にコメン トをいただければと思います。 奥田 私は今日は一般聴衆のなかに 混じっていたのですが、発言の機会を 与えてくださりありがとうございます。 政府が民間にインセンティブを与え るにはいくつかの手段があります。一 つは環境にやさしい企業活動を促進す るようなガイドラインを出すことです。 個々の企業にとってそれは必須のもの ではなくても、参考にしていただける ようなガイドラインを政府が出すこと で、企業の行動が変わっていくことが 期待できます。 二つ目は認証です。環境に配慮した 製品であることを政府が認証して、そ

れをラベルなどで表示します。それに よってどの会社が環境により配慮して いるのかということが明らかになって、 消費者の行動も変わってくることが想 定されます。 三つ目が規制です。排出に関しての 上限を設けるような規制をすることで す。これが政府のとる最も大きな手段 です。 地域社会においては、国のレベルと は少し異なった手段があるのかもしれ ません。環境省では、地域のファシリ テーターあるいはコーディネーターの 育成をさらに促進していこうと努めて います。彼らが持続可能な社会を構築 するための役割を果たしていけるよう 支援します。また、地方自治体に対し てローカルプランを策定するよう奨励 し、プランの実行に当たって支援をし ています。プラットフォームを構築し て複数のステークホルダーを招聘する ようなことを支援していきます。

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にも関わってきますので、コメントを いただければと思います。

リンボッティ ある土地の利用を巡っ て議論したことがあります。土地は非 常に貴重なものですから、一〇〇パー セント有効に使わなければいけません。 複数の関係者がからんできますといろ いろな使い方の可能性があって、合意 に至るのは非常に難しいです。 前に進むにはパイロットプロジェク トのようなものが必要ではないかと思 います。なぜかというと、人々は目に 見えるものに動かされるからです。実 際に成功したパイロットプロジェクト をみることで意識が変わります。われ われ企業としては、パイロットプロジ ェクトのようなものを通して、社会に 向けて発信していくことが大切ではな いかと考えています。 一三歳の子も 「ぼ くもやるよ」という気持ちをもっても らえるようになれば、持続可能性へと

つながっていくのではないでしょうか。 ――今日のテーマを全体的に動かして いくには産業界がどのように行動する かが非常に重要だと思います。そのと きに政府はどのように関与していくと よいのでしょうか。政府の役割につい て産業界のお二人のお考えをお聞かせ ください。

有馬 政府の役割として一例を挙げ ますと、金融庁から「責任ある機関投 資家の諸原則(日本版スチュワードシ ップ・コード) 」が出されました。それ は投資される側の企業にとっても大き な関心をもたなければいけないものに なっています。政府の発信することが 大きなインセンティブになります。逆 に、それにきちんと対応できない企業 は投資が受けられないなどある種のペ ナルティが課せられることになります。 もしも政府が炭素税の導入を決めれば

企業は大きな影響を受けます。政府が タイムリーに適切な施策を出していた だけると、企業はそれをチャンスとし て活かしていくことができると思いま す。

オレッキーニ 政府の役割は重要であ るというのが私の考えです。政府が持 続可能な社会への方向性を示し、それ が社会に広く伝えられて、法律などに よって実践の後押しをしていただけれ ば、企業は持続可能性に向う事業を展 開しやすくなり、全体として持続可能 性へのプロセスが促進されるでしょう。 持続可能性をプルまたプッシュする 商品をもっともっと市場に導入しなけ ればいけません。そのためのよい施策 を政府がつくり、よいガバナンスをし ていくべきです。 意識についてのご質問がありました が、社会が嗜好を変え、選択を変え、 それによって経済のサイクルが変わっ

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個別の学問分野の枠組みは依然として 強く、一歩一歩変えるべく努力してい るところです。若い研究者が多い研究 所でありますから、積極的にいわゆる トランスディシプリナリーな研究に参 加していただくよう努めています。 国立環境研究所は、発足当初からサ ステイナブル学連携研究機構の一員で あり、今日の共催機関であるサステイ ナビリティ・サイエンス・コンソーシ アムの一員でもあります。これからも 引き続きサステイナビリティ学の発展 に努め、持続可能な社会の実現に向け て努めていきたいと考えています。 持続可能性が重要であることはすで に多くの人がご存知と思いますが、具 体的にどうすればいいのかがなかなか わからないというのが現状ではないか と思います。やはりサクセスストーリ ーが必要です。人々が自信をもって次 の一歩を踏み出すためには、成功例を つくっていく必要があります。国立環 境研究所としても、日本のさまざまな 町と組んで、たとえ小さな成果であろ うとも、具体的にまちおこしに貢献す るようなことで、この分野を発展させ ていきたいと考えています。 このようなシンポジウムを開くこと も大切なことのひとつだと思います。

来年もまだどこかで違うかたちで行う ことになると思います。今後とも皆さ まと一緒にがんばっていくつもりです。 ぜひとも皆さまのご協力とご支援をお 願いして、 閉会のご挨拶といたします。 本日はありがとうございました。

司会 それでは以上をもちまして本 日のシンポジウムを終了させていただ きます。朝一〇時から夕方五時過ぎま で長い間熱心に聞いていただきまして ありがとうございました。お陰様で実 り多い会になったと思います。またこ のような会を催したいと思いますので、 どうぞその節にはご協力をよろしくお 願いいたします。

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いずれにしましても、政府の役割が 大きいのはたしかではありましても、 最も重要なのは個々のステークホルダ ーが自立性をもつことだと思います。 政府が何かを課して、それにしたがっ て行動するということだけではなくて、 ステークホルダーがそれぞれ何をすべ きかを考え、 協力し合って行動し、 個々 の能力を最大限に発揮していくことが 大切であると思います。

武内 ありがとうございます。 このパネルディスカッションでは、 よりクリーンな環境を構築するための 投資、知識の共有、マルチ・ステーク ホルダーの参画といったいろいろな重 要なトピックを取り上げることができ ました。インタラクティブなかたちで の議論ができてうれしく思います。パ ネリストの皆さまに心からお礼申し上 げたいと思います。これにてパネルデ ィスカッションを終了させていただき

ます。 司会 それでは本日のシンポジウム の最後に当たりまして、独立行政法人 ■閉会挨拶

住 明正 すみ あきまさ

独立行政法人国立環境研究所理事長

本日は長い時間にわたってシンポジ ウムにご参加くださりありがとうござ います。非常に興味深い話を聞けたこ とと思います。 閉会のご挨拶にあたって私が所属し ております国立環境研究所について少 しご紹介させていただきます。当研究 所は水俣病や四日市ぜんそくなど深刻 な公害問題が発生したことを受けて一 九七一年に発足しました。その後、地 球温暖化など地球規模の問題が登場し てきたのに応じて、研究の対象を国内

の公害問題から地球規模の環境問題へ 国立環境研究所の住明正理事長から閉 会のご挨拶をお願いします。

と広げてまいりました。研究所では、 地球環境、廃棄物・資源、環境リスク、 地域環境、健康、生物多様性、社会シ ステム環境計測、そして災害環境と幅 広くさまざまな研究をおこなっていま す。 今日話題になりましたように、持続 可能な社会に向けて、さまざまな分野 の研究者が共同して研究することが求 められています。それを行うのに国立 環境研究所は恵まれた環境にあるので はないかと考えています。それでも、

118


た」ということを述べています。稲塚は一

い、「ノーベル平和賞は彼に与えるべきだっ

九〇年に稲塚の生家を訪れて記念講演を行

平和賞を受賞しました。ボーローグは一九

転じ、四〇年前とはまるで違って、いまで

二でした。総人口は二〇一〇年から減少に

け、二〇一四年の合計特殊出生率は一・四

いにしても、結果として出生率は低下し続

真面目に取り組んだからというわけではな

は人口減少と少子高齢化が大問題となって

九八八年に九一歳で亡くなっています。 ボーローグがノーベル平和賞を受賞した

うことであったのです。 「子どもは二人に」

らして人口を安定化させる必要があるとい

けていましたので、これからは出生率を減

てありました。当時の日本は人口が増え続

大きな見出しで「子どもは二人に」と書い

七四年の新聞を映し出していて、そこには

ました。しばらく前のテレビ番組で、一九

ませんが、大多数の人は気が付いていませ

かしたら危惧していた人もいたのかもしれ

もたらすのかということについては、もし

っても、人口減少がどれほど深刻な問題を

といえます。ただ数字上の予測は正確であ

されていました。非常に正確な予測だった

二〇〇八年で減少に転じるという予測がな

から出生率を減らしていくと日本の人口は

驚くことに、一九七四年の時点で、これ

います。

ということには七割の人が賛成と答えたそ

んでした。認識が甘かったといわざるをえ

するかということが大きな課題となってい

ころは、急増する世界の人口にいかに対応

うです。その新聞には、子どもの数は国が

ません。

はきわめて厳しい問題です。地域から子ど

に象徴されるように人口減少と少子高齢化

限界集落、消滅可能性都市といった言葉

決めるものでなくて個人が決めるものだと た。

いうことがコメントとして書いてありまし その後は、 「子どもは二人に」といわれて

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た。

n e T n i r o N とサステイナビリティ

前回に続いて映画の話から始めたいと思

「緑の革命」は高収量の品種を導入した り化学肥料を投入するなどして穀物の生産 性を向上させて、食料危機から人々を救っ

います。 『 Norin Ten 「農の神」と呼ばれ

た男 稲塚権次郎物語』 (主演 仲 : 代達矢、 監督 稲 : 塚秀孝)が今年の五月に富山県で 先行公開され、一〇月からは全国で公開さ

パキスタンで大成功をおさめ、そのときに

二六年から岩手県農事試験場で小麦の品種

科大学を卒業して農商務省に就職し、一九

稲塚は一八九七年に生まれ、帝国大学農

のタイトルとなった「 Norin Ten 」はその 名が世界中に知られています。

す。郷里では非常に有名な人ですが、映画

があり、その隣の神社に銅像が建っていま

郷のごく近く、富山県城端町に稲塚の生家

稲塚権次郎はご存知でしょうか。私の故

れたのでした。ボーローグは誰よりも多く

って改良が重ねられて「緑の革命」で使わ

良センターでノーマン・ボーローグらによ

キシコにある国際トウモロコシ・コムギ改

トン州立大学で改良が加えられ、さらにメ

後、進駐軍がその優秀性に着目し、ワシン

とを考えて「農林十号」を作りました。戦

丈を低くすることで栄養分を実に集めるこ

寒冷な気候でも収量を増やせないかと、背

た短稈多収の品種でした。稲塚は、東北の

導入されたのが「農林十号」に改良を加え

た農業革命です。一九六〇年代にインドや

れることになっています。

改良に取り組み、一九三五年に「小麦農林

の人を救ったとして一九七〇年にノーベル

十号」を作りました。これが「 Norin Ten 」 で、後に「緑の革命」の原動力となりまし

林 良博

はやし よしひろ

独立行政法人 国立科学博物館長

(専門はバイオセラピー)

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足の裏の哲学

ありとあらゆるしぐさの基本となっていたはずです。 その一つの象徴として「下駄」があります。ヨーロ ッパでは紀元前から靴を履きはじめていたようで、 大地に対してむしろ反発する歩き方が基本となりま す。この歩き方の差が、意外と文化的に大きな差を 生み出してきたのではないでしょうか。

歌舞伎や舞踏の演技で右足が出るときに右手を出 すような動作を「なんば」といいます。木寺英史に よると、この「なんば歩き」は、舞踏の世界でよく 語られているようですが、その語源については諸説 があり定まっていないようです ( 『本当のナンバ 常 』スキージャーナル株式会社 剣道日本) 。 足(なみあし) 興味ぶかい説として、 「なんば」は田下駄の一種で深 い田の農作業で使う履き物で、踏み出した足が深く 沈まないように工夫されたものという説があります。 例えば、右足の田下駄を前に出すとき、右側の手で 引くので、これが右足が出るときに右手を出すよう

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下駄は履物というよりも、携帯用の廊下である。 鼻緒の一点で、廊下を足にぶら下げて歩く この一文は、赤瀬川原平による「下駄」の定義で す(雑誌 芸術新潮2、二〇一五(追悼大特集 超 芸術家赤瀬川原平の全宇宙) 、松田哲夫「下駄とウニ ) 。 ドロ 赤瀬川文体における身体性と比喩」 松田哲夫は「鶴見俊輔さんの提案で『定義集』と いう本を作ったことがある。(中略)鶴見さんが「こ れはいい!」と絶賛したのが赤瀬川さんの「下駄」 の定義だった」と述べています。この一文は、ひょ っとすると日本の身体論、身体芸能の核心を突いて いるようにすら思えてきます。 江戸時代まで日本人は、草履 (ぞうり)や草鞋 (わら じ)を履いていました。つまり、素足にちかい歩き 方で地面をなぜるように歩いていた。剣道をはじめ 多くの武道は素足の運動で、じつに大地といかに安 定して接するかが基本となり、その動作は、日常の

大崎 満

おおさき みつる

北海道大学大学院教授

(専門は根圏環境制御学・植物栄養学)


で移住してくる家族を優遇するといったこ

もたちが少なくなった地域に、子どもづれ

面も大きいのではないかと思います。子ど

だということに加えて、精神的なマイナス

齢者を支える人がいなくなって実際に大変

もたちの姿が消えていくということは、高

持続可能な社会を築くために、例えば五

されてきたのが大きかったのだと思います。

か、子どもは生まないとかいった選択がな

が十分でなかったために、結婚をしないと

活動を続けていくための社会的なサポート

性が子ども出産し育児をしながら社会的な

えるようなことがよく行われています。四

〇年先の社会を予測して、そこに至るため

ぐに地域社会が変わるわけではないのです

〇年前に、人口問題について数値としては

にいまから何をしていったらいいのかを考

が、地域の人々は子どもたちを本当に喜ん

正確な予想ができていたにもかかわらず、

子どもが一人、二人増えたからといってす

で迎えています。子どもがいるだけで精神

社会にどのような問題をもたらすのかとい

とがいろいろな自治体で行われています。

的に豊かになるような大きな効果があるか

といったかなり極端なことも行われました。

止める危険な薬を一〇万人規模で配ったり

て、インドでは断種をしたり、精子発生を

ィについて改めて考えてみたいと思ってい

権次郎に思いを馳せて、サステイナビリテ

画『 Norin Ten 』を見て、明治、大正、昭 和の時代を生きて農にすべてを捧げた稲塚

て思索していく必要があります。まずは映

たしたちはその反省に立って、未来に向け

ったことは予想できていませんでした。わ

中国で「一人っ子政策」が始まったのは一

ます。

一九七〇年代には人口増加を防ごうとし

らなのでしょう。

たのは国の政策に導かれてというのではな

九七九年でした。日本の人口が減少に転じ くて一人一人の選択の結果です。とくに女

連載 エッセイ

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/剣道では、 「丹田に力をいれよ」という教えがあ は股関節の外旋に必要な柔軟性を高めることを目的 ります。多くの剣道愛好者が下腹の力が抜けない としているといいます。また、股関節を外旋位にす ようにと努力しています。しかし、下腹付近の理 るためには足運びが重要になって来ます。 想的な感覚(丹田感覚)とは、力が入ることでは 相撲の動きは典型的な二軸感覚によるものです。 ありません。これも常足歩行を日課にしてから明 突き・押しの動作も左右軸を基準に行われます。 確になってきたのですが、丹田感覚は二軸感覚と そして、拇指球に体重を乗せるのではなく、踵を 同じように充分に下腹付近がゆるむことによって しっかり地面につけて、左右の股関節を支点とし 出現します。(中略)中心軸感覚の歩行では体幹を ねじって歩きますから、左右の動きの交差する点 た身体操作になっています。 が臍の位置よりもかなり上方に感じられます。ど つまり、左右軸の感覚を身に付けるためには、踵 うしても、丹田感覚が生まれてきません。ところ から小指側のアウトエッジに足圧を感じ、親指の付 が、常足歩行では左右の股関節を動きの支点とし け根の拇指球はほとんど接地しないで浮かせたまま ますので、丹田感覚が顕著になるようです。 にしておくような感じです。宮本武蔵も『五輪の書』 「常足動作」は、日本の演芸、武芸の基本動作と で足運びとして「つま先を少しうけて、きびすを強 して文化に内在化している様式と纏めることが出来 く踏むべし」と述べていて、きびすは踵ですので、 具体的動作としては、「二軸動作」 二軸感覚の動作の基本を説いていたことになります。 るかも知れません。 「股関節外旋位」 「つま先を少しあげて、踵を強く踏 「二軸動作」の常足を習得すると、 「丹田感覚」も身 む足運び(武蔵に習って「きびす足運び」と呼んで についてくるといいます。 おきます) 」で、体感として「丹田感覚」をともない ます。安田登は動作に関わる筋肉として、表層筋と 深層筋があり、能では深層筋(大腰筋)が極めて重 丹田というのも体の中にその構造物はありません から、身体感覚の一つととらえていいでしょう。

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な基本動作の「なんば」になるという説です。この 田下駄は登呂遺跡からも出土しているようです。 木寺英史は「なんば歩き」は、右足が出るとき右 手も前に出す、というように説明されるが、それは 正確でなく、農耕民族の労働の基本姿勢は、右足が 前に出るときには、右肩が前へ出、極端に言えば、 右半身全部が前へ出るという動作であると指摘しま す。しかし、このような歩行は、全身が左右交互に むだに揺れて安定的でないので、じっさいの労働の 際には、腰を入れて、腰から下だけが前進するよう にし、上体はただ腰の上に乗っかって、いわば運搬 されるような形になるといいます。能の基本になる 「運歩」もこのような動作で、上体は絶対に揺れな い。このように「なんば歩き」は手を振るのではな く、左右の半身を繰り返す動作で、いわば半身の構 、和 えのことです。盆踊り、歌舞伎の六方 (ろっぽう) 服を着たときの身体操作(外人の和服姿に違和感を 感じるのは、この身体操作の違いによるのでは?) 、 剣道や武道の動作など、じつは「なんば歩き」こそ が日本文化の基礎動作であったといってもよいかも しれません。 さらに木寺は、上肢(腕)をだらりと下げて肩の

力を抜き走っていると、同側の足と手がほぼ同時に 同方向に振られていることに気づきます。つまり、 着地している足と同側の肩が前方へ動く動作になり、 この走り方を「なんばジョギング」と名づけます。 「なんばジョギング」を繰り返していると、さらに 肩の動きが重要なことに気づき、「着地足側の肩が前 方へ動くだけではなく、下方に引き込まれ、身体の 左右に軸感覚が生まれてきた」 といいます。 これは、 体の中心を通る一本の軸ではなく、左右二本の軸を 交互に使って走る感覚で、 「二軸動作」の常足 (なみ あし)に至ります。この常足は、馬が普通の速度で歩 くときの歩き方で、左右に軸をつくり、体を左右に 揺らしながら前に歩く歩様です。そこで、木寺はこ の二軸を操作した走歩行(運動)を「常足」と名づ けます。

、と 、し 、て 、使 、う 、特 木寺は、二軸感覚の動作は体幹を面 徴が有り、このためには股関節の柔軟性が必要で、 そのためには股関節が多少外旋 (外側を向いている) していること(股関節外旋位)が大切といいます。 柔道、合気道では股関節外旋位の構えが基本です。 最も顕著なのが相撲で、 「股割り」 「四股」 「すり足」

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また、赤瀬川原平のいう意味での「下駄」に近い のに登山靴があります。これは、足を皮で包んで、 歯を取った下駄を貼り付けたと考えてみてください。 登山靴の命は、底が固く曲がらないことです。つま り下駄機能です。曲がると、つま先に力が入ったり で、長期登山では足を痛めます。力は足裏全体で受 け止めます。登りは、靴先が地面に食い込めば足の 裏全体で体を持ち上げられます(靴底が柔らかいと つま先だけで体の重さを支えることになります) 。 下 りは、踵からおり、やはり足の裏全体で体重を支え ます。つま先から下りると、登山靴を履いていても つま先に体重がかかり、 つま先が著しく疲労します。 登山靴は底が下駄のように固く、つま先と特に踵が 重要になります。登山とは、二軸歩行様式の典型で もあり、深層筋を強化する運動でもあります。つま り、日本に西欧式の登山・登山靴が普及したのは、 意外と登山靴が下駄構造をもっていたせいかもしれ ません。 雲南の元阻県の一八〇〇メートルの高地地帯にあ るハニ族集落で、棚田(こちらでは梯田)を調査し たことがあります。ここは、照葉樹林文化地帯で日

本文化の一つのルーツであると考えられています。 ホテル(人民政府招待所)は山の稜線にあり、夜、 まるですり鉢の底から、月が浮いてくる闇の不気味 さ。月が去ると、すり鉢の棚田は漆黒の闇に吸い込 まれていきます。朝霧に煙る、すり鉢状棚田の尾根 から二時間ほど下って、すり鉢の中腹で一息ついて いると、薪を背負った少女が急斜面を下りてきて、 薪の背負子を石組みの棚において休みました。薪の 量に驚き、ちょっと背負ってみようとしましたがび くとも動きません。同行した中国のたくましい学生 が何とか背負うことが出来ましたが、一歩も踏み出 せません。華奢な女の子が、笑みを浮かべてまたひ ょいひょいと下って行きました。これは衝撃です。 この身体能力は一体何でしょうか。今は、やっと、 これは深層筋を強化した二軸歩行様式の典型でない かと理解しています。比叡山延暦寺には千日回峰行 の荒行がありますが、歩行禅といわれるように、歩 行の基本姿勢は座禅している状態と同じで、背筋は ぴんと伸ばして、上体をピシッとして、腰から下が 動いている感じだそうです(光永圓道『千日回峰を 生きる』春秋社) 。さらに、人によるようですが、内 股だと足首を捻挫しやすく、がに股気味で歩くそう

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要であるといいます(安田登『疲れない体をつくる 「和」の身体作法 能に学ぶ深層筋エクササイズ』 祥伝社黄金文庫) 。 「常足動作」に深層筋の概念をい れると、身体の動作と機能を基盤とした日本の文化 が一層明確になってくるはずです。 幼児の歩き方は、五歳くらいまでは、体幹をねじ っている子供はおらず、皆「二軸歩行」をしていま す。それが、大人になると、中心軸感覚の「一軸歩 行」になると木寺英史は指摘します。世阿弥は、理 想の能、理想の演技は「幽玄無上の風體」といい、 「童形 (どうぎよう)なれば、何としたるも幽玄 (いう げん)なり」と断言しています(世阿弥『風姿花伝』 岩波文庫) 。子供は深層筋が主体で、 「二軸動作」が 基本です。あらためて、世阿弥の「幽玄」の姿(風 姿)とは、深層筋を基礎とする「二軸歩行」で、 「き びす足運び」と整理できます。 赤瀬川原平のいう意味での「下駄」を履いた競技 として、まずスキーがあります。スキーは二枚の板 に乗りますので、基本動作は「二軸歩行」のように 思えます。しかし、ターンをしますので、このとき は完全に「一軸歩行」になります。右に回転すると

き、左足(山足)に体重を乗せ、内側のエッジを立 てますので、足の裏の内側に力がかかり、親指の付 け根の拇指球で制御する感じになります。このとき 右足(谷足)に体重は載せません(理想的には浮い ている感じです) 。スキーは二枚の板がありますが、 実際は直下滑降以外は一枚の板に乗っている、典型 的な「一軸歩行」動作になります。では、スキーの ジャンプはどうでしょうか。直下滑降で滑って、空 中では逆ハの字で滑空します。そのとき、スキーの 板の微妙な角度の調整をしているはずです。それを 親指でする(一軸歩行様式)のか、小指でする(二 軸歩行様式)のかで、大きな違いが出て来ると思い ます。バランスを取るのに二軸歩行様式の方が有利 な感じがしますので、小指制御が有利ではないかと 思います。ジャンパーの高梨沙羅は成長とともに重 心が上がってきているのではと指摘されていますが、 二軸歩行で丹田感覚を身につけると、重心が下がっ てくるはずです。レジェンド葛西が四〇歳を超えて なお一線級の成績をマークしているのも、老化の早 い表層筋よりも深層筋を使った「二軸歩行」様式で 飛んで、足の小指で板を制御しているはずです。機 会があったら聴いてみたいところです。

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気持ちが通い合う「心理的効果」が期待されるとい 泡(反芻した植物の分解液で猛烈に臭い)を吹きか います。また、馬に乗り、ただ歩くだけで日常使わ けて挑発的です。駱駝に乗るときはモンゴル人も棍 ない筋肉や神経を使うマッサージ効果といった「身 棒を持っていて、ひっぱたいて制御しています。馬 体的効果」も期待できるといいます。特に、常歩 (な に比べて、走ると速いし、上下運動は大きいし、言 うことは聞かないし、波長が全くあわず、ぐったり みあし)騎乗では、足やひざに負担をかけずに有酸素 運動(おそらく深層筋活動)効果が得られることか します。腰がガタガタになり、ギブアップ、伴走車 ら、病気療養のリハビリ用の運動療法にも用いられ に乗せてもらい、ゲルに帰り独り寝。 野生では、馬は外敵から身を守るために集団でい ています。 モンゴルの乗馬では、木製のモンゴル鞍を使い、 ますし、駱駝は砂漠の劣悪な環境下で水も草も少な く分散して生活しています。 馬と駱駝に乗るだけで、 馬と人のジョイント装置のようで、特に立ち乗りを するととても楽だそうです。しかし、私が乗ると連 調和は深層筋で、格闘は表層筋であることを今は理 続臀タタキ機に乗ったようなもので、素人は厚めの 解しています。さらに踏み込むと文明や文化もその 布を鞍代わりにして腹帯で締めて乗馬します。モン 性格によって、調和・共生的な深層筋文化と闘争・ ゴル鞍による乗馬では、馬と人が完全に一体となり 戦闘・略奪的な表層筋文化に分けられるかもしれま ますので、表層筋は使わず、深層筋により調整して せん。 馬を使ったホース・ (アシステッド)セラピーは、 いるはずです。モンゴル乗馬とは、実は相撲の基礎 欧米では乗馬療法として古代ギリシャの時代から長 を騎乗で鍛えていることにならないでしょうか。モ い歴史を持っており、心身両面へのセラピー効果が ンゴルの有力力士で、馬に乗れないのがいるかどう 認められています。私の研究室を修了してアメリカ か、興味深いところです。 旧正月には六歳から一二歳までの子供による一五 によると、 でホース・セラピーの学位を取った Sarah 馬は本来群れで行動する社会性を持ち、人よりも大 キロ走の子供草競馬があります。優勝した一〇歳ぐ きな体を持ちながら従順で、心優しい動物で、馬と らいの子供が馬上で勝利の詩を詠って、鷹の舞を舞

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です。マタギや山伏の身体能力も含めて、山での歩 行様式を解明すると、身体能力を中心とした縄文文 化が日本の基層文化にあることを明らかにしてくれ るかもしれません。 木寺は、 「二軸感覚の動作」が最も顕著なのが相撲 で、 「股割り」 「四股」 「すり足」は股関節の外旋に必 要な柔軟性を高めることを目的としていると指摘し ました。 したがって、 日本人力士が弱くなったのは、 社会全体から「二軸感覚の動作」の文化(深層筋文 化)が失われつつあることを示している可能性があ ります。一方で、モンゴルの力士が強いのは、モン ゴルに文化として「二軸感覚動作」 (深層筋文化)が 健在であることを示していると思います。表層筋を 発達させるだけだと、重心が上に上がり、腰砕けに なる。モンゴルにある「二軸感覚動作」の深層筋文 化とはなんでしょうか。 モンゴルの旧正月にバヤンデルグ群草原(首都よ り二五〇キロ)で、郡長さんの草原のゲルを拠点に 調査をしたことがあります。旧正月開けにゲルから ゲルへと正月の挨拶回りに同行します。馬などほと んど乗ったことがないのですが、進めはチョウと言

い、曲げるのはその方向に手綱を引き、止めるのは 手前に手綱引けばよいとだけ教えられて、 いざ出陣。 もう一つ、日本の馬の専門家から、乗馬のこつは、 頭の頂上に糸がついていて、その糸にぶら下がって いるイメージで乗ることであるとアドバイスを受け ます。これは、歩き方の理想でもあり、結局乗馬と は、馬の上で理想的な歩行を実際に行っているのと 同じ事であるといった、哲学的な話も聞きます。初 心でしたが、あっという間に、ギャロップが出来る ようになりました。 でも使う筋肉がまるで違うので、 氷点下三〇度と寒いのですが汗が吹き出し、心地よ い疲労感があります。乗馬というのはどうやら深層 筋を使った「二軸感覚動作」であると、今は理解し ています。馬上では馬が重力を受けてくれるわけで すから、表層筋を使うことはほとんどないので、馬 の歩調にあわせて、深層筋が働くことになるようで す。つまり、馬の歩行自体が「二軸歩行」で、馬上 でそれに同調しているのですから、結局「二軸歩行」 を受動的に行っていることになります。 次の日は、大きくて乗りやすいのではないかと駱 駝に乗ります。 しかし駱駝は人のいうことを聞かず、 座れとモンゴル人が手綱を強引に引いても、口から

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、め 、て 、短 、時 、間 、の 、情 、報 、 これまでほとんど欠落していた極

(生命に影響をおよぼす作用空間の意味に理解され る)や未知の 場 に遭遇したときの情報処理システ ムの解明にチャレンジし、具体的な型にとらわれな い柳生新影流にそのヒントを見いだし、 新影流の 転 」という原理(概念)に注目します(清水 (まろばし) 博『生命知としての場の論理 柳生新影流に見る共 創の理』 中公新書) 。 少しむずかしい論理展開ですが、

せん。/このように、関係と表現から生命を探求 していく学問のことを、私は生命関係学と名づけ ています。生命関係学の大きな目標は、 生命的要 素(関係子)の間のコヒーレントな関係の自律的 な生成」を出発点にして リアルタイムの創出知」 の原理を明らかにすることです。

」 「

、理 、シ 、ス 、テ 、ム 、(思考・論理・哲学・文化全般に係わ 処 る判断基準) について、 武術とその論理化によって、 新たな哲学・思想を生み出そうとした重要な論考で すので、以下に長くなりますが引用します。

関係子が自己を表現するということは、正確にい えば関係子が自己を自己言及的に表現するという ことなのです。それは何か外から与えられたルー ルを使って自己を表現するのではなく、自己の内 部でつくったルールにしたがって自己を表現して いくということなのです。つまり、新しいルール をつくるときの基準(評価法)が関係子自身の内 部に存在しているのです。/人間にも、ご機嫌の 顔をしているときと、仏頂面をしているときがあ るように、関係子の基準も一定ではなく、 「虫の居 所」 (内部の状態)によって変化をします。(中略) 一般に関係子が自己を表現すれば、その表現をし ている身体が関係子に含まれることになるので、 その前後で状態が変わります。すなわち、表現し たものの影響を受けてルールが変わってしまうの

「自分たち自身でコヒーレントな関係をつくり (自 己組織し)ながら、その関係にしたがって自律的 に自己を決める」ということから、私は生命的要 素のことを 関係子」と名づけました。そして関係 にしたがって自己を自律的に決めることを、「自己 を表現する」と呼んでいます。この自己表現性を もつためには、 関係子に 超越的な立場から各自の 拘束条件を決定していく働き」がなければなりま

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名古屋春風館道場には、柳生新影流と円明流(宮 本武蔵の流儀)が伝わっており、技法の比較と春風 館に伝わる『刀法録』の解読により、新影流と円明 流の密接な関係が分かってきています(赤羽根龍 夫・赤羽根大介『武蔵と柳生新影流』集英社新書) 。 柳生新影流は、相手を動かして勝つ「勝人剣 (かつに 」で、武蔵の円明流は、相手を追い詰めて勝 んけん) 」 、 つ 殺人剣」といわれます。新影流の 転(まろばし) 円明流の 円 だけでなく多くの日本の武道は、 円 を極意とします。では、なぜその様な武術が日本で 生まれたかです。

円明流や柳生新影流は、農耕民族である伝統的日 本人の身体操作を結晶化し、今日に至るまで護り続 けています。清水博は、生命が、刻々変化する 場

す──が自然と生まれました。鋤や鍬などの農具 は、農具の重心を自分の重心に近づけるように手 元に引く遣い方が疲れにくいということを自然と 覚えました。このことは現代でも日本のノコギリ が西洋の様に前に押し出さずに、引いて遣うこと でも分かると思います。刀も突くのではなく、円 く引き斬る構造になったのです。/一方、西欧文 明での戦闘方法を作りあげた民族は、狩猟民族で あるゲルマン人といわれています。(中略)ゲルマ ン人の身体操作がヨーロッパ人の武術の動きのも とになっていると考えられます。/狩猟では、よ り速く走りより高く跳ぶことが絶対的条件ですか ら、農耕とは違って直線的に走って獲物を追いか け、つま先立って跳び込みます。それには瞬発力 を必要とした重力に逆らった筋力を鍛えることが 大切になります。 ここからヨーロッパ式体育の 「よ り速く、より高く」といった考え方が生まれてい ます。

います。馬は汗と湯気でモウモウとしています。力 士の白鵬が、 制限時間前の最後に塩をまく姿が一瞬、 鷹の舞に似たような仕草をしている感じがします。 今は、この鷹の舞は、 「草原の能」ではなかろうかと いう気がしています。身体動作の基本は全く同じは ずですので。

日本の農業は田植えや草取り稲刈りなど長時間の 農作業が必要とされます。そこで、疲れない腰を 痛めない身体操作──膝を緩めて腰を垂直に落と

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」 「

」 「

」 「


臨むときの心構えが書かれていますが、対象化して 正確に捉える 見の目」と、場所の中に置いて捉える 観の目 の二種類の目をもって敵を見ることの必要 性を説いています。場所的関係の中に己と敵を置い て、主客を超越した関係という観点から場所全体の 状況を捉えようとすると、敵の意図はおのずと明ら かになるものです」と述べ、宮本武蔵の身体操作は 禅や能にもつうじているといいます。 「

道元に 「創造不断」 という有名な言葉があります。 これは、絶えず創造しては壊すことの不断な連続 であると私は思っておりますが、これが、 リアル タイムの創出性」であります。それは、試行錯誤 を繰り返した後で良いものを発見するということ ではなく、その場その場で適切なものを刻々とつ くり出していくという考えです。しかし、どうす ればこの リアルタイムの創出性 が実現できるか という原理はまだ科学的には発見されていません。 /したがって、その原理を発見し、その応用を考 えることが、 私が目指してきたことでありますが、 一口に言えば、それは無(無限定な状態)からい くつかの適切な働きが同時的に創出されるという

形をとります。無の状態とは円錐形の形をした山 の頂に大きな丸い岩が置かれている不安定な状態 に相当します。 特定の方向に転がすということは、 その特定の方向以外には岩が動いていかないよう にするということですから、私はこれを岩の運動 に拘束条件を与える、という言い方をします。 も しも、その岩の運動がまったく新しいものであれ ば、その運動を生成するために新しい拘束条件が 必要になるわけです。このように無からの刻々の 創出(リアルタイムの創出)では適切な拘束条件 をどのように創るか、つまり拘束条件の創出とい うことが最も重要な問題になってくるわけです。 これらに関連して、私は柳生新陰流の 無形の位 と 転 (まろばし) 」という考え方に共通性を感じ、 大変興味をもっております。 「

ここで、 無形の位 (=自己無限定性)とは、一 定のルール生成ルールをもち、その意味で自己同一 性をもっているが、個別的なルールにはとらわれな い未限定な状態をいいます。上泉伊勢守(新陰流の 創始者)は、 「無形の位」からの自由自在なルール創 出に普遍の剣を見いだして、自由自在に技が創出さ

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です。 結論として、日本の伝統文化の大きな特徴は、 「リ アルタイムの創造の原理の上に立って、独自の理と 術を創ってきた」ということです。このリアルタイ ムの創出は「自他非分離的な創造の原理」で、近代 科学の方法と論理である「自他分離的認識の原理」 で解明することは困難と指摘します。そして、 「リア ルタイムの創造の原理」には脱学習が重要だと次の ように指摘します。

遍が生まれてくると考えているからです。したが って、そこにあるのは学習の理論ばかりです。こ れは完璧なマニュアルをつくれば、どのような状 の考えにつ 態にも対応できるという 知識的な知」 ながります。知識の学習ばかりでは、学べば学ぶ ほどシステムが硬直化し、自由度を失っていきま す。そのために脱学習ということが必要になって くるのです。

「リアルタイムの創造知」は「身体的な知」です。 その場で身体を使って、ある行為をはじめておこな うためのものであり、知識からではなく、こうした いという身体的要求から出発していくことです。こ の「身体的知」をひらたくいうと、 「感性」に他なり ません。リアルタイム創造とは、感性の発動に他な りません。一方、 「身体的な知」と対比すると、西欧 (外的な基準に照らさなけ の文化は、 機械的な知」 れば行動することができない) 、言い換えると 知識 さ 的な知 で構成されていることが明確になります。 らに、 「身体的な知」を習得すると、能でも馴染みの 見の目」観の目 を開くことが出来ます。 清水博は、 宮本武蔵の『兵法三十五箇条』にふれ、 「真剣勝負に

リアルタイムの創造を原理とする日本の伝統文化 の習得では、意外にも、まず一生懸命に型を学習 しろと言われます。(中略)では次ぎにどういうこ とが必要かというと、今度は過去に学んだ型にと らわれないということなのです。これが学習 による拘束からの解放、すなわち脱学習 learning ということです。これは型にとらわれ unlearning ないということであって、学習したことを単純に 忘れるということではありません。/これまでの 脳のネットワーク理論や人工知能の理論には、こ の脱学習がありません。無数の特殊を集めれば普

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内田樹は「身体的な知」の考察を進め、デカルト の「 「我思う」ゆえに「 『我』在り」ではなく、 「 「我 思う」ゆえに「 『思う』あり」 」と転倒してしまいま した( 『武道的思考』筑摩選書) 。 とりあえず学生たちには形を遣い、剣の抜き方納 め方を稽古してもらう。/当面の課題は「刃筋が 通る」というのはどういうことかを実感すること である。/それは要するに「剣には剣固有の動線 があり、人間は賢 (さか)しらをもってそれを妨げ てはならない」ということに気づくということで ある。自分を主体として立てて、剣や杖を対象的 に操作しようとしてはならないということに気づ くということである。/剣や杖には、それぞれ「お 立場」というものがある。だから、それを尊重す る。/私自身の筋肉や関節や腱や靱帯にだって、 やはり「お立場」というものがある。だから、そ れを尊重する(しないとあとで痛い思いをする。 ) /そんなふうだから、武道の稽古をしていると、 あちこち気を遣う相手ばかりで気疲れしてしょう がない。/だが、そうやって剣やら杖やら体術の 相手やら自分の身体各部やら、すべてのもののは

たらきを妨げないように気を遣っていると、「そも そも、この『気を遣っている』主体というものは どこにいるのか?」という深甚な疑問に逢着する ことになる。/主体って何?/武道はこのデカル ト的省察をデカルトとは逆方向に進む。/「我思 う」ゆえに「 『我』在り」ではなく、 「我思う」ゆ えに「 『思う』あり」の方に分岐するのである。/ 技術的には、主体なんてなくてもぜんぜん困らな いし、むしろそのようなものはない方がましだか らである。/この逆説的状況に学生諸君を投じる ために、お稽古をしているのである。

前田英樹は『宮本武蔵『五輪の書』の哲学』 (岩波 書店)で、武蔵とデカルトを比較しながら、武蔵は 実に思想家として評価できるといいます。 武蔵は 「実 の道」を行なう「法」として次の九箇条を挙げてい ます。 「実の道」の対語として、武蔵は「外道 (げど 」といいますが、前田英樹は「 「外道」の特徴と う) は、 〈実在の運動〉を離れて、おのれのほしいままの ああだ、 空想から事物を裁断することにある。 (中略) こうだと奇妙な技や策略を捻り出す。 こういう者が、 「外道」にはまった兵法者の典型です」という。以

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れることを 転(まろばし) 」 とよんだということです。 これは、本当のところは、新陰流に入門をしないと 理解できないことですが、おそらく似たようなメカ 」 )が、より複雑 ニズム( 無形の位 と 転 (まろばし) ですがサッカーにも現れるようです。 NHKシリーズ「ミラクルボディー」の第二回 「

「 」

( http://www.nhk.or.jp / special/detai/2014/0608/ ) では、前々回ワールドカップ優勝、近年のビッグタ イトルを総なめにしてきたスペイン代表の 「司令塔」 シャビ、そして攻撃の起点を作る「魔術師」イニエ スタを取り上げ、空間統計学の専門家の分析(全選 手の位置情報を完全記録する4K高精細俯瞰カメラ 映像解析)と最新の脳科学での二人の脳解析から、 サッカーの組織プレーに秘められた、心と肉体の驚 異な世界を紐解いてくれました。これは、新陰流に 」であると思いま おける 無形の位 と 転 (まろばし) した。 シャビはパスをするときの全体認識が極めて優れ ているのですが、シャビに映像を見せながらMRI で脳の活性部位を調べると、大脳基底核が活性化さ れていて、ここは直感や空間認識の場で、経験や知 識が長期的に蓄積される場所です。無意識と直感で

パターンを選ぶ、将棋の棋士の活性部位と同じよう です。日本選手や並の選手は、思考・意志決定をす る前頭前野で考えながらプレーしていることも分か りました。つまり、並の選手は、頭で考える頭脳的 プレーをしているわけです。シャビは無意識の直感 のルール生成ルール(蓄積されたパターン選び取っ ていく)を持っていることを示しています。一方、 アンドレ・イニエスは瞬間的想像力にすぐれる芸術 家タイプと判定されています。例えば、一分間で五 点を結ぶパターンで四九個の違うパターンを描けま すが、スウェーデンのプロサッカー選手では三九個 パターンが精一杯です。つまり、全体の位置を把握 して、パスを送る最善のパターンを一瞬で把握する 能力が高いことを示しています。 想像するに、上泉伊勢守(新陰流の創始者)や宮 本武蔵は大脳基底核を活性化し、佐々木小次郎は前 頭前野を活性化させていたのではないでしょうか。 新陰流の武道家に切りつけてくる映像を見せながら、 脳のMRIを取ってみると、日本の伝統芸能におけ る「身体的な知」を脳科学レベルで解明できるかも 知れません。

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「 」


武蔵からすると、これは「外道」の考え方でしょう。 しかし、役に立たない思弁に騙されまいとする強い 意志には共通するところ感じられます。ところで、 デカルトが『方法序説』で記さない、ドナウ河畔の 「暖炉部屋」における「三つの夢」の事件があり、 これは、デカルトの生涯の決定的転機、彼に学問の 設計者たることを決意せしめた一つの重大な事件を 迎えたといいます(田中仁彦『デカルトの旅/デカ 。非 ルトの夢 『方法序説』を読む』岩波現代文庫) 常に長い夢でそれ自体たいした意味も無いと思いま すので、思いっきり簡約すると、第一の夢では、道 を歩いていると幻影が現れておびやかし、烈しい風 が吹いて渦巻きの中に捲き込むという情景で(そこ に人も出て来ますが) 、第二の夢では、雷鳴のごとき 音に驚かされて飛び起きると、部屋の中をたくさん の花火が降ってくるのが見え、第三の夢では、机の 上に辞書と詩華集が載っている情景です。デカルト は、第一の夢と第三の夢を解釈して、これらは天の 啓示で、「真理の霊の啓示」 と確信します。 そもそも、 デカルトは、 「この日、驚嘆すべき学問の基礎を発見 したという思いで心を一杯にし、非常な興奮に充た

されて眠りにつき、一晩のうちにつづけて天から来 たとしか思われない三つの夢を見た」(原資料は失わ れこのノートを直接見たアドリアン・バイエの報告 書)といいます。夢自体には、それほど大きな意味 もないのですが、興味ぶかいのは、眠る前に異常な 興奮状態で、第二の夢では、 「雷鳴のごとき音に驚か されて飛び起きると、部屋の中をたくさんの花火が 降ってくるのが見えた」のですから、これは一種の トランス状態に陥っていたことを物語っています。

、体 、離 、脱 、を体験していて、心身 おそらく、このとき幽 が二分されていたのをはっきり感じたはずです。そ して「真理の霊」とは神であり、デカルトはそれを もって神の存在証明が出来たと考えたはずです。『方 法序説』はだいたいそんな構造になっています。禅

、体 、離 、脱 、しても本人に必ず返って では、東洋では、幽 きますので、心身は一体ですが、デカルトでは、西

、体 、離 、脱 、すると、魂(神)と身(自己)に 欧では、幽 分離するようです。デカルトは、既存の中世以来の 学校の学問を徹底的に疑いましたが、しかし、神を 疑えば火炙りにされる時代です。むしろ神の存在証 明がデカルトには必要でした。ある意味では、見え

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下が「実の道」を行なう「法」 (行動上の規則)です。 第一に、よこしまになき事をおもふ所 第二に、道の鍛錬 (たんれん)する所 第三に、諸芸にさわる所 第四に、諸職の道を知る事 第五に、物毎 (ものごと)の損徳をわきまゆる事 第六に、諸事目利 (めきき)を仕 (し)覚 (おぼ)ゆる 事 第七に、目に見えぬ所をさとつてしる事 第八に、わづかなる事にも気を付くる事 第九に、役にたゝぬ事をせざる事 先に取り上げた清水は、 「リアルタイムの創出知」 とは、判断の基準となる「常識」と要約しています が、 「実の道」とはまさに「常識」のことです。日常 の中に、兵法の極意があると言っているようなもの です。ですから、宮本武蔵の『五輪の書』はつまら んという人が多いのですが、究極のぎりぎりの判断 の基準は、日常の「常識」の中に全てあるというの ですから、あたり前のようですが、これを剣の極意 を突き詰めた思想と読めば実に驚嘆すべき思想です。

前田英樹は、 『五輪の書』は自伝的放浪の記で、デ カルトの『方法序説』も似たような構成で、二〇年 の放浪の後に『方法序説』が書かれ、その六年後に 『五輪の書』がでたことから、同時代的でどこか似 たところがあると指摘しています。デカルトが、な ぜ二〇年も放浪したかというと、中世以来の学校の 学問が、何の役にも立たない砂上の楼閣と見極めた からです。デカルトは、傭兵となって戦闘を経験し たり、剣術に凝って実技書まで書いている、武人な のです。デカルトの『方法序説』に「デカルトの四 則」と呼ばれるものがあります。要約すると、それ らは次のようなものです。

一、明晰、判明に自分の心に現れるもの以外は、 何ものも自分の判断に取り入れないこと。 二、取り扱うすべての問題を、できる限り小さな 部分に分割すること。 三、最も単純なものから、次第に複雑なものへと 順序を定めて進むこと。 四、そうやって進みながら、進んできた全体を常 に枚挙し、完全に点検し直すこと。

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化・哲学・思想を無残にも断ち折られた無念さを、 我が身に引き受けて 「悔悟」 の念としてとらえます。 シベリアの大地をコンクリートの大地に置き換えて みると、足のうらと地面とのわずかなすき間には、 現代ではもう「悔悟」の杭を打ち込む余地すらない のかもしれません。 以下に「膝で歩く」部分より。

*石原吉郎の「土地」 「膝」

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どこにひきかえすのか抑留され 凍った土地につながれたどの兵士も 足のうらは役にたたず 肘と膝がしらで這う姿勢で * 身を保つしかなかった 二足歩行をいまだに信じている精神よ 膝を組みかえてみよ それだけで一変する思考がある シベリヤ強制収容所から生還した詩人は 足のうらと地面との わずかなすき間に 悔悟の杭をうちこみながら語った

連載 エッセイ


ざる闇からの真剣を相手に、ぎりぎりの戦いをして いたはずです。その中で、 「デカルトの四則」は、武 蔵と同様、西欧の日常の「常識」の中から生み出さ れたものに違い有りません。 さて、 「下駄」の話から、随分と遠くにまで来てし まいました。身体論の基礎は、足の裏にあります。 「下駄」に張り付いたように歩く「二軸動作」は、 日本の芸能武芸の基盤になっています。特に、武術 においては、ぎりぎりの判断・行動に関する英知が 積み重ねられて、 リアルタイムの創出知 ( 無形の位 と 転(まろばし) 」 )に至りました。ぎりぎりの判断 には、洋の東西を問わず、 「日常の「常識」 」こそが 極めて有効であることが分かりました。では、 「日常 の「常識」 」そのものが打ち壊されたとき、 「足の裏」 の思想はどうあがくのでしょうか。 「足の裏」の文化 が強制的に断たれたとき、何をもって生きようとす るのでしょうか。石原吉郎の詩に、シベリア拘留を 石 基にした「土地」という詩があり( 『現代詩文庫 原吉郎詩集』思潮社) 、それがヒントになるかも知れ ません。 26

そこからが膝であるく土地 膝だけであるく土地だ そこからが 足うらの役立たぬ土地 すべて直立するものが こころを入れかえる土地だ そして忘れるな ここからが 肘と膝とであるく土地 すべて僧侶があゆみ捨てる土地だ いわば 遺言の 所在のごとき土地 肘と ただ膝がしらで 悔悟のように杭を 打ってまわる土地だ そして忘れてはならぬ かつてどのような兵士でも この姿勢でしか 前進を起こさなかったのだ

季村敏夫はそれをうけて、 「膝で歩く」の詩を書き ます( 『膝で歩く』書肆山田) 。この詩は、石原吉郎 の詩に呼応して、日本が積み上げてきた足の裏の文

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が故にも連想させる。しかし、話題は自然科学 であり、道徳や倫理への言及はないが、感情移 入の結果、 道徳や倫理へのある種の諦観を促す。 遺伝子に意志はない。事実が先にある。生き 残った遺伝子には、 生き残った事実が先にあり、 有利に働いた形質が偶々あったと説明される。 遺伝子が前もって意識的にそうした形質を身に 着けたわけではない。道徳や倫理を守ったから 種が絶滅を免れたのではなく、絶滅しなかった 事実を、道徳や倫理が後付で説明できるだけで ある。この本が我々に与えるこれらの毒気は、 結果という事実が優先し、理屈は後から付いて くるという、一種の非道徳、非倫理的思考を促 す。ウォール街の証券マンに愛読されるだけの ことはあると実感する。 「ウォール街の証券マン」に知り合いなど一 人もいないので、 「ウォール街の証券マン」を自 由に想像する。すべて計算づくの人であろう。 感情に流されず、損か得かの合理主義で物事を 判断する。厳しい競争にさらされ、能力を見限 られれば、ポイ捨てされてしまう不安を抱え、 虚勢でこれを隠す。そうに違いない。そうした 人であろう「ウォール街の証券マン」に、今ど

きの研究者は共鳴し、連帯感を実感する。 証券マンが市場社会という実力社会の中で、 いつも淘汰の競争に晒されているように、研究 者も厳しい淘汰の世界に晒されている。大学院 を修了しこれからという時、安定した身分を保 証してくれる研究環境など極めて限られている。 多くの新米研究者は、任期付きの研究職にしか 就くことができず、研究成果を挙げ、相応の評 価が得られなければ次の職場を見つけることも できない、不安定な立場に置かれる。厳しい社 会である。 淘汰の競争は、研究者だけではない。学問分 野も淘汰の社会にいる。 マイナーな学問分野は、 学生の減少、 研究費の縮小など様々な側面から、 他の学問分野との資源獲得競争に敗れ、絶滅の 危機を迎える。 生物種の淘汰も、研究者の淘汰も学問分野の 淘汰も、すべては資源が有限という制約に発し ている。現代社会は、人類の幸福に多大の貢献 をした様々な学問分野やそれを支える研究者に、 どうしてかくも厳しい世界を歩ませるのであろ うか。

連載 エッセイ

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淘汰される学問と研究者 リチャード・ドーキンスが著した『利己的な 遺伝子』 (一九七六年、訳書は紀伊国屋書店(一 九九一年) )は、生物進化に関する一般教養書で あるが、ニューヨーク、ウォール街の証券マン に良く読まれたという。建築が専門で、進化論 に関わることなどほとんどないが、この邦訳を 読んで強い印象を受けた。例えるなら古代王国 の興亡を記録した歴史書の読書感に繋がるかも しれない。 宗教や祭祀などに身を委ねることなど全くな く、自然科学信仰の王道として、科学原理に基 づき信頼感に足る利便をもたらす学問である工 学を志し、日本の、また世界の無数の同業との 厳しい競争に臨もうとする工学系の学生への一 つの教養として、 私に関わる学生の皆さんには、 読まれることをお勧めしている。 私自身は進化論の門外漢である。しかし、全 く無縁でもない。工学における最適化問題では 生物進化過程をアナローグした遺伝的アルゴリ ズムを利用することは多い。最適化計算では、

選び出される最適候補の陰で劣等解の烙印を押 され、振り落とされる個別解の生々しさに、い つも感情移入する自分を発見する。 読書後にドーキンスの本を正しく読み取った か否か試験される訳でもなく、彼の主張を正確 に理解している自信はないが、 進化論は 「競争、 淘汰」という身近でつい感情移入してしまう話 題であり、様々な場面で進化論を比喩に用いて しまう。進化論は個々の個体生物の生存競争を 見ているわけではない。個体の属する集団、生 物種の存亡を見ている。集団と個の関係性は、 当然ながら倫理や道徳への連想も生む。有限な 資源という制約の中での生物種間での厳しい生 存競争、淘汰による生物種の生き残りの中で、 個の果たす役割を考える時、道徳や倫理の問題 に直面する。ドーキンスの本の中で、主役とな る遺伝子には「利己的」とか「利他的」とかと いった名前が付けられており、個体の自己犠牲 による、生物種という集団の生き残り作戦が語 られている。個体の守るべき道徳や倫理をいや

加藤信介

かとう しんすけ

(専門は都市・建築環境調整工学)

東京大学生産技術研究所教授

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図1 乾季の 2 月に咲くカルダモンの花.

図 2 ヒルに足を噛まれた時に履いていたサンダル. その昔,地元の人々はカルダモンを取りに森に入る ときは靴を履くことは禁じられていた.

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そばにいた人が慣れた手つきでタバコ の火を押し付けるとヒルはいとも簡単 にポロリと落ちた。血を吸って膨らん だ姿を見てその人は言った「腹いっぱ いになったね」 。勝ち誇ったように、身 を伸び縮みさせて地を這う姿を見て、 苛立ちともいえない、何ともいえない 気持ちになった。

図 3 血を吸って、勝ち誇った様子で地を這うヒル.ティエッ クという小さく短めの種類.


忘れられた当たり前を探す¨ 目からウロコのフィールドワーク⑯

フィールドワークでヒルと付き合う:

ウのようだ」と言われた。完治まで二 週間を費やした。それ以来ヒルが恐く なった―。 カンボジア西部の山岳森林地域につ らなるカルダモン山脈。ショウガ科の

人を噛む生き物が育む感情、感覚、想像力

いしばし ひろゆき

石橋弘之 東京大学大学院農学生命科学研究科 博士課程 (専門はカンボジア地域研究)

――フィールドで遭遇する厄介な生き物

ヒル( 蛭)

カンボジアの森でヒルに足を噛まれ た。足は大きく腫れあがり「まるでゾ

カルダモンの特産地であり、無数のヒ ルが棲む森が広がる地域。そこにはカ ルダモンを交易品とする人々が一〇〇 年以上も前から暮らしてきた。 その日、私はカルダモンの花を見よ うと土地の若者に案内してもらってい た。森の片隅の暗がりに小さく咲く白 いその花を見て歓喜した。早速写真を 撮り、歩道に戻り一息ついた。ふと足 元が気になってサンダルを脱ぐと両足 の甲と指にヒルが何匹も噛みついてい た。足にへばりつき蠢くその姿に驚愕 して、大慌てでヒルを素手でむしり取 る私を、若者は面白おかしく笑った。 宿泊先に一時間ほどかけて歩いて戻り、 やがて傷口が化膿した。 カルダモン山脈の人々の生活と歴史 を知りたいと森に飛び込んだ私を嘲笑 うかのように、その後もヒルは噛みつ いてきた。 家々を回っていた時も、くるぶしに 丸々と膨れ上がったヒルがひっついた。

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だよ」 。 それほどヒルが多いのなら、どのよ うに身を守ったのだろう。聞くと、腰 に下げた竹筒に塩や石灰を混ぜた薬を 入れておき、足に塗ったのだという。 別の日に、この男性に案内してもら 図 6 雨でぬかるんだ土の上を走る高級木材の運搬車によって壊される 村の道路.

い、畑の出づくり小屋に行った時もヒ ルはいた。それを見て悲鳴を上げそう になった私と違い、男性は慣れた手つ きでヒルを木の上に乗せて鉈でタン、 タンと叩き刻んだ。

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開発下の森林消失のなかで 変わる生活

その畑も今はなくなってしまった。 二〇〇九年に水力発電ダムの開発が着 工され、この機会に便乗した企業、商 人、労働者が高級木材の伐採を始めた のだ。やがて高級木材が枯渇すると、 キャッサバやトウモロコシなどを作付 けするための農地開墾が始まり、かつ ての畑は、一気に商品農作物の農園に 転化された。 そうしてカルダモンの森、 ヒルが棲む森の多くが伐採された。い つしか私もヒルに噛まれる心配をしな くなった。 それでもなお、あまりにも多くのヒ ルが棲む森とともに昔から暮らしてき たこの地域の人々にとって、ヒルはそ う簡単に忘れることができる存在では なかった。 図 7 水力発電ダム開発下で森を縦断する形で建てられた電波塔の一つ.


森で暮らす感覚を呼び起こす生き物 そんな生き物とこの地域に住む人々 は、 昔からつきあってきた。 あるとき、 五〇歳代の男性と話していると、カル ダモンのことに話題が及んだ。初めて

カルダモンを取りに行ったのはまだ幼 い九歳の頃。数十人で集まり一週間か けて森に入り、小屋を建てて肩幅程の 小さなゴザを敷いて寝泊まりしたこと を「楽しかった」と語った。 私がヒルはいたかと聞くと「おぉ!

図 4 焼畑用地に陸稲を植える穴を棒で掘る.

本当にたくさんだ! 足にもつくし、 頭にもつく。私なんか雨が降ってる時 に口の中にまで入られたんだから!」 。 口に入ったって、どうしてわかった んですか? 「ご飯を食べている時に気がついたん

図 5 焼畑用地周辺の森は、ダムの貯水池として伐採された後に,キャッサ バ農園と化した.

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猟師の子分を喰う巨大なヒルの王。 そのヒルの王を仕留めた猟師の長。森 に入り、無数のヒルと奮闘して暮らし てきた人々は、いつしか想像力を膨ら ませ、人を喰うヒルの王と闘う猟師の

伝説をも生みだしたのだ。

んだ、そうした力を秘めた生き物がヒ ルだった。 いま、人々がヒルという生き物とつ き合いを築いてきた森は伐採されつつ ある。そのなかで生活の場も急速に変 わっている。森がなくなれば、ヒルに 噛まれて厄介な思いをしなくてもよく なるだろう。そうした生活を選ぶのも 選択肢の一つかもしれない。しかし、 そのことと引き換えに生き物とのかか わりを通して呼び起こされる感情、感 覚、想像力を生んできた地盤も崩れ去 るかもしれないことを忘れてはならな い。あるいはまた、森に暮らしてきた 過去の経験を土台に、人と生き物、人 と人の関係をつなぐ新たな場を人びと はつくりだすのだろうか。その行き先 をこれからも見て行きたい。

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おわりに 現在のカンボジアでは、 ゾウやクマ、 ワニなど大型野生動物が保全活動の対 象とされている。そこでは人々が日々 の生活のなかで否応なく接するヒルの ような生き物が語られることはほとん どない。 しかし、そのような小さな生き物と のつきあいは、日々の暮らしの中では 避けることはできない。それは、体中 にへばりついて人の血を吸う厄介な生 き物であり、大事にされるどころか、 嫌われさえもする。 それでも、その生き物の名前をひと こと口にするだけで、森に入った時の 感情や、感覚が呼び起こされ、いきい きとした声と表情で人々が語るきっか けとなる。それは、想像力をふくらま せ、世代間で語り継がれる伝説をも生 図 9 川辺にて村の子供が撮影してくれた写真.


伝説 ―猟師を喰うヒルの王 それは、ヒルの王の伝説として今な お語られている。 二〇一一年六月、村を再訪した雨季 のある日、道を歩いていると知人の男 性の一人があいさつ代わりに声をかけ

てくれた。 「カルダモンの季節だ! また来た ね! 今年はいくらで買ってくれるん だ(笑) 」 そう言うなり、男性はそのとき立ち寄 っていた古老の家に私を招いてくれた。 古老が「昔はカルダモンの森を伐採

図 8 チュルーンという体の長い種類のヒル.砂地の多い川の中で 体をくねらせて泳でいたりする.ヒルの王の伝説に登場するのはこ のタイプ.

あるとき七人の猟師が森の中でご飯 を炊くことになった。ご飯を炊く水 がないので、猟師の長が子分の一人 に水を汲みに行かせた。ところが、 なかなか戻ってこないので二人目の 子分に水汲みに行かせた。やがて、 三人、四人と後から様子を見に行っ た子分も次々といなくなった。最後 の子分も戻ってこないので、とうと う猟師の長が池を見にいくと――そ こには見上げるほどの高さの巨大 ヒルがいた。猟師の長はすかさず、 椰子の実を弾にして弓を放ちヒルを 狙って仕留めたのだった。

するなんてことはなかったね。今やも うすっかりなくなったけど、カルダモ ンの森には椰子打ち池(スラバンニュド があって……」と語り始めると、 ーン) 横に座っていた男性は「おじいさん。 その話は私にさせてください……」と 前に乗り出し語りだした。 図 9 川で元気よく遊ぶ村の子供.

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http://www.j-nature.jp/butterfly/

文・構成 平松 あい)

ナミアゲハ と ミカンの木

(こどもサステナ

蝶の写真:蝶の図鑑ホームページより

アオスジアゲハ と クスノキ

0歳からの こども サステナ にまなぶ

2015 夏の号


葉っぱちゃん、こんにちは

ぬミカンの木を見る目が発達したようで、自転車で

通り過ぎても、あ、ミカンの木!とわかる。 拾って、自己紹介をするということがあった。例えば、

てから。さらに葉を食べている青虫を見つけ、それ

ウ…昔は防虫剤として使われていた)がすることを知っ

そしてクスノキ。ツンとする特有の匂い( ショウノ

緑と赤のグラデーションの葉を見せながら、 「仕事疲

があの美しいアオスジアゲハになると知ると、ます

以前、今の自分の気持ちにぴったりな葉っぱを2つ

れで元気がなかったですが、だんだんやる気がわいて

名前を知る、個を知るということは大きい。これ

ますクスノキに愛着がわいてしまう。

る人もいたかもしれないけれども、そこに言及する人

までは単なる風景の一部くらいだったものが、ある

います」など。葉っぱの名前は、知らない。知ってい はおらず、葉っぱ1つ1つの特徴をよーくみながら、

時からそれだけ浮かんで見えるのである。大勢の子

んらか価値を見出す。世の中全てのものを知ること

ま るで そ れ が 人 格で も あ る よう に 個 性 を 見 出 して い しかし、名前を知るとまた違う。私にとっては、ま

は難しいが、こんな感覚が他のことについてもいえ

どもの中でわが子を発見するような感覚。そしてな

ずカタバミ。ハート型のかわいい葉っぱで、クローバ

るのだろうなと思う。

た。感じること、重視。これもよい。

ーと間違えられやすい草。気がついてみると、道端、 次にミカンの木。アゲハの幼虫を飼うはめになった

ットコドリ」と呼んでいるが、環境の変化か、どう

トットコトットコ面白い走り方をする鳥。勝手に「ト

近頃気になるのは、くちばしと足がオレンジ色で、

時にミカンの葉しか食べな いという衝撃の事実を知

も最近よく見る。

コンクリートの割れ目、あちこちにある。

り、近所を探しまわった。そのおかげで青虫の目なら


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